破滅の女神は軽やかに - 後編 -

 戦争なんて絶対駄目だぜー!
 オイラ達がザマ峠って所に到着した時には、もう戦いが始まっていた。戦争って良くわかんねーけど、一回で互いが完全に潰れるまで戦わない。両者の激しいぶつかり合いがあって、ちょっとでも引いたら深追いしない。ボケにツッコミ入れて、更にツッコミ入れると白けるのと同じ感じだな。
 ザマ峠の真ん中、最も高い場所に聳える烽火塔を中心に繰り広げる戦い。オイラ達はその戦いを見守って数日を数える。
 何も出来ないのって辛い。死ぬ人も沢山見た。傷つく人も沢山見た。
 オイラ達は毎日、一番戦闘が少ない時間に烽火塔に忍び込んで、レムルの聖杯に入ったグロリスの雫を撒く。でも、全く効かない。最前線にいるグレンの戦士もガートランドの戦士も、魔瘴の影響を受けた人達じゃないんだろうってフルッカおばちゃんが言ってた。
 エイドスは賢者なのに、なんで教えられた通りにやって上手く行かないんだよー。
 ルミラの姐さんが可哀想だよ。歯を食いしばって、たまに口から血が出ちゃうんだ。オイラが笑わそうって頑張っても、微笑む程度しか、させてあげられないなんて悔しーぜ!
「このままでは埒が開きませんね」
 フルッカおばちゃんが苦々しく呟いた。お互い消耗し切って、互いが国として存続出来なくなるのではないか。そう真面目な顔でぶつぶつ言っている。オイラよく分かんねーけど、このままじゃ何もかもが上手く行かないってのはわかるんだ。
 あぁ、相棒がいてくれたらなぁ。
 オイラは気分がしょんぼりだ。他人を笑わす事が出来ねープクリポなんて、ただの毛玉だぜ。
 今日も岩山の上から烽火塔を見下ろす。まだ互いが警戒に窺うばかりで、陣営は朝食の焚火を囲んで朝食を食ってる。暫くしたら戦闘が始まる。オイラ達の居る位置の少し下で、狙撃の弓使いが場所取りで殺し合いをするだろう。
 オイラは耳を足らして峠を見下ろしていた。すると、ガートランド側から珍しいものが見えたんだ。
「あれ? ダッシュランだ」
 珍しいなー。ダッシュランはザマ峠の南側『博愛の碑』が建っている谷底を巣にしている。餌を食べに出掛ける時も、ガートランド領に向かうんだ。峠の方に向かって来る奴なんて珍しいよな。プクリポは尻尾齧られやすいから、あぁいうデカイ竜の魔物って恐怖の対象なんだよねー。『良い子にしないとヘルジュラシックに、ぺろりですからねー!』で眠れぬ子供時代を過ごすのはプクリポならではだ。
 オイラがぼんやり見ていると、二匹のダッシュランの背中に何かが乗っているのに気が付いた。
 先ず目に入ったのは黄色いソンブレロ。オルフェアの西側でぶーぶー言ってるトンブレロが被っている帽子だ。トンブレロソンブレロを目深に冠っているから顔は見えないけど、すっと伸びた長い四肢にウェディだと思う。そのウェディに抱き抱えられるように、小柄な黄緑色の服を着た誰かが座っている。もう一匹のダッシュランに乗っているのはドワーフだ。でかくてぶっとい棒を背負っていて、顔はイエティみたいに髭で真っ白…ってあれ!
