運命の女神は賽を振る - 前編 -

 大地の箱船は5つの大陸を結ぶ大陸間鉄道だ。草原を駆け抜け山を穿ち砂漠を横断し海を越える。
 その巨大な鉄道はイザクさんという人物の挑戦から、百年あまりの年月を掛けて完成したんだって。見渡す限りの大海原を滑るように走る鉄道には、僕達を含め沢山の人々が乗っている。次の停車駅がグレンだから、やっぱりオーガが多めかもしれない。それでも殆ど全ての種族が乗り合わせてる。
 コロシアムの熱い試合を身振り手振りで話すオーガ達、練金効果の大成功確率を論議するドワーフとエルフ、ナンパして見事に張り手の返答を頂くウェディ、お菓子を食べてきゃっきゃ賑やかなプクリポ達。それぞれが思い思いに、この1つの区間でも長い列車の旅を楽しんでいる。
 僕と一緒に乗った兄さんと言えば、隣で朝ご飯を食べて満腹になったから高鼾だ。
 猫耳に赤いちょんまげ頭が、幸せそうに寝息で揺れている。あぁ、満腹だからプクリポの丸いお腹がもっと丸くなって、お腹が服から出ちゃってるよ。ちゃんとお腹は隠して寝てねって掛けた膝掛けは、見事に可愛い足で蹴り飛ばされてる。
 もー、しょうがないなぁ。
 でも、窓から差し込む太陽の光が僕の代わりに、日差しの布団を掛けてくれてる。むにゃむにゃ。まったく幸せそう。
 僕は窓辺から再び外を見遣る。僕は幽霊みたいだから、影が兄さんに落ちる心配は無い。
 エテーネで海の話をした事がある。見渡す限りずっと続く大きな大きな湖。僕とテンレス兄さんとシンイさんで、一回転しても何も見えない大海原に行こうって話した事がある。
 世界は広い。陸地が無い空と海だけの世界。がたんごとんと動く列車は、僕の全速力の駆け足よりもずーっと早い。
『…ん?』
 なんだか変だ。
 僕は顔を上げて箱船の中を見遣る。揺れ方が変わった気がしたけれど、乗客は誰も気にした様子が無い。気のせいだったかな? そう視線を海に戻そうとした僕の目の前で、乗客が次々と掻き消えて行く。
 僕は慌てて兄さんに視線を向ける頃には、もうあんなに沢山いた乗客は殆どいなくなってる。
 兄さんは淡く輝きながら消えて行きそう!
『兄さん…!』
 手を伸ばしても掴めないって分かってる。でも、掴もうと手を伸ばした先で、兄さんは光の粒子になって消えてしまった。
 僕は立ち上がって周囲を見回す。がたんごとんと音が響く列車の中は無人になっている。プクリポ達が食べ散らかしたお菓子の袋も、ドワーフとエルフ達の間に散乱していた計算書の紙の束も何も無い。そこに人々が居た形跡すら無くなっている。外の景色は相変わらず空と海だけだ。
 あぁ、どうなってるんだ!?
 ぺらり。紙を繰る音が耳を掠めた。
 それは僕の座っていた席よりもずっと後方。そこには黒髪を肩で切りそろえた、僕よりも年下だろう幼い丸い顔立ちの女の子。彼女は優雅な手付きで、ややまるっこいけど読みやすい文字で手紙を書いている。手紙の束は彼女の座っている座席の隣に山積みになっていて、時々うーんと唸る声が聞こえていた。
 他に声を掛ける人も見つからない。僕はおずおずと彼女に声を掛けた。
『あの…』
 彼女は直ぐさま顔を上げた。吃驚したように碧の瞳を見開くと、慌てて立ち上がり通路から僕の前に回り込む。両手をお腹の前で組み、背筋を伸ばして宿屋のコンシェルジュがするような丁寧な会釈をする。
「お客様にお気づき出来ず申し訳ございません。私は世界宿屋協会、コンシェルジュマスターを任されておりますアインツと申します」
 ぺこぺこ。下げられた頭を僕は呆然と見るしかなかった。
 絶対に僕より年下だろう、アインツと名乗った少女は顔を上げると首を傾げた。
「失礼ですが、お客様。何故この箱船を、ご利用になっておられるのですか?」
 そうだ。僕は兄さんと箱船に乗っていた事、突然僕以外の皆が消えてしまった事を伝える。アインツは僕が説明を終えるまで耳を傾けていたが、うーんと唸った後に僕を見上げた。
「旅券を確認させて頂いて宜しいですか?」
 旅券。つまり箱船のチケットって事かな?
