鎮魂歌

 ムーンブルク城の宝物庫の隠し階段を抜け、最奥の扉をくぐり抜け、地底の渓谷と亀裂の底にそれはあるという。
 それはムーンブルクの栄華の秘密であり、王族が歴代に渡り死守すべきものだった。
 しかし、それが何か、知る者は全て死んでしまった。
 だからこの国は魔法が発達した。
 知るべきものを、知るために。

 □ ■ □ ■

「鎮魂の鐘の音だ。風の塔から使節団が鎮魂祭を行うんだろう」
 ロンダルキアから吹き下ろす冷涼とした南風に煽られて、遠く近く高く低く鐘の音が響き、穏やかに切なく鎮魂の言葉が行き来しています。翻る無数の旗の下で厳かに練り歩く、ラーミア信仰者の鮮やかな法衣に風のマント。手に持った枝を慎ましやかに掲げ、死者の為に祈るミトラ教の信者。金色の鐘を捧げ持ち労るよう人々に染み入る音を奏でる精霊信仰の信者達。
 私が見知る以上の宗派の信者達がこの町で大規模な合同慰霊祭を行うらしいのです。
 サトリ君の言葉がなくては、見当も付かなかったでしょう。
「風の塔はそれほどの巡礼施設でしたか?」
「おっさん。ムーンブルクの外交官だろ?それくらい知らねぇの?」
 サトリ君が書物から侮蔑するような渋い顔を上げました。
 腕に絡み付いているシクラはそれだけで殺気だってしまうので、ぎゅうっと腕に強く抱きとめて置きます。
「ロレックスに聞けよ。そんなのも知らねぇなんて…恥だぜ」
 はは…。私は苦く笑うと金髪と緑の法衣から視線を外して、青を基調とした旅の服を探します。
 私の少し後ろで行列を眺めていたロレックス君は『全く、サトリの奴は…』と溜め息をつきました。青い旅人が好むような皮を裏地に当てた厚めの布の服は動きやすく、動く邪魔にならないよう工夫されたポーチや鋼鉄の剣を装備した若き傭兵のロレックス君は苦笑いを浮かべて私の視線を受け止めます。
「ローレシアやサマルトリアが建国されて、ベラヌールへ巡礼する信者のためにムーンブルクが風の塔を解放したんだ。海路で風の塔、ペルポイ、ベラヌールの海路を拓いたんだが、いろんな信仰の交差点になったんだってさ。総本山のあるベラヌールより堅くもないし、ムーンブルクから出資されるしかつてない好条件に宗教戦争も起きない特別な地域になったそうだよ」
「そうなんですか」
 私が再び視線を使節団に向けようとした時、ロレックス君が首を傾げたようで私は再び向き直ります。
「本当に知らないの?自分の国の内情だろ?」
「いやぁ…」
 私は少し笑ってはぐらかすと、使節団に目を向けました。
 ムーンブルクが崩壊してから一か月が経とうとしています。
 崩壊の理由の目星は一向に付いておらず、どこかの破壊神肯定派の邪教の陰謀だとか、魔族の侵攻だとか、根拠のない噂ばかりが飛び交っています。魔力の流れはムーンブルクに近付くほどに淀んで測定も視認も侭ならず、おそらく王城にたどり着いたとしても瓦礫に勝る魔力の煩雑さに原因の推定など取れるはずもないでしょう。まるで粉塵に視界を奪われるかのように、私の魔力を見る力は意味を失うはずです。
 原因の究明よりも、まずは周辺諸国の援助を取り付けるのが先決です。
 ローレシア、サマルトリア、ラダトームにデルコンダル。この四国に渡り、内情を説明し、王国の復旧よりも国内の国民への支援を取り付ける必要があるでしょう。必要ならミトラ教の総本山、ベラヌールに司教を通じて支援していただく策も考慮する必要があるはずです。
 しかし…
 私は不安になります。
 崩壊した王国の復興に協力してくれる国などあるのでしょうか?
 各国の国王に接触し、ムーンブルクの為に動こうとする外交官は一体何人いるのでしょう?
