そして伝説へ…

 ラダトームにはアレフガルド中の国民が集まりつつあった。
 家という家は窓から祝いの旗を吊るし、置ける場所を埋め尽くさんと花で飾る。人々は祭よりも華やかな装束で身を飾り、祭とは違った羨ましさと喜びに表情を輝かせる。露天を展開する商店は明るい声を張り上げて客を呼び、子供達が動物達と走り回る。時にこれをきっかけに告白をして、良い結果を得た人間が路上で踊り回る様子も見られる。誰もが喜び、怒りや憂いの表情を忘れてしまったかのようだった。
 祝福の言葉と、褒めたたえる言葉と、平和が続くように祈る言葉が城や町中に響き渡る。教会の鐘は祝福の鐘を打ち鳴らし、紙吹雪が舞い踊る。アレフガルドに光を再び取り戻した勇者と、この世に2人といない麗しく美しい姫君の結婚式だと国中が騒ぎ立てていやがるのだ。昨日は傭兵仲間に散々どつき回されて、俺としては傷に塩塗られたような気分だ。
 そう、俺とローラは結婚するんだ。金という報酬が、勇者という名声とローラに化けたのは予想外だったなぁ…。金の方が良いとは言わんけど、とりあえず金くれ、金。
 昔ながらの仕来りを重んじるなら、花嫁に会いに来るのは良く無いのだが、そんな事など気にしない俺はローラの部屋に忍び込んでお喋りをしていた。白銀に青い鋼の装飾を施した豪華な鎧だが、俺が注文付けたお陰で見た目以上に動きやすい。俺が忍び込んで来たのを可笑しそうに見て、人払いして一人で居たローラも俺を出迎えてくれた。
 ローラは純白のウエディングドレスに、幾重も幾重も真っ白いレースを重ねてボリュームのあるスカートの上で上品に手を重ねて座っていた。女官に施された気合いの入った化粧は、心配した程の厚化粧にはなっていない。シンプルなヴェールは、彼女自身の金髪の上にふわりと上品に乗っかっている。
 ハッキリ言うが、今日のローラも普段着ているような姫様のドレスとあんまり代わり映えしない。清楚な印象はあるが、どんなに着飾っても中身は変わらねぇ。俺もこんなナリでも言わない所を見ると、ローラも同じような考えなのだろう。
「なぁ、ローラ。本当にアイツら来るのか? 本当は一番に祝福してもらいたいんだがな」
 振り向き様に投げかけた問いに、純白のウエディングドレス姿のローラはヴェールごしに首を傾げた。
 イトニーに一週間前に招待状を渡したのは、他でもないローラだ。あのイトニーが書類を渡し損ねるという事は無いだろうが、竜王が研究に没頭して忘れている可能性がある。それとも、没頭してる竜王に発破を掛けようとして、イトニーが焦がしてしまったなんて現実味のある推測だって立つ。傭兵共は噂を聞きつければ仕事そっちのけで冷やかしに来るし、ローラは王国から書状を管理する文官が招待状を書いてくれているから、俺達が個人で出した招待状は竜王とイトニーだけなのだ。
「アイツの事だから、本当に来ないつもりじゃないだろうな。人様に『親友であるアンタに祝福して欲しい』とまで書かせやがって…」
 俺は八つ当たりにスライムにチョップをかます。いい感じに凹んだので、俺のイライラも少しは収まった。
「書いたのはあたしじゃない。アレフの字は汚すぎて読めないもん」
 花嫁の風船のように膨らんだほっぺたを、俺は「悪かったな」と指で押して引っ込めさせる。
 ローラがとても残念そうに目を伏せた。今日の今がローラの地をさらけ出して接する事ができる、数少ない時間だからだ。このタイミングを逃すと大勢の人目があるので、ローラも言いたい事も言えなくなる。
 俺はローラの手を取った。シルクの手袋越しでも驚く程に冷えきっているし、緊張なのだろうか顔が強張っている。
「んな、顔するなよ。一応めでたい日って奴なんだから」
「そうだね。あたし達の結婚式だもんね」
 ローラの顔も綻んだ。
 まぁ、自分の地を知ってる奴と結婚できなかったら、ローラの奴は一生猫をかぶるつもりだったろう。それに麗しい姫君が実は我が儘娘でしたなんて事が知れ渡った日には、ラダトームが崩壊するかもしれん。ローラは俺との婚約を少なくとも嫌とは思っていないのに少しだけホッとする。
「アレフ、結婚式はどんな感じで行われるか分かってるよね?」
「大体は分かってるつもりだが…」
 俺は少し白銀の豪華な鎧の襟首を引っ張って、喉元を緩める。
 傭兵間の恋愛と結婚は早いというか軽く、男も女も環境や状況もあって手が早い。実は俺はそう言った浮いた話も恋愛談も同期の傭兵と比べれば格段に少なく、傭兵の業界の中では奥手とか堅物とかそんな評価が下されている程である。仲間の結婚は数多く見て来て教会で行う本格的な物から、飯屋を貸し切って行う略式まで様々だ。だが、どれもリングを交換して誓いの言葉とキスを交わすのは同じだ。
「結婚式のキスがファーストキスなのはとっても素敵なんだけど、平気? 練習する?」
「練習必要なのかよ」
 意味が分からんと、俺は露骨に嫌な顔をしてみせる。恥ずかしくて硬直でもするとでも思ってるのか?
