最初の戦い

 時期的には空が明るくなる時間だというのに、多量の雲が垂れ込めて暗い。しかし、暗闇に目が慣れてくれば、雨雲の黒さは無く太陽の光を透かして明るくなっていくのだと判る。空気は湿気っていないようだし雨の心配も無く、風に吹かれて徐々に天気は回復に向かい雲も晴れていくだろう。それは俺が長年培って来た傭兵の経験から来るもので、的中率もかなりの物だった。
 体を起こし髪を強く掻く。周囲を見回すと、見張り番で起きていたイトニーと視線が合った。彼女は色黒い肌に良く合う形の良い瞳を細めて優雅に頭を下げる。
「おはようございます」
 山道に入るまで魔物も大して強く無いし、俺も彼女も魔物の気配に直ぐに対応できるだろう。見張りも適当に仮眠程度でもしたらどうかと言えば『大丈夫です』と返される。彼女は彼女できっとローラの護衛を任されているので妥協ができないに違いない。俺とイトニーは交替で見張りに起きた。
 傭兵の世界では女も見張りを任される事は多々あるが、大抵が肌が荒れるだなんだと嫌がるものだ。しかしイトニーはそんな事がない。見張りに慣れているというよりも、夜にも強い人間なのだろう。夜遅くまで魔導書のページを捲っている事も多い。朝も強く、見張りで起きているとは思えないくらいしっかりしてる。
 頼もしい同行者に、まだまだ眠気眼をしぱしぱさせながら俺は応える。
「あぁ…おはよう」
 起きたばかりの怠さはどうにもならないが、体調不良はなさそうだ。俺はイトニーの隣ですやすやと眠ってるローラに視線を向ける。豊かな金髪で顔は見えないが、正しく繰り返される呼吸で特に異常はなさそうだ。防寒用のマントからはみ出る足に巻かれた包帯は赤く染み付いているようだが、腫れたり浮腫んだりしている様子は見られない。
 実はこれが今回の仕事の行程の悪さの主な理由だった。俺が今まで行ってきたラダトームとマイラの護衛の行程で、これほどペースが悪い仕事は初めてと言いきれるくらいだ。
 ローラが全然歩けねぇ。魔物でも天候でも炊飯関係でも健康関係でもない、今までに経験した事の無い事態だった。
 ラダトームを出て半日で『もう歩けない』と駄々を捏ね始めた時、俺は我が儘かと思ったがそうではない。足の裏にマメができて潰れ血まみれになっていて、本当に歩けない状態になっていた。これには俺も驚きを隠せない。馬車や馬というのは専門職のみが有するものであり、アレフガルドで商人や兵士でない限り移動は徒歩が基本である。女とはいえ、確かに美しい容貌でもそれ以外は普通そうなローラが歩けないとは事態に直面するまで考えた事もなかった。
 まさかとは思うが、ここまで歩けないのならローラの身分は雲の上程に高いのだろう。イトニーが専属で護衛なのもある意味納得できる。
 …っても、俺がそれを知って態度を変えるかって訊かれると、答えは当然いいえだがな。
「ローラの足の具合はどうだ? 今日一日は歩けそうか?」
 イトニーの深紅の瞳がそっと横のローラへ向けられ、漆黒の髪を流しながら起こさぬ様に包帯の巻かれた足を診る。数回の呼吸分じっくりと診た後、彼女は少し微笑みながら俺を見た。
「えぇ、昨日は早くに休みをとって回復呪文を施しましたから傷口は塞がりました。ぐっすりと眠られたから体力もかなり回復したでしょう」
「そうか」
 俺は素っ気無く返事を返す。
 イトニーは魔法使いでは珍しい、攻撃魔法と回復魔法を扱える存在である。回復と攻撃は呪文の構造的に全く異なるため双方の術系統を扱える人間は稀で、数人でパーティを組む場合は攻撃呪文を学ぶ魔法使いと回復呪文に長けた僧侶をそれぞれ同伴させるのが常識なくらいだ。しかもイトニーは攻撃呪文は火炎系に特化しながらも、回復呪文は知られている呪文を殆ど扱える。珍しいを通り越して常識はずれも良いとこだ。
