あなたがここに在る。それが私の生きた証である。 - 後編 -

 月夜が眩しい空の下、僕達3人のプクリポの影が街道を足早に駆けて行きます。
 月のライトアップは夜空から、青白い向日葵の輪郭を抜き出していました。もうキラキラ大風車を見上げるの、首が痛くなってしまう程近づいていました。舗装された道の両脇にある垣根の向こうには、大風車から伸びる向日葵の根っ子が不気味なうねりを見せています。
 少し前を早歩きで進んでいたルアムさんが、僕の真横まで下がって来ました。ぼさぼさの赤い髪を後頭部で結って、ぱちくりと紅い瞳を瞬かせてみせます。動き易そうな修錬着セットは、キャラメルリップで染めるのを失敗しちゃったのか黒と茶色の縞模様です。ルアムさんは人懐っこそうに笑って話しかけてくれました。
「なぁなぁ、ラグアス。どーして フォステイルやってたんだ?」
「あ、その疑問、俺も聞きてぇなぁ」
 ナイトマリーで暗めの色合いに染めたスターコートセットに身を包んだ、ナブレット伯父さんも僕の隣にやってきました。
 ルアムさんも伯父さんも興味津々で僕を見ます。
 何だか恥ずかしくて、もじもじしちゃう。だって、僕、もう5年も誰かと喋ってなかったんです。
「あ、あの…僕、ノートに書いたんです。フォステイル になりたいって…」
 僕はお母さんが話してくれるフォステイルのお話が大好きで、フォステイルに憧れてました。僕もおおきくなったら、フォステイルみたいに冒険出来るんだって疑わなかったんです。
 だって、お父さんがとても強い戦士なんです。僕、お父さんがガートランドの王様と、すっごく強い魔物を退治する話をしてくれるの大好きなんです。
 『僕もお父さんみたいになれる?』って訊いたら、お父さんは困ったように頭を撫でて『ラグアスは魔法の方が得意だと思うな。いっぱい勉強して魔法が使えるようになったら、お前も一緒に討伐に行こう』って言ってくれたんです。お父さんはその後、お母さんに『ラグアスはまだ小さいんだから、危ない所に連れてったらダメ!』って怒られてました。
 フォステイルになったら、お父さんの力になれると思ったんです。フォステイルは魔法が得意ですし、僕の話は聞いてくれないけどフォステイルの言葉だったら耳を傾けてくれるって思ったんです。
 でも…それでどうなったかは、お二人はご存知ですよね。
 僕はそこまで話して黙り込んでしまいました。結局、フォステイルになっても何も変わらない事が悔しかったんです。
「フォステイルはノートを探してたぞ。ノートを持ってたくせに、どうして探してたんだ?」
 ルアムさんの言葉に、僕はあっと声を出しました。思い出した…!
「僕、昔に予知した事を忘れていました。僕がフォステイルになって誰もいなくなった部屋で、お父さんがノートに書き込んだんです。『ノートよ、フォステイルの元に戻れ』って。予知した時は何の事だか分かりませんでしたが、今になるとこの事なんだって思います」
「アルウェも言っていたよ」
 僕の言葉に伯父さんが頷きました。
「予知ってのは断片的過ぎて、意味が分かる未来なんて極僅かだってな。パズルみたいな予知を集めて一つの未来になって分かる時もあれば、一瞬で劇を最初から最後まで見るみたいに全部分かっちまう事もある。予知した未来に遭遇したり、誰かの噂話を聞く事で、意味がようやく分かるってのも少なくなかったようだぜ」
 伯父さんは昔を懐かしむように言いました。
 僕はお父さんとお母さんから、伯父さんと過ごした昔の話をいっぱい聞きました。とても楽しいお話ばっかりだったのを覚えています。…何だか羨ましい。
 お母さんと同じだって言われても、僕の気持ちは暗いまま。だって…
「僕にはまだプクランド大陸が魔瘴によって滅んでしまう未来と、お父さんが死んでしまう未来しか見えません」
 僕は思わず足を止めてしまいました。僕が見た未来に、一歩進む度に近づくのが分かっていたからです。
「恐れる事はねぇぞ。ラグアス」
 伯父さんは勇気づけるように、僕の肩に手を置きました。
「そのノートは運命を覆す力がある。あと一度だけだが…その一度で全て救う事が、未来が見えるお前になら出来る」
 伯父さんの言葉はお母さんのようです。だって、僕が未来が見えるって信じてくれて、未来に立ち向かう勇気をくれるから…。
「おっちゃんを助けよーぜ!」
 後ろからルアムさんが抱きついてきました! 僕が吃驚するのも構わず、ぎゅーっと抱きしめてきます。
「おっちゃん助けてさー、魔瘴の事は皆で解決しよーぜ! おっちゃん何でも一人で頑張り過ぎなんだ。皆でやれば、ぱぱっと簡単に解決しちまうよ!」
 な! そんな明るいルアムさんに、僕も不思議と明るくなります。
「はい!」
 僕の足は自然と前に進んでいました。一人では進めなかった未来でも、一緒に歩いてくれる誰かが居れば進む事が出来る…!
