伝説の武具

 困ったなぁ…。
 あたしは教会の鐘楼から、紙吹雪舞い散る町並みを見下ろしながら困り果てていた。
 ラダトーム城のお膝元。ラダトーム城の鎮座する小高い丘のなだらかな斜面から裾野のように広がる城下町は、大通りと公園を中心に複雑な階段が家や商店の合間を縫って繋いでいる。その階段一段漏らさず花を植えた花壇がひしめき、階段から見上げる両脇に建物で塞がれた狭い空にはたくさんの旗が風を受けてはためいている。人々は明るい色彩の衣服に身を包み、笑みが顔におさまらずに声になり踊りになり拍手になる。十重二十重になった輪は次第に流れ、行列となりパレードとなる。
 祝祭ではない。
 ロゼ姫がアレフガルドに光を取り戻したロトとその一行に、勇者の称号を授けるというのだ。
 アリアハンで暮らしていた自分では想像も付かない。経過を考えても、大層なものとは思えなかった。
 アレフガルドに光を灯してからゾーマさんが僅かでも太陽が昇るほどの闇を退き、この地は定期的に日が昇るようになった。勿論、ただゾーマさんが闇を退いてくれただけじゃない、アレフガルドの住民の希望の力、光の玉の力、6つの宝玉の威力、多くの複雑な要因が絡まっての結果だった。その均衡は基本的に剣先に乗った陶器の皿のように落ちれば割れてしまうほどに危うい。
 それなのに勇者なんてばかばかしい。
 こんなにお祭り騒ぎになって、本当の事だって言えないじゃないか…。
 背後の鐘楼から教会へ続く扉が開かれる錆びた音が響くと、苦しそうな息使いが続いた。
「はぁ、はぁ…。ロトちゃん…、ここにいたんですね」
 振り返ると旅装束のままのガライさんが銀の竪琴を脇に抱え、旅の荷物もいつものように背負ったままで立っている。慌てて階段を駆け上がってきたのか茶色い髪は帽子に納まらず乱れたままだ。
 息を整え微笑んでみせると、あたしの隣に歩み寄り町の大騒ぎではなく遠い大地を見遣った。この世界にやってきた時と変わらない静謐な空気だったが、太陽に暖められ日の差す世界は暗闇よりも騒がしい印象を持っている。青空の濃さは雲と鳥たちを浮き彫りにし、緑の大地に降り注ぐ光が動物や魔物の影を生み出して黒く印のように目立たせる。喜んでいるのは、何も人だけではないというのは分かっている。
 でも…。
 不安そうな顔になりそうな瞬間、ガライさんの声が横から突き抜けた。
「ロゼ姫様が探していらっしゃいましたよ」
 きっと顔が凄く嫌な顔になったんだろう。ガライさんの笑みに苦みが加わる。
「あたしが一人で何もかもやった訳じゃないんだよ。この平和だっていつまで続くかすら分からないのに…」
「なら、そう言えば良いじゃないですか」
 ガライさんが歓喜が上昇気流になってしまいそうな熱気を見下ろした。
「そう言って落胆して闇が強くなってしまうなら仕方ないことです。しかし、言わずにいてこの平和が光が続くのであるならば、僕は、言わない方が正解だと思いますね。信じるのも信じないのも個々の裁量です」
 あたしは『そうだけど…』とガライさんを見上げて止めた。
 苦しそうに張りつめた横顔が、そこにある。
「僕は嬉しいですよ、皆がとても幸せそうですから…。でも本当に、心の底から喜べません。ゾーマさんにも魔物達にも悪い事をしたと思います。彼等の居場所を奪っているという事実を知っているからこそ、非常に申し訳ない。そして謝るべきならオルテガさんにもカンダタさんにもセルセトアさんとその子にも、そして…」
 ガライさんがあたしを見る。
「ロトちゃんにも、詫びなくてはなりません」
 本当はあたしがお礼を言うべきなんだ。だってガライさんが居なくちゃ、アリアハンから旅立つ事もできなかった。この世界に光を灯したのは、それは、あたしの願いでもあったんだから謝る必要なんてないんだ。
 あたしは『そんなことない』と言おうとして、大きな足音を立てて階段を上る足音に気が付いた。そして扉の蝶番が飛びそうなほどに勢い良く扉が開かれた!