「ガノのじっちゃん!?」
 オイラが素っ頓狂な声を上げると、ルミラの姐さんが横にやって来て目を凝らす。
「イサーク?」
「良く見りゃあ、あの黄緑色のローブはエンジュの姉ちゃんじゃんか!」
 どうしてここにいるんだろう!?でも、嬉しい!オイラはダッシュランがキラキラ輝く希望を連れて来たように見えたんだ。
「光の反射で合図を送ろう。彼等が気が付いてくれると良いのだが…」
 ルミラの姐さんが大剣を掲げると、山から顔を出したばかりの太陽の光を反射してキラキラと光った。
 ダッシュランがこちらに向かって来る。
 ひょいひょいと登って来たダッシュランに乗った三人と軽く挨拶を済ますと、オイラ達は場所を変える。さっき合図で送った光に、オイラ達の場所がバレちゃうかららしい。ランドンフットの南側の湖を見下ろす場所まで移動して、『あの宝箱はとうやれば取れるんじゃろうなぁ』と髭を擦るガノのじっちゃんに抱きついた。
「皆と会えて嬉しーぞ!」
 心の底から弾ませた明るい声に、オイラ自身も吃驚する。
 だって、くらーくていやーな事ばっかりだったんだもん。ルミラの姐さんは強くて格好良くて頼もしい姐さんなんだけど、相棒もいなくって不安だったんだ。オイラ、尻尾までふかふかふわふわ!すげー嬉しい!
 ガノのじっちゃんに染み付いた砂漠の砂の匂いから顔を上げると、エンジュの姉ちゃんにも抱きついた。こっちはちょっと香ばしいけど、いい緑の匂いだ!エンジュの姉ちゃんは強くも弱くもない絶妙な力加減で、オイラを抱き留めてくれた。
「ルアムが無事で良かったですわ。今頃グレン城で非常食として、牢獄に放り込まれているかと思いましたもの」
 プクリポは美味しいと噂が絶えませんのよ? そう笑うエンジュの姉ちゃんにオイラは酷いよー!と叫んだ。丸焼きなんてじょーだんじゃねーよ!
「破邪舟師にも会えたようじゃな。あのフルッカと言う御婦人がそうじゃろう? 不思議な破邪の力を滲ませとるわい」
 ただ者じゃないのぉ。とガノのじっちゃんがふさふさの眉毛を上げて、フルッカおばちゃんを見ていた。そしてオイラに視線を戻す。
「で、お前さんの相棒の事は何か分かったかね? やはり関係があったのかね?」
 オイラはしょんぼり。耳も尻尾もぺしゃんこだ。
「グレンに行く途中で相棒がいなくなっちゃったんだ。エイドスは相棒が運命の箱船に乗って、その内帰って来るんだって言ってた」
 じわり。涙ぐむオイラを降ろすと、エンジュの姉ちゃんが頭を撫でてくれる。
「心配しなくて大丈夫よ。賢者様がそう仰るんですもの。帰って来ますわ」
「そうじゃとも。あのしっかり者のルアムが、お主のようなおっちょこちょい放ったらかしにはするまい」
 にかりと笑った後、真面目な顔でガノのじっちゃんは腕を組む。
 見遣った先には、ルミラの姐さんとイサークってウェディの兄ちゃんが話していた。
「イサーク。ゼラリムは元気そうだったか?」
「うん。大丈夫!今はガートランドに続く道をマグマの杖で塞いだらしいから、そう簡単に攻め込まれないじゃないかなー」
 ウェディの声って凄く良いよな。大丈夫って一言が、本当にオイラ達に大丈夫だって思わせる程に心にすとんと落ちて来る。
「でも、あんまり良い話を聞かせられないんだ。その、吃驚しないで聞いてね」
 憂いを秘めたウェディって様になるけど、紡いだ声は本当に暗かった。月明かりのない夜道みたいな暗さ。そして冷えきった夜風のように、声は響く。
「この戦いの黒幕は、癒しの賢者マリーンとジュリアンテって女なんだ」
 誰? オイラは首を傾げたけど、フルッカのおばちゃんとルミラの姐さんが凄く動揺した。
「マリーン様が黒幕? あの癒しの賢者様が?」
