凱旋

 ムーンブルクの復興は最後の仕上げに取りかかっていた。
 外観も城下町も崩壊前よりも賑やかしく生気に満ち、人々の往来は以前よりも多種多様だった。職人が舞い戻って新居の窓から己の最も得意とする技量を標した旗を掛け、商人が真新しい店の看板を誇らしげに見上げて客を呼ぶ。子供達が駆け抜ける通りを避けるように、猫が更なる裏道を探索し植木鉢をいくつも粉砕せしめた。
 崩壊の際に居合わせなかった幸運な者は、全員と言って良いほど戻ってきた。
 それでも、現在のムーンブルクの人口は崩壊前と大して変わらない。
 アレフガルドの移民を受け入れた事と、復興に協力した事でこの地で暮らしたいと希望する者が数多くいたからだ。元々暮らしていた住民と衝突はあったが、ムーンブルク復興に協力したという感謝がそれを小さいものとした。協力は互いの心を通わせ、達成感は見知らぬ者でさえ千年の親友のように打ち解け合わせた。
 以前の魔法大国は魔法が使えない者は小さくならなくてはならなかったらしいが、今はそんな気配は全くない。
 魔法が使える者も、使えぬ者も共にあった。
 祭りの準備で慌ただしい中、国中が心待ちにしていた。
 最後の女王、ルクレツィア・チュローズ・ムーンブルクの誕生を…。
 何で最後かって言うと、ルクレツィアがミトラ神に嫁ぐ事を決めたからだそうだ。生涯をミトラの妻として生き抜くのだから、当然男性との結婚はあり得ない。世継ぎは生まれないので、最後の女王となった。ミトラ教の信者で女性がこの選択を行う事は、誉れ高いと同時に神官と同等の地位が与えられる。そう、サトリが言っていた。
「おい、ロレックス。油を売るな」
「なんだよ。本来ならお前こそ『僕には関係ない事だ。ロレックス、お前が探してこい』とか言うはずじゃないか。どういう風の吹き回しだよ」
 そこにはサマルトリア王族の正装を纏った、格式張ったサトリがいた。
 金髪の隙間には瞳と同じ色彩を持ったエメラルドを配したサークレットが覗く。不機嫌そうな瞳と合わせてみれば、第三の目が額にあるかのようだ。衣類も最も上等な布に、鮮やかな緑の色彩を帯びながら数年をかけて染め抜かねばならないという技法を用いた世界に一着という稀なる品だ。磨き抜かれた黒皮の縁取りが、殊更格調の高さを引き立てる。マントを止める留め金は金色にエメラルドの宝石、マントは深緑だ。
 サマルトリアの代表として戴冠式に出席させられる事になったサトリにしてみれば、早く衣装を脱ぎたくて仕方ねぇのかもな。
 俺は俺でムーンブルクの栄光の騎士が着る事が出来る、鎧のような法衣のような物だ。鎧は白銀に細かい細工が施され、縁取りのブルーメタルは顔を映し出せるほどに磨き抜かれている。マントは目の覚めるような青。法衣っぽい部分は白い生地に、青く塗られた皮が裏打ちされている。鎧としては良い防御力を持ってるだろうが、俺、これを仕事着にはしたくねぇわ。しかも剣までローレシアから最後の国王アレフが式典で用いた、ローレシアの紋章が刻まれた国宝だ。取り寄せるな。取締役も渡すな。
 豪華すぎて息苦しい俺は首元を引っ張って緩めながら、あきれ顔でサトリに向き合った。
「ハーゴンが血眼になって捜し回ってるしさ、城の兵士も総動員だ。流石に国から出る事はないんじゃないか? リウレムさんの事だ。戴冠式を後ろの方からそっと覗いていたいんじゃないのか? それもと始まったと同時に外交官席に紛れ込むとか」
「くっ!気に入らん!おっさんだけが逃げ遂せると思うなよ!!」
 サトリが血走った目で鋭く周りを見回した。
 …なるほど。サトリですら嫌々ながらに着せられてしまったのだ。できれば逃げて一般人に紛れ込んでいたかったろうに、この結果なのだ。自分がそうでありたかった結果を、リウレムさんにさせたくない。リウレムさんも僕と同じ目に遭わしてやる。そんな道連れ根性があるのか。
 俺は呆れて壁に寄りかかった。
