冒険の旅

 到着を告げる己の声を、俺は他人事の様に聞いた。
 風に硫黄の香りを感じる様になって、通い慣れた道は坂を幾つ登り道標に記された目的地の距離が近づいている事は分かっていた。促す様に振り返り阿呆の様に口開けて見上げるローラと、実は来るのは初めてなのかもしれない僅かな驚きを顔に浮かべるイトニーの姿を見る。
 マイラの温泉郷は見た目的にも他の都市とは異質な作りである。崖の隙間に流れる沢がこの地の温泉の源泉であり、夏にほど近いこの時期でさえ標高の高さから肌寒く湯気が見える。街は石段と板を張り巡らせて下に温泉を通らせ、下から上へ棚田の様に家々が軒を連ねる。木は温泉の影響で先程まで歩いて来た場所に比べれば少ないが、崖の岩の色と深紅に染まった鮮やかな屋根の隙間に美しく際立って生える。湯気の中から覗くアレフガルドには無い異文化の風情が、特色と艶やかさを添えて発展させたのだった。
 温泉が一つの観光として揺るぎない産業となっている一方、この地方は鍛冶技術にも優れている為に俺達のような傭兵も御用達の街である。
 道が大きく分かれる場所で足を止めて、俺は二人に向き直り簡潔に説明する。
「この道なりに石段を上ると湯治と宿場を兼ねた店が並んでいる。歓楽街…色町に入らないよう気をつけろよ。逆にこちら側の風下が鍛冶屋が軒を連ねている」
 指を指して大まかに説明するが、この街は思った以上に入り組んでいる。
 道は曲がりくねり決して遠くまで見通せない上に、家は人が通るのもやっとという間隔で軒を連ねる。朱色に染められ幾何学模様の織り込まれた幟は目を楽しませると同時に惑わせ、灯籠の明かりは霧の様に漂う湯気に幻想的でありながら人の姿を暈す。人攫いの噂は聞かないが、人が消えても笑えない。人が楽しむ光の裏には黒く目を背けたい闇が渦巻く物なのだ。
「どうする? 観光くらいは自分達で面倒見るか?」
 俺らしく無い親切と言いたくなるだろうが、俺も剣を打ち直してもらうのにそれなりの日数が必要になる。鍛治師を探すのは鋼打ちの時期ではない為に大変ではないだろうが、どんな熟練でも順番が直ぐに回って来るとしても今日明日に仕上がる物ではない。俺もこの街には一週間は滞在する予定でいるのだ。
 その間を休みと称して暇を持て余すのも良いが、彼女らの観光の面倒を見て追加料金をもらうのも悪く無い。イトニーも確りしている様に見えて、実は箱入りなのだから安心出来ない。
 俺の提案にイトニーも自分の世間への疎さを認めているのか、若干苦笑じみた表情を滲ませた。しかし、彼女が口を開く前にローラが身を乗り出した。
「御願いしよう! ね!」
 明るい笑顔で笑い、護衛役のイトニーに同意を求める。ローラの促しにイトニーも『そうですね』と微笑んで応じた。
「わかった。こっちだ」
 頷くと俺は先ず宿を取るべきと宿場が軒を連ねる通りに足を向ける。急な坂を上る合間を多くの観光客や住人と擦れ違う。山と坂、細い道に馬も乗り入れられない故に、ここでは運搬方法が人の手しかない為に多くの食料などの荷物を背に満載して上り下りする者とも多く擦れ違う。珍しがるローラをイトニーが見張りながら、俺達は宿屋に着く。
 露天風呂を抱えるマイラでは比較的大きめの宿屋は、作りもこの街古来の方式ジパング式を用いた宿である。街全体は古くからジパング形式を継承している所も多いが、アレフガルドの一般的な常識の範囲内の納まっている。最初は珍しく思っても、そのうち『変わっている』とか『マイラらしい』程度の認識に落ち着くだろう。まぁ、万が一があってもイトニーが常に傍に居るのだから特に問題が起きるとは思えないが…。
 荷物をそれぞれの部屋に置き終えて廊下で顔を見合わせると、二人は既にマイラを満喫しているような気がする。可愛らしい新緑に青い鳥がアクセントの浴衣を着たローラはくるくると嬉しそうな気配を振り撒いている。白に淡い青い花を散らしたイトニーが、入浴一式を納めた桶を持って俺を待ちかねた様に見た。
「盛装だな」
「女性ですもの」
 いつもは淑やかで物静かなイトニーだが気分は高揚しているようだ。俺の言葉に彼女はいつもよりも無邪気な笑みを浮かべている。
 華やかな女性陣と比べて俺は鎧を脱いで汚れていない衣類に着替え、借りた羽織に袖を通している。ゆったりとした濃紺色の羽織で見えにくいが、腰には剣を引っ掛けていてそれが不自然に羽織の裾に絡んだ。