 さらに細かい事を言えば、傷を治療する回復呪文というものは、呪文を施された人間の全ての力を一時的に傷の回復に宛てる。その為か体力の消耗が激しい特徴がある。傷が塞がるが体力が底を着くという事もあり得る為、俺達の職種では回復呪文の使いどころは一種の戦略の要になるほど重要である。
 回復呪文を施されたローラの体力が戻っているか心配だったが、その題点は問ないようだ。
「今日は何処まで進めるか…」
 俺は空を見上げながら呆れた様に呟いた。
 商隊など馬車を扱っている者に頼んで途中で乗せてもらったりして距離を稼ぎはしたが、それでも現在位置はラダトームのちょうど真北。街道が最北の町ガライの町へ続く北路街道と、マイラやリムルダールへ続く東奥街道の分かれ道に差し掛かる所だ。ラダトームを出て半月経っているのに、まだこんな所にいるなんて正直考えらんねぇ。
「申し訳ありません」
 俺は気にする様子も無く先日作り置いた朝食の鍋を燻る焚火に寄せる。俺が新しい薪を足すのを見てイトニーが木の葉を寄せてメラの呪文を放つ。爪の先程の火の玉が木の葉に引火すれば、瞬く間に焚火の炎が燃え出す。その早さは呪文を半ば嫌ってすらいる俺が『便利だなぁ、呪文…』と思わされる程である。これを機に本格的に習うのも悪くない。
 とにかく今祈る事はただ一つ。今日は何事も無くマイラへ進む事だけだ。

 ■ □ ■ □

 見上げれば雲の隙間から青空が見える空。空気は早朝の冷えた空気と少し強めの風に寒いくらいだけど、きっと歩けば暖かくなる筈! アレフもこれから晴れて来るかもしれないって言ってたし、今日も一日頑張るよ!
 ほら、あたしって全然お外に出してもらえなかったから、道ばたの野草とか花とか凄く新鮮。お空はすんごく広いし森はちょっと暗くて恐いけど、街道を歩く人は肌の色が黒かったり変わった服着てたり見てて飽きないんだ。あんまりきょろきょろしてるとアレフに怒られるけど、アレフもイトニーも歩くの早いし、道はでこぼこだからすぐ足が痛くなっちゃう。んで血が出ちゃうんだ。イトニーが『回復呪文』って言うので治してくれるけど、くったくたになっちゃうんだ。
 靴もイトニーと出かける時に歩きやすい靴を選んでもらったんだけど、それでも足の裏が血だらけになっちゃうのはあたしが歩き慣れてないからだってアレフは言うの。アレフはなかなかマイラへ近づけない事を苛立っていて、あたしも地図が読めるから毎日亀より遅い速度で進んでいるのを知ってた。それでも実際あたしの足を気持ちは歩けるつもりなんだけど、アレフはすんなりイトニーの言葉に従って休憩してくれた。気難しそうな表情でいるけど、優しい人なんだろう。
 初めてかも知れない外の旅。思った以上に大変だけど、とっても素敵なんだ。
 それにね、きょろきょろしてて気が付いたんだけど、ずっとあたし達を追いかけてた子がいるんだよ。
 水色で半透明でぷるぷるして可愛い子なんだ! 今日はね、その子を皆に紹介するんだ!
 アレフもイトニーもとっても早起きで、朝も早いのにイトニーはちょっと狩りに出かけたらしい。アレフも焚火の前に陣取ってお鍋の中身を掻き回しつつ、火に翳しているパンの焼き具合を見ているみたい。あたしが立ち上がっても遠くに行かないのが判るからか、気にも留めない。それを良い事に、あたしは背後の薮の中をひょいっと覗き込む。
 草むらの中にみえる、透明な青いとんがりをあたしは指で軽く押す。直ぐにくすぐったそうに先っぽが揺れると、弾力のありそうな体が伸びをしたかの様に起きた。黒い瞳が真っ直ぐあたしを見上げて、口は楽しそうな形に開かれている。動物ではなさそうだから魔物って呼ばれるおっかない生き物なんだろうけど、本や話で聞いたような凶暴な所なんかない。手に乗せても、突いても、いつも笑ってる良い子なんだ。
 よし。あたしは心の中で小さく気合いを入れる。先ずはアレフに見せてあげよう!
