愛すべき隣人たちへ、この歌を贈ろう - 前編 -

「凄いな。あれほど巨大な虹を見たのは、初めてだ…」
 ルミラさんはきらきら目を輝かせて、巨大な虹を見た。その笑顔ったら目の前の虹にだって負けないよー。美人だなぁ。
『イサーク、鼻が落ちてもアタシは拾えないからね』
 もー、分かってるよレディ。僕は美人を見ると、心を奪われて魅入っちゃうんだよー。
 ルミラさんは炎と戦士の一族、オーガの国からの旅行者だ。ジュレットの浜辺で釣りをしてたら、『写真を撮っていいですか?』って美人に聞かれりゃ、男たるものそりゃオッケーしなきゃ駄目でしょ。今はルミラさんと、ウェナ諸島の写真スポットを巡ってる所。
 アルバイト?
 オーナーも男だから『美人の頼み事は断っちゃいけない』って理解してくれてるからね。ぜんっぜん問題無しー。
 ブーナー熱帯雨林の豪雨に洗われて雲一つない真っ青な青空に、オーガ特有の赤い肌が映える。彼女の髪はサラサラのプラチナブロンドで、それが黒鉄の鎧で凄く綺麗に輝くんだよなぁー。鋼の大剣もゴツいけど、ルミラさんのぼんきゅっぼんボディーで逆に似合っちゃうよ。お洒落に五月蝿いレテリオさんが手放しで褒めちゃうのも、わかるなぁー。
 ルミラさんは虹を一頻り撮り終えて、満足したみたい。嬉しそうに微笑んで俺に振り返った。
「ありがとうイサーク。今回の土産は一際華やかになりそうだ。友人も喜んでくれるに違いない」
 がっしり掴んで来る手の強さは、マジで女性とは思えない。でも一流の戦士だろうと、女性が喜んでるんだ。ウェディの男子としてこれ以上誇らしいもんはないよ。
 僕も笑うとルミラさんはカメラを仕舞い始めた。
「では、野営地に戻ろう。この写真を友人に送る為に、手紙を書きたい」
「参りましょう、お嬢さん」
 俺が慇懃に畏まると、ルミラさんは笑った。
「自分みたいな無骨な女に、媚を売っても損だぞ」
 高温多湿の熱帯雨林は、じっとりと熱と水気を含んだ空気で満ちている。その空気の中で滞在していると、否が応でも汗をかく。あぁ、ルミラさんの首筋から胸元が汗で薄ら照っていて、胸元の谷間に吸い込まれる流星の輝きったら眩しいったらありゃしないなぁー。
 目の保養…。むぐぐ。首が苦しい。
 首から背中に引っ掛けた、レディ・ブレラを留めている紐が締まるんだ。僕は不満タラタラに背後に声を掛けた。
「なんだい、レディ?」
『悲鳴が聞こえたよ。こっちに向かって来る』
 悲鳴?
 僕はレディ・ブレラを深々と被ると、既にルミラさんは大剣を引き抜いて構えている。彼女の背中から見える鮮やかで深い緑のモザイクからは、相変わらずざわざわとした鳥や魔物達の鳴き声しかしない。すると…
 きゃぁああああああ!!
 絹を引き裂くって感じの乙女の悲鳴。これは心底恐ろしい思いをしている、若い女性の声だ。必死過ぎて息継ぎも侭なら無いんだろう、喉が引き連れて空気を細かく揺さぶり貫くように遠くまで響いている。そしてずしんずしんと、地面を揺らす重低音。僕は思わず足を踏み替えた。
「何だぁ!?」
「助けてくださぁあああい!」
 涙を振り撒きこちらに向かって来るのは、ウェディの女の子だ。細身な身体をこれまたタイトな奇術師の服装で包み、ショートヘアを振り乱している。しかし、彼女の後ろに切り取られた黒い影。テラノライナーが大口開けて、逃げる彼女を追いかけている!
 乙女のピンチ! 一大事だ!
「レディ!」
『まかせな!』
 レディ・ブレラの力を感じながら、僕は高らかにヒャダルコの呪文を唱える。これだけの湿度の場所だ。空気中の水分が凍り付き、夥しい鰯の群れに凝固する。僕の歌う声に導かれ、更に生み出されるは中ぐらいのシャチ。鰯の群れが逃げ出し、地面に身を投げ出した女性とテラノライナーの間に飛び込んだ。足を留めたテラノライナーに噛み付くように、シャチが体当たり!
 うん!我ながら生きの良いヒャダルコだなー!
