救いのない運命なんてない

 木の香りと吹き込んで来る桜の花弁。大工ギルドの頭領が導きだした美しい光が差し込んだ、とっても綺麗な建物だ。巨大な木造の建物の真ん中を貫くのは、大地の箱船の線路。オイラ達が居るのは、エルトナ大陸の王都カミハルムイ駅だ。
 旅人達でごった返す駅舎の隅っこの長椅子で、オイラとガノのじっちゃんとエンジュのねーちゃんが寛いだ様子で箱船の到着を待ってた。
 ねーちゃんなんて、長椅子に置かれた座布団の上に正座のエルトナエルフスタイルだぜ。オイラ、足がビリビリしちゃうから正座苦手なんだよなー。
 ガノのじっちゃんとエンジュのねーちゃんは、これからドワチャッカ大陸に行くんだって。
 オイラ達は次何処に行こうか、まだ考え中。
 とりあえず、二人の見送りしてから考えようかなぁ…って相棒と話はついてる。レンダーシア大陸はあの光が空を駆け巡った頃合いに、魔瘴の雲に覆われて立ち入る事が出来ないんだって。レンダーシアに渡れる唯一の巨大客船、グランドタイタス号の運行は未だに目処が立たないって噂だ。オイラも相棒もレンダーシアに行きたいけど、とてもじゃないけど行ける状況じゃねーんだよなー。
 足をぶらぶら。ドワチャッカ大陸方面の箱船を待っていると、エンジュのねーちゃんが声を上げた。
「あらあら、私ったら うっかりさん。ルアムに教ようと思った事があったんですわ」
「なんだぁ?」
 口元に上品に手を当て、エンジュのねーちゃんは困ったように微笑んだ。
「ルアムという人間の事が記された、古の文献があった事を思い出しましたの」
 オイラと相棒は顔を見合わせた。そんなオイラ達の反応を他所に、ねーちゃんは心地よい声で話しだした。
「私が学んだツスクル村は学問の名門。知恵の杜は古今東西のあらゆる知識が集う所。私はその書物を全て読んだ事もございますの。その中に、こんな伝説がありましたの」
 ねーちゃんは深呼吸を一度して、オイラ達をひたと見つめた。
「500年前、勇敢なる人の子ルアム。破邪舟師と共に偽りの太陽を落とせし」
 エンジュのねーちゃんは、更に説明するように言葉を続けた。
「500年前、世界は偽りの太陽に焼かれ、多くの人々が死に絶えた時代がありましたの。…あら、嘘だとお思い? 残念ですけど、各地に伝承が残っておりますし、500年前の地層が焼けこげている事は調査で証明されておりますのよ。5大陸合同調査の結果では偽りの太陽の温度は実際の太陽よりも高温で、移動速度も太陽よりも速かったのではないかと試算されておりますわ。ヒメア様がこの試算に対して概ね肯定されておりますから、偽りの太陽は…」
 ねーちゃん、長くなるのかなぁ。
 オイラが飽きてきたのが分かっちゃたんだろう。エンジュのねーちゃんは、1つ咳払いをした。
「とにかく、今は太陽がいくつもありませんでしょ? 誰かが意図的に生み出した偽りの太陽は、500年前にオーグリード大陸のランドン山脈付近で撃ち落とされ海に沈んだんですの。その時の太陽を落とした英雄が、グレンに居た破邪舟師とルアムという人間、あと同行者が2人いたらしいのですけれど…」
「曖昧だなー」
「私は文献にある事しか知りませんわ!」
 エンジュのねーちゃんが顔を真っ赤にしてカンカンに怒った。
 相棒がまぁまぁとオイラを背後から宥めて、ガノのじっちゃんが背後からねーちゃんの胸を揉もうとして顔面に裏拳が突き刺さった。がつんとか音がしたぞ。いたそー。
 ねーちゃんの細い拳を顔から引き抜いて、ガノのじっちゃんが呻いた。
「しなやかな枝で、力一杯ぶっ叩かれた気分じゃわい。いたた…。そう言えば、破邪舟師の一族がグレンに今も住んでおるはずじゃぞ」
 その時、駅舎に鐘の音が響き渡った。
 駅員達が声を張り上げて、ドワチャッカ大陸方面の箱船がじきに到着する事を告げて右往左往。荷物を持って立ち上がった旅人達に、駅員達が箱船が到着するので前に出過ぎないようにしてくださいと叫びだした。
