眩暈がするほど太陽は明るく - 前編 -

 綺麗に洗われて温風で整えられ見た事もないくらいサラサラな髪に、鏡の中の少年が目をひん剥いて驚いてる。大量に浴びせられた消火剤を洗い流す為、僕はウルベア地下帝国城の大浴場で念入りに洗われた。生活支援魔神機が『不衛生です』と皮一枚剥がされるくらい擦られて、肌が日に焼けたようにヒリヒリ痛むんだ。
『相棒のヒリヒリ伝わってきて、オイラ、体がカユカユだよ』
 ごめんね。そう内心で思って伝えると『相棒、声がしょんぼりしてるな』と図星を突かれる。
『カミュって兄ちゃんなら大丈夫だろ。相棒は自分の事心配しろよ』
 うん。僕は小さく頷く目の前で、生活支援魔神機が小さい壺の蓋を開ける。香油の良い香りが鼻先を掠めると、一言もなしにいきなり塗られる。くすぐったさに、伝わった兄さんの笑い声が響いた。熱った体にひんやり つるりとした感触に撫で回され、僕も思わず身を捩る。
 衣類は後ほど洗濯して返却するとの事で、人間用の服を用意された。肌触りの良い布にドワーフらしい幾何学模様が刺繍された服と、紐で編み込むサンダルで絞るゆったりとしたズボン。頭に巻いたターバンの留め金には、高そうな貴石があしらわれている。砂漠の通気性の良さそうな装いは、アラハギーロを彷彿とさせた。
『こちらは貴重品です』
 魔神機が柔らかい布の上に並べられた品を、トレーに並べて差し出してくれる。王城内での武器の携帯は許可されていないので弓矢と短剣はないが、それ以外は全て揃っている。ウルベア銀貨や銅貨が入った巾着袋は綺麗に洗浄されて新品のようで、消火剤で駄目になった食料や皮の水筒に入った水は新しく補充されていた。水を通さない皮袋に入っている物に関しては外だけ綺麗にしただけみたいで、中身には触れられていない心遣いが嬉しい。
『ウルタ皇女が謁見の間でお待ちです』
 恭しく生活支援魔神機が下がると、マリッチという卵型の魔神機がすっと近づいてきた。くるりとその場で一回転すると、すっと先に進んで振り返る。付いて来いと言わんばかりの様子に、ゆっくりと追いかける。
 流石、ガノさん曰く黄金時代最大の王国だ。兄さんが『キンキラキンで目がチカチカしちゃう』ってコメントは、的のど真ん中を射抜いてる。
 色鮮やかな輝石のようなタイルで美しいモザイクが床天井壁を問わずに配置され、そのモザイクの隙間を埋めるように金が配置されている。柱であったり、幅木だったり、深い緑に生い茂る観葉植物の花壇の目の覚める青い煉瓦を積み重ねる接着剤が金色だ。グランゼドーラ城にあるような蝋燭の燭台や窓、カーテンの類はなく、埋め込まれた石が影もないくらい眩く城内を照らす。光る床に乗れば歩かずに目的地に辿り着く高速移動路が網目のように張り巡らされ、まるで流星群を見下ろすような命の動きを見ることができた。
 昇降機で王族の居住エリアに入ると、富の象徴なのか小さい水路を飲めそうなくらい透明で綺麗な水が流れていた。まるでふわふわな草原のような柔らかい絨毯が敷かれ、地下帝国で溢れる魔神機や神カラクリの作動音が一切しない森の中のような静寂。テーブルの上には透明なピッチャーに氷と輪切りされたフルーツで満たされた水が用意され、瑞々しいカットフルーツや片手で摘める焼き菓子が用意されている。この時代において、最も高貴な人物がいると分かる特別な贅沢で溢れた空間だった。
 そして絨毯の道の終点、この国の象徴である建国の英雄のハンマーが壁に飾られた下。金と輝石、ふっくらとした座り心地の良いクッションが備え付けられた玉座の前で、僕達は呆気に取られた。
 そこは謁見の間とは思えない状態だったんだ。
 絨毯の上にどかりと腰を降ろした少女が、分解された反重力移動装置に齧り付いている。油に塗れて絡んだ紫の長髪を無造作に背に流し、真紅のバンダナの結び目がリボンとは言えない実用的さで髪を飾る。袖が邪魔にならないようにと剥き出しの両腕は黒く汚れ、純白だったろうスカートには擦れて付いた汚れで模様ができている。真後ろに迫ったマリッチが電子音を響かすと、パッと振り返りゴーグルを引き上げた。空色の瞳が無遠慮なまでの好奇心に輝く。
