何かから逃げようとすると かえってそれに近づいてしまうものだよ - 前編 -

 俺は不機嫌を隠さず上機嫌に鼻歌を歌う親父を睨みつけていた。
 その剣幕は仏頂面の俺に慣れていたナブ兄さんやアルウェ、討伐隊のメンツやオルフェア等の顔見知りならいざ知らず、帰って寝るだけの城の奴らにはヘルジュラシック並みに恐ろしく見えるのだろう。申し訳ない事だとは思っているが、揺れる箱舟のせいだと見て見ぬ振りをして盛大に震えてもらっている。
 俺と親父、そしてその同行者が乗っている箱舟はメギストリス王族が乗る特別専用車だ。5大陸6王国には王族専用の大地の箱舟があり、それぞれが趣向を凝らした装飾だ。メギストリス王国の列車は親父の世代でファッションが急激に発展した関係で、内装の布地一枚ですら物凄い高級品で想像もつかない職人の技術を詰め込んで改装されたらしい。シャンデリアのクリスタルガラスは一つ一つがプクランドの花をイメージし、窓枠もプクリポ族の輪郭とステンドグラス。俺が初めて専用車を見た時、まるでクリスタルと金銀で作られた花車だなって思った。
 俺も討伐隊で着込んでいる黒のコートとベレー帽ではない。いつの間に寸法を測ったのか、全く同じ型で色が真紅のコートとベレー帽だ。ベレー帽に一輪、プクランサフランを挿しているのは変わらない。
 俺はぎゅうっと手を握りこんだ。これもあれもそれも、みーんな親父のせいだ。
「あれー? プーポッパン、御機嫌斜めなのね?」
 けらりと笑う親父ことメギストリス国王を、俺は射殺さんばかりに睨みつけた。討伐隊の新人だったら、気絶するだろう視線だが親父はヘラヘラ笑って受け流す。
 事の発端は、オーグリードの南方の王国ガートランドの王、グロズナー陛下の誕生日の祝いに各国の要人を招いたことだった。
 討伐隊の依頼で忙しい俺は、当然興味などない。結果、齢10を数えるメギストリスの王子は未だ社交界に顔を出さない問題児、もしかしたら重い病気でも患っているんですかと心配されるレベルだ。だが、俺はそんな王族同士の馴れ合いよりも、目の前の魔物や様々な事で困っている民の事の方が大事なんだ。
 それなのに親父は討伐隊やナブ兄さんやアルウェ、町の人達にこう宣言したのだ。
 『あのね。息子はワシとグロズナー陛下の誕生会にご招待されてるのね! お土産楽しみにしててね!』
 思い出すだけで腸が煮えくり返る。
 プクランドを駆ける俺の周囲を、有名な貿易商人やら有名ファッションプランナーとか煙に巻いたりして、俺の知人には誰一人王族であることを悟らせない親父がくっついてくる。どんなに追い払ってもひょっこり出てきて、ナブ兄さんの家で茶を飲んでる事もよくある。皆の前で喧嘩をすれば俺が王子だと墓穴を掘りかねないのでは、怒鳴りつけるのも上手くいかない。
 親父に完全に先手を打たれ、周囲は『いってらっしゃい』じゃ逃げられやしない! 親父を結局出し抜けなかった俺は、こうしてメギストリス王族の専用車両に乗って、メギストリス王国の第一王子プーポッパンとして親父に同行しなくてはならなかった。
「プーポッパンは初めての外遊なのね。最初の外遊先がガートランドで良かったのね!」
 親父は俺と出かけられるのが相当嬉しいらしく、いつもよりもはしゃいでいるように見える。親父の話を延々と聞き流しながら、窓の外の景色を見る。ウェナ諸島の見渡す限りの海、白い砂浜、本で見た椰子の木。海を越えてさらに進むと赤茶けた大地と大岩が視界を遮るようになってきた。
 車掌がガートランドに到着しましたと告げる。レースのカーテン越しにオーガの逞しい鎧冑を着込んだシルエットが見え始めていた。俺は使い慣れた剣に視線を向けながら、不安を拭いきれなかった。オーガは武人の国。剣をこのような公の場に持ち込んで良いのか、俺にはわからなかった。親父がぱちんとウインクする。
