回らない歯車

 ドワチャッカ大陸は国土の殆どが火山と砂漠と乾燥地域。ドルワーム王国を取り囲むゴブル大砂漠はアストルティアで最大の面積を誇るし、このガタラ平原も緑がある方だけど土の色の方が強い。緑豊かなプクランドやエルトナに比べれば、荒涼としてるんじゃないかな。
 でも、丈夫な石材が多く出土する。
 ドワーフの伝統的な家の壁一面を飾るモザイクでさえ、数百年前のもの。超古代文明を礎にしたドワーフ達は、古の偉人達の遺産を大事にしながら今を生きている。カルサドラ火山を切り崩して作られた三闘神の石像のお膝元、丘都ガタラは伝統的なモザイクタイルで彩られた遺跡のような町だ。
 町を行くドワーフ達は防砂の外套やコートを着込み、つばの広い帽子やターバンを巻いている。もうじき御飯時だから、お腹の虫をぐーぐー言わせるスパイスの香りがそこら辺から漂って来る。軽快なリズムと踊りで沸き上がり、噎せ返る程の水煙草の蒸気で煙る酒場の隅で、あたしは窓を開けて待ち人を待っていた。
 あたし宛の手紙の差出し人は、生まれた時からの知り合い。お義父さんが『先生』と呼び、あたしが『おじさん』と呼ぶ、ふさふさ真っ白髭のおじいちゃんだ。相変わらず砂だらけの埃だらけで、遺跡に潜っているんだろう。何処に行ってきたのか、いっぱいお土産話を聞かなきゃね!
「おぉ、チリちゃん。待たせてしまったかね?」
 低く渋い声。なんて懐かしいんだろう! あたしは顔を上げて にっこりと、待ちわびた人を見上げた。
「全然待ってないよ。ガノおじさん」
 そうかね、そうかね。ガノおじさんは髭をもさもさ動かしながら頷いた。
 真っ白い無造作に伸ばした白髪に、眉も髭ももじゃもじゃで顔が全然見えない。埃っぽい古ぼけたコートに、荷物を無駄なく詰めたリュックサック。腰に装備した鞭と鎚は誰が見てもベテラン冒険者。あたしが生まれてずっと変わらない姿のまんま。
「チリちゃんは増々美人さんになったのぉ。どれどれ、我輩が安産型かどうか確かめてやろうかのぉ?」
 手袋を嵌めた手がわきわき。にじり寄ろうとして来るけど、おじさんは悲鳴1つ上げて飛び上がった。
 どうやら隣の女性から、思いっきり足を踏まれたみたい。横やりが入らなかったら、あたしがムーンサルト決めてた所だったわね。そう言う所も、全然変わらないわね! あたしも女性もくすくす笑ちゃう。
「で、お隣の方は?」
 そんなガノおじさんの隣には、エルフの女性が上品な佇まいで立っている。淡い萌黄色の髪をボブショートに揃え、やや吊り上がった目元に真っ赤なふちの眼鏡をかけている。呪い師のローブも黄緑と白に染め上げられていて、緑の香りがほんのり漂って来た。
 彼女は口元を少し上げて微笑み、上品に手を前に添えるとゆったりと頭を下げた。
「こんばんわ。私はエンジュと申しますわ」
 おじさんがいつの間にか復活して、エンジュさんの隣に並んだ。
「今日はチリちゃんに頼み事があってのぉ」
「おじさんが頼み事なんて、珍しいわね!」
 思わず笑っちゃうわ。だって、おじさんったら何でも出来るんだもん。
 何はともあれ、腹ごしらえじゃ。おじさんはあたしとエンジュさんを席に着かせると、ウェイターを呼んで続々と料理を注文し始めた。鳥の香草焼きに、旬の野菜の蒸し焼き。てんこもりのガタラ豚まんと競い合うように、川魚のフライが山になってる。エルフの子を気にしてか、いくつもの調味料がテーブルの真ん中に塔のように聳え小皿が積み重なっている。テーブルに乗り切らない程の大量の料理を満足げに見渡し、おじさんは麦酒を煽るとぷはーっと息を吐いた。
