あなたがここに在る。それが私の生きた証である。 - 前編 -

 相棒ががたがたと震えてる。
 触れられないって分かってても、手を重ねると相棒は小さく『ごめんね』と呟くばかりだった。青紫の髪と目だから、真っ白い顔が青ざめて見える。王都メギストリスの宮殿の一室は暖かくて良い匂いでいっぱいなのに、相棒は震えて不安そうに俯いていた。
 オイラと相棒は、王様に会う為にメギストリスの都まで来た。とてもじゃないけど、楽しいお話じゃあない。話をして牢屋に放り込まれたらどうしようって、割と真剣にかんがえてる。
 扉がノックされると、鉄の鎧に身を包んだプクリポの兵士が顔を見せた。
「ルアム。陛下がお会いになるそうだ。来なさい」
 相棒を一瞬見ると、小さく頷いて立ち上がった。メギストリス城は柔らかいクリーム色の壁に、とても細やかな装飾やステンドグラスで飾り立てられた綺麗なお城だ。床に敷かれた絨毯なんて、プクレット村の芝生みたいにふかふかだ。扉はオーガでも頭をぶつけないくらいに高くて大きい。オイラ、プクリポだから小さいけどもっと小さくなった気分だ。
 兵士は大きな扉の前で立ち止まると、おっかない顔でオイラを見た。
「この先にプーポッパン王はおいでだ。失礼の無いようにな」
 全く、冗談言ってられる話をしに来たわけじゃねーっつのー! オイラは兵士に言い返してやろうと思ったけど、早く王様に伝えて相棒を安心させてやりたいから黙ってた。
 扉を開けると、明るくて広い謁見の間に続いてた。目の前に玉座が一つあって、天井や玉座の壁にはプクランドの空と花々が描かれたステンドグラスがキラキラと輝いてる。兵士達が柱の横に控えていて、青い衣を着た腰の曲がった人間の老人が玉座から一段下がった所に立っていた。
 こんこん。
 乾いた咳が横から響いた。
「あぁ、すまん。私が遅れてしまったようだな」
 相棒以上に顔色が悪くて、ぜぇぜぇと苦しそうに息をしている。黒い髪は艶をなくして、頭に乗ってる王冠が今にも落ちてきそうだ。真っ赤に染め上げたコートと、片手剣を二本と短剣を引き摺るように進んで来る。眉間のシワは深くて、オイラの指まで挟まっちゃいそうだ。
 すると王様は口髭をにやりと持ち上げてオイラを見た。もしかして…。
「プーポのおっちゃん!」
「正解だ」
 どひゃーー! プーポのおっちゃんって王様だったのか! オイラ驚いてひっくり返っちゃうよ!
 プーポおっちゃんは楽し気に笑うと、凄んだ兵士達に軽く合図をした。兵士達の怒りが鎮まったのを見て、おっちゃんはオイラの手を取った。相変わらずオーガみたいにゴツゴツした手だけど、氷のように冷えきっている。それに花びらみたいに力がなくて軽い。
「油断をしてな。魔瘴の霧に侵されて余命幾許もない状態なんだ」
 あんなに力強くて頼もしかったおっちゃんが、弱々しく微笑んだ。オイラは泣きそうだよ。
 オイラは相棒の不安が胸の中に忍び込んで来るのを感じたんだ。あっちもこっちも、嫌な事ばっかりだ。どうしたらいいんだろう。これから、どうなっちゃうんだろう。
「それで、何用だ? とても世間話をしにきた面ではないようだが…」
 おっちゃんの言葉に促され、オイラは元々開いていた口で大きく息を吸った。これから話す事は凄く大事な事なんだ。
 それは数日前の話になる。オイラと相棒は、キラキラ大風車の魔物を討伐する一団と擦れ違ったんだ。彼等は言い争いをしていた。
 『良い子ぶるんじゃない!』
 プクリポの戦士がもう一人のプクリポと、殴り合いの喧嘩をしてたんだ。『プーポッパン様を、俺は尊敬してるんだ! 俺は王様よりぼんくら王子に儀式をしてもらいたいんだ!』『王の意向は絶対だ! 尊敬してるんなら口を挟まず魔物討伐に専念しろ!』小さい身体同士ぽかぽかぷくぷくと叩き合っているが、凄い剣幕でとてもほのぼのはしてない。
 オーガの戦士に互いに摘まみ上げられ、エルフの戦士に嗜められて二人はようやく大人しくなった。オーガの戦士は『小さい王子よりも大人の王が儀式を行えば、天に大きく響くだろう』と大真面目に言って、エルフの戦士が『それはちょっと違うんじゃないかなぁ』と笑った。
