薬草

 アリアハンで旅人が真っ先に行くのは、ルイーダの酒場と相場が決まっている。
 安い地酒で一日粘れるだけでなく格安の宿まで提供したルイーダの店には、群がるように旅人が集った。が、全てが善良な旅人ばかりではない。素行の悪い旅人や、血気盛んな旅人や、犯罪を犯してほとぼりさめるまで身を潜める旅人や、ギャンブルのいかさまが得意な旅人もいたりする。
 その中でひときわ高い笑い声が最近毎夜毎夜と響いたので、近所に住んでいた母子は意を決して乗り込むに至ったのである。
「ねぇ、母さん。あたし酒場になんか入りたくないんだけど…」
 あたしは平均的なつぼを持って目の前を行く母さんに声をかけた。
「何いってるのロト!貴方は未来の勇者!ごろつきの一人や二人ど突き倒せないと、母さん達は安心して眠れないわ!もうすでにあの高笑いの為に安眠が妨げられてるんだからね。世界の平和も一つの家庭の平和からってのが貴方の父さんオルテガの言葉なんだから!」
 簡単と豪勢に言ってくれるよ、脳みそまで筋肉って感じなのにさ…。母さんは昔戦士をやってたらしくて肩幅も二の腕も厚くてがっしり、腹筋もしっかり割れてるもうすぐ40歳。今でもお城の兵士を週に一度はどつきまわす…いや指導してるバリバリの現役なのだ。
「なら魔王退治に出て行っちゃわないで欲しかったわ」
 本音半分嘘半分。
 父オルテガはとっくの昔、あたしがまだまだ小さい時に魔王退治とやらで出ていってしまった。それはもう立派な戦士であったらしく、勇者と呼ばれるほどの人物だったと、近衛兵のごついおっちゃんから近所に住む3歳のお子ちゃままで言うのだ。どんなカリスマを秘めているのか全く予測不可能。勇者オルテガ恐るべしである。
 しかし一つの家庭を守る役目は、母さんで十分事足りると判断したから魔王退治なんかに行く事ができたのだ。そりゃあもう、主婦らしいことは娘に劣るとも、ドラゴンも笑って半殺しにできる腕なんだ。当然だろう。夫婦喧嘩が起きていたら、間違いなく娘は崩れた家の生き埋めになっていた事だろうから、有り難い…というかそうならぬための事前防衛の一環で魔王退治に行ったのかもしれない。そう思うと父の英断に拍手を送らずにはいられないので、娘は何一つひねくれる事無く勝手に育ったのであった。
「不平不満はおよし」
 あたしでなければトロルも一撃で気絶させるげんこつが飛んできただろう。
 飛んでこなかったのは私が大事な一人娘だからとか、体が(毎日おやつに守りの木の実食ってる母よりか)弱いとか、そんな理由ではない。
「もうお酒の匂いがしてきたよ母さん……」
「吐いたらお月様とキスさせてあげる♪」
 実はあたしは潔癖性である。
 肌や服に血や汗が一滴でも付いたならば、気絶する。魔法も才能があっても焦げ臭い臭いが立ちこめるだけで、戻してしまう。埃の舞う所に立ち入るだけで、腸がねじれる。決して体が弱い訳ではなく、精神的に受け入れない精神的なものなのだ。
 一応、母も分かってはいるので、酒の匂いで気持ち悪くて吐きそうで弱気なあたしを殴る事なんかしない。しかし吐いたら月とキスである。もはやバシルーラの領域ではない。
「よーし、いい子☆ さぁ、ちゃきちゃき行くわよ〜」
 グリングリンと一般人よりも髪の毛の量の多い頭を撫でくりまわすと、母は豪快にルイーダの酒場の扉を蹴り開けた! 壁から弾き飛ばされた扉が吟遊詩人風のお兄さんに当たったので、心の片隅で祈りを捧げる。
 熊が殴り込んだと思ったのか、店員客は総立ちで武器を身構えるものも多数いた。その中でただ一人、一番手前のテーブルでポーカーをしていた女性だけが、武器も構えず母を見上げていた。
 カウンターの奥からこの酒場の主がヒステリーっぽい声を上げた。
「クリスちゃん!どうしてくれんのよ!入り口外れちゃったじゃない!!こりゃもう絶対弁償よ!」
「もうルイーダ、居候の教育がなってないんじゃないの!?毎晩毎晩バカ騒ぎして、ワタシらは安心して寝らんないじゃない!!」
 ちなみにクリスちゃんとは母のことである。本名はクリスティーヌという名が体を表せない名前である。
 母と同い年くらいの年齢肌を必死にお化粧で隠している酒場の女主人ルイーダは、母に負けない啖呵を切って迎え撃った。母とこれだけ渡り合えるのはこの人くらいである。母も女性子供に手を挙げることはしない最低限の常識を持ってる人なので、熟女の火花散る睨み合いが展開された。
「どこの酒場だってこんな感じよ!文句言わないでよ!アッサラームみたいに踊り子雇って踊ってる訳じゃないでしょ!?」
「あー、あのベリーダンスってやつだっけ?ご所望ならワタシがこの場で踊ってあげるわ!!」
 ▼クリスティーヌはベリーダンスを踊った!
