踊りましょう、あなたの掌の上で - 後編 -

 ボクは時の妖精。普段は『エテーネルキューブ』の中で待機状態で宿っているキュル。
 製作者であるテンレスは、ことある毎に弟や幼馴染や故郷の話をするキュ。全く不毛な記憶容量圧迫問題キュ。そして弟の話題の最後には、『弟のルアムをよろしく』と依頼されているキュ。『よろしく』とは明瞭を欠いた内容キュルが、『エテーネルキューブ』の所有者を援助する。それがボクの役割キュ。人間の価値観で、好ましい選択して欲しいと認識しているキュ。
 テンレスの要請に常に最善を尽しているキュけれど、ボクにも不得意はあるキュ。
 ボクは時の妖精の見た目宜しく、愛らしいふっくらとした丸みのある造形や、キュッと伸びやかな手足、ふわりと体を覆うフード付きの外套に、キュルっとした目や口元から戦闘向きではないキュ。
 第一、『時渡りの力を制御し指定の時間に時間跳躍する行為を援助する』。それだけで、どんな強大な攻撃魔法よりも制御が難しいキュ。遥か遠くの針の穴に糸を通すような、普通なら不可能な領域キュル。それを可能とするボクは、非常に優秀な存在キュル。
 だからといって、万能とは言えないキュ。
「キュルル。そこにいるのでしょう?」
 メレアーデの声が、過去から今に囁くキュ。
 その言葉を聞いたのは、パドレア邸の主人であるマローネと赤子を守り抜いた後。ルアム達が連行されるのを遠巻きに見る王宮の人々の向こうに、王宮には相応しくない格好のメレアーデが立っていたキュ。誰も窓際に立つ高貴な女性に気がつく事ない。それどころか、その周囲だけ少しだけ時間の流れが澱んでいたキュ。
『お前は何者キュ?』
 ボクの問いにメレアーデが動きやすい革のワンピースの裾を摘んで、流れる動きでカーテシーを披露したキュ。伏せたまつ毛が上がると顎も上がって、ボク達がメレアーデと認識する顔と寸分違わぬ面差しが向けられる。
「私はエテーネ王国国王ドミネウスの娘、メレアーデ」
 ふんわりと笑みを浮かべた口元だけれど、目は強い意志が朝日のように輝いていた。ルアム達が連行されているのを驚愕の表情で見ている、ドレス姿のメレアーデとは雰囲気が全く違うキュル。ボクの時間測定能力は、二人のメレアーデは同一時間軸に存在する同一人物であると告げているキュ。比較すれば冒険者姿のメレアーデの方が、経過時間が長い。つまり今のメレアーデより未来の存在と言えるキュ。
 エテーネの民が持つ時渡りの力で、未来より時間跳躍してきたメレアーデ。
 それが目の前にいたとしても、全く不思議ではないキュ。
『お前も過去を変えたいキュル?』
 テンレスが制作した『エテーネルキューブ』は、時間跳躍を制御する装置として開発されたキュル。冥王ネルゲルに故郷を滅ぼされた日に飛んで、弟を助ける。それがテンレスの目的であったからキュル。
 しかし、完成しても目的は達成できなかったキュ。
 『エテーネルキューブ』が完成してから、テンレスは故郷を救う為にありとあらゆる事をしたキュ。直接、冥王ネルゲルを止めようと戦いを挑もうとしたり、村人に危機を訴えて危機を回避しようとしたり、弟を連れ去ろうと企んだ事もあるキュ。でも、実行しようとすれば様々な妨害や、強制的な時間跳躍が発生して完遂に至れなかったキュル。
 この時間軸は冥王ネルゲルに故郷を滅ぼされた事が、一つの始点として存在しているキュ。本来なら過去が変わっても未来の影響が最小限になるよう、時間の修復力が働くキュル。でも、エテーネ村の滅亡だけは、修復力ではどうにもできない非常に大きな点だったキュ。
 その事実を受け入れる事は、テンレスにとって刃物を飲み込む苦痛を伴ったようキュル。『もう、ルアムさえ救えれば良い』そう、故郷の滅びを受け入れた時のテンレスは、ボクでさえ大好きなチョコレートを半分分けてやろうと思ってしまうくらい痛ましかったキュル。
「私は皆が正しき未来へ至るよう、手伝っているだけ」
 例えば。そう言ってメレアーデは、厚手のグローブに覆われた手を人垣に向けたキュル。そこには昏睡状態のマローネを抱き抱えるファラスと、頭から出血しているが必死に赤子を抱き抱えている侍女が慌ただしく部屋に入っていく所だった。扉が閉まる前にクオードが飛び込み、部下達に鋭い声で指示を飛ばしている。
