ぜんまいの最初の一巻き - 後編 -
あっつ! 甲高い悲鳴が、真っ赤に染まった洞窟に響き渡った。
ここはカルサドラ火山の麓に広がるカルデア溶岩帯の南に位置するが、火山の溶岩が流れ込んだ溶岩窟だ。地上の一晩寝かせたカレーのような粘度の溶岩とは異なり、夕焼けを溶かし込んだ激流が洞窟で轟々と響かせる。照り返しは赤く、溶岩を覗き込めば白熱して眩しく、影は暗いが涼しくない。
逃げ場なく渋滞する熱で蒸し風呂状態の洞窟で、プクリポは赤毛をぐっしょりと濡らしていた。
「ここに、ドワチャッカ最高の宝石『デアダイア』があるんだ」
デアダイア。透明な石に虹を含んだ宝石は、ほんの僅かな光を太陽のように増幅させる。ウルベア地下帝国の宝飾品の店に行けば、米一粒の大きさでも地下帝国市民の五年の年収に匹敵する高級宝石だ。これを俺の妻ララコネアの婚約指輪にする。いや、もう結婚しちゃったんだけれど、最高の宝石を婚約指輪にしたかったんだ。
長年、相棒のリュウタと入手に挑戦していたが、最高級の宝石の原石が簡単に採れる場所にはない。婚約の段階で探し出し、結婚しても諦めず、今も自宅で妻を心配させながら遂に場所を突き止めた。
この灼熱の溶岩窟の奥、硬い岩盤の向こうに一攫千金のお宝があるのだ。
ドワチャッカ大陸のみならず、世界中の王国と比べても最高の発展を成し遂げたウルベア地下帝国で普通に働いていれば妻には何の苦労もさせない。しかし、伴侶に選んだ男はトレジャーハンターという、宝を見つければ億万長者だが、見つからなければ無一文の貧乏人なのだ。相棒のリュウタの嗅覚で最低限食っていけるだけの収入はあったが、豊かな安定した暮らしとは程遠い。一人家で待っているララコネアに『あら、旦那さんはどんなお仕事ですの?』『旦那さんはどれくらい稼いで来られるのかしら?』『宜しかったら、王国に生活援助の申請をなさってはいかが?』なんて、近所の婦人達に囲まれて虐められているかもしれない。しかし、その原因は俺だ。俺が周囲の声なんか掻き消せる成功を収めなくてはならない!
お宝は目の前!
待っていろララコネア! お前の指に、特大の成功者の輝きをプレゼントしてやるからな!
…とは、とんとん拍子に事は進まない。デアダイアがある溶岩窟の奥に行くための岩盤が、とんでもなく硬かったのだ。プラチナ鉱石のピッケルは弾かれ、採掘用ドリルもあまりの硬さに壊れる始末だ。ドラゴンキッズの柔らかい爪では太刀打ちできない。
そんな中、目を付けたのが採掘で使われる爆弾だ。
ドワチャッカでは採掘専用の魔神機が投入されて需要は減ったが、今も煉獄魔鳥の火炎袋を加工した『煉火の玉』が使われている採掘場がある。最も近いのはカルデア溶岩帯に隣接するダラズ大鉱脈で、ガテリア皇国の捕虜を強制労働させている採掘場だ。
なんという幸運だろう。『煉火の玉』の使用許可を国に申請すると、年単位の時間が掛かる。ありとあらゆる部署の書類をかき集めサインをして提出しても、受理されるとは限らない。しかも使用許可を得る為にデアダイアの採掘を明かす必要があり、力を持った宝石商に抜け駆けされる可能性まであるのだ。
だが、強制労働所から一つ『煉火の玉』が消えた程度なら、手癖の悪いガテリアの連中の不手際として終わるに違いない!帝国の民が未来永劫豊かに幸せに生きていけるよう、お心を砕いてくれたジャ・クバ陛下を裏切った連中だ。この程度、仕返しにもなるまい。
ワギ様が、妻の為にデアダイアを採掘せよと言っている!