 フルッカおばちゃんが目を丸くして問い返した。だけど、フルッカのおばちゃんの問いを遮るようにルミラの姉ちゃんが身を乗り出した。いつも冷静で落ち着いているのに、余裕の無い声で言う。
「そんな筈はない。マリーン様はゼラリムの主治医で、私の姉の病の治療も熱心にしてくださったお方だ。不治の病の姉を勇気づけ、誰よりも…そう私の両親よりも姉を治してやりたいと力を尽くしてくれた。ゼラリムの病も良好で、彼女が部屋の中で歩き回れるようになったのはマリーン様のお陰なんだぞ」
 低く静かな声だけど、凄く信じたくないって拒絶が感じられた。ルミラの姐さんが苦しんでる。オイラは姐さんを見上げた。
「もしかしたら、魔物が化けてるのかも」
 オイラはイッドの事を簡単に説明した。プーポのおっちゃんの横で、助けるフリをして大陸を滅ぼそうとした狡賢い魔物の話。その話を聞いてイサークの兄ちゃんの帽子が喋った。
『バグド王の発狂の原因でもあるだろう、魔瘴の治療にも関わってるそうじゃないか。魔物と入れ替わってるって話は、十分に有り得るね』
「マリーンはガートランド領で誘拐した屈強な戦士達を洗脳して、私的な軍隊を作っている。恐らく、グレンと戦っているガートランド軍とグロズナー陛下を背後から挟み撃ちにするつもりなんじゃろうな。我輩達が逃げて情報を漏らす事を見通していると考えれば、準備は万端」
 ガノのじっちゃんは鋭い瞳で全員を見た。
「マリーンとジュリアンテは、オーグリード大陸の2つの王国を滅ぼすつもりじゃろう」

 ■ □ ■ □

 オイラとルミラの姐さんは、直ぐにガートランドのグロズナーって王様の所へ向かう事になった。せんりゃくーってオイラには良く分からねーんだけど、オイラとルミラの姐さんが王様を守るのが一番良いんだって。
 ガノの爺ちゃん達はグロズナーって王様がマリーンが悪い奴だって知らないから、きっと味方の振りをして近づいて来るだろうって言ってた。でもマリーンが悪い奴だって知ってる奴が王様の近くにいたら、マリーンは悪い奴だって王様にバラされてるかもって来ないかもしれない。だから、オイラ達が適任なんだって。
 ルミラの姐さんの尻尾を掴みながら、オイラ達はグロズナーって王様の前に立った。グロズナーは爺ちゃん王様。オーガのがっしりした兵士達に比べれば、骨と皮でひょろひょろ。でも雰囲気は、周囲のオーガをアルミラージに例えたら、爺ちゃん王様はウイングタイガーって感じ。すげー怖くて、オイラ尻尾がきゅって縮こまっちゃうよ!
 でも爺ちゃん王様はルミラの姐さんを見ると、キラービーも睨んで殺せるような目を和らげた。
「久しいな、ルミラよ」
「最近はゼラリム姫の元に参じる事が出来ませんで、一年振りと言えましょう。ご健勝在らせられ、大変嬉しく思います」
「世辞は良い。娘の親友だ。例え、グレンに籍を置く者であれど、儂にはもう一人の娘のようなものだ」
 膝を折り頭を垂れていたルミラの姐さんは、地面におでこが付いちゃうんじゃないかってくらいに頭を下げた。オイラも姐さんの半歩後ろで形だけだけど畏まる。爺ちゃん王様がオイラを見た。目からビームでも飛んで来そうで、胸毛が一瞬にしてびっしょりになる。
 名は? そう聞かれて、オイラは喉にキラージャグリングのボールが詰め込まれちまったようだよ。
「オイラの名は…ルアムだよ」
 どうにか絞り出した言葉に、爺ちゃん王様がほぅと滝みたいな髭を擦った。
「其方がプクランド大陸を救う事に協力した英雄の一人か」
 はぁ!? 英雄!? オイラが露骨に吃驚して、思わずひっくり返っちゃった! そんなオイラの胴体を捕まえて姐さんが鋭い声で注意する。むぎゃ!姐さん痛い!