 キラキラ大風車に到着した僕達の姿を見て、兵士達は疑問もなく道を開けてくれました。もう、お父さんは大風車に到着してしまったようで『さぁ、王子早く!』と急かすくらいです。
 大風車の上層部へ続くエレベーターに乗り込むと、大風車の骨格の隙間から豪華なステンドグラスが上から下へ流れて行きます。多くの花々のステンドグラスの中に、様々なプクリポが描かれています。それらは全てメギストリス王家の歴史に連なる事で、未来の王の歴史まで盛り込まれているそうです。
 ごうんごうんと唸りを上げるモーターの音に紛れて、ルアムさんが伯父さんに囁いています。
「おかしくねぇ? オイラ達の事を何も確認もせずに、ホイホイ通しちゃってるけど…」
「プーポの奴が話を通してくれてんだろう」
「相棒が言ってるけど、罠なんじゃねーの? ラグアスに儀式をさせたい奴が、いっぱい居るんだろ?」
 ルアムさんが不満そうに唇を尖らせて言いました。
 その時、僕達しか居なかったエレベータの中で、僕達以外の人の姿が現れました。人間の老人は背後に組んだ手が、曲がった腰を労るように添えられています。レンダーシアの民に連なる青い鮮やかな衣は紺色に見え、エレベータの影に呑まれたり現れたりを繰り返します。
 見覚えがあります。あの人はお父さんの側近のイッド…
「気をつけろ。あいつは人間じゃねぇ」
 伯父さんが短剣を抜き放って、僕を庇うように立ちはだかりました。ルアムさんの瞳の色がすっと赤から青紫に変わって、油断なく鉄の爪を構えます。
 イッドは慇懃な一礼を僕達に向けると、穏やかな声で言いました。
「流石、予知の能力を持つアルウェ王妃の兄。貴方も何かしら特別な力をお持ちのようですね。大変興味深い…」
 イッドは頭を下げたまま、彼を中心に魔瘴の風が迸った! 魔瘴の風の中からのそりと顔を上げたのは、ステンドグラスの光すら吸い込む光沢のない緑の鱗。口からだらりと下がった舌は、巨体な身体でありながら床まで届く。ローブを纏った魔物は、巨大な身体よりも長い杖を持ちながら深々と頭を下げてきたのです。
「改めまして、私は魔軍師イッド。このプクランド大陸を魔瘴にて滅ぼすため、高貴なる御方の命にて馳せ参じましてございます」
 まるで巨大な爬虫類。見上げる程の巨体の背を丸め、イッドは小さいプクリポ達を覗き込むように言った。
「死に損ないの王なら、もう儀式の間にて私の部下が丁重にお出迎えをしております」
「やっぱり、あの鎧の魔物はお前の部下だったんだな! よくもまぁ、抜け抜けと濡れ衣着せて! これ以上、誰も殺させやしないぞ!」
 口の中に粘つくような甘さを思わせる声色に、ルアムさんはかんかんになって反論しました! 声を荒げるルアムさんを、イッドは興味深そうに見遣りました。
「部下からは誰1人逃したりしていないと報告を受けましたので、貴方の登場は誤算と言えましょう。どのような手を使ったのかは、プクランド大陸が魔瘴によって滅んでからゆっくりと調べ解明して行きましょうぞ」
 魔物の姿になったイッドは、喉を反らせて笑う。
「では、王子。王を助けたければ急ぐ事です。親が命を賭けて子を守らんとする姿は、何時見ても私の胸に感動を齎します。あの王に仕えて数年…。思い出は多くありますが、最後には美しい思い出でお別れしたく思いますからね」
「胸糞悪いこと並べるんじゃねぇ!」
 伯父さんが短剣を投げつけると、イッドの身体を包み込むように魔瘴が沸き出した。黒い霧が晴れた時には、エレベータにはイッドの姿はなく伯父さんの短剣が床に無造作に転がっているだけです。
 では…皆さん。儀式の間にて、お会い致しましょう。
 嫌に丁寧な言葉が、エレベーターの中に残った。僕は不安で身体が震えてしまうのを、堪えられませんでした。
 一刻も早く、お父さんの所に辿り着かなきゃ!
