おかめさんのアレフレッドさん+アレフ 傭兵アレフのローレシア滞在記


■ アレフガルドからの来訪者 ■

 俺は地図を眺めながら、晩酌をしていた。
 仕事を終えても直ぐに仕事を見つける俺にしては晩酌をする事は珍しいのだが、明日にはここを発つつもりで居る。理由は簡単。今回の仕事の目的地であるローレシアは、俺には暑過ぎるのだ。
 現在はアレフガルドのガライ港から、サマルトリア領の西の果てにある港町への海路が開拓され、その流れでサマルトリア、リリザ、ローレシアへの街道が整備され始めている。さらに南のデルコンダルへは陸路よりも、ムーンブルクの風の塔からかベラヌールからの海路が主流だ。
 本来ならリリザで引き返す俺だが、今回は傭兵の数が足りないと泣き付かれて渋々ローレシアまで足を伸ばす事になった。
 収入は確かに良いのだが、とにかく暑い。
 暖かい南風がローレシアを温め、温い雨を降らせている。アレフガルドで最も暖かいリムルダールでさえここまで暑くはない。そう、とにかく俺は暑さに弱いのだ。砂漠の暑さとは違い、湿度が伴う熱はどうにも我慢出来ない。デルコンダルに行った日には、全く使い物にならない自信がある。
 そんなローレシアの国王をしているのが、アレフガルド出身だというのだから驚きだ。
 俺は酒を口に含みながら、酒で暖かくなる熱で外気の温度を誤摩化していた。所謂やけ酒だ。せめて明日には、まだ雪が残っているサマルトリアの森に辿り着きたい。寒さが恋しい。
 酒場の隅のテーブル席に陣取っていたが、どうやら客が増えて来たようだ。地図に目を落とし今後の予定を巡らせている俺の耳に、席がガタガタと動く音や人々のざわめきが聞こえて来る。
「ご注文は何にされますか?」
 ウェイターだろう緊張した声が直ぐ側で聞こえた。
「彼と同じ酒とお勧めの料理を頼む」
 その声を聞いた瞬間、俺は地図に目を落としたまま手を前に伸ばした。上物の布地に手が触れると、否応無しに掴んだ。ちらりと地図から目だけ上げると、思った通りの顔がある。
「何、しれっと同じ食卓に着こうとしてるんだよ」
「アレフが来たから、一緒に食事がしたいと思っただけだ」
 そう微笑んだのは色白で目映い金髪を後ろに撫で付けた、ローレシア国王アレフレッド・ヴァン・トラウゴットである。碧眼が親しさと懐かしさを帯びていて、第三者が見たら友人のと思うだろう。冗談じゃない。
 豪奢な身なりの国王と、貧相な傭兵が1つのテーブルに付く様は滑稽としか言い様が無い。
 というか、国王陛下様がどうして取るに足りない傭兵風情の居場所を知ってるんだよ? 俺がローレシア入りしたのは太陽が傾いて空を夕暮れ色に染め始めた頃だぞ…?
