物語の終わりはいつだって「めでたしめでたし」 - 後編 -

 メルサンディの麦が収穫の時期を迎えようとしていました。
 青空に頭を垂れて実る麦の穂は、今年も豊作と風と共にさやさやと歌うのです。村人達が昔から続く収穫の喜びの歌を口ずさみながら、列をなして穂を刈って行く。次々と重ねられた穂は村に運ばれて、収穫した男性達の休憩の時間になるのです。
 休憩の為のパンは、外のキツネ色がカリカリで中はもちもち。上から掛かる黄金色のハチミツが、バターのレンガを溶かして白いお皿に流れそう。コップに注がれた牛乳は朝搾ったばかりでほんのり甘くて、ソーセージはぱきっと音が弾けたら肉汁がじゅわーと溢れてきます。野菜だってシャキシャキ。目玉焼きは殿方が大好きな半熟です。誰もが収穫の時の朝飯ほど美味いものはないと、笑顔が溢れます。
 日が高くなり収穫に疲れた殿方が二度寝する頃に、広場に女子供が総出で出て脱穀の作業をします。木漏れ日が太陽の強い日差しを遮って心地よい風が過ぎ去る中、脱穀した実はどんどん袋に詰められて行くのです。積み上がった袋を二度寝から覚めた殿方が取りに来る前に、女性陣はケーキと紅茶に舌鼓。ごろっとした果実が甘く煮溶けたジャムを使ったタルトは、ほっぺが落ちてしまいそう!
 長閑なメルサンディの風物詩。愛しい故郷の風景。私は今年こそ最後かもしれないと、いつも目に焼き付けるように見るのです。
 そんな私の隣に、おじいさんの友人ラペットさんが腰を下ろしました。ラペットさんは前回お会いした時は『アイリちゃんがパンパニーニの物語の続きを書いてくれて嬉しい』と大喜びでしたが、今はどうにも浮かない顔をしておられます。
「アイリちゃん。小さな英雄ザンクローネの続き、少々重すぎやせんかね?」
 おじいさんの書き残してくれた童話の続きを書き始めた私の筆は、ついに最後の物語に差し掛かろうとしていました。魔女の呪いによって英雄を憎むようになった村人、英雄が救えなかった娘の末路、奪われた友人である不思議な旅人。心臓を失い満身創痍の英雄には、やや高すぎる壁かもしれません。
 でも…
「英雄ザンクローネは魔女の罠にも困難にも、立ち向かって乗り越えてしまいます!」
 私が拳を握った熱弁に、ラペットさんがふぉっふぉっふぉと笑ったのです。それがあまりにも嬉しそうなので、ちょっとはしゃぎ過ぎちゃったと顔が赤くなってしまいます。不思議な旅人さんと同じ名前のルアムさんに出会って、彼みたいに元気で明るく振舞うようになったと色んな方が仰ってくれます。でも、指摘されると恥ずかしいです。
「アイリちゃんは、パンパニーニによう似ちょる。物語にあやつは妥協せんかった。懐かしいのぉ」
 どっこらせ。ラペットさんは立ち上がり、私に振り返って言いました。
「パンパニーニでは描けない、アイリちゃんだから描ける魔女と英雄のフィナーレ。ワシだけでない、子供達も楽しみにしておるよ」
「はい! 任せてください!」
 そう、童話の村の童話作家。パンパニーニおじいさんの後を継いだ私は、この村の希望のような存在になりつつありました。任せてください。そう大見得を張った割には、とても大きな問題が私の前に聳え立っていました。

