その背を押せ。それだけが生き残る方法だ。 - 前編 -

 ドワチャッカ大陸の中心、三闘神の像を臨むカルサドラ火山。
 溶鉱炉のように流れる溶岩流で、火山の内部は言葉通り燃えるように暑い。王立研究所が作成したフバーハを展開してくれる首飾りを付けても、ゴブル砂漠の熱波が涼しくて恋しいと思うくらい。
 そんなカルサドラ火山の最深部の開けた場所に、真新しく掘り返された土がある。少し前までルルナさんという女性と、彼女が連れたドワーフ達が採掘していた場所だ。空いている穴の大きさは、一軒家に相当するだろう。掘り出された魔瘴石も荷車からはみ出て転げ落ちる大きさだった。
 僕は槍と盾を担ぎ直し、滝のように流れる汗を拭った。ここまでの道中に溢れていた、魔物の気配も影もない。火山に住む暑さに強い魔物達でさえ寄り付かない、火山の腑のような空間だった。視線を覆い尽くす程に巨大な溶岩の滝に、眼下には湖のような溶岩流。そこに突き出た崖は、カルサドラ火山でも1・2を争う熱気で満ちていた。
「おーい。王子君。手を貸してくれんかね」
 穴からぴょこぴょこ伸びた手を、僕は慌てて掴んだ。ぐっと重さが加わると、身体が穴に引き込まれないように一生懸命踏ん張る。
 穴からはい出してきた髪も髭も眉ももじゃもじゃ真っ白い老人は、穴から出てきてふぅと息を吐いた。この人はチリの育ての親の先生、とても実力のある冒険者のガノさんだ。腰に括り付けたハンマーと鞭で、とても危険なカルサドラ火山の魔物達も簡単に退けてしまう。
 手にはインク瓶くらいの大きさの魔瘴石が握られていた。そして何やらぼろぼろの紙みたいなものも握っていたが、手を開いた拍子に粉々に砕けて熱気に吹き払われてしまった。
「ブチャもムチャも技量を上げたのぉ。この程度の破片しか見つからんかったわい」
 ガノさんは僕の横にどっこらしょと腰を下ろすと、リュックサックから軽食を取り出した。食料を入れた箱はヒャド系の魔法が施されたもので、砂漠や火山の熱気に傷まないようになっている。魔法瓶から注がれたお茶は、グラスを持つ僕の手に冷気の愛撫をして温んだ。
 ガノさんは野菜を挟んだサンドイッチを頬張りながら、もぐもぐと喋った。
「ここから先には行けそうにない。そろそろ怪我人や遭難者を総浚いして、ドルワーム王国に戻ろうかの? 良いかな、王子君?」
「はい、宜しくお願いします」
 僕がぺこりと頭を下げると、ガノさんは『若いもんはよく食べなさい』と熱気でホカホカになったガタラ豚まんを差し出してきた。溶岩の滝が轟々、魔物の声が反響する恐ろしい火山だけど、のんびりご飯なんて不思議だと僕は思うのだった。
 ドルワーム王国は傾陽の王国とも言われていた。
 ドワチャッカ大陸の文明は『太陽石』という膨大な力を秘めた石を礎に発展してきた文明だ。ドルワーム王国も例外じゃない。ドルワーム王国の太陽石はもう直ぐ寿命を迎える。ドルワーム王国の謁見の間に唯一存在する太陽石に蓄えられていたエネルギーが、もう直ぐ尽きるんだ。エネルギーが尽きれば、ドルワーム王国はゴブル砂漠の生きた砂に飲み込まれ滅びる事は疑い様も無い。王国が滅びるのは時間の問題だった。
 そんなドルワーム王国の命題、太陽石の復活を成し遂げたのが王立研究院のドゥラ院長だった。彼は魔瘴石から太陽石を精製し、鈍っていた輝きを取り戻す事に成功したんだ。
 魔瘴石は大変危険な石だ。人々の命を脅かす魔瘴が滲み出る石が、ドルワーム復活の鍵になるなんて誰も予測出来なかったろう。しかし、王は即決された。その日のうちに、カルサドラ火山の魔瘴石発掘の依頼が冒険者達に発せられたんだ。