 おじさんは泡だらけの口元で、上機嫌にあたしに言った。
「チリちゃんは、ドルワーム王国の王立研究所に出入りしとるじゃろ? エンジュのお嬢ちゃんも王立研究所に是非行ってみたいと、遥々エルトナから来ておるんじゃよ。チリちゃんが良ければ、紹介状を書いてやって欲しいんじゃよ」
「えぇ、勿論!」
 丘都ガタラからカルサドラ火山を迂回して北を行けば、ドワチャッカ大陸の主都ドルワーム王国にたどり着く。そこの王立研究所は、ドルワーム王国が抱える賢者と共に魔法学と考古学の研究を日夜重ねてる。世界が一目置く最先端の研究を一目みたい学問の徒は多い事だろう。
 あたしも義父さんの所を飛び出して、ドルワームの王立研究所に出入りするようになって大分経つ。研究者としてというよりも、研究者の為にドワチャッカ大陸にある様々な研究材料を集めに走り回ってるって言った方が良いかも知れない。だって、机に向かって考え事なんて眠くなるだけだもの!
 それでも、エンジュという名前を聞いてから、引っかかる事がある。あたしはエンジュさんにおずおずと訊ねた。
「もしかして、エンジュさんは『世界樹との共生論』や『イシカズム論理のヌラワカ定義の新解析』って論文を書いたりしてません?」
 エンジュさんは口元に上品に手を添え、思い出すように視線を宙に投げる。そして、暫く間を空けた後、恥ずかしそうに笑った。
「卒業前の論文なので、荒が目立ってお恥ずかしい限りですわね」
 やっぱり。
 エルトナ大陸の学問の名門、300年の歴史を持つツスクル村の学びの庭。ここ近年、その学びの庭に創立以来最高の天才が現れ、在学中であるのに発表された論文の数々は世界中の学者達を唸らせている。その学者達には当然ドルワームの王立研究所も含まれていて、招待状も送った事があるとかないとか。
 こんな天才にお目に掛かれるなんて、光栄だわ! あたしはエンジュさんににっこりと笑った。
「王立研究所は、貴方を大歓迎するはずよ! ドゥラ院長も、きっと貴方に会いたがるはずよ!」
「あらあら、お世辞でも嬉しいですわね」
 エンジュさんったら上品な笑みを崩さないけど、ドワーフの石造りの椅子の上に正座のエルトナスタイル…! なんだか痛そうで申し訳ないわ。
 そんなあたし達の横でもぐもぐと食べていたおじさんが、エンジュさんに話しかけた。
「さて、チリちゃんの紹介状の目処も立った事じゃし、我輩は酒場のマスターにドルワーム行きのキャラバン隊を探りを入れて来ようかのぉ。しかし、本当にキャラバンで砂漠を越えるのかね? 少し出費は嵩むが、ルーラストーンタクシー協会に運んでもらう手もあるんじゃぞ?」
 ドルワーム王国も大地の箱船の通過駅だけど、降車出来るのはドルワーム王国から発行された特別な切符の所有者だけ。ドワチャッカ大陸の移動は、商隊と共に行くのが基本。ベテランの旅人でも、ゴブル大砂漠を単独で越える事は不可能だし、カルデア山道も溶岩地帯で安全な街道とは言い難い。
 そういうリスクと さよなら出来るのが、ルーラストーンタクシー協会。石に記憶させた場所に一瞬で飛んで行く事が出来るルーラストーン。とても便利なアイテムだけど、希少なルーラストーンを持てる人は限られてる。そんな所有者が協会員として登録され、依頼された町や村に一瞬で連れて行ってくれるのだ。勿論、多少はお金は支払わなきゃ駄目だけど、安全で速い。
 ドワーフやオーガならまだしも、火気に弱いエルフや水が無いと死んでしまうが言い過ぎじゃないウェディは命懸けの旅路になる。ガノおじさんがルーラストーンタクシー協会を推すのは、とても良く分かる。
