死神は魂の道行きを定める - 後編 -

 自分には錬金術などという、難しい事は分からぬ。
 回復呪文を掛ければ昏睡に至るまで消耗しそうな大怪我も、ゼフの調合した薬品を掛ければ見る見る肉が盛り上がり塞がったものだ。ゼフは神の奇跡のような業を『貴方のような体力お化けだから可能なのです』と言っていた。
 説明されても理解できぬが、錬金術は万能ではないのだろう。
 そんな自分は主の従者として、王立アルケミアに何度か足を運んだ事がある。我が主も錬金術はそれほどに詳しくはなく、これで民の生活がより豊かになる事に感動するばかり。ご婚約が決まってからは同行されるマローネ様の方が真剣に耳を傾けて、王国の招待で訪れたリンジャーラ殿は研究者達と時間いっぱいまで難しい論議を交わしておられたものだ。
 難しい文字。使えぬ魔法。不器用な自分には薬草を調合する事も難しい。
 それでも、そこには良き思い出が多くあった。
 このエテーネ王国の発展の為に心血を注ぐ研究者達の熱意は、剣しか知らぬも主を守るべき己の決意に似たものを感じた。主の、奥方の、友人の喜びは、このファラスの喜びでもある。
 錬金術が素晴らしきものであると、理解できれば十分であった。
 それが、このような事に使われようとは…。
 王立アルケミアの所長ヨンゲが目指していた先進研究区画は、足元が照らされるだけで暗い。等間隔に培養液に満たされた硝子の柱が立ち、ぶくぶくと気泡が沸き立つ液体の中には製造中の魔法生物が浮かんでいる。魔法生物に過剰な刺激がいかぬよう、あえて照明を落としているのだろう。硝子の柱の土台には錬金術を制御する為の装置が付いており、そこから大蛇の太さの管が床を這って覆っている。管を踏まぬよう、人が歩く場所は網状の金属の板が渡されていた。空間は清潔を保っていたが、蠱毒の壺の底のような不気味な光景が浮き上がっている。
 自分の前に二人のルアム達が足を止め、硝子の柱の中に浮かぶものを見上げていた。
 なぁ、なぁ、相棒。プクリポが少年の原始獣のコートの裾を引く。くいっくいっとオリーブに染めた毛皮の裾を引く毎に、赤くまん丸い尻尾が動いていた。
「これって、いぎょーじゅーだよな?」
 絶句しているのは、何も少年だけではない。自分も言葉を失っていた。
 硝子の柱に満たされた培養液に浮かんでいるのは、長い尻尾を胸に抱くように寄せて胎児のように体を丸める生き物。冷たい色の光源に黒い金属めいた質感の表皮は白く照り、相対した時は血を塗り固めたような真紅の玉は暗く沈んでいる。どこからどう見ても、この王立アルケミアの研究者達を屠った異形獣であった。
 驚きはなかった。予感が的中したと思うくらいだ。
 主を守る為に剣の腕を磨く為、自分はエテーネ王国の全ての魔物と戦った。主の行く先々に全て付き従った故に、このレンダーシアの主要な地域の魔物達も把握している。それ故にこの異形獣がエテーネ王国には存在せず、どの魔物にも属さぬと断言できた。
 魔物でないなら、異形獣とは何か? その答えが目の前にあった。
「え? え? ここって、エテーネ王国お抱えの建物なんだろう? どーして、いぎょーじゅーがいるんだ?」
 早口で捲し立てる声が、混乱しているのを物語る。
 そう、ここは王立アルケミア。エテーネ王国が設立し運営する、王国直轄の研究施設だ。錬金術の研究を行うこの場にあるものは、全て錬金術で生み出されたもの。つまり、異形獣は錬金術で作られた魔法生物であるという事だ。
 それだけではない。この研究施設で行われる研究の全てが王国へ公開され、民も申請すれば研究内容を閲覧できる。例え、所長のヨンゲが隠蔽しようとしても、研究所の全てに実施される監査から逃れる事はできない。しかもこれほど大規模に異形獣製造を実施して、隠し通せる訳がない。
 しかし、異形獣の製造は秘密裏に行われ、実際に軍部でも把握できていない。
 誰が異形獣を隠したか。
 目の前に答えがあっても、信じたくはなかった。