 二人の人間の兵士達はただ黙って様子を見ていたが、やがて彼等はキラキラ大風車の上層部へ続くエレベータに乗り込んだ。実は大風車の儀式の間に魔物が住み着いてしまって、王都メギストリスから討伐隊が来るって大風車の根元は噂で持ち切りだったんだ。喧嘩はしてても彼等は一流の戦士。これで魔物は退治されて大風車の悩みのタネは解決だと、観光業に勤しむプクリポ達は喜んだ。大風車はプクランドきっての観光地だからな。
 相棒は儀式の間を見学して来ると、討伐隊の後を付いて行った。
 そこで、相棒は見てしまったんだ。
「大風車の儀式の間に、魔物は居なかったんだ」
 オイラの言葉におっちゃんや、謁見の間に居た誰もが驚いた。ざわつく周囲が鎮まる前に、オイラは更に言った。
「人間の兵士達が魔物になっちゃって、討伐隊を全員殺しちゃったんだ!」
 相棒は言ったんだ。儀式の間に魔物が居ない事に驚いた討伐隊の戦士達を、背後から斬りつけた人間の兵士達の姿を。人間の兵士は魔瘴の霧に包まれたと思ったら、魔物の姿になって討伐隊の戦士達をそりゃもう酷い方法で殺したんだ。彼等の死体は黒い液体みたいになって、床に溶け込んでしまった。不気味な黒い紋章が床を走り、舞い上がる魔瘴の霧の中で高笑いを上げる鎧の魔物達。
 話をする相棒は泣いてた。助ける事も出来ず、ただ殺されるのを見ているしか出来ない自分を責めたんだ。
 そんな相棒を、オイラは疑うなんて出来ない。
 するとプーポのおっちゃんの横に控えていた爺さんが、疑うようにオイラに言った。曲がった腰を屈め、威圧するように覗き込んで来る。
「人間の兵士は私の部下でもある。君は、私の部下が魔物であったと言いたいのかね? そもそも、討伐隊を全滅に追いやった終始を見ておきながら、どうして君はその場から逃げ仰せたというのだね? 君こそ、魔物の仲間ではないのかね?」
 爺さんは偉い人なんだろう。爺さんの言葉に控えていた兵士達が『そうかもしれない』とひそひそ話し始めた。相棒がオイラの後ろに立って、周囲を警戒しているのが分かった。魔物の仲間なんてとんでもない! そう叫ぼうとした時だった。
 疑心暗鬼の空気を破ったのは、プーポのおっちゃんだった。
「やめろ、イッド」
 低く、鋭い声でおっちゃんは言った。
「お前の疑問には何の意味もない。お前の部下は既に殺され、魔物と入れ替わったのやも知れぬ。魔物がキラキラ大風車に居るという事こそが、問題であり答えでもある。そして討伐隊が戻らぬという事は、大風車に魔物は存在し派遣した誰もが死した事を意味する。メギストリス国王として、死して枯れた花に惜しみない哀悼を捧げよう」
 おっちゃんは静かに祈り、兵士達も剣を捧げて黙祷した。祈りを済ませ、おっちゃんは静かに言う。
「やはり、大風車の魔物討伐は私が行かねばなるまい」
「王よ…そのお身体では儀式を行うだけで精々。ご無理をなさらぬ方が宜しいでしょう」
 労る言葉が酷く甘ったるい。オイラはこの爺さんの、お上品な喋り方が気に入らなかった。
「兵士達の命を無駄に散らす訳にはいかぬ。魔瘴に冒され余命幾許もなくとも、私はプクランド屈指の剣士に他ならない。刺し違える覚悟さえあれば、いかなる魔物も敵ではない。元々、大風車で儀式を行う事は私の命を捧げる事に他ならないのだ。手っ取り早くてよかろう」
「流石、私が仕えるに値する君…! そこまでの覚悟を前に、このイッド、留め立てなさいますまい。早速、儀式を行う準備に取りかかりましょう」
 イッドの爺さんの言葉が響き、周囲が動き出した。兵士達は動き出し、爺さんも曲がった腰を更に折って会釈をすると謁見の間を出て行った。オイラは牢屋に入れられなくてよかったぁって思いながら、あんまり良い方向に物事が進んでいない気がしてた。
 そんなオイラの前に、プーポのおっちゃんが歩み寄って来た。
「ルアム、少し話をしないか?」