「違法改造した反重力移動装置で暴走した、うつけ者とはお前の事か!」
 腹を抱えて目に涙を浮かべて、指まで指されて大笑いされてる。
 うぅ。確かに酷かった。助けて貰わなきゃ今頃死んでると思えば、馬鹿な事したって分かってる。迷惑いっぱいかけました。だからって、そんなに笑わなくたって良いじゃん。
 笑いながら僕達を乗せて爆走した、大砲をつけた反重力移動装置をペタペタと分厚いグローブが叩く。これだけの出力を爆発させずに推進力に変える技術力は奇跡的だとか、真っ直ぐ進むしか出来ない代物をよく旋回させただの、笑いながら言いたい放題だ。
 一頻り笑ってぐいっと涙を拭うと、女の子は引き攣った声色で言った。
「一部始終を報告に受けたが、あまりにも阿呆過ぎてその面構えを見てみとうなったのじゃ」
 やっぱり、この子がウルベア地下帝国の最高権力者であるウルタ皇女なんだ。
 城下町では評判の良く無い皇女様。絶大な支持を持つ亡き王の忘れ形見で、変わり者で、引きこもり。宰相であるグルヤンラシュを除いでは、誰とも関わろうとしない人嫌いだという。
 ビャンさんが王族がいるのに、どうしてグルヤンラシュを敵視するのか分かった。
 この帝国の実権を握っているのは、グルヤンラシュなんだ。ウルタ皇女を丸め込み、先王の仇討ちと国民を先導しガテリアを消滅させた悪逆非道を正当化できる力を持っている。
 僕がぎゅっと拳を握りしめた先で、皇女の背後から体を洗っている間居なかった零捌号が現れる。皇女は柔らかい笑みを浮かべ、零捌号を愛おしげに撫でた。
「それにしても、そちは なんと優秀な子であろう。どうじゃ。うちの子にならんか?」
 胸に抱いたかと思うと、赤子を覗き込むように顔を寄せる。
「素材は型の古い魔神機を流用した粗末なものだが、帝国技術庁でも成し得なかった小型化を実現する構造は感嘆に値する。演算処理能力の高さを思えば、我が城に直ぐにでも召し抱えたいくらいじゃ」
 腕を離すと解放された零捌号が、ふわりと僕の傍で待機状態になる。
「エテーネ人…であったか? ぜひ、開発した技術者を紹介してはくれぬか?」
 零捌号は自分で答える事が出来るはず。
 言わないという事は、リウ老師にとって知られたくない情報だと言う事だ。
 ビャンさんの恩師であるというリウ老師は、帝国に生存すら知られずに潜んでいるに違いない。ウルベア地下帝国が処刑出来ない貢献をしているだろうけれど、ガテリア皇国の捕虜達と行動を共にしている理由があるはずだ。
 僕は目を伏せて考える振りをしてから答えた。
「本人の意思を確認してからでも、よろしいですか?」
 義理堅い奴じゃな! そう吹き出した皇女だが、気を悪くした様子はない。お陰様で魔神機に囲まれて、無理やり吐かされる心配はなさそうだ。
「まぁ、良かろう。だが、このウルベア地下帝国という最先端にして最高の場に招かれるのを、断る技術者がいるとは思えんがな! なぜ早く知らせなかったと叱られぬよう、精々寄り道せず技術者に伝えに行くがよい!」
 かっかっか! 上機嫌に笑うウルタ皇女を、僕は冷めた目で見ている。
 ガノさんはドルワーム王国に召集されるの、時間の無駄だって滅茶苦茶嫌がってるけどなぁ。それに最高の素材は研究室には無いってラギ雪原でキラーマシン乱獲したり、エンジュさんとイッショウさんの所に行って錬金術を学びに行ったり、プクランドの魔力と工学の融合を研究しに行ったり、止まったら死ぬってくらい動いてる。きっと、ガノさんなら皇女のお誘いも満面の笑みで断るんだろうな。
 皇女様。僕は気まぐれで謁見する事が叶った皇女に畏まる。
「どうしてエテーネ人を探しておいでなのですか?」