 僕が身体を調べると、胸元からひらりと紙が一枚落ちる。
 アインツが屈んで拾い上げたそれは、ホーローさんという賢者様がくれた運命の箱船に乗れると言うチケットだ。古めかしい鼈甲色に変じた紙には、薄らと飴色になったインクで辛うじてチケットだと分かる。アインツはチケットをゆっくりを見て、嬉しそうに微笑んだ。
「これは大変懐かしいものですね」
 アインツはチケットを僕に返すと、模範的なコンシェルジュの一礼をする。
「失礼いたしました。お客様はどちらに向かう事をご希望ですか?」
「えっと、僕は兄さんと500年前のグレンの事を調べに…」
 そこまで言うと、アインツは優しく微笑んだ。
「エテーネの方がこの箱船に乗車されるのは、随分と久しぶりの事ですからね。大丈夫。500年前のグレンへお送りいたしましょう!」
 え?
 僕の手を取ると、アインツはずんずんと箱船の先頭車両を目指す。柔らかいソファーやワックスの美しい床板、壁を縁取る金具の彫刻も僕達の知る大地の箱船に似ていても豪華だ。がたごとと心地よい震動を羽の様に軽やかに進むアインツは、先頭車両の扉をノックもせずに開けた。
「ケネスさん!目的地変更です!」
 元気な声に、気怠そうな呻きに似た声が返ってきた。
 機関室は前面が鋼のような金属に、様々な計器が取り付けられて1つの芸術のようだ。そして黄金色の先頭部分の手前には、船の操舵輪が取り付けられている。その操舵輪を握っているのが、赤い髪と赤い瞳の男。だらしのない着こなし、髪もぼさぼさで、舵輪を握っているというよりも寄りかかっているようだった。
 ケネスと呼ばれた男は、僕を見るなり驚いたように目を丸くした。
「お…オバケ!?」
 オバケじゃない! 確かに僕はふわふわして透けてて、見える人も声が届く人もちょっとだし、兄さんの身体借りちゃったり出来るけどどオバケは酷いよ! もの凄い既視感を感じながら、内心で突っ込む。
「アインツ!手当り次第に何でも乗せるんじゃねーよ!」
「もぅ!ケネスさん!ルアム君は死んでませんよ!ちょっと魂の状態でふらふらしてるだけです!」
「がっつり、幽霊じゃねぇかよ!」
 違います!違くねぇ!そんな押し問答をする二人を、僕は呆然と見るしか無かった。
 あ、あの…。僕は声にもならなそうな言葉を絞り出すと、アインツが響く声が遮った。
「行き先変更ったら変更です!行き先は500年前のグレン駅です!」
「どう考えても無理だろ! 流石のお前でもそれは無理!」
 ケネスさんの声も大きい。路地裏で恐喝している男性を、想像して具現化したら目の前のケネスさんになるのはほぼ間違いない。無精髭も凄いし、僕もけんか腰しか見えてないからとても柄の悪い人に見えるんだよな。
 アインツは僕の横に下がって来ると、僕の腕を取った。
「ルアムさんはエテーネの人です。大丈夫!行けます!」
 その言葉にケネスさんが、ほぉと唸る。そして口元に煙管を持ってきて、火を付ける。ぷかりと煙を吐き出すとにやりと笑った。一気に怖さが薄れて人が良さそうな印象になる。
「なーんだ。エテーネの奴か。久々だなぁ」
 彼等は僕の事、というよりもエテーネの村の人の事を知っているみたいだ。でも、変だ。ケネスさんは見た目は中年になりそうな大人だけど、アインツは僕より年下のあどけなさの残る少女だ。二人が口を揃えて『久しぶり』というのは、なんだかおかしい。
 僕の疑問が質問にならないうちに、アインツが操舵輪の前に僕を引っ張って行く。しっとりとした磨かれた木材の舵輪を握らすと、僕に微笑みかける。
「私が居るから大丈夫です!さぁ、500年前のグレンへ行きましょう!」
「ど、どうすれば良いの?」
「貴方が運転していれば、500年前のグレンに到着出来ます。大丈夫です」