「こら、ルアム。陛下の御前だぞ」
「いや、良いのだ。プーポッパンが命を賭けて大陸を滅ぼさんと企んだ魔物を倒す際、協力したのだろう? 勇敢で心が強く、兄のように慕っていると息子のラグアスから聞いておる」
 オーガ達がざわめく。プーポのおっちゃんって有名人なのかな? それとも、オイラがプクリポの英雄だって吃驚してるのかな? でも、オイラは声を張り上げた。戦ったのは相棒でオイラじゃないからだ。
「オイラ、英雄なんかじゃないぞ! ただ、プーポのおっちゃんとラグアスを仲直りさせたかっただけだ! それに、オイラ戦うのは全然駄目なんだ。オイラに出来るのは皆を笑顔にさせる芸をする事くらいだっつーの!」
 大笑いが響いた。オイラだけじゃなくて、姐さんも、ガートランドのオーガ達も吃驚だ。
 爺ちゃん王様が笑い過ぎて目尻に浮かんだ涙をぐいっと拭った。
「誠にプクリポらしい天晴れな動機じゃな。良い事じゃ。皆を笑顔にするとは、なんと快い意気込みよ!」
「おやおや、陛下。随分とご機嫌なようだね」
 不敵な声が背後から響いた。女の人の声みたいだけど、なんだかすげー野太いぞ。
 オイラが振り返るとそこには大きな壁があった。いや、壁じゃない。胸だ。プクリポの胴体よりもデカイ胸がぼんぼんと、オイラの頭上を覆っている。顔は見えないけど、その胴回りをみてもすげーデカイ女の人みたいだ。素肌が見えて、どうやら人間だったのがわかる。
「陛下。行方不明になっていた連中を見つけて来たよ」
「大義じゃ。流石は癒しの賢者マリーン」
 その言葉を聞いて、オイラは毛という毛が逆立つのを感じた。デカイ人間の女の後ろに居る、沢山の戦士達を見て緊張感に固まるのが我慢出来ない。
 癒しの賢者マリーン。ガノのじっちゃんが黒幕と言った女が、恭しく会釈をした。
 オイラはプクリポ。身体はよちよち歩きの子供でない限り、人間を含めた6つの種族の中で最も小さい。だから見えた。マリーンの口元が、にやりと歪んだのを。
「姐さん!」
 オイラは振り返り駆出した。花の香りを運ぶ風の力を引き出し、軽い身体がエルトナの桜のように軽々と舞い上がる。姐さんの肩の角に手を掛け、身体を反転させ爺ちゃん王様の肩に瞬く間に着地する。ルミラの姐さんが大剣を盾のように構えて、何か堅い物を弾いた音が響いた瞬間には周囲が戦場になっていた。
 爺ちゃん王様の周囲にいた騎士達の姿が次々と消えて行く。何だろう、何が起こってるんだ!?
 次の瞬間、オイラと爺ちゃん王様の前に光の壁が生まれる。黒い玉みたいなのが、光の壁にぶつかって甲高い音を立てるんだ。磨かれた黒真珠にオイラと爺ちゃん王様が映っていたが、ぴしりと亀裂が走って砕けて行った。消えた騎士達が立っていた場所に落ちていた黒い玉が、ふわりと浮かんでマリーンの手に納まる。
 マリーンが、ちっと舌打ちした。
「なる程、そのプクリポが背負ってるのは聖杯とグロリスの雫かい」
 オイラは少しだけど氷の呪文も使える。背中に背負った聖杯にグロリスの雫を満たした後、零さないように雫を凍らせているんだ。マリーンの魔瘴の臭いのする力を睨みつけているように、背負った鞄の中の聖なる力が強い力を放つ。
「まぁ、グロズナーを手駒に出来なかったのは残念だが、大した事じゃないね」
 マリーンが背筋がゾッとする笑みを浮かべた。
 目から魔瘴の闇から覗く紫の光が漏れると、マリーンの身体から瘴気が溢れる。靄のように大地を舐めるように黒い黒い瘴気が押し寄せる。姐さんが爺ちゃん王様の前まで下がり、守るように剣を構える。爺ちゃん王様も、残った騎士達も剣と盾をそれぞれに構えた。気が付いた時にはオイラ達の回りはまるで汚れ谷の底のような、濃い魔瘴に包まれていたんだ。
