『ハコの開きのDQ小説における魔法概念』について緩く考える

□ 人は魔法が使えるらしいが、何が原因なんっすか? □
 さて、ハコの開きにおいて精霊ルビス伝説はDQ3の遥か昔の時代と設定されています。その為、最初にイーデンに住う精霊達の力について考えていきます。
 精霊ルビス伝説の主人公、ルビスは火炎の一族の族長となるべき存在。気性が激しく感情が昂ると放熱し、状況によっては生物が蒸発するほどの光を伴う熱を放ちます。親戚には稲妻をあやつる者がおり、狐の尾を持つ者は狐火を自由自在に生み出しています。
 それは呪文を伴わず『メラすら出ないDQの黒歴史』と批難される一因でもあります。が、精霊という立場では、無意識に等しい行為で呪文の効果に似た力を行使する事ができるという事になります。
 ハコの開きにおいては彼等精霊が人々と交わる事で、魔法の資質が満ちたという設定にあります。
 その為、人間は呪文という言葉を使わなくても魔法が行使できるという資質を持つということになります。道具という媒介を用いれば呪文なしで魔法が使えるのは、これが理由です。

□ つーか呪文って必要なんっすか? □
 必要ですよ。
 イーデンの精霊は何千種とありました。それらの資質が満ちるという事は、一人がいくつもの属性の精霊の血を受け継ぎ、何種類もの属性の魔法を行使できるという事態も当然起きます。
 仮に火と水の魔法の資質を受け継いだ者がいたとして、精霊のように無意識に行使するのは難しいはずです。相殺されて力として具現化させることができません。その一つの属性の力を発動させる為に、自らを集中させる手段として言葉を用いた。それが呪文の起源だと考えています。
 呪文に採用された言葉は、神話の時代に用いられた秘術から引用されています。これは精霊ルビス伝説でラリホーを使った黒竜が自ら『秘術』と発言したことから設定に利用させていただいています。

□ じゃあさ、精霊ってなんなのさ? □
 精霊ルビス伝説では『稲妻の主』や『鋼の主』と力ある者を呼びます。つまり自我のある精霊はその属性の長であり、自然現象のような自我のない精霊はその精霊の眷属であると推測されます。
 なので自我のある精霊たちと交わって資質を得た人間も、眷属である現象の力を扱わねばなりません。人間にとっては自我がなかろうと精霊の存在は上位の存在であった為、その風習が根強く残って総合して現象すらも『精霊』と呼んでいるんだと思います。
 また眷属である存在が具現化し、呪文の力として行使されるため自分自身が所有している属性の資質の呪文だけが行使できます。得意不得意はこれから発生しています。

>□ で、呪文が使える者と使えない者の違いって何? □
 呪文が必要な者は、その者が持っている属性の力が喚起され呪文を行使する事ができます。必要でない者は、呪文など使わなくても生きていける現状なので魔力も素質も寝たまんまです。ロレックスが魔法が使えないのも呪文の制御がへたっぴなのも、必要としていないからです。
 どんなに勉強しようと、必要としない限り得られないのが魔法であり呪文なのです。

□ あとさー、魔法使いと僧侶の違いって何さ? □
 ハコの開きにおいて補助の呪文は、魔法使いも使うことができます。
 僧侶が扱う力は『祝詞』と呼ばれる言霊で、補助系統の呪文によく似ているが絶大な効果をもたらす力を行使します。そしてここで出るのが『ミトラ神』。僧侶が信仰し仕えている神様です。
 元々、ミトラは全てを生み出した存在であります。かの存在の影響を受けぬものはいません。
 僧侶と神官は『神の言葉』を借りる事で人々の中に眠る資質を鼓舞し力をあたえ、『神が生み出した存在を賛美』する事で行使されるべき力を退け神が生み出した存在を守護する事ができます。
 僧侶とはミトラ神の存在に同調し賛同する者であり、同調するが故に『神の言葉』に力が加わり(無宗教者には説得力という言葉がピンとくるでしょう)、ミトラの生み出した存在に干渉することができます。祝詞の行使は高い徳である必要があり、その為に僧侶としての修行が不可欠となります。
 魔法とは行使であり、祝詞は干渉です。それが魔法使いと僧侶の違いです。
 ハコの開きでは呪文として短縮し戦闘で実用化した経緯があるものの、僧侶はミトラの言葉である祝詞の力をもって人々の支えと守護を担う存在だと位置づけています。

□ そういえば、魔力ってなんだっけ? □
 魔力は先祖である精霊の力をどれだけ強く受け継いでいるかが一番大きな意味合いではありますが、受け継いだ精霊の力を発揮するために必要な力の総称と位置づけています。資質(これがないと魔法は使えない)、体力(体調が万全じゃないと力出ない)、気力(やる気がないと本領発揮は無理)、魅力(精霊と仲良い方が協力的)、など諸々を含んでいます。これらが一つでも欠けると資質があっても、呪文の威力は相当変わってきます。あまりにも魔力が不足していれば資質があれど、魔法は使用不可能です。
 また魔力の流れを五感と等しい感覚で感じる者、魔力を道具や天候と同調させて力を行使する者は精霊の血の濃さではなく、本人の資質が大きな意味合いを持ちます。
 ちなみに魔力には許容量が設定されており、それは種族で変わってきます。人間と竜族で魔法の力量が変わってくるのは、この許容量が違うからです。許容量は肉体的要領と魂の要領の二種類の要領が設定されています。

□ 今さらだけど、賢者っている? □
 悟りの書の執筆者はシフィルという名の最初の賢者です。
 しかし賢者とは呪文が使える使えないに関わらず、万人が言葉通り『賢き者』であると認める存在を示します。