書斎劇 de かく語りき2


■ 読者からの手紙 ■

 ガライ曰くファンレターだというそれは、我の目から見れば脅迫状に他ならなかった。惜しげもない罵詈雑言、無学の人間にはなし得ない芸術的とも言える語彙が紙面いっぱいぎりぎり手紙と呼べる枚数に渡って綴られている。遠巻きに見ても紙からザギに匹敵する呪詛が漏れ出ている。
 別のファンレターは逮捕状にしか見えぬ。ガライの行き過ぎた行為に、国の平和が脅かされているという。そのために、相応の罰、もしくは処刑を敢行するという内容だ。こちらは由緒ある者のサインと捺印が施された正式な書類だろう。
 何枚も手紙を繰っているうちに、ファンレターに近しいものはあるのだとわかる。だが、そのファンレターも『貴方の小説で私の未来は大きく啓けました』という、自己啓発にノリノリで乗って自己喪失しているような、所謂とてもまともとは思えない反響がほとんどを占めた。
 個人的に受け取ったなら、一週間ほどはおやつにできたことだろう。さらにガライがこれに怯えるなら、小鉢程度の腹の足しになり得ただろうが世の中はそうはいかない。
『強烈なファンレターだな』
 我の言葉にガライが、「いやぁ、恐ろしい限りです」と穏やかに笑う。
 正直、この男の妙に生命の危機に疎いのはどうかとは思う。闇に閉ざされ極寒地獄と化した大地を単独で闊歩して、よく無事だったものだ。魔物と友好的な関係であったと言っても、我は魔物を束ねるものでもない。アレフガルドで平然と我とお喋りしたのは、この男を含めた片手で足りる程度の人数しかおらん。
「今回書いた小説が一部熱狂的な支持を得てしまったようで、ちょっと自分の立場が危うい感じなんですよね。しばらくアレフガルドから離れて、モンスターマスターの修行にでも出ようとか真面目に考えるレベルです」
 この男、実際になかなか優秀なモンスターマスターやってると噂を聞くぞ。
 なんでも、ロトが考案した魔物のステータスを上げる薬を、勝負で負けたらあげるということを始めたら『吟遊詩人マスター狩り』なるものが勃発しているとか。この男、どこでも立場が危ういのではないか?
「なにせ、僕は戦えませんからねぇ。包丁持ってにじり寄られたら、刺されるしかないじゃないですか」
『一体、何の本を書いたのだ?』
 ただの空想を文章化したものなら、こうはならぬ。
「邪神召喚マニュアルというタイトルで、若き神官が邪教の開祖になるまでの、破門あり、資金難あり、新興宗教弾圧あり、現存宗教観論破説法も特盛でかつ、ロトちゃんがきちんとシドーさんを召喚した召喚術も完全監修のハードカバー本です」
『命狙われて当然だ』


