その背を押せ。それだけが生き残る方法だ。 - 後編 -

 酷い頭痛だ。
 脱水症状と高温に晒され続けた事で、体が壊れかかっていたんだろう。まるで数日間も高熱に魘されていたような、疲労感と節々の痛みを感じて僕は壁に凭れ掛かった。ボロヌス溶岩流を半日、ほぼ休み無く駆け抜けた体は疲れ果てていた。 
 そんな僕の霞んだ目の前に、コップらしい金属の塊が映り込んだ。
「ドゥラ君、大丈夫かい? エンジュさんがカミハルムイの梅とエゼソルの塩で作ってくれた、特別なジュースだよ。少し飲んだら楽になるって…」
 ラミザ王子の声が聞こえて、誰かの手が背に回るとゆっくりと上半身を持ち上げられる。手にひんやりとした把手を持たされ、支えた誰かの手がゆっくりゆっくりと口元にコップを導いて行く。唇にコップの縁が当たると、冷たく甘くて酸っぱい不思議な味が口に流れ込んだ。だが、口当たりはとても優しく、体に力が染み渡って行くのを感じた。
 焦点が合って来る。僕が視線を合わせると、ラミザ王子はほっとしたように笑った。オレンジの髪の下で、ぱっと明るくなった表情は愚鈍な程に屈託無い。
「あぁ、ドゥラ君! 大丈夫そうだね! よかった!」
 エルフの女性がラミザ王子の後ろから、僕を覗き込んだ。
 彼女はエルトナ大陸の名門、ツスクル村の学びの庭の卒業生のエンジュさんだ。先日ドルワームの王立研究所にやってきた時も、進まなかった研究や行き詰まった研究、更には完成された研究にさえも新しい発見を示した天才だ。回復魔法は使えないが薬草学からの医療に秀でている人だから、この飲み物も彼女が処方したものなんだろう。
 手を取って脈を見たエンジュさんは、もう安心と王子と僕に言った。
「意識がハッキリしましたわね。もう少し涼しい所で休ませれば、回復しますわ」
「ありがとうございます」
 エルフは樹と風の守護を得た種族だ。これだけ強い火の力に満ちた大地では、短期間でも命を落とす事がある。しかし、彼女は炎の精霊達の加護を得ている関係で、熱には僕等ドワーフよりも強かった。
 お礼の言葉に、エンジュさんはすました顔で言った。
「お礼は貴方を運んでくださった、王子様とガノさんにして差し上げてくださいませ」
 少し離れた所で、溶岩の熱気で料理をしていたガノさんが手を振った。古ぼけたコートに無駄無く物品が詰め込まれたリュックサック、腰に固定されたハンマーと鞭が熟練の冒険者を形にしたような風貌だ。髪は艶がなくボサボサの白髪で、とにかく眉毛も髭も髪の毛も量が多い。まるでイエティが帽子を被っているかのような男性だ。
 鍋の蓋を開けて、蓋で湯気を扇げば美味しそうな香りが漂ってきた。鶏肉の吃驚トマト煮だろう。パンも香ばしい香りを放っている。
「それにしても天魔クァバルナは、随分とのんびり屋さんですことね。私達が先に到着出来るとは思いませんでしたわ」
「恐らく、ボロヌスの穴に到着するのが困難なんじゃろう。何十にも重ねられた結界を突破する事は、奴には雑作も無い事であるはずじゃ。だが、それは奴が完全な状態であればの話。精神体だけでは、結界の突破に時間が掛かるんじゃろう。そこらへんは嬢ちゃんの専門じゃろう?」
「精霊達に危ない悪魔の様子を見に行けとは、流石にお願いできません事よ」
 チーズを削り温かいトマト煮の上に散りばめれば、熱でとろりと解けて広がる。焼いたパンと鉄の匙を添えたお椀を持ってきて、ラミザ王子は心配そうに僕を見た。食べれるかと聞きたいんだろう。言葉にしなくても、だいたい察しがつく。単純で只管に優しい、それだけの王子様だ。
