故郷

 太陽が昇って照らし出されたアレフガルドは、俺達の良く知るアレフガルドとそう変わらない姿で目の前に広がっていた。確かに草木が草臥れ枯れている所もあったが、日の光はその傷跡も癒されるだろう希望を生き物に与えてくれる。人々も魔物達も心の底から太陽を喜んでくれているだろうが、それは長い長い夜が続いた事で光の尊さを知ったからだ。
 回復呪文の気怠さを体を温めながら回復させる俺達は軽く食事を摂りながら、高く昇った太陽を見上げていた。
 小さい魔物姿の竜王は体を伸ばして、嬉しそうに言った。
「紆余曲折を経て光を取り戻したな」
 何も知らない人間はただ太陽が昇った事を喜んだろうが、外を目指そうと格闘していた魔物達は太陽が昇った嬉しさと外界の道が閉ざされた悔しさを噛み締める事だろう。しかし、竜王の言葉に俺はこの旅が護衛傭兵のひと仕事とそんなに変わらない期間の出来事だったというのに、俺の人生の半分に匹敵する程に色んな事があったと思った。当然、竜王だって散々な目に会ったがな。
 国王の依頼がこんな大事件に発展するだなんて、ラダトームの門を潜った時の俺には想像もつかなかった。人が信じてくれるくれないは別として、物語にでもすればそれなりに面白い物になるだろうと思う程だ。
「振り出しに戻ったって言うんだよ」
 俺の茶々に嫌そうな表情を浮かべた竜王だったが、否定はしなかった。光の玉があって光はアレフガルドに戻ったが、『闇の衣』がそのまま覆っている事には変わりがないだろう。それでも、俺達はアレフガルドに太陽を再び昇らせて救おうと奔走した成果は、期待通りの結果となって目の前にある。外界は確かに魅力的だったが、それを差し引いても俺達は満足だった。
 未練はそう簡単に捨てられやしないだろうが、捨てる必要も無いだろう。ロトでさえ最後まで諦めなかったのだから、俺達が往生際が悪くたって誰も文句は言いやしないさ。
「私はそうでもないと思っているがな…」
 そう言って竜王は手に持っている光の玉を弄んでいる。
 竜王の言葉の通り、今回の件で大きく変わったのは竜王だろう。まさか、光の玉を自分で生み出せるだなんて想像もしなかった筈だ。彼の手の中で光は強弱や明滅を自在に制御し、今までに感じた事の無い温もりを光の中から感じさせている。体の心から暖まる太陽のような輝きだ。
 空に向かって軽く投げると、目に見えない光の線になって消え失せる。
「この光の玉が私の一部だからだろうが、とても扱いやすい。制御だとて緻密な事ができるし、出力だって倍以上は出るだろう」
 竜王は黄金色の瞳を自信たっぷりに輝かせ、明るい口調で言った。
「もしかしたら、闇の衣だってどうにか出来てしまうかもしれないぞ」
「本気で期待しちゃって良いのかよ、竜王さん」
 俺が意地悪く言ってみせれば、竜王は拗ねた様に背を丸めて唇を尖らせた。
「共に旅をしておきながら信頼がないな。私の手元には『虹の橋』の術式だってあるんだぞ?」
 そうだ、竜王の城には『太陽の石』と『雨雲の杖』『ロトの証』が残ったままの筈だ。城に返還する必要も、アレフガルドに太陽を戻そうとする過程で壊れてしまいましたなんて言い訳すれば追求だってされないだろう。アレフガルドの全ての民を救った偉業を成し遂げた存在を前に、国宝級の損失など軽いだろう。俺だって当然口裏合わせてやるつもりだし、ローラも援護してくれるに違いない。竜王の手元に闇の衣対策の品物が残る可能性は、想像以上に高い。
 竜王の自信も、勿論根拠があるのだろう。
 闇の衣の効力を薄めて陽光を招く光の玉に、闇の衣を実際に貫通した実績もある虹の力。それ以上の好条件がアレフガルドの何処にあるのか問われると無い。竜王がでかく出るのも仕方ない。
 俺が期待を持ってみようかと思えば、目の前で竜王は顎に手を掛けてぶつぶつと思案している。
「でもなぁ。光に光って相乗効果になるのだろうか? 意外に打ち消し合ってしまうかもしれないな」
 その言葉を拾った俺は、ちょっと前まで引っこ抜くのに凄く大変だった鋼鉄の剣の柄で竜王の頭を小突いた。抜くまでの一騒動がトラウマになってしまったのか、竜王は俺から少し間を開けた。
「無駄に期待を煽るなよ。全く、駄目駄目じゃねぇか」
「むぅ…」