 イトニーが目敏く剣を認めると怪訝な顔をする。その剣は俺が彼女等の前で一度も抜いた事がない、鋼鉄の剣である事に気が付いたんだろう。
「アレフさんはどうされるんですか? 温泉に行く様には見えませんけど」
「鍛冶屋通りに用事があるんだ。夕飯の時間までには戻るつもりだから、適当に温泉でも満喫して来ると良い」
 俺は軽く左手を剣の柄に掛けながら身を翻し、思い出した様に振り返らない程度に顔を向ける。
「あぁ、でも逆上せと湯冷めに気をつけろよ。興味があるなら別料金でマッサージも受けられるそうだからな」
 一緒に居ると気を遣わせてしまうもの。最初は温泉を満喫させる為に余りある時間を与えてやるに限る。女だから知っておくと楽しんでいそうなマッサージの情報も、仕事柄知っておいて損はない。丸々半日を費やせば、温泉や最初にマイラで目につく事には満足できる事だろう。
 軽く階段を下りて玄関を潜れば、滑り難くした坂道を下る。眼下に広がるのは温泉の原湯の川が下に下に降りて行く中で山を削り抜いた谷で、遥か下の霧の谷底まで続いている。天気が良い時は非常に良い見晴らしだが、夏でもなければ湯煙が立ち上り視界を遮っている。
 風を背中に押されて進むと、鉄の蒸気に錆びたような色合いの建物が多く見受けられる様になる。隣を擦れ違う人間も観光の華やかな装束の者ではなく、鎧を着ていなくても武術の心得があるような人間が多くなって来る。温泉とは違う煙が飴色の格子の隙間から沸き出し、赤く照らされた室内からは高く澄んだ鉄を打つ音が聞こえる。武器屋や金物屋が目立ち、その店先に並んだ刃の鋭さはどれも目を見張る一品ばかり。マイラの鍛治師は鉄の錬成に掛けてはアレフガルド1の手練で鉄を熟知している達人だ。彼等の生み出した鋏や包丁は名品として一般市民に親しまれ、武器は王国に献上される。
 普段俺がマイラの鍛冶屋に訪れる時は殆どが『鋼打ち』の時期と呼ばれている繁盛期である。この時期はマイラの観光客が一番少ない時で、宿屋の値段が他の時期に比べ安くなる。その時期を狙って来るのがアレフガルドの傭兵達で、俺もその一人だ。
 しかも俺はメルキドとラダトーム往復専門の傭兵だったので、護衛で『鋼打ち』の時期以外のマイラに来るのは十年振りと言って良い位久々な事だった。こんなに人通りの少ない鍛冶屋通りを通った記憶がない。
 普段は込み合っているから店が選べないが、これだけ閑古鳥が鳴いているならマイラ一番の腕っ節の人間に打ち直してもらえるかもしれねぇな。そんな事を考えながら、鍛冶屋通りで最も奥まった一角に足を向ける。看板がない代わりに暖簾が入り口に掛けられている。
 指先を合わせたような輪郭、山頂が平たい山のような家紋が縫い込まれた暖簾を見る。鍛治師の中で最も古くからあり、マイラの鍛治師の最初であり頂点とされる一派の文様だ。
「おい」
 思わず足を止めて見ていたようだった。武器を持つ者なら誰もが憧れる銘の剣を生み出した一派に武器を打ち直してもらえるなら、それは名誉で自慢できる事であるからだ。俺は、当然一生縁がねぇだろうけどな、そんな事をぼんやりと思っていたようだ。
 声を掛けられて驚いて横を見ると、二の腕と胸の筋肉の盛り上がったガタイの良い男が俺を見下ろしている。背丈もあるし筋肉で堅太りした男は、男としても小柄で無駄のなさそうな体つきの俺と比べても威圧的に感じる程大きい。黒髪に黒い瞳で鼻は低く顔の彫りがキツく無い、アレフガルドでは良く見る事のない顔立ちの男である。通気性の良さそうな素材の半袖に羽織を引っ掛けていて、どう見ても鍛治師だろうと思う。
 彼は俺を見ると、特に表情を表さぬまま訊ねて来た。
「仕事か?」
「あ…いや……」
 目の前の名門の鍛治師だとしたら、鍛えるだけでも俺のような貧乏傭兵なら目玉が飛び出る程だと聞く。とてもじゃないが俺の持ち合わせでは、それなりの腕の鍛治師に打ち直してもらうので精々なのだ。さっき思った事は、ちょっとした出来心。魔が差したんだ。
 断る口述を探すにも見つからず、俺の舌は膨らんじまった様に上手く回らない。思わず後ずさった時に見えたのか、男の手は腰に下げた俺の剣を素早く抜き取った!