 ▼地震だ! 立っていられない!!
「ちょいとおよしよ!!店が潰れちゃうでしょ!」
「潰されたくなかったら、あの高笑いの元凶を連れてきて貰おうじゃないの!」
「クリスちゃんのすぐ傍でポーカーやってる女の子よ」
 すぐ傍でポーカーやってる人は緑に輝く黒髪を持った女性の冒険者で、すらりと背が高く、長剣と呼ぶには短い小振り剣を持っている。冒険者はあたしと目が合うと、首をすくめてみせた。
「もしかして全部私が悪いって言うの?このゴロツキ共が掴み掛かってくるからいけないのよ。人間として必要な広ーーーい心が足りないのよ!!ほーーーーっほっほっほ♪」
「この、イカサマ師め!」
 酒場の酒臭い連中の凄まじいブーイングに冒険者はいすに乗りあがって、酔っ払いどもを睨み付けた。
「ポーカーはイカサマも見破るテクニックを持って初めて成立するものなのよ!!アンタ達の目は節穴で、私の腕は世界に通じる一級品だった。それだけよ」
 酔っ払いが黙りこくった時、あたしは母の目を見て恐ろしいものを感じた。
「いいんじゃないアンタ。気に入っちゃったわ…」
 輝いている。
 こんなときは決まって何か恐ろしいことをさせられるのだ。
 案の定、母の手があたしの肩に置かれていた。
「アンタ、ワタシの娘と勝負しない?ワタシの娘が勝ったら、アンタはワタシ達に安らかな眠りを与えるためにアリアハンから出ていく。もしアンタが娘に勝ったら、これからはいくら騒ごうが文句は言わないわ」
 ……最低だ。あたしにイカサマを見抜けと言うの?
 ハッキリ言ってポーカーは本で読んだくらいの知識しかない。
 さらに言うともう喉までキている。いつでもつぼはスタンバイOKの状態だ。
「残念だけど、私だって目的があってここにいるの。目的のものがあるかどうかも分からないままで、ここをつまみ出される訳にはいかないわ」
「目的のものってなんなのさ?」
「たーーしか『魔法の玉』ってものらしいんだけど、盗賊にとられて、ここの兵士が取り戻して保管してるらしいのよね。見せてっていっても全然駄目だし、しょうがないからそろそろ忍び込んでブツを拝ませてもらおうかと思ってね」
 盗賊としてこの場で逮捕されても文句いえないことを、さらりといってのけるこの人。
 しかし、この人の話を聞いている人もまた常識の範疇に生きている人間ではなかった。
「面白そうねぇ」
 にやりとスライムが一目散に逃げそうな笑みを浮かべて、あたしの肩を母は叩いた。
「ロト、お手伝いしてらっしゃい」
 断った時の結末を知るあたしは首を縦に振るしか道はなかった。

□ ■ □ ■

 とはいえ、あたしもあんな人の下で育った人間なので、このような泥棒紛いな事は決して嫌ではない。ウキウキ気分ではないものの、汚れたりしないお仕事であるだけ気分的に全然楽である。
「そういえば自己紹介がまだだったわね」
 王城に向かう道すがら冒険者はぽつりと呟いた。立ち止まった冒険者を振り返ると古風にしては洗練された仕草で、威厳に満ちたような自信に溢れるような声で自己紹介した。
「私はセルセトア。世界に散らばる7つの宝玉を探しているの」
 世界に散らばる7つの宝玉…。
 本で読んだ記憶がある。大きな力を秘めた宝玉がこの世界には7つ存在し、そろえば闇を打ち払い世界を照らすとかならないとか…。冒険者でもそれを探している者はたくさんいたが、その宝玉を持っている人は見たこともなかった。