 僕は気怠さが抜けないながらも、お椀を受け取った。
「ありがとう。大丈夫だ」
 そしてガノさんとエンジュさんの談話に耳を傾ける。内容はドワチャッカ大陸に存在した古代遺跡の話と、呪文を魔法陣に落とし込む方程式等で、二人の興味関心でころころと変わった。しかしその内容の深さは王立研究所の研究員を凌駕しており、僕でさえ耳を疑う新事実が明らかになる事が多かった。
 ガノさんは王立研究所に出入りする研究員チリの知人で、ラミザ王子が頭を下げて師事する事に決めた人物である。
 ドワチャッカの歴史には名前すら出ない無名の冒険者だったが、その経験知識は今まで無名だったのが不思議なくらいだ。本来なら王立研究院に無理矢理でも迎え入れたい所だが、ラミザ王子が頑なに『僕がガノ老師から一生懸命学ぶから、止めて欲しい』と懇願した。大陸全土の民と一個人とは比べ物にならないのに、何を躊躇っているのだろう。
 苛立ちはするが、もう少しの辛抱だ。
 王に認められれば、僕は王子の意見を聞かなくても全てを自由に決める事が出来るだから…。
「天魔復活を阻止する古代文明の英知の結晶が一気に作動するとなると、我輩は楽しみでならんな! あぁ、早く精神が肉体に戻って来んかのぉ! 早く作動する所が見たいぞい!」
「本当、楽しみですわ!イオグランデやメガライアーを放っても、誰にも怒られない正当な討伐依頼! あぁ、早くあの呪文もこの呪文も試したいですわ!」
 思わず溜息が出る。心配しきりでおろおろするラミザ王子が、まともに見える程だ。
 僕はドルワームの救世主と崇められた直後に、成り行き次第では大罪人と呼ばれる事になるんだ。人の人生の分岐点で、脳天気に好奇心に目を輝かす二人に苛立ってしまう。
「天魔クァバルナがどれだけ危険な存在か、お二人とも分かっておられるんですか?」
 この二人はこんな調子だ。無知だとすれば、甘いとしか言い様が無い。
 僕の言葉にガノさんは、これは失礼と天魔クァバルナの説明をしだした。その内容は要点を見事にまとめた理想的な説明だったろう。
 500年前にドワチャッカ大陸に現れ、今まで同族で争っていたドワーフ達が1つとなってようやく封印する事が出来た強大な悪魔。天魔クァバルナの精神はカルサドラの魔瘴石として封印され、肉体はこのボロヌスの穴の奥深く『海底の牢獄』と呼ばれる場所に封印された。
 僕はドルワーム王国を救う際に用いた、魔瘴石を太陽石に変える秘術を使った。その際に大量の魔瘴石を必要とし、クァバルナが封印されていた魔瘴石を掘り起こしてしまったんだ。結果的に僕は天魔クァバルナの封印を解いてしまった事になる。
 少し表情が暗くなった僕に、ガノさんが笑った。
「クァバルナが封印されていたのは、恐らく特大の太陽石じゃったんじゃないかのぉ。クァバルナの禍々しい精神が500年の年月を掛け太陽石を蝕み、あのような巨大な魔瘴石になってしまっておったんじゃないかって思うんじゃよ。封印の札も触れれば風化する程、院長君がしゃしゃり出んでも封印が解けるのは時間の問題じゃったよ」
 そこでガノさんが大声をだした。何事かと思う僕等を後目に、立ち上がると足早に歩き出す。
「遺跡は訪れる度に新しい発見があるものじゃよ」