 頭をもたげる巨大な竜の横っ面を、ルミラさんの鋼の大剣が引っ叩く。会心の一撃に吹き飛んだテラノライナーは、横の崖を落ちて川に流されていった。
 その哀れな姿は女性に振られた同族と重なり、俺は手を合わせて溺れない事を祈るのだった。
「大丈夫か?」
 振り返るとルミラさんが、ウェディの女性に声を掛けていた。えぐえぐ嗚咽を漏らしてとても可哀想だけれど、ぱっと見 怪我は見つからない。怪我が無いようでなによりだ。俺が歩み寄っていると、彼女が逃げてきた方向からウェディの男が掛けて来るのが見えた。
「キャスラン! 大丈夫か!」
 僕はぴーんと来たね。
 この男はキャスランって逃げてきた女性の連れなんだ。女の子放ったらかして、後から来るなんてサイテーだな。
 僕はキャスランちゃんと、身成が少し良さそうな剣士の兄ちゃんの間に立って男を睨みつけた。
「とにかくさ、キャスランちゃんは命辛々逃げてきた感じだし、少し休ませてあげようよ。密林の休憩所が、割と近くにあるからさ」
 僕の言葉に男はがっくりと肩を落として『その通りだね』と呟いた。男のくせに情けない奴だなぁー。

 密林の野営地に戻る頃合いに、丁度嵐がやってきた。天の蓋が取れたような猛烈な土砂降りに、びかびか稲光と至近距離の落雷。キャスランちゃんは雷が落ちるたんびにきゃーきゃー可愛らしい悲鳴を上げて、全く動じる気配もないルミラさんに抱きつくんだ。
 女子の友情って感じ? 微笑ましいよねー、可愛いなぁー。
 僕はちょっと頬を緩めたけど、気を引き締めて振り返った。罪悪感に項垂れるキャスランちゃんの仲間は、僕の視線にバツが悪そうに視線を外した。
「あのさぁ、あそこら辺がテラノライナーの縄張りだって事、ウェナ諸島の北方を旅する旅人の常識だよ。ヴェリナード王国が『ココから先は危険』って立て札立てられないから、皆注意しあってる筈。君も立ち入るまでに沢山の人に注意されたんじゃない?」
「あぁ、擦れ違う旅人は皆 忠告してくれた」
 呆れた。僕は思わず目を細める。
 旅人達のネットワークは、互いに安全に旅出来るように声を掛ける事で成り立ってる。擦り違う時に挨拶、そしてこの先の注意事項を告げてくれるんだ。危ない魔物の生息地、崩れてしまった橋や道、天候で川が増水したりって情報もくれる事がある。どれもこれもが最新の生きた情報だ。酒場のカウンターで聞く噂の何倍も価値がある。
 この男の人、旅慣れてないんじゃないの?
 僕は目の前の男をしげしげと眺めた。
 剣はやや大振りの片手剣。背丈も高くて元々整った容姿の多いウェディだけど、彼は1つ飛び抜けて美形だと思う。バランスの取れたしなやかな筋肉を纏っていて、顔は甘いマスクのやや細面だ。
 身に纏っている装備はなかなかの上物。僕みたいなラベンダー鈴蘭で染め上げた、薬師のローブと比べちゃいけない。高そうだし丈夫そうだし魔力も帯びてる気がする。裁縫を少しやってるから分かるけど、素材も一級品を使ってるみたいで僕も作れるか自信が無い。
 見た目はヒュー君みたいに実力がありそうだけど、旅人達の情報を無視するなんてミスは初心者でもしない。
「ねぇ、あの辺りに用があったの? 南側は確かに密林の野営地の近道だけど、テラノライナーやギガンテスの縄張りでとても危険なんだよ。彼等は気配に聡いから必ず気が付いて襲って来るし、川が流れて道も狭いから逃げ場もない。熟練の旅人だって安全の為に大きく北を迂回して、ここにやって来るくらいだからね」
 男は僕を見て言った。
「キャスランを危険な目に遭わせた事は申し訳なく思っている。だが、僕達はどうしても南側にある遺跡に向かわなくてはならないんだ」
 僕が納得してない顔で見てたからか、彼は小さく溜息を吐いて振り返った。
「キャスラン、僕達が目指す遺跡について彼等に説明してあげて欲しい」
 呼ばれたキャスランちゃんは、ルミラさんと一緒に僕達の傍に寄って来た。細身の彼女はオーディス君の横に畏まると、正座するように礼儀正しく座って話し始めた。