 □ ■ □ ■

 英雄ザンクローネは、魔女に連れ去られたルアムを助ける為に魔女の森を進んでいました。
 太陽の光が嫌いな魔女が作り上げた森は鬱蒼と茂り、太陽の光を遮り夜のように暗く沈んでいるのです。魔物の影を溶かし、獣の声はこだまする。旅人はその暗さと不気味さに足を止め引き返す森を、ザンクローネは迷わず真っ直ぐに進みます。
 森の一番奥にある夜宴館は、魔女の城。魔女がいる場所はそこしかありません。
 ザンクローネは心臓のない体が、水を吸った麦のように重いのを感じていました。しかし、友の為、洗脳され操られた村人の為に、足を止めることはありません。時折、強い痛みが胸を突いても、彼は胸を押さえ歯を食いしばって進みました。
 森の中に浮かぶ光。夜宴館が見えてきました。
 ザンクローネは躊躇いなく館の扉を開け放ったのです。
「今宵も良い夜ね。永遠の夜の宴にようこそ、ザンクローネ」
 そう出迎えたのは魔女グレイツェルでした。
 ザンクローネは大昔に足繁く祈りを捧げてくれたクレルの面影を、魔女の笑みから感じました。英雄としてメルサンディの人々の助けになりたいと願った切っ掛けとなった彼女に、こうして剣を向けねばならぬことが悲しくてなりません。
 しかし、ザンクローネは英雄。
 助けるべき命のために戦いを避けることは許されません。選択を誤れば、全ての命が脅かされることを、英雄は心に刻んでいました。
「ルアムはどこだ?」
 うふふ。魔女はザンクローネの頭上に、パラソルの先端を向けました。
 ザンクローネは訝しげに、しかし警戒を緩めず頭上を見上げました。夜宴館をうっすらと照らす光を投げかけている、大昔にこの館に見合うよう作られた贅を凝らしたシャンデリアがあるはずです。
「!?」
 シャンデリアの真ん中に、光る球体が浮かんでいました。その光の中に、なんとルアムが閉じ込められているではありませんか! ルアムはザンクローネに何かを叫び、光の球体の内側を頻りに叩いています。驚いたザンクローネですが、ルアムが元気そうなのでちょっとだけ安心しました。
「安心して。オトモダチは無事よ。でもその魔法陣に囚われたら、自力で抜け出すことはできないわ」
 魔女の微笑みに、英雄は不敵に笑って見せました。
「ルアムが無事なら問題ねぇ。グレイツェル、お前の相手は俺一人で十分だ!」
 ザンクローネが隙なく構えた火燐刀が、真っ赤に輝き美しい火の粉がパッと舞いました。しかし、魔女には見えています。照り返された英雄の顔に浮かんだ脂汗、力が入らず切っ先が震える様を。魔女は余裕の笑みを零し、腰掛けたボールの上で足を組み替えました。
「絶体絶命ね、ザンクローネ。そんな状態で私を倒そうなんて、笑っちゃうわ」
 口元は楽しげに笑いましたが、魔女の目は笑っていません。
 英雄は魔女が何かを仕掛けてくると、身構えました。どんな攻撃でも魔法でもたった一撃が、英雄の致命傷になり得たからです。無言で肯定する英雄に、魔女は高らかに言いました。
「貴方の英雄ごっこは、今日ここで終わるの」
 魔女はぱちんと指を鳴らしたのです。
 静まり返った館の中に音が吸い込まれてしばらく、館の中に不気味な足音が無数に響き渡りました。ぎしぎし。みしみし。ぎいぎい。館中が呻いているかのように、ありとあらゆる方向から一人二人ではないたくさんの音が響くのです。ザンクローネは剣を構えて四方八方へ目を向けます。音がどんどん近づいてくるのです。