 潮の満ち引きでこびり付いたフジツボ、流れ出した溶岩を波が削りだした極普通の洞窟。その天然洞窟の一カ所、僕等が休んでいる広間の真ん中に石碑が1つだけ設置されている。ガノさんが石碑に歩み寄る石碑にランタンの光を翳してみせた。石碑には天魔クァバルナとの戦いで死んで行った戦士達への、弔いの言葉が記されていた。天魔クァバルナの肉体を封じたここは、最後にして最も熾烈な戦いが繰り広げられた場所でもあったのだ。
 ガノさんの隣に並んだラミザ王子が、鼻を啜り涙声で石碑を見上げる。
「あぁ、沢山の人が死んでしまったんですね。僕、頑張って彼等の為にドワチャッカの未来を守らないと…!」
 ガノさんがラミザ王子の頭をそっと撫でると、ごそごそと胸元から何かを取り出した。それは金色の鍵。赤い宝石を嵌め込んだ目玉のような形の、やや湾曲した金の棒に見える。金色は不思議な光沢を放っていて、ランタンの光に金にも銀にも銅のようにすら見える。見た事の無い不思議な鍵だ。
 ガノさんはその鍵を、石碑の彫り込まれたドワーフの紋章に差し入れるように当てた。すると金属は融けるように石碑に溶け込み、赤い宝石が青く輝く。青い光はボロヌスの穴全体に行き渡り、凄まじい量の幾何学模様で青白く輝いた。おそらくもなにも天魔クァバルナを封印する為に、この地に施された全ての術式を開示させたんだ。なんて技術だ。僕は呆気にとられて開いた口が塞がらない。
「相変わらず、素晴らしい!」
 ガノさんが歓声を上げて、輝く洞窟を見回した。
「どの魔法陣もあらゆる古代王朝の垣根を超えた、当時の最良の構成…! しかも精神体が復活した関係で、以前開いた時には無かった魔法陣まで…あぁ、なんと素晴らしい!」
「構築に使われた理論に、無駄が一切感じられませんわ! あぁ、なんて感動的な光景なんでしょう!」
 ガノさんとエンジュさんが手を取り合って跳ねている。
 僕は魔法陣を見ると、大まかに3種類に分類されるのが分かった。天魔クァバルナの精神が肉体に戻るのを阻害する為の魔法陣。精神に戻った際には、再び最封印を試みる為の魔法陣。そして最後は天魔をここから出さぬ為の魔法陣。それらが細かな1つの網のように編み込まれ、張り巡らされている。偉大なる先人は天魔復活を視野に入れていたのだろう。
 まるで洞窟全体が光り苔に覆われたような神秘的な空間が、ガノさんの手の動きに連動して動き出す。
「ちょっくら、弄ってしまおうかのぉ。悪戯心は大事じゃぞい」
 感心と感動に、ガノさんの言葉が容赦なく水を注す。
「何を考えているんですか! 先人が苦心してクァバルナ対策の為に敷いた魔法陣を、貴方みたいな素人が弄ったら意味を失ってしまうじゃありませんか!」
 僕はガノさんが年上であるにもかかわらず、声を張り上げた。洞窟内に容赦なく響いた声に、ガノさんは耳を手で塞いで悪戯でもバレた子供のような態度だ。賢者ブロッゲンさまと同じくらいの年齢であるだろうに、なんて常識が無いんだ!
 ガノさんはエンジュさんを見上げて言う。
「結果が見えて面白味もないなら、意外性が欲しかろう。なぁ、嬢ちゃん?」
「そうですわね。ガノさんはクァバルナがこの封印を簡単に破ると察しているのでしょうし、そうならない為の可能性を上げるのなら賭けはありだと思いますわ」
 う。流石はエンジュさん。的確で冷静な分析は、僕の熱くなっている考えを諌めた。
 きっと、嫉妬しているんだろう。そして怒りも抱いている。深呼吸をして心を落ち着けた僕の耳に、また意外な言葉が飛び込んできた。
「王子君、太陽石を出してはくれんかね?」
 は?