 言い返そうと思った時、廊下の人の気配がざわついたのを感じた。誰かが来るのだろう。俺はローラに一つ目配せして窓を開けてバルコニーに出て、部屋が覗ける位置に隠れた。本当はスライムが姿を隠す呪文でも使ってくれると楽なのだが、スライムなので期待はできない。
 ドアがノックされてゆっくりと扉が開いた。あの無駄好き国王がいつもより豪華そうな身なりでローラの前に進み出た。その顔はヴァージンロードも歩いちゃいないのに、涙腺が完全に決壊している。ローラの父親は再び昇った太陽と同じく、心の底から嬉しそうにこの日を喜んでいた。勇者と呼ばれても素性は傭兵で、貴族の抵抗もそれなりにあっただろう。お前はローラ姫に相応しく無いと俺にご丁寧に忠告してくれた鼻っ柱の強い奴もいたし、当然そんな野郎の鼻は物理的に折ってやったりもした。
 それでも、国王はローラとの縁談を支援した。父親としての国王は全面的にローラの味方で、猫を被っているとはいえローラとの距離も大分近づいたらしい。
「ローラ…。お前の姿…天国の母さんも喜んでいるだろうよ」
「お父様…。今日までローラを育てていただき有難う御座います」
 演技ではない感謝の言葉に、俺はスライムを掴んでそっと窓際から離れた。バルコニーの端に引っ掛けていたロープをするすると降りると、城の庭に出た。庭園を横切った先は城が丘の上に建っている事もあって、城下町と海峡を挟んだ竜王の城まで見渡す事が出来た。竜王の城は険しい切り立った崖と山で構築されている島から、僅かに白い壁を覗かせている。
 俺が竜王を倒したって噂が流れているものの、今でも人々は竜王の存在を恐れてあの島に近付かない。魔物の存在は相変わらず人間には恐怖の対象のままだったので、竜王の存在というよりも竜の王が住まっていて竜を始め多くの魔物が居る場所として恐れているようだった。どっちにしろ島に渡る方法が空を飛ぶだけなのだから、人間が再びあの地に踏み入れる日は相当遠くにある事だろう。
「スライムよぉ…お前は転移魔法とか使えないのか?」
 スライムの体を突つくとスライムはフルフルと揺れるだけ。俺はそっとため息をついた。
 ロトの剣を渡して別れたあの日から一度も会っていない。いつでも会えるかと思ったが、実際はそうはいかなかった事が恨めしかった。外に出る事を諦めちゃいないとは分かっていたが、俺もこの機を逃すと二度とアレフガルドから出られないんじゃないかって思うと焦りを抑えられなかった。

 ■ □ ■ □

 凄いよな、王女と傭兵の結婚式だからだろうが式場は正に混沌としてる。
 豪華な身成の貴族が居ると思えば、そう離れていない所に傭兵の一団がいたりとかする。貴族達もこれからの戦略的にもローラの結婚式に出る必要性があるのか、陰謀っぽいお喋りをカミサマの前で堂々と良く出来るもんだな。それに比べりゃ、冷やかし兼ねて手を振って来る傭兵達の方が俺達の事祝福してくれてるって感じだな。ラダトーム大聖堂の巨大な聖堂の中は、足の踏み場も無い程沢山の人間が詰めかけている。本当は粛々としたかったのにこんなになったのも、きっと傭兵が原因だな。全く、俺の結婚式なんて見て楽しいのかよ。
 そのうち神父に祭壇の前で待つよう指示を受けて大人しく従う。
 正面にあるミトラのステンドグラスの前に、精霊ルビスの石像が建っている。残念ながら俺が会ったあのルビスに似ていなかったが、それでも美形を意識して作られたのは分かった。
 扉が開く音が、これまた油差すの忘れちまったのかと思うような音を響かせた。人々は振り返り、ラルス16世に付き添われたローラが現れると人々の間に細波の様に感嘆の声が漏れた。深紅の絨毯を歩く二人が真っ直ぐこちらに向かって来る中で、ローラは人々の声に微笑む様に応えながらイトニーと竜王を探しているようだった。ここから探してもあの目立つ二人組が見えないんだから、やはり見つからなかったらしい。ローラは俺に分かるくらい小さく首を振った。
 大神官の祝詞を上の空で聞いている。パイプオルガンの音色が、厳かな空気を壊す事無くゆったりと流れる。