「あ!」
 まさかの行動だ。予測していたら絶対にそんな事はさせやしない。焦りや動揺の隙に抜かれてしまった剣の刃が、久々に高く上がった日の光を浴びた。
 鍛治師の男が目を真ん丸くした。それもそうだ。俺は思わず顔を覆いたくなった。
 彼の持っている鋼鉄の剣は、ボロボロだった。
 刃こぼれは酷く、欠けている所で刀身は鋸の様に波立っていた。刃の腹には星の様に鋼鉄を抉った後が見え、鋼鉄よりも鋭いもので引っ掻かれたような傷がいくつも走っている。剣の切っ先は見事に欠け折れている。丁寧に扱われ錆は見られなかったが、それでも武器として扱う事は到底無理だろうと誰もが思う酷い有様だった。
「これを打ち直してもらうつもりなのか?」
 持ち主である俺は久々に恥ずかしさに逃げたくなる程だ。だが、知るか。買い直した方が早いって俺だって分かるよ、畜生。
「これでも大事な剣なんだよ」
 鍛治師の男は矯めつ眇めつ剣を眺め回す。もういい加減返してくれないか?と俺が怒気も含みつつ言いかけて、ようやく男は刀身から目を離した。俺を見たその瞳は明らかに面白いものを見つけた子供の様に輝いている。『この剣を打ち直したい』そんな意思が視線に感じられた。
 直してくれる気になっているのは嬉しいが、ここは深呼吸一つして冷静に考える場面だ。俺は目の前に翻る名門鍛冶屋の暖簾を指差した。
「あんたは、ここの鍛治師か?」
「あぁ、そうだ」
 その返事を聞いて俺は表に出さないが落胆する。顔を横に振った。
「じゃあ、駄目だ。俺には大金の持ち合わせがない」
 返してくれと言わんばかりに手を出すが、男は俺の鋼鉄の剣を持ったまま見下ろすばかりだ。睨み上げて、さらに語気を強くして俺は言い放った。
「返せ」
「駄目だ」
 男の言葉に今度は俺が目を丸くする番だった。
「この鋼鉄に刻まれた傷はどれもが今年内に作られた新しい物だ。鋼鉄を傷つかせる魔物の種類は限られる、おめぇさんはそんな化け物のような魔物と渡り合う強者だろう。だが、武器が駄目じゃあこれから先は生きて行けないな。俺がこの剣を返して、おめぇさんがこの後マイラの土を二度と踏めないとなったら俺の寝覚めが悪い」
「それは、あんたには関係のない事だ」
「あるな。俺は剣を見た。剣は俺に言ったんだ。中途半端に打ち直されたら、次は折れちまうってな」
 鍛治師は意地悪く笑って俺を見下ろし、俺は反論できずに押し黙る。鍛治師の言葉は全て正しい。中途半端な鍛治師に打ち直されては次は刃が保たなくなるだろう。戦いの最中に刃が折れたら、俺の命は運良く落とさなくても腕の一本は犠牲にする必要があるだろう。実は凄まじい大事な選択の場面でもある。
 それでも大金は出したくない。俺は言い返そうとして見上げれば、男は既に店の方に向かっていた。
「刃を変えるならともかく、打ち直すのなら勉強してやる。化け物と渡り合って貧乏だって? 玉鋼の剣だって買えるくらい溜め込んでんじゃねぇのか? 物持ち良くて武器を大事に使って心中しようとすんじゃねぇ。おーい、仕事だ! 炉に火を入れてくれ!」
 最初は俺に、途中は独り言で、最後の方は身内に向けた言葉を呆然と聞きながら、俺は暫く暖簾を前に立ち尽くした。
 え……。剣、持ってかれちまった…の?