 優しく両手で包む様に青いぷるぷるちゃんを掬い上げると、あたしは軽い足取りでアレフに突撃した! 駆け寄って来るあたしに眠そうで不機嫌そうな視線を向けたアレフは、青いぷるぷるちゃんをみて驚いた様に僅かに目を見開く。剣を手に持って立ち上がると、あたしの掌の上の青いぷるぷるちゃんを指差した。
「何だ、それは?」
「ラダトームを出た辺りから、ずっと付いて来てたんだよ。気付かなかった?」
 わざと手のひらを揺らすと、倍以上にフルフルプルプル震えるから可愛い。こんな事をしても怒ったりしない、本当に良い子だ。あたしはにっこりと笑って青いぷるぷるちゃんを見下ろす。
 アレフがとっても機嫌悪そうに顔を顰めて腕を組んだ。
「それはスライムという魔物だ。屈託ない笑みといえば聞こえは良いが、俺にしてみれば人を小馬鹿にしたような憎たらしい笑みを浮かべて笑う、この冷涼とし たアレフガルドの旅人の体感温度を8度下げる半透明で涼しげかつ、人を苛だたせようとするように小刻みに震えるゼリー体質を持つ魔物だ。雑魚となめてかか ると鼻と口をそのゼリー体質に覆われて窒息間違い無しのくせに、オニオンスライスのような輪切りにしても食べれやしない。どれをとっても憎たらしい、百害 あって一利無し。そんなもんは遠くへ捨ててこい」
 ……今……
 アレフが………たくさん…喋ったよね?
「どうした?」
 アレフが量の多い前髪の下で目を凝らしてあたしを見てくる。下から焚火の炎が光を投げかけて、深い茶色い瞳が火を抱き込んだかの様に赤々と光っている。その色がとても奇麗で見つめ返してしまうと、なんで黙り込んでるのか動かないのか全く分からないって疑問が表情に浮かんだ。
 あたしったらそんな顔で見られちゃって動転しちゃって、慌ててさっき話してた内容を思い出す。
 …どうしよう、全然覚えてないや。
 アレフがいっぱい喋った事にすんごい驚いちゃって…あ、そうだ。オニオンスライスがどうのこうのって言ってたような気がする、このぷるぷるちゃんって確かに玉葱みたいな形してるもんね。
「ごめん。オニオンスライスが美味しい…って今晩の夕食はオニオンスライスなのかなぁ?」
 腕組みを解いてだらりと手を腰に当てると、半月一緒だからようやく分かる苦渋が無表情に滲んだ。
「つまり全然聞いてなかったという事だな」
 どうしよう、食いしん坊だと思われちゃったかな。あたし、そんなに大喰らいじゃないのに…。
 アレフはもう一度説明しようとしているのか、組んだ腕を解いて口を開く。いや、開こうとした時、アレフはさっと視線を横に走らせる。がさがさと草むらを掻き分ける音が、あっという間に近づいて来る。木々の暗がりから飛び出して来たのは、狩ったばかり猪を担いだイトニーである。
「ローーーーーーーーラ様ぁぁぁぁぁぁああ!!」
 むぎゃ! 耳が痛いよぉ!
 涙目で耳を押さえように押さえられないあたしの目の前に、真っ黒に見えるくらいつややかな緑色の髪の毛を振り乱す勢いでイトニーが走り込んできた! どっかから変な音が キリキリ聞こえて、真っ青な顔色で掌の青いぷるぷるちゃんを見る。今にも睨み殺してしまいそうな鋭い視線で、青いぷるぷるちゃんを見下ろす。
 青いぷるぷるちゃんもイトニーの剣幕に驚いたのか、びっくりした様にあたしの掌で堅くなる。
「何なんですか!そのスライムは!」
 イトニーのしなやかな髪が、あたしの顔に鞭の様に当たっているのも構わずアレフに振り返る。アレフも先程の機嫌の悪さを吹き飛ばされてしまったのか、イトニーの慌てぶりに冷静さを取り戻したのかいつもの調子に戻って淡々と答える。
「知らん。今ローラに見せられた」
 右側の次は左側。イトニーは勢い良くあたしに振り返った。
「ローラ様! そのスライムは遠くへ置いてきますから、その子を寄越してくださいまし!!」
「嫌よ、イトニー! この子は良い子なの! 旅に一緒に連れて行って良いでしょ!?」
 あたしは胸にスライムっていう青いぷるぷるちゃんを抱きしめた。イトニーが本気を出したらこんな事したって無駄だって判ってるんだけど、イトニーは話せば判ってくれるから粘らなきゃ!