 黒い煙の中から紫色の輝きがいくつも見える。光と光の間隔が目のようだって思ったら、瘴気の中からオーガの戦士達が現れる。
 手元にふわふわと浮いた黒い玉をばらまくと、ついさっき消え去った騎士達が現れる。でも変だ。さっきまであんなにキラキラしてた目が、とろんと濁っている。
『美しいマリーン様の為に…』
 幽霊みたいな声が漏れ、身体は腐った死体のように動いている。ガノのじっちゃんが言っていた、操られてる行方不明のオーガ達が武器を片手に前進する。
 そしてマリーンがいた場所の魔瘴が晴れて姿を現したのは、体格の良い女の形をした魔物だ。魔瘴に黒ずんだ人ならざる肌色、まるでトロルみたいな大きくて厚ぼったい唇にはドラキーよりも鋭い牙が覗いている。
 隣に並ぶように現れたのは、ウェディだったら鼻が伸び過ぎて顎が地面に落ちちゃうんじゃないかってナイスバディの魔物だ。まるで毛皮のマントのような量の多い髪が背中全体を覆っている。鞭を悩まし気に身体に巻き付け流し目を送るのが、きっとジュリアンテって魔物だ。
 大柄な魔物はマリーンの声で狂ったように笑い、大きく開けた口から牙を覗かせて叫んだ。
「さぁ、アタシの可愛い下僕達! グロズナーの首を取るんだよ!」
 周囲の全てが襲いかかって来た。
 魔瘴の霧から次々とオーガの戦士達が襲いかかって来る。旅人の装いの男が鋭い突きを出して来て、爺ちゃん王様の剣を騎士の格好の兄ちゃんが防ぐ。爺ちゃん王様も姐さんも、残った騎士の人達も皆戦い難そう。だってそうだ、皆、敵じゃない。マリーンに操られているだけなんだ…!
 オイラは鞄から聖杯を取り出すと、軽やかに爺ちゃん王様から姐さんに飛び移った。姐さんの手に飛びついて、姐さんの顔を見上げる。
「姐さん、フリーズブレードやって!」
 ガノのじっちゃんのアイデアだ。フリーズブレードの冷気に、オイラは聖杯の中の氷を共鳴させる。
 聖杯から大輪のグロリスの花が咲き、大振りの葉を蔦が伸びて刃を覆って行く。ぴしぴしと音を響かせていくつものグロリスの花を纏わり付かせた氷の大剣が出来上がると、姐さんはその剣で迫った敵を切り裂いた。大した傷じゃないのに、ぷつりと糸が切れたように倒れる。
「聖杯に受け止められたグロリスの雫は、魔瘴を退ける。賢者様の仰った通りだ」
 にやりと笑みを浮かべた姐さんの横で、爺ちゃん王様がすげー鮮やかに敵を気絶させて行く。ちょーこえー。マジ鬼神。マジオーガ。
 姐さんは迫る相手を次々と切り伏せ、一際大きな影の前に躍り出る。聖なる氷の刃を受け止めたのは、瘴気が纏わり付いた巨大な棍棒だ。聖なる力と魔瘴の気がぶつかり合って、ばちばちと爆ぜる。何度も打ち合い火花を散らし鍔迫り合いになると、怪物の姿になったマリーンだったそれは猫撫で声で姐さんに語り掛けた。
「おや、ルミラ。アタシを倒すのかい? アタシはアンタの恩人じゃなかったのかい?」
「貴方はマリーンではない。姉と友人の為に力を尽くした恩人の姿を騙り、名誉を傷つける行為を私は許さない…!」
 振り抜いた大剣に、魔物がよろめいた。追撃しようと振りかぶった姐さんだったけど、ジュリアンテの鞭を盾のように構えた大剣で防ぎつつ間合いを取る。
「私はガートランドの姫の剣! 彼女の障害になる存在を、私は容赦なく斬る!」
 上段に構えた聖なる雫を凍らせた氷の大剣が、太陽の光を浴びて虹色に輝く!カッコイイ!勇者みたい!
