角砂糖を幾ら研いでも

 粛に! それは問題児クラスの担任の挨拶のようなものだ。
 担任でなくとも教師なら騒がしいと注意したくもなるだろうと、プルソン・ソイは思っていた。まるで一番混雑している食堂のようで、様々な会話が賑やかに交わされ耳聡く聞けば遠くからでも混じる。声の大きい生徒、笑い上戸な生徒、不機嫌さから声を荒げる生徒、声だけで誰かを聞き分けることすら容易いだろう。
 ソイはその賑やかさが嫌いではなかったが、担任はそうではないらしい。
 それら有象無象を薙ぎ払うのだから、担任も相当騒がしいんじゃない? と、最も物静かなソイは思うのである。押し付けられた形で担任を任されたそうだが、おあつらえ向きな選出だったのではないだろうか。
「全く、外まで声が響いているわ! 粛にせんか!」
 一言多めに嫌味だって忘れない。面倒なら無視を決め込んでも良いのに、きちんと認識してしまうこの担任は生徒が結構好きなんだろうなってソイは思う。それが伝わるかは別問題だけど、と付け加えて。
 足の長い担任は、つかつかと硬い靴底を響かせてあっという間に教壇まで進む。そうして教室を見渡すと、必ずソイは担任と目が合った。
 嫌だな、とソイは思う。
 認識阻害の家系に生まれたソイは、空気のような存在だった。空気はそこにあるけれど、無色透明。見ているように見えて、皆が空気を見ずに風景ばかりを目に写す。家督を継ぐことが決まっているソイは、そんな空気じみた透明さを求められたし、彼自身もそうでありたいと思っている。家族の期待には応えたい、そんな自負があった。
 何度も視線を窓辺に向けて、目を合わせまいとすることもあったが無駄な努力だ。その鋭い視線は刺さるようで、ソイにとっては刃物を突きつけられているような恐怖すら感じた。恐怖は身を守るために脅威の情報を集めようとする。そうなれば、どうしてもソイは担任を見てしまう。そして、視線が合う。
 しかし、この担任が視線を合わせようとするのは、なにもソイだけに限った話ではない。担任は基本的にどの生徒にも目を向けて話をする。良い教師なのだろう。僕に限れば良いとは言えないけど、と内心付け足す。
「カルエゴ先生」
 陰湿教師への不満はトランペットの音に変えて、何度学校に鳴り響いたことだろう。それでも、音に込めた意味までは担任に届かない。ソイが授業の合間に話に行けば、担任はすっと刃物のような視線を向けた。
「視線を合わそうとするの、やめてもらえませんか? 正直、僕は認識阻害の家系の悪魔なんで、他者と視線を合わすの正直嫌なんです。担任として出欠を確認するだけだったら、姿をちらりと見るだけで十分じゃないですか。どうして視線を合わそうとするんですか? 僕にはその意味が理解できません」
 一息に言い終えると、担任は鼻で笑った。
「確かに認識阻害の家系は認識されるのを疎ましく思う傾向がある。だが、私の目を掻い潜るにはまだ稚拙だ。その程度で私の行動に口を挟むなど許さん。もっと力の使い方を極めて、私が見失う程度になってからやめろと宣うのだな」
 あぁ、嫌味が存分にこめられた陰湿なお言葉。ソイはうんざりと明後日の方角を見た。
 そんなソイをちらりと見遣って、担任は言葉を続けた。
「まぁ、貴様を見失うことは、この先も永遠にありえんがな」
 明後日から担任に視線が移る。戸惑うような眼差しと自信に満ちた眼差しが重なる。戸惑いは瞬きをし、うっすらと悪いことを考えている担任を写し込んだ。
「ケルベロスが匂いを覚えた存在は、魔界のどこにいても嗅ぎつける。プルソン、貴様も例外ではない」
 地獄の門番。それが恐れられるのは、数多の悪魔を葬り去るほどの凶悪な暴力とされているが実際は違う。本当に恐れられているのは、獲物を逃すことのない探知能力にある。どんなに逃げるのが上手くても、どんなに隠れるのが上手くとも、優れた聴覚と嗅覚は感じ取る。それが頭三つ分。敵と認識されたが最後、魔界の果てまで追い詰めて狩る執拗さはありとあらゆる悪魔を震撼させる。
 プルソン・ソイは顔が熱くなるのを感じていた。目も眩むような敗北感の中、ソイは担任がくっと息を詰めたのを見た。合わせた視線に期待が籠っているのを、探る者としての本能は感じた。
「私のケルベリオンを犬のように使わせるようになったら、目は合わせないでいてやろう」
 ソイはぐっと言葉を飲み込むと、席に戻っていく。ちらりと担任を見やれば、担任はクラスメイト達に絡まれていてソイのことは見ていなかった。望んでいるはずなのに、向けられないと分かると物足りなさを感じてしまう。
 あぁ、早く放課後にならないものか。ソイはまだ一日が始まったばかりなのを恨んだ。