ぜんまいの最初の一巻き - 前編 -

 零捌号の眩い明かりが、手元だけを薄暗い空間から切り抜く。工具から伸びる配線は背後の零捌号に繋がっていて、必要な電力を供給しています。
 開かれた小さいメンテナンス用の窓からは、私でも見た事のない世界が広がっていました。配線は実際にアイアンクックを解体して研究したのでしょう。魔物特有の構造だと思ってしまう事でしょうが、魔神兵から小型反重力移動装置まで様々な技術を駆使した構造なのです。私がそれら全ての開発者でなければ、目の前の神カラクリをアイアンクックだと信じたでしょう。
 黒い鋼鉄の丸いボディに、赤いアクセントの接合部。
 これらはアイアンクックの見た目ですが、そのものとは全く異なります。最新鋭のウルベア魔神兵の装甲を遥かに超える、耐久性と硬度。おそらく、キラーマシンなどの装甲をアイアンクック型に鋳直しているのでしょう。
 更に巧妙に隠された動力は、私も見た事のない高純度の太陽石。太陽石を動力にするのはドルワーム王国であり、このアイアンクック型神カラクリはかの国で製作されたと物語る。ガテリア皇国とウルベア地下帝国との戦争に巻き込まれぬよう、砂中に潜り音信不通の王国がこれ程の技術力を擁していると思うと鳥肌が立ちます。流石は三闘神の中で最も聡明で、現在のドワーフの文明の基礎を築いた『賢哲の盾』の末裔です。
『くいっく! くいっく! エッチ! スケッチ! ノータッチ!』
 感心しつつも折れた翼部分の補修を行い、切断された配線を繋ぎ直す。無事な方の翼や脚をばたばたと動かし、くいっく!くいっく!と鳴くのです。
 まるで小さい幼子のようで、私も相手が神カラクリとはいえ良心が痛みます。それでも、破損した部位を修繕できるのは、この場では私しかいません。
「クイック、我慢して。僕じゃあ、君を直せないんだから」
 こんな高性能な神カラクリの持ち主は、滅多にお目に掛かれぬ人間族です。
 人間族が暮らすレンダーシアから遠いこの場にいる人間は、当然ながら完全に冒険者のそれ。原始獣のコートセットは使い込まれて、毛皮はガタラ大山林の葉のように深い緑。狩人らしく弓矢を携帯し、まだ幼さの残る少年だが多くの修羅場を潜ってきた熟練の冒険者の風格を漂わす。青紫の瞳を優しく細め、日に焼けた指先が鉄の鳥の頭を撫でる。
 悲しげな『くいー』という声が、嬉しげに音を高くする。
『触り方エッチなの。スケベな技術者に気をつけろって、ガノ言ったの』
 スケベな技術者と言われて少々ショックですが、これ程の高性能な機体を前に目の色が変わってしまうのは技術者の性と言えましょう。一つの国の全財産と引き換えても惜しくない天才と評されしこのリウでさえ、全てを詳にしたい欲求に駆られてしまうものです。
「我慢だよ、クイック。風船で吊るされたくないでしょ?」
 少年の言葉に、アイアンクック型神カラクリが『くくくく!』と笑います。
『くいっく! 風船、赤色が良い! くいっく!』
 リラックスしたのか大人しくなった隙に、私は一気に修繕を仕上げ窓を閉じました。起き上がったアイアンクックは、ぐっと翼を広げます。『動作確認。異常なし』そういうが早いか、ぱたぱたと翼を羽ばたかせ私の周囲を一周するのです。動作に問題がないのを見守っていると、首がくるりと回り開いた嘴からくいっく!と元気な声が迸った。
『くいっく! 元気になった! リウ老師、ありがとう! くいっく!』
「貴方の開発者の並々ならぬ技量を拝めて、大変勉強になりました」
 嘘偽りはありません。ウルベア地下帝国の先代皇帝ジャ・クバ様に捧げた魔神機は公開され、多くの技術者がそれを体得しようと血眼になっています。だからこそ私の知らぬ抜きん出た技術に、年甲斐もなく熱い血潮が駆け巡ってしまうのです。
 ドルワームにいるガノという技師。ぜひ、お目に掛かり議論を交わしたいものです。
 暗い空間を白い軌跡を描いた羽が折り畳まれ、少年の肩まで覆う手袋にアイアンクックが止まりました。鋼鉄の鳥はがちゃんがちゃんと騒音を響かせながら、人間の少年の顔に寄って覗き込むのです。
『ルアムくん。くいっく、元気なった! うれしい? うれしい?』
 うれしいよ。そう答えながら、クイックの顎周りを掻くように撫でました。
 鷹匠が装備する分厚い皮の手袋から飛び立ち、『くいーっ!』と喜びの声を響かせながら狭い部屋をくるくると飛び回るのです。隼のような高速飛行の中で、暗視センサーや空間把握といった情報を処理する高性能さをまざまざと見せつけられます。
