地に落ちた一粒の麦 - 後編 -

 柔らかい木漏れ日が鮮やかに彩る新緑は明るいイエローリップとレタスカメリアが良いと思います。小川のせせらぎは岩陰はナイトマリーで、白い小石の上を滑るような清流はピュアスノーリリィとグレーブルースズランで美味く表現したいです。頭の中で染料と油の配合を組み立てて今直ぐ油絵の具を作ってしまいたいけれど、それどころでは無いのです。
 私達は急ぎ足で森を行きます。
 ミシュアさんがメルサンディ村を襲う手に攫われてしまって、小一時間が経ってしまいました。一刻も早く助け出さないといけない、私とラチックさんとルアムさん、三人で森の外れにある井戸を目指していました。その井戸の地下は巨大な地下水路に、どうやら魔物達は隠れ潜んでいるのだとルアムさんは目星をつけていたそうなのです。
「ミシュアを助けたら、モーレツプクダッシュで逃げるぞー!」
 そう先頭を歩いていたルアムさんが、明るい声で言いました。
 無法者セットと呼ばれる、ちょい悪冒険者風のファッションのセットです。動き易いデザインと腰の毛皮の暖かさが冒険者の心をガッツりキャッチ、鎧のような重装備ではない為に幅広い職種の方に愛用されています。でも、ちょっとそのチェックの配色のチョイスは納得いきません…!
「俺 全部 ぶっとばす 安心しろ」
 ラチックさんが肩に鬼の金棒を担ぎながら、バンダナの下に手を突っ込んで頭を掻きました。鉄の胸当てに毛皮のマント。そのフードにすっぽりと収まっている私です。私は体力ないものですから、お二人の駆け足には追いつけそうにないんですもの。
 森が少し開け、柔らかな日差しに小さい野の花が咲き乱れています。その空間にぽつんと崩れかけた井戸がありました。その井戸を指差しルアムさんが言います。
「あの井戸が地下水路に繋がってる。手とか顔がバラバラの魔物はもっと奥の崩れた場所から出入りしてるみてーだけど、ここからなら狭いから鉢合わせしねーよ。魔物が潜んでいられるような大きな空間も限られてる。よっぽどの事がない限り、オイラ達が不意を突かれる事はねーって」
 言いながらルアムさんは縄梯子を井戸に投げ落としました。足掛けの棒が井戸の内側の石をがつんがつんと鳴らしますが、井戸から迸る轟々とした水音にかき消されてしまうのでした。大丈夫だろ?そう笑ってみせるルアムさんに、私もラチックさんも微笑みを返しました。さすが、ベテラン冒険者さんです。
 井戸と繋がっている謎の地下水路は、非常に入り組んでおります。
 重厚な煉瓦を積み上げた地下水路には、メルン水車郷から流れ込んでいるのでしょう清流で満たされています。ざあざあ、ちょろちょろ、ぴちょんぴちょん、様々な水の音が私達の足音すら消し去ってしまう程に反響しております。
 大きな水路は馬車が擦れ違える程に広いものの、水の流れも広く早い。私達は水の流れていない人の通る為に通路を一列になって歩かなくてはなりません。水路の水は勢いよく流れ、澄んだ水が闇の中で墨のように真っ黒で恐ろしい化け物のように滑り手招いているようです。大きな水路の横は小さい横道になっていて、ルアムさんはこちらの道を選んで進んでおりました。狭い道の方が、厄介な手の魔物に襲われる心配が無いからです。
 たったったと先を歩き、ルアムさんが行き先の安全を確認しながら進みます。ルアムさんが待てと手を動かせば、がちゃがちゃと彷徨う鎧が通り過ぎるのを見送る事もありました。ルアムさんの導きで進む中、ラチックさんが白い息を吐きながら振り返りました。
「ラスカ 平気か?」
「うん、大丈夫。って…むぐっ!」
 返事がすぐ返ってきて、驚いた声をラチックさんが塞ぎました。
「気がつかない 思ったか? 皆 知ってた」
