星屑と木枯し

 音楽祭の練習のために、ほとんどのクラスが泊まり込みで練習を行う。担任は生徒全員分の申請書を束にして、理事長印を求め、調理職員に朝食の用意を依頼し、生徒全員分の泊まり込みの準備のために学校を歩き回る。寝泊まりは基本各々のクラスで行うので、問題児クラスの『王の教室』開放は幸運であった。
 この学校の設備を凝縮した『王の教室』には、立派な教室も広々とした屋上も、緑豊かな中庭も、安眠の約束された仮眠室まであって、無い設備を探すのが大変なほどだ。強いて言うなら、腕の良い調理師がいないので食事だけは食堂に向かわなくてはならない。泊まり込みで作業するには、これ以上ない極上の空間である。
 音楽祭のために『地獄踏み』と『演奏』の特訓に入った問題児クラスは、一つの謎に直面していた。
 共に泊まり込みで指導している彼らの担任、ナベリウス・カルエゴが夜間どこにいるのか…。


□ 女子達の場合 □

 担当教師の夜間の所在に女子生徒は全く関心がなかった。基本的に女子仮眠室は男子禁制。担任すら例外ではない。常にクロケル・ケロリの使い魔達が入り口を見張り、侵入しようとしたカイム・カムイを何度も摘み出している。
「睡眠不足は美肌の天敵…」
 アガレス・ピケロが作ってくれた雲の上のようなもふもふな床の上で、柔らかい布団に包まっていたケロリは眼鏡の下の瞳を不満そうに眇めた。その視線の先には、恐竜の着ぐるみのようなパジャマを着たファラク・クララの姿がある。ふるふると震えるケロリを、クララはきょとんした顔で見ている。
「カルエゴ先生を探しに行くなんて、ダメに決まってるでしょう!」
「消灯時間を過ぎて出歩くのは危険よー?」
 ケロリの反対にイクス・エリザベッタも加勢する。頬に手を当てあざとく首を傾げるだけで、光沢のある柔らかいパジャマの生地がしゃらりと揺れる。エリザベッタの反対の理由が、クララの身の安全を心配しているからかクララもふにゃーっと顔を緩める。だいじょうぶーと笑うのも、収穫祭の経験あってこその強さだ。
「学校の中は安全だし、先生が夜どこにいるのか気になる! 今日だけ! 行きたい!」
 ばちんと手を打ち合わせ、にっこりとおねだり。無邪気なクララは、アクドルとして舞台に立ち成功を納めているケロリや、大人びた容姿に見合った態度で周囲に接するエリザベッタにとって妹のように可愛らしい存在だ。そんな可愛らしい頼みに、ぐっと喉に詰まらせたのはケロリだ。眼鏡をくいっと上げると、背を丸めてため息を吐く。折れたのである。
「しょうがないわね。心当たりがあるから、今日だけ探しに行きましょう」
 消灯時間を過ぎて深夜に向かう時刻、パジャマ姿の乙女達は王の教室の中庭を目指していた。護衛のためのブリザードウルフとスノウキングフォックスが、ピンと耳を立て緊張しているのかざわざわと毛皮が立っている。そんな使い魔達を落ち着かせるようにケロリが撫でると、中庭へ続く扉を開けた。
 月明かりが燦々と降り注ぐ中庭は、昼間とは違った趣を見せていた。暖かい日差しとむせ返るような緑は冷たく沈み、闇の中から青白く浮かび上がる木々の隙間から星空が見える。ひんやりとした空気にはしゃいで飛び出したクララと、綺麗ねぇと笑みを浮かべながらエリザベッタが続く。
 いつも賑やかな学校が、虫や風の音が聞こえるほどの静寂に浸されている。問題児クラスは特に賑やかだし、師団披露の泊まり込みもそれぞれに忙しい。学校で初めて感じるような静かさの中で呼び込まれるように夜風が舞い込むと、ふわりと金色の風が見える。
「おーーー! ひかってるーー!」
 金色の風は本当に金色だった。キラキラと光る金色が、風に乗って舞い上がっている。ケロリはその風が来る方に向かって、ずんずんと進んでいく。追随する獣達が緊張した様子で、金の風を捕まえようとするクララと微笑ましく見守るエリザベッタが続いていく。
 唐突に、太陽が落ちているような明るさがそこにあった。
 光る風が渦巻いている開けた中庭に、黄金の光が溜まっている。目を凝らせばそれは3つ首の獣で、牙は剥いていないものの油断なく睨め付け、いつでも飛び付けるよう爪の伸びた手足が地面に食い込んでいる。その獣の前に立っていた暗く沈んだ影が、ゆっくりとこちらを向いた。ほっそりとしたシルエットだけで、生徒達に向けているはずの鋭い眼差しは光に霞んで届かない。担任は厳粛を音にしたような声で女子達に言った。
「クロケル。使い魔をしまえ。全員それ以上、絶対に近づいてはならん」
 ケロリは目の前に蹲るケルベロスに息を飲む。強力な使い魔を前に、耳をぺたりと付け尾が下がっている使い魔達をひと撫でし召喚を解除した。そうしなければ、殺されるかもしれないという恐れがあったのだ。
「エギー先生何してるの?」
「見て分からんか。ケルベリオンのブラッシングだ」
 はいはーいと元気に手をあげて質問するクララに、眠っている生徒を気遣ってか担任の回答も潜められている。ほっそりとした手がケルベロスの額を撫でると、3つの頭が嬉しそうにカルエゴに鼻面を押し付ける。地獄の番犬と恐れられるケルベロスが、尻尾が振り切れんばかりに振り、体を擦り付ける。カルエゴは慣れているのか、巨体の愛情表現を倒れずに受けていた。
 エリザベッタが仲の良さそうな様子に、にっこりと微笑んだ。
「ケルベロスって恐ろしい魔獣なのに、カルエゴ先生の前じゃ犬みたいね」
「どんなに犬のように見えても、危険な魔獣に変わりない。お前達の指導で共に泊まり込んでいるから、散歩もさせてやれんのでな。こうして夜中にブラッシングをしてやっているのだ」
 そう、ブラシを持った手がケルベロスを撫でる。ぶわりと、抜けた黄金の毛が風に乗って舞い上がる。まるで光の中に飛び込んだように、視界いっぱいを金色に染め上げた。ケルベロスの毛は柔らかく、手にして丸めるとふわふわと温かい。ケロリとエリザベッタは『金色のモフエゴ先生ね』と笑いながら、毛玉を作った。召喚した獣から離れた体の一部はしばらくすると溶けるように消えてしまうが、クララはその光を手にしようと飛び上がる。
 中庭で繰り広げられた光の饗宴は、『いい加減に寝ろ』と担任が言うまで続いた。