 足早にルアム達の脇を抜け奥を目指す。金属を仕込んだ靴底と床がカンカンと早鐘のように音を立て、培養液の中で微睡む異形獣が目を覚ますのではと思う程に響いてしまっていた。プクリポがヨンゲの首からスカーフを外して作った花と交換した、金色の王立アルケミアの紋章が刻まれたマスターキーを取り出しながら奥の光を目指す。
 奥の扉を開け放つと、闇に沈んだ空間が薄暗く照らされる。
 王立アルケミアなら何処にでもあるような、ごく普通の研究室だ。正面には立派で大きな机が置かれ、机が見えぬ程の紙と本に埋もれている。壁一面に作り付けられた本棚には、隙間という隙間に本や書類を束ねた冊子が押し込まれ、溢れたものは堆く積み上げられていた。壁際にはどう使用するか見当もつかない、様々な器具が転がっている。中には自分でさえ担ぎ上げる必要がある大きな硝子の筒も存在した。
 秒針がかちこちと響く部屋の中を見回し、鮮烈な青に目を留める。
 革張りの椅子に座れば手の届くような場所に、金の箔押しがきらりと光った。青い重厚な装丁にはタイトルはないが、エテーネ王国の紋章が箔押しされておる。エテーネ王国の民ならば即座に『時の指針書』であると分かるだろう。ずしりと重い本を手に取り表紙を捲れば、ヨンゲの名前が書き込まれている。
 既に数冊目に突入した『時の指針書』であったらしく、ページを繰ってすぐにその言葉があった。
 『ドミネウス王子より、魔力収集能力を備えた魔法生物の錬金指示が下る。謹んで受けるべし』
 王子。その言葉に自分は目を眇める。
 現国王陛下が即位したのは、つい最近だ。この魔法生物が異形獣かは断言できないが、ヨンゲとドミネウス陛下は王子の時代から既に繋がりがあったのだろう。異形獣を製造する期間が長く必要であると考えれば、当然と言える。
 ヨンゲの『時の指針書』には、ドミネウス王子の指示に従えという内容が頻繁に書き込まれていた。魔法生物の強化、量産、提出と指示の内容が推移していく。読み進めると、ドミネウス王子という記述はドミネウス国王陛下へと変わっていく。
 『収集した魔力より時渡りの力を抽出する装置を錬金せよ。ドミネウス国王陛下の意向に沿うべし』
 時渡りの力。
 その言葉に、自分は主の苦々しい顔を思い出していた。
 ある日、先代国王陛下はお戯れにも、王位継承権を入れ替え我が主を次期国王に任命しようと仰られたのです。唐突の発言に、春の穏やかな昼下がりのような微睡む空気は最も厳しい冬の寒さに変じた。
 その理由を先代国王陛下は明言しなかった。
 先代陛下には二人の男児がおられる。現国王のドミネウス様と、我が主であり王弟のパドレ様だ。共に優劣つけ難い優秀な方々であったが、強いて差を挙げるなら時渡りの力であろう。パドレ様は特に強いお力を持っており、その力で自分の剣先を読み、民に降りかかる災害を事前に言い当てる程であられた。
 パドレ様は驚きに目を見開き、開いた口が塞がらなかった、しかし、パドレ様の兄であるドミネウス王子の驚愕の顔は今でも忘れられぬ。見開かれた目は見る見るうちに充血し、厳しい顔のこめかみに血管が浮き上がって脈打っていた。真一文字に閉じられた口の中で、歯を噛み締めていると分かり、ぶるぶると体が小刻みに震えておられた。
 縁起でもない。パドレ様は兄君の様子に気が付かれぬまま、父王の発言を笑い飛ばされた。
『父上には、まだまだお元気でいて もらわなければなりません』
 その一言に家臣達は『御隠居を考えられるとは、王もついにご年齢を実感されましたか』と笑って濁すことに成功した。この時の先代陛下のお言葉が、どこまで本気であったかはついぞ知れなかった。
 しかし、父王のお言葉はご兄弟に暗い影を落とされた。
 主の苦悩は深くあられた。
『時渡りの力とは、それほどに優れたものなのか?』