 そうして僕が操縦をする事になったが、取り立ててする事はない。箱船は延々と敷かれた線路を走り続け、変化のない海と空と一本道の風景が続くばかりだ。何度も振り返ったが、アインツもケネスさんも大丈夫の一点張り。時々紅茶やクッキーで一息つく事があったが、本当に着けるのか不安になるくらいだ。
 でも、僕が少しでも不安になるとアインツは聡い。直ぐさま、ちゃんと着きます大丈夫と言う。
 ただし、僕が操舵輪から手を離す事は許されなかった。そうしないと着けないとアインツは言うのだ。
 どれくらいそうしていただろう。
 外の風景は変わらない。太陽のや月の位置も空の色も変わらず、僕は兄さんと離ればなれになってどれくらい経ったのかすら分からなくなっていた。等間隔の箱船の音、押し寄せる潮騒。僕はいつの間にかうとうととしていたのかもしれない。
 エテーネの村には大きな大きな亀様がいた。僕等の村の守り神。いつも寝てばかりで、赤銅色の甲羅と竜の鱗のような厚い皮は遠目から大岩のように見えた。
 テンレス兄さんが亀様に乗って僕に手を振っている。僕は亀様が起きて歩いているのを見て、目を丸くするんだ。
 『ようやく、ルアムも亀様に乗れそうだな』
 テンレス兄さんは青紫のさらさらした髪の下で満面の笑顔になった。大きな手が僕に伸ばされ、僕はその手を握る。
 亀様はとても大きい。その背から、エテーネ村の周辺が全て見渡せた。兄さんが失敗していつも熱りが冷めるまで身を潜める不思議な石がある森、広大な草原、遠くに聳える山から落ちる滝まで見えた。兄さんが手綱を引いて笑う。
 『さぁ、行くぞ。しっかり掴まってろよ、ルアム!』
 亀様が輝く。光が広がり、亀様の形が変わって行く…
「あ、到着しますね!」
 アインツの声が真横に響いて驚くと、目の前の景色に更に驚いた。そこは空と海の世界じゃない。赤茶けた荒野と目の覚めるような青空で二分された大地。峡谷を走る線路は、谷底から剣のように突き立った巨大な大岩に吸い込まれるように続いて行く。大岩に穿たれたトンネルに箱船は吸い込まれた。
 ケネスさんが横に歩み寄ると、レバーをゆっくりと操作する。彼の操作に箱船が応じて、ゆっくりと減速して行くのがわかった。鈍い音を立てて停止すると、それぞれ出発の為の準備を始めた。
 アインツは大きめのバッグを腰に固定し、淡い空色の外套と不思議な服を着ている。彼女には大き過ぎる青い槍と力の盾を抱えると、最後の点検と書類を片付けている。ケネスさんは小さいリュックを身体に密着させ、町の人の普段着のような服の上にぼろぼろの外套を羽織る。隼の剣を二本腰に下げると、煙管を銜えて先に降りて行った。
 開け放たれた扉の先から、いいぞと声が聞こえてからアインツと僕が続く。
 僕が知っている大地の箱船の駅舎とは違っていた。明かりは灯っておらず、僕等が乗ってきた箱船の金色の光が駅舎の内部をぼんやりと照らしている。人影はなく、歩く度にじゃりじゃりと砂が床を擦る。置かれている荷物の背丈は僕を軽く越えていて、床には工具があちこちに置かれていた。
 誰もいないのかな…。
『お待ちしておりました』
 それは不思議な声色だった。落ち着いた男の人の声なのだけれど、空気を震わし響く声ではなく直に頭に響く。見遣ると足音一つ建てず、箱船の明かりに影を落とす事なく、気配もなく、若いのかどうかも良く分からない長身の男の人が畏まっている。白を基調とした格調高い長衣を着込み、帽子を深々と被っている。駅舎の駅員と言われると納得してしまいそうで、背筋を伸ばし懐中時計を片手に微笑んでいる。
 ケネスさんが煙を吐き出して訊ねる。
「よぉ、ゼーベス。今は何時だ?」
『偽りの太陽が堕ちる一月程前になります』
 ケネスさんが僕を見る。どうだと聞かれているように感じたけど、僕は良く分からない。ケネスさんも僕が分からない事を察してくれたみたいで、アインツに目配せする。アインツが小型のランタンに明かりを灯すと、澄んだ音を立てて箱船が消えた。
 だ、大丈夫なの?