 エレベーターの戸が開き大風車の上層部に飛び出すと、僕もルアムさんも伯父さんも全速力で駆出した。螺旋を描いて巨大な筒のような空間を駆け上がり、万華鏡のようにきらびやかな色と光が目を突き刺します。どうしても早く走れない僕を伯父さんが抱え上げてくれて、先に到着したルアムさんが扉を開け放ったんです。
「プーポのおっちゃん!」
 伯父さんが力を緩めてくれて床に降り立つと、ルアムさんの後ろから儀式の間を見る事が出来ました。
 巨大な鎧の魔物が崩れ落ちている前で、大きく肩で息をするお父さんの姿が見えました! 蒼白の顔で信じられないと目を見開きながらも、口髭の下では口元が歪んでしまっているのが見えます。お父さんは両手に剣を下げながら、胸に飛び込んだルアムさんの頭を撫でました。
「この程度の魔物如きに、私が殺されると思ったのか?」
「おっちゃん無事で良かった! オイラ…オイラ……!」
 鼻声になっていくルアムさんを宥めながら、お父さんは伯父さんに微笑みました。
「ナブ兄さんも心配性だな。俺が獲物を仕留め損なう事なんて、ここ数年じゃ有り得なかっただろう? もう、俺は銅の剣を振り回してるような子供じゃないんだから…」
「へっ! 人に散々ホイミさせて、風呂やら箪笥まで貸し出しさせやがった奴の台詞とは思えねぇなぁ! 俺の記憶が正しけりゃ、討伐失敗したってしょんぼりして来たのがつい最近だろうが! もうお互い おっさんなんだから、無理すんじゃねーよ!」
 歩み寄ってきた伯父さんに、お父さんは手を挙げました。二人は弾けるよな良い音を立てて手を打ち合い、そして硬く手を握り合ったんです。伯父さんが照れくさくて仕方が無いみたいに、握手していない手で後頭部を掻きました。
「無事で良かったぜ。本当にな…」
 そして伯父さんは手を離して、そっと身体を引きました。ルアムさんも目をごしごし擦りながら、お父さんから離れます。
 あ…。
 お父さんが僕を見ています。
 深紅のコートに短剣と2本の剣と、大剣を背負ったお父さん。王冠は討伐の時は邪魔だからって、プクランサフランを一輪挿した深紅のベレー帽を被っています。髪の毛はぼさぼさで、顔色もあんまりよくなくて、息も辛そうで…でもお父さんは生きてて僕の前にいるんです!
 あぁ、良かった!
 僕がそう思った時でした。ルアムさんがお父さんに向かって駆出したんです!
「危ない!」
 ルアムさんはお父さんを抱え込んで、飛び退ろうとしました。でもルアムさんの動きより早く凄まじい勢いで飛んで来る鎧の魔物達が、横様にお父さんとルアムさん轢いてしまったのです! 鎧の魔物達の勢いは止まらず、二人を巻き込んだまま儀式の間の壁に激突しました!
 激突の衝撃に震える儀式の間が紫色に輝きだし、真っ黒い墨みたいな文様が床に広がって行きます。魔瘴の霧が薄らと漂い、凄まじい死臭の中にイッドが長い尾を弄びながら言ったのです。
「瀕死のプクリポに破れるとは、役立たずにも程があります。少しでも役立ちなさい」
 イッドがお父さんに倒された魔物を吹き飛ばして、お父さんとルアムさんに当てたんだ…! 僕はイッドの残酷さに身震いしながら、床を走る邪悪な紋章を見つめました。プクリポの禁術とも言える魔法陣で、最も強力な魔術の一つです。
 今にも落ちるお父さんの命を受け止める為、大風車の術が起動したんだ…!
「二人共、押しつぶされちまって自力じゃ退ける事が出来ねぇのか! くっ…、この魔物共、どうして早く消滅しやがらねぇ…!」
 伯父さんが魔物達が折り重なった場所を必死に覗き込みます。持ち上げるにも鎧の魔物達は相当重いらしくて、伯父さんが力を込めても直ぐさま動きそうにありません。焦った様子で伯父さんは僕を見ました。
「俺はなるべく早く二人を助け出してみせる。その間、あの蜥蜴擬きを頼めるか? いや、やるんだ!」
「はい…!」
 皆を今、守れるのは僕しかいないんだ…!