 口を押さえつけられ、ラスカさんが顔が熟れた吃驚トマトみたいに真っ赤になっています。しばらく手のひらから強い反論の呻きが漏れていましたが、落ち着いてきたのか大人しくなってきます。ラスカさんが疲れ切ってその場に座り込むまで、ルアムさんがどうしたんだろうと怪訝な顔をして戻って来る程の時間が必要でした。
「お。ラスカだ。ラチックのあんちゃんに、ついに捕まっちまったなー」
 けらけらと控えめでも愉快そうに笑うルアムさんに、ラスカさんは訴えました。
「俺もミシュア姉ちゃんを助けに行かせてくれよ! 足手まといにならないよう、頑張るから…!」
 村長さんの家を飛び出したラスカさんを追ったミシュアさんが、手の魔物に掴まってしまったのです。ラスカさんは俺のせいだと責任感に項垂れ、ミシュアさんを助けに行くと いの一番に仰ったのです。当然、村人の皆さんは大反対! ラスカさんは檜の棒を振り回すのが精々な、戦う事を知らない男の子なのです。
 当然、冒険者である私達は彼を置いて救出に向かったのです。彼がここにいるのは、私達の後をこっそりと付けてきたからです。うん、控えめに言ってもこっそりではありませんでしたね。私と目が合ってから隠れるのでは遅いのです。
 ラチックさんは迷惑そうにその強面を歪めました。私も戦闘が得意ではありませんもので、同意する権限はありません。私達が決定を仰ぐように見遣ったルアムさんは、にこにこと笑っていました。
「駄目だって言っても付いて来るんだから、良いんじゃねー?」
 ラチックさんは怖い顔を崩そうとはしません。サングラスから見下ろされて、かわいそうにラスカさんが怯えています。
「ラスカ ミシュアは 赤の他人 命 賭ける 必要 ない」
 首をかしげる私達に、ラチックさんは続けました。
「ガッシュ ラスカ 血の匂い 同じ。ミシュアは 全く 違う 匂い する」
 ラチックさんに言われ、ラスカさんはたじろぎました。確かにラスカさんやガッシュさんとミシュアさんは全く似ていません。髪や瞳の色はもちろん、輪郭だって違うでしょう。ですが、私はガッシュさんの奥様を見た事がありませんので、絶対に違うと断言はできないのです。
 私達が見つめる事しばし、彼は折れたように息を吐きました。
「確かに、ミシュア姉ちゃんは俺の本当の姉ちゃんじゃない。ルアムがメルサンディに来る前に、村の前で行き倒れていたんだ」
 ラスカさんはぽつぽつと語り始めます。女の人が村の前でぼろぼろになって行き倒れていた。それは魔物が出現する街道を通る旅人にとっては、ありふれた光景です。瀕死であったり、迷った末に食料も尽き這々の体でたどり着いた村の入り口で意識を失う事はよくある事なのです。
 村長であるガッシュさんの家で、その行き倒れた女性は介抱されました。衣類は魔物のおびただしい血で元々何色であったかも判別できず、村一番の肝っ玉の女性ですら吐き気を感じるほどでした。着替え、怪我の治療をし、恐々と水を口に運び、三日三晩と村人達は女性を代わる代わる手厚く介抱しました。
 そして目覚めた時、一人の女性は何かにとても怯え今までの何もかもを忘れ去っていました。
 ガッシュさんだけでなく、村人全員はそんな彼女にとても同情しました。あんな大怪我で、あんな魔物の血を浴びた女性。とても怖い思いをした事でしょう。思い出したくもない恐ろしい事から逃げ出してきたに違いありません。
 ガッシュさんは女性にミシュアと仮の名前を与え、自分を親のように思ってくれて良いと女性に言いました。女性がガッシュさんの家に居たいと思う限り、娘としてここにいなさいと言ったのでした。
 ミシュアさんは心からの感謝を述べて、ガッシュさんの家に招かれたのです。
「最初は姉ちゃんなんて変だなって思ったけど、一生懸命動物達の世話して、畑仕事手伝って、コペばあちゃんや村のおばさん達と料理してる姉ちゃん見てたら、本当の姉ちゃんみたいに思えるようになったんだ」
