眩暈がするほど太陽は明るく - 後編 -
ウルベア帝国技術庁で最も奥まった開発中枢区では、急激に動き出した事態に慌ただしく人員が動いておった。この開発中枢区での研究を完成させる最後のピース、『時の球根』が手に入ったからじゃ。
青白い光に照らし出され浮かんでいるのは、わらわの手に乗るくらいの正立方体の銀の箱。全ての面に精緻な紋様が刻まれた、特殊な力がなくとも工芸品として高く評価される逸品じゃ。わらわの夢を叶える為に、帝国に存在するありとあらゆる技術の粋を結集した至宝と言えるじゃろう。長年の研究成果が実を結ぶと、研究者達は冷静を装っても興奮に沸き立っておった。
勿論、研究の完成を待ち望んでおった わらわも例外ではない。
それにしても、冴えぬ旅人がエテーネ人であったとはなぁ。
わらわは暴走違法改造反重力装置で縦横無尽に飛び回った、うつけ者の顔を思い出した。
グルヤンラシュの話ではエテーネ王国はウルベア地下帝国にも劣らぬ、高度な技術によって発展した王国であると聞いている。グルヤンラシュと共にいた人間のように優れた知識や技術があるでもなく、高度な技術を使いこなす柔軟性と余裕があるわけでもない。外を這いずり回る輩と変わらぬ粗暴さを感じさせる日に焼けた肌と歪な指先、軟弱な知性をひけらかさぬ軽口がないだけマシと言えよう。マリッチに搭載させたサーチ精度は如何様なものか疑わしかったが、実際に『時の球根』を所有していたのだから終わり良ければ全て良しじゃ。
あぁ。もうすぐ。もうすぐじゃ。わらわは待望を見上げて囁く。
「父上。わらわがお助けに参ります…」
我が父、ウルベア地下帝国第十一代皇帝ジャ・クバは、誰よりも平和を愛し国民の幸せを願っていた賢帝であった。その慈愛に溢れた手にひと撫でされれば、どんなにぐずる赤子も笑顔に変えてしまう。暴れる川を治水によって従え、餓える者が現れぬよう品種改良に勤しんだ。
父が賢帝と呼ばれ慕われるのは、研究者リウが献上した魔神機を民の為に用いたからじゃ。
三闘神の直系の子孫達だけが細々と繋いでいた神カラクリの技術が、カルサドラが大噴火したように爆発的に広がった時代。多くの民は古き時代と新しい時代の到来に、噴煙に包まれ、絶え間なく降り積もる火山灰に不安になるはずであった。実際に数え切れぬ暴走や爆発を起こし、魔神機の存在そのものに反抗する民は少なくなかった。
その時代において我が父は眩い篝火となって民を導き、正しく魔神機を使ったのじゃ。
魔神機は腰痛に苦しむ農業を営む者から、農作業の大変さを引き継ぎ解放した。崩落や塵となった鉱物を吸い込む事で起きる健康被害に悩まされていた採掘現場は、魔神機が担う事で全ての問題が消えた。数十年はかかるとされた街道の整備が、昼も夜もなく押し進められ数年と短縮される。多くの帝国民が担っていた仕事は全て魔神機によって正確無比に遂行され、帝国民は我が国は極楽浄土であると謳い我が父の偉業を讃えた。
しかし、父の偉業はこれに止まらぬ。
三闘神がそれぞれに興した王国は建国者が逝去する前には既に、互いに激しい戦争を繰り広げていた。魔神機の技術を発展させ兵器化されれば、長年の宿敵であったガテリア皇国も砂漠の中を逃げ回るドルワームの土竜も制圧し、ウルベアの天下統一が成されるのも時間の問題であった。それを民は切望し、王に直訴する者とて後を立たなかった。