 でも、イトニーはいつもよりも厳しくあたしを見る。深紅の瞳が冷たい。形の良い唇が尖ってキツい口調を放つ。
「ダ・メ・で・す!弱いと言っても魔物です!」
 ちらりとアレフの顔色を窺う。
 濃い茶色い髪は闇に溶けて漆黒の様に滑る黒に見える。彼の日に焼けた顔色は髪の色に蝕まれて、霞んで良く見えない。雰囲気だけは鋭く刺さる。すると歩み寄ってひょいっと掌からスライムちゃんを摘み上げた。平坦な声があたしの顔に降り掛かる。
「迷惑だ」
 ひ…酷い!!どうしてスライムちゃんを一緒に連れて行っちゃいけないの!?
 涙が溢れて、こんな歳なのに泣く自分が情けなくて涙が止まらない。零れてしまえば良いのに溺れる程に打ち寄せる視線の中でアレフがふんと鼻で笑った。それがすごく嫌な感じがして、カッとなる。目が熱くなって、涙が一瞬で蒸発したんじゃないかってくらい一瞬で視界が晴れた。
 後になって判る事だけど涙が零れたんだ。驚いて一瞬狼狽えたアレフに、あたしは力一杯言い放った。
「見た目で判断するなんて、最低!!」
 あたしはアレフに摘まみ上げられているスライムちゃんを、引ったくるように奪うと一目散に駆け出した! 世界が自分でも見た事が無い速度で前から後ろに流れていく。肩や腕にたくさんの枝が当たり、顔に葉っぱやクモの巣がたくさん当たる。歩きにくい地面に足を取られて、木の根っこに引っかかって何度も転ぶ。
 でも
 イトニーに怒られたのが、アレフに笑われたのが、凄く嫌で嫌で堪らなかった。
 本当のあたしを理解してくれない、理解しようとしてくれない態度が、凄く嫌で嫌で堪らなかった。
 だから、走った。もう、二人の声も聞こえない。二人の所か、もっともっと遠くに遠くに……。

 走って、走って、走って、ようやく体が疲れて近くの木の根に腰を下ろした。
 乱れる息を整えながら閉じた目を開くと掌に乗ったスライムちゃんが、いつもと変わらない顔で笑っていてくれる。そんな顔を見るとようやく頭の中が冷静になって、悲しさよりも怒りが込み上げてきた。何よ!アレフもイトニーも最低!こんな可愛いスライムちゃんを捨てるだなんて!
 スライムちゃんの笑顔を見ながら、あたしもちょっと笑ってみせる。
「大丈夫。あたしがちゃんと連れてってあげるからね」
 そうだよ。捨ててこいって言われたって、捨てられてしまったって、あたしが何度も拾いに行けばいいんだ! …でもイトニーが本気出して捨てにいったら、きっと拾いに行けないだろうなぁ。もしかしたら殺されちゃうかもしれない。アレフもイトニーも強いんだもん。
 そこまで考えて、あたしはふと周りの事が気になった。
「どこだろう、ここ?」
 見渡す限り柱のようにつきたった木の幹に、空も見えないくらい葉が生い茂っている。地面に降り積もった葉と木々から垂れ下がるツタが、真っ暗な木々の先 の闇に溶け込んでほとんど先は見えなかった。今日は曇りだから、森の中に光が差し込まないんだ…。
 鳥だか魔物だか分からないような声が響き渡って、なんだか恐い。
「どうしよう…。これって完全に迷子って奴だよね?」
 スライムちゃんを抱き寄せると、鳥の羽ばたきのようなものが一段と大きく聞こえる。
 バサバサバサバサバサバサッ!
 って……真上から!?
「きゃぁぁぁぁああぁあ!!」
 自分でも信じられないくらい大きな悲鳴に喉が焼けた。頭の上から黒い何だか分からない、何かが降って来たんだもん!!
 慌てて腕を振るって頭の上に飛びついた何かを払い落とすと、距離を取ってその何かを見た。よくよく見るとそいつは黒いコウモリみたいなドラキーって魔物だ。イトニーやアレフが戦っているのを何度も見たけど、1人で実際見るのはかなり怖い。
 瞳が闇の中で月みたいに光って口は血のような不気味な赤に濡れている。その赤さを見ながらこのスライムちゃんみたいに友好的じゃない、野生の凶暴さを秘めた魔物なんだって分かったんだ。だってその魔物の雰囲気は、スライムちゃんなんかとは全然違うんだもん。
 皆、スライムちゃんみたいな奴じゃないんだ……。
 アレフやイトニーがスライムちゃんを捨てようとするのも分かった。魔物は怖い。
 とにかく逃げなきゃ!