 今の時代のメレアーデに通じる、柔らかい笑みが浮かんだキュル。
「ルアム達はただの人助けにしか、思っていないでしょうね。彼らの何気ない行いが、滅びの未来を回避する一歩となるです」
『滅びの未来を回避するなんて、不可能キュ』
 終焉の光景を見たルアムは、この滅びの未来を変えたいと願っている。だからと言って、具体的に何をすれば良いか分かっている存在はいないキュ。
 そもそも滅びを回避する方法なんて、存在しないキュ。卵が存在すれば、割れる事が確定している。始まりと終わり、生と死、全てのあらゆる時間軸には必ず終末が存在する。終わり方がどうであれ、その終末の姿は同じ。全て虚空に消えて無に還る。ルアムが到達したのはその無に還る少し前、生き物が存在出来る環境が残った最後の瞬間だったキュ。
 アストルティアのみならず、終末は存在の傍に存在するキュ。
 冥王ネルゲルという魔族の活動が本格化すれば、空に第二の太陽が浮かび世界は焼き尽くされ命が絶えるはずだった。大魔王がアストルティアを征服すれば、どんな治世を経たとしても全ての生命は破滅を間逃れなかったキュ。竜の神ナドラガの暴走でアストルティアは壊滅的な打撃を受け、終末を迎えるはずだった。棒が突き立った砂の山を崩すように、世界は危うい均衡で今に存続している。運良く棒に例えた終末の可能性は消失しても、別の終末の可能性が浮上する。
 終末の可能性はアストルティアが存続する限り、決して消える事はないキュ。
 無知だから願える、希望的観測キュ。
「運命という激流に流されるのは容易いけれど、逆らうのは難しい。未来を変えようとがむしゃらに行動しても、結局同じ滅びの未来へ流されてしまう」
 メレアーデはボクの言葉を肯定しながらも、『ですが』と続けた。
「別の至る未来への分岐点は、確かに存在するのです。大切なのは、一歩一歩望んだ未来に向けて歩みを止めない事…」
 ボクは否定できなかった。
 滅びの未来はアストルティアの未来に横たわる、圧倒的確率で発生する可能性の一つでしかない。可能性が可能性である限り、滅びの未来が発生しない可能性もまた存在している。それをボクは揺らぎとして観測するキュ。
 揺らぎ。不安定で脆弱ではあるが、有るべき時間、有るべき選択を経て収束し現在へと確定する。その確定した現在が、滅びの未来の可能性を再計算する。
 滅びの未来を回避する可能性がある『かも』しれないキュ。
 でも、希望を与えるには弱すぎる可能性キュ。
 圧倒的確率で発生し、いつかは必ず発生する滅びの未来。この滅びの未来には時間の修正力が加わっているキュ。この世界の時間がアストルティアが滅亡する未来へ向かっている以上、抗う事は世界を相手取るようなものキュ。
 キュルル。声に顔を上げると、メレアーデがボクに美味しそうなショコラを差し出した。角の丸い立方体で、つやつやと輝く面から香ばしいカカオの香りが立ち上っているキュ! キュキュ! 赤毛玉が目覚めてからチョコレートを強奪していたキュルけど、お腹の熱で溶けたり固まったりを繰り返していて、あんまり美味しくなかったんだキュル。
 製作者のテンレスが良くチョコレートをくれたキュル。でも、テンレスの温かい手の上ですぐ溶けちゃう経験から、反射で受け取ってしまうキュ!
 嘴でショコラを齧れば、ぱきりと割れた香ばしいチョコレートが、柔らかく甘い層を包み込んでいるキュ。口の中でぱきぱきと楽しげに砕けていくかけらと、とろりとミルクのように混ざり合って口の中が美味しさで溢れかえるキュル!
 キュー! とっても美味しくて空中で一回転するキュ!
 ふふ。チョコレートを頬張るボクを、メレアーデが嬉しそうに見ていたキュル。
「今後もルアムの良き友として、支えになってあげて下さいね」
 『ルアムを頼む』そう言ったテンレスの声が重なる。チョコレートから顔を上げると、もう見える範囲にメレアーデは居なかったキュ。
 この未来がメレアーデが導く『正しき未来』なのキュル?
