GREEN GREENS

 強い風が森の葉を掻き回し、葉っぱはざわざわと音を立てて笑います。
 あぁ、春が来る。春風だ。そうウィスピーウッズは微笑みました。
 春は森にとって喜ばしい季節。雪解けの甘い水が大地に染み通ると、木々は葉を膨らませ幹を反らせて力一杯根っ子で吸い上げます。花々がそれを見て、絶えきれずに花弁を開いて大笑い。草がにょきにょき生えて、山菜採りにやって来た旅人をどうやってくすぐってやろうか相談しています。寝ぼけ眼の熊を嘲笑うように、働き者の虫達が右往左往と駆け回るのです。
 深い森の暗闇に、ちかりと星が落ちたのをウィスピーウッズは知っていました。それどころか、星にはピンクの真ん丸旅人が乗っているのも、旅人がどうして森にやってきたのか、彼が何処を目指しているかもウィスピーウッズは知っています。
 彼はプププランドを含むポップスターの木々達の主だからです。彼は枝に止まった雀達の噂話に耳を傾けるだけで、ポップスターのありとあらゆる事を知る事が出来ました。遠くで祝う言葉が響けば自分の事のように喜び、近くで誰かが息絶えればそっと木の葉で覆って涙を流すのです。
 丁度、ウィスピーウッズの前を、ピンクのまあるい噂の旅人が通り掛かろうとしています。
「こんにちわ。旅の人」
 ピンクのまあるい旅人は、何処から声が掛かったんだろうと丸い身体をくるくる回します。まあるい身体を支えているのは、やや平べったい赤い足。丸い身体の横からは、ちょこっとお手々が出ています。
 永い永い年月を生きているウィスピーウッズは、これはまた珍しい客人が来たと笑いました。
 幹も木の葉も枝も、笑ってゆさゆさ。旅人はようやく壁のようにそそり立つ沢山の大木の一つに、視線を向けました。とても大きい大木の幹に開いた二つの穴と、一つの細い枝と、口みたいな穴があります。良く見れば穴は笑っている形に見えなくありません。
 あぁ、これが顔かぁ。旅人はしげしげ感心です。
 旅人は笑ったウィスピーウッズを見上げて、ちょこんとお辞儀をしました。
「こんにちわ ぼく カービィ」
「これはこれはご丁寧に。私はウィスピーウッズだ」
 ウィスピーウッズは幹に浮かんだ表情を崩しました。鼻先に止まった鳥が幹を突こうとしたので、駄目だよと息を吹きかけて払います。
 森の時間で生きているウィスピーウッズのゆっくりとした雰囲気に、旅人のお腹がぐぅっと鳴りました。旅人は見た目通りの可愛らしい仕草で、お腹の辺りを擦ってしょんぼりと表情を曇らせます。森の主が身体を揺さぶって笑うと、旅人の頭上の葉が揺れて林檎が一つ落ちてきました。
 こつん。あいたた。旅人は突然の林檎を目を白黒させて見つめました。
「どうして たべものが あるの?」
 旅人は舌っ足らずな言葉遣いで、子供のような高い声で訊ねました。
 プププランド中の食べ物が、何者かに奪われてしまって町の人が困っていました。盗んだ犯人がこちらの方に逃げて来た事を、住民は旅人に話していました。旅人は犯人を追って、町の人たちの為に食べ物を取り返そうとしているのです。
 ウィスピーウッズは旅人の問いに、幼子に教える教師のように言いました。
「それは、食べ物泥棒と私が友達だからだよ」
 旅人は青い瞳を真ん丸に、口もぽかんと開いてしまっています。
「ともだち わるいこと してる とめないの?」
 ウィスピーウッズは答えに窮しました。彼はポップスターの出来事をほぼ全て知る事が出来るが故に、他人がどんなに悪いと言っても彼が悪いと言いきる事が出来なかったのです。何事の行いもどう転じるかも分からぬ為に、止める事も軽々しくはしません。彼は正解が沈黙であると悟る程に長生きでした。
 旅人は森の主の表情を暫くじっと見ていましたが、キッと表情を凛々しくさせて林檎を口の中に放り込みました。
「きみの ともだちは どこにいるの?」
「残念だが、教えられないな」
 葉ががさがさ揺れると、ぽこんと林檎が落ちてきます。狙ったように旅人の真上です!