父は決して頷かなかった。防衛の為に魔神兵の開発を優先していたグルヤンラシュの熱弁すら、父の心を動かすには至らなかったのだ。
幼いわらわを膝に乗せた父は強い光を目に湛え凛と言い切ったのが、今し方のように思い出される。大きな手が頭を撫でる感触が蘇り、涙が滲みそうになる。
『三闘神は血よりも確かな絆で結ばれていた。今もその絆は続いているのだと、余は信じておる』
父上はドワチャッカ大陸を平定した、三闘神の物語を大変好んでおった。血の繋がりがなくとも義兄弟の盃を交わし、愛情を交わし、命を預け、助け合う。そんな信頼関係がかつて確かにあったのだと、わらわは耳にタコメットがはまり込む程に聞いた。長い戦争で崩れた関係であったが、これから再び築き上げる事ができると切に願っておった。
そんな父上の願いが叶う一歩となったのが、ガテリア皇国第一皇子からの返答であった。
今まで強硬な姿勢を貫いていた大人達を説得し、第一皇子がウルベア地下帝国と和平条約を結びたいと願い出たのじゃ。実際に皇子は最低限の護衛で、地下帝国に足を運んだ。わらわよりも少しだけ年上の利発そうな男子が、あのプライドの高いガテリア皇国の王の書状を手に現れれば偽物とは思えぬであろう。もし王の書状が偽物であれば、皇国の民であれ厳しい罰が下される。最も王座に近い皇子が直接地下帝国に乗り込んできた様相は、皇国の本気と皇子の覚悟を周知するには十分であった。
あの名を記憶するのも悍ましい男は、父上にうまく取り入った。
魔神機の平和的運用について父上と熱い談議を交わし、生真面目にメモを取る姿を父は勤勉と評した。父上は『君が第一皇子でなかったら、我が娘に婿として来てもらいたかった』と心から悔しそうに漏らすのを覚えている。しかしあの男はそんな父上の手を取り『伴侶としてではなく、共に国を背負う盟友として支えることを誓いましょう』と宣ったのじゃ。
その真面目な眼差しに、純朴な父上はころっと騙されてしまいおった!
醜悪なガテリアの皇子が詐欺師とは、さもありなん!
わらわの心臓が激しく脈打ち、胸が苦しくなる。裏切られた父上の無念を思えば、この程度の胸の痛みなどなんてことはない。そう歯を食いしばっていると、開発中枢区を閃光が走った。
あまりの眩しさに腕を掲げているうちに、少しずつ光は薄れていく。心臓の鼓動のように等間隔な電子音、小さい星のように瞬く計器のランプ、奥に隠れておった闇がぬっと顔を出しおる。
『時間跳躍制御装置に『時の球根』の定着を確認』
技術者の言葉に、歓声と拍手が湧き上がった。技術者達は皆が中央に据えられた銀の箱に視線を注ぎ、長い苦労を労わるように近くに居た同僚達の肩を抱き喜びを噛み締めている。
「おめでとうございます。ウルタ皇女」
そう言って恭しく膝を折って祝福の言葉を告げる忠臣を、妾も誇らしげに見下ろした。
「そちが居なければ、わらわはとうの昔に壊れていた」
とうの昔。いや、わらわの中では昨日の出来事のようじゃ。
ウルベア地下帝国とガテリア皇国との間で和平条約が結ばれる前日、父上は暗殺された。
誰が? 聞くまでもない!
名を呼ぶのも悍ましい悪鬼、ガテリア皇国第一皇子よ! 彼奴は和平を結ぶ気など、初めからさらさら無かったのじゃ! 父上が望んだ平和という甘言で油断させ、ウルベアの心臓というべき存在を握り潰した!