 おっちゃんに連れられてやって来たのは、メギストリス領全体を見渡し大風車や遥か南の海まで見えるテラスだった。オルフェアがお菓子の町なら、メギストリスは花の都。煉瓦の家の隙間という隙間に咲き誇る様々な花々の香りが風に舞い上がり、テラスは凄く良い香りで満ちていた。プーポのおっちゃんは手摺に凭れながら、暮れ行き明かりが灯り始めた城下を見下ろしていた。
「おっちゃん…死ぬ気なの?」
 プクランド大陸の真ん中に大輪の花を咲かす向日葵は、メギストリス王家と深い関わりがある。キラキラ大風車の儀式の間で王家に連なるプクリポが命を捧げると、プクランドの全ての災いを退けてくれるのだ。今までも何人もの王族が大風車で儀式を行い死んで行った。他の種族の王族に比べて、メギストリス王家の戴冠期間が短いのは儀式のせいなんだ。
 おっちゃんは咳き込んで乱れた息をゆっくりと整えて、しんみりと言った。
「死に損ないの私の命で、プクランドの民の平和が得られるんだ。安いもんだ。それに…」
 小さく溜息を吐く。溜息はとっても重かった。
「プクランド大陸の魔瘴の被害は日に日に増すばかりだ。イッドはレンダーシアで魔瘴の研究をしていた優秀な男だが、その者の力を借りても対策は追いつかぬ。私には、もうこの方法しかない。今回の油断は私に決断させる良い機会になった」
「おっちゃん、死んだら悲しーよ」
 プーポのおっちゃんはオイラを愛おし気に見ると、そっと頭を撫でた。おでこをくっ付ける程に顔を寄せると、オイラにそっと囁いた。
「ルアム、息子のラグアスを探して欲しい」
 オイラがおっちゃんを見ると、おっちゃんは有無も言わせず続けた。周囲にはおっちゃんの体調の異変に直ぐさま駆けつけようとする兵士も、丁度居なかったんだ。
「城の者達は私に王として続投して欲しいあまりに、息子のラグアスが儀式を行うべきだと考える意見が圧倒的に多いのだ。ラグアスは部屋に引き蘢っていると城の者は思っているようだが、数ヶ月前から既に部屋は藻抜けの殻。息子は行方不明になっているのだ」
 おっちゃんは眉根を寄せて悲しそうに俯いた。溜息を一つ零すと、オイラに視線を合わす。
「捜索を城の者に頼む事は出来ない。ラグアスの捜索は、私が絶対の信頼を寄せる者にしか頼めないのだ。お前と…既にナブ兄さんに頼んでいる」
「ナブ兄さん?」
 オイラが首を傾げると、おっちゃんは『あぁ、そうだった』と言いたげに付け足した。
「オルフェアの町長のナブレット団長と言うべきかな。私と彼は旧知の仲なんだ」
 オイラと相棒はおっちゃんに分からないように目配せした。相棒も納得したように頷く。
 実はあの悪魔ザイガスとの戦いが終わって、子供達が親の元に帰った直後にナブレット団長は行方を眩ましてしまったんだ。悪魔から子供達を守る為に誘拐した事を、怒っている住民は誰もいなかった。それでも団長は、平和が訪れた事に喜ぶ住人達に言ったんだ。
 『私はオルフェアの町長を退き、ナブナブ大サーカス団も解散とします。ではオルフェアの町の皆さん、今度こそ本当にさようなら』
 団長は恭しく会釈すると、次の瞬間奇術で姿を消してしまった。団長の家にもサーカステントにも、毎朝居る厨房にも何処にも居ない。
 今はサーカステントが悪魔に壊された関係で臨時休業だし、アクロバットケーキも町のケーキ屋さんが力を合わせてどうにか大地の箱船のお土産屋に卸している。団長が居なくなると、オルフェアは灯火が消えたように寂しくなっちゃった。
 団長ったら酷いよなぁって思ってたけど、プーポのおっちゃんのお願いを聞いてたら町の事片手に出来る事じゃないって思うんだ。
「私は一刻も早く、息子が儀式の間に引きずりだされる前に儀式を行うつもりだ。だが…」
 おっちゃんは息を詰まらせ、絞り出すように呟いた。
「死ぬ前に、もう一度…息子に…ラグアスに会いたいのだ」
 オイラは堪らなくなって、おっちゃんに抱きついた。冷えきった身体に顔を埋めて、オイラは首を振った。