 満面の笑みを浮かべた男の表情がすっと消える。俺が席を立ったからだ。
「残念だが俺にその気は無い」
 確かにアレフレッドとは古い知人になるだろう。
 アレフレッドが故郷で畑を耕していた頃からの知り合いで、あの狭いアレフガルドでは戦士同士は顔なじみになる。街道や宿場町で度々顔を合わせ、目的地が同じなら同行も良くある事だった。そう言った意味では、アレフレッドとの付き合いの頻度は同業者とそう変わらない。
 俺が特にこのアレフレッドを覚えているのは、彼が変な奴であるからだ。
 奴は躊躇いもなく俺の手首を掴んだ。
「何処に行くんだい?」
 俺が言うつもりも無いと無言でいると、アレフレッドは悪意が欠片もない笑みを浮かべた。
「宿に戻るつもりなら、無駄足になるよ。もう、君の荷物は城に運んでしまったし、キャンセル料も負担しておいた。今夜はぜひ、うちに泊まって行ってくれ」
「はぁ!?」
 次の瞬間口を覆ったが、迸ってしまった大声に酒場に居た客全員が振り返った。
 『変な奴』俺が彼をそう称する原因は、この突拍子もない行動だった。その行動のお陰で振り回され、酷い目に遭った回数など思い出すだけで総毛立つ忌まわしき過去だ。とにかく、アレフレッドに関わるとロクな事にならない。しかも悪意があるならば、殴りがいもあるのだが本人は善意と好意で動いている。
 もう、明日じゃなくても良い。今直ぐローレシアから出て行ってやる。
 俺はそう腹を括ると、アレフレッドの襟首を引っ掴んで怒鳴った。
「非常識にも程があるだろう! 俺が宿と契約した内容に対して、お前が横から干渉してキャンセルしただって!? 相談も何もせず荷物は城に持って行きましたとか、泥棒と同じじゃねぇか!」
 俺はきつくなった目元を緩める事なく、アレフレッドを見下ろした。
「てめぇ、曲がりなりにも国王になったんだろ? もう少し思慮深く、常識あるものの手順踏めねぇのかよ?」
 普通はこんな事言われればショックに思う事だろう。だが、アレフレッドは嬉しそうに微笑んだのだ。
「そう言う事をハッキリ言われると、あぁ、アレフと話してるなぁって懐かしくなるよ」
 だ か ら ! そう、肩を押されて強引に椅子に座らされる。
「一緒に御飯食べて、泊まって行ってくれよ!」
 やはり軽くでも酒が入ると、判断力や行動力は鈍る。押し返す事も出来ず、逃げ出そうものなら素面のアレフレッドに組敷かれてしまうやも知れぬ。自分の失態を認識した時にはもう遅い。
 もう、二度とローレシアに来るものか。
 俺は強く心に誓い、荷物を捨てる覚悟でアレフレッドの隙を窺い始めたのだった。


■ 雷の杖の襲撃者 ■

 アレフが体調を崩した。
 それはとても珍しい事だ。俺の知る限り、彼が体調を崩した事は一度も無い。土砂降りの雨の中の行進でも、咳やくしゃみが出ても仕事はやり遂げる。熱が出ようと、本人曰く『倒れなければ、健康だ』で仕事をする。
 彼の仕事熱心さは、俺から見ても少々度が過ぎているとは思う。しかしどんな状態でも、実際やり切ってしまうのだから彼は凄い。
 だからこそ、アレフが体調を崩して寝込んでいる姿は新鮮そのものだった。
 本人は暑さが苦手だからサマルトリアに戻れば治るって言うけど、微熱が続いて怠そうで殆ど眠れていない。眠れていないのは、俺がつきっきりで看病しているからだと言うけれど、俺は君が心配で回復呪文でも直せないなら額に濡れたタオルを当ててやる事しかできない。
 俺は用意された夕飯を片手に、彼が滞在している客間の扉をノックした。返事が無いのは眠っているからだろうか、そうしてそっと扉を開けるとベッドはもぬけの殻だ…!
「アレフ!?」
 寝た形跡のある白いシーツと布団。ベランダへ続く窓が小さく開いていて涼やかな夜気がレースのカーテンを押している。先ず確認した彼の荷物は、部屋の隅の台座に置かれたままだ。
 一人でサマルトリアに向かったという訳ではなさそうだ。