 知った本も子供向けの本だったし、そんな児童向けのお話を信じる人がいたのかと思うといろんな意味で微笑ましい。
「密かにバカにしたでしょ。……まあいいわ、で貴女は?」
「あたしはロト」
「ロトちゃんね。せいぜい私の足を引っ張らないでね」
「もちろん。何も手伝う気ありませんから」
 沈黙。
「と言いますか、何も手伝うことできませんからね」
 セルセトアさんの多少引きつった顔が、油の切れた扉のような動きであたしから城門に向けられる。
 立派なアリアハン城は由緒正しい伝統ある王城である。白亜の城は真っ暗な深夜でも暗闇に慣れた目でも、ぼんやりと巨大で頑丈であるくらいは見て取れる。その頑丈そうな壁にこれまた家一軒入りそうな鉄の扉がはまっていて、セルセトアさんはその扉をとりあえず押してみてため息をついた。
「どうしようかな」
「アバカム使えばいいじゃない」
 何で立ち止まっているのかこっちが分からない。
 世の中にはアバカムという超便利な鍵の錠を外す魔法がある。あたしもよそのお宅に不法侵入する理由がないから、使うことはないが、今は兵士を締め上げて鍵を奪ったり、城をよじ登ったりするのも面倒なので、アバカムを使う方が遥かに手っ取り早い。
 セルセトアさんがジト目であたしを見る。
「あのね〜アバカムって制御の難しい呪文なのよ。賢者でも…まぁ性格上の問題なんだろうけど、使えない人いるし」
 なんかぶつくさ言ってるセルセトアさんを無視して、あたしは人一人が入れる隙間ほど扉を空けて手招きした。
「さっさと行こうよ」
「あ、うん」
 城の中はひっそりと静まり返っていて、兵士も一人もいない。
 な〜んてことはなかった。
 扉を開けてすぐのところにいた兵士のお兄さんが二人、早速あたし達を見つけたのだった。
「なんだ、オルテガ様の娘のロトちゃんじゃない。もう夜遅いから出直してきてね」
「何いってるんだ。ぼんやり鍵が光ったと思った次の瞬間、勝手に鍵が外れたんだぞ!あれはマヌーサの幻影かポルターガイスト現象なんだ!こいつらは幽霊だ!!絶対そうに決まってる!」
「アホか。霧もないし幽霊にも見えないだろ。どうせ鍵をかけ忘れちまったんだよ」
 というかアバカムの効果なんだけどね。けど独りでに鍵が外れて扉が開いたりするので、アバカムを知らない人にはそう見えても仕方がない。
 言い合う兵士のお兄さん達にずいっと近寄ったセルセトアさんが、兵士の耳に何かを囁いた。次の瞬間には兵士のお兄さん達はぐーーーすか高鼾で眠りこけてしまった。どうやらラリホーの呪文を使ったみたい。
「夜更かしは良い仕事の敵よん。しっかりお休みして下さいな☆」
「セルセトアさん、呪文使えるんだね」
 ちょっぴりビックリ。
「もちろん。あんまり使おうって気がないから、大してバリエーション多くないけどね。どっちかって言うとこっちの方が好きだし」
 自慢げに剣を叩くと困った様子で腕を組んだ。
「でもここから先、兵士を眠らせたり気絶させたりしてたらキリがないから…」
 ごそごそごそ…
 セルセトアさんが肩から下げた荷物から、微妙に不味そうな草を渡してきた。
「はい。『きえさり草』っていうの。姿が消えるから食っとくと良いわ。品種改良された限定品でね意外と甘いわよ」
「はぁ…」
 うん、意外に甘い。もさもさ噛んでるうちに、いびきのうるさいお兄さん達を壁際に追いやっているセルセトアさんが透けて見えなくなる。