「はぁ…」
「溜め息ついて大丈夫?」
「えぇ、大丈夫ですよ」
 ロレックス君が心配そうに見上げてくるのを苦笑で返すと、ロレックス君は「ならいいんだけど」と視線を使節団の行列に向ける。
 鎮魂祭と言うだけあって風の塔にいる多種多様の宗派の信者が集まり、それに引き寄せられるように行商人や旅人も集まって『鎮魂』という意味よりも『祭』の意味合いが強くなりつつあります。道端で行商を始める者もいれば、町の食堂は訪れる客の多さに悲鳴を上げ、ついには屋台も現れる始末です。…死んだ者を悼む『鎮魂』もありますが、残された者の心を鎮める『鎮魂』もある。私は、それはそれで良いと思いますよ。
「ねぇ、リウレムさん」
「何ですか?」
 うずうずしているロレックス君が躊躇いがちに切り出した。
「俺…ちょっと観光に行って来ても良いかな?」
 ローレシア出身だというロレックス君にとって、ここは遠い異国です。大陸すら違うこのムーンブルク王国領で最大の町ムーンペタに来て、観光一つしていきたい気持ちは分からなくはありません。アレフさんの建国した王国の子供達なのですから、やはりしっかりしていると思いましたが、こういう子供らしい年相応の気持ちはかえって微笑ましいくらいです。
「宿もとりましたからね。各自解散して自由行動しても大丈夫でしょう。気をつけて行ってらっしゃい」
「うっしゃあ!ありがとう!リウレムさん!!」
 即座に走り出した青い帽子を、横からニョキリと出てきた緑の法衣がのびて掴む。掴まれた帽子が脱げて黒髪がばさっと落ちると、ロレックス君は突然の事にたたらを踏んで振り返りました。
 青い帽子を右手に掴んで仁王立ちしているサトリ君を恨めしそうに見つめています。
「サトリ、何か用かよ?」
「勝手に行くな。僕は後一時間したらムーンぺタ大聖堂と資料館に行きたいんだからな」
「子供じゃないんだから、一人で行けるだろ?」
 睨み合う二人だが、最初に視線を外して笑ったのはサトリ君です。その鼻で笑う笑い方に露骨に反応するロレックス君ですが、なんとか堪えている様子。
「僕はムーンぺタ大聖堂と資料館に行って過去の美術造形と過去の文献を見たいんだ。それ以外の道筋や手続きなど不毛だ。僕は無駄が嫌いだからな。ロレックス。お前がやってくれ」
 うわぁ…。
 私も数々の不条理を外交の最中には見てきた身。サトリ君の言い分には多少の耐性がありましたが、これはこれで凄いですね。
 私ですら呆れるんです。怒る気力のある若者が怒鳴らずに居られるはずがありませんでしょう。
「サトリ!俺はお前の召し使いじゃねーーんだぞ!」
「お前は親父に雇われた傭兵だろ?別に僕が頼んでいる訳ではない。お前が好き勝手に付いてきているだけだ。なら、僕がお前に何を頼んでも良いんだ。違うか?」
「違うわ!!どういう理屈こねてんだ!俺はお前の護衛なんだから仕方なく一緒にいるだけだ!」
「なら、僕は多くの一般人に混ざって観光に行くのを、護衛をまかされたお前は放っておくのか?」
「お前は子供じゃないだろう!ベギラマもザラキも金蹴り目潰しも当然のお前が、そんじょそこらの悪党に姫同然にさらわれる訳ないだろ!俺だって観光したいんだよ!特にお前抜きで!!」
 ビシッと指を指すロレックス君の先でサトリ君が笑います。
 その光景に呆れていたのか、私の腕に絡み付いていたシクラが溜め息をついて見つめていた。
「不毛だヨン」
「…」
 おそらく、ロレックス君は折れるでしょう。彼は多少大人ですからね。