 俺は腰に下げた剣の位置を確認し、テーブルの上に夕食を置いて周囲を見回す。扉から死角になっていた場所にも視線を向けるが、倒れている影も無い。足音を立てない様にベランダへ向かい、そっと硝子越しに外を見遣る。
 いた。
 城の壁に背を預け、ベランダの床に座って足を投げ出している。月の光の中で顔色は青白かったが、軽く目を閉じ胸が穏やかに上下している。俺が窓を押すと、彼はゆっくりと顔を上げた。風に揺られる茶色い髪や瞳が、不思議な漆黒に変わっている。
「アレフ、ベッドで休まないと…」
 俺の言葉に、アレフは小さく首を振った。
「外の風が涼しい」
 確かに部屋の中で休んでいる時よりも、調子が良さそうだ。俺はアレフの首筋に触れると、じっとりとした肌に熱が籠っているのを感じた。汗で張り付いた髪を払うと、怠そうに震える睫毛を眺めながら声を掛ける。
「少しは食べないと身体に悪いよ」
「今は水だけで良い」
 そういう彼の右手には、鋼鉄の剣と水が入ったコップが置かれていた。
 いつもなら無理矢理食べさせる所だけど、本当に具合の悪い彼に俺の調子が狂わされてしまう。
 俺は立ち上がりベランダの柵に手を掛けると、ローレシア城下を見下ろした。
 眼下の町並みは夕食の時間を少し過ぎた辺りで、家々に灯る灯火の中で一家団欒をしているんだろう。酒場の賑わいが夜風に乗って耳に触れ、ゆったりと身体を揺する様に潮騒と木の葉擦れが包み込んで来る。遠くの港に泊まる帆船は帆を畳み、カモメ達の止まり木になっている。空は星が輝き始め、海風は増々冷えて来る。
「良い国だな」
 振り返れば、アレフが城下の方に視線を向けながら言った。
「暑くなければ最高なんだがな」
「アレフは暑さに弱過ぎじゃないか?」
 俺の言葉にアレフは苦笑して目を閉じた。しばらくこうしていたいと言いたげな彼に、「後でまた来る」と伝えると部屋を出た。
 後ろ手に扉を閉めながら、俺は小さく微笑む。夫の友人だというのに、妻は心配頻りの表情で廊下で待っていた。柔らかい金髪に指を絡ませ、安心させる様に抱き寄せる。俺の胸の中で小さく息を吐き、緑の瞳が俺を見上げて来る。
「アレフレッド様。アレフ様はいかがでしたか?」
「風に当たって休んでいる方が、気分が良いそうです。少し時間を置いて、また様子を見に来ます」
 俺の言葉にローラがほっとした様に息を吐いた。
 先程までの心配そうに堅く輝いていた瞳が柔らかく溶けて穏やかになり、頬の緊張が解けて笑顔が優しくなる。彼女の優しさに心から嬉しく誇らしくなる一方、アレフの体調1つでこんなにも表情を変える事にちょっと嫉妬してしまう。
 俺が強く抱きしめると、妻が腕の中で身じろいだ。
「痛いですわ、アレフレッド様」
 失礼しました。そう言って身を離すと、俺達はゆっくりと中庭に向かった。美しく整った庭を眺めながら、俺は身体を包み込む冷たい空気を意識した。ローレシアの民は寒さに少し早めに布団に潜り込んでしまう事だろう。
「アレフガルドでは、このくらいの気温でも暖かかったですね」
「そうですね。アレフ様がバテてしまうのも、仕方がない事かもしれませんわね」
 俺がこの地に始めて着た時、暑さで参ってしまっただろうか? もう、思い出せそうにない。ローラと共に国を興し、子供に恵まれ、民の笑顔と生活を自分の事の様に喜んで日々が過ぎて行く。アレフガルドを離れ、このローレシアに居る時間が想像以上に長かった事を痛感する。
「彼を引き止めてしまって、悪い事をしてしまったのかもしれません。でも、俺は友人がこの国に来て、この国を良い国と言って嬉しいのです。正直このまま滞在し続けて欲しいくらいです」
 俺の言葉にローラが眉根を可愛らしく寄せた。
「アレフ様が可哀想ですわ」
 そうですね。俺は小さく同意した。やはり、アレフは元気な方が良い。
 風はどんどん冷えて行き、肩を抱いたローラがショールを掛け直した。子供達も心配するだろうし、そろそろ中に入りましょうか? そう声を掛けようとした時だった。