□ 男子達の場合 □

 アガレス・ピケロは寝不足だった。ダンスチームで扱かれて疲れ切っているのに、夜は夜で担任の所在を知ろうと躍起になる同級生がざわざわと煩いのだ。アガレスが快適に眠れるようにと作った仮眠室の床は、第二の皮膚のように感じてしまうのだから尚更だ。
 今日も今日とて夜も深まる仮眠室で、ス魔ホの灯りを寄せ合って同級生達が額を突き合わす。
「とりあえず、深夜帯には起きていないみたいだけど、どこにもいないんだよな」
 各々で起きている担当教師の姿を見た時間を寄せ合い、眠っているとされる時間を炙り出す。とはいえ、ここは学校だ。消灯時間が設けられていて、その時間になったら仮眠室に向かうよう言われるのだ。そうなると、その時間からカルエゴの姿を見ることは難しくなる。
「トイレに行くのを装って探し歩いてるとさ、『まだ起きてるのか』って仮眠室に戻されるんだよな」
 苛烈な練習を課せられたダンスチームは、泥のように眠ってしまう。それでも担当教師の寝顔が見たくてたまらないのか、ス魔ホにアラームをセットしてまで起き出そうとする奴もいる。そうして深夜の王の教室を歩き回っていると、灯りを手にカルエゴが背後に立っているのである。これもまた怖い。
「でも、カルエゴ先生の髪が崩れてたから、寝てはいるんじゃないか?」
 カルエゴは黒い服を好むので、明かりを持っていても姿が闇に溶けている。寝巻きではなさそうだが、普段は整髪料で丁寧に頭を撫で付けているのが崩れているのだ。眠っていたが生徒が戻ってこないから起きてきたんだろう、というのが遭遇者一同の見解だった。不機嫌さ増し増しであるが、明日も授業と練習三昧だから寝ろと言われる。
 なんだかんだ言って、泊まり込みの生徒達を気遣っているのが端々に見えてしまう素直でない担任である。
「どこで寝てるんだろう?」
 うーんと唸る男子一同だったが、アガレスが『はぁーー』と溜め息を溢した。もういい加減諦めたらいいのに、どうしてこうも諦めが悪いんだろう。試験勉強なんか一日で放り投げようとしたじゃないか。でも、見つかるまで続くし見つからねばいつまでも自分は寝不足のままだろうと、アガレスは思うのだ。
 アガレスは柔らかそうな指先を、仮眠室の隅に向けた。
「あそこ」
 男子一同がアガレスの指さした『あそこ』を見る。仮眠室の隅は、中央付近で眠っている生徒達からは遠くてよく見えない。雲のようなもふもふとした床が盛り上がっているが、別段不審に思うことは何もない普通の仮眠室の一部だ。
 しかし、そこに担任が眠っていると言う。
 そう認識した問題児クラスは、餌に飛びつく獣ではなかった。じりっと腰を浮かせ、観察するようにその空間を見つめる。
「近づけば絶対に気づかれるな」
 ジャズの呟きに、リードがにやりと笑う。
「聴覚と触覚を奪えば、気がつかれにくいんじゃないのか?」
 採用。周囲が親指を立てて賛同する。そうして感覚の一部分を奪われた担任が、不審に思って起きないのを確信するまでじっと息を殺す。生徒達が息を殺した仮眠室は無音なまでに静まりかえり、耳をすませば担任の寝息だけが聞こえてくるほどだ。収穫祭で得た感覚が、獲物に気がつかれずに導いていく。
 たっぷりと時間を掛けて『あそこ』を目指した。そして、ついに見つけたのだ。
 彼らの担任、ナベリウス・カルエゴが眠っている。普段は綺麗に撫でつけられている髪は崩れて、前髪となって重く顔に掛かっている。いつもは深く刻むように寄っている眉根は緩み、穏やかに閉じられた目元は睫毛すら揺れてはいない。うっすらと開いた口元から、微かな寝息が規則正しく漏れている。
 その顔を見て、男子一同はにまーっと笑みを浮かべた。なにせ完璧で厳粛な担任が、絶対に見せないだろう無防備な姿である。それぞれ達成感に満面の笑みのまま、顔を見合わせた。次にすることは、決まっている。

