キメラの翼

 その変なお兄さんは私よりも一回りくらい年上かもしれない。
 銀製なのか結構重量のありそうな竪琴を引っさげた変なお兄さんは、民族衣装っぽいゆったりとした服を着込んでいる。そういえば先日母と踏み込んだ酒場でも見かけたかもしれない。パッと見は筋肉隆々というわけでもなく、非力で控えめで大人しい人のようだ。
 そのお兄さんは短剣一つ持たぬ丸腰で外の草原を隔てる門の傍で不思議な事をしていた。
 キメラの翼を放り投げていたのだ。
 いやいやいや、別に行動自体は不思議なことではないよ。
 キメラの翼とはどこの道具屋でも見かける庶民的アイテムの一つだ。強く行きたい場所をイメージし上空に放り投げることで、上空に流れる呪文の発動を促す力と反応して、放り投げた本人の望む目的地に運ぶ便利な道具である。ちなみにそのアイテムはルーラという呪文を封じ込めた代物で、本物のキメラの翼を使用しているかどうかははっきり分からない。今度キメラにあったらその翼にインパスをかけてみよう。
 本来なら一回投げれば呪文が発動して居なくなってしまうのに、キメラの翼効力は発動されず、変なお兄さんはその門の前で途方に暮れていた。
 あたしもそんなお兄さんを眺めながら途方に暮れていた。
 門の前の岩に腰掛けてじーーっと、その変なお兄さんを見つめていたあたしと目が合った。
 いや、実際何度かこちらを気にしているようだったけれども、あたしも話しかける事はせず、変なお兄さんの行動を見つめていたのだ。良い迷惑だだろう。
 変なお兄さんは少し気恥ずかしそう笑って、優しく柔らかい声であたしに話しかけた。
「もしかして僕が邪魔ですか?」
「ううん。そんな事ないよ」
 実は約束の日である16歳の誕生日まであと一週間しかないのだ。
 ルイーダさんの酒場には確かに実力もある優しい冒険者がたくさんいる。でも、あたしが望むような『魔物と戦わないあたし』と旅をしてくれる冒険者などいるはずもない。だが、魔法を使えば少なからず魔法の余波で汚れるなどして、問答無用で足を引っ張るから、そこまで面倒を見てくれる人は、全くいない。最近の若者は冷たいのぅ…ぶつぶつ…。
 約束の日となった暁にはきっと冷たい躯となる日も遠くなかろう…。短い人生であった…。
 ……はぁ。
 ため息が無意識にこぼれる。
 つーか母が探しに行けば良い。しかし、それを言った日には、あの家庭にロトという一人娘の姿は消えるという冗談抜きの結果になるので、口が裂けても言えなかったりする。
 旅に出れない事実と、旅を拒否した結果を想像するだけでレイアムランドの気分を味わえる虚無感に捕われて、あたしは一人ふらふらとこの門にやってきたのだった。そしたら変なお兄さんがいた。それだけである。
「選択肢のない問題の前に虚無感に苛まれてるの…」
「そうなんですか…。僕も似たようなもんですね」
 気分はギアガの大穴なあたしに変なお兄さんは『よかったら一曲』と、竪琴を引っさげて近付いてくる。あたしの横に腰を下ろすと、あたしにぺこりと頭を下げる。
「僕の名はガライ。見知らぬ土地に来てしまって、途方に暮れているんです」
 何か引っかかった気がしたが、あたしもぺこりと頭を下げる。
「あたしはロト。もしかしてキメラの翼を放り投げていたのは、故郷に帰る為?」
「はい。しかし、どんなに故郷や知っている町を思い描いても、キメラの翼が働かないのです」
 ガライさんのキメラの翼を見せてもらうと、どこもおかしくないみたいだ。ちゃんと翼に込められたルーラの呪文の力を感じるし、翼も道具屋で売っている物と変わらない。変に古びたり、折れ曲がっている様子も無かった。念のためインパスも使ったけど、異常は見られない。
「おかしいね。どこも変じゃないよ」
「ですよね〜。僕もついさっき道具屋で買ったばっかりですから。まぁ、いろんな土地の伝説って良い歌になるので急いで帰るつもりはないんで、凄く困っている訳ではないんですけど〜」
 話を聞くとガライさんは吟遊詩人という職業をしてご飯を食べているらし。王宮にだって招かれる腕前の竪琴とその地域に根ざす伝説を曲にしたり詩にしたり、時には歌ってみせたりして生活しているのだという。最近やってきたランシールからの定期船でこのアリアハンにやってきたらしく、予想以上に旅なれているみたいだ。
 うんうん唸りながらガライさんは軽快に竪琴の弦を爪弾き始めた。繊細な響きと哀愁漂う旋律が草原の空気に馴染んで消えていく。
「悲しいなぁ…。両親の命日には故郷に帰って花を手向ける事を欠かさなかったのに、今年は間に合わないなぁ」
 ガライさんから視線を外して草原を見た時驚いて息が止まりそうだった。
プルプルぶるぶるパタパタがやがや……
 数十匹の魔物が目の前に集まっている!!明るい空色のスライムや、鮮やかなオレンジ色のスライムベス、深い闇のような紺色に真紅の口のドラキー、頭から伸びた一本の角で逃げまどう人の尻を突く一角ウサギなどなど、この草原に出没するだろう魔物が勢ぞろいである!