 がちゃり。ばたーん! 扉が開け放たれ、足音の主達が現れました。
 メルサンディの村人達のです。
 ザンクローネを慕うラスカ、その父ガッシュと祖母のコペ。教会で優しい笑みを浮かべる司祭とシスター、鍬やフライパンを鋳直してくれる武器屋の店主、買い付けに行く馬の世話を惜しまない宿屋の女将。バター作りの上手い酒場のウェイトレスに、酒の肴にと様々な木のチップの香りを熟知してしまったマスター。広場で英雄ごっこを楽しんでいた子供達や、脱走癖のある鶏を毎日追いかける青年。見る顔全てがザンクローネが守ろうと決めた村人達です。
 彼らは手に武器を手にしていました。
 彼らの目は虚ろにザンクローネを見ています。
「さようなら、ザンクローネ。貴方のだぁい好きな村人達に切り刻まれて、死んでしまうが良いわ」
 魔女の言葉が終わったと同時に、村人達が動き出しました。全力で駆け床を踏みしめる音が、館の中で久方ぶりの舞踏会のよう。振り上げた刃が光を反射して、闇夜の中で輝くのです。全てがザンクローネを殺そうと、魔女が操っているのです。
 ザンクローネは村人を傷つけることはできません。
 ですが、このままでは村人に殺されてしまうでしょう!
 ザンクローネは刃を振り下ろしたガッシュの肩に乗り上げ、村人達の頭上へ高く舞い上がりました。そして、赤熱した火燐刀が振り抜かれたのです!
 ぱぁん!と砕ける音がして、光の残滓が村人達に降り注ぎました。
「すまねぇ、ルアム。今の俺にはこれが精一杯なんだ」
「気にすんなって! 兄貴が頼ってくれて、オイラ達は嬉しーぜ!」
 ザンクローネが剣で壊したのは、ルアムを捕えている魔法陣でした。ルアムは次の瞬間風の力を纏って、村人達の間を突風のように駆け巡りました。ルアムは鮮やかに、そして村人が反撃できないほどに素早く、魔女グレイツェルに操られた人々を気絶させていったのです。
 真紅の風の下で村人達が眠っていくのを、ザンクローネは膝をついて見ていました。
 後は魔女と英雄とで決着をつければ、全てが終わる。ザンクローネは胸を貫く激痛を堪え、立ち上がろうとしました。
「死ね! ザンクローネ!」
 真横から白刃が迫り、ザンクローネは間一髪で避けることができました。
 胸の痛みに耐えきれず再び膝をついたザンクローネが見上げた先には、剣を握るラスカの姿があったのです。目に光がなく虚ろな表情のラスカは再び剣を振り上げました。
「ザンクの兄貴!」
 ルアムが叫びます。不思議な旅人の力をもってしても、ラスカの剣がザンクローネを切り裂くまでの間に間に合いそうにありません。
 ザンクローネはもう指一本動かす力も残されていません。村人の信仰を失った精霊で、人の形を留めていられることですら奇跡的なことだったのです。ザンクローネはラスカに微笑みかけました。
「ラスカ、俺の最後の頼みを聞いてくれないか?」
 ラスカは答えません。魔女に操られていて、聞こえているかも定かではありません。それでも、ザンクローネは穏やかに語りかけました。
「俺はもうメルサンディ村を守れねぇ。俺に代わって村を守ってくれ」
 白刃が振り下ろされ、ルアムの叫ぶ声と鈍い音が館に響き渡りました。
「でき…な…いよ…」
 館を包み込んだ静寂の中囁かれたのは、掠れた弱々しい声でした。ぽたり。ぽたりと床を雫が叩く音が聞こえます。
「俺…できないよ…。ザンクローネ様を殺すだなんて、俺には…無理だよ」
