The Fountaln Of Dream

 旅人は赤いあんよで、泉の水をばしゃばしゃ跳ね散らかして進みます。台座はみるみる近づいて、勢い余ってごっちんこ! ぽよよ、いてて。甘いミルクで固めたような台座を、おでこを摩って見上げた旅人はくりっと首を傾げます。
 この先は、どうすればいいのでしょう?。
 うーんと悩んで三秒間。旅人は『ま、いっか!』と、ぶつかった拍子に散らばった夢を集めて台座の上に乗せました。夢たちはぱっと輝くと、一つの杖になりました。お星様が先端について、赤と白の持ち手が螺旋を描く可愛らしい杖です。星の杖はキラキラと輝きを星屑に変えながら、台座の上にピンと立ちました。
 変化は直ぐに起きました。泉の水がぐらぐら、ゆらゆら。沢山のさざ波が鏡のような泉に、沢山の亀裂を入れたのです。旅人が立ってられないと台座にしがみついた瞬間、泉から沢山のトビウオが空に駆け上がったのです!
「ぽよ!」
 虹色の羽を伸ばし、銀色の体がオーロラ色を吸い込んだトビウオが群れをなして夢の泉の上を泳ぎます。旅人はとても綺麗で、大きいお口を開けて見入ってしまいます。美味しそうって、ちょっと思っちゃいました。
 しかし、泉はぐらぐら、ゆらゆらのまま。旅人が不安に思っていると、目の前の水面が大きく膨らみました。大きな鯨が泉から突然飛び出して、トビウオの群れをばくり! 大迫力のあまりに、旅人は泉の中に転げ落ちてしまいました。
 泉の中をがぼぼがぼ。でもでも不思議、息ができるし溺れたりなんかしません。
 泉の水はまるで昼と夜の間にある不思議な紫色に、沢山の星が浮かんでいるかのように美しいのです。そこから沢山色んなものが水面を目指していきます。ちょうちょだったり、たんぽぽの綿毛だったり、風船だったり、風に飛ばされた麦わら帽子だったり、色付いた木の葉だったり、瞬き一つの間に巡り変わるそれらは、旅人の視界を埋め尽くすほどに沢山なのです。
 旅人が水面を目指して、ぷはり。すると驚いたことに、一面林檎でいっぱいです! 真っ赤に熟れた林檎の甘い香りに、旅人は堪らず一つに齧り付いてしまいました。あぁ! とっても美味しい! 瑞々しい果汁の甘みが口いっぱいに広がって、旅人の中にじゅわっと満ちていきます。しゃくしゃくした歯ごたえが、次の一口を急かすのです。旅人はもう一口と林檎に顔を寄せました。
 いたい。
 声が聞こえた気がしました。小さくて、気のせいだと思う程の声です。
 どうして、たべるの? ぼくは なにも わるいことを していないよ。
 旅人はびっくり。食べかけの林檎が喋っているのです。林檎は、旅人がかじりついた部分から、血のように果汁を滴らせます。旅人はひやりと背中に冷たいものを感じて、周囲を見渡しました。あんなに沢山あった林檎は、すべて食べられて芯だけになって転がっています。旅人は満腹で、それらの林檎を平らげてしまったのは自分なんだと理解しました。
 いたい。いたいよぉ。くいしんぼう。ぼくらが なにをしたっていうんだ。あぁ、種が割れてしまった。もう、木になれない。いたいよぉ。どうして…。なんの断りもなしに…。
 すすり泣く声が広がっていきます。旅人は思わず手に持った食べかけの林檎を取り落としました。ぐしゃりと、砕ける音がいやに大きく響きました。
 その音が切っ掛けだったのでしょう。悲しみの声が瞬く間に怒りの声に変わったのです。もう、言葉は津波のような声に意味を聞き取ることができません。ただ、強い怒りが旅人を飲み込まん勢いで吹き出したのです!
