パンがなければお菓子を食べればいいじゃない - 前編 -

 レンダーシアの南に広がる広大なセレドット山岳。その中央に聳えるひときわ高い山に、ダーマ神殿は建ってる。今は世界各国にダーマ神官が派遣されて、転職はダーマ神殿じゃなくてもできる。でも、ダーマ神は世界の理を遂行する者の守護者で、挑戦者の支援者。ここに巡礼する奴は沢山いる。
 いつもダーマ神殿のお膝元であるセレドの町は、沢山の巡礼者でごった返している筈。俺もピペと来た時は、宿が取れない奴らと酒場で夜を明かしたから間違いない。アラハギーロ行きの同行者を募る旅人、護衛の傭兵を探してマスターと頭を付き合わせる商人、転職した興奮と期待におしゃべりが絶えない人々。
 だけど今はテーブル席を埋め尽くしている人影は一つもなく、いるのはミシュアと子供達だけだ。
「むかしむかし、数え切れない太陽と月が頭上を駆け巡っても戻りきれぬほどの昔。世界は、不死の魔王によって苦しめられていました」
 ミシュアはピペが描いた勇者と不死の魔王の絵本を開き、子供達の真ん中で読んでいた。子供達はミシュアの絵本の絵を覗き込もうと、テーブルに乗り上ったりミシュアの背に負ぶさったりやりたい放題だ。
 ミシュアは読み聞かせがうまい。
 あまり感情を込めず淡々としているが、読む速度や溜め方で引き込んでくる。子供達は喉に餅でも詰まっていそうな、神妙な顔つきでミシュアの話す物語に聞き入ってる。
「多くの人々が逃げ込んだ砦は、たくさんの魔物達に囲まれていました。シールドオーガがどすんどすんと、巨大な盾が扉を叩き布団のように波打ちます。オーガキングの強力な一撃は重たい岩を角砂糖のように崩してしまうのです!」
 絵本、かなり怖いだろう。ピペは魔物の描写を簡単にしたりしない。覗き込んだ子供達がぶるりと震えて、ミシュアの真紅のスカートの裾をきゅっとつかんでいる。
「どーんどーん、どかーん!ついに扉は壊れ、魔物達がなだれ込んできました!」
 子供達が悲鳴をあげた。泣きそうな子供に泣くなという奴、そんな奴にうるさいと手をあげる奴、だまんなさいよとキンキン声をはりあげる女の子。うん、絵本の中に入ったようだ。
「そんな時、人々と魔物の前に颯爽と一人の若者が飛び出しました!」
 ミシュアはそんな子供達の声に負けじと、雄々しく声を張り上げた。
「お前達の相手は、この私だ! そう、勇者アルヴァンが助けに来てくれたのです!」
 お前の相手はこの私、その部分で胸をどんと叩くミシュア。蝶の髪留めがきらりと光る。
「勇者は雷の魔法を唱えて魔物を黒焦げにし、華麗な剣捌きで一刀両断にするのです。魔物達は眩く強力な勇者の力に、恐れをなして逃げ出し始めました」
 子供達の歓声に包まれながら、ミシュアは朗々と読み上げる。
「だらしがないなぁ。おどろおどろしい声と共に、大きな赤い巨体が勇者の前に現れました。魔軍12将が一角、トロルバッコスです。ぺろりと舐めた大岩ほどもある棍棒が、勇者めがけて振り下ろされると地面がどおんと砕けるのです!」
 おまえが とろるばっこす か! この あるばん さまが たおしてやる! 俺に突っかかってくる子供を右手であしらう。背中に登る子供の笑い声が耳元で弾けた。
「勇者はひらりひらりと攻撃を避けますが、砕けた地面に足を取られ転んでしまいました!トロルバッコスが、ニヤリと笑い、その棍棒を勇者めがけて振り下ろしたのです!痛恨の一撃が勇者を捉えます!」
 まだ勇者ごっこで突っかかる子供に拳骨寸止めしたら、ぺたんと腰が抜けてしまったようだ。
「すると、勇者の前に光が生じ盾となりました! 勇者の盟友の守りの力が、邪悪な魔王の手先の攻撃を退けたのです! 勇者の反撃は赤い巨体を吹き飛ばし、魔物の軍勢はすたこらさっさと逃げて行きました」