 本題を切り出されたからか、皇女は『うむ』と仰々しく頷いて向き直った。
「わらわは古代エテーネ王家に伝わる、『時の球根』を所望する。手に入れるには、エテーネ人の力が必要不可欠であるそうだ」
 胸が一つ高鳴った。
『時の球根って、猫好きのお姫様がくれたやつのことかな?』
 兄さんの言葉を聞きながら、突然現れたメレアーデ様に託された言葉を反芻する。地下帝国城へ入る前日に『この時代で必要になる物です』そう言って託されたのが、二片の球根だったんだ。
 これが『時の球根』かは分からない。だが、タイミングが良すぎる。
 渡すべきか、どうするべきか。
 僕達が居た時代よりもエテーネ王国があった時代に近いウルベア地下帝国が、エテーネ王国の事を知っている可能性は確かにある。エテーネ人の力、つまり時渡りの力を使わせるということは、エテーネ王国はこの時代にはもう存在しない事を意味している。その情報源がグルヤンラシュであったなら? ウルタ皇女を利用して探させていたなら、この球根を渡した事で更なる脅威が世界に齎されるんじゃないか?
 ぐるぐると悩む僕に、明るい声が無責任に閃いた。
『相棒。渡しちまっても、いーんじゃないかな?』
 ベビーパンサーが欲しいなら、まずキラーパンサーの巣に入らないとダメなんだぜ。そんな諺を言いながら、兄さんは真っ直ぐな声で言うんだ。
『あのお姫様、きっと全部わかってるよ。本当に渡しちゃダメなもんだったら、相棒に託したりなんかしねーで自分で持ってればいーんだもん』
 言われてみればそうだ。
 僕らは同じ人物なのに印象が違うメレアーデ様に会っている。
 初めての時渡りで兄さんを助けてくれた面倒見の良いお姉さんなメレアーデ様は、ガートランドで再会した時と変わらなかった。猫が好きで、明るくて、優しいお姉さん。時々、お姫様のドレスが似合う美しい所作と、凛とした威厳が掠める人だ。
 でも、世界滅亡の瞬間に飛ばしたメレアーデ様と、ウルベア地下帝国に入る前に球根を託したメレアーデ様は、服装こそ再会した旅人風ではあったけれど別人のようだ。まるで予言のように最低限過ぎて意味がわからない事を言って、元々そこに居なかったように消えてしまう。
 兄さんの言う通り、メレアーデ様は『時の球根』を渡るべき相手に渡す為に僕に託した。むしろ、渡す事で僕に選択肢が増えるはずだ。皇女の信頼を得て、ガテリア皇国を滅ぼした悪鬼グルヤンラシュに接触できる。どうしてエテーネ王国の事を知っているのか、なぜ『時の球根』を求めるのか。知る為なら危険を冒してでも行動する必要がある。
 これが『時の球根』かは分かりませんが。そう前置きして、僕は懐から取り出した皮袋を逆さにして二片の球根を掌に乗せた。
「それらしきものを持っています」
 ウルタ皇女がいくつもの部品を跨いて近づくと、僕の掌に乗った小粒の球根を覗き込んだ。泥を綺麗に落として、うっすらと紫掛かった色の、花の民である兄さんが『この球根からチューリップが咲いても驚かない』って言っちゃうくらい普通の見た目だ。『時の球根』と呼ばれるような特徴らしさなんかない。
 ウルタ皇女も右へ左へ体を動かして眺めていたけれど、徐に首を横に振った。
「わらわもこれが『時の球根』かは判別付かぬの。グルヤンラシュに確認させるのが一番であろう」
 そう言って踵を返す。無防備な背中に追随するように、マリッチが続いた。
「エテーネ人。そちも来るのじゃ」
 びっくりする僕に、ウルタ皇女は顔だけ向けてにっと唇を持ち上げた。
「勘違いするでないぞ。それが『時の球根』でなかった場合は、そちに返却せねばならぬ。わらわは盗人ではないのだからな」
 そう言って歩き出す背中を追いかけ、王族のプライベートな空間を抜けて昇降機の扉を潜る。すっと持ち上げられる感覚はあるけれど、驚くほど静かで揺れない。暫くして一瞬の浮遊感の後に着地したようなちょっとした重みが体に加わり、チンとベルの音がして扉が開いた。