■ ナマモノは生のまま食うか腐らすか ■

 薄暗い店内の片隅で、不思議な光を放つ板を叩いていた女性は僕を見てふわりと表情を緩めました。柔らかく、しかし芯がある。そんな相対する二つを掻き寄せても自信なさそうな控えめな眉尻が、なんとも自分の気持ちを語って良いと自惚れさせてくる。そんな彼女は自分のことをササと名乗って徐に話を始めたのです。
「ナマモノというジャンルをご存知ですか?」
 それは悪魔の囁きか。地獄の蓋が開く音を、文字に起こしたならば聞こえるだろう有象無象の不快音よりも致死的な力を秘めた響きでした。最近繋がった世界において、創作を嗜む女性は僕を見てそう言ったのです。
「さぁ。内容を知れば、すでに知っている事かも知れません」
「実際の人物を使った妄想を表現する、大変危険なジャンルですよ」
 ふふ。女性は危険な度数の酒を口に含んだような笑みを浮かべます。
「実際の人物ですからね。色々とあるものです。本人がそれを拒絶するのは当然って話から始まりまして、ファンからの誹謗中傷や脅迫、同じ趣味の同志からだって解釈違いと仲違い。こっそり隠れて、できることなら日の目に晒してはならぬもの…」
 あぁー。うん。あるなぁ、そういうの。っていうか、僕が出した勇者ロトの物語、だいたいそれじゃん。本人に不快な思いをさせちゃうような、意図しない展開にしちゃうのがダメなんでしょうなぁ。
「目麗しい王族や騎士、色んな立場のナマモノが沼の底に沈められている中で、当人が見つけちゃったんですよねー」
 すっと懐から小冊子をちらつかせます。
「ファルササです」
 …………。そうか、当人とは目の前の女性その人か。
 こういう色恋ものには名前の一部を組み合わせており、前にあるのがある意味仕掛ける側、後ろが受ける側とされています。細かく言い出したらスライムの種類くらいの沢山あるそうです。
「それはご愁傷様なことで…」
「あぁ、怒っているわけではありません。私は客観的に見て楽しんでますからね。でも、私負けず嫌いなもので。確かにファルナンである高槻さんに力量で劣ると認めても、創作の世界でまで屈するわけには行きません。私はこのファルササ沼を検索しても一桁みたいなマイナージャンルに干上がらせ、中で悠然と泳ぐファン達を殺すことにしたのです」
 背筋をぞくりと悪寒が這うような決意。そんな我々の横から、頼んでもいない料理が出される。ちょっと美味しそうな珍味の盛り合わせだ。店主殿が嬉しそうに彼女の憎悪を舐めているようだ。
『すっごく美味しそう。頑張れ』
 応援しないでくださいよ。