 □ ■ □ ■

 結局、鍛冶屋に剣を引ったくられる形で決定した俺は依頼主達の元に戻る事になった。
 あまり遅くならなかった事もあって、温泉を満喫してこれから買い物を楽しもうという彼女等にしては絶妙で俺にとっては最悪のタイミングに戻って来てしまった。まぁ、仕事なので仕様がないのだが、落胆してなかなか戻らない気分のままに荷物持ちという過酷な仕事に就労する羽目となったのである。
 マイラは観光で発展しただけあって、女心鷲掴みの商品で満ちあふれている。さらにジパング式という優美な文化は、洗練された美がある。髪飾りや簪は鍛治師の腕があって滑らかで強度があり、宝石細工はジパング式をモチーフにした美しい装飾に溢れている。着物の反物を扱う店に入れば、買わなくても一日中女達は見続けていられるだろう。
 ローラもイトニーも並んであーでもないこーでもないと延々と品物を見ている。良く飽きないものだと呆れた視線を滲ませてしまうが、それがうっかり口に出ない様に温泉まんじゅうで塞いでおく。うーむ、マイラの温泉饅頭は硬めの皮にこしあんと美味いのに、どうして輪切りのサツマイモや白玉や落花生が入ってるんだろうなぁ。美味いんだけど…なんなんだこの組み合わせ。
 何気なく紙袋に手を突っ込むと、暖かく無い感触に目を向ける。へらへらと俺を見上げるスライムを忌々しく摘まみ上げる。
「おい、そんな所に混ざってると食っちまうぞ。まぁ、お前等は食えたもんじゃないがな」
 スライムと言えばアレフガルドで最凶の味覚を体現せしめる存在である。この世界最弱でありながら魔物にも補食されない為の防御手段と言えば納得だが、毒じゃないならこの味覚は何から来るのだろうと誰もが疑問に思う。とにかく、不味いのだ。とんでもなく。この世の存在ではないと思う程に。飲んだら死ぬのは洒落じゃない。
 俺が射殺すような視線を向けていると、お互い紙袋を抱えて二人が買い物から戻って来た。
「ねぇ、アレフ。あれは何?」
 あれ?
 俺はローラの指差した方向を見て納得する。そこには旗を持った女性を先頭に十数人の団体が歩いていたのだ。外部から来た人間が見たら、確かに異質に見える。
「あれはマイラの歴史を説明して、様々な観光名所を案内する人間と案内を受ける観光客の一団だ。マイラは見所が多過ぎるから、観光客からの声で出来た観光案内の組織が発案したんだ。町の観光案内から周辺山岳の秘境…滝とかそういうのを案内してくれる企画があるんだ。値段は案内の内容によって様々だな」
「彼等は何を案内されているんです?」
 イトニーの問いに俺は一団が歩く方角を見定めて答える。
「博物館に行くみたいだな。マイラの過去の名工の珠玉の一品なんかを見つつ、この地域の歴史を学ぶんだろう」
 といっても、博物館に並んでいるのは本物ではなく模造品だ。本物は皆貴族に持って行かれたのだ。だからといって、博物館に価値がないなんて事はない。模造品でも熟練の技師の作品で、それなりに価値のある物だ。本物には敵わないが、歴史を説明するのには不自由しないのだろう。
「アレフは詳しいね」
 …よく考えればわかる事だ。だが、箱入り娘のお嬢さんには分からない世界だ。俺は敢えて黙っておく。
 俺の真横にローラが歩み寄った。キラキラと輝く緑の瞳が俺を見上げた。なんか、嫌な予感が……。
「ねぇ、あたし達を案内してよ。あの人みたいにここの歴史、アレフの知ってる限りで良いからさ教えてよ」
 俺はげんなりしながらその言葉を聞いた。
 まぁ、しょうがない。これも仕事だ。俺はそんな風に自分を納得させて頷いた。二人を促しながら俺は前を行く団体から少し距離を置いて歩き出す。