 ごうっと顔を叩きつける、外の強い風。
 目の前には大樹の海が広がっていて、眼下にある湖が木々の影に埋もれている。初めてガタラに降り立ったような砂っぽい空気と違って、蒸せ返るような湿気と濃厚な緑が鼻に迫ってくる。この時代独特の激しいにわか雨が通り抜けた直後だったらしく、水溜りのない濡れた床を天高く昇った太陽がじりじりと焼いている。
 『ようこそ。ウルタ皇女』そう事務的な歓迎をする魔神機を横目に、皇女は待機されていた反重力飛行装置に歩み寄った。最低限の構造だけの反重力『移動』装置とは違って、翼があったり、推進力を生み出す装置がついていたりと明らかに空を飛ぶ為の構造になっている。荷車とそれを引く馬くらいの大きさのそれは、ドワーフ族らしい装飾が施されて特別感を演出した。
 皇女は反重力飛行装置の傍に立ち、その側面を撫でながら『ふふっ』と笑った。
「これはウルベア帝国式反重力飛行装置の最新モデル! しかも数量限定カラーぞえ!」
 相棒! 今すぐ『すごいですね!』って相槌!
 兄さんのアドバイスで、僕は大袈裟に『すごいですね!』って驚いてみせた。そんな反応に気を良くしたのか、ピオリム重ね掛け隼二刀流天下無双の語り口は止まらない!
「機体の軽量化と燃費の向上、及び浮力と速力の大幅な改善を実現してみせた、新素材のフレームの光沢のなんとエレガントなことか。さらに振動を三割以上抑えながらも、操縦者を貫く機関部から伝わる熱量とパワー。ウルベアの凝縮された技術を感じずにはいられぬ、こだわり抜いたマッシヴなシルエット! たまらんじゃろう?」
 相棒!ここは『本当ですね! すごくかっこいい!』だぞ!
 兄さんすごく助かる。あまりに早口で専門用語たっぷりだと全然聞き取れなくて、『ルアム君、ちゃんと聴いとるのかね?』ってガノさんやエンジュさんに言われちゃうんだよな。好きなことを語ってる時はね、良く分かんなくても気持ちよく話させて喜んでもらうのも聞き手の技量なんだよーてイサークさんからも言われたもんな。ルミラさんには、頷くだけでもするものだって、したり顔で言われたっけ。
 皇女は『そうであろう。さもありなん』と満足げに頷いた。
「人間族とはいえドワーフの美学がわかるとは、見どころのある奴よ。わらわの後ろへ乗せてやるゆえ、ありがたくライドオンするのじゃ」
 ウルタ皇女が操縦席に座り、マリッチが特注で作られたのか窪みにピッタリと収まった。僕も鞄をしっかりとベルトに固定し、皇女の真後ろの席に座って体を固定する。零捌号を入れた鞄の留め金がきちんと留まっているのを再確認している間に、マリッチを固定するように手すりが閉まる。風が狭い隙間を通るような涼しげなエンジン音が響くと、魔力を解放するような衝撃が床を舐める蒸気を一蹴した。
「いざ、帝国技術庁へ! 全速前進!」
 どっ! 皇女の真後ろとはいえ、空気の壁に衝突したような圧力。皇女の座席の真後ろにある、掴まる為のスペースを全力で握りしめて腹に力を込めないと上半身が投げ出されてしまいそうだ。そうならなかったのも、違法改造暴走反重力移動装置に振り回されたからだろう。一瞬にして空に投げ出され、瞬く間に飛竜の視界になる。丸く眼下に押し込まれた世界からカルサドラ火山が突き出し、三方向へ睨みを利かせた三闘神の象の平らな頭頂部が見えた。地響きと轟音が響くと同時に、赤々とした噴石が空を目がけて放たれる。
「カルサドラがくしゃみ しおったわ! しっかり掴まっておれ!」
 ぐるんと天地が逆さまになると、皇女は逆さまの状態で火山を見上げ噴き出した噴石を器用に避けていく。噴石は遥か頭上で弧を描いて、下からじゃなく上からも迫ってくる。避けきれぬものは空中一回転して銃口を向け、岩石を割って切り抜ける。しかし次の瞬間、火口から湧き上がった噴煙に機体が飲み込まれた!