 兄であるドミネウス様を、パドレ様は弟という贔屓目を抜いて尊敬しておられた。ドミネウス様は幼くして神童と呼ばれる知識と、聡明さをもっておられた。恵まれた体格は武勇に優れ、魔法も剣も一流であられる。地上に住まう民の暮らしに、王族の誰よりも親身に寄り添われていた。それらを正しく使う為に、並々ならぬ努力を重ねておられる事をパドレ様は父である先代陛下よりも理解しておられたのだ。
 時渡りの力などなくても、良き統治が行われる国はいくらでもある。
 だからこそ、時渡りの力の優劣で王位継承順位が変動する事に、ドミネウス様よりも憤りを感じておられた。
 ドミネウス様の御即位を知っておられれば、間違いなくパドレ様は王国で最も喜ばれただろう。
 即位前より兄がこの王国をより良く統治してくださると、自分が嫉妬するほどの信頼を寄せておられた。黄金の王冠を戴き世界で最も偉大なる王の姿を体現せしめたドミネウス新国王は、パドレ様が望んだ未来であった。
 将来は兄の傍に立ち、王国を支え、愛する妻と子と穏やかな日々を過ごす事を望んでおられた。それは行方不明な現在、叶わずにいる。しかしドミネウス様は弟であるパドレ様の願いに報いる為、王政に励んでおられると思った。
「なんということだ…」
 怒りが込められた指先に、ヨンゲの『時の指針書』がみしりと音を立てる。
 パドレ様の信頼を、こんな早くから裏切っておられたとは…!
「ファラスさん」
 怒りに白く灼き切れそうな意識に、少年の声が響いた。はっとヨンゲの『時の指針書』から顔を上げると、利発そうな青紫の瞳が鏡のように険しい自分を写していた。自分は強面ではないが、それでも眉間に皺を刻み殺気立てればなかなかの悪漢だ。ゆるりと熱い息を吐き出して、眉間の皺を揉んでから少年に向き直る。少年が差し出したのは、束ねられた資料のようだ。
「ヨンゲさんが研究していた『ヘルゲゴーグ』の資料です」
 少年が両手で持たねばならぬ程の厚みのある資料を繰れば、見慣れた異形獣の成長過程が絵付きで記されている。細やかな研究者らしい線画は、戦いで関わった者にはできない忠実さだ。爪や甲殻の強度を出す為の素材配分、魔力収集回路の計算式などは、製作者のみが知る情報であろう。さらに収集した魔力をヘルゲゴーグの集積回路から回収し、時渡りの力を抽出する装置にまで言及されている。
 見覚えのある形に視線を向ければ、部屋の隅に置かれた大きな硝子の筒が見える。
 ヨンゲが研究していたヘルゲゴーグが、自分達が異形獣と呼ぶ魔法生物であると立証する重要な証拠となるだろう。多くの資料に押された王立アルケミアの印章とヨンゲのサインが、この証拠を保証するようだ。
 しかし。自分はヨンゲの『時の指針書』に視線を落とす。
 この中には魔法生物と記述はあれ、ヘルゲゴールと記載はない。国王陛下がヘルゲゴールの開発を指示したとは断言できない。しかし、この資料が王宮に提出されていなければ、この研究は隠蔽されていた事になる。監査をすり抜け隠蔽できたなら、国王陛下が関わっている事は間違い無いだろう。
 異形獣の被害は噂で聞いている。魔力を一気に多量に失えば命の危機があり、決して少なく無い人数が命を落としたと聞く。ヨンゲは製造に関わった。しかし異形獣を使役しエテーネの民を襲わせているのは、この王立アルケミアで錬金術師達を殺害したのは、国王陛下という事になる。
 この証拠を手に告発すれは、エテーネ王国は大きく揺らぐ。
 激しい心臓の音と共に視界が明滅する。縋りたいお姿は、探せど見つからない。
 あぁ、リンジャハルの大災害の時、どうしてお側を離れてしまったのか…。主の一大事に、従者の責務を果たせなかった後悔が胸を締め付ける。
「これを証拠に訴えても、揉み消されてしまうと思います」
 少年の声が暗闇の中に差し込んだ。視線を向ければ人々を蹂躙する国王の身勝手さに怒れる瞳が、明けの明星が輝く夜明け前の空のように美しい。
「このアルケミアの人々を殺した相手なら、訴えた途端に僕達も口封じの為に危険に晒されます。まずは、この事実を冷静に受け止めてくれる人を探す必要があります」