 この話をしている間も、ルアムさんは先を進んでいました。
 一刻も争う事態だとはわかっていますが、このままではラスカさんが帰えすのだって危険です。
「だから、俺、ミシュア姉ちゃんを助けたいんだ! 血が繋がってなくたって、家族だから!」
 決意に輝く凛々しい表情。あぁ、スケッチブックが水気を吸ってしわしわになってしまうから、書きたい気持ちはぐっと我慢よ! 彼が握りしめていた金色の小石が、きらりと熱を帯びたように光りました。
 ルアムさんはラスカさんの言葉を聞いて、うんうんと頷きました。
「いーじゃんいーじゃん。ミシュアもラスカが助けに来てくれたら、すげー喜ぶよ。笑顔の為に命賭けれる奴、オイラ大好きだよ!」
 そう言い切ったとたん、先を歩いていたルアムさんが足を止め、壁に身体を押し付けて窺い始めました。緊張が結った赤い毛髪を逆立たせています。じっと息を殺て見ていると、赤と青紫の瞳でこちらを振り返りました。
「ミシュアがいた」
 全員がルアムさんの後ろに駆け寄りました。
 そこは広々とした空間で、見上げる程に高い空間から多くの水が滝のように流れ落ちて来る場所でした。崩落しかかっている天井から、星々のように僅かな光が差し込んでいます。轟音をがなり立て、受け皿となっている煉瓦作りの建物は素晴らしい彫刻が施されているのだと知れます。モザイクのように配置されたタイルの上に、深紅のエプロンドレスが横たわっています。溢れる金髪。間違いありません、ミシュアさんです。
 飛び出そうとしたラスカさんを、ルアムさんは矢で制しました。青紫の瞳が鋭く見上げる。
「待って。罠かもしれないから、無闇に突っ込んじゃ駄目だよ」
「ミシュア姉ちゃん!」
 そう叫んで飛び出したのはラスカさんでした。驚いた私達は一瞬ぽかーんとしてしまいましたが、ルアムさんが『言ってる傍から飛び出すんかい!』と突っ込みながら駆出します。ルアムさんが矢を番えながら周囲を警戒し、私達も滝のように壁から流れ落ちる水の暗がりに目を凝らして続きます。
「姉ちゃん! 姉ちゃんしっかりして!」
 ミシュアさんを揺さぶるラスカさんの向かいに私が歩み寄ります。目立った傷は無く、穏やかな呼吸で胸が上下しています。大丈夫、そう微笑んで頷くと、殿方の皆様はほっとしたように息を吐きました。
 ラチックさんがふと目を留め、その巨木のような筋肉隆々の腕を上げて指差しました。
「あそこ 人 倒れてる」
「ありゃあ、帽子を探しに行って行方不明になったデニーの兄ちゃんじゃん。魔物に連れさらわれてたのか」
 ルアムさんとラチックさんが駆け寄る先で、村人が愛用する緑のベストが見えました。お二人が呑気にデニーさんの前で話して、ラチックさんが抱え上げているのを見ると、どうやら無事なようです。私もラスカさんに触れ立ち上がろうと促そうとした時でした。
 私は咄嗟に筆を取り出し、頭上にスクルトの魔法陣を描き出しました!
 舞い上がる精霊の粉の軌跡が、美しく緑の魔法陣となって宙に留まります。どおんと鈍い衝撃が降り掛かり、頭上に輝く魔法陣の上にあの巨大な手が乗っていたのです! ラスカさんが息を詰まらせるように悲鳴を上げ、ミシュアさんを庇うように抱きしめます。
「ラチック! 皆を頼んだぞ!」
 ルアムさんが真紅と青紫の瞳を尖がらせ、矢を番えます。迸る雷の力を矢継ぎ早に放ち、迫り来る手を押しとどめようとするのです。私がさっと複雑な文様を書いた紙を宙に放つと、その紙を矢が貫く! 次の瞬間、雷の力が膨大な量に膨れ上がり、物語で勇者アルヴァンが放ったギガデインみたいにメルサンディ村を苦しめた悪夢の右手に襲いかかったのです! ルアムさんのサンダーボルトで怯んでいた手は完全に不意を打たれて、私の札で増強された雷になすすべなく倒れたのです!
 ルアムさんは目がまん丸です!
