緩く考えるシリーズログ2
■ 『タイパ』と『ゲーム』について緩く考える ■
まずはタイトルにある『タイパ』の前に『履修』について、軽く説明をさせていただきます。
どんなジャンルでも『不朽の名作』が存在し、その名作をオマージュとして己の創作に組み込む事があります。自分が知る中で最も古いのだと初代ゼルダの『ユウシャ ロト ココニ ネムル』あたりでしょうか。とにかく、このネタは『オマージュ元となった原作を知らないと分からないネタ』であり『オマージュ元が名作である』のです。
現在、全てのジャンルはそれなりに長く息のあるものになり、『不朽の名作』が礎となり始めています。手塚治虫先生は漫画における古典的地位があり、鳥山明先生はさまざまな漫画の礎として存在します。多くの漫画それらを読む事で、今に存在する漫画を深く理解できるのです。
逆に今のなろう転生ものは『ドラゴンクエスト』を筆頭とした和製RPGを土台にしており、これは和製RPGの常識が日本人の若者の常識として浸透しているとも読めます。
現代のさまざまなジャンルは、これらの現代の作家が愛した『不朽の名作』を知らなくても楽しめるが、知ればさらに楽しくなる。だから見るなりプレイするなりしようという行為を『履修』とここでは呼びます。私は『通っておきたい(ジャンル名)』なんて呼びますけどね。
さて、前置きが長くなりました。
私は最近ハーヴェステラというスクウェア・エニックス社のゲームをプレイしているのです。ゲームスタート時にラスボスと思われた存在をボコして、折り返し、というところまで来ています。
このゲームをプレイして思うのは
『最近のプレイヤー向けに作られたゲームだな』ってことです。
何が『最近のプレイヤー向け』かと思うかというと…
美しいグラフィック
美麗な登場人物
王道で作り込まれた物語
良質な音楽
戦闘難易度が低い(SFC聖剣3を彷彿とさせます)(これは製作が意図した難易度です)
次にどこに進むべきか、細かに案内が出る
最近の傾向ではドットよりも美麗な映像に重きが置かれがちです。海外ではドットゲームの需要はインディーズには確実に存在しているのでゼロではないですが、どうにも没入感を求めているのかゲームがリアル指向が人気な印象を受けます。そういう意味では日本はドットやカートゥーン調といった幅広い映像にまだ市民権がありますね。
問題は最後です。
『最近のプレイヤー向け』でも『若者向け』なのが最後です。
これはどういう事か、ご説明します。
例えば『薬草を買ってきてほしい』というイベントが発生すると『道具屋にイベント進行で行くべきチェックポイントマークが付く』。そのマークを追って道具屋に行くとイベントが進行し、薬草採取に行くことになるとしましょう。すると『薬草の採取場所を教えてくれる人にチェックポイントマークが付く』のです、そのマークを追って採取場所が分かると『採取場所にチェックポイントマークが付く』。
チェックポイントマークを追いかけるだけなので、イベントもサクサク進んで楽ちん!てなります。でも、昔ながらのプレイヤーだと文面を追うと、チェックポイントマークを追いかけてるだけじゃない?ってなるでしょう。ちなみに最初のチュートリアルだけではなく、さいごまでこの配慮は続きます。
これこそが『若者向け』と稲野が思う所以です。
最近のプレイヤーはタイパ、つまりタイムパフォーマンスを非常に重視するらしい。自分も立ち食い蕎麦屋でちょっとお手伝いしていた時、たった数分蕎麦を食すのにスマートフォンの動画を見ながらの人を多く見かけたものです。若者である末弟も、スマートフォンで動画を見ながら飯を食っています。映画やアニメを倍速で見るとか、少しでも短時間で多くのものを得る。この情報が氾濫し多くの不朽の名作に溢れた世界ならではの事情でしょう。
まぁ、私も自分のペースで作品は消化したいので、アニメよりも漫画、ボイスドラマよりも小説といった具合ですので分からんでもないです。
ハーヴェステラは『若者向け』に考えられたゲームだと、プレイして熟感心しました。何のストレスもなくサクサクとプレイし、美しいグラフィック美麗な登場人物王道で作り込まれた物語良質な音楽を浴びて終わる。非常にたいぱに優れた作品でしょう。
さらにこれが『最近のプレイヤー向け』というのも、プレイヤーの年齢層が上がって、ゲームを頑張る体力がない。だからゲームシステムの難易度を下げてプレイできるようにする、介護的な意味もある。あー、おつらい。みんな、あたまつかおう? 受容ばっかしてると認知進むよ?
