法王猊下の謀略の果て - 前編 -

 オレは『元』盗賊なんだ。そう、肩をすくめてカミュの坊主は言った。
 大衆に埋没する燻んだ緑のありふれた布の服を台無しにする、天を突く目の覚めるような空色の髪の存在感。意識して見れば目鼻立ちは整っているし、はだけた胸元から見える胸板と青い石を連ねたネックレスはセンスの良さを窺わせる。動きは素早く、攻撃は疾い。戦士にはない力を急所を狙うという技術で補い、回避と撹乱に特化した前衛型。足の音の消し方、潜伏の際の目配りは、それなりの場数を踏んでいるだろう。
 それなのに他人の金なんか盗んだ事ありませんって、綺麗な目をしていやがるんだ。
 最近の盗賊を名乗ってる奴って、そういうのが多いんだよ。
 勿論、他人の財布を掠め取って生きていく奴は盗賊だ。どんな切実な理由があろうと、他人の財産に依存し自分で金品を生み出せねぇ屑なんだからな。徒党を組んで商人共を襲撃する強盗団なんか、盗賊以外なんて表現するよって馬鹿の集まりだ。
 義賊は盗賊じゃねぇってのは賛成しねぇな。悪い奴ってソイツが認識した奴から金品を盗み取って貧乏人に配りましたって、やってる事は泥棒だろ。偽善でもやるだけ偉いって言い分はともかく、悪い奴と決めつける傲慢が盗賊らしい愚かさなんだよ。
 坊主みてぇに足を洗った奴は、まぁ分かる。
 昔はいろんな理由で悪事に手を染めたが、そんなことしねぇでも生活立てれるようになったって事だろう? 立派な事じゃねぇか。
 そんな善良な市民様が、俺様の仕事を見学したいだなんて勉強熱心なこった。
『しっかし、天下の帝国技術庁が笑わせてくれるぜ。セキュリティが笊過ぎて、欠伸が出らぁ』
 俺がキーボードを弾くように叩けば、目の前の分厚い鉄の扉が滑るように開く。警報がやかましくがなりたててるってのに、どうして開いちまうのかなぁ? 開かない扉は魔神兵から失敬した斧でぶち破る気でいたが、ガテリアから亡命したっていう技術者が作った『システムに風邪を引かせる』って方法が上手くいっている。入り口で板に込めた情報を読み取らせた瞬間、くしゃみしたのか扉が勝手に開いちまったもんなぁ。
 ご丁寧に侵入に適した日時まで指定してきやがったところを見るに、その技術者が俺を利用して何をやらかすつもりらしいな。まぁ、腕っ節がなきゃ頭を使うってもんだ。互いに利用しました、で手打ちよ。
 坊主がするりと光で照らされた扉の向こうへ続く。
「おっさんは足を洗わねぇのかよ」
 まっすぐ長い廊下は建物内に絶えず響いていた駆動音を感じず、防壁として分厚い金属の壁となっているのだろう。通路も爆発を外に逃さない為か、魔神機は入れても魔神兵は入れる大きさではない。ガタイの良い俺にはちょっと狭く感じるくらいだ。これだけの厚みがあれば、魔力覚醒暴走魔法陣込みの暴走メラガイアーでも受け止めるに違いねぇ。
 魔神兵から失敬した外装をがちゃがちゃと響かせながら、俺も廊下へ侵入した。
『俺は一生盗賊よ。だからこんな所に忍び込んで、盗みを働こうとしてんじゃねぇか』
 廊下を抜けた先には建物の中と言われたら首を傾げる、一つの街がすっぽり入ってしまうくらいの空間が広がっていた。だが、その広さが感じられない圧力が頭を押さえつける。目の前の手すりに手を掛けて下を覗けば、闇に巨大な下半身が浸っていて、視線を上げれば城くらいの大きさの胸から上がある。頭のてっぺんは光に呑まれて実際の大きさは測りかねる。
 ウルベア大魔神。
 ウルベア地下帝国の名を冠した帝国最強の兵器であり、ガテリア皇国を消し飛ばした罪の象徴だ。丁度、正面の位置にはちょっとした馬車くらいの大きさの真紅の玉がぬるりと光っている。
 大魔神の心臓。目的の物を目の前に舌舐めずりをしたが、すぐに引っ込める。
 ぱっと目を焼く蛍光色の光が迸ったかと思ったら、大魔神の心臓の上に人影が浮かんでいる。灼けて白っぽく霞む視界に、黒々と翻る外套。グランゼドーラの襲撃の際、上空で高みの見物を決め込んでいた黒幕っぽい野郎だ。あの時は豪雨に遮られて良く見えちゃいなかったが、今回は茶色い髪に縁取られたやけに白い顔がばっちり拝めるぜ。鞘から滑るように剣を振り抜くと、殺意満々の雰囲気が噴き出した。