 にこにこと笑うルアム少年が、丁寧に頭を下げたのです。
「クイックを直してくださり、ありがとうございます。リウ老師」
「こちらこそ、人命救助の為、魔神機の暴走を止めていただき感謝しております」
 彼らがここにいるのは、魔神機に襲われたウルベア市民を救助したからです。その際、このクイックというアイアンクック型神カラクリと魔神機が相打ちとなり、この場に運び込まれた、という事になっています。
 しかし、真実は違います。
 私達が魔神機を使ってウルベア市民を捕縛しようとしたのを、少年達が妨害したのです。
 だからと言って、少年達を非難する事は出来ません。側から見れば、暴走した魔神機に襲われている一般市民であり、勇敢な冒険者が助けようと思うのは当然のことです。助けられた市民も少年の仲間によって、ウルベア地下帝国へ向かっているようです。
 なぜ、無辜の民を捕らえようとしたのか。
 それは、私達がウルベア地下帝国にとって好ましくない存在だからです。地下帝国と敵対し戦争を繰り広げていたガテリア兵の捕虜、そして帝国の横暴に意を唱えた反逆者の集まり。このダラズ大鉱脈の採掘場は、それらが一箇所に集められた強制労働施設なのです。
 私は懐中時計を取り出して時刻を確認し、椅子から立ち上がって腰を伸ばしました。あまりに集中していたのか、腰がばきばきです。
「もう、日は沈んでしまいました。夕食を用意させていますので、今日は泊まっていきなさい」
 背後で腕から脇を抉られたような零捌号が動き出し、作業室の重い石の扉を押し開けました。夜の冷え切った風が泥濘んだ空気をかき混ぜ、埃っぽい空気に咳が込み上げる。零捌号がのしのしと前を先導し、足元の階段を照らし出しました。
 堆積したドルセリウムを採掘する為に開けた採掘場からは、活発な火山に炙られた空と少し離れた夜空とで二分されています。それでも地上を舞う砂塵に空気は濁っており、見える星は大きく眩い星ばかりです。
 老師! 上半身裸の同志達が、遠目から私達を手招いています。
 焚き火にはガテリアで好まれる、香辛料をふんだんに使ったスープが掛けられています。長い時間煮詰められた鶏肉はほろほろに柔らかく、野菜もとろとろに溶けてうまみと変わる。これに芋と小麦を混ぜ込んだ生地を焼いた薄いパンを合わせるのですが、外はバターを塗ってカリッと、中はもっちりとして、これがまた美味なのです。肉はスパイスに一日漬けたものを串に通し、火に炙られて油を滴らせています。焚き火の灰に埋められた芋が掘り出されれば、皮をひと剥きすればほくほくの中身が現れる食べ時です。元々は海が近いガテリアでは具材は魚介、合わせるのは米なのですが内陸ならではの仕様でした。
 少年に目配せし、私達は鍋を囲んで夕食を楽しむ同志達の輪に加わりました。
 座った人間の客人に、同志達は興味を隠さず歓迎します。「人間の若造。髭が燃えちまうような、強い酒は飲めるのか?」「まだ髭が生える前の子供に、火酒を飲まそうとするなって」「辛いのは大丈夫かい? このスパイスがガツンと効いた熱いスープを、たんと飲みなさい」「人間はドワーフよりも暑いのも寒いのも苦手なんだろう? 夜は冷えるから、しっかり温まっておけよ」少年の前には、あれよあれよと御馳走が山盛りになるのです。
「美味しそうです…! ありがとうございます」
 照れた笑みを浮かべて頬張れば、美味しいと年相応の笑みが広まるのです。口に合ったと、人間族も美味しいと感じたと、居合わせた者達も我が事のように笑うのです。
 その光景を私は少し複雑な想いで眺めていました。
 他種族とならこんな簡単に作れる光景を、なぜ国が違うだけの同族同士で作れぬのかと…。
 勧められるままにご馳走を頬張る少年は、ここにいるドワーフ達を『ウルベア地下帝国に囚われたガテリア皇国の捕虜達』とは夢にも思っていないでしょう。
 汗と泥に塗れ逞しい肉体を晒す彼らは、どこからどう見ても屈強な鉱夫。私のように筋肉がないものは、魔神機を整備する為の技師と思っているはず。採掘場に馴染んだ我々を、誰が捕虜や反抗分子と思えるでしょうか。
 だからこそ人間族の少年は、私達をただのドワーフとだけ認識している。帝国の人間から憎悪を向けられ、帝国に属さぬ者からはウルベア大魔神の一撃で蒸発した国に関わる事が恐ろしいと腫れ物扱い。何も知らない屈託ない少年の反応を、同志達が嬉しく感じているのが伝わってきます。