 でも、カルサドラ火山はとても危険な場所だ。火山の熱気も然る事ながら、魔物の強さもとんでもない。怪我人や遭難者が出たら大変だ。僕はそんな人たちを助けたいと、カルサドラ火山にやってきたんだ。もう何人もの怪我人を火山の外に運び出し、待機していた王立騎士団の騎士達に預けてきた。
 ガノさんの言う通り、ここが火山の最深部だろう。ここから帰路に着きつつ、魔瘴石を探している冒険者、怪我をしている人、迷子になっている人を捕まえながら外に出るには丁度良い頃合いだろう。
「しかし、王子君は優しいのぉ」
 僕が視線をガノさんに向けると、ガノさんはお茶を啜りながら続けた。
「王子君の父親は、今も玉座でふんぞり返っておるじゃろうに…」
「父は太陽石の管理で王宮から動く事は稀です。大陸を出る際も、必ず王宮には太陽石の管理が出来る王族がいなくてはなりませんから」
 ドルワーム王国の王族は太陽石を制御する術を扱う事が出来る、唯一の一族だ。太陽石はドルワーム王国にただ一つしか残っていない、全ての力の源であり王国の栄華の象徴でもある。しかし、力の根源であるが故に力が暴走した時は、一瞬にしてドルワーム王国とゴブル砂漠一帯が消失する程になるそうだ。その為に太陽石をコントロール出来る王族が、必ず水晶宮に居なくてはならないんだ。
 僕の判で押したような答えに、ガノさんは違う違うと手を振った。
「カルサドラ火山の魔瘴石採掘は大層危険じゃ。魔瘴石から溢れ出る魔瘴を遮る防御布で包んでも、火山全体に魔瘴の気が満ちておる。さらに火山を塒にしている魔物は手強い。体調不良でだらだらしておると、噛まれて首と体は離ればなれよ。そんな危険な領域に行く者達の心配をし、助けに来ちゃった王子君は優しいのぉ。本当に王族にしては珍しいくらいなんじゃないかのぉ」
「優しい…」
 ドルワーム王国のラミザ王子は、頼りない王子として知れ渡っている。僕も自覚はある。
 騎士団長として王国を守る騎士達を束ねる立場だけど、魔物討伐に行く際の人員を選ぶ時は色々考えてしまう。あの人は最近結婚したばかりだ、子供の誕生日が近い、ご両親を旅行に連れて行ってあげたい、そんな話を楽し気にする彼等を戦場に追いやって死んでしまったら。そう考えると派遣出来ない。うだうだ考えている間に、魔物の被害が拡大したり、魔物が討伐隊に討伐された事も一度や二度じゃない。
 そんな僕を『優しい』と言ってくれる人はいる。父、チリ、一部の騎士団員、そしてガノさん。
 だが、王としてそれは必要なんだろうか。
 ドゥラ君は、王立研究院院長として、魔瘴石から太陽石を精製する術式を作り上げた。ドルワームの未来に希望を齎した、凄い事だ。僕はドゥラ君がいっぱい努力してる事を知ってる。夜遅くまで灯る明かり。成果の出ない研究に吹き出す不満に耐え忍ぶ姿。
 僕はドゥラ君が王になった方が良いとすら思ってる。
「優しいだけの王なんて要らないんじゃ…」
 僕は慌てた。でも、飛び出した言葉は飲み込めない。しかし、そんな僕に豪快な笑い声が覆い被さってきた。
「優しいだけの王なんて、結構じゃないか! なんじゃ、王子君。自信が無いのかね?」
 ドゥラ君みたいに知識に優れている訳じゃない。
 チリみたいに要領が良い訳じゃない。
 父みたいな王に僕がなれるなんて、僕も、国の誰もが思ってない。僕は頼りないラミザ王子。僕の戴冠なんて誰も望んでない。
 本当は、捨てられた双子の妹の為に頑張らないといけないのに…。自信なんて…
「無いに決まってるじゃないですか…!」
 僕の叫び声が溶岩の流れる空間に響き渡った。
「優しいだけじゃ、駄目なんだ。強かったり、頭が良かったり、頼りがいのある何かが無きゃいけない。王様は皆から頼りにされる、皆を安心出来る人じゃないといけない。優しいだけじゃ…」