「おっちゃん! おっちゃん、ほんとーに死んじまうのか? いやだよ! おっちゃんと折角仲良くなったってのに、お別れなんて、オイラもプディンも嫌だよ! おっちゃんにはオイラのレンダーシア公演のプレミアチケット送るから花束持って来て駆けつけて欲しいし、プディンが今度のサーカスでデビューするのも一緒に見ようって思ってるんだよ! おっちゃん、すげー強いんだろ? 汚れ谷の大蛇をけちょんけちょんにしてくれるって言ったじゃないか…!」
「ルアム…」
 おっちゃんが肩にそっと手を置いたのが分かった。耳に、とても悲しい声が触れた。
「本当に…すまない」
 涼やかな鈴の音が微かに聞こえる。おっちゃんはハッとしたように顔を上げ、相棒も窓辺を見遣る。
 そこには城内の明かりにうすぼんやりと照らし出された、一人のプクリポが立っていた。尻尾まであるだろう長髪、プクリポ離れした目元口元、服装は魔導師のローブに良く似ていて綺麗な音を立てる鈴が下がっている。彼は自分の身長と同じくらいの不思議なリュートを背負っている…ってまさか。
 プーポのおっちゃんが吐き捨てるように言い放った。そのあまりの冷たさに、オイラは驚いて震え上がった。
「フォステイルよ…また私に不吉な予言を告げに来たのか?」
「陛下、王の儀式を行ってはなりません」
 フォステイルは月の明かりにキラキラと輝く瞳を、真っ直ぐおっちゃんに向けて言う。おっちゃんは頭を被り振った。
「私は王の儀式を行いプクランドを救わなければならない。他でもないお前ではないか。プクランドが魔瘴に沈み滅ぶ未来を告げたのは…」
 お伽噺で活躍したポクリポの英雄は小さく頷き、歌うようなうっとりとする声で言った。
「その通りです。しかし、王が命を捧げ儀式を行っても、プクランドが滅ぶ未来を変える事は出来ないのです。しかし、プクランドの破滅を退け、貴方の死を回避する方法があります。アルウェ王妃のノートを探すのです」
 アルウェ? どこかで聞いた名前だなぁ。
 オイラが記憶を逆さに振って必死に思い出そうとしたけど、おっちゃんがキレてそれどころじゃなくなった。おっちゃんは今にも剣を抜き放って切り掛かろうとする剣幕で、フォステイルに言い放った。
「アルウェの何でも願いを叶えるノートなど、存在しない! 消え失せろ、フォステイル! お前の予言など、信じるに値しない!」
 フォステイルは酷く悲しい瞳でおっちゃんを見つめていたが、諦めたように小さく会釈して去って行った。綺麗な鈴の音が、何時までも余韻として残る。
 オイラは息苦しそうに手摺に背中を預けて喘ぐおっちゃんの横に膝を付いた。相棒が静かにオイラの身体を借りて、とても弱いけどホイミを唱える。淡い光がおっちゃんの胸元にはらはらと花弁のように落ちると、おっちゃんの呼吸は徐々に落ち着いて来た。暫くすると『ありがとう、ルアム』と冷静さを取り戻した口調で言う。
「おっちゃん。オイラ、諦められねーよ」
 オイラは静かに言った。夜の冷たい空気が、肺に突き刺さりそうだ。
「ラグアスって子と、仲直りまだなんだろ? おっちゃん、まだまだ やらなきゃならねー事いっぱいじゃん。生きなきゃ駄目だよ」
「ルアム…しかし…」
 おっちゃんが諭そうとする言葉を、オイラは大声で遮った。
「このままじゃ、誰も笑えねーじゃん!」
 オイラはさっきまでフォステイルが立っていた場所に駆出して、そしておっちゃんに振り返った。もう、視界がぐにゃぐにゃだ。
「プーポのおっちゃん! 命を棄てれば全部が良くなるのが簡単だからって、楽すんじゃねーよ! すげー努力して強くなった おっちゃんなのに、ちょーかっこ悪ぃーよ! 皆が笑って生きてて良かったーって言えるようになるの、オイラは絶対諦めねーからなぁっ!」
 オイラは城内の目映く照らされた廊下を駆出してた。
 フォステイルに会わなくちゃ。それで頭がいっぱいだ。
 オイラが精一杯駆けても、やっぱり運動神経が悪いんだろうな。相棒が見てられなかったのか、途中で身体が驚く程軽くなる。配膳車に体当たりしそうになったのを見事に宙返りで飛び越え、兵士達の列に突っ込みそうになったのを寸での所で止まる。階段の手摺を滑り降りて、吹き抜けは飛び降りて階下へショートカット。