「リウレムさんも何か言ってやってくれよ…って、リウレムさんいねぇ!逃げたなぁ!!」
 私はすでに野次馬の輪の外。頑張ってくれよロレックス君。

 □ ■ □ ■

 資料館から一区画しか離れていない所に、赤茶けたレンガの時代を感じる建物がある。
 入り口の扉には銀の額縁に納められた蝶と輪と翼豹が描かれたムーンブルク王家の紋章の下に、『我々は王国のために』と署名された羊皮紙が飾られている。ムーンブルクの外交官のムーンブルク支部です。
 世界規模で展開する外交官の業務の中で、各国に派出所が建設され、各国からムーンブルクヘの窓口になっています。ムーンブルク領内といえど、王国に申請する場合の窓口はここになるのです。さて…、災害の時、運良くムーンブルクに居合わせなかった強運の持ち主は何人いることやら…。
 扉を開くと、そこは飴色に輝くほどに使い込まれ磨かれたカウンターと、広々としたオフィス。その中を忙しなく行き来するは、ムーンブルクの災害に巻き込まれただろう者を心配する家族の悲痛の叫びと懇願、災害の程度を把握できずただ頭を下げるだけの外交官達。紅と藍のローブを着込んだ外交官は10人程度といったところでしょうか。
「あんた!ムーンブルクを見てきたのかい!? 私の子供がムーンブルクに観光に行ったきり帰って来ないんだよ!」
 入り口のすぐ横に立っていた派手派でしい服と帽子をかぶった初老の女性が、私の胸ぐらを突然つかんだ!その恰幅のいい体格に見合ったよく響き渡る声に、その場に居合わせた全ての人間が振り向いた。
 まずい。
 裏口から入れば良かった。
 入り口からたった今入ってきた私が、ムーンブルクを視察してきたと思ったんでしょう。外交官も、外交官に訴える者も、全員が爛々と目を輝かせて私を見つめてきます。私はどうすればいいか、汗がつぅっと耳の前から頬を滑り降りていく。
 私は今、ここに情報を確かめにきたのです。きっとここにいる外交官達と大差ないでしょう。
 中途半端で覆りやすい安心は、返って不安をかき立てるものです。
 私は意志を固めて初老の女性の手を解くと、人々の中心、カウンターの前にゆるりと歩み寄り、人々を見渡しました。
 誰もが不安を抱えているでしょう。若い女性は婚約者がムーンブルクに居たのか死にそうなほどに青ざめ、少々歳のいった夫婦は互いを支えあってようやく立っており、老婆と並んでいる少年は幼さのあまり何が起きているのかを理解していない様子です。彼らの声に応える事、それこそが我等外交官の勤め。
 私は大きく息を吸って、若干低く声を響かせた。
「私はムーンブルクの外交官、リウレムと申します。今我々が直面している事態は、おそらく我々が想像している以上のものでしょう。ムーンブルクを襲った厄災から、すでに一か月が経っております。皆様にはその心の内に抱える不安が現実のものになるかも知れない御覚悟を決めて頂きたい」
 嗚咽が、悲鳴が、館内に響き渡ります。
 彼等が求めている事に応えられない、己の無能さを噛み締めるばかり。しかし、嘘など脆いもの。いっそ恨まれた方が、個人的に良いことも多いのです。
「皆様が思い思いに原因の究明を望んでおられるようですが、まずは周辺諸国の援助を取り付けるのが先決です。我々はローレシア、サマルトリア、ラダトーム、デルコンダルに、ムーンブルクの民への支援を取り付けます。ミトラ教の総本山、ベラヌールに司教を通じて支援していただくよう交渉します」
 原因の究明など、時間の無駄です。今のムーンブルクに行って何が分かるというのでしょう?