 丁度、頭上を光の大鳥が駆け抜けていった。フルッカおばちゃんが迎えに来たんだ…! オイラは聖杯をしっかりと抱え込む。
「頼んだぞ、ルアム!」
「姐さん、頑張ってね!」
 姐さんは剣の腹を向けて下段に構える。オイラがぴょこんと剣の腹に乗ると、姐さんが大きく剣を振り上げた。そう、汚れ谷でプーポのおっちゃんがオイラとプディンを跳ね上げてくれた時の要領で、オイラと聖杯は天高く舞い上がった。くるくると赤いオーグリードの大地と青空が回る。そんな中で、金色の大鳥が旋回してこっちに向かって来た。
「ルアムさん!」
 軽々と空中に上がったオイラの身体を、大鳥の上に乗ったフルッカおばちゃんが捕まえてくれた。大鳥はザマ峠を旋回し、烽火塔を目指す。
 ルミラの姐さんは爺ちゃん王様と肩を並べて、マリーンだった魔物とその軍勢と戦い始めた。でもフルッカおばちゃんの破邪舟から溢れる、破邪の光の粉が魔瘴の力を抑えていた。明らかに鈍った操られたオーガ達を、爺ちゃん王様は天下無双な感じで次々と戦闘不能にしていっていた。
 マリーンだった魔物もルミラ姐さんのグロリスの雫で出来た氷の刃に、追いつめられている。ナイスバディの怖いねーちゃんが加勢に加わったけど、姐さんは決して退かない。残った騎士達と勇敢に立ち向かって行くのが見えた。
 姐さんなら大丈夫だ。オイラは前を向いた。
 烽火塔を挟んでグレン側は、大混乱だった。イサークの兄さんとガノのじっちゃんが、ダッシュランを繰りながらグレンの兵士達を掻き回している。
 作戦ではオイラ達がマリーンをおびき寄せる。じっちゃん達が魔瘴で狂ってしまったバグド王を、烽火塔の近くに留まらせる。
 操られている可能性もあるから、爺ちゃん王様がマリーンの私兵とグレンの兵士に挟み撃ちにさせないようにするんだって。でもって、グロリスの雫の効果がある所まで近づいてもらう。
 烽火塔の煙は今はなかった。煙が吹き出す大きな煙突の淵に、フルッカおばちゃんの破邪舟が舞い降りる。煙たい空気の漂う煙突を覗き込むと、煙を焚く台座の横で帽子のおばちゃんを被ったエンジュの姉ちゃんがいた。エンジュの姉ちゃんはオイラを見上げ微笑んだ。
「あら、ルアム。もう、煙は止めましたわ。いつでも、グロリスの雫を撒けましてよ」
「ありがとう、エンジュの姉ちゃん」
 帽子のおばちゃんがぱかぱかと、口みたいな所を動かしてオイラに言う。
『早くしておくれよ。ここは熱くて、あたしが焦げちまうよ!』
「分かっています。お二人を先に避難させますから、破邪舟に乗って下さい。ルアム君、君も雫を撒いたら迎えに来ますね」
 うん。エンジュの姉ちゃんを押しやるフルッカおばちゃんに、オイラは頷いた。綺麗な光をまき散らしながら優雅に烽火塔を旋回し離れる大鳥を見送って、オイラはゆっくり周囲を見遣った。
 烽火塔はオーグリードの全部が見えた。
 ランガーオ山地っていう真っ白い大きな大きな山脈が、ギルザット地方の緑と海が、オルセコ高地に突き刺さった剣みたいな大岩が、そしてこちらを見るようにランドン山脈に浮かんだ不気味な冥王の心臓が、全部見えた。
 グレンの戦士達が、ガートランドの騎士達が、自分達の愛する家族を守ろうと戦っている。でも、戦っている剣先を定めているのは魔物達だ。魔瘴の瘴気を撒き散し、意思を捩じ曲げ操っている。
 『このタイミングじゃ』ガノのじっちゃんの声が蘇る。『ルアム、思いっきりやるんじゃぞ』
 オイラは息を吸った。
 暖かい南風と、冷たい北風が合わさって上空に導かれて行く。
 プクリポの守護神、ピナヘト様。オイラに皆を笑顔にさせる力を貸して下さい。
 オイラはグロリスの雫が満ちた聖杯を掲げて祈り、ゆっくりと風の力を練り上げて行く。
 オイラは声を張り上げた。
「皆 遥々ご苦労さん!」
 オイラの声は何処までも響いた。戦っている剣撃を全て押しつぶし、悲鳴を止め、憎しみが籠った視線を外させて見上げる程に大きかった。多くの視線が集まる。グランゼドーラの王立劇場なんて目じゃない視線が、オイラに集まったのを感じた。
「ザマ峠の戦いはこれで終わりだ! ザマーみろ!」
 …。
 ……。
 …………あれ、笑い湧かない。
 あんなに剣撃や呪文の爆発音に賑やかだった戦場から、爆弾岩が転がる音すら聞こえない。絶対的な沈黙。これが、芸人の究極の滑りに到達する境地『エンド・オブ・シーン』!!