「私達はとある高貴なお方を救う為に、『刹那の歌』を求めているのです。刹那の歌を習得する為には、ブーナー熱帯雨林の南にある詩歌の遺跡へ行く必要があるのです」
 そしてキャスランちゃんが僕達をじっと見て、徐に立ち上がった。
 僕もルミラさんも何事かと彼女を見上げる。
 次の瞬間、徐にキャスランちゃんは踊りだした。なんかもう、絶句するようなセンスの無い踊りだ。酒場で様々な国の踊り手の舞いを見てきた僕だったが、そのどれにも当てはまらない。大きくがに股に開いたと思えば、天を支えるように腕を上げ、首がカクカクと小刻みに揺れる。フィナーレなのかびしっと決めたポーズでさえ、女性に最高に優しいウェディ男性でさえお世辞も出ない程にダサイ。
 ルミラさんが大事に手入れしていたカメラが音を立てて手から落ち、僕も真ん丸くした目の下で空いた口が塞がらない。彼女を連れている情けない彼でさえ、眉根に皺が寄っている。いやいや、君の連れなんだから注意しようよ。
 キャスランちゃんは何事も無かったかのように、再び座って凛とした声で告げた。
「王子、私の占いによれば彼等も彼女を救う協力者であるようです。詩歌の遺跡に共に行くよう、助力を求めましょう」
「そうなのか…」
 男は思案した表情で呟くと、僕達をじっと見た。
「僕はヴェリナード王国の王子。オーディスだ。一緒に詩歌の遺跡に行ってはくれないだろか?」
 あ、あぁ。いいよ。僕もルミラさんもコクコクと頷いた。なんか色々重要な内容があったと思うけど、僕達は未だにキャスランちゃんの踊りのインパクトに圧倒されてまともに思考が付いて行かないのだった。
「あの踊りは占いに必要なのか?」
「分かんない」

 ■ □ ■ □

 詩歌の遺跡はウェナ諸島では有り触れた鍾乳石の洞窟だ。この洞窟は相当古くからあるらしく、天井が遥か高くにあって鍾乳石はウニの棘みたいにびっしりだ。ぽたんぽたんと鍾乳石から滴る水滴が、遠く低く音楽を奏でてまるで洞窟が歌を歌っているよう。ウェナ諸島でも最高の音楽をひっそりと奏でる遺跡を、王国は『詩歌の遺跡』と呼んでいた。
 勿論、一般的な住人達はこの遺跡の名前なんて当然知らない。
 僕達ウェナ諸島で料理に携わる者達にとっては、あそこのキラークラブは身が引き締まって美味い穴場スポット程度だ。王立調査団と王国の許可無く立ち入っちゃいけないんだけど、入り口を徹底的に封鎖しないと無理な話なんだよ。僕達、料理の食材で美味しい物があるなら例えドワチャッカの砂漠のド真中だろうが、オーグリードのブリザードのザラキ合唱の響き渡る雪原にだって足を運ぶんだからさー。
 ルミラさんはゴツいカメラを構えて、シャッターを切る。
 本当はヴェリナード王立調査団が公開発表をしないと、写真等の外部資料をウェディ以外の種族が持ち出す事を禁じているんだ。だけどオーディス君はルミラさんに比べれば弱いし、何も文句も言えないだろう。文句を言わないなら、綺麗なお姉さんをジト目で見ないで欲しいんだけどなー。
 だが、オーディス君はこの遺跡にはもっと重要な役割があると告げた。
「これを見てくれ」
 点在する陸地には、苔むした石碑が建っている。元々、何か石造りの建物があったのかも。煉瓦や意思の残骸に包まれ、砂の上に座った石碑には苔に隠れながらも文字が顔を覗かせていた。何度もキラークラブを調達する為に来たけど、石碑は破壊されたものや文字が見えなくなったものも多かったから気にした事もなかったや。
「これは古きウェディの詩だ」
 僕が顔を寄せて眺めると、成る程。昔からある童謡の一部が見えた。隣からルミラさんが覗き込んで、首を傾げた。
「どんな詩なんだ?」
「これはね、揺りかごの歌ー。ルミラさんの為に歌ってあげるねー」
 僕がヘラリと笑うと、静かに歌い始めた。寄せては返す波を、甘い潮風に擦れるヤシの葉を、淡い月の輝きと星々の見守る様を、声色に載せて響かせる。言葉は瞼を閉じる赤子に囁くように優しく、眠りの中の夢の幸いと、明日の希望を歌い上げる。