「おう!二人ともここに居たかぁ!」
 白髪の数も大分増え、ようやく頬の傷の痛みも消えたカンダタが、これまた旅装束のままで魔人の斧を背負い荷物を抱えて立っている。さすがに年齢は親より上でも体力は桁違いのようで、息切れ一つしていない。
 黙り込んで動かないあたし達にカンダタが目を瞬いた。
「なんだよ、行かねぇのか?」
「勇者の称号授章式にならいかないよ」
 カンダタが首を傾げた。
「オルテガの墓参りに皆で行くんじゃねぇの?…それにしても大騒ぎだなぁ。祭りでもあんのか?」
 そのカンダタの言葉にガライさんが大きなため息を吐いた。あたしもそのため息が何なのか理解できた。
 つまり、皆まんまと釣られたのだ。
 光が満ちてからアレフガルドで本業である盗賊業を満喫していたカンダタでさえ知られなかったとは、ラダトームの権力の実力は予想を遥かに超えるものであるらしい。もともとこの世界に良い印象を持っていないとしても、情報に通じているはずの当事者達がこうも事情を知らないだなんて信じられないわ。
 英雄扱いされるよりも遥かに良いと、混乱に乗じてさっさと姿を眩ましてしまう連中ばかり。実際光が灯されてからと言うもの、こうして会うのは久々だ。
 ガライさんは魔物たちの様子を探りに旅に出て、カンダタは観光もそこそこに仕事に励み、あたしはリムルダールのオルテガ父さんの遺品を一時保管している家に篭りきり。誰一人自分のした行いを誇る者は居なかったわけだ。
 そんな欲も無い連中に称号を授ける儀式に参加させるために呼ぶならば、あたし達にとって無関係ではない誘いで呼べばいいのだ。この期に及んでダシにされたオルテガ父さんを本当慕っていたのか、ロゼ姫の熱意は疑問でいっぱいだ。
 あたしとガライさんの反応を見て、カンダタも意図をようやく理解できたみたい。みるみる顔色が怒りで満ちてくる。
「じゃぁなんだ!?俺達ゃ姫さんに騙されたんか!?」
「それは違います!嘘を付くお方じゃないのはミトラ神に誓ってもいいです!…きっと授称式が終わってから行きましょうって言うに違いありません」
 ガライさんの宥めにも全く応じない。
 娘であるあたしが、一番納得しないよ。
「あぁ!腹立たしい!こうなったら行くぞ!」
「へ?どこへ?」
 カンダタは悔しさのあまりに掻きむしった髪の下から、ガライさんと顔を見合わせるあたしを睨み付けた。
「リムルダールの奴の墓に決まってんだろ!!」
 カンダタが袋からキメラの翼を取り出すと高々と放り投げた!