しかし『煉火の玉』の入手は簡単じゃなかった。
仕方がない。ロマンの前には困難が付き物だ。
一つは強制労働所が想像以上に警備が厳重だった事だ。ダラス大鉱脈全域で魔神機が巡回し、採掘現場では要所要所に立って脱走者が居ないか見張っている。考えてみれば、ガテリアの連中は隙あらばウルベア地下帝国の破壊を目論んでいるのだから当然だ。天然の牢獄くらいに徹底して、帝国の安全を確保しようと言うグルヤンラシュ様のお考えは臣民を慮ってのことだ。
警備の目を掻い潜り、リュウタに野良の魔物を装って『煉火の玉』を手にしたまでは良かった。
『アナタガ 持ツ『煉火ノ玉』ハ 大変危険ナ 爆弾デス。直グニ 放棄シテ クダサイ』
警備の魔神機の警告が響き、俺達を捕らえようとしたのだ。
その行動は正しい。『煉火の玉』は僅かな火気でも爆発を起こし、魔神機のドリルでは砕けない硬い岩盤を粉砕する威力を持っている。俺が手に持っている状態で火の粉ひとつ付いた瞬間、一般的な成人男性の体は木っ端微塵だ。直ぐヒャドの魔法陣を縫い込んだ布で包んだが、カルサドラ火山の火の粉がこちらに降ってこないとは言い切れない。
ガテリアの捕虜共を見張っている魔神機が、ウルベア地下帝国の国民の命を守る行為として何の問題もなかった。
だが、ララコネアの指に特大のデアダイアの指輪を付けてやるには、『煉火の玉』がどうしても必要なのだ。
俺とリュウタは捕らえようとする魔神機から逃げ出したが、捕虜供を逃さない為に配置された魔神機達の連携は見事としか言いようがない。俺達は逃げる先々に魔神機が待ち構え、逃げる方向を誘導されて追い詰められ、遂に捕まろうという所だった。
ワギは俺を見捨てては居なかった。
運良く居合わせた旅人達が、暴走した魔神機に襲われていると勘違いして助けてくれたのだ。
二人とアイアンクック一匹という妙な組み合わせだったが、そのうちの一人、プクリポが魔神機を撹乱しつつ俺達をカルデア溶岩帯まで逃してくれたのだ。
旅は道連れ、世は情け。
お宝が眠る灼熱の溶岩窟まで、旅人には護衛として来てもらったのだ。魔神機を足止めする為に残った人間の仲間とは、何かあればウルベア地下帝国で合流することになっているらしい。
流石に今は懐が寂しいが、デアダイアが手に入ればあっという間にカルサドラ火山並みにホカホカになるだろうよ! 命の恩人に、たっぷりとお返ししないとな!
「ひえーっ! あっつい! クラクラしてきちゃうよ!」
やはり毛皮があるから暑さは苦手なようで、プクリポはぱたぱたと手で顔を扇いでいる。ルアムと名乗った旅人の前を、とことこと進むのは相棒のリュウタだ。一人は赤毛のプクリポ、一人は赤い鱗の珍しいドラゴンキッズで、赤い洞窟に溶け込んでしまいそうだ。長い影を刻む俺達の陽気な会話が、洞窟内に響いている。
リュウタの先導で溶岩の滝を横目に、時には轟々と溶岩が流れる川を下に見て進む。それでも時間的には逆上せる程の時間は掛からず、洞窟でも比較的浅い部分でリュウタは足を止めた。コツコツと岩盤を爪で突き、鼻をひくつかせると振り返った。
『この壁の奥に空洞があるドラ』
俺は小さく頷くと、小振りな金槌でコンコンと岩盤を叩く。
リュウタの言う通り、他の岩壁とは音が違う。でかしたぞ。そう俺が相棒の顎を撫でれば、ゴロゴロと楽しげに喉が鳴った。
反響音から岩盤が薄そうな部分を割り出すと、そこに布に包んだまま『煉火の玉』を置いた。ルアムとリュウタを引き連れて十分距離を置くと、俺は相棒に声を掛けた。
『まかせろ! キバチェ!』
ぱかりと開いた口から拳くらいの火の玉が放たれ、布に着弾する。炎が布を瞬く間に飲み込むと、次の瞬間大きな爆発が起きた! 爆風をリュウタは体を低くして堪えたが、体の軽いプクリポが後ろに飛んでいきそうだったので慌てて捕まえる。続いて砕かれた岩盤が雨霰と叩きつけ、俺はルアムとリュウタを庇って覆い被さる。
もうもうと湧き上がる土煙の向こうから、かさかさという音と大きな影が浮かび上がる。ルアムは俺の下から這い出ると、身構えて土煙に浮かんだ影を睨みつけた。
かさかさ。
がさがさ。
音はどんどん増え、影も数が増えていく。
土煙を割って現れたのは、ずんぐりとした白い甲殻の上に、赤い角や触覚、脚がついた虫型の魔物。その大きさは頭から尻尾の先まで幌馬車くらいあり、縦に並んだ鋭い牙がカタカタと神経質にかみ合わさっている。単体でも恐ろしい脅威だが、穴からどんどん這い出してきて目の前の広い空間を埋める程になりつつあった。
「虫だ! やばい! 岩盤の向こうは奴らの巣だったんだ!」
逃げよう! そう判断した旅人の前を、赤い影が駆け出した!