 ラミザ王子が一瞬僕に気を遣うように見たが、そっと小さい巾着袋からインク瓶程の大きさの太陽石を取り出した。散々と輝く太陽の光は、まるで僕等を空高く舞い上げたように錯覚させる。エンジュさんが素晴らしいですわと、王子の横から太陽石を見た。
 そう、それは紛れもなく太陽石だった。それもとても純度の高い、ドルワーム王国の謁見の間に残された太陽石が鈍く感じる程の黄金色に輝く石。見る者に希望を与え、不安に凍える気持ちを温める不思議な光を放っている。僕の知らない太陽石が存在していたのか? だとしたら、国はどうして僕に秘密にしていたんだ…? 僕はこの国の希望であったはずなのに…
 ガノさんが呆然としている僕を見て、苦笑した。
「なんじゃい、王子君。太陽石を誰にも見せとらんのか。折角、太陽石の所有者としてちやほやされたじゃろうに、お馬鹿さんじゃのぉ」
「ぼ、僕一人の力で作った物ではありませんし、ドゥラ君の邪魔になりたくなかったんです」
 作った? この自信が無くて何をさせても二の足を踏むような王子が、太陽石を作ったのか? いや、ラミザ王子ではなくこのガノと言う老冒険者が作ったに違いない。僕が作り上げた太陽石錬成の魔法陣を、他に誰が生み出せるだろう。しかし、この老冒険者はチリが言うには遺跡専門の冒険家だそうだ。古代遺跡に残っていた知識から、太陽石を生み出す程の知識を得たと言うのか…?
 僕が疑問と解析を並べている間に、ラミザ王子とガノさんが太陽石を挟むように向かい合った。
 太陽石の温かい光が、青空のように空間に染み込んで行く。エンジュさんはうっとりとその空間を見つめ耳を澄ましているようだ。微かに魔法陣の奏でる音楽と、太陽石の光が共鳴して美しい音楽を奏でたように思える。
 それも一瞬の事、ガノさんは洞窟に展開させた魔法陣を閉じると全員を食卓に着かせた。とりあえず腹を満たさねばと、皆がそれぞれに食べかけの料理を完食する為に手を動かし始めた。強大な敵を相手にするのに、まるで遠足のような雰囲気だ。
 嵐の前の、静けさとも言えるだろう…。

「さーて、皆の衆気張って行くぞい! ぶっ殺すつもりで行かんと、殺されてしまうからの! 我輩はまだ死ねんぞ!」
「クァバルナには魔力覚醒暴走魔法陣の上での、メラガイアーやイオグランデを味わう機会を存分に差し上げます事よ! 楽しみですわね!」
 それは笑い声で自らを奮い立たせているのか、なんとも明るい出陣の掛け声だった。
 僕と王子も顔を見合わせて、小さく頷きあった。先を悠々と歩くガノさんとエンジュさんを追って、僕達はボロヌスの穴の最奥を目指し始めた。徐々に潮風が強くなり、磯の香りが僕等を包み込む。辿り着いた海に侵蝕され入り江のようになっている洞窟の水面には、只ならぬ魔力が満ちていた。
 ここがボロヌスの穴の終点、天魔クァバルナの肉体が封印された海底の牢獄の入り口だ。
 僕が一歩前に出ると、両手を翳し入り口を開く為の魔法陣を展開する。水面にふわりと浮かんだのは、青白い光を放って渦巻く旅の扉だ。ガノさんは元気よく、エンジュさんは淑やかな笑みを浮かべ羽を羽ばたかせて、ラミザ王子はおどおどと危なっかしい足取りで扉を潜る。
 僕が続いて飛び込めば、いきなり尻餅をついた王子に蹴躓きそうになった。