 □ ■ □ ■

 埃一つないほどに磨かれた廊下、窓の枠、整頓された食器棚に台所。あたしが気にならない程度に奇麗になっている。
 暖色系が中心の家に、醒めるような青が目に飛び込むはずだ。
「うわぁ…」
 ガライさんが歓声を上げた。
 翼を広げた不死鳥のモチーフが雄々しい芸術品のような鎧が、盾が、兜が、剣が、扉から入って最初に見える位置に立てかけられていた。大きな一枚の木で作られたテーブルには地図が広がり書物が積み重なり、宝石や薬草や羽ペンやインクのボトルがレンズが書物の合間や書物の上に危なっかしく置かれていた。どれもこれも珍しい一点物ばかり。ガライさんやカンダタにしてみれば異世界も同然じゃないかな。
 だけどまず向かったのは青い武具一式。
 触ろうと思うだろう。
 でも後少しで届きそうな所まで手を伸ばすと、なんだか触っちゃいけない物のように感じて手が止まる。
 悔しくは感じない。
 かつてあたしもそれを覆すほどの感動が、ため息になってこぼれたから。
「奇麗ですねぇ」
 周りが静かになる。爆ぜる暖炉の薪の音以外は何も音を立てるものはない。
 ガライさんはしばらくそれに見入っている。深紅のルビーに、金の縁取りと文様に、不死鳥を模した紋章に、青い鏡のような鎧のつなぎ目まで、ガライさんは息することすら意識してしまわないと窒息してしまいそうなほど真剣に見つめた。目に焼付けようとするみたいに。
「住み心地はどうだ?」
 背後から掛かったカンダタの言葉にあたしは凄く良いよと答えた。
 オルテガ父さんの遺品はカンダタの計らいで、ラダトームに速攻で持っていかれる前に一時的にこの家に隠してくれたんだ。
 翼を広げた不死鳥のモチーフが雄々しい芸術品のような装備品。荷物袋に乱雑に押し込まれた旅の必需品。そして使い込まれた手記。その全てがオルテガ父さんを物語ってくれる。
「ここが無かったら、きっとオルテガ父さんを知らずに生きていたかもしれないもの」
「そうか」
 カンダタが優しげに目を細めて鎧を見遣った。きっとカンダタの目には、オルテガ父さんの嬉しそうな顔が青い鎧の向こうに見えているんだろう。彼にしてみればあたしも父さんも等しく同じ、面倒を見た旅の仲間で家族のようなもの。幸せであってほしいという願いが、思いやりが、その雰囲気で伝わった。
「母さんにも、報告しようと思うんだ」
「…そうだな」
 きっと予想はついてるだろう。あの人はオルテガ父さんの妻だから。
 でも、報告した方が良い。母さんのことだ。きっと偉業と成し遂げたって事よりも、オルテガ父さんの事をよく思えるようになるほどに知った事実を手放しで喜んでくれるはずだ。
「でも、帰る手段がねぇぜ?」
 そうなのだ。
 キメラの翼もルーラも、決してアリアハンに、あたし達の世界に届かなかった。
 不安そうに疑わしそうに見下ろすカンダタに、あたしは胸を張って笑った。
「大丈夫。実は色々研究したんだよ」
 あたしはガライさんを押しのけて机に広げられた羊皮紙を引っ張り出すと、二人の前に掲げて見せた。
「ほら、闇を切り裂く6つのオーブの力の配分を再計算して光の玉の効果を再構築して、虹に当て嵌めてみたの。人が通行可能になるにはもう少し道具を作って安定させないと無理だけど、さらに発展させて拡張すれば闇の衣も消滅させる事ができるのよ!」
「…闇の衣?」
 ガライさんが目を白黒させて聞き返すと、あたしはくたびれた手記を取り出した。
「やっぱり帰れなくなった事をオルテガ父さんも不思議に感じていたらしくて、その時にたどり着いた仮説なんだ。光と闇の境界線がはっきり分かれると現れる、易々と越える事のできない境界線の事で、その壁の前では呪文も貫通する事なく、物理的力も届く事もない。この仮説はきっと正しいと思うんだ。実際あたし達帰れないし」
 あたしがそこで言葉を切るとカンダタがその手記を覗き込んだ。
「つまり今太陽が昇って光が戻ったように見える。しかし実際はこの世界と俺達の世界の間には、渡ることのできねぇ壁っつうか溝っつうか、つまりそんなものがあって戻れねぇって事なんだな」