 ラスカの両目から止め処もなく涙が溢れて流れ落ちます。
 振り下ろされたラスカの剣は、ザンクローネの真横の床を砕いていたのです。ザンクローネは涙に暗れるラスカの頭をそっと抱きしめ、『お前にだから頼めたんだがなぁ』と苦笑したのです。
 そんな彼らの様子を見て、魔女はヒステリックに叫びました。
「そんな! 洗脳を自分で解いたというの!?」
 魔女は驚くあまりに油断していたのです。不思議な旅人は光り輝く矢を放ち、魔女が座っていたボールを撃ち抜いたのです。床に無様に転がり落ちた魔女の前に、真紅の風は瞬く間に迫ります。黄金の爪の波動が魔女を取り巻いていた邪悪な魔力を切り払ったのです!
 魔女が村人達を操っていた魔力の糸が断ち切られ、ルアムがまだ気絶させていなかった村人達が次々と倒れていきました。
 不思議な旅人は魔女の前に油断なく立ちふさがりました。魔女が一つ魔法でも使おうとする様子を見せようならば、旅人の鋭い爪は瞬く間に魔女を切り裂いてしまうでしょう。魔女は自分に逃げ場がないと悟り、ラスカに支えられ歩み寄る英雄を憎々しく睨むことしかできません。
 英雄も静かに魔女を見下ろしています。
「この魔女がメルサンディの村を襲って、ザンクローネ様を苦しめたんだね?」
 英雄を支えていない手に剣を握ったラスカは、忌々しげに魔女を見下ろしました。ラスカは英雄に言いました。
「魔女を殺そうよ、ザンクローネ様。こいつは、村の人をたくさん苦しめて殺したんだ! 許せないよ!」
 怒りを隠さないラスカの叫びを遮るように、ルアムが魔女と英雄の間に立ちました。
「ザンクローネ、ラスカ、お願いだ。オイラがクレルを連れて旅に出る! もう、二度とメルサンディに近づかねーって誓う! だから、クレルを殺さないで!」
「ルアムはメルサンディの皆の為に頑張ってきた、仲間も同じだ! どうして魔女を庇うんだ!」
「クレルにはグレイツェルになっちゃうほどの、理由があったんだ! その理由を無視して殺したら、理由を作った大昔のメルサンディ村の連中が正しくなっちゃう! クレルは何も悪くなかったんだ!」
「でも、グレイツェルは悪いやつだ!」
 ラスカの強い言葉を、ルアムはそれ以上に大きな声で認めました。
「そうだ、メルサンディ村にいっぱい迷惑掛けた! 許せなんて言わない! ずっと恨んで憎んでもらって構わねー! でも、クレルにも村の皆にも忘れてほしーんだ! 苦しかった過去、悲しかった出来事に囚われちゃ、また魔女が生まれる! 必要なのは、明るい希望に満ちた未来なんだ!」
 二人の言い争う声に目を覚ました村人達が、一人一人と集まってきました。村人達は観念したかのように座り込む魔女を、憎々しげに見ています。誰もが魔女が裁かれ死ぬことを望んでいました。ラスカの言葉がなければ、身内を殺された家族が『魔女を殺せ!』と叫んだことでしょう。
 ルアムもまた村人達の視線の意味を察していました。ルアムはクレルを連れて逃げる方法を考えていました。ザンクローネが動けそうにないなら、戦う術のない村人を押し退け逃げ出すことは不可能ではないのです。
 ラスカはそんなルアムを見て、止められないと思いました。英雄はどうするんだろう? ラスカが英雄を見ると、英雄もまたラスカを見ていました。真紅の瞳は強く燃え上がる光を宿し、真一文字に引き結んだ口元の凛々しさにラスカはどきりとしたのです。
「ラスカ、英雄に必要なものは何だと思う?」