 アタシはスライムちゃんを抱えて森の奥へ走り込もうとした。…瞬間思いっきり顔面に柔らかい何かが当たる。その何かは顔にぶつかってぽよんと前に突き出ると、によっきり翼を生やして羽ばたいて振り返る。
 瞳が闇の中で月みたいに光って口は血のような不気味な赤に…ってドラキー!
 背後にも前からも羽ばたく音が聞こえるのを、なぜだかとても素早く理解して挟み込まれたがわかった。…そんな絶望的な状況すぐに分かりたくないのにぃ! じたんだ…ってそんな事しても何も変わらないわ!
 すると手がずしりと重みを感じた瞬間、青い半透明が目の前のドラキーの赤を塞ぐように突っ込んだ!
「スライムちゃん!」
 口より明らかに大きいスライムちゃんは口を完全に塞いでいて、ドラキーは口を閉じようとしても閉じられずスライムちゃんを吐き出そうとしてもできない。牙を突き立てるような動きをしているみたいにもがいても、弾力がある半透明は動きもしない。
 そうこうしてる内にドラキーが目を白黒させて、苦しそうに羽ばたき出した!
「あっ! ま、待ちなさいよ!」
 背後にドラキーがもう一匹いることなんか横に置いといて、スライムちゃんに口を塞がれたドラキーを追いかける! ドラキーって真っ暗い中でも見える目があるらしいのに、幹にぶつかりそうになりながらスライムちゃんに口を塞がれて危なっかしく飛んでいく! 口から出たんだろう泡を撒きながらあっちの木を右に回って、そっちの木の周りを一周して、ツタの垂れ下がった所をくぐって、倒れた木をを飛び越えて…
 ばっちーーーん!な音と立てて、ドラキーが木と正面衝突した。
 ずりずりと落ちてくるドラキーの横に恐る恐るしゃがみ込むと、完全に気絶してるみたい。ちょっと気持ち悪いけど、ドラキーの口に無理矢理手を突っ込んでスライムちゃんを穿り出す。
 うへぇ、だ液でねとねとだぁ…。
 スライムちゃんを掌に乗っけると、いつもぴんと立っているとんがりは力なく丸まっているし、目は開いてない口は力なく開いてる。ど、どうしよう、 回復魔法とかで回復してもらった方が良いのかなぁ。動かして良いの? 助けを探しに走った方が良い? 一緒に居た方が良いの? あぁ、良く分からないよ! どう見たって考えたって、ずっとドラキーに齧られてたんだから瀕死って奴なんじゃないの? 危ない状態なんじゃないの?
 バサバサって遠くからかすかに羽音が聞こえる。
 ドラキーの羽音。さっきの奴が追い付いて来たんだ!! 恐いよぉ、どうしよう! あたしは必死に周囲を見回したけれど、イトニーもアレフもやって来る気配もない。ここでスライムちゃんを置いて離れたら、スライムちゃんが殺されちゃうかも……。
 殺されてしまう?こんなに辛そうなのに、見逃してくれないと、どうして思うんだろう?
『お前は馬鹿か?』
 アレフの声が聞こえる。苛ついた声。
『情けなんかかけたら、こっちが殺されちまう。外はな、魔物はな、お前の知らない世界の人間はな、お前の慈悲なんか知ったこっちゃない。情けをかけて後ろから刺されて殺されるかもしれん。殺さずに見逃したやつが、また違う誰かを殺すかもしれん』
 おととい。「殺さないで」と頼んだのにアレフは魔物に止めを刺したんだ。
 酷いって思ったよ。
 だって、アレフは強いから、殺さなくたっていいじゃないか。でも、あたしは強くなんかない。手加減なんか、絶対できない。
 あたしは羽音のする方向の闇をにらみ付けた。
『お前には守るものが無いからそう言えるんだ。お前らの命を預かる俺のする事に口を出すな。俺の言う事を聞け。だが覚えておけ、殺すか殺されるか、そんな世界がある。そこがここなんだ』
 今は、スライムちゃんを守らなきゃ!
 イトニーじゃなくてアレフじゃなくて、今スライムちゃんの一番近くにいるあたしが守ってあげなくちゃ!
 スライムちゃんをふかふかに積み上げた落ち葉の上にそっとおろす。思ったよりも冷えた頭が視線を鋭く動かして、目的の物を見つける。窒息して気絶してるのか死んでるのか分からないけど、動かないドラキーのしっぽをあたしは持った。昔、厨房のおばちゃんがフライパンでスライムを撃退したって話を聞いたことがあるし、武器がないより遥かにマシだ。
 生き物の柔らかい感触をぎゅうっと力強く握り込むと、足を踏んばって待つ。…暗闇の中から金色の目が見えてきた。
 金色の目とあたしの目が糸に繋がったみたいに合わさる。
 まっすぐ、まっすぐ来い!