 カルエゴは圧迫感を感じていた。使い魔のケルベリオンが出てまとわり付いているような、不快ではないが何かが取り巻いていると思わされる気配である。どちらにしろ、そろそろ起きて身支度を整え、今日の授業の予定や音楽祭の特訓のプランを確認しなくてはならない。
 目を開けると薄暗い空間が優しく視覚を覆う。まだまだ早朝の頃合いで静かなはずなのに、なんとも寝息がうるさい。サブノックのいびきがここまで響いてきているんだろうか? そう、カルエゴは寝起きのぼんやりとした頭で考えていた。
 体を起こした瞬間、理解よりも先に体が反応して強張る。
 何かがいる。その何かは寝る前には居なかった。闇に目を慣らせば沈んでいた闇の中から、彼の教え子達が浮かび上がってくる。自分を取り囲むように、周りに教え子達が眠っているのだ。なぜ。どうして。理解が追いつかないまま、ここまで接近を許してしまった弛んだ己に呆れる。
「ままならんな…」
 カルエゴは吐き捨てるように呟くと、生徒達を踏まないようその場を後にした。


□ 鈴木入間の場合 □

 音楽祭の練習の傍らでちょっとした事件が起きていた。今の今になって認識されたクラスメイトのプルソン・ソイ。彼のス魔ホに保存されていた画像が、火種だった。
「こ…これは…」
 ごくりと、男子達がソイのス魔ホを覗き込んでいる。
 そこにはクラスメイトの寝顔が収められているのだ。いつも寝ていて見慣れた寝顔のアガレス・ピケロは良い。幸せそうに眠る入間が、眠っていても美しいアスモデウス・アリスが、豪快にいびきをかいているのか大口を開けたサブノック・サブロが、苦しげに眠るシャックス・リードに幸せそうに抱きついているカイム・カムイが、寝言で何かの法則を呟いているアロケル・シュナイダーの舌を掴んだアンドロ・M・ジャズの動画まで残っている。寝顔が撮られ、下手をすれば動画にまで残っているのだから阿鼻叫喚の地獄絵図。ダンスチームが仕返しにソイの寝顔を撮ったのは言うまでもない。
 女子の寝顔がなかったのは、ソイの女性のプライバシーを侵害しないと言うポリシーのためである。カイムが残念がったが、世の中触れてはならぬものがある。
 結局クラスメイトの男子達は、それぞれに寝顔を隠し撮るようになった。いかに面白い寝顔が撮れるかで競い合い、そのレア度や面白さ難しさが評価されるようになる。ちなみに最も寝顔を撮られていたのは入間で、彼の寝顔は各々のス魔ホで10枚以上は保存され、アスモデウス以外にとって最もレアリティや難易度が低いものとなっていたりする。
「なぁ、エギー先生の寝顔って誰も撮れてないの?」
 ジャズの呟きは稲妻のように男子陣を駆け抜けた。『王の教室』に泊まり込んでいる『男』で未だに寝顔を撮っていないのは、彼らの担当のナベリウス・カルエゴだけなのだ。そう、寝顔の対象はクラスメイトではなく『男』である。
「っていうか、あの日から仮眠室で寝てなくね?」
 担任教師を囲んで寝たあの日以来、彼らの担任は仮眠室で寝なくなったのだ。魔力感知に長けたアガレスも、カルエゴ先生は仮眠室では寝ていないと言っている。それでも『王の教室』内には留まっているらしいので、仮眠室ではない別の場所で寝ているのだろう。