 子供達の歓声が弾けた。
 勇者と不死の魔王は、千年前に実在した勇者の物語。子供から大人まで、知らない者はいない。なのに子供達の反応がちょっと喜びすぎなんじゃないかって、俺は思ってしまう。
「人々は勇者と盟友に心から感謝を述べ、夜が明けるまで宴をしてもてなしました。しかし、まだ、勇者達の戦いは終わらないのです…!」
 ミシュアが絵本を閉じた。読んだ後の余韻なのか不思議な沈黙の中で、幼い男の子がミシュアの袖を引いた。
「続きはまだー?」
「ごめんなさいね。ピペが戻ってきたら、きっと続きを描いてくれるわ」
 さぁ、今日はおしまい。そうミシュアが宣言すると、子供達は元気な挨拶をして酒場から出ていった。
 子供達を全員見送ると、ミシュアはほうと息を吐く。
「ピペは凄いわ。こんな素敵な絵を描いて、絵本一つで子供達をあんなに笑顔にしてしまうなんて…」
 そう言ってミシュアは手元の絵本を開く。勇者と不死の魔王の物語は誰もが知っているし、子供のいる家には1冊くらいはあるはず。だが、何故かこの町には一冊もなかったもんだから、ピペが書き起こした。
 ほっそりとしたミシュアの指先が、ピペの描いた美しい絵柄を捲っていく。
「勇者と不死の魔王の話、私は大好きで何度も読んでくれって強請ったわ」
「記憶 戻ったのか?」
 俺の言葉にミシュアは首を横に振る。
「断片的で、読んでくれた人達の顔も思い出せない。でも、胸が温かくなるの」
 微笑んだミシュアは綺麗だ。くるくると癖のある榛色の髪は自由気ままだが、銀の蝶の髪留めで上の方はぴったりと押さえ付けられている。この薄暗い空模様が続く日々で、彼女の空色の瞳は美しかった。赤いエプロンドレスに、旅人の脹ら脛まで包むブーツと、護身用の盾と剣のアンバランスさ。ピペが言うにはとても魅力的な被写体らしい。ピペが鉛筆二刀流でスケッチしているんだ、相当だろう。
「でも、この絵本は本当に売り物よ。私だったらお金を出して買ってるわ」
 ピペは凝り性だ。採算取れなくていいから、納得のものを渡したいらしい。
「ピペの 絵 売る。俺達 旅できる」
 ピペは幼いが絵の才能がある。俺は傭兵の仕事とかで稼ぐが、ピペのポストカードや絵本、ロケットペンダント用の肖像画の売り上げが高い時もある。
 今もピペはローヌ樹林帯の黄葉商店で、描いた絵を売りに行っている。ピペの腕に惚れ込んで絵を依頼してくる奴から手紙が来て、画材も買い付けに行った。ピペは受け取った手紙を見て、大きな仕事になると教会の隅で巨大なキャンパスを組み立てていたな。両手を広げた俺の縦と横よりでかい骨組みは、家の壁かと思った。画材の量も山盛りだろう。
 いつもはピペの護衛や荷物持ちを兼ねて俺も一緒だが、今回は町で知り合った旅人と出かけている。
「ただいま戻りましたわー!」
 噂をすればなんとやら。ピペ達が帰ってきた。
 振り返ると、黄緑色の髪を肩口でばっさりと切ったエルフの魔法使いと、白髪のオーガの女戦士がそれぞれに荷物を置いたところだった。エルフの娘が置いたのは食料らしく、瓶詰めが打ちあう重い音が響く。オーガの娘が置いたのはピペの画材らしく、木箱の釘をピペが早速抜きに掛かっていた。
「おかえりなさい。ピペ。エンジュさん。ルミラさん」
「ただいま、ミシュア。ラチック。セレドの町は変わりなかったか?」
 ミシュアが三人にお茶を出しながら、大丈夫と微笑んだ。
「入り口に魔物が入り込んだけど、リゼロッタさんの召喚したムッチーノさんが倒してくれたわ」