 空気にぴりりと痛みが走る。俺は咄嗟に剣を抜き放ったが、手に痺れを感じて思わず取り落とす。次の瞬間、轟音と共に剣が光り、握りに巻いた皮が焼ける匂いが鼻腔を刺激する。
 ローラを背後に庇い、俺は素早く視線を巡らす。
 中庭の影に、それは潜んでいた。
 明らかに敵意をこちらに向けた、黒いフードと外套に身を包んだ者がいる。背は成人の平均よりやや高く、外套から浮き出た体格はがっしりとしている。ぬっと外套から現れた腕は無骨な男性で、その腕を覆う服は神官のように整った格式を感じる衣類だ。その手に持った杖は細く、先端には翼の生えた女の彫刻が施されている。電気を帯び爆ぜながら光る杖を見ながら、先程の攻撃はこの者の仕業だと理解する。
「貴様は何者だ」
「私は主なる神の使者」
 声は良く通る低い男のものだ。宗教に携わる者が説法を繰り広げるときの、穏やかに通り聞き易い抑揚が中庭に響き渡った。男は杖を構え、俺に向けた。
 主なる神。聞き覚えの無い神の呼び方に、俺は眉根を寄せた。すると次の瞬間、黒いフードが目の前にある。
「!?」
 いつの間に目の前に来た!? 外套がはためく事から魔法ではなく、自分の足で詰め寄って来たのだろう。それにしても相手の動きは全く見えなかった。人間の身体能力を越えた動きに、俺は思わず身を守る為に腕を前に持って来た。
 その腕を杖を持っていない手で握られる。
「…っ!」
 男が握った部分に激痛が走る! まるで電気でも流されたかのように一瞬に、じわじわと熱で炙られ焼かれた様に内部まで広がる痛み。俺は思わず男の腹辺りを蹴り付けようとするが、男はまるで猫のようにひらりと宙を舞い距離をとった。
 男の気配が変わる事に、俺は総毛立った。
「見つけた」
 それは悦び。フードの影から浮かび上がったヒゲの無い白い肌に、深く笑みの影が刻まれる。
「主神の名を汚す、呪われし者の末裔」
 男が杖を振りかざしたのと、俺が落ちた剣を跳ね上げたのは同時だった。空中を回転し飛び上がった剣が、再び強い閃光に焼かれる。先程よりも強い光と電流に、直撃を受けていない俺でさえ身体にびりびりと痛みが走る。
 デインの呪文。それも人一人を殺められる強力なものだ。
 こんなにも発動が早いのは、男が呪文を唱えているのではなく、あの杖に宿った力を発動させているのだろう。魔法道具には呪文を予め宿らせる事により、威力は落ちるが魔法を即座に発動させる事が出来る。しかし、変だ。こんなにも強力な魔法を発動させる杖があるのか?
 それよりも、ローラを逃がさねば。
 俺は痛む左手を意識しながら、退路を探る。あの身体能力、杖の魔法、ローラを逃がそうとして狙われたら殺されてしまう。
 じりっと浮かんだ汗。凍り付いた時間。
 男が再び杖を上げた瞬間、二階の窓硝子が砕けた!
 きらきらと輝く硝子の破片の中を、一人の男の影が潜む。男が鋼鉄の輝きを一閃すると、硝子の破片がダーツのようにフードの男に向かって放たれる!フードの男が杖を振り下ろし、硝子の破片に雷を落として粉砕する。
 バラバラと落ちる硝子の中心に男が着地した。顔を庇った腕を下ろせば、青白いが馴染みの顔。
「アレフ!」
 アレフは躊躇い無くフードの男に向かって突っ込んだ。鋭く、早く、そして隙は全くない。間髪無く五月雨の如く突き刺さる斬撃は、尽く杖の動きを封じる為の動作だ。杖を持つ手を集中的に攻撃し、少しでも動かそうと試みれば杖を弾いて手から弾き飛ばそうと試みる。フードの男も杖を手放すまいと血飛沫を飛ばしながらも、アレフの剣撃に耐える。
 フードの男の蹴りも、アレフの攻撃の手を緩めるには至らなかった。アレフは他人の動きを観察して対応する戦いが、得意だからな。
「邪魔をするな!」
 ついに歯を剥き出して怒りの声を上げた男が、大きく後ずさった。アレフの追撃も、人の身体能力を大幅に越えた男には一歩及ばない。
「アレフ! 下がれ!」