 結局、オイラがフォステイルに追いついたのは、城のエントランスだった。
「フォステイル!」
 ゼイゼイと息を荒げながら、オイラはフォステイルの前でようやく足を止めた。フォステイルは鈴の音を纏いながら、ダンスのターンのように優雅に振り返った。
「君は、ルアムだね。僕は予知で君が見えていた」
 フォステイルはオイラの息が落ち着くのを待って、そして子守唄でも歌うような穏やかさで言った。
「君は僕の予言を信じてくれるのかい?」
「オイラ、予言とか良くわかんねーけど、ノートの力ってのがあれば おっちゃんが助かるんだろ? だったら一緒に探してやるよ」
 ふわりと肩口を相棒が叩くのを感じた。オイラが振り返ると、相棒が硬い表情で二階に繋がる階段を指差した。そこには誰かの影があり、オイラが振り返ったと同時にさっと姿を隠してしまった。相棒は謁見の間で会ったイッドの爺さんが覗いていたと、苦虫を潰したような顔で言った。
『場所を変えた方が良い。プーポさんが城のプクリポを信頼していないなら、兄さんもひた隠しにするくらいの方が良いよ。王子様が行方不明になったって、まだ知られちゃ行けないんでしょ?』
「そうですね。僕もその方が良いと思います」
 フォステイルの返事は、まるで相棒の言葉が聞こえているようだった。実際にフォステイルはオイラと相棒を交互に見遣り、そして時を告げる鐘のように朗々と告げる。
「さぁ、時間は残されていません。出発しましょう!」

 ■ □ ■ □

 フォステイルが示したのは、銀の丘の近くにあるアルウェ王妃の別荘だった。フォステイルの鈴は魔物達を遠ざけ、リュートで行進曲を奏でれば鳥が飛ぶのと同じような速度で進んだ。
 休憩の間、やっぱりフォステイルは相棒が見えるのだと話した。相棒は賢者エイドスに向けたかった質問をフォステイルに訊いたけど、フォステイルは『今はプクランド大陸の危機より先が見えないのです。危機は濃厚な魔瘴の霧となって、僕に未来を見せないのです』と申し訳なく言った。
 じゃあ、おっちゃんの息子は? オイラが問えば、フォステイルはとても不思議そうに首を傾げるのだ。『何か不思議な力で守られているのかもしれません。僕には何も見えない』何度も試してようやく、そう言うだけだった。
 頭の上を太陽と月が何度か通り過ぎた。そしてオイラ達はリンクル地方の湖の畔に建つ、アルウェ王妃の別荘にたどり着いた。
 団長と子供達とで遠巻きに見ていた時は、立派な綺麗な建物だったが間近で見ると全く違った。煉瓦の上に綺麗に塗られた漆喰は、風が吹き付けるだけで粉々と散っている。窓硝子全てが砕けていて、金属の窓枠もボロボロに錆びて朽ちている。入り口は開け放たれていたが、蝶番が外れて扉は穴だらけの床の代わりをしていた。大きなテーブルには料理を並べる為だったんだろうお皿が散乱して、ベッドも羽毛が抜けて布切れだけがひらひらと風に揺れている。まるで何十年もそうだったように、別荘は荒れ果てて朽ちていた。
 入り口から中に入って、相棒が足を止めた。オイラとフォステイルが足を止めたと同時に、目の前にナイフが何本も突き立った。磨き抜かれた銀の刃にオイラ達の顔が映っている。
「笑い顔のプクリポさん。ここにゃあ、なーんもありゃしねぇよ。お宝と笑いのネタをお探しなら、回れ右してお帰りやがれ」
 すっごい、聞き慣れた声。オイラは顔を上げて声の主の名を呼んだ。
「ナブレット団長?」
 オイラの声に二階の暗がりから、人影が出て来た。ナイトマリーでピンクの部分を染め上げたスターハットとコートに身を包んだナブレット団長は、オイラ達の姿を認めるとにやりと笑った。軽快な身のこなしでオイラ達の前に飛び降りると、ふわりと浮いた銀のナイフがぱぱぱっと団長の手の中に納まった。トランク片手とは思えぬ程に、優雅な会釈をしてみせる。
「おやおや、ルアムに英雄フォステイルじゃねぇか。こんな所で何をしてるんだ?」