「仮眠室以外で寝れる場所ってどこだかわからないけど、疲れが取れるのかな?」
 入間の呟きに、男子一同唸る。音楽チームに付きっきりで指導させてしまっている為に、特に入間は真剣に心配しているようだ。
 じゃあさ。リードがぴらっと紙を取り出した。
「強引に呼びつけて休ませようぜ!」
 あわわと青くなった入間の手を皆で掴むと、ぺたりと貼られる召喚シール。そして高々と万歳! 閃光が迸るとぼふんと気の抜けたような音を一つ響かせて、入間の膝の上に白くもふもふした生き物が現れた。そう、彼らの担任にして入間の使い魔になってしまったナベリウス・カルエゴである。入間の手を握っていた面々は口々に『モフエゴ先生だ!』とはしゃいでいる。
 驚きにもふもふの毛がぶわっと広がると、もふもふで愛らしいフォルムから想像もつかない速度で顔を上げる。厳粛を声色にした低い声が、怒号のような勢いで入間の顔に浴びせかかる。
「おい! こら! イルマ!」
 ひぇ! 喉の奥で悲鳴を殺す主人に、使い魔として呼び出された担任が詰め寄る。
「あ、あの。先生がちゃんと休めていないと思って…」
「貴様らと違って自己管理くらいできるわ!」
 あまりにももふもふしているので、とても脅威とは思えぬが、召喚した本人は完全に怯え顔である。見かねたガープがもふもふを捕まえて距離を取らせる。まぁまぁと宥める雰囲気は、ガープの温厚で世話焼き好きの性分と相まって周囲を和ませた。
「カルエゴ先生。イルマ殿が心配で眠れぬと言うでござるよ」
 はぁ? 入間を見遣り、そしてぐるりと生徒達を見回す。集まった視線で心配そうな思いが篭っているのは召喚した本人であるだけのようだが、生徒が学びに集中する場を整えるのも教師の役目である。厳粛な教師カルエゴは、小さく息を吐いた。怒りに逆立っていた毛が、ふんわりと落ち着いていく。
「…召喚解除しろ。仕事を終えたら、ここに寝に来る」
 生徒達の顔がぱっと明るくなったのを見て、もふもふは深い深い溜息を溢した。


□ ナベリウス・カルエゴの場合 □

 腐れ縁のバラム・シチロウは『懐かれている』と言うが、ナベリウス・カルエゴは『舐められている』と思っている。
 いや、自分自身が『弛んでいる』と思い至っている。
 監督し、生徒を導かねばならぬ立場で油断しきっているのだ。学校は生徒達の安心安全のために、厳重なセキュリティを敷いている。侵入者にはそれ相応の教育を施してやるのも、悪魔学校の教師の務めだ。ただでさえ生徒達が泊まり込みで練習に励み、学校が生徒を『預かっている』状態であるために最高レベルの警戒に引き上げられている。
 初日は油断して接近を許したが、次はそうはいかぬとカルエゴは気を引き締めていた。
 生徒達は収穫祭を経て狡猾になってきた。油断ならぬと、ほくそ笑む。
 仕事を終える頃合いは、草木も眠りにつくような深い深い夜の底。仮眠室の扉を静かに開けて、眠りを妨げぬように進んでいく。そうして横になったなら、寝るのも惜しい駆け引きが幕を開ける。生徒達が己の寝顔を撮ろうと試行錯誤する可能性を考えながら、今日はどんな風に攻めてくるのやらと思いを巡らす。
 仮眠とは、よく言ったものである。そう、カルエゴは目蓋を閉じ、意識を研ぎ澄ます。
 長い夜が始まる。