 でも、エンジュさんはにっこり笑って、魔導師の杖の先端を飾るルビーをおじさんに突きつけた。
「あら、ガノさんったら私のメラミでは物足りないと仰るのかしら? 私の炎の精霊の加護を軽んじてもらっては困りますわよ」
「おっと、それは失礼」
 おじさんは杖をひょいっと避けると、席を立つ。頑丈なフレームで補強されたリュックサックを背負うと、おじさんは慣れた手付きで瞬く間に身支度を整える。少し埃っぽい帽子を目深に被ると、にやりを笑った。
「我輩はマスターと話をした後、旅人バザーに顔を出して宿に戻るつもりじゃ。二人でガールズトークに花を咲かすが良いぞ」
 じゃりじゃりと足音を響かせ行ってしまったおじさんを見送ると、エンジュさんは上品な手付きでお茶を啜った。こんな優雅にお茶を飲めるお嬢様と、どんなガールズトークしろって言うのよ。あたしドルワーム王国でも男の研究員に混ざって、色気なんか全く無い会話しかしてないのよ!
 メギストリスの最新ファッションとか、ヴェリナードのモテモテ流行の話題とか無理なんだけど…!
 カップをテーブルに置くと、エンジュさんは真っ赤のフレームの奥からあたしをじっと見た。そして、ふふっと笑う。
「ガノさんったら こんな博識なお嬢さんを前に、中身の無いお洒落の話をしろだなんて勿体ない事を仰るのね。そう言えば、本日ガノさんにウルベア地下遺跡に連れて行って頂いたんですけど、こんな町に近い遺跡にも未調査地帯がありますのね。ドルワーム王立研究院から発表されて拝見致しました内容より、ガノさんがお話ししてくれた内容が新しくて深かったんですの。まだまだ議論が尽くされていないのかしら? この後、ガノさんに石版の復元を見せて頂くんですけど、破損した遺跡の復元技術ってどれだけ進んでいらっしゃるの? 内容によってはエルトナでも通用するかも…」
「ちょっ…と待って!」
 あたしは両手を突き出して、話を制止した。こんな両手隼天下無双トーク、あたし程度じゃ対応出来ないわ…!
「おじさんが石版を復元するって、どういう事?」
「あら、先日起きた事ですからご存じないのも当然ですわね。私ったら配慮が行き届かなくって御免遊ばせ」
 目を細めて微笑むと、今度はゆっくりと教師が生徒に語り掛けるように話し始めた。
「私達がガタラに到着して直ぐの事ですわ。ガノさんのお弟子さんのダストンさんの自宅、ガラクタ城に…失礼な表現でごめんなさい。貴方のご実家でもあるのよね。あそこから緑の石版が、怪盗ポイックリンなる者が盗み出してしまわれたんですの。ダストンさんが言うには、緑の石版はウルベア地下遺跡の扉の開閉を司る部品なのですが、破損していたのだそうですの。ダストンさんは閉ざされていた奥に、どうしても行きたいのだそうですね」
 それは、あたしも知っている。たぶん、誰よりも。
「ガノさんが顔を出したら、恥も分別も無く泣き付かれておりましたわ。直ぐさまバザーや裏の流通ルートを調べたそうですけれど、石版が出回った様子もありませんし同じ遺跡にある壊れた同じような石板から復元した方が早いという話になりましたの。今回の遺跡見学は、私の観光とガノさんの復元の為の下調べも込みですのよ」
 あたしは目を真ん丸くした。
 確かに怪盗ポイックリンが、ガラクタ城から壊れた石版を盗み出した。そしてその石版は溶岩の中に放り込まれて、もうこの世界には存在しない。