「マリッチ! サーチモード展開! 噴石を知らせよ!」
 青い光が赤く点灯すると、反重力飛行装置を取り囲む噴煙に赤い光が照射される。最初小さい点であった光が、瞬く間に大きくなり噴石がこちらに向かっているとわかった。噴石の輪郭を塗りつぶした光を頼りに、皇女は操縦桿を握りしめる。左に、右に、上に、下に、ぐるりと旋回し、打ち抜いた噴石を突き抜け、次々を迫り来る脅威を紙一重で回避していく。噴煙の中で天も地も滅茶苦茶だ。ばちばちと顔に当たる砂に目も開けられない中、ぱっと世界が明るくなる。
 噴煙を抜けて噴石が届かなくなると、機体が水平に保たれる。
 うぅ。ナドラガンドでクロウズさんの背に乗ってる経験がなかったら、吐いてたな。
 赤く煮え激る溶岩と煙を吐き出す黒い大地がマーブル模様を描いた裾野の奥には、ガタラの芳醇な緑。戦争を繰り広げ砂漠とも荒野とも形容できない砂色の海の向こうには、死んだ大地が黒々と広がっていた。瞬く間に最初に辿り着いた豆粒のようなダラス大鉱脈を飛び越えた先に、広大な砂漠が広がっていた。頭上に近づいた色の暗い空には、ちらちらと星が瞬き、硬い太陽の光が降り注いだ。
 僕達の時代では繭が頭上にあって激しい砂嵐に何も見えなかった砂漠は、穏やかな凪いだ海のように真っ平だ。まるで黄金の海のど真ん中に、真っ黒い島のように巨大な建物が建っている。
 まるで金色の鯨が大きな口を開けているような感覚で、反重力飛行装置が滑るように入っていく。黒い滑走路の誘導灯に導かれるように進むと、滑らかな制動と共にずしりと着地する。
 ばんばん背中を叩かれ『初めてであるのに、良く耐えたの!』と痛い労い。僕は固定した命綱を外して、よろよろと硬い地面に座り込んだ。
 そんな僕を後目に、彼女は誇らしげな顔で高らかに言ったのだった。
「我がウルベア地下帝国が誇る頭脳、帝国技術庁に良く参った!」
 すると奥の暗がりがパッと明るくなる。おそらく扉が開いて、薄暗い飛行装置発着場に光が差し込んだんだろう。光を切り取り向かってくる人影に、ぱっと皇女の顔に喜びが差した。
「出迎えに来てくれたのか、グルヤンラシュよ」
 ビャンさんの故郷を滅ぼし、生き残った者の尊厳を蔑ろにしている悪鬼。ビャンさん自身が直に目撃していなかったのと、僕自身が故郷を滅ぼされたという過去を重ねて、グルヤンラシュは冥王ネルゲルという巨悪の姿をしていた。
 ウルベア地下帝国の宰相の座にいるならドワーフかと思っていたが、その輪郭は人間族のそれだ。武術を身につけた隙のない身のこなしは、コートの裾を叩く片手剣の影で納得だ。藍色のコートは金の縁取りがされた実質剛健なデザインで、中に着た碧のシャツは細かい模様が浮き上がる宰相らしい豪華さを感じさせる。青紫の髪はサラリと日に焼けた肌の上に落ち、鋭い碧の瞳が僕を値踏みするように見下ろしている。
 あれ? 僕は湧き上がった既視感に首を傾げた。
「相変わらず、ボウフラのように思い掛けぬ場に湧く奴だな」
 見覚えがある。誰かに酷く似ている気がしたが、誰だったかを思い出せない。重い声は確かに聞き覚えがあったが、その声は僕らに死を宣告したドミネウス王に似ている。しかし壮年の男と違い、グルヤンラシュは青年を過ぎた年のくらいだった。
 俺がわからんか。そう、グルヤンラシュは皮肉混じりに苦笑した。その苦笑が、僕よりも少し年上だった少年に結びついた。
 まさか。喉が焼けて、声が掠れていた。
「…クオード?」