 魔瘴の霧が舞い上がり、儀式の間を縦横無尽に駆けていました。僕はイッドの前に立ちはだかり、じっと敵を見たのです。
 恐いけど…僕は皆が死んでしまう未来の方が恐いんです。僕が勇気を出さなくては、予知しなくても皆が殺されてしまうって事くらい分かります。
 イッドは見下すように笑い、そして慇懃に畏まってみせたんです。
「これはこれは、ラグアス王子。プクリポの救世主として、私の前に立ちはだかるおつもりですか?」
 手は優雅な手付きで広げられる。両手の間に魔瘴の霧が集まったかと思うと、漆黒の玉の中からぼっと紅い火が灯ったのです。瞬く間に漆黒を呑み込み、真っ白に輝き熱をまき散らす。
 イッドはにたりと笑みを浮かべ、その長い舌に巻き付けた杖を振った。さぁ、危ないからお退きなさいと諭すように…。
「臆病な王子様、愚かな程に勇敢な王の死とプクランドの滅亡を見届けなさい!」
 儀式の間が白く染まる程のメラゾーマ。
 でも、僕は怯えたりしません。イッド、僕は知ってるんです。貴方が、火炎と爆風の呪文に長けているという事を…。
 僕は両手を突き出し円を描いて、一点の曇りもない鏡面を作り出しました。鏡面は全ての閃光を受け止め、まっすぐイッドに跳ね返ったんです!
 出来た…!
 自分が作り出したメラゾーマに衣が焼け、驚くイッドを見ながら僕は内心ガッツポーズを決めた。いっぱい、部屋で練習したんです。見張りの兵士が寝ている間にこっそり部屋から抜け出して、色んな魔導書を蔵書室から持ち出して勉強したんだ。いつか、お父さんと一緒に討伐に行けるようにって…!
「おのれ…こしゃくなぁ!」
 全身から焦げ臭い臭いを纏わり付かせ、イッドは狂ったように僕を見た。全身を震わせると、塔がびりびりと震えだす。空気が吸い寄せられ、一点に集まった魔瘴の霧はまるで漆黒のオニキスのように静かに輝きだした。
 マホカンタじゃ防げない強烈な力を感じ、僕の手は咄嗟に自分の腰にあった短剣に手を伸ばした。考える暇も無く短剣を掴んだ手が僕の指を切ると、つっと紅い血が流れ出す。落ちた血は黒で支配された床に、淡い日向の色と花の香りを穿ったのです。
 僕は自分じゃない誰かが、身体を動かしているような気がしました。
 予知して来た未来が、未来の為に重ねられた過去が僕の傍に駆け寄って、運命の言葉を叫べって急き立てています。
 僕は吹き出す魔瘴と、収束する力に精一杯抗って叫んだ!
「僕は勇敢なるプーポッパン王と、その妻アルウェの子、ラグアス! プクランド大陸に落ちし全ての王の魂よ、恵みを齎し幾億の花を咲かす守護神の加護よ、僕の声と血に応えよ!」
 手を振りかざして飛んだ血が、ぱっと黒を退ける。星のような小さな輝きがすっと大地に染み込む水のように消えると、波紋のように床の紋章がプクランドの大地の色に染まったのです。何処までも続く草原の緑。鮮やかに咲く花々の色。光の川の黄金。人々の行き交う街道と石畳。荒野の砂塵と海の蒼。
 光はぷくりと泡立つと、次々と芽吹きました。優しく輝き匂い立つプクランサフランの花畑。花畑の隙間から瞬く間に成長し、塔の天井に真っ青なプクランドの空の光に染める大木。
 小さくても凝縮された僕達の大陸。その中に輝くプクリポの姿が何人もいました。年老いた優しそうなおじいさん、冗談が大好きそうな笑顔が素敵なおばさん、身軽で活発そうなお姉さん、気恥ずかしそうな笑みを浮かべる騎士風のお兄さん、僕と同じくらいの子供までいます。その誰もが時代は違うけど王族の纏う衣を着て、王冠を戴いていたのです。
 僕は直ぐ分かりました。みんな、この塔で儀式を行って命を捧げたご先祖様なんだ…!