 なるほど。自分は少年の言葉に、冷静さを取り戻していくのを感じた。
 顎に手を当て、視線を宙に泳がせて思案する。
 ドミネウス陛下に直訴しても、この証拠は信用ならぬと言われてしまえば意味がない。最終的にドミネウス様は玉座を追われ、新しい王が即位する事態に発展するだろう。少年の言う通り、この証拠を見て冷静に事態を分析できる人物の協力が必要だ。
 この事実を捨て置く訳ではないが、慎重に物事を進めなくてはならない。
 ドミネウス様には、メレアーデ様とクオード様という二人のお子様がおられる。ドミネウス様が王冠を返還し、我が主であり第二王位継承者であるパドレ様が帰還なさらぬ場合、メレアーデ様とクオード様の順で王位が譲り渡される事になる。残る王位継承者はパドレ様とマローネ様のお子様が挙げられるが、まだ乳飲み子で継承権が発生していなかったはずだ。
 メレアーデ様もクオード様も心根の真っ直ぐなお方。お父上の狼藉に衝撃を受けるであろうが、毅然とした態度で事態を直視できる強さを持っておられる。お二人ならば、この証拠を手にドミネウス様の間違いを正そうと立ち上がってくださるだろう。
 特にエテーネ王国軍軍団長を担うクオード様は、異形獣の問題に奔走しておられる。この証拠に書かれた、魔力を抜かれた者へ魔力を戻す方法は多くの被害者を助けるに違いない。クオード様ならこの証拠を確実に守り抜いてくださるはずだ。
 導き出された結論に大きく頷くと、自分は少年の肩に手を置いた。
「礼を言う、ルアム。其方のお陰でこの証拠が、研究者達の死が無駄にならずにすみそうだ」
 少年が柔らかく微笑むのにつられ、自分も頬が緩んだ。
 肩に置いた手を離すと、自分は部屋の隅に置かれた大きな硝子の筒の前に立つ。異形獣ことヘルゲゴーグの資料にあった、角の宝石に蓄えた魔力を抽出する装置だ。硝子の筒の蓋の部分に専用の器具を付ける事で、抽出した魔力を人の体に戻したり、時渡りの力を精製する事ができるらしい。専用の器具は硝子を傷つけぬようヨンゲのものだろうローブで包み、筒の中に入れておく。証拠も散らからぬよう箱に収めて紐で縛って放り込む。硝子が割れぬ為に付けられた金属の格子に手を掛けて担ぐと、少年に向き直った。
「兄さんが所長室に繋がる転送装置を見つけています。そこから所長室の秘密の通路を渡って、脱出しましょう」
 自分達が証拠を捜索している間に、周囲を探索し、異形獣が扉を打ち破ってきた際に即座に知らせる為に、部屋の外に待機してくれていたのだろう。プクリポらしい明るい剽軽な態度だが、細やかな心遣いがありがたい。
 機器を傷つけぬよう、少年の開けた研究室の扉を慎重に潜り抜けると名を呼ばれる。
「国王陛下は、どうしてこんな事をしたんでしょう?」
 兄上は、なぜ、こんな事をしたのだろう?
 主の声と少年の声が、悲痛な響きを重ねた。
 この世界で最も発展し、栄華を誇るエテーネ王国の玉座。そこに座って手に入らぬものなど、何一つない。王の資質を持つ二人の子供は賢く、類い稀な才能で父王を支えておられる。王弟であるパドレ様は王位に関心はなく、ドミネウス様を強く支持していた。堅実なドミネウス様の治世が続けられれば、エテーネ王国の輝かしい歴史に名を刻み賢王と評価されたに違いない。
 それがどうして異形獣を使役し、民を苦しめているのか?
 何かしら理由が存在しなければ、こんな悪行に手を染めはしない。
 しかしドミネウス様に直に問いただしたとて、納得する答えは帰ってこないだろう。そう正直に返せば、この少年も、自分が想定する主も悲しみに沈ませてしまう。だが、このファラス、偽りを申す訳にはいかぬ。だから、こう答えるしかなかった。
「わからぬ」
 頭降った脳裏に浮かんだのは、『時の指針書』に書かれた時渡りの力という言葉。このエテーネ王国の栄華の象徴であり、王族の証と言える力。それが、頭を離れない。
 時渡りの力は、人々を幸せにする為のものではないのか?
 その疑問に自分は『わからぬ』と答えた。