夜の女神の随従たち - 前編 -

 深紅のドレスから着慣れた黒鉄の鎧に着替え、自分は足早にガートランド城下町を目指していた。
 戦争回避の英雄達は、城の宴からさっさと逃げ出してしまった。誰も回り込めぬはぐれメタル並の逃げ足だったそうだ。親友であるゼラリムが満面の笑みを誇らしく感じ、グロズナー陛下やバグド王の賛辞を彼等の代わりに受け取る。
 キーエンブレムの授与を申し出られたが、丁重に断った。これは、自分だけの手柄ではないからだ。
 自分が階段を駆け下りていると、大地の箱船の駅舎へ続く階段から沢山の人々が出て来た。そうだ、戦争が終結し大地の箱船がオーグリード大陸を再び駆けるようになったのだ。自分は戻りつつある日常に頬を緩めた。
 急ぐ必要などない。世界は平和になったのだ。
 自分は降車した旅人達が、オーグリードの街へそれぞれに散って行くのを待った。家族が出迎えに来ているのか、矢のように駆け愛しい人を抱きしめる旅人。次の目的地があるのか、足早に去って行く冒険者。箱船の中で親しくなったのか、異なる種族同士肩を組み酒場へ向かう友人達。目を輝かせ周囲を見遣る観光客。
 その中で、自分は見知った顔を見る。彼女は自分を見上げて手を振った。
「ルミラさん」
 破邪舟師であり戦争回避の英雄の一人であるフルッカ殿も、メタルスライム並の逃げ足を発揮した1人だった。だた、彼女は知人の迎えに行くと、宴の半ばで退出していった。福与かな体格を窮屈そうに王宮魔導師のローブの正装に押し込み、頭に小さな帽子を引っ掛けた出で立ちのままだ。
 フルッカ殿の隣には純白のローブに身を包んだ老人が居る。だが、老人と形容するには背筋は伸び、表情は輝き、生気に満ちあふれている。彼自身の身長程のある杖に、大きなガートランドの紋が入った土産袋を引っ掛けて笑う。自分が膝を折ろうとしたのを、彼は止めた。
「賢者ホーロー様。お目に掛かれて光栄です」
「久方ぶりじゃのぉ、ルミラ。良い写真は撮れておるかね?」
 えぇ、ゼラリムも喜んでいます。自分がそう答え、ホーロー様が頷いた。
「ルミラさん、他の皆さんはどちらに?」
 まさか、もう、旅立ってしまったんですかね? 不安そうな表情を浮かべたフルッカ殿に、自分は思わず笑ってしまった。
「大丈夫だ、フルッカ殿。皆、城下町の酒場で祝杯を挙げているよ。自分もこれから向かう所だ」
 堅苦しいからと城の宴席を蹴った英雄達は、実は王宮での寝泊まりも拒絶して城下町に宿泊していた。
 往々に城下町で好き勝手している逸話はどれも微笑ましい限りだ。
 ルアムはオーガも転がす歴戦の強者と称され、様々な戦士に決闘を挑まれているらしい。それはボケで相手を笑わせ、その隙にくすぐり倒すというプクリポらしさ。隠れた可愛いもの好きのオーガを魅了しているそうだ。エンジュとガノは連日連夜イオ花火を上げ、イサークは楽器を片手に祭気分を盛り上げている。英雄達はガートランドで大人気となっていた。
 1人城に残された自分に、イサークが『王様の顔を立てないといけないから、ルミラさんに全部お願いしちゃってごめんね』と片目を瞑って渡した地図を見下ろす。
「ほうほう、祝杯とな。それは良い」
 ホーロー様はつぶらな瞳を瞬かせて微笑んだ。
「是非、ワシも混ぜさせて貰おうかのぉ」
 酒場は直ぐそこです。どうぞと、自分が先導でガートランドを取り囲む岩山の底を歩き出す。