「その鳥型の神カラクリが、零捌号と相打ちする高性能なんだってな!」
 捕虜は兵士だけではなく、ガテリア皇国の魔神機のメンテナンスに前線に来ていた技師もいます。魔物ではない事は知れ渡っているらしく、彼らは少年の連れているアイアンクックに興味津々です。
「見てみろ、零捌号の右腕が吹っ飛んで脇腹まで抉られた姿!」
 某用型魔神機である零捌号は、ドワーフ三人分の縦横幅をもったもの。戦争の兵士として前線に立つ型、採掘業に関わる型、大きさと馬力が求められる魔神機としては標準な形です。メラミなら少々焦げ付く装甲を、抉るような跡が刻まれ右腕の接合部は蒸発し脱落したのです。
 このアイアンクック型神カラクリ、機体の小ささから脆弱な攻撃力かと思いきや、高純度の太陽石を攻撃に転化し高出力の砲撃を放って見せるのです。
 ドルワーム王国がこれ程の機体を開発している事を、漏洩するとは考えられません。万が一皇国か帝国に知られれば、この技術を手に入れる為に総攻撃を仕掛けられる可能性が高いのです。この機体が王国外にいるのは、ガテリア皇国が敗北したからかもしれません。しかし、未だにウルベア地下帝国の脅威が過ぎ去った訳ではありません。慎重なドルワームにしては、随分と軽率な判断と言わざる得ません。
「ウルベア地下帝国の最新型とどっちが高性能か、賭けないか?」「この場全員、鳥型に賭けるに決まってる!」「ウルベアの連中が泡食った様子を浮かべるだけで、酒が美味いったらありゃしねぇ!」
『くいっく! 強くて可愛い! くいっく!』
 羽を広げ胸を張るアイアンクックが上機嫌に歌い出します。
 つるばしよいしょで たからがでるよー
 いぷちゃるさまの おめぐみだー
 あぁー ありがたや ありがたや
 われらの かしこい やまのかみ
 くわをどっこいしょで みのりができるー
 いぷちゃるさまの やさしさよー
 あぁー うれしや うれし
 われらの ゆたかな やまのかみ
 のど自慢が名乗りを上げて故郷の歌を歌い出し、麦酒が注がれた石のジョッキが打ち重なり、景気の良い音と泡が弾けました。
「君はこれからどうするのですか?」
 宴を楽しげに眺めていた少年は、私の問いに穏やかに答えた。
「ウルベア地下帝国で兄さんと合流する予定です」
 少年の言葉を額面通りに受け取る事は難しいでしょう。
 このドワチャッカ大陸は最近まで激しい戦争が続き、ガテリア皇国が崩壊した時の光はエルドナ大陸でも目撃出来た程。ドワーフ同士の戦争の苛烈さを、他種族は恐れていました。例えガテリア皇国が崩壊し戦争が終結したとしても、旅行目的で来られる事は先ずあり得ないのです。
 彼らは命の危険を顧みず、何かしら強い目的の為にこの場にいる。
 この優しげな少年と、強力な兵器と呼べる神カラクリ、共に同行していた仲間は何の為にこの大陸に来たのか。素直に問うて聞き出せるとは思っていませんでした。
「不慣れな土地を旅する君達に、零捌号を案内に付けましょう」
 ダラズ大鉱脈のあるこの地域は、かつて三闘神が生きていた時代に敷かれた大きな道から外れています。カルサドラ山脈から流れ出た溶岩から逃れる為に、迷い込んだ可能性はなくはありません。
 案内役がいれば安全にウルベア地下帝国に行けるという、私の善意もありました。
「零捌号。ミニマムモードを起動しなさい」
 私が声をかけると、魔神機が動きを止め転倒しないよう膝を折り待機姿勢に移行します。そして目の光が消えたと同時に、頭部から球体のロボットが飛び出したのです。この極小の機体には、どの魔神機にもない高性能な人工知能を積んでいるのです。
『ルアム様。付かず離れずお供いたします』
 少年は困ったように目を伏せる。
「あまりご迷惑を掛ける訳には…」
 零捌号の肩に大きな穴を空け、連れている神カラクリまで修理してもらった。これ以上何かをしてもらうのに、気が引けてしまう少年の真面目さを垣間見ます。
 ですが、この要件。絶対に呑んでもらわねばなりません。
 くいっく!零捌号に嘴を開けて威嚇する姿は、まさにアイアンクックそのもの。
『くいっく居る! ぜろはち号、必要ない! くいっく!』
 零捌号を突きそうな剣幕に、少年が胴体をしっかりと両手で掴みます。駄目だよ、クイック! 少年の悲鳴に似た声が響きます。