 セレドの街は深い谷と切り立った崖が複雑に入り組んだ地形で、魔物も空を飛ばない限りは町の入り口から入るしかない。今日も魔物は確かに迷い込んでいたが、この町の子供達の最年長、リゼロッタの召喚術で呼び出されたムッチーノという魔人があっという間に片付けた。
 俺が同意するように頷くと、エンジュは目を輝かせる。
「噂によるとセレドの北にはリンジャハルという魔法都市があり、呪術から召喚術まで様々な分野の魔法が研究されていたそうですわね! まだレンダーシアの考古学学会は仮定の話を出ておりませんが、こうやって召喚術を見せつけられると好奇心がはしたないけれど疼いてしまいますわ!」
 エンジュは頭がいいらしく、言っている事の半分はわからん。
 この二人はメルサンディで出会ったルアムの仲間。エンジュはダーマや更にリンジャハル海岸にある古代文明遺跡の研究に来ていて、ルミラはエンジュの護衛がてらこの地域の写真を撮っているのだそうだ。
「気持ちはわかるが、この町の大人達が一人もいない事の調査が優先だ」
「もう、ルミラさん。本音を申しましたが優先順位を違えたりはいたしませんわよ!」
 戦士のルミラは冷静だ。彼女らがここに留まっているのは、この町が子供だけの町だからというだけじゃない。大人が誰一人いない。セレドの町だけではなく、この町から山道を登ってたどり着くダーマ神殿にも人っ子一人いないのだ。
「光の河の起点の一つとも呼ばれるダーマ神殿と、光の河の中州とも呼ばれるセレド。光の河を失い、ただの谷底になっている謎も解明しなくてはならない。自分達が調査するべき事は、思った以上に多いのだぞ」
「考え事をするなら、脳に栄養補給ですわ。さぁ、お昼の支度をいたしますことよ!」
 腹が減っては戦はできぬ、だな。小難しい事を言わないで、そういえばいいのに。
 料理の作り方が書かれた分厚い本をちらちらと見ながら、エンジュは料理をしていく。ピペと同じく凝り性なのかと思ったが、本の通りに作らないと酷いものができるのだそうだ。適当に作れば良いじゃないかと笑うルミラだが、本を取り上げて適当に作らせない辺りは本当に酷いのができるんだろう。
 美味しそうな香りが漂ってくる。エルトナの調味料の味噌って奴は、焼くとすごく良い香りがする。あぁ、はらへったなぁ。
 かたんと音がすれば、窓辺に人影がうろちょろ。俺が外に見に行くと、子供達がきゃっきゃと逃げ惑った。
「お腹 空いたか?」
 俺の言葉に子供達が首をかしげる。
 んーとね。美味しそうだなって思うだけー。お腹は別に空いてないよ。子供達はエンジュの作る料理が食べたい訳じゃないと、口々にそう言った。その中の一人がエンジュが肉料理と格闘する背中を見て、ポツリと言った。
「ママのご飯がたべたい…」
 子供達が途端に寂しそうな顔をしたが、負けん気が強そうな子供がキッと睨みつける。大声で叱りつけるような言葉が彼の口から迸ったが、俺は彼自身の悲鳴に感じるほどに痛々しく感じた。
「それよりも俺達の女王様が、おやつを出してくれるぞ! 行こうぜ!」
「そうだよ泣かないで。女王様にショートケーキ出してもらえるよう、お願いしてみようね」
 優しげな女の子の手に引かれ、泣き出しそうな子供達が歩き出した。
 彼らが向かっているセレドの町の高台にある古ぼけた教会が、子供達の住まいだ。セレドの町は大きな谷底を挟んで西側は居住区、東側は商業区に分かれている。しかし、子供達は彼らの家もあるだろう居住区には寄り付かず、商業区で暮らしていた。寝泊りも高台の教会でしているそうだ。
 寂しいのかも。
 森の中一人で絵を描いていた幼い人間の女の子の背中が、ふとよぎった。