 賑やかな居酒屋『大魔王』には様々な人種や種族が出入りする。兜を被っていなくても、純銀のフルアーマーに真っ青な空色のマントの騎士であっても、雑多な何もかもに呑まれてしまうものだ。少々嫌な匂いがするが、騎士などという職業は清廉な印象の職業だ。相性が合うわけがないだろう。
 騎士がぺこりと一礼すると榛色の髪がさらさらと崩れた。青い瞳が探すべき者を直ぐに捉えたらしく、まっすぐ奥を目指す。光る板でやや暗い空間でも発光するように照らされた白い顔が、目の前に座った騎士を穏やかな顔で迎えた。
「下戸さんがこんな所に何用ですか?」
「佐々木さんが険しい顔で出て行ったって聞いたから、嫌な予感がして追ってきた」
「嫌な予感って…。私みたいな人畜無害な一般人を捕まえて、なんと信頼の無いことでしょう…」
 そう言いながら、テーブルの上に置いてあったピッチャーから水をグラスに注いで呷る。その行動を2度繰り返したササを名乗った娘は、傍にいた犬の口に厚焼き卵を放り込んだ。犬は黒く空間を切り抜きながら、尻尾を振っておいしいと喜ぶ。
「人畜無害な一般人は、魔王や獣の神を犬のように飼ったりしない」
 闇は犬のような形で娘の顔に頭を寄せると、ぺろりと頬を舐めた。娘が頭が痛そうに項垂れる。
 ふむ。あの娘の傍にいる闇はなかなかの力を持っているとは感じていたが、魔王とか神の類か。ちょっと強い魔族程度の力しか感じなかったが、力を制御しているのだろう。
 騎士が娘の手元に置かれた小冊子に目を留めた。すっと手にとってパラパラと中身を見る。そして呆れたような薄ら笑いを浮かべた騎士の顔を盗み見ていた娘は、驚きを滲ませて騎士に言った。
「君はそういう手の物に難色を示すと思いましたが、案外平気なんですね」
「前世の騎士団時代から、この手の話は多くてね。むしろ佐々木さんが、険しい顔でこれを読んでるのが意外だよ」
 娘が露骨に顔を顰めた。理解できないと表情が物語っている。
 この手の話は多い。そういえばマイエラ聖騎士団の裏の黒い話は、なかなか美味しかったのを覚えている。神の名の下に横行した拷問や処刑、賄賂の横行に裏取引と汚職の役満だ。その一つに不貞行為がある。騎士団という男子のみの環境で有りながら不貞とはなんぞやと思うだろうが、女を買う以外にも中の男同士で…ということらしい。今度ガライにその手の暴露本がないか聞いてみよう。
「創作でまで君に敗北したくないんです。このジャンルの沼を干上がらせるか埋め立てようと思ってるので、知識として把握したいんですよね」
 ふーん。ぱたんと小冊子を閉じて、娘の手元に戻しながら若い騎士は言う。
「別に良いじゃないか。俺がちょっとお前よりも優位に立って、ちょっとお前が顔が赤くなったりしてさ、ちょっとお前が俺に押し倒されちゃう程度の話なんだからさ」
 娘が動いた。それでも戦いを生業としていないからか、その動きは我からも騎士からも緩慢なものだった。騎士の顔に迫った平手は届かず、騎士に手首を掴まれて宙に浮いている。娘は穏やかな顔を拭い去り、怒りが皮膚の一枚下に渦巻いている。口を開けば怒鳴り声でも出てきそうな激しい感情に、傍の獣も存在が変わっていく。闇は濃く、そして脅威を滲ませる。
「はぁ? ファルナンさんが私に甘い囁きでもしてくれて? 私がそれに顔を赤らめるような可愛げが存在すると? 全く有り得ない。酒の気に当てられたなら、今すぐ顔を引っ叩いて正気に戻して差し上げますけど?」
「前世のイゼフなら俺をぶっ飛ばせただろうが、佐々木さんじゃ無理だろ。しかも今の俺は属性的にも優位なんだ。お前に触れるだけで、バルダニガやアーゼも完封に近い状態にできるし…ってえ!」
 優越感を塗りたくった顔が、苦痛に歪んだ。
 娘の頭突きが騎士の顔に炸裂したのだ。攻撃を封じて成す術ない娘を楽しげに見ていた騎士は、突き上げるような頭突きを顎に喰らってもんどり打った。そのままゆっくりと立ち上がった娘は、勢いよく落ちた眼鏡を拾い上げ、怒りを隠さない表情で吐き捨てる。
「腹立たしいなっ…!」
 そのまま臨時従業員を呼んで会計を済まし、目の前の男に今日のお勧め料理でも振る舞ってくれと注文を言い捨て追加の金を渡して荷物をまとめる。大きめの鞄を素早く肩にかけ、娘は足早に居酒屋の出入り口を目指す。と、目の前でたたらを踏むように急制動。
「美味しかったです。次回は、ゆとりのある時に参りたいと思います。ごちそうさまでした」
 穏やかな顔でゆったりとした所作で頭を下げる。そして、ふいっと出て行ってしまった。
 残された騎士はというと、愉快そうに肩を震わせている。
「…あぁいう素の顔、ほんと、面白いな」
 我は思わず嘆息した。この騎士、なかなかに良い性格をしているようだ。あの穏やかな娘を、わざと怒らせたのだ。怒らせて、その顔を見て楽しんでいる。前世と宣うなら因縁も長そうだが、良好とは掛け離れた者だからできる喜び方だろう。
「そのジャンルの沼を深くしてるのは、其方ら自身だったようだな」
 そんな沼を干上がらせるとか埋め立てるとか、出来るのか。我にもわからぬ。