 その空間は海の中。頭上には突撃魚や沢山の魚が群れを成し、太陽が海面の波にキラキラと輝いている。魔法陣が敷かれた空間の真ん中に、石像のように立ち尽くす大鳥が一体。極彩色の翼を生やし、筋肉隆々の骨格を覆うのは、珍しい装飾の数々。天魔クァバルナの精神が戻っていない肉体は、まるで芸術品のような勇壮さがあった。
 王子が驚いた正体を理解した僕は、王子の隣に膝を付いて声を掛けた。
「王子、精神はまだ戻ってきてはいません。まだ、大丈夫ですよ」
 ひとまずラミザ王子を立たせたが、警戒は解かない。魔法陣が強大な力の干渉に、魔法陣の輝きが明滅を繰り返す。天魔クァバルナが魔法陣を破ろうとしている力と、古代の人々が敷いた妨害の力がせめぎあっているのだ。
「クァバルナの精神が結界を破っていますね」
 エンジュさんが緊張した面持ちで、頭上を見上げた。
「まるで薄氷を割る勢いですわね」
 僕達の言葉に、ガノさんがハンマーを担いで行った。
「精神が戻るのを止める事は無理じゃろう。肉体に戻ったら、仕留めるぞい」
 ガノさんが言い終わるのとほぼ同時に魔法陣の輝きが陰り、薄暗い空間に死臭が吹き荒れた。暗くなった空間に一際くらい影を落としたクァバルナの肉体に、点々と輝きが宿る。それはクァバルナの瞳が開いたからだ。顔に翼に胸元に、真ん丸い感情の無い深紅の瞳がこちらを値踏みするように見た。
 ラミザ王子の悲鳴が上がると、天魔クァバルナはさも愉快そうに高笑いを上げた。耳に障る金切り声に、ドワーフの民の魂に刻まれた恐怖心がわき起こる。
「永キ年月デ アッタ。忌マワシキ封印ハ ツイニ解カレタノダ!」
 そして嘴が僅かに開き、おぞましい死臭の吐息が吐き出される。
「コノ世界ノ全テノ生命ハ、我ガ糧。先ズハ 貴様等ヲ 食ラッテヤロウ! 誉レアル我ガ糧トナル事、光栄ニ思ウガイイ!」
 鈍くなった魔法陣の輝きが、天魔クァバルナの咆哮を切欠に再び強く輝きだした。足下が光で見えなくなる程に輝くのは、最封印を試みる術式とこの牢獄を閉じる為の術式だ。だが、それすらも完全復活したクァバルナには役に立たない…!
「初めまして、クァルバナさん! さぁ、たっぷりとご堪能下さいませ!」
 瞬く間に隣で暴走魔法陣を敷き、魔力覚醒を実行したエンジュさんが高々と両手を挙げた。海水がぼこぼこと沸騰し、周囲は噎せ返る程の熱気に満ちる。小さな太陽のようなメラゾーマの発動速度は普通の魔法使いの比ではない。
 しかし、クァバルナが翼で己の身体を包むようにして、メラゾーマを待ち受ける。轟音と共に命中したが、勢いよく開かれた翼が衝撃波を生み出し炎を掻き消した。その様子にエンジュさんが楽し気に笑う。
「そう来なくては! メラゾーマ程度で倒れてしまわれては困りますわ!」
 ひゅんと空気が動く。次の瞬間とてつもなく重い一撃がクァバルナを打った。エンジュさんのメラゾーマの影に隠れて放たれた、ガノさんのハンマーがクァバルナの体勢を崩す。元々重量のあるハンマーに鞭を取り付け、遠心力を足した一撃はゴーレムとて瞬く間に粉砕する程の威力になるだろう。しかもハンマーで必要な接近のリスクが全く無い。
 僕は我に返ると、バイキルトとスクルトを唱える。戦い慣れた冒険者達のサポートをしなくては…!