「サトリー。病み上がりなんだから大人しくしてろよー」
 目の前のサトリは凄まじく元気そうだが、あの事件の後は結構危ない容態だった。
 何でも命懸けの呪文を使ったらしい。人の身では扱え切れない膨大な魔力を己の命と引替えという手段で行使するという非常に危険な呪文を用いたらしい。それでも死ななかったのは、ルクレツィアとリウレムさんのお陰。
 俺にはちょっとよく分からないのだが、説明だと…。以前シクラが言っていた『器を超える呪文は死を招く』というものがその呪文による死因であるらしく、ルクレツィアとリウレムさんがサトリの代りに呪文の器になったらしいのだ。厳密にいえば扉の役割を代行した、というものであるらしい。イーデンと繋がっていた為に膨大な魔力が流れ込みやすい環境であったので、二人がこうしてくれなければサトリは魂までもが消滅しただろうという話。そしてハーゴンの応急処置のお陰で、危ない容態で済んだという話。
 ま、助かって良かったと思うよ。
 まだ依頼は継続中だし。
「なら、お前が探しに行け!」
「この服重いんだよ。動きたくねぇ」
「軟弱な傭兵だな!」
「うるせぇな!ハーゴン達信じて大人しく待ってろよ!」
 俺達が毎日のように繰り広げる口喧嘩と火花の向こうから、慌ただしい物音が響く。複数の駆ける足音、居場所を告げる大声は、俺達が顔を見合わせる頃にはすぐ傍にまで迫ってきた。追いかけられている主は、俺らの姿を見てぎょっと目を丸くした。
「ロレックス君までなんつー格好を…!!」
「僕の姿には驚かないのか?」
「いや、だって、王族に連なる身分ですからね」
「ならおっさんこそ正装であるべきだろ!自国の重大な儀式なんだぞ!!」
「それを退けても嫌なんですよ」
 サトリの鋭い口調に、リウレムさんはのんびりと答えた。いつもと変わらない外交官の服装が、今の俺達にしてみれば場違いに映る。そして、思い出したようにリウレムさんは切迫した表情になる。
「…それどころじゃない!ハーゴン殿に捕まったら…うわぁ!!」
「ようやく捕まえましたよ!!」
 床に押さえつけられたリウレムさんは、大神官の装束で身を固めたハーゴンを筆頭に複数の式典の為に豪華な鎧を着込んだ兵士達に取り押さえられてしまう。ハーゴンが握っている愛用のメイスの重量と鎧の総重量を考えれば、骨が折れても仕方がない。回復呪文で体力を削ぐ戦略かもしれないが、非常に重そうを通り越して痛そうだ。
「貴方という方は大事な相棒を人質に取られているのお忘れではありませんか?」
「リウレム〜。助けてヨ〜〜ン」
 かというハーゴンは邪教の大神官と指摘すれば、誰もが同意しそうな邪悪な表情である。その手に掴まれているシクラは青い瞳を潤ませ、触手を前に組んで祈るような仕草である。しかし、俺から見れば姫役を喜んで買っているようにしか見えない。
 シクラ、敢えて言わせてくれ。言葉と表情が合ってないから。
「ハーゴン殿、卑怯過ぎますよ!!」
 大の大人が、もはや涙目である。リウレムさん全然緊張感無いから。
「リウレムさんさぁ」
 俺は剣を抜いてリウレムさんの鼻先に突き付けた。
「正装してさ、戴冠式してあげるだけじゃん。ルクレツィアも戴冠はリウレムさんにして欲しいって言ってるんだぜ? 大の大人がそれくらい我慢できねぇで逃げ回ってんじゃねぇよ。もう、リウレムさん待ちなんだ。あんまりふざけてると、その前髪、おかっぱに切り揃えるぞ」
 ざぁっとリウレムさんの顔から血の気が引く。体から力が抜けたのか、取り押さえていた兵士が離れていく。そしてハーゴンが脅えるような眼差しを俺に向けて、リウレムさんを引き摺って行った。その姿を見送っている俺の後ろでサトリが呟いた。
「ロレックス。お前、結構恐い奴だな」
「それよりリウレムさんの準備が済んだら式典が始まるな。早く大聖堂に行こうぜ!」
 サトリが珍しく嘆息を付いた。
 それほどの脅迫を言った覚えはねぇんだけどなぁ…。変な奴。