 すると、俺は微かな騒ぎを聞き止めた。それは俺だけじゃなく、式に参列していた傭兵達も顔を見合わせて外へ視線を向ける。ざわつき始めた城内に、ついに悲鳴が轟いた。
「貴様等! 今がどんなに大事な…うわぁぁあああ!!」
 男の声が響いたと同時に、木製の扉が押し破られた。悲鳴を上げた儀仗兵は深紅の絨毯に無様な格好で横たわり、その前に逆光に遮られながらも堂々と立つ男女がいた。こんな事をする奴は俺の知る限り奴らだけだ。ローラが駆け出すと、教会のシャンデリアの真下あたりでカエルが潰れたような短い悲鳴が上がる。
「お前はアレフの妻になるんだろ!? そんな大事な日に私に抱きつくな! あぁもう、離れろって!」
 人間の結婚式とはいえ、正装という概念がすっぱ抜けているらしい。旅装束姿で人間に化けた竜王が、真っ白い純白のウエディングドレスでめかしこんだローラに抱きつかれあわあわと両手を泳がせている。竜王の傍らでスライムを乗せた大型の鞄と鋼鉄の剣を持ったイトニーが何かローラに声を掛けると、ローラも嬉しそうにイトニーに抱きついた。
 この騒動に大神官や貴族が唖然とする中、流石修羅場を潜り抜けた傭兵諸君は動じない。俺が乱入者二人に歩み寄る合間に、飛び出して来ては頭を掻き回してくれるわ鳩尾に拳は叩き込んでくれるわ手粗い歓迎をしてくれる。一番痛いのは『あんな可愛い姫さんが嫁かぁ』で始まる言葉なのだが。
 どうにか胴上げされるのだけは阻止した俺は、もみくちゃにされながら竜王達の元に辿り着いた。
「人間の結婚式は想像以上に賑やかだな」
「こういうのは結婚式って言わねぇの。全く、滅茶苦茶だぜ」
 がりがり頭を掻きながら向かえば、竜王がそう言って俺を迎える。俺がどうにかローラの元に辿り着けば、イトニーは上品に頭を下げた。
「ご結婚おめでとう御座います。新婚旅行の行き先はお決まりですか?」
 イトニーの発言に周囲に野次馬として集っていた傭兵共が、何故か盛り上がる。気が早いというか、やはり旅好きで冒険好きなのだろう。周囲の口笛や冷やかしの声に俺が鋭い睨みを利かせてもこたえない連中を無視する事に決めた。俺はちょっと疲れを感じながらも、イトニーに訊ねた。
「もう、新婚旅行の話か?お節介なイトニーの事だ。行き先だって決めてあるんじゃないのか?」
 『勿論です』とイトニーが大きく胸を張って竜王に目配せする。竜王が少しクマの浮いた目を笑わせて、ちょっとだけ胸を張る。
「行き先は新天地さ」
「マジ!? …おいこら野次馬共押すな!!」
 俺の声がかき消される程のどよめきと、もっと良く聞こうと俺を押し退けようとする傭兵共を殴って黙らせる。どさくさに紛れてローラに触れようとする下衆な輩は、イトニーが裏拳で何人か踏み難い床と化している。波の様に広がる新天地の情報を横目に、竜王は笑いながら言った。
「お前達が、新天地の旅行者第一号って事だ」
「ドラゴンの背中に乗って、最寄りの大陸まで送るサービスもお付けいたしますよ」
 俺が竜王を見ると、彼は笑って頷いた。光の玉を使いこなし、本当に闇の衣に大穴を開けやがったって事だ。おせっかいなイトニーなら本気で新婚旅行に間に合わそうとか思うかもしれないが、竜王もそんな理由の為に頑張っていたのかと思うと感動すらしてしまう。ローラを顔を見合わせれば、輝くような笑顔だ。送られるお祝いの中じゃ一番嬉しい贈り物だな。
 そしてローラが俺に目配せして俺の手を取った。人間姿の竜王とイトニーに向かい合うと、ローラの元気いっぱいの声が大聖堂に響き渡った。
「祝福して下さい!」
「はぁ!?」
 あんぐり口を開ける竜王に俺は苦笑する。別に魔物に、ちゃんとした式を期待している訳じゃない。俺は竜王の腕を軽く叩いた。
「テキトーでいいからよ」
 竜王もようやく理解すると、イトニーを横に引き寄せた。
「イトニー、気の利いた言葉が言えんから、代わりに言ってくれ」
「いいですよ」
 イトニーが快諾すると一歩進み出て俺達の顔を交互に見遣った。