 僕の不安に答えたのは、ケネスさんがゼーベスと言った人物だった。
『ご心配には及びません。エテーネ民、ルアム様。万が一があったとしても、私に声を掛けて下されば戻る事が出来ます』
「万が一もないです。大丈夫です!」
 アインツがムキになって言い返すのを、ゼーベスさんは微笑んで受け止めた。
『では、行ってらっしゃいませ』
 深々と下げられた頭に、二人は思い思いにいってきますと声を掛ける。僕も行ってきますと言うと、ゼーベスさんは顔を上げて僕の顔を見た。優しい瞳と目があう。とても懐かしくて、不安が薄らぐような不思議な瞳だった。
「待て」
 外へ続くのだろう扉を少し開けて、ケネスさんが静止する。外はまるで魔物の襲来でもあったかのような、大騒ぎが扉の隙間から流れ込んで来る。逃げろと叫ぶ男の人の声、転んだのか泣き叫ぶ子供の声、悲鳴を上げる女性の声。
 一体何なんだろうと扉に近づくと、ケネスさんが煙管で上を差す。
「上を見てみろ。レイダメデス…偽りの太陽が通過するぞ」
 ケネスさんが身を引いてくれて、僕は恐る恐る外を見遣った。砂塵が焦げ臭い空気に巻き上げられた、人一人いなくなった町並みが広がっている。
 すると空気が揺らいで来る。じりじりと砂が音を立てて焦げ付き、黄金色の陽炎が視界の全てを歪ませる。岩陰に潜み駅舎のひんやりとした空気の中に居るのに、外を伺っている顔面が火傷しそうに熱い。頭上を押さえつけるように、轟音が響く。見上げれば見る事も出来ない程に強く輝く火の玉が、上空を通過する所だった。
 もう、見ていられない。僕が下がると、ケネスさんが扉を閉めてくれた。
 大丈夫ですか?とアインツが扇いでくれると、ひんやりとした駅舎の空気が僕を包み込んでくれた。
「あれは、偽りの太陽 レイダメデス。世界中のありとあらゆる生命を焼き殺し、死した魂を吸い上げる冥王の卵です」
 アインツの言葉に僕は目を丸くした。
 世界中の人々を殺す太陽? 死んだ人の魂を吸い上げる? 冥王の…卵?
「冥王ネルゲルは、まだ生まれていないの? 生まれる為に、こんな酷い事をしているの?」
 僕の問いに、アインツが沈痛な面持ちで頷いた。
 何かを叫ぼうと開いた口の漆黒、硝子のような目に映った赤い空。倒れた人、切り裂かれた人、黒くなって誰だか見分けがつかない筈なのにその体格で誰だか分かる人。人、ひと、ヒト。それらは全てほんの少し前まで生きていて、僕に笑顔を向け、明日からずっと先のお祭りの事とかを他愛無く話していた親しい故郷の人達。
 絶対的な死を前に、美しい花を片手に『またね』と微笑んだシンイさん。テンレス兄さんを殺そうとした深紅に燃えるメラゾーマ。
 僕は激しい吐き気が込み上げて来て、服の胸元をきつく掴んだ。
 冥王ネルゲルは生まれる前から、僕の村を滅ぼした以上に人々を苦しめていた。その事実が許し難い思いが、静かに憎しみと怒りになる。
「どうにかしたい」
「偽りの太陽は、一月後に海に沈む」
 ケネスさんは煙管に煙草を入れて火を付けた。闇に薄らと白い煙を吐き出して、へらりと笑う。
「もしかしたら沈めてしまうのは、ルアム…お前なのかもしれねぇな」
「でしたら、偽りの太陽に乗り込む算段を整えねばなりません。この時代の破邪舟師は幸いこのグレンに滞在しています。大丈夫、どうにかできます!」
 アインツが明るい声で言う。
 さぁ。そう促され、不思議な2人組が扉を開け放った。
 人々が通過した太陽に胸を撫で下ろし、ちらほらと通りに姿を現した。横を見遣れば剣のようにそそり立つ、グレン城が建っている。僕は薄暗い日差しの中に歩み出ると、久々に自分に影がある事に気が付いた。透けていない身体。僕は手をしげしげと見て握ったり開いたりして、そして城を見上げた。
 どうにかできる。
 どうにかしなくちゃ。

 ルアム兄さんや出会った仲間達は、オーグリードはオーガの国だと言っていた。