『簡単に手に入るとは思っちゃいねぇよ』
 俺はにやりと笑って、背に背負った大斧を抜いた。
 黒衣の剣士がさっと剣を振り上げると、真っ黒い外套の影から闇の力が溢れ出し瞬く間に四本の大剣に形作られる。ドルマ系統の力を圧縮する事で威力を上げる効果と、剣士だからこそ使い慣れたイメージが反映されているんだろう。最下位呪文として唱えても上位呪文並みの威力を誇る燃費の良さがあるが、攻撃範囲が限定される為に命中にはひと工夫必要になる。魔力がそこそこにあって、戦闘センスのある恵まれた奴の戦い方だな。ばちばちと闇の力が爆ぜる音を撒き散らす剣は、俺達に襲い掛かろうと蹲る猛獣のようだ。
 剣がさっと俺達に向けられると同時に、四本の大剣が投擲される速度で向かってくる。短剣の投擲なら何度も受けた経験があるが、大剣の投擲だなんて大迫力じゃねぇか!
 俺と坊主が横に飛び退れば、足元だった鉄製の足場がバラバラに切り裂かれる。それだけじゃねぇ。しっかり作ってあるとはいえ足場だからな。支えを失って崩れていく!
 崩れる足場から逃げ出す俺は、逆方向へ駆ける背中へ言った。
『坊主! 自分の面倒は自分で見ろよ!』
「おっさんこそ、足引っ張るなよ!」
 軽口叩ける余裕があるってか。俺はにやりと笑いながら、無事な足場を踏み締め全速力で走り続ける。剣士が一撃で足場を破壊する遠距離攻撃ができるんじゃ、まず、こっちも戦える場所に辿り着かなきゃならねぇ。
 目指すは、一番最寄りの大魔神の肩。
 カンカンカン! 靴底が良質な鋼の足場を叩く音を響かせ、俺と坊主は剣士を回り込むように走り続ける。丁度、剣士からは二手に分かれて回り込まれていて、攻撃が分散して甘くなる。それでも降り注ぐ大剣を避けて突き進めるのは、坊主が素早く、俺がそれらを切り捨てられる膂力があるからだ。
 降り注ぐ闇の大剣の投擲を弾き飛ばすんだが、魔力で生成されてるくせに実物並みの重さと硬さがある。さらにドルマドン並みの衝撃があって、ただの投擲を防ぐよりも力がいる。大量生産の武器程度なら数回防いだら折れそうで、防ぎ切れている魔神兵の武器の頑丈さに助けられてる。流石、ウルベアの技術力は世界一だって言うだけある。最大四本まで生成出来るようだが、弾いた後にくるっと回転して再び飛んでくるとか笑えねぇぜ。
 黒衣の剣士の破壊はさらに加熱する。
 大魔神を奪われまいと元々備わっていた防衛装置が動き出したが、それを瞬く間に返り討ちにすれば大爆発が巻き起こる。天井は崩落し、柱は折れ、壁は瓦礫になって雪崩れ落ちる。駆けつけた防衛魔神機は、闇の剣に薙ぎ払われて人形のように奈落の闇に飲まれて火花を咲かした。
 ご機嫌じゃねぇか!
 すると、行先に真っ黒い魔力の渦が湧き出す。
 設置型のトラップか。警戒して足を止めてやり過ごしたとして、足場を壊しちまう威力なら逃げ場がなくなって一巻の終わり。発動前に突破しようとしても、発動が早ければ罠に掛かってお終いだろう。
 ちらりと目を向ければ、坊主は突破を選んだようだ。一気に加速して、目にも止まらぬ速さで魔力の渦の上を駆け抜けた。なかなか、やるじゃねぇか。
 俺は舌で唇を湿らすと、速度を落とさず魔力の渦に向かう。剣士の視線がこちらに注がれるのを見て、複数なら時差発動だが単体なら任意のタイミングで発動できるのかもな。
 駆けながら姿勢を低くし、手を足場スレスレに下ろす。魔神機の手甲が火花を散らす中、俺は指先から感じる魔力の質感を確認する。集中して暗くなる視界の中で、鮮明になった魔力の感覚に集中する。指先が魔力を捉え、空気の感触が水から布のように変わり波紋となって広がっていく。
 俺は下げた手を掬い上げる様に持ち上げると、魔力の渦が大きく歪んだ。まるで大きなシーツを引っ張るように、俺は設置されたトラップを足場から引っぺがした!
