『DQ10創作界隈』について緩く考える

 さて、DQ10小説を書く人をちらほらと見受けられるようになりました。
 と、当然昔からいましたよ。とはいえ最近は交流も盛んに行われて、賑わいを感じられるようになっています。他のDQ創作界隈と異なるのは、DQ10がオンラインである性質と同期していて、発表の場がHPではないTwitterなどのSNSやpixivに多く見られています。そしてその場が選ばれるのもオンラインの醍醐味である交流がメインであるからでしょう。時代の流れと交流という目的から、より顕著化した発表の場であります。
 うちの子の貸し借りなども盛んで、仲良く和気藹々とした雰囲気を醸しています。
 DQ10創作界隈は他のシリーズにはない傾向があって、なかなかに面白いものです。
 まずは『うちの子』です。
 DQ3のうちの子が一番流行したかもしれませんが、DQ10はそれ以上。DQ10界隈の『うちの子』は基本的にプレイヤーが操作しているキャラクターそのものの傾向がほとんどです。拙宅の小説で言えばルアムがこれに当たります。
 また、自身が操作しているキャラクター故に、種族が6種族分。
 ドレスアップも公式がすごく頑張っているので、髪の色、瞳の色、服も染色できて千差万別でプレイヤーの好みをより反映させたキャラが作れます。
 このうちの子の特別感が賑わいの大きな力になっているのは間違い無いでしょう。

 さらに面白いのは創作の傾向。
 『うちの子』ことプレイヤーが操作するキャラは、ゲーム上では主人公であります。DQ3で言えば勇者。
 しかし個々の創作になると『うちの子』は『アストルティアの片隅に存在している一人の人物』として描かれる傾向が強いです。町で店を営業していたり、一人の冒険者として日銭を稼いだりしています。これは世界を背負った主人公としての『うちの子』よりも、アストルティアで自由(創作主の願望)に生きる『うちの子』が魅力的に感じられるからでしょう。なろう系に見られるヒーローしない主人公の話も最近は好まれているので、アストルティアの広さや今の時勢を反映しているといえるでしょう。
 その為に小説界隈に限ってみると、DQ3のように主人公がゾーマを倒す物語を描く人が少数派に感じます。オンラインとして現在も果てのないストーリーを展開する10を、最初から最後まで書こうなんて奇特な人種は普通いない。いない(二度言った)
 当然交流では『プレイヤー総主人公』設定は邪魔ですらあるので、交流で個性を持たせるという意味ではアストルティアに生きる一人の冒険者のような扱いの方がいいのかもしれません。
 これの公式が『蒼天のソウラ』で、主人公はアストルティアに生きる一人の冒険者。ゲーム上での主人公は別にいるというものです。この『蒼天のソウラ』でうちの子を漫画内に出させてくれる企画がありまして、その条件がアストルティア上に登録されたキャラクターであります。色々と確認しやすい的な事務的な意味合いが強いですが、結果としてDQ10のうちの子は『アストルティアに存在する』傾向を強めているといえるでしょう。
 ちょっと古い方面で振り返れば『知られざる伝説』的な手法なので、ちょっと回顧してきた流れば面白いと思います。

 DQ創作界隈は舞台は変われど賑やかなのだなって改めて思います。
 2021/2/8