 旅先で出会ったオーガという種族は見上げる程の大きな巨体に、頭と肩に角を持つ。赤い硬質な皮膚を持ち身体に描いた深紅の線が雄々しく、男性は殆どが筋肉隆々で、女性はメリハリのある体つきだった。誇り高い勇敢な戦士の種族の大陸には二つの大国があり、その一つがグレンだ。
 プクランドのメギストリスは、見た足す限りプクリポだらけ。他の種族が居れば、頭1つやプクリポ5匹分は飛び抜けていて、目立つ程だ。他の大陸でもそう。その種族の国の街や城には、その大陸の種族で溢れかえっているものだった。
 だが、このグレンは違う。
 人しかいない。
 オーグリード大陸以外の国で、僕はあまり人間を見かけた事が無い。人間はレンダーシアという、今は紫の雲に覆われた5つの大陸の中央にある大陸に暮らしている。だから僕はこれ程多くの人々を、エテーネ村にいた時以来久々に見る事になった。
「君達は偽りの太陽から逃れて来たんだね」
 兵士の男は同情するような声色で、労るように城門を潜った僕達を向かい入れてくれた。
「もう、大丈夫だ。指導者シオドーア様は、全ての人間にこの門を開いて下さる。感謝を述べる為なら、謁見も可能だろう。挨拶をされるが良い」
 僕が頷くと深紅の絨毯の指し示す通りに進み始める。ケネスさんはアインツに小さく耳打ちした後、兵士の人に『水をもらいたいんだが…』と話し始めた。
「この時代では水は貴重品です。先にケネスさんに確保してもらいます」
 階段もオーガサイズだから少し急で、アインツは羽の様に軽くスキップするように駆け上がる。擦れ違う人々は皆疲れているようだったけれど、シオドーアって人を信じているんだろう。頭上を偽りの太陽が通過した直後だって言うのに、絶望した様子も無く落ち着いている。
 兵士が両脇を固める巨大な扉に差し掛かった時、僕達の目の前で扉が開け放たれた。
「お前達が勇敢な父を侮辱する権限は無い!」
 僕とアインツの間くらいの男の子が、転びそうな勢いで出て来て謁見の間だろう奥へ振り返って叫んだ。
 金髪を後ろに撫で付け、格式張った深紅のコートを羽織った身成の良い男の子だ。振り返る一瞬見る事が出来た、真っ青な青空のような瞳は怒りに燃えている。ふっくらしていそうな頬を真一文字に唇を引き締めて強張らせ、握りしめた拳を振り回して更に奥へ叫んだ。
「父はお前達の為に、偽りの太陽を落とそうとしたんだ! 英雄と送り出しておきながら、失敗したら嘘つきだと!? ふざけるな!」
「ベルンハルトは己の力量を見誤った。グランゼドーラが召し抱える高名な術師が、聞いて呆れる」
 岩を切出し珍しい魔物の毛皮で覆った無骨な玉座らしい椅子から立ち上がった偉丈夫は、朗々と響く声で言う。
「父の名を汚す事は、この僕が許さない」
 エルジュと呼ばれた少年は怒りに我を忘れたように叫ぶ。
「僕は継承の義に挑む。そして破邪舟師となって、偽りの太陽を落とし父の無念を晴らす!」
 嘲笑が沸き上がった。玉座の男も、魔導師だろう男女も、居合わせた兵士達も『出来はしない』と嘲笑う。
 エルジュの肩が震えていた。
 誰も理解されない事が、圧倒的な孤独が、怒りが、彼の無言の背中からひしひしと感じた。
「やろうよ」
 僕の声が響き渡り、全ての嘲笑を踏みしだいた。
 笑っていた大人達は口を開けたまま僕を見遣り、エルジュが驚いて振り返る。驚きに見開かれた青い瞳に、青紫の髪と瞳を持つ子供の姿を映した。
「偽りの太陽を、冥王の卵を、破壊するんだ」
 まるで堰を切ったような笑い声に、アインツはエルジュと僕の手を引いて駆出した。
 あまりの大爆笑に驚いた僕だったけど、城門を飛び出し長い階段を駆け下り人気の無い通りに辿り着いた時には怒りを感じていた。大人のくせに、何も分かっていない。強大な力を持った冥王の姿が、焼け落ちる故郷を思い返して、僕は駆け続けて荒い息が燃え盛る火炎なんじゃないかってくらい怒りに燃えていた。