今後、こういう作品が溢れていくのだと、古い時間が掛かるゲームは淘汰されていくのだろうと思わされます。
同時に、ゲームが消耗品に成り下がるだろうとも思うのです。
スマホゲームでそうなってると思ってます。刀剣乱舞はブラウザ版で一年に一度燃えたらやりますが、それ以外は全く触れません。スマホでゲームをする。それだけで稲野のゲーム評価はマイナスにまで落ちます。偏見? 仕事中にゲームのことがどんなに気になっても業務が疎かになる事なく、利用者のQOLが下がるレベルの事故を絶対起こさないという自信がある奴だけ稲野を非難するといい。スマホゲーは責任など取らぬのだから、偏見くらい許してほしい。
実際に『若者向け』に作られたハーヴェステラは、物覚えの良い稲野がキャラクターの名前すら覚えていないまま中盤を折り返しております。自分の中に消化される前に物語が進んでしまうので、良いお話がぺらぺらと薄く感じております。このゲームは周回しない限り、稲野に『若者向け』を実感させた転換期のゲームとしか記憶に残らぬ事でしょう。
TwitterなどのSNSが登場してから、情報は消耗品になりました。流れるTLの情報は読めども頭の中に残らない。まさにシャワーを浴びるかのようです。
ゲームも『若者向け』に多く作られ消費されていきます。その消費に追いつく為、AIが活用されていくでしょう。ゲームクリエイターは社畜の度合いを増して、ゲームを作る志が砕ける未来が見えます。
それに抗うよう研鑽を重ねているのが任天堂だと思っています。スプラトゥーンもゼルダも非常にたいぱに抗える内容です。かの会社はたいぱの概念が生まれる前から、この状況を匂いのようなもので理解していたのかも知れません。
和製RPGはどうあるべきか
まずは古参と若者の求める度合いを、難易度として調整したら良いのではないかと思います。
元々は戦闘の苦手な人向けにテイルズ系で導入されている難易度ですが、これをシステムに導入するのです。先ほど例に出したチェックポイントを出す出さないを、プレイヤーが選択する事で難易度を調整できます。これはDQ10で既に実装済みですが、目的地が分からなかったら答えがみれるようで自分は良いシステムだと思います。
戦闘の難易度・システムの難易度、それらを調整する事で、ゲームクリアに必要な時間をプレイヤーが調整できる。システム難易度はチェックポイントを追うだけの人は最低限、全ての町の人から情報を聞く人は多くのシナリオの進行で変わるセリフを堪能して世界観に浸れる恩恵を得られる。バトル難易度調整はいわずもがなですね。
コンテンツは消失せず、これからも増え続ける。
たいぱはこれから先の未来に生きる人々を、縛っていくことでしょう。その中で、人々の中に『作品』としてプレイゲームが作られ続ける事を、稲野は願わずにはいられません。
たいぱは全てを薄くする。
創作は軽視されるでしょうが、貴重な資源であるでしょう。
多くの創作活動する方々は、消費される世界に折れる事なく、その熱意を燃やしてほしいものです。
2024/05/25
■ 『小説』と『AI』について緩く考える ■
さて、ぺけったーでは『上手い小説の書き方』の書き方とかがおすすめに上がってくるようになり、加筆修正中の稲野の精神をじわじわと攻撃してくれやがります。終いには『AI小説が氾濫し、コンテスト出す作品までAI』なんて事も始まった。うるせーーーーーっっっ!
稲野はAI否定派じゃない。職場で会議録とかAIで編集させてるし、DQはプレイヤー操作しているキャラ以外はAIで動いてるし、AIをテスターに使用してるとか有用な使い方はいっぱいあるってわかってる。でも、小説に限ってはダメかなって思っちゃうんですよ。
さて、狂気と執念で二十年以上二次創作を続けている稲野が、この件について緩く考えるんだぜ!!!!!もちろん、これは稲野個人の考えだ!! 皆、付き合ってくれよな!!!!