 石版を使えば王立研究所が踏み込んでいない、遺跡の内部に入り込む事が出来るだろう。でも、どんな危険があるか想像がつかない。お義父さんがそんな所にフラフラ入って行って、無事で済むなんて保証は何処にも無いわ。ムチャばっかりだけど、今回ばかりは危な過ぎる。
 それよりも、問題はおじさんの石版復元の話。
 実は遺跡の壊れた部分の復元は、王立研究所でもあまり捗っていない。おじさんが復元出来るってなると、ドワチャッカ大陸でもとんでもない偉業になる。おじさんが王立研究院に所属してない事は知ってるけど、そんな凄い技術を抱え込んでいるだなんてドワーフの恩恵を損なう損失だわ。
 エンジュさんと古代技術の議論を繰り広げている間に、あたし達は食事を平らげた。
 考え事をしながら黙々と食べてたせいで、お腹がいっぱいで苦しいわ。エンジュさんに『チリさんは食いしん坊さんなのね』と笑われて、いたずらモグラの掘った穴にでも落ちていたい気分だったわよ。

 宿屋に戻って来ると、コンシェルジュが『お二人が戻られましたら、お部屋に来るようにと御伝言を賜っております』と言った。ガノおじさんは部屋にもう戻っていて、キツい酒をちびちびと飲んでいたようだ。微かに酒気を漂わせながら、おじさんは招き入れたあたし達ににこにこと笑いかけた。
「ガールズトークは楽しんだかね?」
「えぇ、とても有意義な時間でしたわ。興味深い古代技術のお話が沢山聞けましてよ」
「嬢ちゃん達は年頃じゃろうに…まぁ、よい。材料が揃ったから復元を始めるぞい」
 宿の客室の一室と思えぬ程に、壊れた石版の破片、復元された緑の宝石を嵌め込んだ石版のレプリカ、設計図らしきものが書き込まれた紙が散乱していた。おじさんはあたし達が座るだろうスペースだけは綺麗にしてくれたみたいだけど、他はかなり汚い。お義父さんの片付け下手って、おじさん譲りなのかも知れないわね。
 おじさんはテーブルを挟んであたし達の対面に立つと、嬉しそうに髭を動かす。バンっと景気の良い音を響かせて、手を打ち合わせた。
「さぁて、始めるかのぉ」
 テーブルの上に魔法陣が描かれたと思えば、それは幾重にも円を重ね、傾いたりして蕾が花開くように複雑な幾何学模様を描く。幾億の星々を秘めた小さい宇宙の中を、探りあうように光の流星を走らせる。
 エンジュさんが嬉々とした表情で魅入り、あたしはきっと空いた口が塞がらない間抜けな顔をしているんだろう。
「これがのぉ、だいたいウルベア地下帝国の古代技術の基礎となる方程式じゃよ」
 そして。おじさんが手を動かすと、壊れた石版からも魔法陣が展開されて行く。星々は目紛しく輝き、円が回転し始める。接点になっている部分は火花を散らすように輝いて、まるで精密機械の中身を覗き込んでいるようだ。でも、多分その通りだろう。この石版はあの巨大な地下に埋もれた遺跡にある、小さい歯車に過ぎないんだ。
 円の動きがぴたりと止んで、ジワジワと緑の宝石が鈍く光っている。
 静止した魔法陣の中身をじっくりを検分したら、真っ白い毛という毛が満足そうにふかふか動く。
「噛み合ったの。これでこの石版は、あの扉を開く為の石版として機能するぞい」
「素晴らしいわね! チリさん。私、ドルワーム王国に行くのが、今から楽しみで仕方ありませんわ。どんな素晴らしい研究を拝見出来るのでしょうね!」
 エンジュさんの声に、あたしは生返事を返すしかなかった。
 こんな事ができるドワーフは、王立研究所には居ない。


 ■ □ ■ □


 丘都ガタラ随一の変人。そう訊ねられれば、誰もが『ガラクタ城のダストン』の名を挙げるに違いない。