「グロズナーには話は通してあるのね。大剣だけは邪魔だから外してほしいのね」
 ぐぬぬ。結局、親父の方が一枚上手だ。
 親父の後ろに付き添う形で車外に出た俺を出迎えたのは、耳がもげるかと思うほどのファンファーレだ。ベレー帽も吹き飛ぶかと思う大音量と、そそり立つ絶壁のように白銀の鎧に身を包んだ屈強なオーガ達が出迎えてくる。これが有名な盾の国ガートランドのパラディンか。確かに切り崩すの難しそうだな。
 一番身なりの良い青年が、親父に何かを述べている。歓迎の祝辞らしいが、難しい言葉の羅列で半分も聞き取れない。
 暇な俺の耳に、ふと悲鳴がかすめた。
 振り返り腰に装備した短剣を引き抜き、メギストリスの特別車両の最後尾へ走る。後ろの車両はガートランド国王への祝いの品物が置かれているはずだ。プクリポ達が逃げ惑うのを追って中から飛び出したのは、キラービーだ。
「プーポッパン様!」
 涙目になりながら駆け寄ってくる車掌に、俺は鋭く指示を飛ばす。
「その場に伏せて動くな!」
 俺は短剣を口にくわえ両手に抜き放った片手剣をそれぞれ握り、特別車両の装飾を蹴って飛び上がる。体をひねり回転してキラービーの上を取れば、次の瞬間キラービーの羽と尾を斬りとばす。尾には毒があるから、短剣を投げつけて転がらないよう床に縫いとめる。車掌が真横に縫いとめられた尾に、ひぃっと短く悲鳴をあげる。地面を転がった本体に、柱を蹴って放たれた矢のように肉薄し剣を突き立てた。
「まだ、車内にキラービーがいるんです!」
 だろうなぁ。俺はぶんぶんと唸る翅の音を聞きながら、車掌の声に頷く。足の下で痙攣するハサミから、力が抜けるのを確認して俺はキラービーが飛び出してきた車両に駆け寄った。
 車掌の言葉通り、中にはまだ数匹のキラービーがいる。おそらく、ハニーレイクの蜂蜜か何かに、幼虫が混ざっていて羽化したんだろう。誰も中に取り残されていないのを確認し、勢いそのままに扉を蹴り閉じる。
「大地の箱舟を出すぞ!」
 床に突き立った短剣を引き抜きながら運転手に声を掛ける。魔物が入り込んでいる列車を、こんなに人の多い場所に止めておく事はできない。俺は声を張り上げ周囲に伝える。
「箱舟の内部にいる魔物を討伐するのに、安全な場所を指定できる者をガートランドから一人よこしてくれ。メギストリスの者は祝いの品がダメになりそうだから、代わりのものを寄越せるよう手配してほしい」
 オーガの中から進みでたのは、これまた立派な体躯の騎士だった。彼は胸をたたくオーガの挨拶の後に、うやうやしく頭を下げた。
「ガートランドのパラディン、ストロングと申します」
「メギストリスのプーポです。宜しくお願いします」
 剣を収めて軽く握手を交わし、汽笛を上げた箱舟に乗りながら背後を見遣った。親父が俺を見ている。いつも早朝こっそりと城を出る俺を見送る親父の表情を見たのは久々だった。それは、不安でいっぱいの表情だ。
「父を頼みます」
 俺は小さく頭を下げて、箱舟に乗った。

 キラービーを討伐して、荷物を改めた頃には晩餐会が始まっていた。
 流石、オーガの国は全てにおいて巨大だ。階段の段差はまだ小柄な俺の胸から首くらいあって、ちょっと飛び跳ねる必要がある。扉も先導してくれるストロングさんがいてくれて助かったと思うくらいに、巨大で大きい。一人だったらチャージタックルで開けて壊しちゃうかと思うと、力の指輪を持ってくればよかった。次から気をつけよう。
 各国国王の貴賓席は立席となっているホールから一段高い場所にある。国王の戴冠年月順に並んでおり、親父とエルフの王がグロズナー陛下を挟んで隣の席にいる。ウェディの女王は現在体調を崩しており王女が、ドワーフは王族が一人は国に居なくてはならず王子が、グレンは現在休戦協定中で今回は欠席しているようだ。ホールではダンスが繰り広げられており、長身のオーガ達が裾を広げ舞う姿は大輪の花畑を見ているようだ。