 そしてご先祖様の一番奥。そこに、長い髪を無造作に流した魔導師風のプクリポがいました。彼は鈴の音を優雅に響かせながらリュートを取り出して、周りの王達を見回し頷いた。凛々しい瞳で僕を見て微笑む。
 王達は凛とした声で宣言したのです。年齢も時代もさまざまな王の声が、リュートの音と共に響き渡る。
『我が子孫よ。今こそ未来の為に力を貸そう…!』
 凍り付く澄んだ音が、大風車の音すらも掻き消す程に断続的に鳴り響く。イッドが放とうとしたイオナズンの力が、片っ端から凍り付いているんだ。僕が元々唱えようとしていたヒャダルコの力が、ご先祖様の力で増幅されてマヒャデドスと同等のレベルまで引き上げられていたんだ。
 音楽のように鳴り止まない音と共に氷の花々は侵蝕し、ステンドグラスの輝きに七色に輝いた。さっきまで見ていた光景がそっくりそのまま氷になったみたいだ…!
「マホトーン…? いや、違う! 何なんだこの力は…!」
 驚いている間に、イッドの身体にも氷の花は侵攻する。もはや身じろぎ一つでイッドの肌を切り裂き、吹き出す魔瘴の霧も花に触れた傍から凍ってしまう。不思議だけど、僕は全然寒くない。
「待たせたな…」
 肩に誰かが触れました。
 僕が振り返るとそこには、お父さんと伯父さんとルアムさんが居たんです。
 僕の前に進みでた伯父さんは、目の前に広がる氷の花々や大木を見上げて嬉しそうに呟きました。きゅっと目深に紺色の帽子を被り直すと、ばんばんと隣に立つルアムさんの背中を叩きます。
「なかなか良い舞台じゃねぇか。ルアムの相棒の方、行くぞ!」
「はい、団長さん。任せてください!」
 叩かれたルアムさんも、爪を固定するベルトをキツく締め直しながら応じた。
 二人は軽やかに氷の大地に飛び出すと、瞬く間に氷を削りだした。伯父さんのキラーピアスが振りかざされると、大木の枝が見る見る剪定されていきます。ルアムさんも縦横無尽にタイガークローで花々の花弁を次々と散らして行きます。
 伯父さんがルアムさんに合図を送ると、二人はイッドを挟む位置に降り立った。二人は風の力を呼び込み、呪文を唱える為に身構える。そして伯父さんの良く響き渡る声が、儀式の間に轟いたのです。
「目ぇかっ穿じってご覧あれ! 新演目、ダイアモンドダスト!」
 バギクロスの風に巻き上げられて、氷の破片はキラキラと美しく輝きながらイッドに襲いかかった! 輝きはイッドの姿も傷から吹き出す魔瘴の煙すら掻き消し、戦闘中なのは分かるけど魅入っちゃう程綺麗に輝いたのです。
「ラグアス」
 振り返るとお父さんが僕の前に立っていました。お父さんは、思わず視線を逸らそうとする僕に言ったのです。
「バイキルトは使えるか?」
 僕は慌てて頷いて、そっとお父さんにバイキルトの呪文を掛けました。でも分かるんです。バイキルトの呪文に乗って、ご先祖様の力がお父さんにも流れ込んで行くのが…。お父さんは静かに深呼吸すると、僕の頭を優しく撫でてくれました。
「良く見ておきなさい。私が生み出した、メギストリス流剣術最強の技というやつだ。」
 ちょっと照れくさそうに微笑むと、お父さんが飛び出した。
 伯父さんが頃合いを見計らって呪文を止めると、氷の嵐が突如晴れてイッドの姿が現れる。イッドは驚きながらもすかさず、お父さんに火炎の呪文を放とうとしました。氷達が噛み付くように火炎に群がるが、お父さんとの間が短くて氷達は火炎を封じる事が出来ない。
 炎がお父さんにぶつかる直前に、お父さんの目の前に小さいけれど光の鏡が現れる。僕が発動させたマホターンの光は、跳ね返すまでは行かないけれどメラミの炎を遮る事が出来たのです。
 お父さんの口元が笑ったのが、僕からもはっきりと見えた。よくやったぞって、褒めてくれてるって分かるんです。
「さらばだ、イッド。手折られた花が直ぐ枯れぬ事を知らなかった事が、お前の敗北の原因だったのだ」
 お父さんの両手の剣が雷の光を帯びて、流星のように尾を引き始めた。片手剣最強の技ギガスラッシュの光が、瞬く間に何度もイッドに襲いかかる。その軌跡が大輪の花のようです。そして、剣を宙に放り上げ大剣を振り上げると、渾身の一撃を花弁の中心、イッドの眉間に振り下ろしたんだ!