「リュウタ!」
飛び出したのはリュウタだ。赤いドラゴンキッズはその小さい体を生かして、虫達の上を飛び回り開けた穴の向こうを目指していた。
『デアダイアは、キバチェがずっと欲しがってたお宝ドラ! ここまできて諦められないドラ!』
「馬鹿を言うな! 死んだらお終いじゃないか!」
虫達は巣に侵入しようとする者に、一斉に襲い掛かる! それを防いだのは赤い風。ルアムはプクリポならではの身軽さで虫達を撹乱する。角に手をかけてくるんと回ったと思えば、遠心力を利用して高く舞い上がる。トントンと白い甲殻の上で踊るように飛び回り、爪で引っ掻いて嫌な音を響かせ虫達の目を惹きつける。
「早く決めて! この虫、壁の奥にいっぱい居るぞ!」
警戒からかぶわりと毛を立たせて膨らんだルアムに虫達の注目が集まった隙を逃さず、リュウタは穴の奥に飛び込んでいった。俺も向かってくる虫達をハンマーで叩いて応戦しながら、リュウタが戻ってくるのを待つ。
瞬き一回分が一年に思える程、長く長く引き伸ばされた時間。
リュウタは穴の向こうで、無事にデアダイアを手に入れられたのだろうか? いや、デアダイアが開けた穴の直ぐ傍にあるとは限らない。巣となっている向こうで、たくさんの虫に囲まれて殺されるのではないか? もし戻るのが遅ければ、旅人は俺を逃そうとするかもしれない。リュウタを置いて、俺だけ生き延びるだって? デアダイアを手に入れようとした俺の我儘に付き合ったリュウタが死んで、おめおめと俺が生き残るだなんて耐えられない!
なんでもいい。とにかく、無事に戻ってきてくれ!
嵐のように不安が頭を掻き回し、無我夢中で虫を退ける。角をへし折り、丸い甲殻を陥没させ、足をたたき折る。俺の周りに動けない虫の山が築かれようとした時、虫の大群がぴたりと動きを止めた。
遠くから大きな音が響いてくる。虫達は息を呑むように穴に向き直り、地面から どすん、ずしんと地響きが這い上がってくる。その地響きは、慣れ親しんだ魔神機に似ていた。
なにか、巨大なものがこちらに向かってくる。
生唾を飲んだ俺を背に庇うように、ルアムが虫達の背越しに穴を見た。
まさか、虫達の親分か? リュウタは無事なのか?
どぉん! がぁん!
穴の空いた岩盤から凄まじい音が響き、『煉火の玉』でしか穴を開けられなかった硬い岩盤が大きく揺らぐ。がらりと岩が剥がれて虫が潰れ、虫達は壁の向こうの存在に後退りする。
俺達も逃げるべきでは? しかし、そんな時間はなかった。
次の瞬間、岩盤が弾け飛び大岩が虫達に降り注いだ。岩盤の側にいた虫達は勿論、俺達の側にまでにじり寄っていた虫達も飛んできた岩に無惨にも押しつぶされる。
立ち上る砂煙の向こうから、魔神機と変わらぬ大きな影が浮かび上がった。
砂煙を毟り取り、太い尾が虫達を無造作に薙ぎ払った。巨大な虫達は軽々と吹き飛んで、ある者は壁や床に叩きつけられてひしゃげ、ある者は崖から転落して溶岩に呑まれていった。鋭い爪が翻れば易々と硬い甲殻を切り裂き、鋭い牙で噛み付けばまるで果実を絞るように噛み砕かれていく。
それは巨大な赤い竜。
体は見上げるほど大きく、横幅も大黒柱のようにどっしりとしている。手は小さく、耳が扉のように大きくて顔が小さく見える程だ。鋭い爪は簡単に虫達を引き裂き、尾を振り抜けばまるで砂漠のケダモンのように虫達が軽々と吹き飛ばされていく。目の前で悠々と虫達を蹴散らす竜は、俺達を見るとぞろりと白く鋭い牙を見せて笑った。
隣に並んだルアムが、ごくりと唾を飲んだ音が聞こえた。
終わった。
リュウタ。ララコネア。お宝一つ手に入れられず死ぬ俺を、どうか許してくれ…。
『ぷはーっ! 苦しかったドラ!』
癖のない流暢な人語、ドラという語尾に必ず付く癖。大きさこそ違うが、赤い鱗の竜だ。俺はそれがリュウタかどうかも分からぬまま、ハンマーを放り出し両手を広げた。
「リュウタ!」
俺は相棒が生きて帰ってきた事に、視界がぐしゃぐしゃになりながら大きなお腹に抱きついた。大きな手が、俺の背を労わるように撫でてくれた。
『キバチェ、待つドラ。穴を塞いじゃうドラ』
ずるりと腹が動き、つるりとした面に手が離れる。
リュウタという強敵を前に攻撃をしてはこないが、穴からは変わらず虫が出続けていた。リュウタは身を仰け反らし大きく息を吸い込むと、悍ましい雄叫びをあげる。びりびりと体を震わせる雄叫びに穴に引き返す虫もいたが、動かぬ虫は大木のような尾に薙ぎ払われる。戦いながらリュウタは大岩を持ち上げ、虫達を押し退け穴を塞ぐように置いてしまったのだ!