「すげぇ! なんなんだ、今の技!」
 私は手に扇子のように札を持ってみませます。札に描かれた複雑な魔法陣は、魔法に秀でた人ならば魔力覚醒の魔法陣だと察する事でしょう。この札を巻き込んだ魔力は倍増する力があるのです。イオはイオラに、メラミはメラゾーマにと、属性は変えられず単純な倍増だけですけどね。他にも魔法戦士が使う、属性添付の力であるフォースを装備者に与える札。スカラやピオリムが作動する札など、口で呪文を唱えなくても誰でも使える便利な魔法札です。
 ルアムさんがにっこり笑います。
「芸術家って冒険の役に立つのかなって思ってたけど、ちょー頼りになるな!」
 芸術家って呼ばれるほどに技量はありませんけどね! 私も笑みを返して、ルアムさんの横に並びました。
 私はポーチを開き妖精の粉を溶かしたインクに筆先を付けます。この妖精の粉は魔力との親和性がとても高い素材で、空中でも地面でも木の幹でもレンガの壁でも書き込むことができるのです。書き込めないのは流水くらい。効果もずっとあるわけじゃなくて、たった今使った札も紙に特殊な魔力を蓄積する材料を混ぜて、魔力が拡散しないようにコーティングを施してあるのです。
 札はとても便利です。威力や容量は巻物には劣りますが、発動の速さや対応の幅広さがあるのです。
 直接書く即興魔法陣も大変便利です。魔力の制御を行いながら展開する魔法使いの熟練の技量は必要とはせず、大事なのは書き間違えない繰り返しの修練と躊躇いのない筆運び。
 私は魔力にそこまで秀でている魔法使いではないし、絵が好きだったので得た力でした。
「ピペ」
 声に見上げるとラチックさんが、重たい足音を響かせて駆け寄ってくるところでした。
 振り返ればここから離れた細い通路にほど近い場所に、ラスカさんとミシュアさんとデニーさんがいます。私からも彼らは親指程度の大きさ。十分に距離を取っていると思います。
 ラスカさんを下がらせてきたラチックさんを見やると、私は地面にさっと一筆振るいます。光ったヒャダインの魔法陣の中から甲高い音を立てて現れたのは、プクリポサイズの氷の塊です。パキパキと音を立てながら沸き続ける塊の一つをラチックさんが持ち上げると、筋肉を盛り上がらせラチックさんの氷塊投げが繰り広げられるのです。
 手は突如襲ってきた氷塊を避けようとしますが、ルアムさんのサンダーボルトの早く鋭い攻撃に止められてしまう。ボコボコと氷塊が当たり、手の動きが鈍ってきました。
 ルアムさんもラチックさんも、勝利が見えてきて表情が明るくなってきました。
「よっしゃー、後もう一息!」
「俺 行く」
 鬼の金棒を担いでラチックさんが向かう。どしどしと派手な音を立てて迫る進撃から、ダメージが蓄積して身動きのできない手が逃げる術はありませんでした。ひゅっと音を響かせ宙を振りかぶる暴力、地鳴りのように手を粉砕したランドインパクト!
 砕けた氷の冷気が吹き払われると、そこにはピクリとも動かない手があったのです。やったな!ルアムさんが歓声を挙げて私やラチックさんに抱きつくと、軽やかに駆け出しました。
「さぁ、さっさとおさらばしようぜ!」
 そうですね。私がそう言おうとした時でした。
 ルアムさんの背後の闇が膨れ上がり、瞬く間に手の形を取ったのです! そんな! 振り返ってみれば、今倒した手はそこにまだ倒れ伏しています!
 よく見れば、倒れている手は右手。ルアムさんの背後に現れた手は左手です!
 ルアムさんの瞳がさっと青紫に変わりましたが、彼が反撃をする間も与えず痛烈な一撃がプクリポを払う!身軽なプクリポは勢いよく吹き飛び、巨大な水柱を作って水路の中に落ちてしまいました。
ラチックさんがサングラスを指で押し上げ、鬼の棍棒を構えて迎え撃ちます。
「ピペ ラスカを…!」
 ラチックさんの言葉に私はラスカさん達の所へ駆け出しました。ラスカさんは蒼白な顔でこちらを見て震えています。ミシュアさんもデニーさんも意識が戻っていないようです。それでも、細い横道はすぐ横。なんとしても、横道に押し込んで逃さなくちゃ!
 背後にズシンと重い衝撃、ラチックさんの呻き声。
 ピペ、振り返っちゃいけない。とにかく、彼らを逃さなくては…!