 腰もぬかしたのもあって腰掛けた岩から転げ落ちる。
「うわぁ!!ガライさん!魔物だよ!早く中に!!」
「大丈夫ですよ、ロトちゃん」
 慌てて門に駆け込もうとした私にガライさんの柔らかい声が掛けられる。
 恐る恐る振り返ると、魔物達は大人しく音楽に聴き入っているみたいで、襲ってくるような勢いも殺気も感じない。あまりにも唐突な事に毒気を抜かれたように、私はふらふらとガライさんの隣に戻った。
「大丈夫なの?」
「魔物達は皆良い子ですからね」
 にっこり微笑んで返されると、魔物達が『そうだそうだ』といってるような口振りで鳴く。
「うぅ…微妙に馴れない」
「誰だってそうですよ。僕だって物心ついた頃からこのような力がなければ、ロトちゃんのように戸惑うでしょうからね」
 そんな事を話している間にドラキーがガライさんの傍に飛んできて、キーキーと耳触りの悪い声で鳴く。
 ガライさんがその声を聞いて花火のようにパッと目が輝いた。
「それは素晴らしいですね。是非見せていただきたい」
「何って言ってるの?」
「なんでも北の洞窟に一瞬で北の地に行く『旅の扉』があるそうです。このドラ三郎君の秘密基地なんですって」
 ガライさんがまたごにょごにょと言うと、ドラキーことドラ三郎君は嬉しそうに空中で一回転した。ガライさんも嬉しそうに微笑むと腰掛けた岩から腰を降ろした。
「どうしたの?」
「もうここでは面白い伝説や逸話は聞き尽くしたので、そろそろ別の土地に行こうと思いましてね。ドラ三郎君が『旅の扉』まで案内してくれるそうなので付いて行こうと思います。ロトちゃんとも知り合ったばかりですが、もうお別れのようですね」
 服の崩れを直すと、飛んでいくドラ三郎君の後をふらふらと追ってゆく。そのガライさんと並んで、さっき集まった魔物達がついてゆく。まるで小さい子達がハイキングに行くような和やかさである。
 普通は無差別に襲うだろう魔物達が大人しく人間と肩を並べている。まるでお伽話のような光景。
 でも、私が望んでいるような光景でもあった。
「ちょっとストーーーップ!!」
 砂煙あげるドリフトをしてガライさんの前に出たあたしは両腕を突き出して、魔物達を引き連れた奇妙な団体を押し止めた。
「ガライさんって魔物と戦わなくても旅ができるんですよね!?」
「あぁ、うん。そうですね」
「あたしも旅をしなくちゃならない身なんだけど、何の役にも立てないんだけど、足だっていっぱい引っ張っちゃうかもしれないんだけど、……ガライさんの旅に付いて行っても邪魔にならない?」
 ガライさんは少し考えた後、頷いた。
「邪魔にはならないんじゃないかな?僕だって旅して長いけど、魔物達と争うなんてことしなかったから、強くないとダメなんてことはないですよ」
「……潔癖症なんだけど…それでもいい?」
 上目使いで、覗く。
「歩いたりとか、食事を普通にとったりとか、日常生活は普通に営んでるんですね?」
「うん、ちょっと汚れたりすると気分が悪くなったり、気絶したりしちゃうんだけど、そうならなければ平気」
 また、考え込む。 ガライさんが考え込んでいる間は魔物達も静かにしているので、あたしは息が詰まりそうな、心臓が聞こえそうなくらい緊張する。
「急ぐ旅ではありませんしね」
 にっこり笑ったガライさんは右手を差し出した。
「宜しくお願いしますね。ロトちゃん」
「宜しく!ガライさん!」
 握手を交わした翌日には、国王に挨拶する事もなくアリアハンから旅立った。

 ちなみに国王に挨拶をしないという事を母は咎める事もしなかった。最後の最後までそんな母である。