 流石、洞窟だから抜群に音が響くのね。
 チャンプスターやキラークラブが大欠伸。コープスフライやドラゴンゾンビが、ちょっと浄化しかかってるのか透けてるや。
 歌の余韻が消えて、水滴の音楽団が戻って来るとルミラさんは拍手をしてくれた。
「素晴らしいな、イサーク。とても素敵な歌だった。オーグリードに来たら、是非友人にも聞かせてやって欲しい」
「勿論、ルミラさんのお願いなら喜んで」
 僕が慇懃に畏まってみせると、ルミラさんは苦笑した。大袈裟な…と頭を軽く叩いてくる。
 いてて。オーガ女子で手加減されてても、かなり痛いぞ。
「この遺跡には特別な詩が残っている。歴代女王が3つの重要な歌を学ぶ場所がここなんだ。俺は、その歌を俺は学びにきたんだ」
 オーディス君の決意に満ちた声に、俺とルミラさんは顔を見合わせた。その頭上で、レディ・ブレラが呆れたように言った。
『王子様が女王の歌を歌うのかい? 王族なら男女の差も無く歌えてたんなら、女王体勢が今も続いちゃいないと思うけどね。あんまり無駄な事はしない方が良いんじゃないかい? 剣の修錬でもするんだね』
 レディの言葉にルミラさんは深々と頷いた。
「他国の事情に口を挟むべきではないが、テラノライナー程度に苦戦するのでは民を守れぬぞ」
 いやいやいや、テラノライナーぶっ飛ばせる王族なんか…いや、いっぱい居るや。オーグリードの2国の王様は勿論、エルフの王様も強いって噂だし、最近亡くなったプクリポの王様なんか『プクリポの皮を被ったオーガ』って言われてるくらいだったしなぁ。
 それにディオーレ女王様の旦那様、オーディスのお父さんはあのメルー公爵だ。ウェナ諸島最強の魔法戦士と海外にも名を轟かせた英傑なんだ。剣を学べないのには、何か理由があるのかもな。
 目元を吊り上げ顔を赤くするオーディス君の前に、キャスランちゃんが飛び出した。
「オーディス様はとある方を助けたい一心なのです! そのように仰らないでください!」
 剣のように鋭い真剣な声。オーディス君はキャスランちゃんの肩に、そっと手を置いた。
「良いんだ、キャスラン。僕が頼りない王子である事は、間違いないのだからな」
 寂しそうに目を伏せたオーディス君に、ルミラさんが申し訳なさそうに言った。
「口が過ぎたような。すまない」
「気にしないでくれ。悪いと思うなら、少し僕の話に耳を傾けて欲しい」
 先を歩きだし近い昔を語るオーディス君の声は、雫に混ざって洞窟内に低く響いた。
「占い師のキャスランが現れ、俺はヴェリナード王家がひた隠しにしている謎に触れたんだ。遥か昔、王家に連なる女性を、永遠の水に閉じ込めてしまった。母である女王も彼女の事に関わるなと、退けられてしまった」
 オーディス君は声に決意を込め言った。握りしめた拳のように、固い決意だと声は語る。
「僕は彼女を救いたいんだ」
 僕は少し腑に落ちない感じがしたけど、オーディス君が女の子を助ける為に頑張ってるんじゃしょうがないかな。

 詩歌の遺跡の一番奥に、ひっそりと苔むした巨大な石碑が建っていた。
「あれが女王の歌を記した石碑か…」
 オーディス君が駆け寄ろうとすると、ごごっと石碑が身じろいだ。そう、身じろいだんだ。
 だが、オーディス君は石碑の文字にばっかりに気をとられているみたい。駆け寄って文字をじっと見つめると、空気が動く気配に気が付いた。息を吸い込むような空気の流れ。この遺跡に満ちた歌の力、詩の思いがオーディス君に流れ込んでいるんだと思った。
「頭に詩が流れ込んで来る…」
 感動しているんだろう。オーディス君は感慨深く呟いた。
 だが、石碑の向こうにでっかい蟹のハサミがある。キラークラブでもあそこまで立派なハサミを見た事が無い。本来の甲殻の上には長い年月を物語って、フジツボも岩みたいに張り付いている。
 僕は慌ててルミラさんに目配せしようとしたけど、ルミラさんは既にキラーパンサーのように駆出していた。剣を鞘ごと背中から外し、渾身の力でオーディス君を鞘で吹き飛ばす…!