 旅人は慌てて逃げ出しました。
 夢は次から次へ湧き出していました。食べられたトビウオ達が腹を上にして浮かんだお腹の中、掘り尽くされた鉱山は旅人を追いかけるように崩れていき、平原が揺れて亀裂が走りあらゆるものが飲み込まれる!なんて酷い夢でしょう。これは悪夢に違いない。旅人は泣きそうな思いで走り続けました。
 ふと見上げると、いつも見慣れたデデデ山がそびえています。旅人は嫌な予感でいっぱいになりながらも、城の扉を開け放ちました。城の中はもう何百年も誰も住んでいないほどに、荒れ果てて朽ちていました。あんなにフカフカで気持ちが良かった絨毯は千切れて紙っぺらのよう。ガラスは割れて、壁が壊れて雷鳴で光る黒い空が見えます。旅人の足は自然に玉座の間に向かいました。今、唯一頼れる大王がいつも座っている場所です。
 ピシャーーン! ゴロロ…
 神鳴りで黒く塗りつぶされた玉座には、誰かが座っているようでした。
 旅人は不安で不安で仕方ありません。こんなに悪い夢ばかり見るのです。ここに座っているのが、大王の亡骸だったらどうしよう。大王に縋りたい思いと、確かめたくない不安に揺れる旅人は、まぁるいピンクの体を絞り出すように問うたのです。
「だいおう…?」
「いいえ。わたくしは、大王ではありませんよ」
 大王の声ではありません。低く、穏やかな声。旅人は胸を撫で下ろしました。
「ぼく カービィ!」
 自分を奮い立たせて元気いっぱいに挨拶すると、旅人は自分に力が満ちて来る気がします。誰かに出会えて、ホッとしてもいます。
 玉座に座っている相手は、立ち上がり旅人に歩み寄りました。とても背の高い、ポップスターでは見かけない種族です。昼と夜の境を切り取った外套がすっぽりと体を覆い、目元は夜を塗り固めたようなメガネで見えません。しかし、口元は好意的に持ち上がっていて、雰囲気はとても穏やかです。相手は腰を折り、夜の底のような低い声で言いました。
「これはこれは、ご丁寧に。わたくしは、ナイトメアと申します」
「あのね ぼく まいごなの」
 旅人はナイトメアに訴えました。夢の泉に夢を戻したら、ひっちゃかめっちゃかで ぐちゃぐちゃで ぺっちゃんこになりそうです。でも、見るもの全てが嫌なものばかり。どうにかしないと大変です。どうしたら良いのでしょう。
 旅人の言葉に、ナイトメアは細長く尖った鼻筋を枯れ木のような指で撫でました。
「夢の泉は夢が溢れる場所。なんら問題はございません」
「いままでの ゆめ いいの ばっかり! いやな ゆめ みなかった!」
 旅人の悲痛な声が荒廃したデデデ城に響き渡ります。旅人は、こんな城の姿なんか見たくないのです。大王がどうなってしまったのか、嫌な予感がする夢をどうして夢の泉が見せるのかわからないのです。
「良い夢も、悪夢も、同じ夢。コインの表裏のように、切り離すことはできないのです。貴方にとって良い夢でも、誰かにとっての悪夢かもしれない。林檎は美味しゅうございましたでしょう?」
 黙り込んだ旅人に、ナイトメアは言いました。
「良い夢とは、誰かの悪夢の上に成り立つのです」
「ちがう! そんなこと ない!」
 プププランドに悲しい顔をした住民が居たでしょうか? いいえ、居ません。みんな笑顔で、楽しくて、呆れるほど平和な世界。それが誰の悪夢の上に成り立っているなんて、とんでもない!