 □ ■ □ ■

 英雄に必要なものは何だと思う?
 そうザンクローネの問いを紙に書き、私はペンを置きました。爽やかな風がカーテンをふわりと広げ、風車が回り収穫した小麦を石臼が引く重い音が運ばれてきました。この世界のメルサンディ村は平和で長閑で、物語のような辛く悲しい出来事とは全く無縁です。
「アイリお嬢様ー、ラペットさんがお見えになりましたよー」
 ルーデさんの通る声が下の階から響いてきました。返事をして階段を降りると、ラペットさんがルーデさんにもてなされています。大好きな林檎の蜂蜜煮をビスケットに乗せて美味しそうに食べています。テーブルに腰掛けると、『お嬢様もどうぞ! たくさん食べないと元気になりませんよ』とお椀一杯に蜂蜜煮を出してくれます。
 もう! ルーデさんたら! こんなに食べたら太っちゃいますよ!
 ミルクたっぷりの紅茶を口にすると、ラペットさんが私にスケッチブックを差し出してくださいました。
「アイリちゃん。この前、頼まれておった『不思議な旅人 ルアム』と『魔女グレイツェル』そんで『クレル』のイメージ、こんな感じで良いかのぉ?」
「ありがとうございます! 早速、拝見させていただきます!」
 スケッチブックを受け取り紙を捲ります。厚みのある画用紙には、柔らかい鉛筆の線と水彩絵の具の色が載っていました。
 『不思議な旅人 ルアム』は先日助けていただいた、プクリポのルアムさんです。大きな猫耳に、跳ねた赤い髪を後ろに結っています。動きやすい無法者シリーズの服は、緑を基調にされています。愛嬌のある表情が何パターンも書かれていて、見ていてとても懐かしく感じてしまいます。
 『クレル』さんも『魔女グレイツェル』も私の見たイメージ通り! 思わず満面の笑みになった私に、ラペットさんが苦笑しました。
「『ルアム』はこの前紙芝居を見てくれたプクリポってことですんなり書けたが、『クレル』と『グレイツェル』は大変じゃったぞ。アイリちゃんはパンパニーニの文才だけじゃなく、画力まで受け継いでしまったようじゃの。棒人間じゃあ、全くわからんわい」
 私はかぁっと顔から火が出る思いでした。だって、私、絵心がないんですもの…。
「本当に、お手数お掛けして申し訳ありません…」
 絞り出すような声で謝れば、謝るほどのことじゃないとラペットさんは笑います。
「いやいや、本当にアイリちゃんはパンパニーニによく似ておると思ってな。作品が行き詰った時にする奴の顔と、アイリちゃんの顔がそっくりでな」
 驚いた私の前で、ずずーっと紅茶を啜ったラペットさんは促すようにカップを上げて見せます。『相談があれば、話してごらん』そんな空気が私の悩みをするりと言葉にして紡いで引き出してくれます。
「物語の最後をどうしようか、悩んでいるんです」
 そう、私は物語の最後を未だ決めかねていました。
「『英雄は魔女を裁き、村は平和になりました』と結べば、英雄は魔女を殺したことになるのです」
「まぁ、お伽話ではよくある結末じゃな」
「でも、魔女には魔女になってしまう理由がある。昔、メルサンディ村の人々に苦しめられ、英雄に救われなかった彼女の恨みを晴らしたいとも思うのです。だから『魔女は不思議な旅人と村を出て、ニ度と戻ることはありませんでした』と結ぶことも考えています」
「良いと思うぞ。不思議な旅人の言葉が、魔女を救いたいという真摯な気持ちに満ちておる。魔女を救い、村人も魔女が去ったことで前を向くという結末を、子供達も歓迎するじゃろう。納得いかん子供も、大人になれば不思議な旅人の思いを理解してくれよう」
 英雄が選ぶだろう二つの選択肢の結末。
 もし、私の大切な人が魔女に殺されたら、魔女を殺してほしいと英雄に願ったことでしょう。
 でも、実際大切な人は殺されていない部外者であり筆者の私は、不思議な旅人の提案を受け入れてほしいと思うのです。
「私、この二つの結末のどちらかで、本当に良いのか分からないのです」
 魔女を殺し村人の恨みを晴らしても、魔女の受けた苦しみはうやむやにされ救われない。魔女を旅立たせ救ったとしても、村人は魔女を永遠に許しはしない。どちらを選んでも、救われないものが存在してしまうのです。
「おじいさんは、どんな結末にするつもりだったんでしょう?」
 私の呟きに、メルサンディの童話作家パンパニーニの親友のラペットさんは腕を組んで天井を見上げた。ラペットさんは記憶を逆さに振り、おじいさんと過ごしたかつての日々を思い出しているのでしょう。しばらく考え込んでいたラペットさんは、紅茶を啜って喉を潤してから私に語りかけた。
「パンパニーニは死んでしまったんじゃ。中断せざる得んかった物語の続きを、愛しい孫娘が書いてくれる。奴にとっては願ってもないことじゃ。どんな結末であろうと、パンパニーニは喜ぶじゃろう。先ずは、それをちゃーんと理解せんといかん」
 私が頷いたのを見て、ラペットさんは話を続ける。
「パンパニーニは『小さな英雄ザンクローネ』の最後を、まだ決めておらんかったはずじゃ。最後のことを考えられるほどに、物語は進んでおらんかったからなぁ」
 確かに、そう思います。
 私が綴り出した物語は、きっとおじいさんの予定にはない展開だったことでしょう。私が引き継いだ時点から、どのようにも解釈できる。話を読み込んだ私には、この先はこうあるべきという布石を見つけ出すことはできませんでした。おじいさんが最後このような展開にしたかったという意図は、今までの物語からは汲み取ることができなかったのです。
「じゃがなぁ、アイリちゃん。パンパニーニは良く、こんなことを言っておったよ」
 ラペットさんは懐かしむように私に言いました。
「英雄は、全てを救う…とな」