 累々の死体が転がっていると報告すれば落胆し、王城が崩壊していると報告すれば絶望し、再建など当分不可能と報告すれば挫折する。しかし幸いは王国の基礎である国民がいるという事です。彼等の故郷への思いと余裕が合わされば、時間がかかれど再建は望める。
 今必要なのは基礎を固めるという事。
 国民を支えるために、導くべき国家の代行を我々外交官がして行かねばならんのです。
「我々、ムーンブルクの外交官は最善を尽くします。だから…」
 私は全ての人の視線を受け止めました。
「信じて下さいとはいいません。恨んで下さってもいい。それでも、我々は皆様のために動く事を知って下さい」
 人々は目を伏せた。悲鳴は止み始め、嗚咽は徐々に小さくなって行きます。
 そして一人、一人、人々が出て行かれます。
 私はその一人一人に頭を下げた。

 最後の一人がこの場を去って、どっと疲れたように外交官達は座り込み、ため息をこぼしました。
 今まで休みなしで対応に追われ、把握できぬ状況に焦りを感じていたのでしょう。今という事態は、彼等の疲れきった姿に労りの言葉をかけるのすら哀れに思うほど非常すぎていたのです。
「ありがとうございました」
 唐突に掛けられた声に振り返れば、白い口髭を貯えた老人が杖を突いて立っていました。外交官のローブを着込み、懐中時計は胸元におさめられているのか鎖が胸元から隠れて見えています。ローブのしわもないようなピンとした着こなしをし、髪を香油でまとめたきちんとした身なりのご老体は疲れきったように笑みを浮かべました。
「ここの所長をしています、ジョウガと申します」
「これはご丁寧に。私はリウレムと申します」
 丁寧に下げられた白髪に、私もより丁寧に頭を下げる。ローブの重なりに隠れていたシクラもひょっこり顔を出し、腕によりより登ると触手を一本持ち上げます。
「シクラはシクラだヨン」
 ジョウガ殿が一瞬目を丸くしましたが、それも一瞬。冷静に目を細めると穏やかで洗練された動きで奥へ招き入れて下さりました。
 奥の貴賓室に通されソファーに先に腰を下ろさせていただくと、ジョウガ殿はルビーを加工した魔法道具の水差しからティーポットへ熱湯を注ぐ。他国からやってきたものは、火もない所に置かれた美しい水差しから熱湯が出る事に大層驚かれる。しかし、魔道士の杖に使う炎を誘発するルビーを加工した水差しなら、水を熱湯に変えるなど容易き事でしょう。
 程よく蒸された紅茶の香りが室内に満ちると、ジョウガ殿は王宮仕込みの手作法で優雅にカップに紅茶を注がれた。
 琥珀のように深みのある色合いを楽しみ、一口啜る瞬間から広がる香りと風味を味わうと、ジョウガ殿に一礼する。
「とても美味しいです。ありがとうございます」
「シクラ殿は、お気に召しませんでしたかな?」
 シクラの前にも程よく湯気の登るカップがおかれている。その前に困ったように座るシクラをジョウガ殿が気づかう。
「ご心配無用です。シクラは熱い物が苦手で、冷めるのを待っているのです。自分の飲みたい温度まで下がったら飲ませていただきます」
「そうでしたか。それは失礼」
 ジョウガ殿が向かいに腰を掛けると、そのまま顔を伏せ両手で覆ったのです。
「リウレム殿、私は夢でも見ているのでしょうか?」
「いいえ、残念ながら夢ではないでしょう。私もローラ王妃様の門でムーンブルクの厄災を視認しましたが、魔力の影響が大陸外の流れにまで影響しています。尋常ではない事態であることは、間違いないことでしょう。ムーンペタの外交官達も住民も非常にショックに感じているようですね」
 疲れきっている外交官達を思い出します。
 ムーンブルク国内でも、魔力や交渉術や情報分析力など、なんらかの能力に秀でたものが選りすぐられる外交官という職業を担う者達。事の重大さを住民以上に感じているはずです。彼等だけではなくムーンペタの住民は、ほぼ漏れなく魔力の才を持っているものです。そんな彼等がすぐそばで起きた魔力の暴走にも見えるような災害を見にして、トラウマの一つもなるはずでしょう。
「その通りです。誰もが尽く冷静さを失い、混乱しています。未だにムーンブルクの状況ですら把握できません。国王の安否を調べる余裕など、どこにありましょう」
 顔を僅かに上げるとジョウガ殿の手が私の手を取ろうとする。テーブルに置かれたポットを倒し、テーブルに紅茶が流れ出すのもかまわず差し出された手を私は慌てて取った。下げられてよく見えないジョウガ殿の顔が、テーブルの紅茶の湖に映し出される。