「なるほど、だから僕もロトちゃん達のいた世界からアレフガルドに戻ることができなかったんですね」
 二人の回答にあたしは頷いた。
「あたし達の世界からアレフガルドに来れたのも、精霊ルビスが勇者を追って開いた大穴とラーミアの力があってこそ。父さんはまた違う要因が加わったのかもしれないけど、同じ大穴から来ているんだ。あたし達も大穴を遡る道を見つけて、虹の力で闇の衣にあたし達が通れるほどの隙間を穿てば帰れると思うんだ」
 あたしの言葉にカンダタが『よぉし!』と拳を手のひらにぶつけて気合いを入れた。
「じゃあ、俺達の世界に帰る方法を見つけるぜ!」
「うん!また暫くお世話になるよ!」
 あたしが満面の笑みで言った言葉にカンダタが凍り付いた。
「お前も来るのか?さっき道具を作って力を安定させるだなんだ言ってなかったか?」
「アレフガルド初心者を舐めないで!あたしまだこの世界は右も左も分からないままなんだから!」
 そこで、複雑な顔色であたし達のやり取りを見つめていたガライさんに向かい合った。
 見なれた緑の服はアレフガルドの民族衣装だったんだって、今なら分かる。今ではあたし達が見慣れない格好をしている。きっと、あの世界でたった一人だった事は相当心細かったのかもしれないけど、カンダタを見てるとちょっと断言できなくて寂しい。でも、今、あたし達はガライさんに同じお願いをする。ガライさんがあたし達にした事と同じお願いを…。
「ガライさん。あたし達が元いた世界に戻りたいって勝手なお願いだと思うんだ。折角仲良くなったのに、別れる事になっちゃうかも知れないけど、ガライさんには何も良い事ないかもしれないけど、………一緒に来てくれる?」
 ガライさんが笑った。今にも泣きそうなくらい張りつめて。
「…当たり前じゃないですか!僕の先も見えない旅に付き合ってくれた二人のお願いを、断る訳…無いじゃないですか!」
「帰ったら、もう二度と逢えないかも知れないよ。…それでも、良い?」
 上目使いで、覗く。
 本当はそんな事ない。互いに行き来できるようになると言いたい。でも、そんな保証はどこにもなくて、酷いけど、言わなくちゃいけなかった。真っ直ぐ顔を見て、言えない。
「急ぐ旅ではないのでしょう?」
「うん」
 頷くので精一杯だ。
「一緒に明日を迎える度に、1日分未来が増えて、1日分が過去になります。僕はその1日分にお二人がいて欲しい」
 ガライさんが笑い直した。頬の筋肉を動き直した時、目に溜まった涙が塞き止めきれずに一筋流れた。
「今ならゾーマさんの言葉も分かるのです。希望は光。お二人と二度と逢えない闇があって尚更、お二人といる時間を酷く眩しく感じるのです」
「よろしく頼むぜガライ!お前だから頼めるんだからな!…ほら、墓参りだ!墓参り!」
 ガライさんの肩をバンバン乱暴に叩きながらも、カンダタはガライさんを部屋から連れ出した。大の男が、女のあたしを前に泣き顔を見せまいとしているから、囁かな気遣いなのかもしれない。
 一人になるとこの部屋から特別な角度で見える、小高い丘を窓越しに見上げた。
 その丘には簡素で英雄の墓とは絶対に思えない墓が見えた。墓に眠っているのは鎧も剣も持っていない一人のオルテガという人間であって欲しいと願ったカンダタが、オルテガ父さんの荷物を全て外して埋葬したんだ。
 そう、あたしの父さんは英雄ではない。ただ家族サービスがなってない母親泣かせの男の人だ。そう思うと自然と笑みが溢れ、口から穏やかな口調が、喉から優しい声が出せる。
「父さん。行ってくるね」
 次に言う言葉は
 きっと
 ただいま

 遥か昔、大魔王ゾーマを倒した勇者ロトは祖国に帰ることなくアレフガルドの地に留まりました。
 そして勇者と魔王の戦いが伝説となる年月が流れても、ほんの一握りのアレフガルドの住人達はある事を伝え続けていくのです。
 アレフガルドの外には見知らぬ世界がある事を…

 伝説の武具など色あせる、伝説を築いた人の人生という物語を…

 THE END