父上を失った わらわは、荒れに荒れた。体の全ての血液が涙となって流れ出たように泣き暮らし、体はエルフ族のように細く窶れた。家族同然であった父上の忠臣達とも口が利けなくなり、今も足取り一つ掴めぬ悪鬼の存在が己の命を狙っておるかと恐怖に震えた。
どう息を吸うかも、食べ物を認識せず食む事もできなくなった。水分は摂ったその場で吐き戻し、高熱と悪寒に寝床から上がる事もできぬ。ただただ、絶望がわらわを打ち据えたのじゃ。
このまま、父上のところに行きたい。
切に願ったわらわの枕元で、グルヤンラシュは言った。
『歴史は変えられる』と。
この国に流れ着いて長い人間族の青年は、初めてわらわに故郷を語った。
錬金術という魔法技術によって、生物すら生み出す発展した王国。空に浮かんだ島には王国の象徴である王宮が絢爛豪華に輝き、国の要人や重要人物が暮らす眩い栄華。この国にはない繁栄を誇った王国であるが、民は特別な力を備えていたと言う。
時渡りの力。
その力は来るべき未来を予見し、遥かなる時を超え過去や未来に行く事ができるそうだ。
なんという夢見語り。わらわは死神に命を渡さんとする今際の際に、可笑しくて笑ってしまった。未来の予見は理解はできる。様々な情報は、これから起こる事を的確に推測する事ができた。排熱を疎かにしてエンジンが燃え上がり爆発したり、ブレーキが甘くて止まらずに自滅するだなんて我が国の一般市民でさえ分かる事であろう。
しかし、過去に行けるだなんて馬鹿げた事よ。
過去を変える事は出来ぬ。床に落ちてぶち撒けられた水は、割れた器に戻る事は出来ない。ドワーフの葬儀において棺は、いつか蘇る日まで肉体を保管する神聖な器であった。しかし実際に蘇った者は、偉大なる三闘神を含め存在しなかった。
この優しい青年が、絶望に打ち拉がれた わらわを慰めようとしていると思ったのだ。その優しさに報いようと微笑み返そうとした時、わらわは青年の真剣な顔に息を呑んだ。
『皇女よ。今語った俺の故郷は、二千年前に滅亡し消え去ったのです』
グルヤンラシュは切実な想いを、絞り出すように吐き出した。
『俺は故郷へ帰る事を諦めてはいません』
わらわはこの時初めて、頬に涙が伝っている事に気がついた。
父上が死んだ事を諦めなくても良いのだと。この二千年前の故郷に帰る事を望む男と同じ夢を追いかければ、わらわは父上が殺される日の前に行き悪鬼を止める事ができるのだと。
伸ばした震える手を、グルヤンラシュの大きな手がしっかりと握ってくれた。
「礼を言うぞ、グルヤンラシュ」
わらわの感謝の言葉に、同じく今までを振り返り噛み締めていたグルヤンラシュが深く首を垂れた。青紫の髪の頭頂部に刻まれた旋毛が、まるで渦潮のようであった。
「皇女が私の言葉を信じてくれたからこそ、時間跳躍制御装置が完成を迎えようとしているのです。全ては皇女の決意の結果です」
忠臣の言葉に頷き、わらわは完成を目前に控えた時間跳躍制御装置を見上げた。
時を超え歴史改変の夢を実現させるのは、当然の事ながら難航した。
グルヤンラシュの配下は時間跳躍制御理論を完成させており、材料さえ揃えば誰もが時を越えられるとグルヤンラシュは説明した。エネルギー問題はグルヤンラシュの配下である錬金術師が作り出した、アルケミダストという副産物で賄う事で既に解決していたのだ。
最も入手が難しい素材が『時の球根』であった。『時の球根』はグルヤンラシュの故郷に存在する、時渡りの力を宿す特別な植物。これを時間跳躍制御を行う器に固定させ安定させる事によって、時間を渡る力を実現に至らしめる。
この時代には存在しない滅亡した王国。グルヤンラシュは時を渡る故郷の民を探し出し、代わりに『時の球根』を入手させる手筈であった。わらわもマリッチにエテーネ人を探させていたが、この時代のウルベア地下帝国にエテーネ人が訪れるのは天文学的確率であろう。抜かりないグルヤンラシュは、配下の錬金術師に代用品の研究をさせていたそうじゃ。