 イッドの断末魔の叫びが、大風車のステンドグラスが割れそうな程に震わせたのです。
 イッドは力なく床に崩れ落ち、その前にお父さんも着地して膝を折りました。
 僕は不安になってお父さんに駆け寄って支えると、お父さんの身体が重く寄り掛かってきました。
「お父さん!」
 荒い息で苦しそうでも、お父さんはイッドから視線を逸らさない。
 イッドは笑いながら自ら沸き上がる魔瘴の霧と、氷の下で消える事のない漆黒の術式を見ていました。そして敬意を表すように、イッドはお父さんに頭を垂れたのです。
「お見事です、流石、私が仕えるに値する君。しかし、討伐隊の者の血で穢れた儀式の間で王が命を落とせば、プクランドを救う筈の命は強力な呪いの源となって行き渡るのです。王よ…私は一足先に地獄へ行っております。貴方もプクランドを滅ぼす原因となって、直ぐ再会出来ましょう」
 ふふ。イッドは弱々しく笑って僕を見た。
「プクランド大陸を救う事と、王の命を助ける事。二つの願いを、王子、貴方はノートに書き込む事ができるかな?」
 イッドはそこまで言うと、魔瘴の霧となって跡形も無く消え去った。
 儀式の間が不気味な振動に震え、魔瘴の霧が漆黒の魔法陣から絶え間なく溢れている。
 言い様のない不安が、この時 誰の胸にもあったのです。僕が予知するまでもなく、お父さんの命が儀式の間に落ち、プクランドに魔瘴の嵐が吹き荒れる事を誰もが理解したのです。
 僕はお父さんを抱きしめて、来てしまった未来に震えるばかりでした。
「ラグアス…」
 僕の手を冷えきった大きな手が包み込んだ。お父さんのか細い声が、僕の頬に蝶の羽ばたきのように触れます。
「頼む…プクランドを救ってくれ」
 僕は手にノートを持っている事に気が付きました。そうだ、このノートは運命を変える事が出来る…。
 素早く漆黒で何も見えない表紙を開き、初雪のような頁を開いた。ノートからふわりと光が沸き上がって、ノートを持つ僕の手に七色に輝く羽で出来たペンが舞い込んだ。僕は驚く程軽い羽ペンを握り、素早く書き込んだ。
 プクランド大陸を救って…!
 ノートが輝くと、その輝きは閃光のように儀式の間を突抜けプクランドの暗い空を駆け抜けた。青空のように輝く空を見て、僕の視界の前に様々な未来が溢れ出してきました。魔瘴の霧を抜けて見えたのは、沢山のプクランドの民の幸せな未来だったんです。僕は魔瘴の影が跡形なく払われ、プクランドから消えたのを知りました。
「魔法陣の輝きが変わったな。どうやら、もう大丈夫みてぇだな」
 伯父さんが安心したように言う声が聞こえました。
 僕は輝く未来に眩んだ目を閉じながら、プクランドが救われたのが分かったんです。
 そして静かに目を開けると、お父さんも安堵した息を零しながら外の様子を感じているようでした。もともと冷たかった身体が、徐々に力を失って重くなっていくのが分かるんです。お父さんが死んでいく。僕は、それが辛くて嫌で、ぐっとお父さんを抱きしめた。弱々しい心音が今にも止まってしまう事を、阻む事が今の僕には出来ない。今の僕が見える限りでは、どうしてもお父さんが助からない。
 お父さんを助ける為には…こうするしかない。僕は開いたノートを見た。
「やっぱり、お父さんは死んじゃいけない…」
 羽ペンを持つ手が、突然握りしめられた。
 お父さんが僕の手をしっかりと握って離さない。これじゃあ、ノートに願い事が書けない…!
「手を離して、お父さん!」
「どうして言う事が聞けないんだ、ラグアス!」
 僕の言葉をお父さんの怒鳴り声が遮った。お父さんは痛くなる程に手を強く握りしめて、僕の目を覗き込んだ。
 お父さんは最後の命を燃やし尽くして、戦士の意地で命を留めていたのです。僕に願い事を書き込ませまいと、迫り来る死を打ち据えて払い、それでもどうにもならないもどかしさに折れる心を強い意志が支えている。お父さんの瞳の中に映る僕が大人になって、『あぁ、あの時、お父さんを支えていたのは、父としての愛だったんだ』と呟いた。
 やめて! 僕にお父さんの死がある未来を見せないで…!