「団長こそ何やってんだよ。プーポのおっちゃんの子供が、居そうな場所には思えねーけど?」
 オイラの言葉に団長は眉根を寄せて、頭を掻いた。
「その言い回しじゃあ、プーポはお前さんにも頼んだみてぇだな。俺はラグアスを探して駆けずり回ってるんだが、どうにも収穫がなくてな。プーポが儀式を決断したって噂を聞いて、大風車近辺で潜める場所を探し歩いてたんだ。ここはオルフェアの住民も近づかない廃墟で有名だから、誘拐犯でもいるかなーって…」
「で、元誘拐犯がいたってか」
「ルアム。苛めんじゃねぇよ」
 これくらい言われるのは、しょーがないって思ってんだろうな。オルフェアが大変だってのは、町長もしている団長が一番良く分かってんもんな。団長は露骨に嫌な顔をしてみせるだけだった。
 鈴の音を響かせてフォステイルはオイラの横に進み出ると、団長にぺこりと頭を下げた。
「ナブレット団長。僕達はアルウェ王妃のノートを探しています。何かご存知ありませんか?」
「フォステイル、本気で言っていやがるのか? アルウェにノートを渡したのは、他でもないお前さんだったんだろ?」
 怪訝な顔で答えた団長の言葉に、フォステイルは驚きを隠せないようだった。オイラを、団長を見回すと、耳を垂らして申し訳なさそうに俯いた。その様子に団長は少し怒りを滲ませながら、ぶっきらぼうに言った。
「まぁ、いいさ。くれてやった物のその後なんて、興味もねぇって事だろう」
 団長は溜息を吐いて、建物を見上げた。
「ノートはきっとラグアスが持ってるだろう。いや俺が思うにあのノートは、アルウェとラグアスしか持っちゃいけねぇんだ」
「どうして、そう思うんだ?」
 オイラが首を傾げると、団長は苦々しく笑いながら言った。
「お前さんにはザイガス退治も手伝ってもらった事だし、知る権利があるな。少し、昔の話をしてやるとしよう…」
 むかーし、むかし。オルフェアにはアルウェという娘がいました。
 娘は朗らかで器量が良くて可愛くて、町の誰からも愛される大変愛くるしい天使のような………なんだよルアム。日が暮れるから省略しろ? ったくしょうがねぇなぁ。
 娘はある日、どうしても銀の丘に向かわなくてはならない気がしたのです。そして銀の丘にやってくると、水晶の大樹の横に不思議な扉があったのです。…それが俺がオルフェアのガキ共を閉じ込めた、運命の時にしか開かねぇ扉さ。
 『ほんとうに、扉があるしぃ! 予知っ子アルウェちゃんも、ビックリ!』
 娘は扉に呼びかけた。
 『もしもーし! 扉さんこんにちわー! 呼ばれて飛び出たアルウェでーす!』
 扉はゆっくりと自ら開きました。青い光で満ちた不思議な空間に恐る恐る踏み込んだ娘は、フォステイルというプクリポから一冊のノートを受け取ったのです。ノートを手に扉の向こうの世界から戻って来た娘は、しげしげとノートを眺めました。それはとても綺麗な本でした。冷たくも手の熱で熱くなる事もない不思議な硬い材質の表紙には、空や海や草原、世界中のありとあらゆる物が映り込んだのです。中に挟まれた紙は新雪のような目映い白でした。
 『ほんとうに、何でも願いが叶うのかなぁ…? そうだ! 試してみれば良いんだ! アルウェちゃん あったま良いー!』
 娘はノートを開くと早速、一つ願い事を書き込みました。
 『ノートさん、ノートさんお願い! アルウェは本物のお姫様になりたいでーす!』
 娘の願いは叶いました。翌日、メギストリスから使者がやってきて、王が娘を妃に迎えたい事を告げたのです。そうして娘はアルウェ王妃として、メギストリスの王プーポッパンの元に嫁いだのです。……実はな、プーポは昔からアルウェにべた惚れでな。ノートの存在をあんまり信じたくねぇってのは、まぁ、分からんでもねぇんだよ。
 そして王妃として幸せに暮らしていたある日、あの悪魔ザイガスが現れたのです。悪魔は王妃に尋ねました。
 『貴様が、未来を予知する娘、アルウェ王妃だな?』
 『ちがいまーす! あたしは可愛いアルウェ王妃ちゃん様でーす!』