 このままではアレフが電撃に打たれてしまう! 俺の声と、電撃の轟音が響き渡った! 鼓膜を容赦なく揺さぶる轟音が止むと、中庭の植物を灼いた焦げた匂いを含んだ煙の中から人影が1人立ち上がった。
「逃げられたか…面だけでも拝みたかったんだがな」
 そう言って剣を納めたアレフは、煙を吸って大きく噎せた。


■ 王の守護者 ■

 アレフレッド様が襲撃を受け、ローレシア城内は騒然となりました。
 見張りや巡回の兵士数名が雷に打たれたかのような重度の火傷で殉死、アレフレッド様も左腕に重度の火傷を負ってしまいました。涙に暮れる家族に挨拶を済ませ、私は足早にアレフレッド様の元へ向かいます。
 背後に付き従っていた侍女達を隣の部屋で待たせ、私はアレフレッド様の部屋の扉をノックしました。
「アレフレッド様」
「ローラ様。どうぞ、お入り下さい」
 扉を開け小さく会釈し顔を上げると、アレフレッド様がベッドに腰掛け私に微笑みかけて下さいました。左腕は骨折したかのように、包帯で覆われています。
 回復呪文での治りが悪い火傷のような傷は、薬草を当てられ包帯を巻いた上で氷で冷されています。薬師も神父もこんな傷は見た事がないと言われましたが、治らない訳ではないようです。
「お加減は如何ですか?」
「まだ、火で炙られているように傷みますが、奴に手を掴まれた直後より良くなりました」
 そう微笑んだアレフレッド様の額には、脂汗が浮かんでいます。
 あぁ、貴方の痛みは私の痛みのようですわ。目元がキツくなり、思わず息が詰まってしまいます。
 私はアレフレッド様の前に膝を折ると、精霊ルビスにアレフレッド様の回復を祈り今も加護を賜るよう願いながらホイミの呪文を唱えます。はらはらと花弁のように暖かい光が腕に降り注ぐと、アレフレッド様の表情が少し和らぎました。
「ローラ様、ありがとうございます。貴方の癒しの呪文が、一番痛みを和らげてくれます」
 微笑んだ顔は、痛みが和らいだ事による安堵が滲んでいました。
 しかし次の瞬間、アレフレッド様は悔しさから歯を食いしばる。
「兵士が何名か殉死してしまいました。俺が居ながら、情けない」
「アレフレッド様のせいではありませんわ」
 兵士達が殺されたのは、侵入時のタイミングであったと報告がありました。侵入者が逃亡する際は誰も殺めていないそうです。
 私はアレフレッド様の手を包み込みました。あぁ、こうやって手が握れる事が、ローラにとってどんなに幸せな事か…! アレフ様が助けに来てくれて、本当に良かった。
 アレフレッド様は私の手を握り返しながら、思い出したかのように問いました。
「アレフはどうしました?」
「旅立たれましたわ。急な仕事を思い出したそうですの」
 そう、アレフ様は侵入者が逃亡した直後に、『仕事を思い出した』と荷物をまとめ城を出て行かれました。薄情なお方、私とてそう思います。
 アレフレッド様は、私の滲んでしまった怒りに声を上げて笑いました。
「全く、アレフらしいな。私の護衛など兵士で十分だろうと思ったんでしょう」
 ローレシアの兵士達はアレフレッド様の指導故に、決して弱く等ありません。
 しかし、私は聞いたのです。見つけた、と。呪われし者の末裔と、アレフレッド様に向けられた侵入者の声を。あの者は、アレフレッド様を狙っているに違いなく、襲撃は再び行なわれる事でしょう。
 アレフ様がアレフレッド様を守って下さったら、どんなに心強い事でしょう…! それを思うのは私だけではなかったのでしょう。
 アレフレッド様はやや寂しそうに笑い声を納めました。そして不安そうな私の髪を梳いて下さいました。
「大丈夫です、ローラ様。この腕も直に良くなります。自分の身くらい自分で守れないようなら、この国の民すら守る事はできませんよ」
 額に口付けし、アレフレッド様は優しい声で言いました。
「殉死した者の家族の対応でお疲れでしょう。ローラ様もお休み下さい」
 私は作法に則った会釈と暇乞いをし、音を立てぬ様に扉を閉じました。その扉が閉まる瞬間、アレフレッド様の笑みが拭う様に消え去ったのを見ながら。