 大聖堂の控えの間の一室に足を踏み入れた俺達は、振り返ったルクレツィアの姿に声もなく見入った。
「あ…。ロレックスさん、サトリさん。どうかな?」
 金の刺繍糸と光沢ある白い刺繍糸で繊細に縫い込まれた模様は、白いドレスをより白く輝かしいものとしている。ドレスはたっぷりとしたレースを幾重にも波立たせて重ねていて、見た目以上のボリュームがある。それがルクレツィアのまだ幼い体格をうまく隠した。レースのヴェールの重しとなっている金の小さい円柱の連なりが涼やかな音を立て、ドレスに合わぬマントの代わりに女性らしい気品と威厳を持たせている。
 金の髪に赤金の瞳がもじもじと恥ずかしそうに自分の姿を見下ろしている。
「自信持ちなよ。凄く奇麗だよ」
「後はお前が転んだりしなければ問題はない」
 俺らの言葉にルクレツィアが嬉しそうに微笑んだ。
「お、準備万端かい?」
 扉が開いて間髪入れずに言ってきた声の主は、確認するまでもなくリュゼルだ。彼はラダトーム代表として式典に参加するのだ。金色の瞳は面白いものを眺めるように細められ、豪華絢爛な服装に薄い茶髪が品良く落ちている。
 慇懃なほどに格式張った礼をすると、ルクレツィアの手の甲にキスをする。
「女王。これからは俺様の故郷の民を宜しく頼むぜ」
「は…はい。任せて下さい」
 あまり宮廷作法に馴染みがないのか、ルクレツィアは真っ赤になって俯いた。リュゼルは真っ赤になった横顔に悪戯っぽく片目を瞑ると、促すように身を引いた。
「さぁ、女王陛下、大聖堂に急がれよ!…リウレム殿の準備が終わったみたいだからな!」