 歩み寄ってきたグルヤンラシュが手を差し出す。あの時よりも一回り大きくなった手のひらを取ると、ぐっと力強く握り返されて引っ張り上げられる。少し見上げれば顔があった場所は分厚い筋肉質な胸元で、驚くほど背が伸びていた。記憶にあった幼さは全て脱ぎ捨て、当時は背伸びに感じていた威厳が精悍な男性の顔によく似合っていた。
 全く、なんて酷い顔だ。グルヤンラシュは脂汗で張り付いた前髪を払って、目を柔らかく細めた。遠い昔を懐かしみ噛み締めるように、僕に語りかける。
「あぁ、そうだ。正真正銘のクオードだ。お互い崩壊の土壇場で時渡りの力を発動させて、この時代に飛んできたようだな。俺は、もう十年以上この時代にいる」
 生まれながらに皇女だからか自分中心な所があるのに、グルヤンラシュが知人と再会を果たした事を己のことのように喜んでいるんだろう。目を細めた皇女の嬉しげな声が弾けた。
「互いに知人であったか。これは『時の球根』の信憑性が増すというものじゃ」
「『時の球根』を持っているのか!」
 グルヤンラシュの目が見開かれ、冷静になったのか緩く頭振った。そんな動作の端々が記憶の中のクオードと重なって、繋がらない二人が同一人物なのだと突きつけられる。
「…いや、喜ぶのは早い。まずは鑑定をしなくてはなるまい」
 準備をすると言うが早いか、足早に踵を返す。大股で進む背中に皇女が続き、近くに待機する警備魔神機に案内を頼むと命令して扉の奥へ消えていく。
 風の音が一人残された僕を包んでいたが、ぽひゅんと軽い音が耳元で弾けた。
『お互い同じ時代に飛ばされたって、勘違いしてるみたいで助かったキュルね』
 言葉の割には無感情な声に、全く意味が伝わってこない。
 あの崩壊の中、クオードは時渡りの力を発動させて今の時代に生き延びた。それは彼の言葉の通り喜ばしくて、メレアーデ様の無事を伝えて安心させてやりたいという気持ちも沸いた。
 でもこの時代に十年以上。その十年以上の間に、クオードはビャンさんの故郷を消滅させ、数えきれぬ命を奪い、今も虐げている。
 ルアム。ビャンさんの声が、目の前で言われたように鮮明に蘇る。
 『無事に帰ってきてたもれ。余はそれ以上を望まぬ』
 強制労働施設で働かされていたガテリアの捕虜達を、大きな目的の為に動いているリウ老師を、ウルベアの地下でゴミ同然に打ち捨てられた民を、滅んでいなければ故郷を、救ってくれと頼む事も出来ただろう。未来を知っている彼が、残された人々のその後を予想できない訳がなかった。それを全て飲み込んで、僕達の無事を願ってくれた言葉。その目には真摯な光と、誰かに託さなければならない己への不甲斐なさが渦巻いていた。
『あぁいう、特定の時代で影響力が強い奴に、変な情報を与えるとロクな事にならないキュ。時渡りで様々な時代を行き来出来る事や、メレアーデの事を言わない事キュル』
 分かってる。そう言った声はカラカラに乾いて声にならなかった。
 湧き上がるのは怒りだ。かつて故郷が燃えた時、誰も助けられなかった自分を燃やしていた激しい憎悪。眩暈がして体が悪寒に震えるのを堪えられなかった。
 もう、クオードがガテリア皇国を滅ぼした過去は覆らない。
 どんな痛切な理由があったとしても、とても許せそうになかった。
「だから、黙って、キュルル」
 酷く冷たい言葉を言った気がする。それでも、時の妖精は怒りも悲しみも感じさせず、相変わらず無感情に僕の言葉を受け取った。
『了解キュ。エネルギー温存の為、睡眠待機するキュ』
 それでは、お休みキュル。
 僕が力任せに床を踏みつけ強い音が反響した時には、もう誰もいなかった。