「リウレム殿、どうかご指示を…!今の我々にまともな判断など下せるでしょうか?いや、下せんはずです。誰もが疲れきっているのです。疲れきって、誰も、何も考えられない」
「ご察します。どうか手の力を抜いて下さい」
 手の甲に三日月がいくつもできるほどの力をようやく抜かせると、私はジョウガ殿の顔を覗き込んだ。
「私はラダトームヘ向かいます。ルーラもキメラの翼も通常どおりに使えるようになるには、まだまだ月日が必要なほど世界中で影響が出ています。ですから、物理的に一番距離のあるラダトームヘ赴き、交渉したいと思います。もしかしたら、この事態の有力な手がかりも手に入るやもしれません」
 私はジョウガ殿の手を握り直した。
「皆さんはできるだけ安全に、ローレシアとサマルトリアとの外交を始めて下さい。デルコンダルへはローレシア経由でもいいです。とりあえず、皆さんの安全が第一です。中枢部が潰えたとなれば、ここが本部とならざる得ないのです。育った人材の命を消してはなりません。複数で、できるだけ安全を心掛けて下さい」
「しかし、ローラの門は今、閉鎖されていると聞きました」
「サマルトリアのサトリ王子に書状を書いて戴きましょう。明日には用意できるようにしておきます」
 彼のことだ。勝手にしろと言うに違いない。代筆させていただき、最後に直筆のサインだけいただけば、立派なサトリ王子の書状の出来上がりだ。
 カラクリの真相を知らずにジョウガ殿が目を丸されました。
「リウレム殿…貴殿は、真に素晴らしいお方ですね」
「当たり前ヨン!リウレムは凄いんだヨン!!」
 シクラの得意げな言葉に苦笑いを浮かべ席を発とうと立ち上がった時、窓の外にそれが見えたのです。
 私が驚いたように見ているそれに、ジョウガ殿が笑うように言う。
「ムーンブルクが崩壊したその日くらいから、あぁしてあの木の下にいるのです。首輪もしていないですが人に馴れていますし、難民の犬なのでしょう」
「何をいってるんですか!?あれは…あれは!!」
 私は急いで窓に駆け寄ると、一階であることもあって窓を開け放ち、跨いでその木の下で私達を見ていた犬に歩み寄った。しっぽのないずんぐりとした子犬は、戸惑ったかのように私を見上げる。私がその子犬の前で膝を折り、目線を合わせた。
 荒くなった息をようやく整える。
「周りの者は貴方のモシャスの呪文で犬にしか見えないが、私には貴方が金髪の少女に見える」
 子犬は驚いたように目を見開いて、耳をピンと立てました。
「私の名はリウレム。なぜ貴方がそんな姿になっているのか…聞かせてもらえませんか?」
 子犬は戸惑いながら心細げに鳴くと、光に包まれ10歳ほどの少女になる。まぶしい金髪に埋もれるような愛くるしい白い小顔。ルビーのような琥珀のような深い色合いの瞳を見上げて私を見つめても、その唇は微かに震え恐怖に怯えきっていた。
「ルクレツィア王女様!!?」
 ジョウガ殿の声に少女が震え上がるのを見て、私は少女を抱き寄せて小さい背を擦った。
「恐い夢を見ましたか?」
 腕の中で、ルクレツィア王女は頷いた。
「古来よりムーンブルクの王族には予知能力の素質があったのです。おそらく、貴方は予知夢を見られたのです。夢が現実になった事を恐れてはなりません」
「夢が…あまりにも恐ろしくて…逃げ出したの。大きな音で振り返った時、お城が…。あたしがいけないの。あんな夢をみたから…」
 私にしか聞き取れないほどの小声は、犬になった経緯を語ったのです。あの災害というべき原因がご自分にあると考えてらっしゃる、だから王女ではないただの犬になれば、王女がいなくなれば王国は滅ばなかったとお思いなのでしょう。
 私は優しい声を意識しながら、心優しい幼い王女に話しかけました。
「さぞやお辛かったことでしょう。もう…大丈夫です」
 王女の耳元で小さく囁く。
「共に、参りましょう」
 王女が顔を上げられたので、私はそっと笑ってみせる。
 その王女のほっぺたに、シクラがずいっと詰め寄ったのです。シクラにしてはずいぶんと恐い顔です。
「あまりリウレムにべたべたしないでヨン」
 きょとんとしびれクラゲを珍しそうに眺める王女を、私は痛々しく感じるのを悟られないように見つめました。
 亡き者へのレクイエムはほんの一時。
 されど命ある者の傷付いた心をいやし、魂を鎮める歌は、長き年月に渡って歌い続けなくてはならない。
 私が歌えるなら、歌おうじゃないか。