「俺は…プクランド大陸より、お前の命の方が大事なんだ! お前が俺を守りたい以上に、俺がお前を守りたいってどうして分からない!」
 伯父さんがハッとしたように、お父さんを見た。
「プーポ…」
 お父さんは僕からノートを奪い取ると、苦しそうに立ち上がった。拳を握りしめて今にも襲いかかる死を振り払いながら、怒りにも似た激しい感情を僕にぶつけてきます。プクリポの王でありながら、プクリポ本来の気性とは全く逆の激しさを持つプーポッパン王の姿がそこにあったのです。
「どうしようもなく馬鹿な俺が、親父とグロズナー陛下の言葉をようやく理解する事が出来たんだ! 俺の為に生きてくれ、ラグアス! それが俺の願いだ!」
 お父さんの激しい言葉に、僕の心は強く反発した。お父さんに飛びかかり、そのまま押し倒す!
「嫌だ! 僕は嫌だ!」
 叫んで力を込めて僕はノートに手を伸ばす。僕の手にふわりと虹色の羽ペンが舞い込んだ。
『ノートさん! お願い!』
 不意に、女の人の声が響いた。
『ラグアスが3つ目のお願いを書こうとしたら、ノートさんは消えちゃって!』
 ノートが突然閉じて、鳥のように舞い上がった。はらはらと表紙から抜け落ちる頁が、さらに細かくなって僕とお父さんの上に降り注いだ。その光は一人の女性を形作ったのです。綺麗な黄緑掛かった金髪の長い髪に、ぱっちりとした瞳。笑顔が素敵で、とっても温かくって、僕が大好きな…お母さんの姿…。
「お母さん…!」
 僕の声にお母さんは嬉しそうに笑った。
 お母さんはにっこりと伯父さんに微笑み、ルアムさんにおちゃめな会釈をしてみせた。そして膝を着いてお父さんにそっと口付けをすると、お父さんは驚いてお母さんを見た。お父さんはさっきまでの苦しさが嘘のように軽やかに立ち上がり、お母さんのおでこにそっと口付けをした。
 すっと儀式の間に朝日が差し込んだ。僕達の影が長く伸びる中、お父さんとお母さんは曙色の光に融けそうになっている。
 お父さんの優しさが、お母さんの温かさが、僕を包み込んだ。
 もっと見たいのに、感じていたいのに、姿が見えない、遠ざかってしまう…。
『ラグアス…愛してる…』
 二人の言葉は解け合って、僕の中に染み込んだ。

 ■ □ ■ □

「じゃあ、俺は行くよ。世界中を旅して、料理の腕を磨くのも悪かねぇ」
 メギストリス城の最上階のテラスで、伯父さんは軽やかに会釈してみせました。
 手に持ったトランクも、ナイトマリーに染まったスターコートセットもそのままです。少し前に懐に大切に仕舞った大地の箱船のチケットは、隣国ウェナ諸島の都市ジュレットへ向かうものです。
「団長。オルフェアに戻らないのか?」
 ルアムさんが心配そうに言うと、ナブレット伯父さんが笑い飛ばした。
「どの面下げろってんだよ、ルアム。誘拐犯で大変な時に町放ったらかして義理の弟を優先しちまった俺が、今更戻れる訳がねぇだろう」
 くすっ。
 僕は思わず笑ってしまいました。少し先の未来が見えてしまったものですから。僕が笑った事に伯父さんが訝し気に見るものですから、僕は伯父さんの後ろを指差しました。
 わーーー!
 わらわらと伯父さんの周りを囲い込んだのは、オルフェアの子供達です。
 伯父さんが驚く暇も無く、子供達は次々と伯父さんに飛び掛かった。誰かが投げた奇術の煙幕がもくもくと沸き上がる中で、伯父さんが『誰だー! 脇は止めろーー!』と笑い声混じりに悲鳴を上げる。戯れ合う子供達の歓声が、テラスいっぱいに響き渡りました。
 煙幕が消えると、そこには真新しいピンクのスターコートセット一式に身を包んだナブレット団長の姿。子供達は伯父さんを囲んで『だんちょうだー!』『やっぱ、こうじゃないとねー!』と騒ぎながら手を叩いた。
 げほげほと噎せながら、伯父さんは自分の姿を見下ろしました。
「おいおい、なんだこれ。新品のスターコートセットじゃねぇか。しかも寸法がオーダーメイドってくらいぴったりだぞ」
 オルフェアの人達が家に残されたコートの寸法を測って、ジュレットの裁縫ギルドに依頼を出していたんです。僕も随分昔に予知したので忘れていました。
 黄色い毛に耳先だけが茶色の子が、ぴょこりと伯父さんの前にやってきました。サーカス団員の服に身を包んだその子に、伯父さんは苦々しく言ったのです。
「悪ぃな、プディン。俺は、もうオルフェアに戻る気がねぇんだ」
「ううん。良いんだよ、団長さん。僕達も団長さんに戻ってもらうつもりで、来たんじゃないんだ」
 首を振ったプディンって子の言葉に、伯父さんは首を傾げた。次の瞬間、子供達が伯父さん目掛けて群がったんです。
「僕達、団長を誘拐しに来たんだー!」
「サーカス団のテントに、閉じ込めるんだ!」
「おいしいケーキ、毎日作らせるんだ!」
「大人しくしないと、くすぐるぞー!」
 可愛らしい声が告げる衝撃の言葉。伯父さんは驚き慌てて空中一回転を決めると、子供達を飛び越え軽やかに城中に着地した。伯父さんはにやりと笑って僕達に手を振った。
「お前達みたいな尻尾がマシュマロのガキ共に、誘拐されてやる訳ねぇだろ! あばよ! ルアム! ラグアス!」
 まてー!