 旅人は昼の空色の瞳を尖らせ、周囲からにじり寄る悪夢を睨みました。玉座の闇から何かが立ち上がる影を見ましたが、もう恐れたりなんかしません。プププランドを巡って預かってきた素敵な夢に触れた旅人だからこそ、夢は全てを変えてしまうほどに強力な力だとわかったのです。
「ぼくたち あくむ うまない!」
 旅人の手がいつの間にか星の杖を握りました。純白の光が周囲を照らし、それが虹の輝きになって悪夢を打ち払います。旅人を嘲笑うように囲んでいた悪夢が、あるものは音を立てて蒸発し、あるものは悲鳴をあげて逃げ、あるものは恐ろしい罵声を浴びせてのたうち回ります。
 しかし、ナイトメアは悠然と立ち、朗らかな笑い声を上げたのです。
「おぉ! スターロッドの輝きの、なんと眩しいことか! しかし、わたくしを退けるには、まだ、至りませぬよ」
 ナイトメアが星の杖に手を伸ばします。ナイトメアの手が生み出した影に、多くの悪夢が潜んでいるのです。悪夢達がナイトメアに言うのです。さぁ、スターロッドを掴んで、今度こそ破壊しよう。望まれぬ我らに見向きもしなかった者達の頭を掴み、我らの存在をその目に焼き付けてやろう。毎夜毎夜、枕元に立ち、今まで我々が感じていた苦しみを味あわせてやろう。
 ナイトメアの笑みが深くなる。その枯れ木のような指先が、もうすぐ星の杖に届いてしまいそうなのです。
 旅人は迷います。背を向けて逃げ出せば、旅人の影がナイトメアに重なる。悪夢が一気に膨らんで、旅人を飲み込んでしまうでしょう。
「宇宙を巡る旅の人。ここは貴方にとって、ちょっと寄り道しただけの星。この星のことを忘れて、旅立ちなさい」
 ナイトメアは甘ったるい声で、そう囁きました。
「そうすれば、貴方だけは助かるでしょう」
「いやだ!」
 旅人は強く体を振りました。この星のことを忘れることが、どうしてできましょう。プププランドで出会った多くの人達が、次々と旅人の脳裏をよぎります。美味しい林檎の匂いを漂わすウィスピーウッズ、おこりんぼのクラッコ、でこぼこコンビな太陽と月、短気でまっすぐなカブーラー、のんびり日向でまどろむワドルドゥ達、そして…思い浮かべたらキリがないくらい!
 それに、旅人は今まで立ち寄った星々のことだって忘れたりなんてしません。
 ただ、この星は、少しだけ思い出が多いだけなのです。
「ぼくは にげない!」
 ナイトメアの指先がついに星の杖に触れる、その爪がピクリと動きを止めました。
 ナイトメアの背後の暗い闇を、黄金の光がなぎ払ったのです! 突然の乱入に、ナイトメアは衣を翻し大きく横へ飛びすさりました。まるで夜が明けた時のような、黄金色の光が旅人の目に飛び込みます。光の側に見慣れたシルエット。ふかふかの襟、なだらかな背中のライン、ちらりと旅人を見た瞳は曙色に染まっていましたが、にやりと悪そうな笑みを見間違えるわけがありません!
 旅人は大きく開けた口から、信じられない大声で彼を呼びました。
「だいおう!」
「俺様が来るまで、良く凌いだな!」
 大王は笑うと、そのまま黄金のハンマーを振りぬきます。輝く彗星が黄金色の尾を引いて、ナイトメアに飛んでいきます。彗星に追撃して肉薄すると、黄金のハンマーが炎を上げて燃え上がります。まるで太陽のような光。ナイトメアに逃げる隙など与えない一撃は、夜を打ち抜き、廃墟のデデデ城の悪夢をもバラバラに打ち砕いたのです!
 世界がひび割れガラスのように砕けると、そこは夢の泉の乳白色の台座の前。戻ってきました!
「つよい! だいおう すごい!」
 まぁるいピンクに褒められて満更でもなさそうな大王ですが、その視線は鋭く前を見つめています。
「喜ぶのは、まだだ」
 台座の奥から闇がぽっかりと浮かんでいます。それは、夜空をぎゅっと固めた丸いもの。漆黒から明けに近い紫に移ろう色彩の中に、キラキラと無数の星を抱いています。形は丸いけれど、まるでブラックホールのように底の知れぬ何かを感じずにはいられません。
 丸いものはふわりと浮かんで、オーロラが棚引く夜空へ飛び立ってしまいました。驚いた時には、もう目を凝らして見えるかどうか。とっても早くて、旅人は目をパチクリ。
「にげた?」
 呆然とする旅人を、大王がむんずと掴みます。ぽよよ。バタバタする旅人は、オーロラの美しい夢の泉の空に投げ出されてしまいました。くるくる回る世界で、大王が旅人に向かって黄金のハンマーを投げました!