 元々、ドワーフは何かに異常な情熱を燃やす性質を持っている。何かは人それぞれだが、その道の第一人者にはだいたいドワーフが居るものだ。ガタラの汚名とも言われるダストンは『全く役に立たないガラクタを収集する』という事に、情熱を燃やしている。
 だが本人が集めているガラクタが、本当に誰から見てもガラクタであるかと言えばそうではない。ダストンが集めているものは彼が『ガラクタ』であると認定した古代の遺産の残骸であり、貴重な発見である事は多々ある。かつて、ガタラに町長が居た時代、ガラクタの山に貴重な大発見を見出してキーエンブレムを授けられた事もあった程だ。
 本人は全く不名誉と総毛立って拒否していたが、受け取ったキーエンブレムはガラクタ城の隅に転がっているに違いない。世界中の冒険者泣かせのドワーフである。
 ダストンは石版を両手で抱え、踊るような足取りでくるくる回りながらウルベア地下遺跡を練り歩いている。地下遺跡を塒にしている魔物達が、驚いて逃げ惑っている。
「いやー! さっすが先生! ちょちょいのぱっぱで石版を復元しちゃうだなんて、最高でございますよ!」
 ちゅっちゅと唇が張り付きそうな勢いで、石版に口付けの雨霰。ダストンの手に持たれた石版に同情しちゃう。
 ダストンの後に続く、遺跡探索を中心に活躍しているだろう身成のドワーフはにやにやと上機嫌に応えた。口調も若々しくて、ちょっと悪っぽい感じがする。
「あったり前じゃろダストン。それよりも、お前さんはのんびりし過ぎじゃないかのぉ? お前さんが誰の役にも立たない、究極のガラクタを見る前に我輩はくたばっちまうぞい!」
「やっぱ、ワシの唯一の理解者は先生だけですよ! 任せてください! ワシは先生の目が黒いうちに、必ずや見つけ出してご覧に入れてしんぜます!」
「期待してるぞ、ダストン!」
 がはははは!そんな笑い声が響き渡るのを聞いているだけで、仮面がずれ落ちそうだわ。
 あたしはガタラの伝説の義族『マスク・ド・ムーチョ』の仮面を掛け直す。そう、今のあたしはダカラを賑わす美人怪盗。天知る地知る人ぞ知る、怪盗ポイックリンなのよ!先日盗んだ石版が修復されてガラクタ城の主の元に戻っちゃったのは誤算だけど、こうなったら後を付けて扉の奥の安全を確認するまでよ…!
 それにしても。あたしはダストンの後をのしのしと歩くおじ…ガノを見遣った。お義父さ…ダストンのガラクタに興味津々だったのは知ってたけど、なんでそんな価値の無いものを見たがるのかしら。それにしても考え難いわね。もういいわ。ガノおじさん程の実力を持った冒険者なら、遺跡に眠る数々のお宝を見てきたはず。石版を復元した実力を思えば、ドゥラ院長を退けて研究院院長を担える程だろう。
 ふと、見ていた影に光が灯ったのが見えた。
 ばっちりあたしとガノおじさんとの視線が合わさる…! 尾行に気が付かれてる!
 元々暗がりに身を潜めていたけれど、柱の影に更に深く身を沈めて息を潜める。最終的に行き着く場所は分かっているのだ。巻く事は不可能だと分かっているなら、潰しに掛かって来るかも知れない。ガノおじさんの実力だったら、勝つ見込みは全くと言っていい程ないだろう。
「先生、急ぎましょう! 夢のガラクタの楽園が、ワシ等を待っていますよ」
 しかし、こちらに向かって来る足音も気配もない。そっと伺うと先を進んでしまったのか、誰の姿もない。
 あたしはホッとしつつ、盗賊御用達のブーツで暗闇を掛ける。物音1つ立てず、黒い衣を闇に溶かし、華麗に任務を遂行したらチリも残さず退散ですわ!