 スロトングさんに親父の後ろまで連れて行ってもらって軽く礼を言っていると、親父が嬉しそうに振り返った。
「おかえり、プーポッパン!」
「キラービーの討伐なんて大した事じゃない。ストロングさんが熟練の騎士で、俺の出番なんかほとんどなかった」
 俺は小さくため息をつく。ここまで散々褒められたが、ハニーレイクのキラービー討伐は連日依頼に上がる日課だ。俺はいつものように魔物を討ったに過ぎない。蜂蜜を求めるプクリポたちの甘さへの欲望は果てしない。蜂達には同情する。
 俺と親父が手短に、討伐のこと、荷物のこと、同行者の無事を確認していると、ふと気がつく。顔を上げると、各国の王族達の顔がすっとそっぽを向くような気がするのだ。ホールを見下ろせばダンスを踊る者達の視線も外れる気がする。
「なんか、すごく見られている気がする」
「そりゃ、そうなのね。プーポッパンの初のお披露目だし、駅舎で華麗にキラービーを仕留めて話題の中心ね」
 絶句する俺を後目に、親父が愉快そうに笑う。
「ぷぷっ。だーから言ったのね。最初の外遊先がガートランドで良かったのね!って」
 俺は魔力に秀でたプクリポはでは珍しい剣士だ。年月をかけて花が岩を割るように、傷を重ね肉を切り骨を断つスタイルはメギストリス流剣術の理念そのもの。何時の間にかそうなった技量で己よりも大型の魔物を仕留める俺は、魔法職が多いプクランドの討伐隊では数少ない前線に立てる戦士になっている。
 武術の国オーグリード大陸で、武闘派と名高いプクランドの王子なんて好きな話題に決まってる!
 俺はざあっと血の気が顔から引いていくのを感じながら、どうにかこの場から去る方法を考えていた。だが親父が絶妙のタイミングであれこれ勧めてくるので、逃げる暇もない。あぁ、わざと怪我でもして逃げてりゃよかった!
 音楽の熱狂と共にダンスはますます激しさと華やかさを増し、余韻は嵐のような拍手に完膚なきまでに叩き潰される。恭しくグロズナー陛下に頭を下げ下がっていくダンサーの中に、一組残ったペアがいる。スカートが広がるごとにざっくりと切り込んだスリットが強靭な筋肉をちらつかせるドレスを着た美女と、首から足の先まで隙間なく体を覆うフルアーマーの男性だ。彼もまた整った精悍な顔つきで、よくそんな重装備で踊っていられたと感心してしまう。オーガでも飛び抜けた美男美女も陛下に頭を下げ、男性が立ち上がり良く通るハリのある声で言う。
「不肖なる息子デルタニス、父上の祝いの日を迎えられること、心より嬉しく思っております。これからもガートランドの偉大なる剣として、我々を導いてください!」
 あぁ、彼がデルタニスか。オーガの討伐隊員から何度か耳にした事がある。ガズバランの剣という組織を立ち上げ、誰よりも熱心に修練に打ち込むオーグリードの王子がいる、と。王子という存在を具現化したような、見た目も立ち振る舞いも完璧で、俺は凄いなぁとしかもう思えない。
「この場を借りて、一つ余興を設けさせていただきたい!」
 歓声が静まって発した一言に再びざわついた会場を、デルタニスは溜めるようにじっと待つ。
 そして静かになった頃に、彼が俺を見た。
「メギストリスのプーポッパン王子! 貴殿の腕前はなかなかと見た! ぜひ、俺と一戦交え、父の目を楽しませてくれはしないか!?」
 俺は会場全体の視線が集まった事に驚いて、咀嚼を止めて口の中に止まっていた燻製ハムサンドがむぐっと喉の奥に詰まり掛けた。あぶないあぶないと飲み下して、俺は期待の視線を見返した。