 まだ残っている気配を感じて振り返ると、フィーロが立っていた。彼は女王様と呼ばれた最年長のリゼロッタと同じ年の子供だったが、気が弱く大人しそうな男の子だった。ふんわりと癖のある榛色の髪にかぶせた、教会のシンボルが描かれた帽子。服も彼が信者なのだと一目でわかるローブだ。情けなくハの字になった眉根に伏せられた瞳。フィーロは俺を見上げて言った。
「リズが呼び出すムッチーノは、リズの言う事を確かにききます。魔物からも僕達を守ってくれる、お菓子ばかりだけど食べ物だって出してくれる。でも、それで本当に良いんでしょうか?」
 リズとは子供達が女王と呼ぶ中で、フィーロだけが呼ぶリゼロッタの愛称だった。
「大人達がいた時は、教会の鐘の音で目覚め、両親が用意してくれたご飯を食べていました。勉強をしたら、遊ぶ時間になって、夕刻になると皆でダーマの礼拝堂へ行ってお祈りをして家族が迎えに来てくれるのを待つんです。夕ご飯を食べたら、歯を磨いて眠る」
 フィーロは寂しげに山を見上げた。セレドット山脈の高い峰に遮られて、ダーマの神殿は見えない。
「大人達がいなくなって、今までが崩れてしまった。好きなものしか食べない、勉強もしないで夜遅くまで遊んでいる。本当はそれじゃいけないって思うのに、リズは…」
 そこまで言って、フィーロはため息を吐いてとぼとぼと歩き出した。そんな背中を、俺は見送るしかなかった。
「一言で言えば、堕落ですわね」
 いつの間にか背後に立っていたエンジュが、バッサリと言い捨てた。『ほらほら、ご飯が冷めます事よ』と俺の頭を杖の先で突きながら、エンジュは酒場の中に入っていった。俺も続いて扉をくぐれば、各々が食事を取り始めようとしている賑やかな食卓がある。
 ミシュアの焼いたロールパンが中央の籠に山と盛られ、周囲にはバターや木苺のジャムが並べられている。エンジュが作っていたのは肉に味噌を付けて香ばしく焼いたもので、俺とルミラが特大だが、その他のメンツはその量で大丈夫なのかと心配になるほど少ない。サラダはしゃきしゃきと輝き、スープは暖かそうに湯気が立っている。
 紙の上を走る鉛筆を取り上げると、ピペが怒って俺の腕を叩いた。
「ほらほら、ピペさん。お気に召したのなら、また作って差し上げますから温かいうちに召し上がりなさいな」
 エンジュが口元を手で隠しながら、鈴を転がすように笑った。
「そういえば、ルアムの事が調査団の回覧板に載っていたぞ。メルサンディの怪物騒動は、地元の英雄であるザンクローネとやらと鎮圧目前らしい。自分達もセレドとダーマの問題を解明して、良い知らせを轟かせたいものだな」
 ルアムとザンクローネのコンビなら、どんな魔物も倒してしまえるだろう。メルサンディの明るい話題にミシュアも表情を和らげる。しかし、その笑みはルミラの後ろ半分の言葉にすぐに曇ってしまった。
「本当に子供達の親は何処に行ってしまったのかしら? 時々、寂しそうな子供達を見ていると、胸が苦しいわ」
 ミシュアの言葉にエンジュが声を上げた。立ち上がった拍子に眼鏡がズレたが、御構い無しでミシュアに迫る。
「寂しそうですって!? ミシュアさん、あの子達は好き勝手の野放途の生意気ですのよ! 大人より子供の方が偉いだなんて、よくもまぁ言えますわ! もう、私も怒り心頭で言葉遣いに気が遣えませんことよ!」
 落ち着け、エンジュ。ルミラがエルフの背に生えた薄い翅をつまんでたしなめる。
 ここの子供達は元気が良すぎるが、大人達が居ない事を良いことにやりたい放題だ。エンジュは頭がいいから、生意気な子供達の態度が気に入らなかったのだろう。子供の屁理屈に奇声を上げる姿が、ありありと想像できて頭が痛くなる。子供達のルールで『名誉子供』として滞在を許された俺達とは違い、子供達と喧嘩をしムッチーノを返り討ちにしたエンジュとルミラは一種の不法滞在者だったりする。