■ 闇から泡立つ悲劇 ■

 吟遊詩人ガライが手にするのは重厚な上製本や、紙を束ねて縫い合わせた和綴じ製本が多い。布張りや革張りなど、我らの世界にある上質な製品で製本された贅沢品だ。
 しかし、今の彼が手にしている本は、磨いた金属のような光沢を帯びた紙だ。厚みも弾力もなく折れてしまいそうな頼り甲斐のない紙を束ねた本は、整っているが安物感が拭えない。
 我が本を凝視していたからだろう、ガライが笑って本を差し出してくる。
「伝手でお借りした、異世界の著書です」
 ほぉ。普段見る本は表紙に題名と書き手の紋章が捺印された趣だが、異世界の著書は表紙に色彩豊かな絵が描かれて絵本のようだ。題名も色とりどりで文字の形を変えている。中身をばらりと開いたが、異世界の文字を読む気がないので膨大な文字の羅列を一瞥するだけだ。
 なんとも言えない顔になった我に、ガライがにこやかに言う。
「それは異世界では『くっころ』というジャンルの本です」
 く、くっころ?
 我が第三の目まで白黒させて瞬かせている間に、流れるように説明を聞かされる。
 『くっころ』とは、所謂、獣姦ものである。この本を出版する異世界にはリカントやオーク族は存在しないが、それに類似した空想の獣人が存在するらしい。その獣人に気高い女騎士が囚われ、強姦されるならば殺せと言い放つ。その時言い放つ『くっ…殺せ!』が、いつしか『くっころ』と略されて浸透したと借り手から説明されたのだと言う。
 ガライは返された本を受け取って、嬉しそうに視線を落とす。
「面白いですよね。世界が違っても、反応は似たり寄ったりなんですから」
 勉強になります。そう微笑みながら手を組んで、朗々と美声を紡ぐ。
「村に住むうら若き乙女や、旅の女性が魔物に攫われ強姦される。我々の世界ではありふれた悲劇ですね。大抵、女性の命は誘拐された時には死んだも同然。純潔を保ったまま生還されたローラ姫は、非常に稀な例でしょう」
 我も同意するように頷く。
 魔物には熾烈な生存競争が存在し、それは伴侶の選定で特に際立つ。より強く賢い、種の存続に有利となる遺伝子は大変魅力的に映る。選り好む為に優秀な者はより取り見取り、不遇な者は孤独の辛酸を舐めねばならぬ。不遇な者はそれで終わらず、追熟があるのだ。
 発情期に取り残された者は、持て余した性欲を人間にぶつける。その為に、魔物が人間の娘を攫い強姦するという行為が発生するのだ。
 伴侶が得られぬ魔物の悲嘆と、人間の娘の絶望は極上の甘露よ。
「基本的に人間と魔物は構造が違いますので、子を成すことはできません。しかし、魔物の性の匂いを孕んだ人間は、非常に蠱惑的な匂いを発するようになるので、魔物に狙われやすくなります。魔物と性関係を持った拒絶反応で自殺してしまうことが多いので、あまり知られていませんけどね」
 我も魔物の生態はそれほど詳しくないので、興味深く耳を傾ける。
「一度、訪れた魔物の集落から拐かされたお嬢さんを、村に帰したことがあったんですが…」
 ガライのことだから、魔物達と交渉し堂々と正面から連れ出したのだろう。それなのに、語るガライの顔は渋い。
「魔物に穢された娘として、村の人間に殺されちゃったんですよね」
「美味っ! その話は本にしていないのか?」
 本にはしたんですけど…。そう歯切れ悪く言うガライは項垂れる。
「禁書にされちゃったんですよね…」
 己に都合の悪いことは闇に葬る人間の愚かさは愛おしいが、我が美味そうと思ったものを無かったことにするのは耐え難いものだ。また半殺しにしたら、懲りるだろうか?
 後ろ暗い連中を追い詰めて半殺しにするのは、またの機会で良いだろう。小腹を満たす為に動かねばならぬのなら、我も動いた分腹持ちが良いように色々下準備が必要なのだ。
 とりあえず、ガライは原稿を持ってくると言って席を立った。
 この男の文字の汚さがなければ、嬉しいんだがなぁ。