 私は胸の中に渦巻く不安に心の臓が潰されそうになりながら、小さく息を吐きました。影のように従う侍女達を伴い、彼女達が入れてくれる紅茶の香りに偽りの安堵を感じながら私は自室のソファーにゆったりと腰を落ち着けました。私が寛いだ頃合いを見計らい、侍女の一人がテーブルの上に羊皮紙を広げました。輝く銅のように美しい長髪の侍女が、詳細なローレシアの地図を挟んだ向こうで言いました。
「アレフという傭兵は、まだローレシアを出国しておりません」
 黒髪を肩でざっくりと切り揃えた侍女が、ローレシアの地図に点々と付けた印を示しながら言います。
「何名かの情報屋から情報を仕入れています。求めた情報の内容は余所者の出入りが激しく民が不審に思わぬ場所、そしてアレフレッド様を襲撃していた者が持っていた杖の特徴を上げてその杖の所有者を捜しているようです。襲撃者の情報は箝口令が敷かれていて情報屋は知りませんから、傭兵アレフが杖の事を情報屋に知らせた事は明白です。また、ミトラ教の教会にも足を運んでいて神父にも接触しています。手紙を出したようで、回収しています」
 そう差し出された便箋を受け取る。宛はミトラ教の総本山のある教会で、男性の名が記されています。中身は封を切られ中身を確認しましたが、直ぐに仕舞ってしまいました。文字が汚過ぎてとても読めそうにありませんでした。暗号でも、これはありませんわ。
「神父はその宛先へ至急届けるようにと預かっただけで、傭兵は一通り祈りを捧げて去って行ったそうです。神父は宛先を代筆しただけ。隠し事をしている様には見えませんでした」
 そう。
 私がそう呟くと、侍女達は静かに指示を待つように控えています。
 アレフ様が侵入者と無関係と思いたい所ですけれども、この一連の行動を鑑みるに侵入者と接触したがっているようです。接触する理由として先ず上げるのは、侵入者であるフードの男と共闘しアレフレッド様の殺害を謀る。しかし、アレフ様とアレフレッド様は旧知の仲故に、アレフレッド様を殺害したい等とは思いたくありません。しかし、仮にもしそうであるならば、機会は城の中に滞在している段階で多く恵まれていた事でしょう。侵入者を妨害する必要もなく、妨害が芝居であったなら城を出て行く必要はありませんでした。第一、彼の具合の悪さは本物でした。
 それ以外に何かしら理由があるのならば、今の情報だけでは推測すら出来ません。
 私は思案で伏せていた睫毛を上げ、侍女達に言いました。
「兵士達に命令を。傭兵アレフを捕縛します。決して殺してはなりませんが、抵抗するならば多少手荒になっても構いません」
 そう言いながら、ローレシアの地図を指差しアレフ様が潜んでいそうな場所、こちらが捕縛に失敗し撤退に使うだろう道、私の思惑を探ろうと接触する情報屋に流す情報、様々な事を指示していきます。アレフ様も、分が悪いですわね。ここはローレシア。私とアレフレッド様が作った王国なんですのよ。私は唇を薄く開き、笑みを浮かべます。
 例え、アレフ様が兵士を撃退し逃げ回ったとしても、こちらには兵士という多くの手数が存在します。彼がローレシアを出て行かない限り、逃げ切る事は不可能なのです。
 私の指示を一通り聞き終えた黒髪の侍女が一礼して部屋を出て行くと、私は残ったもう一人に微笑みました。
「私は少し休みます」
 侍女達が隣室へ消えて行くと、私はベッドに横たわりました。
 フードの男の身体が凍り付くような笑み、痛みに耐えるアレフレッド様の痛ましい姿、荷物を手に翻った深紅の外套と見送った背中、遺族の嗚咽、それらがぐるぐると頭の中を廻り、いつしか私の意識も全て闇の中に溶けて行ってしまいました。

 ふわりと夜気が頬を撫でる。
 もう時刻は夜で、今日もローレシアにしては冷える日なのですね。そう思いながら薄く目を開ける。窓が小さく開かれ吹き込んだ甘い夜風が、レースのカーテンをふわりふわりと翻しています。日は暮れたようで夜の帳が黒々と空から降り、虫達が夜の音色を奏でています。