 エンジュのねーちゃんが羽を羽ばたかせてふわりと立ち上がると、本人曰く服でパンパンに膨れ上がった手提げ鞄を持った。ガノのじっちゃんは実用品を無駄無く詰め込んだリュックサックを背負って、重たいハンマーを括り付けた腰をどっこらせと持ち上げた。
 ガノのじっちゃんはにやりと笑って、エンジュのねーちゃんは品よく頭を下げて言った。
「じゃあの、ルアム達。また、縁があったらな」
「短い間でしたが、有意義な時を過ごせましたわ。お二人とも、お元気で。ごきげんよう」
 オイラも相棒も二人にぶんぶん手を振った。
「ガノのじっちゃん、エンジュのねーちゃん、またなー!」
 そろりそろりと速度を落としカミハルムイ駅に到着した箱船は、真っ白い蒸気を溜息のように吐いた。開いた扉から沢山の旅人が吐き出されるように降りたと思ったら、旅人達が吸い込まれるように乗って行く。降車の乗客達が一段落すると、ガノのじっちゃんとエンジュのねーちゃんは箱船に乗り込んだ。席に着き窓越しに見る二人が、箱船に運ばれて見えなくなるまでオイラ達は見送った。
 降車した乗客達がぞろぞろとカミハルムイの城下町に流れて、駅舎の中は駅員以外はオイラ達くらいしか居なくなった。オイラは長椅子に座ると、隣に腰を掛けた相棒を見た。人間の子供の相棒は少し幼い顔立ちに、少し難しそうな表情を貼付けてる。
「相棒、次の行き先はグレンにしよーか?」
『いいの?』
 相棒が驚いたように青みがかった紫の瞳を瞬かせた。だってそーじゃん。レンダーシアにはまだ行けないし、グレンで噂の『ルアム』の事を知りたいって思うじゃん。
 オイラがにっこり笑って頷くと、相棒は涙ぐむ。
『ごめんね。兄さんの旅なのに、僕が我が儘言ってごめんね。最近、僕の村を滅ぼした恐ろしい奴の気配を、感じるようになってきたんだ。見つかったら、僕はきっと殺されちゃう。テンレス兄さんに会うまで、僕は死にたくない…』
 オイラがよしよしと頭を撫でると、相棒はぼろぼろ大粒の涙を流して泣き出した。最近、夜中になると相棒が怯えているのは知ってた。幽霊みたいだから眠くないらしいから、夜になるのが凄く怖いって零してたんだ。眠っている間にオイラの中に飛び込んできた事があって、その時はもの凄く寒くて毛皮が冬みたいにもっこもこになるんだよな。
 オイラは相棒が落ち着くのを待って、相棒が顔を上げた涙目に視線を合わせて言った。
「ルアムはオイラの相棒なんだから、我がまま言えよー」
 どばぁ。
 相棒から涙が溢れて、オイラに抱きつくようにしてわんわん泣き始めた。プディンで見慣れてたけど、久々にこれ程大泣きする奴見ると吃驚するや。
 でも、相棒をこんなにおっかない目に遭わせて、心底怖がらせて、こんなに泣かせて、なんて酷い奴なんだろう。オイラ、絶対に許さないんだ。相棒の故郷を壊して、家族も皆引き離して相棒を一人にして、そんでもって相棒も殺そうとしてるんだ。めーおーとか関係ないって賢者エイドスには言ったけど、今じゃ関係ありありだ。
「おやおや、大泣きして声が響いておるぞ。カミハルムイ名物 王都の桜餅を食べたら元気になるぞい」
 そう言って歩み寄ってきたのは、大量の箱を抱えたじーちゃんだ。つぶらな瞳に真っ白いローブ、背丈と同じくらいの両手杖。魔法使いか僧侶なのかな? 人間のおじーちゃんは、小脇に抱えた大量の箱の1つをオイラに差し出した。
 中身はぎっしり詰まったカミハルムイの名産品、王都の桜餅だ。桃色のお餅の中身がつぶあんで、白っぽいお餅の中にこしあんが詰まってるんだ。塩漬けした桜の葉っぱの鮮やかな色をアクセントに、お餅がつやつや光ってる。あぁ、甘い物を見ると涎が出ちゃう! プクリポの性だぜ!
 オイラは泣いている相棒の背を擦った。
「美味そう! 相棒、じーちゃんが桜餅くれるってよ!」
 あれ?