「マイラはアレフガルド創世記から温泉が湧いていて、歴史はリムルダールやドムドーラよりも実は古いんだ。それでも鍛冶技術が発達したのは、勇者ロトの時代。その時代にジパングという遠い異国から鍛治師がやって来て、彼等がその技術をマイラに齎したんだ。マイラの温泉の地熱、水質、山岳地帯の良質な鉄と様々な条件もあってマイラは温泉だけでなく鍛冶技術でもアレフガルドに誇る町になったんだ」
「では、ジパング式というのもその鍛治師が齎したって事なんですね?」
「そうだな。この町が異文化情緒に溢れているのを見て分かるだろうけど、ジパングは本当に遠方で全く違う文化を持った国なんだそうだ。日の出ずる国。日が昇る方角に一生分を航海した海の果てに、その国はあるんだそうだ」
 俺はそう言いながら脇の砂利道を進む。石畳は湯気の湿気で濡れていて、滑り難くしてあったとしても乗りたくは無かった。
「そのジパングの鍛治師の最高傑作が、実はロトの剣なんだそうだ」
「えぇ!? そうなの!?」
 ローラが絵に描いた様に驚く。その横でイトニーが俺の説明を引き継いだ。
「ロトの剣を構築する鉱物の名前はオリハルコン。アレフガルド中の種族を越え腕利きの鍛治師がその鉱物に挑みましたが、誰もそれを融かす事も錬成する事も剣として鍛える事も出来なかったそうです。最後にその鉱物を剣として鍛えたのが、このマイラにやってきたジパングの鍛治師だったそうです」
 博物館の入り口に差し掛かると、イトニーは丁度説明が区切り良い切れたので入場料を払うと先を行く。博物館と言っても大して大きくも立派でもない。イトニーが戻って来る間、ローラと並んで待っていると彼女は俺を見上げて訊いた。
「誰も鍛えられないそんな凄い鉱物を、どうして皆で剣にしようとしたの?」
「その当時、大魔王ゾーマがアレフガルドを支配していた時代だったんだ。誰もが魔王を倒そうと必死だったんだと」
「でもさ、大魔王って凄く強いんでしょ? 人間の住む町なんか鼻息一つで消し飛んじゃうのに、結局人間を皆殺しにしなかったじゃん」
 鼻息一つ……。箱入り過ぎて何も知らないかと思ったら、意外に考察は深いみたいだ。俺はローラに視線を向けた。
「大魔王って本当に人間の敵なの?」
 緑の瞳が俺を見る。そんな風に見上げて質問されたって、俺は当時の人間じゃねぇから知らねぇよ。実際苦しめられてりゃ憎いんじゃねぇか?
 だが、ローラにそんなシリアスな話をする事はしない。もう終わった時代の話だからな。
「一つだけ、親切で警告してやろう」
 俺はローラの顔を覗き込んで囁く様に言った。
 大魔王が敵という事にしておけば楽じゃないか。勇者が魔王を倒して平和になりました、って奇麗な話だろう。疑問に思ってはいけない。その疑問を他人に漏らした時、人間を敵に回してしまうかもしれないからだ。触れてはならない正真正銘の禁忌だ。
 俺は魔物よりも人間の方が恐ろしく思える。今は人間同士の争いが無いから魔物が恐ろしいとされているが、本当に恐ろしいのは人間だ。大魔王を倒した勇者、それに危機感を抱くだろう人間の心理を俺は恐ろしく感じる。人間は生きる為ではなく、利害関係で平気で人を殺せるのだ。人間の敵は人間なのだ。
「その疑問、金輪際他人に言わない方が良い」
 ローラが恐ろしい物を見る様に顔を明らかに引き攣らせた。
 入り口で途方に暮れた様に立っているイトニーは困った様に歩み寄って来た俺を見る。彼女の視線を追って覗き込めばなるほど、先程の団体客が群がっていて見たい物が見えないようだ。あそこにあるのは実際見た事はないのだが、確か『ロトの剣』のレプリカだ。
「ローラと一緒に見て来いよ」
 イトニーにしょぼくれた様子のローラに視線を向けて、俺は脇に除ける。ローラも気分を入れ替えたのか、少しだけぎこちない笑みを浮かべて俺の前を通って行った。少し凄みを利かせてしまったのを後悔しながら、俺の耳に案内役の女の説明が届いて来た。
「こちらが『ロトの剣』のレプリカに御座います。本物の『ロトの剣』はラルス王家が管理しており、現在はラダトーム宝物庫にて安置されていらっしゃるということです。ですがこの剣も最上級の鋼と金で作られており、美術品の価値では1億とも言われています」
