軋みながら加速してゆく

 ナベリウス家に生まれた者は、犬と共に生きる。
 例外は一切なく、ナベリウス家の誰もが犬を使い魔にした。一族が一堂に会すれば、犬の博覧会と揶揄される多様さ。面の長い長毛の犬、精悍で従順そうな犬、愛玩動物と言わんばかりの愛くるしい見た目の犬。どんな姿であろうと強大な力を持った犬型の使い魔には変わらず、魔界ではナベリウス家は犬好きの一族として知られていた。
 かの一族が挙って犬型の使い魔を使役する本当の理由を知るものなど、一族の者以外では極僅かしか存在しない。彼ら一族にとって秘する事ではなかったが、教えてやるような義理はなし。
 バラム・シチロウのプライベートスペースというべき準備室で、ナベリウス・カルエゴは生徒である鈴木入間に向かい合っていた。秒針の硬い音が響くほどに、互いの心の臓の音が聞こえるのではないかと思うほどに静かな部屋に二人きり。互いに居心地の良いソファーに座っていたが、己の体温で温まる柔らかさを堪能できる雰囲気はなかった。
 カルエゴが初めて聞いた弱音を吐いた生徒の顔は、不安に硬く強張っている。
 その生徒の不安を、カルエゴは冷静に分析していた。今まで獲得していた強大な力を手放すなど、不安に思わずにいられようか。次にこの生徒が召喚し契約する魔獣は、ハイランクの悪魔である己よりも弱いことは確実なのだ。他者に理解を示さぬ悪魔の性でも、分かりやすい感情だった。
「俺には使い魔はいない」
 はっと顔を上げた生徒に滲んだ驚きを、カルエゴは無感情に見た。ケルベリオンがカルエゴの使い魔であると、誰もが思っている。ハイランクの悪魔の使役する魔獣としては遜色ない存在を、誰が疑うことができようか。
「ナベリウスの血には犬が憑いているのだ」
 カルエゴが入間に己の血の秘密を教えたことは、思いがけない展開だった。しかし、生徒の拠り所であった強き使い魔が、不在となる不安を取り除いてやりたいという真摯な理念に則った行動だった。
 基本的に悪魔という生き物は、他者に対する思い遣りの感情に欠けるところがある。入間の不安など知ったことかと思う者は、ナベリウス家にも当然いるだろう。だからと言って、カルエゴが親族に配慮する気など毛頭ない。
 かの教師が自他共に厳粛であることは、生きる意味でも重要なことである。
 カルエゴの背後にいるケルベリオン。黄金の毛並みに3つの首を持つ、犬型の魔獣では最高位に君臨するだろうケロベロスである。ナベリウスの犬は主人の力に呼応するように強大になる。ケロベロスを使役する者は、ナベリウス家の歴史においても、そう多くはない。
 6つの眼が見定めているのは、主人であるカルエゴの敵ばかりではない。
 カルエゴもまた6つの眼に見定められている。
 己の主人に相応しくないと判断されれば、その凶暴な牙はカルエゴの首を噛みちぎるだろう。弱り死に至る様子があれば、その強靭な爪は胸を貫く。犬達は強さばかりではなく資質までもを、ナベリウスに問いかけているのである。
 応じられぬ者の末路は常に一つ。
 ナベリウスの歴史において病死した者は存在しない。ナベリウス家の者の死に様は、他者に殺されるか、犬に殺されるかのどちらかだ。
 犬はナベリウスの力であり、死でもある。
 決して友になることはなく、心を許してはならぬ存在である。
 悪魔としての力を磨き維持し続け、誇り高きナベリウスの一員であり続けなければ生存されることは許されない。まるで審判を下す者のように、全てを見定め、決定権を持っている。
 カルエゴは入間の使い魔契約を一年履行して、感慨深い思いを抱いていた。
「俺という『使い魔』を失っても、お前には実力が培われている」
 契約上の理由とはいえ渋々服従を強いられた日々。ランクは上がったが、入学式の時から変わらぬ能天気な子供がそこにいる。それでも入間の成長は、確かに驚嘆に値するべきことだろう。破天荒と評価すべき数々は、カルエゴの手元にある入間専用ノートに詳細に書き込まれている。
「きっと、何も変わらんだろう」
 まるで自分が犬になったようだ。
 これが、ナベリウス家を見る犬達の視点なのだろう。屈辱ではあったが、得難い経験をした一年であった。カルエゴは一年を噛み締めるように振り返る。
 自信を得て顔を赤らめた生徒の顔を見て、カルエゴは胸が熱くなるのを感じていた。