 十分に距離を保ちながら進めば、遺跡の最奥に辿り着いた。
 ドルワーム大陸の遺跡達は古代に繁栄した王国の成れの果てなので、もっと大きいはずなのだが立ち入れない様々な事情で狭い。崩落が殆どだけれど、今回はお義父さんが収拾してきた扉を開く為の石版が、破損していた事が原因だ。この扉の奥は、ドルワーム王国の調査も行われていない未知の区域になる。
 誰も見た事が無いなんて、ちょっとわくわくするわよね。
 大きな扉の横に施されたレリーフを、まるでゴキブリみたいな動きでぬるぬる登ったお義父さんはガチリと石版を嵌め込んだ。
 緑の宝石が輝くと、その光は壁を伝いまるで血流のように遺跡に流れ込んで行く。心臓が脈打つように、遺跡が息を吹き返す。壁の奥から震動と共に低い音が等間隔で響き始め、壁に施された幾何学模様を忙しなく光が行き交う。
 地響きを伴い天井から埃を落としながら、大きな扉が開き始めた。
 お義父さんとおじさんが歓声を挙げて走り込む。こうなったら、二人共あたしの事なんて眼中にないだろう。あたしも隠れたりせずに二人の後を追いかける。
 広大な空間だった。
 高い天井を何本もの太い円柱が等間隔に支え、見渡した先が遠くにある程の広さだ。その空間の真ん中に、巨大な塊が踞っていた。ギガンテスのように大きいが、それは機械仕掛けで出来ている。ドワーフの伝統的な幾何学模様を施した、雄々しい戦士の機械。
 お義父さんは嬉しそうに機械の戦士の前で揉み手をした。
「あぁ、なんて素敵なガラクタなんでございましょ!」
 お義父さんの横で、おじさんも髭を擦りながら矯めつ眇めつ。
「ウルベア帝国後期の魔神兵のようじゃな。これ程完全な保存状態は、我輩も初めて見たの。動くのかのぉ?」
「先生! こりゃあ何処をどう見ても、立派なガラクタですよ! さぁ、早くポツコンを呼びに戻らなくては…!」
 お義父さんが助手のポツコンを呼ぶ為にダカラに戻るらしい。閉ざされていた入り口へ引き返す姿に、あたしは少しホッとする。
 何事もなくて良かった。
 おじさんも遺跡の状態を見たい為に、魔神兵から離れた。円形の柱が気になる見たい。
 二人が、そしてあたしも魔神兵から視線を離した時、聞き慣れない音が響いた。
『ミトウロク…シャ…発見……ハイジョ…ル』
 顔の部分を黒々と塗りつぶしていた影に、蛍光色の二つの光が灯った。鈍い音が軋む音を立てたが、それも一瞬。斧を掴みかけだした時には、あっという間に加速して行く。お義父さんが気が付いた時には、斧を振りかぶり、指示されたプログラムの通りに振り下ろす直前だ!
 あたしは駆出す。歯を食いしばり、今まで出した事が無い渾身の力を振り絞ってお義父さんに手を伸ばした!