そして、時渡りの力と膨大なエネルギーを内に封じる時間跳躍制御装置の器となる素材。
その名をボロジウムと言う。
ガテリア皇国領地であるボロヌス溶岩流地帯の地底から採掘される、希少な鉱物資源であり。魔力を宿し永久の輝きを放つ鉱物は、ガテリア皇国において国宝に他ならぬ。例え、和平交渉がうまく行ったとしても、友好の証として譲渡など決してされはしない至高の存在じゃ。
しかしボロジウムは我が国に渡り、こうして時間跳躍制御装置の器となって目の前にある。
わらわは。
唇がぎゅっと真一文字に引き結ばれるのを、堪える事ができなかった。
『皇女、良いですか』
グルヤンラシュが耳元で囁く。
『貴女のお父上を殺したのは、ガテリア皇国第一皇子ビャン・ダオなのです。これは、ガテリアから仕掛けてきた戦争なのです』
そうじゃ。父上を騙して油断させ、念願の調印式の前日に殺害した。この行為が戦争の火種にならない訳がない。実際にガテリア皇国はビャン・ダオが我が父を殺した事を決して認めず、汚名を着せられたと熾烈なまでに抵抗した。それどころか、和平を望んだ若き皇子を陥れた卑劣な行為であり、我が国が和平を望んでいないのだと痛烈に批判したのじゃ。ガテリア皇国からの書状は、わらわが受けるだろう一生涯分の罵詈雑言に塗れていた。
父上とビャン・ダオが築き上げた平和への道は、もう二度と交わらぬ。これより先はガテリアかウルベア、どちらかが倒れるまで戦争は続く事が決定となったのじゃ。
ウルベア大魔神が戦場に投入されガテリア皇国が消滅したのは、わらわがグルヤンラシュに侵攻を命じた数日後であった。ガテリアの空を一瞬閃光が走った次の瞬間、満月の空は晴天の色に塗り替えられた。ごうと体を突き抜けた人肌の強風を、微かに何かが燃えるような匂いがした事を、わらわは忘れる事ができぬ。それから月がいくら満ち欠けても、ガテリアの空は赤く燃えていた。
『滅亡したのは、当然の末路です』
グルヤンラシュが淡々と言う声が、わらわの耳の奥にこびりついた。
本当に、本当にそうだったのか? ビャン・ダオは父上一人を殺したに過ぎぬが、わらわは何万というガテリアの民の虐殺を命じたのじゃ。わらわがガテリアへの侵攻を命じなければ、このような結果にはならなかった。
『ウルタ皇女。ボロジウムです』
グルヤンラシュが恭しく掲げた眩い銀の輝きを見て、わらわは悲鳴を上げ、手で払い除けそうになった。その太陽のような白金の影に、夥しいガテリアの民の血と肉がこびり付いていた。脳髄を貫く死臭に、吐き気が止まらなかった。
こんな小さな石ころの為に、何万人もの命を殺したのか?
父上の命は、何万人の命よりも重いものなのか?
よくも。よくも殺したな。そんな恨みの声が耳にこびりつく。
重い。重いはずだ。わらわにとって、この世界の全てよりも愛おしく尊い父上だ。敵国ガテリアの民が何万人死のうが、グルヤンラシュの言う通り当然の事なのじゃ。
そうじゃろう? 父上。
そう記憶の中の幼い わらわが見上げて尋ねたが、父上の顔は闇に沈んで見えぬ。整った口元の髭が動いて言葉を紡ごうとしたが、恐ろしくて回想を遮断してしまう日々ばかり。
いや、歴史はやり直せる。
父上はわらわに優しく微笑んでくれて、その大きな手で頭を撫でてくれるに違いない。よく頑張ったと、きっと労ってくれる。
全ては悪鬼ビャン・ダオが悪いのじゃ。父上をお助けするだけでなく、彼奴が生まれた直後にわらわが殺害してしまえばガテリアの夥しい犠牲も帳消しになろう。グルヤンラシュが、そう言ったではないか。
わらわは畏まるグルヤンラシュを見据えて、震える声を励まし命じた。
「時間跳躍制御装置の完成を急げ」
「御意」
グルヤンラシュはさらに深く額付き、優雅な仕草で立ち上がるとわらわの命令を復唱して研究員達に告げた。その広い背を見送り、わらわはどす黒い感情を全て飲み込んだ。
グルヤンラシュは故郷へ帰る為。わらわは父上の悲劇を止める、ただそれだけ。
わらわは、もう迷わぬ。