 次の瞬間、体全体が押し潰される。膝が折れ、胸が石畳に叩きつけられて肺の空気が押し出されて意識が遠退きそうになる。とても臭い瘴気の匂いが、私の体全体を押しつぶしていたのです。左手の指の隙間から、満身創痍ながらも右手がラスカさん達に迫るのが見えていました。
 このままでは、全滅してしまう。
 私は札を収めたファイルに召喚札が書きかけだったのを思い出すのです。あぁ、あのタッツゥの召喚札を完成させるべきでした。難しいからと後回しにしていた後悔が胸を押しつぶします。
 左手の圧力が増す。私は息苦しさから意識が薄れて行くのを感じていました。
 ラスカさん…逃げて…
 ラスカさんは、ミシュアさんをぎゅっと抱きしめ震え動けない。デニーさんは目覚めない。
 あぁ、殺されてしまう。助けられなかった。そう思った瞬間でした。
「 助 け て ! ザ ン ク ロ ー ネ 様 ! 」
 彼の叫びが地下水路中に響き渡ったのです。
 ザンクローネという名の英雄は、私達がメルサンディを訪れた時には魔物との戦いで行方不明になっています。誰も魔物に殺されてしまったのだと言わないのは、それだけ人々が英雄を慕っていたからでしょう。それでも人々は心の何処かで分かっているのです。
 もう英雄は死んでしまったから、助けに来ないのだと。
 その絶望が心の隅に忍び込んでいたのです。村人達がメルサンディを棄てる事に同意したのは、英雄の死を認めたも同じだった事でしょう。
 しかし、ラスカさんだけは決して認めなかった。
 ルアムさんにひどい事を言ってまで否定した事は、正しくはなかったでしょう。でもそれは、ラスカさんがザンクローネさんが必ず何処かにいて、必ず助けてくれるという揺るぎない信頼があったからです。
 彼が命の危機の極に助けを求めたのは、神でも、私達でもない、彼の信じる英雄ザンクローネだったのです。
 ラスカさんから、メルサンディの陽光に輝く黄金の麦の穂を彷彿とさせる暖かい光が迸る!
 たとえ すべての麦が倒れ
 ラスカさん達に迫った手が動きを止め、私にのし掛かった手も力を緩める。私はその隙に手から逃れることができました。光はラスカさんの懐から強い日差しのように四方八方へ光を投げかけています。
 水が干上がり 涙が枯れても
 ラスカさんが懐を探る。彼の手に握られていたのは、琥珀のようなルビーのような生命と熱を秘めた宝石です。
 お前の声が かれない限り
 光がいよいよ強くなる。ラスカさんもミシュアさんもデニーさんも、目の前の巨大な手の影もかき消すほどの強い光!
 救いは 必ず訪れる
 光の中から人影が立ち上がった。大剣を持つ戦士のシルエット。
 まさか…!
「俺は 必ず駆けつける!」
 火炎を伴う強力な一撃が手を吹き飛ばした!私の頭上を軽々と超え、私を押さえつけていた手を巻き込んでピクリとも動きません! ラチックさんですら力負けてしていた手を、軽々と吹き飛ばすなんて…!
 振り返れば、茶色い直毛をバンダナできつく結んだ戦士が大剣を構えて立っています。その不敵で頼もしい笑み、燃えるようなまっすぐな瞳、まるで希望を体現したかのような堂々とした立ち姿。彼こそがきっと…!
「ザンクローネ様!」
「坊主、またせたな!」
 ラスカの歓声に英雄は不敵に笑って見せたのです。その声は誰もが心に希望と勝利を抱くにふさわしい、力強さと自信を持っていたのです。心を包み込む安心感は、まるで日向の中で何の憂いもなく寝転ぶような心地です。
「ザンクの兄貴だ! 流石に死んじまったかと思ったぞー!」
 そう水路から滝のような滴る水を撒き散らしながらルアムさんが上がってきます。ルアムさんはぶるりと身震いして水を飛ばすと、怪我をしたラチックさんの横に駆け寄って回復呪文を唱えます。はらはらと花弁のように舞う癒しの力に、ラチックさんが険しい顔を穏やかに崩します。
「英雄は死なないのさ」
 そっかそっかー。すげーな! ルアムさんは満面の笑みです。
 ザンクローネさんは、攻撃されていきり立つ両手に歩み寄ります。まるで散歩の途中に親戚に出会ったかのような、穏やかでのんびりした歩調です。彼は私の横に並ぶと、にっと太陽のような笑みを浮かべました。ちょいちょいと挑発的な仕草を手達に向けるのです。
「さぁて、遊んでやるぜ。来いよ。おててちゃん!」
 次の瞬間、英雄の体は宙を舞う。巨大な剣を振り回し炎と熱気の軌跡を描きながら、殴りかかる拳を弾き叩きつける手のひらを打ち返す。圧倒的な強さ、手達の間髪入れぬ猛攻にルアムさんも攻撃するタイミングを見失い見守るばかりです。
 しかし、手達も黙ってやられるばかりではない。玉砕の覚悟で突っ込まれ、体勢を崩したザンクローネさんの上から手が叩きつけられる!石畳に大きくヒビ入り窪む威力に追い打ちをかけるように、拳が叩き込まれるのです!