 ガノさんが畳み掛けるようにハンマーをコントロールする。ガノさんがハンマーを引き次の一撃を放つまでの隙は、エンジュさんのメラゾーマやイオナズンが放たれる。まるで流星群がクァバルナを目掛けて落下しているような、完成された連携攻撃だ。
 しかし次の瞬間、ガノさんが唸った。即座に鞭を手放し、僕等から離れるように駆出す。次の瞬間、ガノさんが立っていた場所にハンマーが突き立っている。クァバルナがハンマーを掴んで投げ返したんだろう。それすらも予測していたのか、ガノさんは予備の鞭でハンマーを引き寄せ向かって来るクァバルナを迎え撃つ。
「調子ニ乗ルナァアアア!!」
 ガノさんが放ったハンマーを爆裂拳で受け流すと、クァバルナの痛恨の一撃が空間を揺らした。そこからあれほど空間の中に響き渡っていた音が無くなり、ガノさんらしき人影が倒れ伏しているのを冷静に見ている僕が居た。
 そんな僕に今にも泣きそうなラミザ王子が、よろよろと凭れ掛かった。
「何をボーっとしておられるの! 王子様はドゥラ院長と、ガノさんを助けていらっしゃい!」
 エンジュさんの声に弾かれたように、ラミザ王子が盾を構えて僕の手を引っ掴んで駆出した。顔に雫が当たりながら、クァバルナの真横に倒れているガノさんを目指す。立ちはだかるクァルバナに臆する事無く、王子は体当たりをするように走る。強烈なクァバルナの一撃を盾で受け流し、ラミザ王子は僕を掴んだ手に力を込めた!
 な、何を…
 体が宙に浮く。視界がぐるんと回転し、僕は背中から地面に叩き付けられた。息が詰まり喘ぐ僕の隣には、倒れたガノさんがいる。
「うわぁああああ!」
 悲鳴なのか気合いなのが、大声を上げながら王子は盾を構えてクァバルナに体当たりをして吹き飛ばす。僕達をクァバルナから少しでも遠ざけようとするラミザ王子の背中は、言い様も無いくらいに頼もしかった。そんなことに、今更気が付くなんて…な。
 僕は気持ちを改め、ガノさんに向き合った。攻撃が入ったのは一撃だけだったらしいが、彼が被っていたヘルメットは砕け白髪が真っ赤に染まっている。血溜まりが頭部を中心に今もゆっくりと広がっていた。致命傷の一撃だが、まだ弱く息がある。流石、頑丈さは5種族で最強のドワーフだ。
 僕は倒れたガノさんに両手を翳し、静かにザオリクを唱え始めた。

 閉じた目を開いても、そこは薄暗い闇だった。海底の牢獄ではなく、何処かの遺跡のようだ。見慣れない多くの生命の立ち入りを拒んだ異形の遺跡。ドワチャッカでも、他の大陸にもないような、言い様の無い不気味な遺跡だった。まるで怪物の体内にいるかのような、遺跡自体が脈打っているかのようだ。
 目の前には見上げる程の大きな扉があり、扉の前が淡く輝いていた。光の傍には二人の人影が見える。一人はオーガ、一人はドワーフだ。光を操っているのは、どうやらドワーフの方のようだ。
「ガノ、さっさと開けちゃってくれよ。嫌な匂いがしないうちによ」
「この扉は今までで最高の難易度だから、時間が掛かってるんだよ。でも、もう少しだ」
 ガノと呼ばれたドワーフは真っ黒い黒髪だ。声も若い。
 ガノの隣に並んだオーガが、ボルカノハンマーで自分の肩を叩きながら言った。神経質に周囲の匂いを嗅いでいるのか、鼻息が荒い。
