『公式の二次創作』について緩く考える

『ドラゴンクエスト30thアニバーサリー 小説ドラゴンクエスト1.2.3 復刻BOX』発売を記念いたしまして、私がゆるーくDQ小説関連について語っていきたいと思います。
 今回の復刻ボックスの関係で高屋敷先生のロトシリーズについて語っていくことにいたしましょう。

 小説ドラゴンクエストは、おそらく公式のゲームの二次創作の初の小説出版だったのではないかと思います。この後にはテイルズなどの様々な小説もしくはノベライズが続く道を切り開いたということで、当時はとても画期的というか冒険だったのではないかと思います。
 ここはドラゴンクエストのこだわりというか、執筆者がすごいです。
 脚本家として名を馳せる高屋敷先生が執筆に携わっています。この先生が携わった脚本がガンバの冒険とかルパン三世とかキャッツ・アイとか、今年はDAYSという作品の脚本に関わるなど、日本人なら誰もが一度は耳にしたことのあるビッグタイトルです。
 ちょっと小耳に挟んだのですが、先生はゲームに関して良い印象を持っていなかったとかなんとか。しかし、世界初の家庭用テレビゲームでのロールプレイングゲームが発売して少し経ったという時代。ゲームは稚拙なもの、プレイすると頭が悪くなるなどの誹謗中傷の嵐の中で、お仕事をお受けしてくださった事は大変寛大であったとおもいます。この方ならばクオリティは保証されたも同然と、持ちかけられた話だったかもしれません。

 さて、ロトシリーズを執筆された高屋敷先生。脚本家としての面が文章からにじみ出ております。
 おそらく、小説を読んだ人であればあるほど、小説とは少し違うと思うのではないでしょうか。小説家ではなく脚本家の着眼点で作られた物語は、確かに文面からも小説家とは違うと思わざる得ません。
 しかし、物語の構成はこれ以上もなく素晴らしいものです。
 1では一人旅の勇者の前に旅先で出会い時に知恵を貸し、時に共闘する、そんな冒険者が登場する。
 2では、3人の勇者たちの恋模様から、王女がさらわれてしまう流れなども公式の流れとは全く違いますが物語としては自然でとても読み手としてドキドキさせられる展開です。
 3は勇者たちと敵との因縁、敵側の描写がかなり濃密に出ています。当然、魔物側の内情なんかゲームではほとんどありません。バラモスさんが恋人を動物にした程度はあったかもしれませんけどね。
 公式の二次創作として高屋敷先生がもたらした功績は、『二次創作は公式にとらわれず自由であるべき』という思想だったと思います。DQの主人公は個性を持たないゆえに自由に作者側が作ることができますが、当然公式の二次創作の主人公なので正統派勇者としての性格しか採用できなかったことでしょう。しかし、そんな主人公の周りを物語の観点から豊かにしていく為なら、公式にないキャラクターも、公式にない展開も、あってよいのではという考えを二次創作の世界に投じたと思います。
 私がロトシリーズで高屋敷先生で本当に良かったと思うのは、これほどのプロだから、発言も、内容も、潰されなかったんじゃないかというところです。
 これが駆け出しの小説家であったら、ただの公式のゲームを文章に書き起こすだけの面白くない話になっていたかもしれないし、二次創作が公式に囚われない自由な発想を得る事にもっと時間が費やされた事でしょう。
 本当に私は高屋敷先生が小説を書いてくださったことに感謝しています。
 このお方の小説があったからこそ、私はDQの世界観、ゲームの世界観を小説に置き換える為には、必ずしも公式に従順でなくてもよいと知ることができたのです。こうやって言葉になったのは最近ですが、私の作品の根底は高屋敷先生の脚本家としての物語の構成があったんだと思っています。

 ちなみに、小説に挿絵を入れるというので、いのまた先生を起用したことも一つの冒険だったかもしれません。
 鳥山先生の絵から離れてもDQであること。おそまつさんの二次がほとんど公式に似せて描かれている界隈を見ていると、小説の挿絵にいのまた先生が起用されたこと、4コマ劇場で多くの作家さんが自分の絵柄でDQの世界を描いたことは、今イラストを趣味とする方々が多種多様で自由な絵柄でDQを書かれているという一つの結果につながっていると思います。

 DQの公式二次創作は、毎回毎回すごいものです。
 これからも二次創作界隈の行く先を示してくれるような、そんな一石が投じられるかもしれませんね。

 さて、個人的な意見はこの程度にして、皆様、楽しいDQ小説と二次創作を楽しんでください!