 『お前が可愛い…アルウェ、王妃ちゃん…様?だな。オルフェアにプクリポの救世主が生まれる。何時の誰だか、予知してもらおう』
 娘は未来を見る不思議な力で、救世主がプクランド大陸に誕生していない事を知りました。それどころか、どんなに先の事を見ようと望んでも救世主が見えなかったのです。娘は救世主が生まれない事を悟ったのです。
 その事を悪魔に告げても、悪魔はちっとも納得しなかったのです。それどころか鋭い爪で娘を引き裂き、牙で頭に噛み付こうとします。あまりの恐ろしさに、娘は身体が震え恐ろしさを隠す事はできませんでした。悪魔はとても強大だったのです。娘がどんなに先の事を知っていても、今、悪魔をどうにかする事は出来なかったのです。
 だから、娘はこう言うしかなかったのです。
 『今から15年の間に、救世主くんはオルフェアで生まれるわ。だから今日から15年間、オルフェアの子供達に手出ししちゃ駄目! その代わり、15年後になったら好きにしていいわ! オルフェアの子供、全員食べちゃっていいわよ!』
 悪魔は快諾しました。たかが15年、悪魔にとっては一眠りする程度の短い月日だったからです。…それがアルウェが、悪魔ザイガスと交わした契約だったんだ。この直後に俺はアルウェに頼まれて、サーカス団を結成する事になった。運命の日に俺は子供達を誘拐して銀の丘の扉に閉じ込め、俺とルアムで悪魔ザイガスを倒す事をアルウェは視ていたのかもしれねぇな。
 この時に娘は、世界に恐ろしい災いが迫っている事も知りました。
 娘はフォステイルから貰った願いを叶えるノートを取り出すと、純白の頁にこう書き込みました。
 『ノートさん、お願いっ! 未来を救っちゃうイケメンな男の子が、あたしの息子に生まれますよーに!』
 娘は一年後、オルフェアで可愛い男の子を産みました。荒野の魔物討伐に駆り出されて砂だらけの王に抱きかかえられ、甘いケーキの匂いを漂わすサーカス団の団長に祝福され、娘が愛おしく見つめる男の子はラグアスと名付けられました…。
「そして5年前、アルウェはここで死んだ」
 団長は辛く悲しい声でそう言った。2階の寝室の朽ち果てたテーブルと1脚の椅子を、壊れ物でも触れるように擦った。
「ノートが叶える願いは3つ。3つ目を書き込んだ時、書き込んだ者は破滅する…フォステイルはそう語ったそうだ。別荘は一夜にしてこの有様になり、アルウェの遺体は形すら留める事も出来なかったそうだ」
「妹さんは、3つ目の願いを書いちまったのか?」
 オイラが問うと、団長は『分からん』と首を振った。
「ただ、アルウェの予知は外れた試しがねぇ。アルウェが救世主が生まれないと予知した未来を、アルウェの願いを叶えるノートが覆したって事にならねぇか? 救世主が息子のラグアスだとしたら…って話だけどな」
 そして団長は険しい顔で月夜にキラキラと輝く湖を見遣った。
「甥っ子のラグアスに予知の力が備わっていると知った時、俺とプーポは何度も今後の事を話した。だが、ノートはラグアスの元に残そうと結論したんだ。予知出来る故に避けられぬ厄災を知り、覆す為に何を願うのかを選ぶ事が出来るから…と。俺達は知ってたんだ。未来を知っていて覆せない現実が、気丈なアルウェでもどうにもならない孤独と苦しみを齎していた事をな…」
 団長は唇を噛み締め、手も真っ白になるほど握りこんで絞り出すように呟いた。
「何もかも一人で背負い込みやがって…。俺達はどいつもこいつも、馬鹿ばっかりだぜ」
 物悲しい澄んだ音が響いた。オイラと団長が音の鳴る方に振り返ると、フォステイルがリュートを爪弾きレクイエムを奏で始めていた。
「今は亡きアルウェ王妃の為に、一曲弾きましょう」
 リュートの音色は光る風になって、廃墟になった別荘の隅々に行き渡った。鈴の音色すら和音となって加わり、月の輝きも星の煌めきも川のせせらぎも一つの音楽のように溶け込んだ。今まで沢山の音楽を聴いて来たけど、その中でも凄く綺麗な音だなーって耳を澄まして聞いていた。音は廃墟を抜け、リンクル地方にまで響き渡ってるんだろう。魔物達も聞き耳を立てているかのように、静まり返っていた。