「ザンクローネ様! 頑張って!」
 ラスカさんの応援に応えるかのように、手のひらと床の間から淡く光が漏れる。瞬き一つ後には、その光は閃光となって手を弾き飛ばすほどでした。光から飛び出したザンクローネさんは、天下無双の連続斬撃!手が地面に叩きつけられた時には、えーと、ラスカさんの言っていた けちょんけちょんの バッキバキの メコメコー!って感じです!
「さぁ、芯まで焼けちまいな!」
 地面に突き立てた剣の上にひらりと舞い降りた瞬間、水路を揺るがす大爆音を響かせ大爆発が起きたのです!
 その爆発にメルサンディを苦しめた悪夢の両手は、跡形もなく消し去ったのです。

 □ ■ □ ■

 ザンクローネさんが復活されて、メルサンディは瞬く間に日常を取り戻して行きました。
 手の魔物達はもう現れる事はないと英雄は宣言し、時折訪れる魔物の体の一部はザンクローネさんとルアムさんの敵ではありません。人々は笑顔を取り戻し、荒れ果ててしまった畑の手入れに連れ立って出かけて行きます。
 私とラチックさんは、荷物を持ってメルサンディ村の入り口に立っていました。私達の見送りに、村人達が集まってくれています。コペさん、ラスカさん、水路で助けたデニーさんも元気そうで安心しました。この時間のルアムさんは『クレルの姉ちゃんを祠に送ってくるのが日課なんだ』と出かけて姿が見えないのです。ガッシュさんが足を引きずりながら、ゆっくりと前に進み出ました。あぁ、旅立ち別れの時と実感して、涙ぐんでしまいます。
「ピペ、ラチック、この村の危機の為に力を貸してくれて、村の長として感謝の言葉しかない。本当にありがとう!」
 頭を下げたガッシュさんは、勢いよく頭を下げすぎて怪我した足をいたたたたと摩ります。
「ザンクローネ 守ってくれる 村 平和に なった」
 ラチックさんの言葉にガッシュさんだけでなく、村人全員が頷きました。
「あぁ、まだグランゼドーラの扉も開かぬからと、ルアムも残ってくれる。ザンクローネ様も戻ってきたし安泰だよ。君達は私達の心配をする事なく、自分の旅を続けて欲しい」
「これ、コペばあちゃんと俺が焼いたコッペパン。マジ美味しいから」
 ラスカさんがまだほんのり温かい包みを手渡してくれます。紐を開けなくても、布地の隙間から香ばしい美味しそうなパンの香りが私達を包み込んでくれるのです!ラチックさんが、ごしごしと口元を拭いました。まだ、食べちゃダメですよ。
 すると、村人達をかき分けて、ミシュアさんが駆け寄ってきたのです。
 彼女の姿を見てびっくり。ミシュアさんは大きな旅人のカバンを背負って、護身用の剣と盾を持っていたからです。銀の蝶の髪飾りを外し、凛とした表情でガッシュさんを見上げたミシュアさんの表情には決意が滲んでいました。ガッシュさんもミシュアさんの決意を感じて頷いたのです。
「行くのかね?」
「はい。本当に、本当にありがとうございました」
 ぺこりと頭を下げたミシュアさんに、ラチックさんが訊ねます。
「どういう事だ?」
 ミシュアさんは私達に凛々しい表情で振り返ったのです。まるで太陽を背負って立つ、戦の女神のような勇ましい目元。口元は決意に真一文字に引きしぼられ、手足は未来への不安と期待に震えている。あぁ、素晴らしい!スケッチブックに走る鉛筆が止まらないわ!