 成人ウェディが華麗な放物線を描いて、石碑からは十分過ぎる位置に落下した。ぐしゃって感じでちょっと嫌な音がする。ま、ハサミで首チョッキンされなかっただけマシだと思ってもらわないとねー。
 オーガ女子はやる事が大胆だなぁ! 惚れられたら、命が危ないね!
 本当はルミラさんの応援に直ぐに駆けつけてあげたいんだけど、一応、命の方が優先。僕はオーディス君の横に駆け寄った。
 ぐったりと床に倒れ込むオーディス君の横に、キャスランちゃんが駆けつけていた。でもキャスランちゃんは、どうしたら良いのか分からなくて手が泳いでる。
「うぅ、僕とした事が…。後は頼む…」
 全く、情けないなぁ。食材調達の為に魔物と戦わなきゃいけない僕だってしない油断だよ。
 野郎を回復するのは気が引けるけど、仕方がないホイミくらいは…ね。膝を付いてホイミの光がはらはらとオーディス君に降り掛かると、色男台無しにしていた表情が和らいで行く。僕は立ち上がると、キャスランちゃんに微笑んだ。
「キャスランちゃん。オーディス君を頼むね。僕等が負けちゃったら、直ぐ逃げる。いいね?」
「はい!」
 緊張した面持ちで頷いたキャスランちゃんから背を向け、僕はレディ・ブレラを深々と被った。
 キンッ!
 甲高い音が響いて、光が天井を舞う。
 舌打ちするルミラさんの手には、根元から折れた鋼鉄の大剣の柄の部分しか残っていなかった。少し離れた所に、ドスッって鈍い音を立てて大剣の刃が刺さった。
「なんて硬さだ…」
 僕達の前に石碑を背負った蟹がゆらりを立ち上がった。何度もルミラさんは切り込んだろうに、傷一つない姿。黄緑に光る瞳の間、口らしき場所から人の言葉ではない音が漏れる。その音は洞窟中に染み込み、地響きのように僕等に伝わった。
 詩を求める王族よ…。その力を示せ…。
 案内するし手伝っても上げようと思ってたけど、まさか丸投げされちゃうとはねー。
「ルミラさん! 剣貸して!」
 僕の叫び声に、ルミラさんは直ぐさま柄だけになった剣を投げて寄越してくれた。よく剣は戦士の命、剣を手放す事は敗北と同じって言うけど、彼女はそういう拘りは無いのかもね。とっても助かる。臨機応変って大事だからねー。
 僕は剣をそのまま水に浸けると、レディ・ブレラが呼吸を合わせてくれる。
『何年、あんたの相棒してると思ってるんだい。待たせるんじゃないよ!』
 全く、レディには敵わないなぁ。
 僕が微笑むと一気に剣を握り込む。唱えたのは極度に集中したヒャダルコ。広範囲に展開する技を剣に集中させる事で、びしびしと凄まじい音を立てて氷は成長する。渦を描き成長した尖った珊瑚は、沢山の泡を真珠のように抱き美しい剣の刃の代わりになった!
「ルミラさん、使って!」
 素手で戦おうとしてたみたいだけど、女の人なんだから怪我しようとしちゃ駄目だって。僕の投げて寄越した氷の刃を、赤い乙女が握りしめる。
 とたんに場の空気が冷たく冷え始めた。大剣にはフリーズブレードという大技があるんだ。ルミラさん程の戦士なら、氷の刃の効果を最大限に強くしたいはず。
 僕はレディ・ブレラを深々と被り直した。
「レディ!」
『イサーク、遅れちゃいけないよ!』
 彼女が剣を叩き付け、砕けた氷の破片達が次々と氷の柱となって蟹を取り囲む。氷の柱は尚育つ。僕はありったけの力を込めて、レディと共に叫んだ。
「マヒャド…!』
 頭が割れそうな程に甲高い音が洞窟を貫く!音に続くのはウェナには有り得ない吹雪、空中の凍った水分が輝くダイヤモンドダスト。綺麗なんて言ってる暇はない。僕達の国、ウェナ諸島は温かい地域なんだ。背びれが凍って歯が噛み合わない。意識が遠退きそうだ…!
 その凍った空気も強風から霧のように留まるようになり、僕は白い息を吐きながらゆっくりと目を開いた。
 巨大な氷柱に閉じ込められた石碑がある。流石にこれだけ分厚い氷に閉じ込めたら、どんな力自慢も動けないね。
 僕は詩の番人だろう古から在る蟹さんに微笑んだ。溶けるまで、ごゆっくり。