 リュートの音が不自然に途切れだしたのは、暫くしてだった。なんだろうと思って見ると、フォステイルが静かに涙を流していた。
「失礼…。なんだか、無性に悲しくなってしまって…」
 フォステイルは演奏を止めて、袖口で目元を拭う。
 涙が弦を伝って流れる光は尾を引いて、リュート全体に広がる。オイラやフォステイルが驚いて目を丸くすると、目の前でリュートは一冊のノートに変わってしまった。真夜中の星と満月が描かれた表紙が、本物と同じくらい綺麗だ。
 団長はフォステイルの持っている本を覗き込むと、神妙な顔つきで言う。
「こりゃあ、アルウェの願いを叶えるノートじゃねぇか…! いったい、どうなってるんだ!?」
『やはりノートは、フォステイルの元に戻るべきだったのだ』
 願いを叶えるノートの輝きが伸びて、一人のプクリポを作り出した。黒髪に血色の良い肌、凛とした射抜くような眼差し。魔瘴に冒される前のプーポのおっちゃんの幻は、ノートをフォステイルに突き出していた。幻は睨みつけるようにノートを見下ろし、辛そうに被り振った。
『未来など見えて何になる。私が町を守る為に死にかけた時、アルウェがどれだけ悲痛な顔をしたか…。ナブ兄さんが悪魔と対峙しなくてはならぬ未来に、どれだけ彼女が眠れぬ夜を過ごして来たか…。そして…あんな惨たらしい最後を、どうしてアルウェが迎えなくてはならなかったんだ』
「王よ、それは違います!」
 フォステイルの言葉も届かず、おっちゃんの幻はノートをフォステイルに押し付ける。
『ラグアスを、私はもう守れない。フォステイル。あの子が3つ目の願いを書き込む前に、どうか…ノートを持って消えてくれ!』
 消えかかる幻を、フォステイルは掴んだ。プーポのおっちゃんの目を覗き込み、激しい口調で訴えた。
「王よ、聞いてください! 未来を知る事は決して不幸な事じゃない! 僕は沢山の予知をしてきたけど、悪い事ばかりじゃなかった!」
 おっちゃんを作っていた幻の光が、フォステイルにも降り掛かる。
 フォステイルはオイラ達の目の前で、どんどん幼くなって行く。引き締まった輪郭が、まだあどけない丸さになる。朝露を含んだラベンダ鈴蘭の髪は、太陽を燦々と浴びるバニラリリィの色に染まる。背丈が小さくなるにつれて魔導師風の服装も、朝焼けみたいにどんどん赤くなっておっちゃんの着ている赤と同じ色になっていった。
「料理長がメギス鶏の唐揚げ作ってくれる日を、僕は献立表が決まる前から分かっててそれだけでウキウキしたよ! お母さんがナブレットおじさんの所に一緒に行ってくれる日に、風邪をひいて寝込んでしまうのも知ってたから がっかりするのも少しですんだよ! お父さんが出掛ける時いつも無事に帰って来るのが見えて、僕はいつも安心してたんだよ!」
 フォステイルはもう、オイラよりも小さくなっていた。おっちゃんに縋り付いて、フォステイルだった子は必死に言い続けてた。
「お母さんとお父さんが死んでしまう未来が見えた時、僕は未来が見えるのが嫌で仕方が無かった。でも、未来が見えるから運命を変えたいって思うんだ! 皆を守る為なら、どんな不幸だって僕は乗り越えるよ! プクランド大陸の全ての人達を、ナブレットおじさんを、そしてお父さんを…僕は守りたいんだ!」
 おっちゃんの幻が弾けるように、沢山の光の粒になって消えた。きらきらと雪のように舞う光の中で、ノートを持った小さい男の子が思い出したように呟いた。
「僕、お母さんと約束したんです。フォステイルみたいに…相手の目をしっかり見て話せたら宝物のノートをくれるって…」
 男の子はじっくりとノートを見ていたが、ふわりと綿のようにオイラ達に向き直った。銀色の髪の上にちょこんと乗った王冠が落ちない絶妙な会釈をすると、男の子は可愛らしい声で言った。
「お久しぶりです、ナブレットおじさん。初めまして、ルアムさん。僕、ラグアスといいます」
 プーポのおっちゃんの息子、ラグアス王子はにっこりと微笑んだ。