 エルジュはもっと体力が無かったんだろう。息が整って来た僕やアインツとは違って、地面に座り込み喘ぐように呼吸をする。
 『大丈夫ですか?』とアインツが甲斐甲斐しく背を擦ってようやく落ち着くと、エルジュは僕を睨み上げた。
「お前は馬鹿か!」
 エルジュはそう言って立ち上がる。少しだけ小さい背丈のエルジュを、僕はきょとんと見下ろした。
「なんで? 君がやろうって言ったんでしょう?」
 エルジュは唇を噛んだ。拳を握りしめそっぽを向くと、彼が後ろに1つに結んだ金髪が尻尾のように揺れた。
「お前には関係のない事だ」
「いいえ。関係あります」
 アインツが凛とした声で言う。
「エルジュさん単独では、継承の義は達成出来ません」
「何故、そんな事が言える!?」
「星々がそう告げるからです」
 アインツは食って掛かるエルジュを見上げて断言した。僕とエンジュを交互に見て、碧の瞳に星々の煌めきを宿して言う。
「この時代の星々が告げています。貴方だけの力では、四大術師達に認められず破邪舟を生み出す事は出来ない。ルアムさんの協力を得るべきだって。そして、未来の星々は輝いて言うのです。エルジュさんとルアムさんが力を合わせたから、今の時代があるのだと。だから関係があるのです」
 エルジュは黙り込んだ。
 彼の腰に下げられたレイピアの真新しい輝きと、その横にだらんと下がった綺麗な手が彼の不安要素を僕に知らせてくれる。決して短い距離ではなかったが、走った後のエルジュの消耗は激しかった。四大術師っていう人達が何処にいるのか知らないけれど、もし彼等に出会う為にグレンの外へ出なくてはならないならエルジュ一人では到底無理だろう。魔物と戦えるのか、野宿は出来るのか、そういった冒険者として必要な経験がないだろうと僕は思う。
 隣に並んだアインツと見比べれば、彼女は下手をすると僕よりも旅慣れているんだろうと感じてしまう。そして、頭上を通る偽りの太陽。僕でも、そして熟練の冒険者でも、どう対処すれば良いのか分からないんじゃないかな。
 僕はエルジュが怒りだす前に声を掛けた。
「僕の故郷はね、今から500年後に滅ぼされるんだ。あの偽りの太陽から生まれる魔族によってね」
 エルジュが信じられないと、視線を外した。
 きっと、僕も未来から来たなんて言ったら信じないかもしれない。
「冥王ネルゲルっていう、恐ろしい魔族だよ。沢山の魔物を率いて、圧倒的な力で、皆を殺して故郷を壊したんだ」
 渦巻く怒りに声が低くなるのを抑えられなかった。その声に含まれた怒りに、エルジュが僕を見た。きっとお父さんを無くしたばかりだから、同じ心境を持つ僕に何か思う所があったんだろう。親近感? ううん。まだ言葉にできないけど、全くの他人じゃなくなった気がする。
「もしかしたら、偽りの太陽を落とせばネルゲルが生まれる前に殺せるかもしれない。未来が変わって故郷が滅ぼされて旅をしている僕が消えてしまっても、故郷で幸せに生きる皆が生きているならそれで良い」
 僕は、ようやく僕を見たエルジュに言った。
「エルジュ。僕は自分の復讐の為に、君を利用しようとしてる。とても申し訳ない事だって、分かってる。でも、君しか破邪舟を生み出せる奴っていないんだろう? 君くらいしか、偽りの太陽を落としてやろうって考えている奴はいないんだろう? だから、僕は君に協力する。君が、嫌だって言ってもね」
 エルジュはひらりと身を翻した。数歩先に進んで、振り返る。
「付いて来ないのか? 勝手に付いて行くと言ったのは、お前達だろう?」
 僕とアインツは顔を見合わせて、小さく笑った。僕達が歩き出すと、エルジュも先を進み始めた。心無しか、エルジュの足取りが軽い気がする。
 世界の運命を背負う破邪舟師様は、素直じゃないなぁ。