 一億か…、金がなくなったら盗みにでも入ろうかな。こんなド田舎の警備なら余裕でとんずらできる。
「『ロトの剣』の他にも鎧、兜、盾などが存在しておりましたが、現在持ち主が分かっているのは『ロトの剣』のみとなっております。ラルス王家はこの世界を救うだろう、勇者ロトの子孫が現れた際にはその剣を与えると言っており、今回の竜王を倒すだろう者が現れた時には『ロトの剣』をお授けになるやも知れません」
 いやいやいや、国王が国宝を簡単に渡す訳ないだろう。俺はその説明に内心手を振った。
「では次は大魔王に囚われた精霊ルビス様を、石の呪いから解放したという『妖精の笛』の伝説をご案内いたします」
 移動する無数の足音とざわめきが目の前を通過して行く。それを見送って中を覗くと、レプリカが置かれているだろう台の前でローラとイトニーが硬直している。互いに喋りもせず固まっているもんだから、俺もどうしたんだか確認する為に二人の真横にやって来た。俺が来た事に驚いた様子の二人を見て、台座に視線を移す。
 …!?
 俺もそのレプリカを見て2人と同じく硬直した。俺があの無駄好き国王から貰った、あの立派な剣と同じ物が横たわっていたからだ。今は宿屋に置いてきているそれの事を、そう言えば『ロトの剣』とか国王が言っていたような気がする。国王が国宝級の剣をどこの馬の骨とも知らぬ傭兵一人に渡す訳がない、仰々しく見せる為のちょっとした戯れ言だと確信していた。
「……勇者なの?」
 ローラの言葉に叩かれたような衝撃を感じて、二人を見る。顔を見ている筈なのに、顔の部分が真っ白に塗りつぶされた様に見えない。
「違う」
 声が掠れている。思わず後ずさった。
「俺は……ただの傭兵だ」
 勇者はもっと立派で偉大な人物の事だろう? 俺のような傭兵が勇者にどうして間違えられなければならないんだ。名誉なんか知るか、金が命と同価値なろくでもない人種だ。
 ローラが歩み寄って来た。ようやく表情が見える様になる。
「ごめん」
「謝る相手は俺ではなく勇者ロトに謝るんだな」
 俺の言葉にローラはきょとんとした顔をして、一拍置いて笑い出した。
「そうかも。勇者様は凄く格好良くて強くって優しいのに、そんな人とアレフが同じ次元に扱ったら失礼だもんね」
 緑の瞳が、今まで見た事も無いような知的な光を宿して俺を見上げていた。口を開く。桜色の唇が尖り、言葉を紡ぐ為に形を整える。ローラは本当に貴族の令嬢なのだと思うような、威厳に満ちた表情に俺は一瞬心臓が跳ねた。
「アレフみたいな人が勇者な訳無いもんね。でも、アレフの冒険の旅も伝説とかになるかもしれないよ。だって、あたし達を守れるくらいなんだから」
 ローラがイトニーを窺う様に見た。イトニーも表情を少し堅くしてローラに頷いた。
「アレフと一緒に旅で来て良かったよ。とても楽しかった」
 ローラの大きな両目から大粒の涙がぼろぼろ流れ出した。よっぽどの箱入りだったのだろう。野宿だって嫌ってくらいしたし、風呂にだって入れなかったのに、『楽しかった』の一言で片付けてしまいやがった。そこで俺もようやく気が付いた。契約が切れたらどんな奴だってすっかり忘れてしまっているのに、あの手に火傷をしなくては扱えないようなお転婆娘や、世話好きな胃炎持ちの女に未練たらたらだ。気に入っていたんだ。
 俺は手を上げて、ローラの豊かな髪を撫で回した。ローラは驚いた声を上げて、奥のイトニーも目を真ん丸くさせる。
「まだ、契約は切れてない…だろ?」
 俺の言葉にローラの顔が涙で大変な事になりながらも、に、と笑った。

 数日後、ローラとイトニーは契約金を支払って一足先に旅立って行った。久々に訪れた一人旅の空気は、慣れている筈なのに随分と肌寒く感じた。