 口がカッと開いて真っ白い牙が見える位、ドラキーの動きを見て、まっすぐ近付いてきて、攻撃が当たるほど近付いてきて……あたしは。
 無我夢中でドラキーをドラキーにぶつけた!
「おりゃぁぁぁぁああぁぁあ!」
 横薙ぎに振りかぶったドラキーは、見事にまっすぐ飛んできたドラキーにヒットした! そのまま振り抜けば前にある木に動かないドラキーもろともぶつけて、鈍い衝撃がしっぽごしにあたしに伝わった。手の力が抜けるとしっぽは力なく垂れて、2匹のドラ キー達は木に緑色の血を擦り付けながら地面に落ちた。
 殺し…ちゃった…。
 もう………襲われることなんかないよね?
 なんだかホッとして、ドッと疲れちゃって、視界がぼやけてきちゃった。

「ローラ様!ローラ様!」
 どれくらいたったんだろう…?ううん、時間的にはほんの少しの時間だったんじゃないかな?
 イトニーの声があたしの耳を打った。なんだか凄い嬉しいよ!
 あたしはイトニーの顔が見たくて、とても重たい瞼を苦労して開けると、今にも泣きそうなイトニーと、無愛想なアレフの顔があった。
「あぁ…!良かった!!倒れてらしたので心配で心配で!!」
 抱きついて来たイトニーが、苦しくなる程アタシを抱きしめた。あたしはイトニーの背中をあやすように叩くと、アレフの手に大きい柏餅が乗っている事に気が付いた。いや…柏餅じゃないんだけど、なぜか薬草をべたべた貼付けられて草団子みたいになってるのに、さらに大きな葉で包んであるのが柏餅みたいだ。
 薬草の隙間から半透明のつるんとした体が見えて、それがスライムちゃんだって分かった!
「あ、スライムちゃん!」
 あたしが歓声をあげるとアレフがぺりぺり薬草を剥がしはじめた。その顔はやや気まずそうな感じだ。アレフって無愛想で無表情な割に感情豊かなんだよね。スライムちゃんの事かなり嫌いだったみたいで、押し隠してはいたみたいだけどとてもイライラしてた。
 でもアレフったら一応隠してるつもりらしいから、あたしも気付かない振りしてあげてるんだ。言ったら怒ると思うの。他人にとやかく言われるのが嫌いみたいだから。
 あたしの顔がよほど不安そうに映ったのかも。アレフは薬草を全て剥がすと、これまた無感情な声で言った。
「生きてるよ」
 そう言ってアレフはあたしの掌に、スライムちゃんをつまんで乗せた。とても元気になったスライムちゃんは、ふるふると掌で揺れた。
 会った時よりもさらに人なつっこく見える笑みが、ゼリー状の体に張り付いている。その顔を見て、あたしもとても嬉しくなる。顔が自然と笑った。
「やるときゃ、やるじゃないか」
 ほんの僅かだが感心した口調を含んだ言葉に顔を上げると、あたしは初めてアレフの笑みを見た。いつも無愛想だった強張った口元が少しだけ、ほんの少しだけ持ち上がっただけの笑顔だったが、あたしにとって最上級の笑顔だ。すぐさま元の無愛想で無表情に戻ったけど、雰囲気は凄く柔らかくなっていた。
 きっと、ほんの少しだけでも認めてくれたのだ。
 ドラキーを殺してしまったけど、それはスライムちゃんを守る為にした事だ。彼は傭兵で戦ったり人を護ったりする仕事をする人だから、きっとイトニーよりも良く分かってくれたのかもしれない。
「アレフ、素直に褒めてよ」
 あたしはアレフにそう言ったが、アレフの柔らかくなった雰囲気が鋭くなった。きっとご機嫌を損ねちゃったんだろうね。
 ようやく放してくれたイトニーはあたしの肩をつかんで、力強く言い放った。
「もうこんな事、二度としないでくださいね!」
「は〜〜〜い」
「本当に分かってるんですか!?」
 分かったよ。イトニー。
 守る事って大変だったんだね。
 あたしは掌で揺れるスライムを、ちょっと誇らしげに見つめた。