 □ ■ □ ■

「ラスカ、英雄に必要なものは何だと思う?」
「ふてぶてしさ」
 ラスカの即答に、英雄は不敵に、しかし愉快そうに笑ったのです。ザンクローネはラスカの支えを外してもらい、ルアムに笑いかけて横に退いてもらうと、魔女の前に歩み寄りました。英雄は魔女に、旅人に、そして村人達に語りかけるように言いました。
「メルサンディの全ての悲劇は俺の罪から生まれた。俺が魔女に隙を与え呪いを受けなければ、メルサンディの村人は魔物に苦しめられることも殺されることもなかった。俺がクレルが苦しんでいることを知って救ってやれば、魔女は生まれなかった。そして俺が精霊の禁忌を犯し、ザンクローネという英雄とならなければ悲劇は始まらなかった」
 英雄の懺悔に村人達はどよめきました。
 全てを知る旅人も魔女も、その罪を暴露する英雄を不安そうに見上げたのです。しかし、二人が見たのは晴れやかに笑う英雄だったのです。
「それでも俺はふてぶてしくすべてを救ってみせる」
 いきなり英雄がグレイツェルの肩を掴んだのです! 魔女が驚く間も無く、魔女の魂まで蝕んでいた魔瘴の汚れが英雄の腕を伝っていくのです!
「ぐ…! うぉおおぉおおおお!!」
 英雄は苦しみ悶えますが、村人も旅人も英雄を助けることができません。英雄の体に触れれば、夥しい量の魔瘴が生きとし生けるものの体を瞬く間に死に追いやってしまうからです。英雄の体は魔女の負の感情が生み出した負の力を吸い込んで、どんどん黒く変じていきます。
「やめて、ザンクローネ! これ以上、汚れを吸い込んだら…貴方は死んでしまうわ!」
 魔女が悲痛な声で訴え、英雄の手を払おうとします。しかし、魔女の肩に食い込んだ英雄の手はびくともしません。
「ずっと後悔してた。答えを誤らなければお前を救えたのかもしれないと、眠れない日もあった」
 魔女は見たのです。不敵に笑う、メルサンディの英雄を。
「死なせてなんかやらねぇよ。生きてあがいて罪を償いな」
 英雄が手を離すと、もう魔女グレイツェルはいませんでした。そこにいたのは、クレルという一人の村娘です。
 クレルは涙を流し英雄を見上げました。クレルだけではありません。旅人もラスカも、村人達が皆、目から今にも涙が溢れてしまいそうです。真っ黒になるまで汚れを吸い込んだ英雄が、もう助かることはないと誰もがわかっていました。
 英雄はラスカの前に火燐刀を突き立て、語りかけました。
「ラスカ。メルサンディとクレルを頼む」
 ラスカは大粒の涙を流し、力強く頷きました。見届けた英雄は旅人に向き直り、親愛を込めて笑いかけました。
「ルアム。お前という相棒がいることを、俺は誇りに思う。へへ、恥ずかしいけど、ありがとうな」
「兄貴…! 死んじまうのかよ! ダメだよ! 兄貴が死んだら、みんな…みんな、笑えねーよ!」
 泣き縋ろうとした旅人の腕は宙を掻いたのです。もう、そこに英雄はいませんでした。しかし、英雄の最後の言葉は、その場にいた誰もの耳に届いたのです。
『どんな時も希望を捨てるな。メルサンディ村は俺と共に…』