 汗なんだか涙なんだか分からないものが、頬を滝のように流れて行く。さらに鼻水が垂れて来るから、僕はずずーっと鼻を啜った。情けない、本当に情けない気持ちでいっぱいになる。でも、どうしたら良いかなんて分からない。出来る事は精一杯やってるけど、良い結果に結びつく事は殆ど無かった。ドジで間抜けで、不甲斐ない王子様なんだ。
 ガノさんが隣でうーんと唸りながら、僕の背中を落ち着くまで擦ってくれた。
「ちょっと話は変わるが、王子君は何でドワチャッカ大陸にある数多の古代王朝が滅んだか知っておるかね?」
 え、えーと。戦争だったような気がする。僕は教師から教わった歴史を頭の中で思い出す。ガノさんは髭をふかふか動かしながら続けた。
「多くの古代王朝は戦争で滅んだ。敗北した王国が、勝利した王国に吸収された事を、我が輩は古代遺跡の研究で実感しておる。勝者は敗者の全てを奪い尽くした。欲望の成すがままじゃったろう。じゃが、ここ近年のドルワーム王国は安定しておる。このドワチャッカ大陸に誕生した様々な王国の中では、屈指の長寿な国じゃろう」
 そこで、何故だか分かるかね? そうガノさんが眉毛を持ち上げ、目で問いかけてきた。
 僕はなんて答えたら良いか分からなくて、黙ってしまう。答えても、正解じゃないと思うんだ。
「500年程前、天魔クァバルナという悪魔が現れた。それはもう、強大な悪魔であったんじゃろう。大陸上にあったいくつもの王国が戦争どころでは無いと、歴史上で初めてドワーフの民が一丸となって戦いに挑まねばならんかった。それでも、そやつを殺める事は出来ず、封印するに留めたらしい。戦死者は数えきれん、痛ましい戦いであったそうじゃ」
 なんて可哀想なんだろう。
 戦いで死んでしまった人の為に、僕は目元が潤んだ。そんな僕にガノさんは微笑む。
「今のドワチャッカ大陸を支えているのは、欲望ではない。優しさなのじゃよ、ラミザ王子。優しさこそが、このドワチャッカに最も求められるものなのじゃ」
 はらりと目元から涙が零れた。
 『ラミザ王子、ガノおじさんとお話ししてみてください。変わった人だけど、貴方の力になってくださると思うの』
 カルサドラ火山に出向こうとする僕に、チリはそう言った。僕と同じ明るいオレンジの髪で、とても可愛い女の子。同い年とは思えないしっかり者で、器量良し。研究院でも目覚ましい活躍を見せている子だ。こんな可愛い子を本当は守らなくちゃいけないのに、励まされたり助けてもらってばっかりだ。
 そんなチリが護衛として同行を頼んだのがガノさんだった。
 ガノさんはにっこりと笑って言った。
「腕っ節もそりゃあ必要じゃが、王子君は筋は悪くないの。踏み込みが甘いだけで」
 そ、そうですよね。僕の気持ちが、がくりと折れた。
「頑張り屋さんの王子君に、1つ、良い物をくれてやろう」
 そうガノさんは笑うと、僕の向かいに腰掛けた。僕とガノさんの間に魔瘴石の欠片を置くと、その上に手を翳す。青い光が魔瘴石を包んだと思えば、ガノさんと僕を取り巻くように魔法陣が展開され、赤い岩肌に魔法陣の絨毯がふわりと掛かる。魔法陣は更に数を増し、まるで星空を眺めているかのような青々とした空間に、魔法の輝きが幾多にも輝いて流れて行く。
 熱さも感じない程の分厚い魔法陣の内部。僕が口をあんぐり開けて見回していると温かい光が灯った。漆黒に紫の光を生じさせる魔瘴石が、ゴブル砂漠の黄金色に輝き始めたのだ。
 僕は驚いた。驚き過ぎて、声も出ない。
 魔瘴石を太陽石に変える。それはドゥラ君が先日発表した歴史的大発見だった。誰も、ドゥラ君意外に出来る人なんていないと思うだろう。
 僕は目の前で魔法陣を繰るガノさんを見つめた。一体、この人は何者なんだろう…?