 げぇ! 坊主の驚いた声が耳を打つ。
 剣士も眇めていた目を大きく見開いたがそれ以上の反応はせず、無言で闇の大剣を生み出した。四本全部が一直線に向かってくる中、俺は奪ったトラップを引っ掴んだ手を向けて剣を迎え撃つ。トラップが発動する魔力の動きに、四本の大剣が接触する衝撃が加わって腕を貫く。…くっそ重ぇ!
 ばづん! トラップが発動して、四本の剣と相殺される。
 闇の残滓の向こうで苦々しく睨みつける剣士の顔を見て、俺は下品な笑い声を浴びせてやった。随分とお綺麗な戦い方をしてるが、相手もお上品とは限らねぇんだぜ?
『盗賊の戦い方はお気に召さねぇってか?』
 剣士に俺と睨み合っている暇はない。加速して一気に背後に迫った坊主が、両手に短剣を握りしめて斬りかかった! 一撃一撃が疾風突きみたいな速度の二刀流の攻防だが、剣士は冷静に捌いていく。一本の剣で二刀流の短剣の速度と並ぶなら隼の剣を使いたい所だが、剣士はしっかりと坊主の太刀筋を見切って的確に対処していやがるんだ。
 当然、剣士の圧倒的な剣術の冴えがあるだろう。だが、坊主の太刀筋は幾多の修羅場を潜った玄人のもの。ピオラ重ね掛けしたような動きは、人としての最速だ。どんなに剣術に秀でていようが、防ぎ切れるものじゃない。
「なんて奴だ!」
 坊主の顔は驚きと焦りが滲んでいて、どうして一撃も入らねぇのか、せめて一撃入れてやるってムキになってらぁ。坊主が汗だくなのに対して、剣士は息すら上がっちゃいねぇのな。
 俺が剣士を初めて見たのは、この時代から三千年後の未来。
 同じ格好の他人と言いたい所だが、この世界には『時渡り』という時間を跳躍する力を持つ人間が存在する。時間に関わる力を持つとして、その力の活用法が『時代を超越する』だけとは思えねぇ。もっと手軽で、燃費の良い活用法があるはずだ。周囲の動きをゆっくりにするとか、自分の速度を上げるとか、数秒先の未来を先読みするとかな。この剣士は無意識に近い状態で『時渡り』の力の一部を使い、坊主の猛攻を捌いているんじゃないだろうか。
 坊主が仕留められねぇにしても、足留めは出来てるんだ。そのまま頑張って貰うか。
 足場から大魔神の肩に乗り、心臓目指して走る俺に剣士が一瞥を向ける。
 その一瞥。坊主の猛攻の合間に精一杯作った、確認の為の動作。
 当然、その一瞬の間に剣士がこちらを向いたり、攻撃のために身構える動作はない。
 坊主と切り合っていた剣士から、突然強大な闇の魔力が発射されたんだ。
『手品みてぇなドッキリ仕掛けんじゃねぇよ!』
 まさに紫電一閃。瞬く間に眼前に迫った漆黒の稲妻が押し寄せる一撃は、メラゾーマみたいな塊なら弾いて避けられるが、帯状に連続していて防ぎ切らないと痛い目を見る。魔神機の装甲を着こんじゃいるが、防ぎ切れるとは思えねぇ。そうなると上か下かに逃げる選択を突きつけられる訳だ。
 下は真っ暗な奈落の底。上は大魔神の頭。
 熟練の剣士様の事だ、上に逃げたらあの真っ黒い剣をご丁寧に何本も用意してくれる事だろう。体が宙に浮いている状態じゃ、攻撃を避けることは難しくなる。
 なら、選ぶのは一つしかねぇ。
 俺は大魔神の肩から飛び降りた!
 おっさん! 坊主の声が聞こえたが、落ちたら死ぬような高さだからって死ぬとは限らねぇよ!
 俺は落下しながら斧を振り上げる。練り上げた闘気を起死回生の一撃するべく、瞬く間に金色の光となって刃に纏わりついた。魔神兵の装甲を両断出来る刃が、彗星の尾の残滓を残しながら大魔神の胸板に突き刺さった!