 竜王は唸りながら更に思案しているようだった。そもそも『闇の衣』はどうして出来るのか。光の玉は本当は闇の衣にどう作用するのかとか。消滅なんて本当は可能なのか、可能だとしたらどれくらいの時間が必要で、どれほどが消滅に値するのかとか。光の玉は闇の衣の内にある状態から外に出たら、再び中にいれる事が出来るのかとか。右から左にのかとか奇麗に流している俺だったが、その内容は回復呪文で新しく張り治された鼓膜は拾ったらしい。
「闇の衣どうこう出来る以前に、お前の目的の為に闇の衣の外に出られるのかよ」
「それは答えられそうに無いな」
 竜王はしれっと答えた。このくそ真面目な塊なら、闇の衣が消滅しても再びアレフガルドが閉ざされる可能性があるなら自分を犠牲にしちまうだろう。今回の件が良い例だ。
「少しは自分の為に動け」
 俺がそう言うと、竜王は苦笑して言った。
「私の故郷はここなんだ。母親は確かに気になるが、いつか会える」
「このマザコン」
「言うな」
 竜王が嫌そうに顔をしかめたが、それも演技だと理解出来た。アレフガルドを闇に叩き落とした魔王として後世に名を残すだろうに、マザコンだなんて形無しだ。まぁ、アレフガルドに光を取り戻した勇者とか人間に言い伝えられそうな俺も、守銭奴で口が悪い傭兵なんだからどっこいどっこいだろう。精々、美化されない様に俺らしく生きないと蕁麻疹に悩まされる余生を余儀なくされるだろう。
 ぽかりと竜王の木製の杖で殴らせてやると、竜王はそのまま俺の前に立って手を差し出した。
「アレフ。今回は本当に世話になった。お前の協力が無ければ、私はこのような結果を得る事が出来なかったろう」
 改まった声に、俺も立ち上がって差し出された手を掴んだ。
「好きでやった事だから、礼なんて要らないさ。むしろ、俺が礼を言う立場かもな」
 互いににやりと笑みを交わす。
 今回の旅は、互いに互いが不可欠だったと思う。俺達が選んだ選択と決断は何一つ欠けても、今、こうして太陽の光が降り注ぐアレフガルドの地に立つ事は出来なかっただろう。それを素直に認め合う関係であった事が、握手を交わす掌から伝わって来た。種族が違うってのに、なんとまぁ、仲良くなっちまって。
 どちらともなく手を離すと、竜王は俺から少し遠ざかり変化を解いた。巨大な黒曜石の鱗のような堂々とした巨体が、青空を黒く切り取り翼を大きく拡げた。黄金色の瞳は戦闘の時に感じた冷たい印象もなく、どことなく気恥ずかしそうな感情が滲んだ。
「もう明るいし、自力でラダトームへ帰れよ」
「誰に言ってるんだよ。アレフガルドの傭兵の俺が、ラダトームの場所が分かんないなんて有り得ないさ」
 敢えて言わなくても、目的を達した今になって行動を共にする理由は無い。名残惜しく感じたが、俺達は別れる事になる。
 ぎこちなく笑って応えた俺に、意を決して背を向けた竜王を俺は呼び止めた。飛び立とうとする竜王の背に、俺はロトの剣を鞘ごと差し出した。
「……悪いが、アンタが持っていてくれ」
「売れば高いんじゃないのか?」
 畜生、確かに俺は意地汚いが、今回は違うんだぞ。
 だけど、それも竜王が本心から言った訳ではないのは分かっている。
「俺はロトの子孫でもない普通の人間さ。ただ、神様が生み出した剣を握ったお陰で、我が儘姫さんに振り回されて、お節介なドラゴンとスライムに魔法の才能の無さを突き付けられて、神様から厄介者扱いされたアンタを一回殺めただけさ」
 そう言って俺は腰に下げた鋼鉄の剣を叩いた。今思えば長い付き合いのそっちの方が、ロトの剣なんかよりずっと手に馴染む。
「俺には鋼鉄の剣で十分さ」
「そうか」
 ドラゴンの姿の竜王はロトの剣を受け取ると、結局別れも告げず飛び立った。見送りながら竜王が向かう先に、竜王の城とラダトームがあるのだろうと俺は思う。
 俺は荷物とスライムを拾い歩き出した。懐かしいアレフガルドの空気を腹一杯吸い込んで、生まれ変わったかのような希望に満ちた大地を踏みしめて、待ち望んだ青空と太陽を見上げる。最初に着いた村で食料を補充して、街道で商隊を見つけたら傭兵の仕事があるかどうか訊ねながら歩いて、ラダトームに向かおう。行きつけの酒場で久々に一杯引っ掛けて、いつものように傭兵の仕事を探しに行こう。
 俺は前を見て思わず笑った。当たり前の日常がこんなに甘いなんて、知らなかった。
 ここは故郷だ。いつでも会いに行ける。