「そう言えば、ガノ。俺様達がドワチャッカで『蜃気楼の盗掘団』って呼ばれているのを知ってるか? 知らねぇよな。お前、本当に危機管理なってねぇもんな。あれがかなりヤバそうな匂いでよ、暫く熱り冷まして大人しくしようと思ってんだ。掴まったら死罪の次に重罪とか、あいつら本気だぞ」
 へー。ガノが生返事を返す。
 その様子にオーガが『これだからガノは困るよ』と溜息を吐いた。
 『蜃気楼の盗掘団』その言葉に僕は思わず目を見開いた。かつて、ドワチャッカ大陸を中心に世界中の遺跡を荒し回った、伝説の盗掘団の呼称だ。古代遺跡は厳重な封印や、魔物の巣窟等の危険地帯、老朽化等の崩落で盗掘自体難しい状態だった。そんな古代遺跡だったが、ある時から封印が片っ端から解除され、貴重な財産が盗掘される被害が相次いだ。手掛かりが多かったのに盗掘団は決して尻尾をつかませず、盗品も数多くが闇に消えて行った。ドルワーム王国は被害を重く見て、この盗掘団が活動し始めてから盗掘の取り締まりを強化し罪を重くしたのだ。
 まさか、たった二人、しかもその一人がガノって名前だったとは…。
 でも、その事実は僕を納得させた。あの古代遺跡に詳しすぎる知識も、蜃気楼の盗掘団の一人と思えば当然かも知れない。
 扉全体に青い光が行き渡り、見た事も無い複雑な魔法陣が浮かび上がる。光が弾けるように消えると、ぎいっと鈍い音を響かせ把手の無い不気味な扉に隙間が出来た。まるで冥界の闇を思わせる漆黒に、オーガの巨体が滑り込む。ガノも続こうと重い腰を上げる。
 この先に行かせては行けない。
 僕は理由を考える前に駆出し、ガノの腕を取った。驚いて僕を見たのは、少し年上のドワーフの青年だ。眠そうに垂れた目元、ヘルメットから溢れたボサボサの黒髪は年老いたガノさんに似ていなくもない。でも雰囲気はベテラン冒険者とはほど遠く、どちらかと言えばラミザ王子に似ているかも知れない。
「そこから先に進んではいけない」
 僕の言葉に、ガノさんは怪訝な顔をした。腕を振りほどこうか迷っている視線の先で、オーガの声が響いた。
「ガノ! どうしたんだ! 早く来いよ! 黄金の腕輪だぞ! すっごい値打ち物に違いないぜ!」
 歓声が響き渡っていたが、それが次第に恐怖に塗れた悲鳴に変わって行った。魔物や何かに襲われているような悲鳴ではない。逃げるに逃げられぬ迫り来る恐怖に逃げ惑う時に発する悲鳴。悲鳴は『なんだこれは』と疑問の言葉を断片的に混ぜていたが、その内言葉は無くなり苦悶の呻き声に代わり、最後は獣の声のようになっていった。
 扉の僅かな隙間から、死臭、魔瘴、そんな類いの匂いが鼻を突く。
 ふらふらと扉に近づこうとしたガノさんの腕を、僕は力一杯引っ張った。尻餅をついたガノさんの頭上を、鋭いかぎ爪が通り過ぎていった。ガノさんの顔におびただしい量の血が降り注ぎ、瞬く間に真っ赤に染まる。
 扉から覗いたのは指先だった。指先だけだったが、指一本がゴーレムの腕と同じくらいに太い。闇の中にきらりと金色が見えた。それは巨大な指先の付根、手首に当たる部分に肉を裂き骨を削るように怪物の体に食い込んでいる。ガノさんの体に降り注いだ血は、黄金の腕輪によって傷つけられた怪物の血だった。
 なんなんだあれは!