 ぜぇぜぇと息巻いたエンジュが、ぐっと水を飲み干して言った。
「その件につきましては、少し心当たりがありますの」
 にやりと、悪戯心や好奇心を堪えきれない笑みが浮かぶ。よくない事を考えた感がよーく伝わって来る。
「お腹が満たされましたら、少しお散歩に行きませんこと?」

 エンジュのお散歩とは、子供達の『おやつの時間』を覗きに行く事だった。
 高台の教会はセレドの町で最も高い場所にある。商業区の一番奥から細くキツイ傾斜の階段が、上へ上へと伸びている。ぴったりと寄せた石は、長い年月を行き来した人々の靴底で磨かれていて濡れていなくても滑る。人がすれ違うのもやっとの岩の隙間を縫うように作られた階段を登りきると、古ぼけた教会があった。
 その古さはセレドの町で最も古い建物と言えた。石を積み重ね隙間を埋めた漆喰はボロボロと崩れ落ち、建物を支える梁も腐ってふかふかと膨らんでいる。窓は所々にヒビ入り割れてしまっているのもあり、見上げた屋根瓦は落ちていて大きな穴が空いている。いつ崩れてもおかしくない。
 町の住人もそう思ったらしく、新しい教会がダーマ神殿へ続く参道の入り口に作られていた。しかしこちらは俺達が到着する前から既に倒壊していた。今はピペがその教会の軒先を借りて、急ごしらえのアトリエスペースが出来上がっている。
 高台の教会は三方が崖で囲まれており、崖を登って子供達がおやつを食べる2階の広間を覗き込む事ができる。ただし、崖はほぼ垂直にそそり立ち、登るには体力も技量も必要である。
 そこで、登場するのが俺とルミラである。
 俺達は鉄の爪をキツめに腕に固定し、崖の岩に爪を引っ掛け、杭を打ち込んでロープを垂らして崖を登っていた。ルミラは背にエンジュを背負い、俺はフードにピペを入れ、ミシュアを背負っている。ルミラにもう少し右とか指示を出しているエンジュを見上げながら、俺は呟く。
「何も しないくせに 偉い」
「ラチックさん、お口が達者ですとメラを放り込みたくなりましてよ!」
 エンジュって気が短い。
 エンジュは子供達に見つからないようにとマヌーサを唱えると、キラキラと輝く霧がうっすらと漂った。
 互いに腰がかけられそうな出っ張りを見つけて腰を下ろしたが、ピペはぶるりと震えて俺のフードから出てこようとしない。ミシュアは高いところは平気らしく、ぶらぶらと足を投げ出している。ベテラン冒険者達も少し離れたところで並んで教会の中を覗き込んでいる。
 しばらくすると、教会2階の広間に子供達が集まってきた。長い立派なテーブルに、等間隔に並べられた椅子に子供達が座っていく。子供達は皆楽しそうに近くのテーブルの子と話している。
 全員が揃うと大股で広間を横切り、一番奥の席に少女が座る。白とピンクの可愛らしいドレスに、腰まである明るい茶色い髪、やや気が強そうな顔立ち、彼女こそセレドの町の女王リゼロッタだ。リゼロッタは指にはめた大振りの宝石の付いた指輪を掲げると、魔力を帯びた強い光が迸る。
「やはりあの指輪が召喚媒体のようですわね。口元が若干動いているのを見ると、起動の為の呪文は必要みたいですけどそれを差し引いても素晴らしい逸品ですわ」
 光が収まるとリゼロッタに恭しく頭をさげる魔人が現れる。見た目は完全に蹄の足を持つ獣の下半身と人間の上半身、頭部に羊の角を生やしたプークプックだ。団子鼻もまんま。違いを挙げるなら、その髪や毛皮が艶やかな金だということだ。このムッチーノがリゼロッタを女王様と呼び、まるで主君に仕える執事ような歯の浮くようなセリフを言うのである。