 オイラはふと気づく。
 相棒の姿も声も、基本的にはオイラくらいにしか分かんない。エンジュのねーちゃんは気配でなんとなーく分かっても、相棒が何を言ってるかまでは分からない。ガノのじっちゃんも幽霊が見える眼鏡を掛ければ相棒が見えるし、唇の動きを読めば大体言ってる事も分かるって言ってた。つまり、相棒の声は誰にも聞こえないんだ。
 オイラはくりんと顔を上げて、桜餅の箱を持ったじーちゃんを見上げた。
「じーちゃん、誰?」
 じーちゃんはにっこり笑ってオイラの口の中に桜餅を放り込んだ。このあんこの甘過ぎない上品さに、塩漬けの歯の塩気が本当に絶妙だよなー。餅の柔らかさに噛んだ瞬間ぱりっと弾けるような瑞々しい葉っぱのアクセント、口の中に広がるこしあんの滑らかさもつぶあんの豆の風味も甲乙付け難い。もう一つ食べちゃおう。
「…って、食ってる場合じゃねぇ!」
 ぐふぅあ!オイラのツッコミに桜餅のじーちゃんは桜餅を食べてる最中だったみたいで、胸をばんばん叩いた。苦しそうな背中にびしっとオイラは言った。
「じーちゃん誰だよ!」
「ワシか? ワシはアストルティアの全てを見知る放浪の賢者、ホーローじゃよ」
 なんかカッコ良さげなポーズを決めても、オイラも相棒もぼーぜん。ホーローのじーちゃんはこほんと1つ咳をした。
 ホーローのじーちゃんは、オイラと相棒の間にどっこらしょと腰を下ろすとにっこりオイラ達に笑いかけた。『賢者』って言ってたけど、あのおっかない目つきの賢者エイドスに比べたら全然優しそう。オイラも相棒もホーローのじーちゃんの為に席を開けてやると、じーちゃんは桜餅の箱を膝に大事そうに乗せた。それにしても、多いなぁ。
「相変わらず、王都の桜餅は絶品じゃわい。ワシは各駅の名物を食うのが、何よりの楽しみなのじゃよ」
 そう言えばナブレット団長が、オルフェア名物のアクロバットケーキを買い占める迷惑な客が時々来ると零してた。もしかして、このじーちゃんなんじゃね? 一人で食べるにはオイラ、ちょっと多過ぎると思うんだよね。
 ホーローのじーちゃんは相棒の方を向くと、優しく労るように髪を撫でた。
「どうじゃね? 落ち着いたかね?」
『はい。すみません』
 なぁに、謝る事は無い。ホーローのじーちゃんは口髭をもごもご動かして、相棒の頭を上げさせた。そしてじっと相棒を見る。
「そういえば、お主は恐ろしい存在の気配を感じると言っておったな。…ふむ、冥王ネルゲルの力が日に日に増しているという事なのじゃろう。早々に手を打たねばなるまい」
『知ってるんですか!』
 相棒が驚きのあまり大声を上げる。悲鳴に近い声と恐怖に引き攣った顔に、じーちゃんは少し真剣な様子で言った。
「勿論じゃとも、ルアム。ワシは冥王を倒さねばならぬ、お主の協力者でもある」
「ちょっと待った!」
 何を待って欲しいのか良く分からないうちに、オイラは声を上げた。長椅子からぴょこんと飛び降りると、ホーローのじーちゃんの前に躍り出た。
 そうだ、変だ。
 オイラはホーローのじーちゃんを睨みつけて言い放った。
「相棒より強い奴、いっぱいいるじゃん! どうしてそいつ等に戦えって言わないで、相棒に言うんだよ! 相棒が可哀想だろ!」
「お主は良い質問するのぅ」
 ホーローのじーちゃんは、にこにこ笑うとオイラを覗き込んだ。じーちゃんのつぶらな瞳に、オイラの怒った顔が映り込んでる。
「では、プクリポのルアム。そなたは元々冥王ネルゲルとは無関係じゃったろう、違うかね?」
 賢者エイドスにもそう言ったけど、オイラ めーおー なんて知らなかった。相棒に会わなきゃ、きっと今だって知らないだろう。オイラだけじゃない、ガノのじっちゃんもエンジュのねーちゃんも、あんなに頭が良くて物知りでも めーおー なんて知らないし関わり合いになるなんてないだろう。
 相棒の様子から、めーおー ってちょー怖いし強いらしいじゃん。実際、オイラが相棒のためって頑張っても、オイラじゃ めーおー をどうにか出来る訳が無い。戦うのだって、今も相棒任せ。魔法も戦いもてんで駄目駄目のプクリポだ。相棒は『兄さんはその気になれば強いよ』って笑うけど、オイラは戦いが苦手だって分かってる。
 でも、相棒だって普通の人間だよ。プーポのおっちゃんやガノのじっちゃんみたいにすげー強い訳じゃないし、エンジュのねーちゃんみたいに魔法が滅茶苦茶凄い訳じゃない。オイラの身体を使ってるってのもあるけど、多分、アストルティアを行く冒険者達の中じゃまだまだ弱い方だ。
「ま、まーな」