『上手い小説の書き方』をアドバイスする発言。私は別に良いと思う。
ボールを上手に投げる方法とか、掃除する時にこの洗剤を使うと汚れが落ちやすいよ的な内容とそんなに変わらないのです。
私は別にそんなの気にしなくても良いと思っているのだが、これは試行錯誤が許される時間と余裕がある人に限られます。趣味で小説を書いている人が該当するでしょう。練習すればボールは上手く投げられるし、様々な洗剤を試してベストに行き着くことができる。小説も作品を書く事でこれらと同じ効果を得られるのです。(稲野はこれなんだが、だからこそ上手い小説の書き方とかが感覚に依存していて明文化できない弊害が出ています)
しかし、上達しなかったりベストに行きつかない『気がつけない人』も当然います。そういう人はアドバイスを参考にすると良いと思います。
また早く上達したい人なんかは、参考にしたほうがいい。応募したいコンテスト、将来作家になりたいなんて目標があって、生き急ぐ人は他の人が見つけたコツを手当たり次第に摂取して爆速で成長しなくてはならないからです。
ちなみに、多くの人にとって上手い小説は読みやすいので、誤字以上に読まれるかどうかの指標になります。だから『上手い小説の書き方』を異常なくらいに気にする人が、いっぱいいるんだと思います。しかし、漫画以上に小説は読まれないものです。しかし活字中毒になると上手い下手関わらず文章を摂取するので、どんな文章でも読んでくれる人はいると信じています。
しかし、こういうアドバイスを得て上達しても『良い小説』には結びつきません。これが『AI小説がなぜダメなのか』に繋がります。
例えば商業で書いてる上手な作家さんの表現を見て『お! 上手い表現! まねしたろ!!!』って、自分の作品に盛り込んだとします。しかし、その文章は自分の文章に馴染まず浮き上がったりしないでしょうか?『上手い小説の書き方』も真似て書いてみて、うーんと違和感に首を傾げるのではないでしょうか?
それは『貴方の文章』ではないからです。
別の上手い作家さんの上手い表現はその『作家さんの文章』であり、上手い小説の書き方はアドバイスをした人が紡ぎ出した『上手い小説の書き方』だからです。自分自身に馴染んだ『自分の文章』ではないのです。
AIに至っては『こういう小説が書きたい』って書いてもらうんでしょう? 『程度による』という審査の方々が言うのは、小説がどれだけ『応募者の文章』で綴られているかを重視しているんだと思います。
小説とは執筆者の血と肉と魂を、文章に置き換える方法だと思っています。
それがなければ小説とは呼べぬ代物であるのです。
じゃあ、どうすれば『良い小説』が書けるのか。
私はたくさん小説を書いて、たくさん経験する事をお勧めします。
たくさん小説を書く事で、貴方が得ようと思った作家さんの上手い表現は、貴方の中で形を変えて貴方の文章になるでしょう。アドバイスもうまく身について、貴方の糧となるでしょう。
たくさんの経験は貴方の中で貴方の表現を増やしてくれる。日向が暖かい事、人間関係で疲れた事、誰もが経験する事すら貴方の表現の引き出しに収まる宝物です。すぐに使うことがなくても、その宝物は年月を経て飴色の艶を得るかもしれない。経験は確実に貴方の文章を豊かにします。
AIは『良い小説』を書く上ではお勧めしません。確かに貴方の文章を書く助けになるかもしれませんが、それは貴方の中から生まれた表現として圧倒的に不足しているのです。小説は貴方を文章に映し取る作業。AIを通した表現は貴方の小説の中で不協和音や雑味になり、読者に見抜かれるでしょう。
そしてAIは便利さと普遍性で、何の面白味のない文章となる可能性が高い。
AIに頼る作家が多くなればなるほど、面白くない小説が世に満ちるのです。神林長平先生の『言壺』にAIによって数秒で小説が書き上がり、それは世界で出し尽くされた陳腐なものであったという、なんともつまらない未来世界が描かれています。私はそういう世界が近くに迫っていると思っています。
『良い小説』とは居心地の良い椅子のような、楽しい友と過ごすような、そんな文章だと思っています。そんな存在を文章の海から見つけ出す事も、そんな文章を描けるようになる事も、自分で成さねばならないと思っています。
なぜかって、自分でするから面白いんですよ。
面白い部分をAIに渡したら、そりゃあ、つまらなくなるでしょうよ。
2026/08/20