「では新郎新婦様、新天地に旅立っても仲良くしてくれると誓ってください」
 いきなり命令形かよ。ストレートで好きだけど、雰囲気は欠片もねぇな。
 傭兵達もそんな誓いの言葉に歓声を上げた。俺も好きだが、お前等も好き過ぎるのそんなに全面に出すなっつーの!! ローラは嬉しそうに、そして可笑しそうに笑いを堪えて肩を小さく震わす。俺だって呆れてつられて笑い出すと、なんかもうどうでも良くなって笑いが止まらなくなっちまう。こんな雰囲気で結婚の祝福なんかされるとは……、一生忘れそうにないな。
 俺達は笑いながら互いに深く頷き合った。
「祝福…かどうかは分からんが…」
 竜王が手のひらを差し出して『光の玉』を出すと、溢れる光が大聖堂を満たしてゆく。魔物であるイトニーもスライムも消す事のない優しく温かい光に包まれながら、俺はローラに向き直ってヴェールを外す。
 そっと、軽く、唇を重ねた。
 光が納まらぬうちに、ローラは驚いている人々の間を縫って大聖堂の外へ躍り出た。外では花嫁のブーケを受け取って、次に結婚しようと待ち構える女であふれかえっている。ローラが外に背を向けて、幸せいっぱいの笑顔でブーケを構える。そっとブーケの花束の香りに口付けする様に顔を寄せ、次の瞬間青空に向けて高々と頬り投げた。
 一陣の風が、大聖堂を掻き回した!
「……イ、イトニー」
「大人げないにも程がある」
 俺と竜王が呆れた様に、腰を抜かして驚いた人々の間でイトニーのとんでもない行動を見ていた。
 投げられたブーケは空中で見事にキャッチされた。蝶のような透ける美しい羽を羽ばたかせ、ドラゴンの姿に戻ったイトニーが空中で嬉しそうに頬を染める。その熱いまなざしが竜王に向けられているというのに、竜王は全く気付く素振りもない。こんな鈍感と俺達の次に結婚できるのか疑わしい限りだ。
 イトニーはゆっくりと女性達が開けた間に降り立つと、ブーケを竜王に投げて渡す。
「竜王様!お二人を送ってきますので、部屋に飾ってください!」
「はいはい、やっとくから送って来い」
 会場がざわつくのも構わず、竜王はブーケを受け取ると俺の背中を押した。俺は竜王を振り返るついでに、遥か奥の方で呆然としている国王に大声で宣言した。
「ラルス国王!俺はローラ姫と新しい世界を旅する!こんな所でじっとしていられねぇからな!」
「たまには遊びに戻って来いよ」
 竜王の言葉に笑って返すと、俺はローラを抱えてイトニーの背に飛び乗った。ローラの手にはイトニーが用意してくれた大きい鞄と鋼鉄の剣と、何故かスライムが乗っている。まあいいか。邪魔な訳でもないし。
 見送ってくれる傭兵達に、俺も大きく手を振った。
 イトニーが羽ばたく。視界はあっという間に高くなり、、ラダトーム城の一番高い尖塔まで飛び上がる。イトニーはそのままラダトーム城とその城下町を旋回してくれた。見慣れた町並みを見慣れない角度から見下ろす中で、誰もが俺達を見上げている。知っている顔も知らない顔も、貴族も傭兵も平民も、平原の方に目をやれば魔物達も、俺達を見ていた。手を振ってくれる者もいたが、その中で俺達を恐ろしく見る者も怯える者も居ない。光が戻るってことは、きっと太陽だけって意味じゃなさそうだ。
 ぐんぐん高度を高め、ローラにとっては見知らぬ広大な大陸に囲まれてアレフガルドを見渡せる高みに達した。ローラの感動する声を聞きながら、俺は初めて成し遂げた事の重大さを実感して溜息を零した。
 俺はかつて竜王と旅をした行き先を思い出しながら、ローラの肩に手を置いた。
「これから、いろんな所に連れてってやるぜ」
「うん!」

 後にロトの子孫と語られる勇者アレフは、ローラ姫と結ばれて世界を旅してゆく。
 そして流れ着いたローレシア大陸に2つの王国を築き上げた。アレフはその聡明さで勇者の名に相応しい国王となり、ローラ姫はその優しさで夫と国民を支えたという。彼らが築いた王国は、世界屈指の栄華を誇る大国となる。
 そう美化して語られるのは、彼等がどんな人物かを、人々が想像するようになってからである。

 THE END