 正直なところ断りたいのだが、断ってはいけない空気がそこにある。こんな駆け出しの子供相手に、歴戦の勇士が戦いを挑むなんてお世辞みたいなものだろう。ちょっと遊んで、それなりに客人のイイところを見せてやる。そんなところだろう。面倒だが、仕方がない。それに…。
「グロズナー陛下の目を楽しませる…間違いはございませんね?」
 俺はそう言いながら、ゆらりと立ち上がった。にいっと浮かべた笑みに、親父が『プーポッパン?』と恐る恐る声を掛ける。
「この若輩者、精一杯お相手を仕りましょう」
 そう芝居掛かった仕草は指先に至るまで、オルフェアの大道芸人仕込みのプロの会釈。オルフェアは大道芸人達の町とも言われていて、世界中で活躍し王城にも招かれる一流達も多い。その会釈は公の場に全く出てこない王子だが、礼儀がないわけではないと周囲に思わせるには十二分な効果があっただろう。だが、俺にとってはそんなことに意味があるのではない。
 プロの芸人達は言う。一礼をした瞬間から、ショーは始まるのだと…。
 席を飛び越え、四方八方、そして各国の国王方とグロズナー陛下に深々と会釈する。それでも俺が貴賓席を降りてホールに立てば、観客達からはどよめきが上がった。そりゃあ、そうだろう。プクリポの剣士なんて珍しいし、オーガの戦士との戦いでどちらが勝者になるかなんて火を見るより明らかだ。第一、俺は幼い。デルタニスのように成人の男から見れば、毛玉みたいなもんだ。デルタニスに向き合う頃には、共に踊っていたオーガの女性が胸元に炎石楠花という真紅の花を飾っていた。このような勝負事の際には、胸元の花を散らすことが勝敗の決め手になるというのは小耳に挟んでいた。
 討伐隊の試合のルールは全く当てはまらないだろう。怪我も武具防具の損壊も、毒や急所への攻撃も一切してはならないに違い無い。むしろそうしてここにいる全員に袋叩きにされちゃあ、俺も命がないだろうし、親父や国の立場が危うくなる。
 なに、心配はいらない。
 ショーは始まったのだ。ショーに悲劇はない。ひたすらの楽しさと感動を提供すれば良いのだ。
「我らが守護神ガズバランの御前にて、汝の力を惜しむ事なかれ」
 グロズナー陛下が立ち上がり、朗々と歌うように言葉を紡ぐ。振り上げた手を、ざっと横に薙ぎはらう。
「いざ! 戦え、戦士達よ!」
 賽は投げられた。幕は切って落とされた。そんな言葉が似つかわしい合図が響き渡る。
 相手は格上、体格も力も経験も全てにおいて俺の方が不利だ。討伐で使える毒も、頭上のシャンデリアを落として動きを封じるなんて手段も当然禁止だろう。この場は、鞘と柄は厳重に固定した両手に持った片手剣と短剣1本で収めなくてはならない。
 ならば、仕掛けるは先制の不意打ち。素早さと体格さ故に意表を付く手で攻めるより他ない。当然、経験豊富な戦士殿だ。小柄な魔物の対処も心得ているし、俺が不意打ちを狙うのも予測はしているだろう。だが、後手に回るよりか断然良い。
 俺は口元を引き上げ、笑顔を作った。
 まぁいい。剣を握った時点で勝ちを取りに行かない奴は、ケーキを前にして涎を垂らすプクリポと同じ。芸をしない芸人は前座にも使えない能無しだ。俺がどれだけ王族らしくないオウジサマか、親父を含めた全員に知らしめてやる。
 俺は手を床に置き、短剣をデルタニスに向けて滑らせた。警戒して身構えたデルタニスの足元に滑って行く短剣めがけ、俺は駆け出した。熟練の剣士であればあるほどに混乱するだろう。俺の勢いは止まらず、デルタニスを攻撃するに適した間合いの段階で攻撃に適した速度を完全に超えていた。
 そう、俺はデルタニスの前に駆けるのではない。プクリポの身軽さ、さらに大剣を外した俺の速度は武闘家と同じにまで達する。動体視力の無い者には姿が掻き消えたとすら思わせた瞬間、俺の体は短剣の上に乗り増した勢いそのままにデルタニスの足の間を滑り抜けたのだ!