 人間の価値観では、血縁者は尊ばれる。テンレスが弟のルアムを大切にしていたように、メレアーデにとってドミネウスは守る対象となるはずキュ。しかしドミネウスは心臓を貫かれ、ルアムの矢がトドメの一撃となって生命活動を停止したところキュル。
 生命活動が停止したドミネウスという個体が、ずるりと重力に引かれて崩れ落ちていキュ。背後に立つ個体が力尽きた巨体に引き摺られて剣を下ろせば、黄金の光を反射する水面に顔面から落ちていったキュル。夕焼けのような赤銅色が、円が広がる毎に濃くなっていキュ。
 傍に立っていたテンレスの弟が、驚きに掠れた声で『誰?』と囁いたキュ。
 ボクが博識な時の妖精キュルル様でも、流石に知らないキュルねぇ。
 その個体は成人した男性。手に持った両刃の長剣が物語る通り、怪しく照る黒塗りの鎧に身を固めているキュ。外套から肩から首元を覆う毛皮まで真っ黒な装いで、健康的な肌色が真っ白に見えるキュル。服からはぽたりぽたりと黒い液体が滴り、これが男の服を黒く染めているようキュル。
 ルアム達は得体の知れない剣士に見えるキュルけど、ボクには非常に強い時渡りの資質を持つ者であると察する事ができるキュ。突如現れたのも、異なる時代からこの瞬間に跳躍してきたんだキュル。
 黒い服の剣士は何気なく『箱』と呼ばれた、時間演算装置を見上げるキュ。
 頭上に輝く『箱』と呼ばれた立方体群は、この時間軸では最高峰の時間制御装置に違いないキュル。一際巨大な立方体を中心に、小型の演算装置と連動し大規模な時間制御を行うと思われるキュル。大規模と断言できるのも、立方体が巨大であればあるほど時渡りの力の貯蓄量と比例して行使できる力の規模が増すからであるキュ。
 次々と力を注ぎ尽くし、ヘルゲゴーグ達が前のめりに崩れ落ちていく。その度に、ぴしりと床から嫌な音が響いたキュル。それに反応した赤毛玉が、神経質そうに周囲を見回すキュ。
「な、なぁ。逃げていーなら、姫様達を担いで逃げよーぜ?」
 黒服の剣士を警戒していたレナートが、赤毛玉の言葉に頷く。突如現れた剣士にこちらを攻撃する意図がないと判断したのか、剣を構え目を離す事なくルアム達に急ぐよう手を振った。ルアム達が視線を交わして踵を返し、意識を失っているクオードとメレアーデの元に行こうとした時。
 びしっ。
 がくりとルアムが足を踏み外したように、体が傾く。びしっ。ばきっ。ばりん。音が足元から次々と湧き上がり、溜まっていた水が流れ出していく。三人は激しく揺れる床に立っていられず、膝をついてしまったキュ。
 黒服の剣士が険しい顔で足元に崩れ落ちた亡骸を見ていたが、こちらに視線を向ける。誰に視線を向けているかは分からないが、剣士は眉間に寄った皺が消えてうっすらと笑みを浮かべたように見えたキュル。
 すっと剣を持っていない手を掲げると『箱』が光を放つ。光は太陽のように時見の神殿の中を白に染め上げ、時渡りの力が急激に高まっていくのを感じるキュ! とてつもない時渡りの力が溢れ出して、空間に流れる時間が乱れていく。停滞して澱んでいると思えば、一瞬にして赤子が老人になる時間が駆け抜け、後ずさるように時間が巻き戻っていくキュル。それらの影響から三人を守るので精一杯キュ!
 外に向かって溢れた光が、突然ピタリと動きを止めた。まるで星々の海に投げ出されたような神秘的な光景に見えるキュけど、光は振動し爆ぜるように瞬き出す。
 キュキュッ! 大規模な時空転移の予兆キュル!
「一刻も早くここを離れるキュ!」
 ボクの声と同時に凄まじい轟音が響き渡って、床が抜けたキュル! 三人は神殿の床と共にエテーネ王国上空に放り投げられる! 赤毛玉の悲鳴が強風に拐われいくキュル。
「床、空気読みすぎだろぉお!」
 広大な海の彼方は、緑がかった空とは交わらず陸地が輪のように取り囲んでいる。光が空を貫かんと噴き出る山があれば、水のように火が流れ煙が塊のように空に投げ出される山もある。黄金の平原のような砂漠。豊かな水の流れる大地。視線を落とせば広大なエテーネ王国が、飲み込まんばかりの勢いで迫ってくるキュ! その間をばらばらと黒い神殿の建材が切り取っていく。
 崩壊する時見の神殿の瓦礫の合間を縫って、赤毛玉がルアムの所へ舞い込んだキュ。兄さん! そう言って赤毛玉を抱き寄せたルアムは、レナートの名前を叫んだキュ。
 周囲に散らばる瓦礫は、大人の男性の姿すら隠すほどに大きいキュ。レナートの応じる声も、瓦礫の向こうから聞こえてきたキュル。
「ルアム君! 君が未来を変えるというなら、また会えるだろう!」
 レナートさん! ルアムが喉も避けよと声を張り上げると、空の色が真っ白に塗り替えられた。空の色はまるで朝焼けに白むように白く染まり、雲が時の流れにかき消されていく。光の素である『箱』の光はエテーネ王宮を溶かすように広がり、ぎゅっと圧縮されて跡形もなく消し去ったキュ。網膜に王宮の影がこびり付いていたキュルが、それも雲一つない空に塗り替えられていくキュル。
「たった今未来が変わったキュル!」
 もうこの時代にとどまる理由はないキュ。このまま落下する事はルアムの生命に重篤な損傷をもたらし機能停止する可能性が非常に高いため、元いた時代に帰還するキュ。緊急性が高い場合は、テンレスの『頼む』が優先されるキュ!