 城の中に駆け込んで行った伯父さんを、子供達もわらわらと追いかけた。最後に残ったプディンって子がぺこりと頭を下げると、伯父さんを追いかけて駆出して行った。
 僕には見える。あのプディンって子が伯父さんの大地の箱船のチケットを、ジュレット行きからオルフェア行きにすり替えたのを。そして伯父さんは慌てるあまりに、提示したチケット通りに駅員が案内したオルフェア行きの列車に乗ってしまうんです。安心して一眠りした伯父さんを迎えるのは、伯父さんを必要とし待ち望んでいるオルフェアの人々の笑顔です。
「あーあ。プディンが盗賊になっちゃうんじゃないかって、相棒が心配してらぁ」
 ルアムさんが明るく笑いました。しかし、その笑みはぴたりと止んだ。
「オイラ……プーポのおっちゃん助けられなかった。おっちゃんとラグアスを、仲直りさせてやりたかったのに…助けらんなくてごめんな」
 ぐず。一つ鼻を啜ると、ぼろぼろと大粒の涙が零れだした。ルアムさんは必死に涙を拭うけど、涙は次々溢れてきて止まらない。
「ごめんよ。ごめんよ、ラグアス。ラグアスの方がずっと悲しいのに…オイラが泣いちゃって…」
「大丈夫だよ、ルアムさん。僕、知ってたから悲しくないよ…」
 僕は言ってから、どきりと心臓が止まるかと思いました。
 僕がお父さんを怒らせた言葉を、ルアムさんにも言ってしまったからです。
 お母さんの死を悲しむお父さんに、僕は予知していたから悲しくないと言ったのです。その言葉にお父さんは怒って、僕は部屋に引き蘢ってしまったんです。
 ルアムさんはキッと鋭い目つきで僕を見ました。怒ってる。僕はお父さんだけじゃなくて、ルアムさんの心も傷つけてしまったんだ!
「うそつくなー!」
 ルアムさんは僕を押し倒すと、首根っこに腕を回してわんわん泣き続けました。
「うぅ…。オイラ、いっぱい泣いたら ちゃんと笑うから…ラグアスもしっかり泣いとけよー! やせ我慢したら笑えないぞー! おっちゃんが死んで悲しいよー! おっちゃんともっと仲良くしたかったよー! 全部一人で抱えてないで、もっとオイラを頼って欲しかったよぉ! うわあああああぁああん…!」
 ルアムさんの涙が雨のように降り掛かります。暖かくて、塩っぱい雫。
 お父さんが怒ったのは、一緒に泣いて欲しかったんだ。一緒にお母さんの死を、悲しみたかったからなんだ。それなのに僕は悲しくないって言って、お父さんを傷つけてしまったんだ。言いたくもない言葉を僕に言って、お父さんはもっと傷ついてしまった。
 そして、笑えなくなってしまったんだ。
 それに気が付いた時、僕はとても悲しくなった。お母さんが死んだ時の分と、お父さんが死んだ時の悲しみ両方が押し寄せて来た。
 僕は両親を殺してしまったんだ。僕に3つ目の願いを書かせない為に、お母さんは死を顧みずノートに3つ目の願いを書き込んでしまった。僕に生きて欲しくって、お父さんは自ら死を選んでしまった。
 僕を…どうしてそんなに愛してくれるんだろう。僕に…生きろって…
「おとうさん…おかあさん…ごめんなさい」
 言葉にすると、涙が止まらなくなった。謝る言葉もどんどん意味が分からない言葉になって、ひゃっくりがでて、悲しみばかりふきだしてぐちゃぐちゃだ。
 僕とルアムさんは泣きに泣いた。
 笑う為に、いっぱい泣いた。