 落下の速度ががくんと落ちる。斜めに打ち込んだ事で、刃が大魔神の体を裂きながらずるずると滑っていく。それでも俺の巨体を闇に引き摺り込もうと、重力が引っ張りやがるんだ。斧の柄に縋った腕に渾身の力を込めて体を引き上げ、重力を振り解く。体が軽くなった一瞬を見逃さず、俺は大魔神に食い込んだ斧に足を掛けて飛び上がった!
 目的の心臓に近い位置に復帰した俺に、坊主も『往生際の悪いおっさんだ』と苦笑いだ。あったりめぇよ。こちとら、死んでやるつもりねぇからな!
 俺の手が、ついに目的の大魔神の心臓に触れた。
 大魔神の心臓の赤い光が、明るくなったり暗くなったり鼓動のように明滅を繰り返す。ガテリアを蒸発させたと言う凄まじいエネルギーが、掌から腕を伝って痺れて痛いくらいだ。俺は心臓を取り外そうと、心臓と大魔神を繋ぐ魔力の流れを探りだす。血のように赤い心臓は大きな玉のようで、魔神機の外装を被った俺の姿が映っていた。
 ぬっと後ろに剣士が亡霊のように浮かび上がる。
 なんで、後ろにいるんだよ…!
 俺が振り返って裏拳でも叩き込んでやろうとしたが、それよりも早く剣士の手が俺の首に懸かる。全身を覆う魔神機の外装だが、関節は俺自身が動きやすい為に隙間ができてしまう。頭と胴体の隙間に、手を差し入れやがったんだ! ひやりと氷のように冷え切った手が、俺の首に食い込んでくる。男ならではの力強さに、足が地から離れ息が詰まる。
 剣でぶった斬った方が早いだろうに、なんでだ…?
 疑問の答えは視界に広がった黒い霧だ。首を絞められるのとは違う種類の、身を絞られるような息苦しさ。倦怠感に頭まで沈められて、体が自分のものではないかのようだ。それなのに麻痺しているような痛みが全身を襲いやがる。剣士の手が首から離れ崩れ落ちたが、とてもじゃねぇが指一本動かせねぇ。
 毒か? それとも呪いか? 意識を失っちゃいねぇが、冗談じゃねぇぞ…!
 頭に衝撃が走ると、視界が一気に明るくなる。兜代わりに被っていた魔神機の頭がすっ飛ばされて、兜代わりにしていた魔神機の頭が一つ跳ねて闇に吸い込まれていった。素肌をひやりとした空気を撫でたのに、右頬の古傷が燃えるように疼く、生命の危険が、九本の闇の剣となって眼前に並んでいた。
 やべぇ。こりゃ、死んだな。
「盗人が。身の程を知るがいい…」
 言葉とは裏腹に、剣士の顔は苦痛に歪んでいた。顔からは脂汗が吹き出し、剣を操る手が震えるのに連動して背後に並ぶ闇の剣がブレている。体を這う紫電がばちばちと爆ぜ、剣士の体からは先ほどよりも強い魔力に溢れているのに、剣士の呼吸は苦しげで眉間には深い皺が刻まれている。
 なんだこりゃ。一体、どういう状態なんだ?
 普段なら具合が悪そうな隙を突けるが、こんなザマじゃ絶体絶命の窮地には変わりゃあしねぇ。だが、俺様は悪運に恵まれているらしい。剣士の足の間から、坊主が駆けつけてくれる様が見えるんだからな。
「戦いの最中に背を向けるだなんて、随分と舐めてくれんじゃねぇか!」
 坊主の声が剣士を貫いて響いたと思ったら、無謀にも剣士の生み出した闇の剣を引っ掴んで肉薄する。居合い抜きに近い要領で、下段から袈裟斬りにする動作は一閃のごとし。そんな会心の一撃が、甲高い音を立てて阻まれる。蛍光色の魔力で出来た盾は、坊主の高速の太刀の前に完璧に出現し尽く遮っていく。さらに剣士も闇の剣を生み出して坊主に攻撃を仕掛け出した。
 それでも坊主は攻撃の手を緩めない。
 それどころか、どんどん加速していく。
 二刀流で散っていた火花の数は目を眩ませる程に増えていき、最終的には二刀流でも無理じゃないかって速度と手数に到達する。剣と剣、盾と剣がぶつかり合って散る光と闇が、土砂降りのように降り注いでくる。
 剣士は棒立ちになってそれらを制御しているようだが、その横顔にはぷつぷつと脂汗が滲み出ていた。坊主に奪われた剣を消せないのは、仕様なのか余裕が無いのか。追い詰められ注意が完全に坊主に向けられた今に、勝機を見出すしかねぇ。
 俺は指先が動くのを確認しながら、そろりと腰に固定した鞄に手を伸ばす。
 指先で何が入っているかを確認しながら、つるりとした丸い硝子の感触を撫でた。これを使うのは流石に勿体無ぇとは思うが、決定打が無ければやられるのはこっちだ。俺は意を決して硝子を掴むと、鞄から取り出して男の上に放り上げた。
「てめぇに、とっておきをくれてやるぜ!」
 丸い巻貝のような硝子の器の中から、太陽のように眩く砂が輝く。
「カミュ!」
 坊主は俺の意図を完璧に理解した。
 闇の剣は器を砕き、剣士に輝く砂が降り注ぐ。輝く砂が蛍光色の盾に触れると、くしゃくしゃに紙を丸めたように収縮して消えていく。さらに剣士から湧き出していた紫電が、見る見る歪んで無くなってしまった。
 驚きに身を強ばらせた剣士の胸を、ついに坊主の刃が切り裂いた!