 ボクはルアムの鞄から『エテーネルキューブ』を呼び寄せると、その銀色の面を細い指で突いていくキュ。まるで五月雨のように触れた面が黄緑色に発光し、銀色の面が突き出たり凹んだり回ったりするキュ。
 大きく腕を振り上げ指を押し付けると、『エテーネルキューブ』は眩く光り輝きボク達を包み込んでいったキュ。黄緑色の光が溢れるトンネルを滑空するような感覚は一瞬で終わり、次の瞬間には放り出されたキュ。

 まるで大木が聳え立つ森林。もしくは向日葵の畑。石畳の上に転がるルアム達の傍から、一点を見ている人々を見上げていた。ルアム達の体のあちこちに足が触れる程に人々は密集していて、潮風の湿度に妙な熱気を含んで息苦しいくらいだったキュ。人々は地面に寝転がる不審者達を一瞬見遣っただけで、それ以上の関心を寄せずに空を見上げていた。不安がさざめく声は強風に煽られる木々のようで、互いの不安を存分に掻き立てるキュ。
 人々の黒々とした影が切り取った空は、分厚くどんよりとした黒い雲が広がっているキュ。紫電が爆ぜる嵐の予感がする雲は、今にも大粒の雨がふってきそうだったキュ。
「なんだろう?」
 王宮の落下から立ち直った毛玉が立ち上がって、ルアムに手を貸したキュ。上半身を起こして、そのまま重たい頭を支えるように額に手をやる。自由落下中に時間跳躍を行ったので、ルアムにはちょっと無理をさせてしまったキュ。でも、あのまま落下すれば死ぬのだから、怠いくらいは許容するべきキュ。
 どうにか立ち上がったルアムに、周囲の人々が迷惑そうに視線を向ける。仕方なく一歩と動いて生まれた隙間にルアム達が立つと、人々の視線の先に目を向けたキュ。
 え。ルアムの口から驚きの声が漏れる。
 白と黒が支配した世界に、暖色に彩られたグランゼドーラ城が浮かび上がっていた。篝火を炊いて白亜の壁面が炎に炙られている城が目につき、そして黒い空へ滑った視線が否応なしにそれを視認する。
 黒い雲からいくつも輝く糸が伸びて、山よりも巨大な白い塊を吊り下げている。紫電を散らして白く発光するそれは、まるで積乱雲のように層になっていて、次第に虫が作る繭に認識が収束していく。あ。あ。ルアムが真っ青な顔で、悪夢を見るように繭を凝視していたキュ。
「あれは。あの繭は…」
 そう、あの繭こそ、ルアムが終焉の光景で見た繭。
『未来は変わったキュ』
 当然、滅びの未来の可能性が消え去る事はないキュ。実際に今までの行動を思い返せば、滅びの未来の消滅に関わるような行いは何一つ行っていなかったと断言できるキュ。
 ルアム達は出来る事をしたし、ボクから見ても行いは最善で善良だったと言えるキュ。でも、良い行いをしたから、最も良い選択を選んだから未来が都合のいい内容になるなんて簡単なものではないキュ。どんな選択も影響も全てを飲み込んでしまうのが、滅びの未来という大きな可能性だキュル。
『滅びの訪れが、早まったキュル』
 これがメレアーデの滅びの未来を回避する為の導きであるとしたら…。ボクは気品溢れる冒険者を思い返す。エテーネ王国の王族は強い時渡りの力を有しているキュル。あの未来のメレアーデが自身が存在する未来へ導く為に画策するのは、違う未来になれば自身は消失するからキュ。すなわち死。生存本能が死を拒絶しあらゆる手を尽くす事は、生命として当然の事キュ。
 一体、どんな未来キュ。
 少なくとも、黙って滅びの未来を受け入れた方が穏やかで楽だとは思うような、茨の道を歩かされるのは確実キュル。目の前に突きつけられた滅びの未来を回避しなければ、ボク達はすぐに滅んでしまうのだから…。
 ボクは空を見上げて、きゅう、と息を吐いた。
 常軌を逸しているキュルね。