ずずん。岩が穴を塞いだ衝撃が洞窟に染み入る。
リュウタは帰れずに残った虫達を倒しながら、大岩に比べれば手頃な岩を穴があった場所に集めた。虫が全滅した頃には、瓦礫の山と化した虫達の巣の出入り口に仁王立ちになる。
すぅう…。空気がリュウタに引っ張られ、仰け反って大きく息を止めたリュウタの赤い鱗が熱されたように輝く。まるで火を抱き込んだ炭のように、リュウタの体から熱気が迸った。ぶるりと一つ身震いすると、リュウタは頭を振り落ろし口と尻尾が一直線になるほどに前のめりになった。
瞬間、視界が真っ赤に染まる。目の前に溶岩が湧き出したような強烈な熱気と、目を灼く光。リュウタの吐いた灼熱の炎が、大岩と瓦礫を融解させ巨大な岩壁に変えてしまったのだ。リュウタがこんこんと岩壁を叩いて、ひとつ頷いた。
『これで、もう虫は出てこないドラ!』
聞けば巣の中は魔瘴で満ちていたらしい。魔瘴は魔物に強く影響し、能力を向上させたり暴力化させる事もある。運良くリュウタの精神には及ばなかったが、体が急成長したようだ。
リュウタが大岩で蓋をし、さらに溶接までした。今後、この洞窟を訪れたドワーフ達を虫が襲うことはないだろう。
俺が感慨深く穴があった場所を見ていると、リュウタがおずおずと何かを差し出した。ゆっくりと手を開くと、太陽の輝きが溢れ出る。俺は燦然と輝くお宝に目を丸くした。
『デアダイア。こんな小さいのしか手に入らなかったドラ』
俺は誰もが喉から手が出るようなお宝を無視し、リュウタに抱きついた。とくとくと腹越しに聞こえる鼓動が、じんわりと暖かい体温が、ドラゴンキッズの時と変わらない柔らかい腹が、どんな大金よりも尊く感じた。
俺はなんて浅はかな奴だったんだ。
ちっぽけな宝の為に、リュウタと未来のドワーフ達の命を脅かそうとしたんだ。目も眩む大金よりリュウタの命が大事だと、愛する妻もフライパンで会心の一撃を決めるに違いない。
もう、リュウタが死ぬことはない。そう確信すると、涙が溢れて止まらない。
「デアダイアなんてどうでもいい! リュウタ! お前が無事で本当によかった!」
リュウタの手が俺の背に回り、耳元で大きな口が窄められて囁いた。
『オレもキバチェの元に帰れて、嬉しいドラよ』
あぁ! リュウタ! キバチェ!
感動し抱き合う俺達の横から、でもさーと呑気な声が聞こえた。
「オイラ、ウルベア地下帝国行ったことねーけど、そんなおっきい竜が入るの?」
はっ!
俺は弾かれるようにリュウタを見上げた。
確かに魔神機と並べると同じくらいの大きさだから、地下帝国に入れはするだろう。ドラゴンキッズの可愛らしさと弱さで見逃されていたが、こんな立派なアルゴンリザードでは入国拒否は確実だ。
…まぁ、でも。
俺はリュウタを見上げ拳を突き上げた。リュウタも拳を突き出して、俺の拳にコツンと当てる。
「俺達『ヒスイの翼』は更なるロマンを求めて、旅立つから問題ないな!」
あぁ、そうだとも!
ロマンは世界で最も栄えたウルベア地下帝国の、最も品揃えの良い店や帝国御用達の店には売っていない! 危険を掻い潜り、困難を乗り越え、誰も到達した事のない未踏の大地に、素晴らしいお宝があるものなんだ!
『オレはキバチェと一緒なら、どこだって良いドラ!』
リュウタと一緒なら、どきどき胸が高鳴る冒険も、キラキラのお宝を手に入れるロマンも思いのまま。でも、そんなのはどうだって良いんだ。リュウタが一緒なら、俺の人生は最高に楽しい!
「さぁ、先ずは俺達のお姫様に宝を献上しに行こう!」
大きくなったリュウタを見て、ララコネアはびっくりするだろう。お宝を見て、妻はどんな素敵な笑顔を見せてくれるんだろう。新婚旅行はドワチャッカを飛び出して、世界一周と洒落込もうじゃないか!
そう胸を弾ませられるのは、全てリュウタのお陰だ。
どんなお宝に勝る最高の相棒。俺達は顔を見合わせ、にかっと笑った。