 制御出来なくなったのか闇の剣を消えてしまい傷は浅くなっちまったが、疲労からか剣士は片膝を着いた。顔色は青ざめ、呼吸も荒く、気を抜けば崩れ落ちそうなのか攻撃を仕掛けてくる様子はない。そんな剣士を坊主も滝の汗を流して肩で息をして警戒しているが、闇の剣を握り続けた影響で腕が痙攣しているのが見てとれる。
 俺は痺れる体を叱咤して腕を床に付き、起きあがろうとした時だ。
 頭上がぱっと明るくなる。
『実に興味深い』
 視線を向ければ蛍光色から黄金へ移り変わる光の塊が、宙に浮かんでいる。目が光に慣れてくれば一軒家くらいの大きな四角い箱で、周囲には無数の小箱が線を描くようにゆったりと回っている。そのどれもが表面には緻密な彫刻が施された荘厳な雰囲気を漂わせていて、ただの箱とは思えねぇのな。
 かちゃかちゃと床から微かに擦れる音が響くと、硝子片と輝く砂が浮かび上がる。それらが蛍光色の光の板で作られた箱に収められると、一際強く光を放つ。そして光から放物線を描いて手に転がり込んできたのは、坊主に破られる前の硝子の器。ご丁寧に砂まできちんと元通りだ。
 時の砂を入れる器は、くっ付けただけで砂を収められる代物じゃない。時間に関わる能力を有しているとしたら、時間を巻き戻したんだろう。
『これ以上の我が力とは異なる時の流れの干渉は看過できぬ』
 坊主が足を踏み替え、喋る箱を見上げる。
 俺も戻ってきた時の砂を握りしめて、箱の出方を伺う。
『そこにいる欠陥品と同等以上の性能を有しては、今、排除する時ではない。我が究極へ未だ至らぬ事を認めよう』
 この剣士は手先。黒幕はこの光る箱って事か。
 ロトが指摘していた大規模な時間改修を企んでいるのが、まさか箱だとはなぁ。
 生きとし生けるものがいつかは死ぬように、存在が消滅するのは世界の理だ。アストルティアという一つの世界が崩壊する未来は、明日だったり遥か未来かもしれないが必ず存在する。世界終焉を望んでいて時間を超える力を有しているのなら、世界が終わった時代に飛んで暮らせば良い。それが最も簡単に目的を達する方法だ。
 それを、わざわざ早めようとする。
 世界の滅亡を望んだ奴が、自らの手で世界を壊したいと望んでいる。
 なぜか、理由は分からない。それでも、それを実行する黒幕が存在するだろうとロトは指摘した。ちょっと前までは、黒衣の剣士がその黒幕だと思ってたんだがなぁ。
『我が名はキュロノス』
 箱は脳裏に直接響く、無機質な声で名乗った。箱のくせに随分と仰々しい名前だな。
『我が名を知る栄誉と、命を奪われぬ幸運を、褒美として受け取るがいい』
 次の瞬間、突然緞帳が覆い被さったかのように世界が真っ暗になる。光る箱は元々居なかったように消え去り、膝を付いて動かなくなった黒衣の剣士も、背後で光を湛えていた大魔神の心臓も消えていた。
 ぽっかりと空いた穴に、俺は小さく舌打ちをした。
 大盗賊カンダタ様の獲物を横取りするたぁ、やってくれるぜ。
 この落とし前は、きっちり付けさせてもらうぞ…!