「魔人の制御も完璧ですわね。人語を喋り理性を保っているだけでも、かなりレベルの高い存在でしょう。しかし一番素晴らしい事は、魔人がリゼロッタを召喚主として認め従っている。指輪が壊されれば存在が保てないとか、リゼロッタが魔人の弱みでも握っているのかしら。私だったら、あんな小娘に従うなんて願い下げですわ」
「エンジュ、暴言が出ているぞ」
「あら、私ったらうっかり」
 ムッチーノは一つ角笛を吹くと、テーブルの上をきらきらと光が舞った。一つ瞬きした次の瞬間には、子供達の前にお菓子が山のように現れたのだ。クッキー、ケーキ、ゼリーにドーナツ。子供達は夢中でお菓子に飛びついた。
 エンジュが目元を険しくする。
「いったい、どういう魔法なのかしら。一番合理的に考えられるのは、ある程度の範囲内にあるお菓子を横取りしてしまう空間転移の類ですわ。魔法で作った空間内で生物が食せるものを生産加工する、そんな魔法は現在確立していませんの。召喚術でないなら、あのムッチーノ縛り上げて調べ尽くしたいですわね」
「縛り上げるのではなく、指輪を奪った方が効率がいいのではないのか?」
「召喚術の構造ではなく、ムッチーノの魔力の使い方に興味があるんですもの。縛り上げるのはムッチーノですわ」
 そういう問題なのか。俺はややげんなりしながらエンジュの言葉を聞いている。
「正直、お菓子だけの食生活では病気をしてしまいますわ。あの子達、ずっとあんな食生活ですのよ? 本当に…どうして大丈夫なのかしら?」
 エンジュの憂いに満ちた言葉は、本当に心配しているようだった。
 広間の入り口で誰かが大声を張り上げているようだった。硝子越しでは何を言っているかはわからないが、フィーロが何かを真剣な表情で訴えているのは分かった。子供達の反応は冷ややかで、聞く耳持たずといった感じだ。
「何を言っているのかしら?」
「推測は簡単ですわ。こんな堕落した生活はやめて、大人達が示してくれていた規律ある生活に戻るべきとでも言っているのでしょう。フィーロは教会の家庭で育った子供。規律の中にある利益を一番理解できる子供ですわ」
 ミシュアの言葉にエンジュは興味なさげに言った。
「リゼロッタは実際にお会いした事がないので推測の域は出ませんが、子供達に役目を与えている意味では子供達だけで生きていこうと考えているのでしょうね。とても合理的で責任感ある行動ですわ」
「子供だけで生きるなんて、ムッチーノという存在があるという前提がなければ成り立つまい」
 ルミラの言葉はもっともだった。
 魔物から身を守ることも、子供達が日々の糧として食べ物を得ることも、全てがムッチーノに依存している。リゼロッタが命じれば従僕のように従順に従うムッチーノだが、居なくなってしまったり命令を拒絶されでもしたら子供達はセレドの町から一番近い宿場町にすらたどり着くこともできず死ぬことだろう。
 旅人はこの町には寄り付かない。食料の調達も宿の確保もできない場所に留まる利益もなく、セレドに子供達しか居ないという噂は近隣の宿場町には知れ渡っていた。さらに神官達が一人もいなくなった為に、ダーマ神殿の存在自体が意味を失っていた。
 今なら俺達やエンジュ達がいるが、この先ずっといるわけではない。
「そう、それが不思議ですの。ムッチーノが子供達と共にあることに、利益は全くありませんわ。もしかしたら対価がすでに差し出されていて、それが大人達の命であるとしたら…?」
 ルミラとエンジュのやり取りを聞きながら、フィーロが駆け足で高台の教会から出て行くのが見えた。そんな背中を見送っていると、ピペのスケッチの文字が飛び込んできた。
『子供だらけ。誰かが大人にならなきゃいけない。大人になったのは、誰?』