「ほれ、王子君。君も我輩の魔法陣に触ってご覧」
 僕が魔瘴石が変じた太陽石を包む魔法陣に触れると、太陽石はキラキラと輝いた。その様子に満足そうにガノさんが笑う。
「流石、王家の者は太陽石と仲が良いのぉ。よーく輝いとる。ほれ、もっと光らせてみようじゃないか」
 ガノさんが魔法陣を付け足したり外したり、僕の目の前の太陽石は目紛しくその姿を変えた。ゴブル砂漠の天辺を行く真っ白い光、海に落ちる柔らかい眠るような橙、朝日の希望に満ちた黄金。僕はなんだか嬉しくなって、身を乗り出して覗き込み変化を楽しんだ。僕が笑うと太陽石も笑うようで、光が強弱付けるのでさえ愛おしい。
 ガノさんが笑った。
「それ、仕上げるかの。さぁ、王子君。我輩と力を合わせるぞ」
 それぞれに手を翳す。僕の手の前には、ドルワーム王国の紋章、太陽石をコントロールする魔法陣が展開された。ガノさんも同じく魔法陣を展開したが、7つの色が施された見慣れない紋章だ。それぞれが混ざりあい、不思議な紋章になった。ガノさんが歓声を挙げた。
「王子君、君の好きな太陽を思い描くんじゃ!」
「はい!」
 魔法陣の動きが加速して、圧縮されて行く。高い澄み切った音を1つ響かせて、空間全体に広がっていた青い魔法陣が一瞬にして太陽石の中に収束した。再び押し寄せた赤い光だったけど、それを中和するように柔らかく広がる金色の光。見た事の無い程に美しい、それでも見つめていても不思議と目が痛くならない優しい光を放つ太陽石が目の前にあった。
 僕は肩で息をしながら、あまりの達成感にぼーっとしていた。やった事、出来たもの、そのあまりの大きさに呆然としてしまう。
 ガノさんが太陽石を拾い上げると、矯めつ眇めつ眺めていたんだろう。そして嬉しそうに僕に差し出した。
「これが、王子君の太陽石じゃよ」
 受け取ると小粒なのにずっしりと重い。仄かに温かいのは、ガノさんの体温なのか、溶岩の熱気なのか、それとも石が温かいのか分からない。でも、輝きの強さよりも控え目で優しい温かさが、じんわりと僕の手に伝わって行く。
 僕は手の平に乗った太陽を見て、思わず呟いた。
「僕の…?」
「玉座の間にある太陽石に比べたら砂粒ってくらいに小粒じゃが、純度や密度は比べ物にならん。我輩のお遊びも詰め込んでしまったが、歴史上で存在した太陽石で最も素晴らしい物じゃろうて…おっとこれは言い過ぎじゃったかの!」
 仰け反って空間全体に響き渡る声で笑うガノさんは、ぴたりと笑みを止めて僕を見た。
「冗談じゃって、本気にしてはいかんぞ。実際、太陽石に干渉出来るのは王家のドワーフのみじゃ。王子君の力がこの太陽石を輝かせたんじゃよ」
 ガノさんは笑って僕の肩を叩いた。
「ほれほれ、自信は湧いたかの?」
 いつもだったら、こんな頼りない不甲斐ない王子なんて…って自分を責めてる所だ。意気地がなくて気が弱くって、マイナスの部分がいつも心から吹き出して分厚い雲のように広がっていた。でも手に握った太陽石の輝きが、決して揺るがない真実として雲を晴らして勇気づける。
 僕はぺこりとガノさんに頭を下げた。
「はい、ありがとうございます」
 そして僕はガノさんをじっと見つめて言った。
「ガノさんはこの研究を発表しないんですか? 王立研究所は諸手を挙げて貴方を迎えてくれるでしょうし、こんな大発見なら名声も思うが侭ですよ。是非、ドルワーム王国に来てください。貴方の研究はドワチャッカの全ての民を絶対に豊かにしますよ!」
 ガノさんは小さく首を振って立ち上がった。
「いや、我輩は行かぬよ」
「どうしてです?」
 白いふわふわの眉毛の影に、鋭い光が灯った。
「我輩には、やるべき事がある」
 その声は先程までと打って変わって冷たく、拒絶に等しい鋭さがあった。気配はがらりと変わり、戦いの場に立たされているような緊張感がひしひしと伝わって来る。僕は思わず生唾を呑んで『やるべき事ってなんですか?』って、聞いてみようと思った。でも言葉は喉の奥に手で押し込められたようで、苦しくてとても言えそうにない。
「でも…」
 僕は確信してる。そしてチリも勘付いている。この人はもの凄い知識を持っている。今の王立研究所が足掻いて手を伸ばしても届かないような先を、この人は歩いているんだ。賢者ブロッゲンに匹敵する知識の持ち主かも知れない。