 僕はガノさんの手を引いて駆出した。一刻も早く、この怪物から逃げ出さねばならないと思った。吐き気が込み上げるような、凄まじい恐怖。僕は力一杯ガノさんの腕を掴んで走り続けた。
 闇の中を只管駆け続け、突如手が引かれた。立ち止まったガノさんは、僕に静かに語り掛けた。
「もう、大丈夫じゃよ。院長君」
 院長君。そうガノさんは僕を呼ぶ。振り返ると、そこには年老いた僕の知っているガノさんが立っていた。切なそうに一度だけ背後を見遣ると、ガノさんが手を翳す。旅の扉が現れ光が闇を照らし瞬く間に僕達を戦場に連れ去った。

「遅過ぎですわよ! 早く起きてくださいまし!」
「あだだだ、エンジュの嬢ちゃんは、死にかけた老人にもう少し優しくしてやって良いと思うぞい!」
 いつの間にか僕等の真横に後退してきたエンジュさんが、目覚めたガノさんの耳を引っ張って起こす。ガノさんはひいひい言いながらも嬉しそうに笑った。
 ラミザ王子が天魔クァバルナの攻撃を凌いでいるのが遠目からでも分かった。攻撃を捨て防御と妨害に徹していても、あの天魔クァバルナの猛攻に持ち堪えられるとは大したものだ。例え、ガノさんにザオリクを施して、今に至るまで数秒の事だったとしてもだ。
 エンジュさんが大きくヒビ入ったガノさんのボルカノハンマーに、太陽石を捩じ込んだ。そして、そのハンマーにメラガイアーとイオグランデの呪文を仕込み始める。強大な魔力を溜め込んだ鎚の状態を見て、エンジュさんが小さく頷いた。
「これで、以前カミハルムイの蜘蛛を退治する際に使った、隕石落としだったかしら? あの技を使ってくれません事?」
「真・アースブレイクな」
「今回のは太陽落としとでも名付けましょう」
 ガノさんがにやりと笑うと、僕とエンジュさんに離れるよう指示した。ガノさんは鞭を鎚に巻き付けると、自分の体を回し大きく振り回した。鎚が遠心力を得てまるで竜巻のような突風を纏って、空間内を掻き乱す。それに便乗して輝きだしたのが、黄金の魔法陣。おそらく、ガノさんが悪戯と称して追加した仕掛けだろう。ボルカノハンマーに捩じ込んだ太陽石が、水星のように線を描く。
 最高速度に達した時、ガノさんが叫んだ。
「王子君、逃げとくんじゃぞ!」
 ひゅうん!
 高く空気を切り裂く音を響かせたハンマーは、次の瞬間灼熱に輝いた。牢獄を包んでいた海水を瞬く間に蒸発させ、夜空を真昼に染め上げるのは小さいながらに立派な太陽!海底に差し込んだ眩しい陽光は、僕達を見守るドワチャッカの輝かしい太陽そのものだ。
 太陽がきらりと光った瞬間、重い衝撃を伴ってクァバルナ目掛けて落下した。その衝撃はガノさんを一撃で戦闘不能にしたクァバルナの一撃とは比べ物にならない程に、大きく結界が壊れるのではないかと思う程だった。落下した瞬間にイオグランデが発動し、天魔クァバルナが一瞬にして火だるまになる。しかし、太陽石の力を加えた炎を振り払う事は出来ず、クァバルナが苦し気な悲鳴を上げて燃え上がった。
 太陽石の光が輝くのと、魔法陣が呼応し海を黄金色に染め上げる。クァバルナが急速に力を失って行くのが、僕にも感じられた。
 炎の中から、クァバルナが手を伸ばす。
 僕は皆の前に躍り出ると、防御の魔法を展開した。凄まじい衝撃が障壁を叩いたが、それだけだった。
「コレカラ 始マル…愚カナル ドワーフ達ヨ 一時ニシテ 最後ノ 平安ヲ 楽シムガ 良イ…」
 天魔が炎の中で崩れ落ち、黒い魔瘴の煙となって消えて行った。
 割れたボルカノハンマーの中に残った太陽石が、夕焼けのように淡く輝いた。その輝きに僕は大きく息を吐く。
 天魔クァバルナの最後の言葉を反芻しながら、まだまだ解明するべき謎があるのだろうと考える。それも背後から抱きつきうれし涙で服を濡らして来るラミザ王子や、頭を強引に撫で回して来るガノさんや、楽しそうに笑っているエンジュさんに中断させられる訳だが…。すると、ラミザ王子が僕の顔を覗き込んだ。
「あ、ドゥラ君が笑った!」
 ラミザ王子の言葉を否定しながら、僕は足早に魔法陣を出ようとする。
 こんな弛緩しきった顔、誰にも見せたくない。