「私、ザンクローネ様の背中を見た時、思い出したんです。私は、誰かに守ってもらってここにいるんだって。そう思ったら、何処へかはわかりませんが、私は行かなくてはいけない場所があるって気持ちでいっぱいになって…本当に村の皆さんには感謝の言葉もありません。勝手な私を許してください」
 じわっと、ミシュアの目が涙に潤むのです。そんな彼女の肩をガッシュさんが優しく抱きしめてくれます。あぁ、次の頁をめくるのさえもどかしい!
「君は私達の家族である事に変わりはないのだから、いつでも戻っておいで。ミシュアの旅に光があらんことを…」
 決意に満ちた彼女と送り出す気満々の村人達を前に、私達は顔を見合わせ首を傾げた。
「目的地 ない」
 ミシュアさんはかぁっと顔を赤くしました。目的地がわからない上に、護身用の武具を持っていると言っても旅の素人なのは傍目からでもわかりました。このタイミングで旅立ちを宣言したのも、きっと…
 『私たちと一緒に旅をしませんか?』
 私の書いた言葉に、ミシュアさんは目を丸くします。
「俺達 ピペの スケッチの モデルある所 何処でも行く」
 レンダーシアの簡略的な地図を書いて反時計回りに矢印をぐるっと書き込みます。レンダーシアを巡るのはこれで十分に伝わるでしょう。
「本当に、一緒に旅をしてくれるんですか?」
「ピペ 旅しよう 言った」
 私も頷いた。ミシュアさんはとっても綺麗な人です。良いモデルさんが一緒に旅をしてくれるなんて、嬉しいです。だって、私の最終目的はとある女性を描くための旅ですからね! ミシュアさんみたいな綺麗な人が毎日描けるなんて、なんて贅沢な勉強なんでしょう!
 ミシュアさんはぱぁっと笑ったのです!あぁ、ダメです!手が追いつきません!
「ピペさん、ラチックさん! ありがとう! よろしくね!」
 ラチックさんの手で握手した次は、私の手を取ります!あぁ!ごめんなさい!握手する暇すら惜しいです!次から次になんて魅力的な方なんでしょう!スケッチブックを20冊は買い足して旅立たねばなりません!
「おぉ!間に合ったー!」
 そう背後から声が聞こえて振り返れば、元気いっぱいの赤毛のプクリポルアムさんが駆け寄ってきていました。彼は息を弾ませながら、ぴょんと跳ねて急制動。がががと地面を靴底が掻き、土煙を湧かせて止まりました。
「レンダーシアにはオイラの仲間達がいるんだ。オイラと同じメダルを持っている奴を見かけたら、オイラの知り合いだって言って助けてもらうと良いよ。オイラの友達は皆すげー強くて頼り甲斐があるから、絶対助けてくれるぞ!」
 そう言うと、きらりと光る黄金のメダルを掲げます。緑の宝玉を中心にはめた金色の装飾は、羅針盤を彷彿とさせるデザインです。
 ルアムさんはミシュアさんの手を握って、にっこり笑った。
「ミシュア、手紙! 手紙書けよ! 困ったら絶対駆けつけてやるからな!」
「おらおら、別れを惜しみすぎたら、ふわふわパンがカチカチになっちまうだろ!」
 響き渡る声はザンクローネさんです。見上げれば石像の上にルビーのように瞬く光! 彼は飛び上がるとルアムさんの上に華麗に着地したのです。そう、ザンクローネさんって、とっても小さいのです! プクリポの顔くらいの大きさなんですよ!
「お前らと共に、このメルサンディはある! 行ってこい!」
 村人達の大歓声が麦畑に解き放たれ、私達の背を押します。
 これからメルサンディ穀倉地帯は、黄金の麦の穂が覆い尽くしていくことでしょう。私は青空と黄金の大地、その間にゆったりとまわる風車を思い描き再びこの地を訪れようと心に誓ったのでした。
 私達はゆっくりと歩き出したのです。
 この一歩が、長く大きな運命の旅の始まりであるとは知らずに…。