 メルサンディ村は次の収穫に向けた、畑の耕しの時期を迎えました。長年、魔物の影に怯えて手付かずだった畑の土はひっくり返され、黒いふかふかの土が現れました。男達はメルンから流れる清流を汲んで女達が水を撒く。子供達が肥料を撒き、引き連れた牛達が引く鍬で均されていきます。
 地面が少し落ち着いたら、種まきが始まります。老人達が蔵の奥にある種を目覚めさせ、神父が豊穣の祝福を授けている最中です。
 皆で起こした英雄ザンクローネの石像はちょっと傾いていて、道ゆく人々が石を詰めよう、こっちが傾いだ、どうすりゃいいんだと会議をしています。村人達はいつもの生活を、少しずつですが取り戻そうとしています。
 その為に、村を去る人影が一つ。
「ありゃ。しんみりしちゃうから、こっそり出てくつもりだったのになー」
「あんなに、ビスケットや乾燥パン溜め込んでりゃあ、旅立つって誰でもわかるぜ」
 へへへーと笑ったルアムの胸を、英雄から譲り受けた火燐刀を背負ったラスカが突きます。思わずよろけた旅人は『ラスカ、力が強くなったなー』と感心仕切りです。そんな旅人達のやりとりを、村人達は優しく見守っています。
「もう、この村は大丈夫そうだから、オイラも旅立とうと思ってなー。もう、いい加減、グランゼドーラの門が開いてるかもしんねーし」
 そう言ったルアムは、くりんとあざとく首を巡らしクレルを見上げました。
「クレルの姉ちゃん。一緒に行くか?」
 たれ目気味の目元は細められ、榛色の髪は横に揺れました。
「ありがとう、ルアムさん。ザンクローネが罪を償う道を作り、貴方の優しさが罪を償う方法を示してくれた。この村で、生きていこうと思います」
 旅人はクレルの答えに、そっかと寂しげに微笑みました。
 クレルがメルサンディ村に来て少しずつ、村人は彼女を受け入れていこうとしています。コペばあさんが管理していたメルン水車郷の管理を引き継ぎ、壊れた風車が直るまでの間の小麦粉引きの仕事を任されました。女達はパン作りに彼女を誘うと、決まって激辛パンができるのです。祠の掃除は当番制になり、その間の護衛は男達がするようになりました。クレルを悪く言う人の言葉は、ガッシュが受け止めます。ラスカはクレルの横に寄り添い、躊躇う彼女の手を引いて村人との間を取持ちます。
 旅人は村人と共に歩もうとするクレルと、クレルを受け入れようとする村人を見て力強く笑いました。旅人の笑顔に応えるように、村人達が笑います。旅人が、英雄が、村人達が、そう誰もが望んだ心からの笑顔です。
「みんな! ありがとう!」
 旅人さん、ありがとう! 英雄と共に、村を守ってくれて!
 村人達が口々にお礼を言い、手を振って見送ります。旅人は村人達の心に英雄の光を宿っているのを見届け、そっと歩き出しました。
 旅人は何度も何度も振り返り、そしてメルサンディを見下ろす丘に立って言いました。その大声はメルサンディの全ての大地に、全ての草花に、そして生きとし生けるものに届いたのです。
「ザンクの兄貴! みんなを、たのむぞー!」
 応じるように吹いた強い風に背を押され、旅人は英雄ザンクローネの輝く意思を心に宿して旅立ちました。


 もう、英雄ザンクローネはメルサンディにいません。ですが、英雄達はザンクローネから引き継いだ火燐刀を振りかざし、ザンクローネのふてぶてしさと勇気を胸に宿して、メルサンディ村に降りかかる困難を乗り越えていきました。
 今でも焼きたてのパンが消えてしまうことは、『ザンクローネ様の味見』と呼ばれています。
 英雄ザンクローネは村人達のすぐ傍に寄り添うように存在しているのです。
 
 たとえ すべての麦が倒れ
 水が干上がり 涙が枯れても
 お前の声が かれない限り
 救いは 必ず訪れる
 英雄は 必ず駆けつける

 そう、小さな英雄を心に宿した子供達が大人になって英雄となり
 大人は子供に小さな英雄の心と、剣を譲る
 メルサンディ村に英雄あり。彼らは一時の命の輝きを繋げ、メルサンディの平和を末長く守っていったのでした。

 □ ■ □ ■

「英雄は全てを救う」
 おじいさん。これで、良かったでしょうか?
 私は写真の中で笑うおじいさんに問いかけ、羽ペンを取りました。インクをペン先に付け、さらりと綴る。

 めでたし。めでたし。と…