「カービィ! お前が、追え!」
 ハンマーは彗星になって旅人を乗せると、すごい勢いで駆け出しました。瞬く間にオーロラのカーテンを抜け、夜空の中に飛び出します。星は七色の尾を引いて、一直線に逃げ出した丸いものを追いかけているとわかります。ポップスターの成層圏を駆け抜けて、月があくびをする前を横切り、眠っている地上を見下ろしていると、ついに見つけたのです。
 彗星が輝くと、ぱっと消えてしまいました。
 黄金の光と虹の尾が星の杖に吸い込まれると、星の杖はまるで満月のように輝きます。その輝きに夜を固めた丸は闇から浮き出て、旅人からくっきりはっきり見えたのです。ナイトメアを追い詰めた! 旅人はナイトメアを倒そうと、星の杖を構えます。
「ついに、スターロッドが蘇りましたね。ですが、貴方がわたくしを倒す為にスターロッドを使えば、貴方を運んでくれた星の力を使うことなく地上に落ちて死ぬでしょう」
 夜空を切り取った丸はナイトメアの声色で言いました。
「死にたくなければ、わたくしを見逃すことです。たかが、夢。貴方の命を賭ける事ではありますまい」
 それは旅人の命を天秤にかけようとする、ナイトメアの命乞いです。そう、誰もが自分の命が失われるとなれば、怖じ気つくものです。それに現がこれほど近い場所で夢であっても死ぬことは、肉体は死なずとも二度と目覚めることが出来ないほどのダメージを負うもの。ナイトメアの言葉に嘘はありませんでした。しかし、言い切ったナイトメアは、ひどく混乱しました。
「ぼく しなない」
 旅人は笑っていたのです。
「あぶない なら デデデは ぼくに いかせない」
 光は曙色の暖かな色ではもうありません。純白の閃光が、光を抱いてなお暗い混沌色の黒を消しとばしたのです。
 旅人は太陽がポップスターの輪郭に、ひょっこり頭を覗かせたのを見ました。黄金色の暖かな光が、まあるいピンクの輪郭を溶かしていきます。淡い菫色であったのは一瞬。すっと刷毛で空を掃いたように、青空が鮮やかに広がっていきます。雲をぼすぼす突き抜けて、眼下に広がる緑が鮮やかに濃くなって香りまで感じられていきます。
 旅人は落ちていく先に赤い点があるのに気がつきました。
 赤がなんであるのか、旅人は知っていました。瞬きする瞬間なんかありません。赤は両手を広げて、落下した旅人を受け止めたのです! 受け止めた拍子に、赤もピンクも柔らかい草原の上をごろり。ぱっと飛び立ったタンポポの綿毛が、青空の中をキラキラと舞い上がっていきます。旅人は抱きしめられて包まれた、プププランドの香りを体をぷっくり膨らませて吸い込みました。
「おはよう。カービィ。二度寝をするか?」
 大王は腹に乗った旅人に、意地の悪い笑みを浮かべて聞きました。
 そこは、旅人が昨日眠った草原でした。
 大王は旅人にナイトメアを追わせた後、この広大なプププランドの中から眠る旅人を探し出したのです。そしてナイトメアを倒した、この絶妙なタイミングで起こしてくれたのです。一晩、いいえ、もっと短い朝までの時間に、旅人を探し出せなかったらナイトメアの言葉の通り二度と目覚めることができなかったことでしょう。
 でも、旅人は知っています。大王が旅人を助けたことは、大王にとって奇跡でもなんでもないのです。
「うん! スターロッド ゆめのいずみ かえしに いく」
 旅人は大王のまるいお腹の上から、大王を覗き込みました。
「だいおうも いく でしょ?」
 こんな暖かい日差しのお布団と、爽やかな風のシーツに包まれて、暑すぎたら日よけの雲が通り過ぎ、ふかふか草のベッドが広がっている。そして、再び素敵な夢が見られるなんて、二度寝をしないなんてもったいない! 大王だって『まあな』と笑って目の下の隈を摩ると、すうっと目を閉じて寝入ってしまいます。
 旅人はちょっと上下するベッドを降りて、草と花の香りのするベッドにごろり。赤いふかふかガウンを枕に、目を閉じます。
 知るものだけが、二つの寝顔に囁きました。
 おつかれさま。おやすみなさい。
 よいゆめを…