 僕が退かない事を察したんだろう。ガノさんは気配を緩めて苦笑いを浮かべた。
「王子君は法律の事は知っておるじゃろう。ドワチャッカ大陸の遺跡の不法侵入は罪であるし、その遺跡で見知った知識を隠蔽及び隠匿する事は死罪に次ぐ重罪じゃ。王子君が察している通り、我輩はその罪を問われれば言い逃れできまい」
 元々は遺跡は厳重な古代の封印が働いていて、盗掘なんて滅多に起きる事は無かった。盗掘が死罪の次に重罪になったのは、50年程前に凄腕の盗掘団が現れたのが切欠だった。その盗掘団はありとあらゆる封印や、壊れた装置を修復して王立研究所が調査していない地域に次々と入り込んだ。ありとあらゆる物が盗まれ、多くの歴史的価値のある品物が闇に消えて行ったそうだ。
 しかも、その盗掘団は未だに掴まっていない。遺跡には多くの手掛かりが残されていたが捕まえられず、同業者との関わりも全く無いそれらは、蜃気楼の盗掘団と呼ばれ伝説や幻のような存在になっていた。
 蜃気楼の盗掘団の登場後、ドルワーム王国は盗掘を重罪とした。元々厳しい罰だったが、それ以上に厳しいものとしたのだ。
「王子君が我輩を裁くのなら、我輩はドワーフの民として従わねばならぬ」
 僕は王子だ。王国に代わり、その罪を言い渡す権限がある。ガノさんは王立研究所に連れて行かれて、知っている知識を全ての研究院に公開する事を迫られるだろう。その知識が実証され、さらに発展するとなれば、ガノさんはきっと死ぬまで解放される事は無い。
 ドワチャッカ大陸の民は、余さず恩恵に預かる事が出来るだろう。豊かになり、喜びを共有する事が出来る。
 でも、ガノさんは?
 あんな真剣な顔で言った『やる事』を、ドワチャッカ大陸の民の為に出来ない事にしちゃうの?
 僕は王子だ。一人と大陸の民全員とを天秤に掛けて、選ぶのがどちらだか決まっている。
「ガノさん」
 静かに響き渡る声で、僕は言った。溶岩流の轟々とした音すら遥か遠くの音のようで、とても静かに感じた。
 僕の言葉を待っているガノさんに、僕は勢い良く頭を下げた。
「僕の先生になってください! 僕がガノさんの知識を学んで、ドワチャッカ大陸の民の役に立てます!」
 ガノさんが盛大に噎せた。あまりに激しく噎せ込んで、身体をくの字に折ってとっても苦しそう…!僕は慌てて隣に並んで、背中を擦る。ちょっとだけホイミを掛けて、ほろほろと柔らかい光がガノさんの背中に降り掛かった。
 ようやく落ち着いて来ると、ガノさんは『すまんな』と苦しそうに謝った。
「王子君、本気で言っておるのかね?」
「はい。だって、僕が学んでドワチャッカ大陸の民に使うよう頑張れば、ガノさんはやりたい事が出来るじゃないですか!」
「り、理屈はそうじゃけど…」
 自信たっぷり、大人の余裕たっぷりのガノさんが、おどおどたじたじだ。
「古代技術は奥が深い。王子君が頑張りますで出来る程、簡単ではないのじゃよ」
 僕はにっこり笑って、胸を叩いた。
「大丈夫です! 父上、ドゥラ君やチリ、王立研究院と騎士団の皆、ドワチャッカ大陸の皆さん、皆協力してくれます!」
 皆、凄く立派な人達だ。僕が分からなかったら、その中の誰かが必ず分かる。皆で知恵を出し合って考えれば、どんな難しい事も解決に導かれるはず。
 僕が自信満々に答えると、ガノさんは今度は大笑い。笑い過ぎてお腹を抱えて苦しそう! 涙を浮かべて息を荒げて笑い続けたけど、ようやく落ち着いてきて息も絶え絶えに言った。
「王子君、君は最高に面白い奴じゃ! 良かろう! 君に我輩の知識を余さず伝えてやろうではないか…!」
 やった!僕は嬉しくなって踊りだしたくなっちゃうくらいだ!
「はい!宜しくお願いします、ガノ老師!」
 とたんにガノさんの笑い声が止んだ。微動だにせず僕を見つめ、一言。
「老師?」
「え、師事する方はそう言って敬うものなんじゃないんですか?」
 僕がきょとんとした顔で言い返すと、ガノ老師はしょんぼりと背を丸めた。
「……そうじゃな。我輩はもうお爺さんじゃもんなぁ」
 いきなり元気がなくなっちゃった老師の背中を、僕はげんきになぁれって一生懸命擦った。
 どうしたんだろう。なんか、変な事言っちゃったかな?
 最初っから難問だぞ。むむむ。