 デルタニスの瞳に驚きはあるが、冷静な光がある。伸びやかな足が後ろ蹴りを放ち、迎撃する姿勢になる。
 残念だが、狙い通りなんだ。俺は笑みを深くする。
 二刀流の剣がオーガの巨体を這うように振られ、引っ掛けられた切っ先を微妙に返して軽い体を浮かせる。オルフェアの旅芸人が得意とする軽業の身のこなしは、足を地面にも相手の体にも引っ掛けることなく、剣の腹と腕力だけで相手の体の周りを軽々と舞った。足、胴体、肩、の順で舞い上がると、オーガの幅広い肩を蹴って空中三回転を決めながら間合いを開けた。
 五月雨のような音が止んで訪れた静寂の後、俺は汗だくなのも感じさせないほどに優雅に頭を下げる。こんな子供がこれほどの剣術を見せつけるのは予想外だったと、観客達からは拍手喝采が起きた。俺が再び剣を握り構えればピタリと拍手が止むのは、さすが試合を見慣れているのがわかる。
 強敵だ。あまりの隙の無さに、初撃で一刀も入れられない。
 それは相手も同じ感想だったらしい。やや格上の余裕を見せていたデルタニスの目に、冷静な光が灯る。次は不意打ちは狙えない。屈強なオーガの一撃が一発でも入れば、俺は負ける。攻撃を回避しつつ、俺に有利な条件を積み重ねなければならない。
 やるしかないだろ。
 にっと、俺は笑った。俺の笑顔を見てだろう、デルタニスが口元を持ち上げた。
「良く笑うな、プクリポの戦士よ」
 俺はサーカスのピエロを彷彿とさせる大げさな身振りで頭を下げた。
「強敵にこそ、怯える顔を見せてはならないと思っておりますので…」
 そうさ。どんな強敵にも、どんなに不利な状況でも、俺は負けを認め怯えてはいけない。最前線で戦う俺こそが、強気でなくては仲間達が動揺する。討伐隊はチームだ。本当の勝利は誰の死傷もなく、誰の不満もない、笑って帰れる事。俺は勝利を導いた先にプクランドの民の平穏があるって信じてる。
 だから、俺は剣を構えて笑うんだ。皆が笑顔であれるように。希望であれるように。
 デルタニスの攻防は激しい雷雨の只中にいるかのようだ。五月雨斬りに渾身斬り、オーガの恵まれた肉体が生み出す技はどれを取っても一撃必殺の攻撃力を誇っている。その雷雨の中をひらりひらりと舞う一枚の花弁のように、俺は巧みに、時に大胆なアクロバティックを決めて躱し続ける。デルタニスの繰り出す隼斬りの二回攻撃よりもさらに早い、超隼斬りと言えそうな剣撃を踊るようなの身のこなしでどうにか避けきる。オルフェアに巡行してたベテランダンサーに、タップダンス教わってて良かったな。デルタニスの剣先に乗って頭上を飛び越える。
 さすがに大分観客も楽しめてきたところだろうが、このままではマンネリ化してしまうだろう。ベテラン芸人の声が聞こえた気がした。
 俺がバク宙を決めて立食の食事が乗ったテーブルの横に立つ。何の役に立つのやらと思って習得したテーブルクロス引きを決めて、皿もグラスも瓶も一つも落とすことなく引き抜いた。俺は白いテーブルクロスを持ち、ふわりと広く広がるのを確認した。
「デルタニス殿、手品はお好きですか?」
 怪訝な表情のデルタニスに、俺は笑いかけた。
 侮辱と捉えたのか、間髪なくデルタニスの隼斬りがテーブルクロスを捉える。
 剣が捉えたテーブルクロスは瞬く間に千切れ、それがバラバラと空中を舞う。ヒラリヒラリと落ちていくはずの布は、一つ一つが白いシルクの輝きを帯びた蝶となって舞い上がる。そしてテーブルクロスの向こうに俺はいない。会場全体に吹き荒れる蝶の嵐に、互いの姿すら見えなくなるだろう。蝶の美しさに人々の歓声や感嘆の声が広がって行く。
 俺は、ぱんと手を叩く。
 音と同時に蝶は美しい光の粒になって輝き、ゆっくりと宙に溶けて行った。デルタニスの前に進み出た俺は、綺麗に畳んだテーブルクロスを腕に掛け慇懃にグロズナー陛下に頭を下げた。
「私めは花の民。大輪に咲き誇るまで雨風に耐え忍んだ花を、刃で散らす無粋はできませぬ。ぜひ、デルタニス殿の胸に咲き誇る我らの花を、友愛の印としてお受け取り頂きたく存じます」
 そう、俺が差し出した手の平から一匹の輝く蝶が羽ばたいた。
 てふてふと頼りなさげにデルタニスへ向かう蝶は、誘われるように彼の胸元に咲き誇る炎石楠花へ向かう。ふと、その傍らで羽を休めると、一つ光って蝶は花となった。驚く場内の者達は、炎石楠花とプクランサフランがデルタニスの胸元に並んで挿さっているのを見るだろう。