 あぁ、ちょー恥ずかしい!まさか、プクレット村の演芸チャンピオン殿堂入りのオイラが、こんなデカイ舞台で滑るなんて!
 オイラは頭の中が真っ白だ! 次のネタを叫ばなくてはと思っても、何一つダジャレもギャグも出て来ない! 呪文の制御も出来なくて、烽火塔の熱気に聖杯はあっちあち! グロリスの雫は溶けてたぷんと揺れる。
 すると、オイラの耳に箱船が走って来る音が聞こえた。ぽーっと軽快に汽笛が鳴り、しゅっしゅぽっぽと音を響かせ迫って来る。変だな、今はオーグリードを大地の箱船は走っていない筈なのに…。
 オイラは顔を上げる。真っ青な空を金色の光が駆けている。
 フルッカおばちゃんの、大鳥の形の破邪舟じゃない。
 空を駆ける大地の箱船だ! 煙突から星屑を吹き出し、こちらに迫って来る! すると、客席の窓が1つ開いて、人影が外へ身を乗り出した。
 青紫の髪と同じ色の瞳。しっかり者って顔つきが、嬉しそうに輝いてる…! オイラも顔を輝かせた。
 だって、だってその人間の子供は…!
「相棒!」
『兄さん!』
 目の前を旋回した箱船から、相棒は飛び降りてオイラに抱きついた! 抱きついた衝撃は全く無いし相変わらず触れられない。でも、オイラは相棒を抱きしめた。嬉しくて、涙も鼻水も涎も全部出ちゃう!
「相棒! 相棒! よかったよー! 会いたかったよー!」
『僕もだよ兄さん! 無事で本当に良かった!』
 はっ!
 そこで大事な事を思い出した!グロリスの雫は…!見れば握りしめた聖杯の中は空っぽだ!どうしよう!
 汽笛の音が一際高く響いた。
 星屑と共に聖なる力を秘めた雫が、キラキラきらきらと降り注ぐ。1つ1つに小さい虹を閉じ込めた美しい雨が、オーグリードの大地に落ちて行く。魔瘴の闇が退けられ、剣を持って戦っていた誰もが惚けたように晴天の中降る雨を見上げていた。今まで戦っていた相手が、殺し合っていた相手が、互いに手を取って助け起こす。今まで何をしていたんだと戸惑う皆だけど、雨が綺麗だと笑い出す。
 確かに皆が笑い出した。細波のような声が、いつしか歓声になって大地を揺るがし始める。
 戦いが終わる。
 皆が笑顔になる。
 オイラは嬉しくって、相棒を見上げた。
 相棒もオイラを誇らしく見下ろしていた。なんてイイ笑顔なんだろう! オイラはもっともっと嬉しくなる!
「おかえり、ルアム!」
『ただいま、ルアム兄さん』
 青空の一番高い所に1つ輝く見慣れない星が、きらりと光ってそして消えた。