「お節介かと思いますが、ウルベア地下帝国は多くの魔神機が行動しています。今日のような騒ぎを起こせば、融通の利かぬ彼らは先ず君達を投獄するでしょう」
 凄みを利かせた、脅迫めいた言葉。しかし、その言葉は言い過ぎではありません。魔神機が生活の一部となった地下帝国では、魔神機の記録と行きずりの人間族の発言、どちらが重く捉えられるか語るまでもありません。
 ここでの騒ぎが不問になったのは、この捕虜を見張る魔神機は全て私の手が加わったものだからです。私達は動きにくくなならぬ為に、もみ消しただけ。
「賢く立ち回る為に、力を借りる事は恥ずかしい事ではありませんよ」
 私の言葉に小さく少年は息を呑みました。焚き火の光を吸って、青紫の瞳にはちらりちらりと赤い光が差し込んでいました。その瞳は静かに伏せられ、少年は深く頭を下げたのです。
「…お言葉に甘えさせていただきます」

 □ ■ □ ■

 零捌号を調整する為に、一足早く宴席を離れ作業室へ戻りました。
 カメラ動作の調整、映像が鮮明に受け取れるかの確認。録音機能。戦闘はしませんが、ミニマムモードの動作確認。歴史観光案内の特別プログラムも入力しておきます。
 一通りを終え、私は零捌号に向き直りました。
「零捌号。ついに、ウルベア地下帝国への侵入の目処が立ちました」
 強制労働施設は野外の環境でありましたが、天然の牢獄でもありました。逃亡に使う街道は要所要所に警備の魔神機が立ち、収監された捕虜、指名手配された者の顔が登録されています。かつて警備の目を盗んでカルサドラ火山の登山道を決死の覚悟で渡った同志は、待ち構えていた帝国兵に捕まってしまいました。どんな遠くであろうと視認されてしまえば、逃げ果す事は難しいのです。
 その網を掻い潜る方法は、非常に簡単です。
 警備の魔神機に登録されていない人物であれば良いのです。
 しかし、警備に携わる魔神機のメンテナンス間隔は短く、連絡の為にウルベア地下帝国に接続されています。一瞬でも不明瞭な切断があれば、怪しまれてしまう。
 その為にガテリア皇国の捕虜でも、ウルベア地下帝国で反逆分子として登録した者でもない人物が必要だったのです。
 飛んで火にいる夏の人喰い蛾。
 彼に零捌号を同行させれば、魔神機の網に掛かる事なく地下帝国に侵入する事が出来るでしょう。ルアム少年はウルベア地下帝国の監査官ではないようですから、罠という線はありません。
「しかし、ルアム少年とその仲間のサポートが最優先事項です」
 何も知らぬ行きずりの旅人に、悪事の片棒を知らぬ間に担がせるのです。万が一、零捌号が地下帝国が指名手配したリウの制作した魔神機であると知れたとしても、彼らを安全な場所に退避させ、無事に出国させねばなりません。
 少年達が立ち入れる範囲はそう広くありません。得られる情報もウルベア地下帝国の表層でしかないでしょう。
 しかし、それに見合うだけの利益があります。
「最優先事項が損なわれない限り、ウルベア地下帝国の情報収集に努めなさい」
 現在のウルベア地下帝国の状況は、些細なことでも喉から手が出るほど欲しい情報です。冒険者として見える範囲であれ、市民の考え、ガテリアの避難民の様子、魔神機の巡回ルートや機体の様子、小一時間の映像でも得られるものは値千金となるでしょう。
 私達は零捌号から転送された情報を分析し、目的の手がかりとするのです。
 …それにもしかしたら。
 人間という他種族であるなら、物珍しさに王宮に上がる可能性もあります。
 ウルタ皇女。心優しいジャ・クバ様と共におられた仲睦まじき姿が、未だに脳裏に焼き付いておられる。あの優しい時間、幸せな空間を作る為に私は全ての知識と技術を捧げたというのに…。立派に成長されたであろうか、御父上の死に泣き暮らしているのだろうか、暗い想いが過ぎります。
『了解しました。リウ様』
 零捌号の命令復唱を聴きながら、私はアイアンクックの言葉を思い返していました。
 スケベな技術者には気をつけろ。
 ガノという技師の教えは正しい。私は何の関係もない旅人を、国家転覆に巻き込んだのです。
 どんなに心を痛め涙を流そうと真実を明らかにし、大衆が信じた正義を否定し罪を詳にする。私は後の歴史に悪名を残そうと、為さねばならないのです。
 ビャン様。貴方は今の私を見て、何と言うのでしょうね。
 動き出したら、もう止まる事はありません。