 旅人はひょいっと林檎を避けると、小さい手で林檎をキャッチ! そしてぺろり!と一口で平らげてしまいました。
 なんて美味しそうに食べるんでしょう。ウィスピーウッズは愉快そうに笑いました。
「さぁさぁ、まだまだあるよ。お腹が破裂しないうちに降参なさい」
 空を覆い隠す程に深々と生い茂った木の葉が、ポピーブロスJr.やSr.の爆弾の音に負けない大音量を伴って揺れました。
 旅人が見上げれば、なんということでしょう!林檎が土砂降りです!
「ぽよっ!」
 目の前にまで迫った林檎の甘酸っぱい香りと、色とりどりの赤あかアカ!
 このままでは、ピンクの旅人は哀れ林檎に生き埋めでしょう! しかし、旅人は逃げません。
 旅人は降って来る林檎に向けて、大きく大きく口を開いたのです。
 すぅ
 森の空気が動きました。穏やかで無風である事が常の森を、ゆっくりと風が通り抜けて行きます。降り積もった木の葉が転がり、鳥達が風に引っ張られて地面に落ちました。熊が何事かと顔を上げて風に触れれば、転がされる程に風は次第に強くなって行きます。
 風は強くなる。
 何処から吹いて来るのか、森の誰もが疑問に思っていましたがそれどころではありません。地面に深く根ざした木々でさえ、踏ん張らなくてはなりません。森の住民は誰もが耐え忍んで、風が止むのを待っていました。
 ウィスピーウッズは風の中心を、信じられない気持ちで見ていました。
 風は、旅人が林檎達を吸い込む時に生まれた空気の流れだったのです。森を吸い込み空まで飲み込んでしまいそうな程に、強い強い吸い込む力。旅人に向かって落とした夥しい数の林檎は、ピンクの身体の何処に消えて行ったのでしょう。吸い込まれ飲み込まれて跡形も無くなっていました。
 小さいピンクの身体から、げふっとゲップが漏れました。
 ウィスピーウッズは身体を揺らすと、もう林檎は一つしか無い事に気が付きました。
「おやおや、そんなに林檎を食べられたのは初めてだ。参った参った。完敗だ」
 森のあらゆる所から、強風が止んだ事に安堵する声が響き始めていました。ウィスピーウッズもほっと息を吐くと、お腹いっぱいになった旅人が吐息に煽られころりと転がりました。旅人が起き上がるのを待って、ウィスピーウッズは旅人に言いました。
「君が取り返したい食べ物は、デデデ山にあるよ」
「デデデ やま?」
 ピンクの旅人が首を傾げたつもりのなのでしょう。丸い身体がくりっと傾きます。
「とても遠いから気をつけなさい」
 はーい。旅人が手を挙げて応えると、空から星が一つ落ちてきました。
 星はキラキラ輝きながら、旅人の前にくるくる回りながら留まっています。その星にまあるいピンクの旅人が乗っかると、星はふわりと浮かんだのです。星の輝きと同じくらい、旅人は眩しい笑みを浮かべてウィスピーウッズに手を振りました。
「りんご おいしかった! ありがとう!」
 星は森の木々を突抜け、瞬く間に空の彼方に消えて行きました。旅人はデデデ山が何処にあるのか分かっているんでしょうか? ウィスピーウッズは少々心配になってしまいます。
「やけに騒がしかったな」
 重たい足音を響かせて、ウィスピーウッズの前に新たな客さんがやって来ていました。赤いガウンを着込んだ大柄なお客さんは、周囲をきょろきょろと見回しています。丁度、旅人が立っていた場所まで進むと、吸い込まれた風に薙ぎ倒された草が円を描いているのを見下ろしました。お客さんはふむと、黄色い厚手のミトンで黄色い口元を擦ります。
「気が付かなくて、すまなかったね。君の先客の相手で忙しかったんだ」
 大柄なお客さんは巨大なハンマーを担ぎ直して、『気にするな』と笑いました。そんなお客さんの真上の葉が揺れます。
 こつんと赤い帽子の上に落ちたのは、とても甘い香りを漂わす金色の林檎でした。一年に一度だけ、ウィスピーウッズに実る極上の林檎です。お客さんは嬉しそうに金色の林檎を受け取ると、とても美味しそうに平らげてしまいました。
 ウィスピーウッズのお客さんは、とても幸せそうに笑って言いました。
「毎年ありがとよ。あんたの林檎は宇宙一だぜ」
「私の林檎を、そんなに美味しそうに食べてくれるんだ。私の方こそ礼を言わないとね」
 にっこりと笑ったウィスピーウッズに、お客さんも楽し気に笑いました。
「今日は何時になくご機嫌だな」
 春風が通り抜けた後の緑は、まるで洗われたように鮮やかでした。