『互いに見えなくなっちゃったね。う〜ん、一人で使う分には全然苦労しないのに。こんなところに弊害が出るなんてね〜。ま、いっか。話しながら行きましょう』
 靴の音が響くがやはり話さないと互いの居場所が分からないので、あたしはセルセトアさんに話しかけた。
『ねぇ、セルセトアさん。あたし今度迎える誕生日になったら、父親を探す旅に強制的に出されちゃうんだ』
『あらま、大変ね。望んでもいないのにほっぽりだされるなんて…』
 意外に軽く答えられる。
『んで、呪文はほとんど使えるんだけど、すぐ気絶しちゃうんだ』
『酒場でも真っ青だったもんね〜。虚弱体質なの?』
『潔癖性なの。メラゾーマの焦げ臭い臭いとか、バギクロスで巻きあがる埃とか、イオナズンの爆風で飛び散る魔物の破片とか…。とにかく、潔癖性だから精神的に受け付けなくて、吐き気がしたり動悸がしたり、挙げ句の果ては気絶するんだ』
『あ〜。まあそんな人いるよ。扱い的には虚弱体質と変わらないから、同行者を得るのは大変ね』
 目の前の扉がひとりでに、というより姿の見えないセルセトアさんによって開かれる。
『誰だって1人で旅はできないわ。きっとルイーダさんの酒場にいる旅人と一緒に行ったらどうか…って話になるんじゃない?強い人と一緒にいれば、きっとロトちゃんでも旅ができるわ。それに酒場にいる人はころころ変わるから、ロトちゃんと旅してくれる奇特な人間くらい一人はいるでしょ。むしろイケメンと旅に出て結婚しちゃえ♪』
 きゃーーー♪素敵〜!
 見えないけどかなりはしゃいでいる様子のセルセトアさん。
『そうじゃないんだよ、セルセトアさん。魔物と戦いたくないんだよ』
『でも外を歩けば魔物だらけよ? 聖水だってかさばるし、効果が長持ちするものじゃないから、ロトちゃんの望みを叶えるには役不足よね〜。トヘロスは使えないの?』
『使えるけど、全ての魔物を避けることはできないんだ。それに魔物と戦えば必ず汚れるから、高確率で気絶しちゃうと思うんだ』
 気絶すれば魔物のエサになることは2歳の子供でも分かるだろう。
『参っちゃう質問だよね。薬草よりも聖水が欲しい初心者って珍しいわよ』
 うんうん唸っているセルセトアさんだが、結局答えは見つからなかった。
 そうこうしているうちに『きえさり草』の効果も切れ、目的の『魔法の玉』の前までやってきた。台座の上に置かれたそれに駆け寄ったセルセトアさんは、残念そうに魔法の玉を持ち上げて眺めた。
「これが魔法の玉みたいだけど…私の探してる宝玉とは違うみたいね。本物の宝玉はきっと輝きが違うのよ、輝きが!」
 言い訳がましくやたやらと語気を強めてセルセトアさんは喚く。
「爆弾石の純度を最大限に高めた爆弾みたい。鉄の扉も簡単にぶち壊せるんじゃないかな」
 横であたしの言ったインパスの鑑定結果にセルセトアさんは慌てて台座に返した。恥ずかし隠しに、ぱたぱたと手を振って明るく笑う。
「やっば〜。危険だね〜」

 翌日の昼には荷物をまとめたセルセトアさんを見送ることになった。
 7つの宝玉を求めてロマリアの知人を訪ねるのだそうだ。そんなセルセトアさんを見送りにきた私に、彼女は既婚ー実家に子供がいるらしく先ほどお土産を買っていたーだからか真剣な眼差しで助言するのだった。
「頑張って良い男見つけることから始めなよ」
 ガンバッテミマス。