 オイラがごにょごにょ認めると、ホーローのじーちゃんは真剣な顔で言った。
「人間のルアムはアストルティアの住人達の中で唯一、冥王ネルゲルの元に絶対に辿り着ける運命を持っておるのじゃよ。ネルゲルの元に行こうとするならば、必ず人間のルアムの運命に巻き込まれなければならない。そう、プクリポのルアム、お主のようにのぅ」
 オイラも相棒も顔を見合わせた。互いに驚いた顔をしてる。
 でも、相棒はまだ赤い目を潤ませて、小さく『ごめん』と呟いた。そんな悲しい顔をさせる自分に腹が立って、オイラは相棒に怒鳴るように言った。
「相棒が謝るな! 相棒が悪いんじゃないんだ! めーおーってのが悪いんだろ!」
「その通り、諸悪の根源は冥王ネルゲルにある」
 ホーローのじーちゃんは低く威厳のある声で言うと、オイラと相棒の手を取った。
「今、世界各国で起きている混乱の影に、冥王の邪悪な気配がある。冥王ネルゲルはこのアストルティアに住む、生きとし生けるものの敵であろう。確かに、お主達に過酷な運命を背負わす事を、ワシも申し訳なく思っておる。だが、運命の線路が重なる事があっても、走れる箱船は1つのみ。そして乗れる人数にも限りがあるのじゃ」
 だから。
 ホーローのじーちゃんは瞳に力を込めて、オイラ達に語り掛けた。
「ワシを含め、全てのアストルティアの民はお主達の味方じゃ。お主が冥王ネルゲルを打ち倒す為に、誰一人協力を惜しまぬ」
 じーちゃんはオイラ達から手を離すと、懐から一枚の切符を取り出した。
 オイラに渡された切符は、大地の箱船の切符に良く似ている。すこし古ぼけた切符には、オイラ達が買う切符と違って行き先が書いてない。それに掠れて見え難いけど、エンゼルスライムに良く似た形の絵が描かれているような気がする。オイラと相棒が切符を覗き込んでいると、ホーローのじーちゃんは言った。
「その切符は運命の箱船に乗る事が出来る、特別な切符じゃ。人間のルアムが、これから必要とする物じゃ。プクリポのルアムよ、大事に持っていておくれ」
 そしてホーローのじーちゃんが、どっこらせと腰を上げた。桜餅の箱を抱え、両手杖を掲げてにっこりと笑った。
「じゃあのぉ。ルアム達。運命の線路が交わる時、再び相見えるじゃろう。それまで達者でな…!」
 てくてくと歩みさって行く背中を、オイラ達は呆然と見送った。
 残されたオイラ達は、何となく特別な切符に目を落とした。この切符があるとどんなことが起きるのか、この切符で乗れる箱船の行く先が何処なのか、オイラ達は分からないままだ。でも、不安がってちゃ仕方がない。これから何処へ行けとか、何をしろとかホーローのじーちゃんは言わなかったじゃん。
 まだ、めーおーと戦わなくても大丈夫なんだろう。
 オイラは相棒を勇気づけたくて、笑ってみせた。
「良く分かんないけどさ、次の行き先はグレンだな!」
 相棒はまだまだ、泣きそうな顔のまんま。あぁ、きっと、ちょー危険なめーおーにオイラが関わらなきゃいけない、それが自分のせいなんだって相棒が申し訳なく思ってんだろううなー。さっきも言ったけど、相棒はプクリポの毛の先程にもなーんも悪くないのに。
 オイラは相棒のお腹のあたりに、びしっとツッコミを入れた。
「相棒! 相棒がしみったれた顔してると、オイラもテンションあがんねーよ! あ、わかった! 桜餅食べれなくてくやしーんだろ?」
『ち、違うって! 僕は兄さん程食いしん坊じゃないよ!』
 相棒の顔がかぁっと真っ赤になる。図星、図星。桜餅おいしそーだったもんなー。
 オイラがぴょこんと向きを変えると、駆け足で駅舎の出口に向かう。
「いくぞー! 相棒! 美味しい桜餅食べて、グレンを目指そう!」
『桜餅食べ足りないのは、兄さんでしょ!』
 ぷんぷんかんかん。相棒はオイラの後を追って来る。
 あぁ、相棒。
 オイラ、相棒に心の底から笑って欲しい。
 めーおーなんかに怯えないで、綺麗な星空見上げて幸せを感じて欲しい。
 確かに故郷が壊されて、友達も兄貴とも離ればなれで苦しい過去はオイラにも変える事は出来ない。でも、これからの未来は楽しい思い出をいっぱい作って欲しいんだ。だって、ルアムはオイラの相棒だもん。こんなオイラの相棒になってくれるルアムは、家族同然だ。命を賭ける事なんて苦じゃない。嫌な事だって相棒の為なら頑張れる。
 相変わらず繋げない手だけど、オイラは精一杯手を伸ばす。相棒も手を差し出して、繋げないけど握ろうとしてくれる。
 触れられなくたって、心は繋がってんじゃねーのかな。
 一人じゃないって言いたくて、オイラは相棒に笑ってみせた。