 身体を起こしベッドに腰掛けると、闇が動いた。
 その闇が人の形をし、瞬く間に私の前に移動する。ばさりと広がった赤黒い闇が私を包み込んだかと思うと、背中に腕を当て後頭部を大きな手の平が掴む。固定され動く事も出来ない喉元に闇の中から浮かび出た白刃が突きつけられる。闇の中、滑るような漆黒が瞬いた。
「アレフレッドの奥方は只者ではなかった訳だ」
 その声はアレフ様。
 私は思わず声を上げようとしましたが、喉元を強く押し付けられ声が出ません。どうやら片刃の短剣の刃ではない方を、喉に宛てがっているようです。声を上げられない私を見て、アレフ様は漆黒の瞳を苛立たし気に目を細め苛立ちを声にして紡ぎ出しました。冬のような吐息が顔に触れる。
「全く、散々だったぜ。お前の采配なんだってな? お前の仕掛けた罠やら配置やらで、俺は今日だけで5年分くらい人間をぶっ飛ばす羽目になったぞ。おい、何が目的だ」
 流石はアレフガルドのみならず、世界を股に掛ける敏腕の傭兵ですわ。やはりローレシアの兵士では相手にならなかったようですわね。
 ですが、彼がここにいる。
 私が配置した兵士達を尽く退けても、退路に立ちはだかり、捕縛しようと追跡する。彼は私の策に屈し、逃げるのを止めてここに来たのです。
 それは私の勝利と、彼が敗北を認めた事を意味していました。
 押し付けられた刃の力が緩み、息を吐く。圧迫された痛みを励ましながら、注意深く私を見る漆黒に見える双眸に挑むように見返しました。
「それは、私がお聞きしとうございます」
「可愛い顔して策士なお妃様だな。だが、これは内密な仕事で教える事は出来ん」
 漆黒が薄れ、硬質な雰囲気が緩む。
「まぁ、お前さんの用件はなんとなく察せる。アレフレッドを守って欲しいとか、そんなもんだろう? あいつは俺が守ってやる程弱くないし兵士がいる。骨折ったのは3人だけだから、ホイミ程度で皆使い物になるだろうよ」
 アレフレッド様はアレフ様は良い人だとおっしゃいます。行動は粗暴で冷たい態度だが、その結果は第一に他者の為にあると誇らしく語っておられます。アレフ様は確かにローレシアの兵士達を圧倒しましたが、最低限の怪我を負わせるに留まる手加減をして下さったのでしょう。
 私が兵士達の怪我を心配したと思ったのでしょう。明るい茶色い瞳が、労るように私を見ます。
「安心しろ。アレフレッドに害を加えるような仕事だったら、とっくに断ってる」
 ぐっと後頭部を固定する手に力が入り、茶色い瞳は再び漆黒に陰る。アレフ様は一言前までの暖かみのある声色を消し、アレフガルドの北風のように吹雪かせながら言いました。
「これ以上、お前らに情報を漏らす訳にはいかない。俺が要求するのは、俺の捕縛命令の撤回だ。さもないと…」
「さもないと?」
 私が首を傾げて間髪無く問い返すと、アレフ様は目を見開き拍子抜けしたかのような表情になりました。
 考えていなかった。
 私でなくても分かりますわ。
「え? あー、えーと…、あー、どうすっかなぁ。痣付けて賠償金とか請求されたら絶対負けるしなぁ」
 あまりにも微笑ましくて、私はくすくす笑ってしまいますわ。
 元はラダトームの王女。今はローレシア王の妃。決して脅迫に屈する事はありませんけれど、このような反応をされてしまうと可笑しくてたまりませんわ。アレフレッド様はとても良いお友達をお持ちなんですのね。まるで子供のよう。
「アレフ様、1つ良い事を教えて差し上げましょう」
 まるで子を諭す親のように、私は夫の友人に語りかけました。
「私は常に心強い騎士様に、守られているのですよ」
 首を傾げるアレフ様の後ろに、怒気を満面の笑みで覆い隠しているアレフレッド様が立っていました。後はお任せですわ。
 アレフ様も、まだまだ甘いですわね。
 私はとっておきの笑顔で、アレフ様を見上げました。