 □ ■ □ ■

 ムーンブルクの象徴、三対の塔の礎となっている大聖堂は外観こそ同じだが内装はかなり変わったそうだ。
 白亜の壁には数知れぬ精霊の彫刻が施され、歴代国王の彫刻がその中に馴染むように掘られている。まるで精霊と語らうように向かい合う国王の姿があれば、精霊と歩む者、精霊と戯れる者、年齢性別も様々だが全てが歴代国王を形作っている。それらはムーンブルク領内外を問わず集められた数々の資料と、流された肖像画から集められたものだった。
 そしてその一つには、少女にティアラを授ける男性の姿があった。
 それが誰かは言うまでもない。
 賛美歌を歌うは子供達。ムーンブルクの歴史と栄光を高く低く歌い上げ、ミトラの恩寵を讃える歌を朗々と響かせる。歌声は大聖堂の光を震わせより神聖な気配を醸した。ステンドグラスのミトラの輝きが厳かに降り注ぎ、天窓から差し込む陽光と天井にまで届く窓が人々を満遍なく照らした。
 大聖堂を二分する深紅の絨毯の上を、ルクレツィアを先頭に数歩後ろを俺とサトリが続く。
 両脇の人垣は彼等なりに上等の服装に身を包み、誰もがルクレツィアの姿に感動のような吐息を漏らす。若い女性はサトリに一向に気が付いてもらえなくても熱心に視線を向けている。俺は…うん、ちょっと困る。
 深紅の絨毯の終点の壇上には、2人の男性が待っている。
 一人はティアラを捧げ持つ大神官ハーゴン。
 もう一人はリウレムさんだ。
 観念したのかちゃんと国王らしい正装を纏っている。俺はムーンブルク王族の正装は見た事はないのだが、法皇といっても差し支えないような国王らしくない服装だ。
 複雑な文様が日の出か日の入りか分からぬ外交官が着こなすローブの色合いに縫い込まれ、淡紫色ともくすんだ白にも見える。大小様々な銀色の円盤を数多く結わえた一本の革紐は、床まで滝のように落ちる純白のマントを厳かに落ち着かせる。袖を少しでも動かすと涼やかな音を立て、マントの影にでも隠れているのかシクラの身じろぎでも音を立てる。簡素なムーンストーンをあしらっただけの一本のサークレットが、紫の髪の隙間から見え隠れした。
 ルクレツィアがリウレムさんの前で止まり、俺達もその後ろで控えるように立ち止まった。
 紫の瞳がそれを確認すると、朗々とした声が大聖堂の隅々まで響き渡った。
「お聞きなさい。ムーンブルクの唯一の女王について、神託は告げられた…」
 リウレムさんは変わらずにそこに立っていた。しかし、存在が大きくなっていく。存在はステンドグラスを覆い隠し光を遮り、声は臓腑すら揺さぶってしまうほどに深くまで届いた。誰もが息を飲み、壇上の神託を告げる者に頭を垂れた。
「『そは太陽であり右であり陽である者の末裔。故郷を失いて闇を知り、友と共に世界を知り、月を従え、太陽を担い、世界を照らさんと欲する。最後の恩寵を与えん御世に光を掲げるべく、太陽を抱きし』……ルクレツィア・チュローズ・ムーンブルク」
 ルクレツィアが顔を上げた。
 壇上の男は俺達がよく知る外交官に戻っていた。我が子を見る親のように優しい表情に笑みを浮かべ、歌うように言葉を紡いだ。
「勇気あれば受け入れよ。神託は正しくルクレツィア・チュローズ・ムーンブルクをお示しになった。災禍にて故郷を失いし最後の王女であり、勇気あるローレシアの傭兵と知識深きサマルトリアの王子を友に持ち、故郷の復興の為に世界を巡り、我が唯一の王であり、未来の期待を背負うと臨まれし太陽の君。厄災無くも女王の運命を持つとされて尚、試練無くば太陽とはなり得ませんでしたでしょう」
 ルクレツィアが震えたのが見えた。
 俺も誇らしかった。初めて会った時はリウレムさんの影に隠れ、寒さに震えるように小さかったルクレツィア。俺達と打ち解けて笑顔を見せてくれるようになり、故郷の為に真剣に考える横顔を時折見た。悪夢に苦しむ事もあった。俺達の手を引くように厄災に立ち向かった頼もしい顔。そして、これから女王となる凛と伸ばした背中。
 ちらりとサトリを見ると、彼も俺を見て唇の端を少しだけ持ち上げた。俺も笑みを浮かべて応えた。
「ルクレツィア・チュローズ・ムーンブルクよ。汝はムーンブルクの女王として、ミトラの恩寵を伝え広め、未来の幸いを築く事を誓うか?」
「はい」
 ルクレツィアがはっきりと応えた。
「誓います……!!」
 リウレムさんが大きく頷いた。ハーゴンの捧げ持つティアラを受け取り、ルクレツィアの横に並ぶ。ルクレツィアもリウレムさんに向き合った。ミトラへの誓いの際にミトラ神に対し背を向ける事は許されないからだ。リウレムさんはルクレツィアの頭上にゆっくりとティアラを掲げた。
「全能なるミトラの御前に立ちて、我、リウレム・ブルクレット・ムーンブルクは、その委ねられし権限を持って宣言する!」
 金髪に、輝く白銀と宝石に彩られた冠が乗せられた。
 先ほどより幾分か強まった陽光は、ルクレツィアを照らし出し燦然と輝かせた。まっすぐリウレムさんを見上げる顔は、女王の風格すら感じてしまうほど神々しかった。
「ルクレツィア・チュローズ・ムーンブルクを、ムーンブルクの女王とする!!」
 歓声が大聖堂を揺るがした。
 新しい女王の誕生とこれから始まる祝祭の知らせは、この歓声で城下町の隅々にまで音速で伝わった。祝いの花火は職人の技で色とりどりの輝きを空に放ち、地上では魔法使いが様々な魔法を披露し、芸達者が次々と技を披露した。世界各国の料理が様々な場所で振舞われ、辺境の秘酒でさえ探せばあるほどに多種多様な酒が酔い潰れる者を続出させた。これを機に愛を告白する者のドラマは星の数とされ、吟遊詩人は恋の行方を歌う事に事欠かなかったという。誰もが笑い、誰もが喜んだ。それは幸せからの喜びだった。
「ミトラは最後の恩寵を与えられました」
 それらを見下ろしながらリウレムさんは、息苦しそうに這い出てきたシクラの頭を撫でながら呟いた。
「これより先の未来は貴方達のもの…。ミトラは未来を貴方達に与えられたのです。それが、最後の恩寵の本当の意味」
 リウレムさんは振り返り言った。
 別れの言葉よりも重要で、今までの全ての言葉よりも必要で、心の秘密を含めた深く厳かな声色で。
「私は、君たちが創る未来が幸いで満ちている事を信じています」
 俺達は頷き、互いを頼もしく見つめた。
 明日、俺達はそれぞれの道を歩む事になる。
 だけど今までの旅で得たものは、決して失われる事はないだろう。

 太陽の君は歴史で最も名高き女王になり、緑の王子は調停の賢者と称され、若き傭兵は最高の称号''ディアルティス''を得たという。
 果てなく続く未来は、また素晴らしい英雄譚を世に送り出すかもしれない。
 どれだけの困難を乗り越え、そして越えて行かねばならないのかは定かではない。しかし、我々は踏破できるに違いない…。

 我々が創る未来が幸いで満ちている事を信じている者がいる限り…。

THE END