「危ない!」
 叫びが耳の奥にまだ残る。大きく見開いた視界の中で、ゆっくりと振り下ろされて来る斧が見えた。宙を舞う仮面を切り裂いた刃には、あたしとお義父さんの姿が映り込んでいる。
 横から水鉄砲のようにゆっくりと、しかし滑らかな黒い影が斧にあたる。それがガノおじさんの鞭だと、斧が弾き飛ばされるのを見るまで気が付けなかった。次の瞬間、魔神兵の脇腹に、おじさんのボルカノハンマーが突き刺さる!振り抜けば、あの巨体が吹き飛んだ。
 おじさんは真っ白い毛を手で持ち上げて、黒い瞳であたしを見下ろした。
「何処の可愛い髑髏洗いが付いてきたかと思えば、なーんじゃ、チリちゃんか!」
 誰が髑髏洗いよ! 仮面があってもきっとバレバレ。あたしはカンカンになっておじさんに言った。
「ここはドルワームの王立研究所も未調査の区域なのよ! おじさんが一緒だったから安心してたのに、ちょっと遅かったらお義父さんが死んじゃってたわ!」
 ガノおじさんは目を真ん丸くして固まる。そして、ぶっと吹き出したら大笑い。
「ダストンがこの程度で死ぬ訳なかろう! 昔、トロルに踏まれても死なんかった男じゃぞ!」
 お腹を抱えてひーひー笑い出しちゃった! もう、怒りの打つけどころがなくって、怒りとかお義父さんが無事で良かったとか色んな感情がぐちゃぐちゃになってる。でも、やっぱり怒りの方が大きい。もう一発、怒鳴ってやろうと思った時、真横から溜息が聞こえてきた。
「何ですか、チリはワシが危ない目に遭うと思って石版を盗んだんですか?」
 心の底から呆れたような声色は一変する。
 お義父さんは、びしっとあたしに人差し指を突きつけ言い放った。
「ワシにとって、命よりもガラクタの方が大事なんです! 何年ワシの娘をしてるんですか!」
「ダストン! 流石、我が輩が弟子入り認めてしまう程の筋金入りの変人…!」
 ガノおじさんがばんばん床を叩いて、お腹を抱えて笑い転げている。あたしはそんなおじさんの笑い声に包まれながら、呆然とお義父さんを見つめていた。
 命よりもガラクタの方が大事…。
 自分や他人の命より、大事な物が出来てしまう程にのめり込むなんてドワーフには良くある事だ。
 でも、まさか、自分の命よりも誰も顧みないガラクタの方が大事だなんて…
「…っぷ」
 呆れすぎた先にあったのは、あまりの可笑しさだ。吹き出して口に隙間が出来たと思えば、笑い声が飛び出して来る。
「あははは! ごめん! ごめん! まさかそれ程とは思わなかったわ!」
 それに、さっきさらっと言ったわよね。
「ありがとう。お義父さん」
 あたしはコミの山に捨てられていた赤子だった。凄い大喧嘩をして家を飛び出したけど、ポイックリンとして家に帰るとやっぱりとても懐かしい。飛び出した後は心配だったのかしら、おじさんがちょこちょこ様子を見にきてくれる事もあったわ。お義父さんから口に出して、『娘』って言ってもらえると、どうしようもなく嬉しい。だって、今まで一度も娘って言われた事、なかったんだもの!
 一拍置いてあたしの言葉の意味が分かったんだろう。お義父さんは唇を尖らせてそっぽを向いてしまった。
 ぐらぐらっと地面が揺れると、天井ががらがら崩れて来る。
「悪ガキじゃのぉ! 大事な遺跡が傷んでしまうじゃないか!」
 おじさんが舌打ちすると、復活して暴れだした魔神兵をボコボコに打ち据える。両手足が破壊されたところで、頭部の部分によじ上ると魔神兵のプログラムを覗き見し始める。青い光が灯るとおびただしい情報量が目紛しく映し出されて行って、正直、あたしには付いて行けない。おじさんがふさふさと髭と眉を動かしながら見ていると、ふむ、と唸った。
「なんじゃ、ウルベアの魔神兵のくせに、システムはガテリア式のようじゃの。少し面白い仕様じゃが…遺跡を壊されては元も子もないの!」
 すっとハンマーを振り上げると、躊躇い無く振り下ろされる。
 衝撃に痙攣したような魔神兵が、崩れ落ちる様を見てちょっと勿体ないなぁと思ってしまう。貴重な研究材料だったのに…。
「やったあ! 先生のお陰で素敵なガラクタに戻ってくれましたね! さ、ポツコンを呼びに戻りましょう!」
 脳天気に隣で万歳をするお義父さんの声に、あたしは思わずがくり。
 でも、まぁ、いいか。
 元気に駆出すお義父さんの背中を見て、あたしは小さく微笑んだ。
 一件落着!チリも残さず退散ですわ!