 デルタニスが震えているように見えるが、俺はあえて知らんぷり。
 グロズナー陛下がその眉尻を下げて、俺を見た。
「プーポッパン王子、貴君の友愛の印を喜んで受け取ろう」
 グロズナー陛下は諸手を上げ、その朗々たる声を会場全体に響かせた。
「素晴らしき一戦を交えた戦士達に、惜しみない賞賛を…!」
 鳴り止まぬ拍手に俺は四方八方に頭を下げ、最後に未だに震えるデルタニスに会釈した。『陛下を楽しませる』そう言ったのは、貴方だったろ。俺は笑みを浮かべれば怒ると思い、敢えて生真面目な顔を彼に見せた。

 □ ■ □ ■

 大地の列車が眠くなるような低音を響かせて帰路を走る。
 ニコニコ顔の親父の向かいに座った俺は、言葉も出ないほど疲れ切っていた。
 中庭で軽く修練していれば、どこからか非番の戦士が出てきていつの間にか剣を交えさせられる。だって『プーポッパン殿と剣を交えさせて頂かないと、わざわざ来た甲斐がありません!』とか言われると断れん。討伐隊のオーグリード支部隊に顔を出せば、ダッシュラン一狩り行こうぜとなるのは想定内。だがうっかり鉢合わせたガートランドの王親子とガチ勝負をする羽目になるなんて、誰が予測できただろう。
 ここ数日間、剣を握っていない時間があっただろうか。あぁ、ナブ兄さんのケーキ食いながらアルウェの横でゴロゴロしたい。オルフェアに帰りたい…。もうすぐ帰れる。頑張るんだ俺。
「いやぁ、今回のガートランドの外交は最っ高の収益だったね! ワシったらウハウハなのね!」
 親父が子供のように手を叩く。
 実は親父は長い間外交官を務めていて、親父の前の十何人といた王の筆頭外交官としてメギストリスに貢献していた。他国の事情に誰よりも精通し、外交活動においては最も相手をしたくない男と言われている。
 5つの種族。それぞれの王家が、それぞれの種族が、それぞれの大陸が、大きくて強力な生き物のようだった。そう思うと、俺はぞっとするした。今まで討伐隊としてプクランドを巡ってきた俺が知る世界は、ほんの一部だと痛感する。
「世界は広いな」
 俺のこぼした言葉に、親父はきょとんとしてからにっこりと笑う。
「そうでしょ? 今は平和なプクランドだけど、外はプクリポとは全然違う種族がいていろいろ大変なのね」
 今は。親父が王位につくまで、メギストリス王家は王位を継ぐ争いでひどく荒廃していたという。増えに増えた王族達が、計略と謀略の限りを尽くし他の王族を殺害した。ある者は無理やり王の儀式を遂行され、ある者は魔物討伐に向かって帰って来ず、ある者は不慮の事故で死に、ある者は病気で死んだ。王の儀式の存在が王族に産めよ増やせよと切れる札を増やす事を推奨したが、王以外から率先と儀式に向かわされる実態から、熾烈な王位継承戦が存在した。
 親父が死ななかったのも、病弱な母と結婚して王位継承権を放棄したからだった。跡継ぎが望めない母を思い、ひたすら忠実な外交官として日替わりで変わる王に仕えてきた。
 最も苛烈な凌ぎ合いをした継承者達が倒れると、もう、誰も玉座に座ろうとする者はいなかった。
 仕方なくその玉座に座ることになったのが、親父だったということだ。王になってすぐ、母は俺を身ごもった。母が子供が授かりにくくなる呪いを受けていたと判明したのは、俺が生まれてしばらく経ってからのことだった。
「プーポッパンの方が、ずっと王様に相応しいのよ。プーポッパンはワシの理想の王様なのね」
 親父はいつもそう言っては、俺に王冠を載せようとする。
 だが、本物の王様って本当にすごい。その場にいるだけで空気が違うのな。王子だって王女だってそうだ。デルタニスは強いし、ウラードさんは頭が良い、ディオーレ王女は凛とした花みたいでもう女王様みたいだ。俺みたいなのが王様なんて、プクリポらしい冗談にしてはぶっ飛びすぎだろ。
「やだよ」
 俺が立ち上がって、親父に怒鳴りつける。
「親父がずっと王様してろよ! 俺はあぁいうの全然ダメだから!」
「だーめー! プーポッパンも頑張って王様の仕事覚えるのよー! おさぼりしたら、討伐隊に遊びに行かせないのね!」
「王様なんか絶対ならないからな!」
「やだー! プーポッパンみたいな王様に、ワシは仕えたいのー!」
「なんだそりゃ!」
 やだ!だめ!そんな応酬を繰り返しながら、俺たちを乗せた箱舟はメギストリスの駅舎に滑り込んで行く。