 多くの旅人でごった返すガートランドだが、やはり一番賑やかなのは宿が集まる通りと、旅人バザーの前だろう。強敵との出会いを約束する、魔法のコインの取引がここまで聞こえて来る。だが、戦争が集結した直後とあって、酒場通りはいつも以上の賑わいだ。自分は席すらなく立ち飲み客すら現れている往来の真ん中で、視線を巡らせた。
「姐さん! こっちこっちー!」
 ルアムの声だ。どこだ。
 きょろきょろ視線を巡らすと、屈強なオーガの山の向こうから、ぴょんぴょん飛び跳ねる赤毛のプクリポ。時々宙返りもしてみせる。自分はフルッカ殿とホーロー様が人波に攫われないように気を配りながら、先を進んだ。
 酒場の外に急遽作られた臨時テーブル。そこに英雄達が集まっていた。
 忙し過ぎる酒場の関係か、持ち込みが許されているのだろう。テーブルにはオーグリード大陸では見られない、料理やお酒がごった返していた。プクランド大陸が誇る甘いお菓子とケーキの数々、ウェナ諸島の魚料理、ドワチャッカ大陸の燃料になるとも言われる度数の酒、エルトナの巻き寿司と呼ばれた米の料理。オーグリード大陸ではポピュラーな肉料理も当然ある。
 ほろ酔い気分のイサークの弾き語りの横でお菓子を頬張っていたルアムが、お菓子を口まわりにぼろぼろさせながら手を振った。
「姐さん! フルッカおばちゃん! あ! ホーローのじーちゃん!」
「おぉ、馴染みの顔もおるわい」
 ホーロー様はニコニコと笑いながら、まるで10年来の友と酒を飲むかのように宴席に混ざった。エンジュは高名な賢者と破邪舟師という魔法使いに興味津々で話しかけ、ガノは賢者との再会を喜ぶのもそこそこに宴席を楽しんでいる。イサークは楽器を奏でて歌い、ルアムが踊る。周囲の客も巻き込んで、宴は盛りに盛り上がった。
「ルアムよ、人間のルアムと話はできるかの?」
 宴会が少し落ち着いて来た頃合いに、ホーロー様はそう猫耳に耳打ちした。
「相棒と? いいよー」
 ルアムがくりんと誰もいない隣の席を見遣り、そして目を閉じた。再び開いた瞳の色は、深紅から青紫に変わっている。雰囲気ががらりと変わり、生真面目そうなしっかりした表情のプクリポがぺこりと頭を下げた。
 息を呑む。聞いてはいたが、彼がルアムの言う『相棒』なのだろう。
「お久しぶりです。ホーローさん」
「運命の箱船には乗れたようじゃな」
 はい、御陰様で。そう微笑んで、ルアムの相棒は苦しそうに唇を引き結んだ。
「でも500年前の生まれる前の冥王を、倒す事は出来ませんでした。皆が力を合わせても、偽りの太陽を落とすだけで精一杯だったんです。冥王が生まれ、僕は故郷を救う事が出来なかった…」
 しゅんと耳を垂らし背を丸めたプクリポを、ホーロー様はそっと撫でた。
「気落ちするでない、ルアム。お主の活躍がなくば、この世界そのものがとうに滅んでおったじゃろう。偽りの太陽に焼き尽くされず、今の時代と平穏があるのはお主のお陰じゃ。この時代に生きる生きとし生けるもの全てを代表して、礼を言わせておくれ」
「本当に生まれる前に冥王を倒したかった。そうすれば、僕は兄さんを巻き込まなくて済んだのに…」
 プクリポの耳がピンと立った。赤い瞳は燃えるようで、つんと尖る。
「相棒は、またそんな事言って! オイラは相棒の笑顔の為なら、命だって惜しくねーんだぞ!」
「人間のルアムよ。其方は本当に良き友を得たの」
 相棒の為に怒るルアムを、ホーロー様は愛おし気に見た。そして大きく頷く。
「時は満ちた。運命の線路は重なり、運命の箱船に乗るべき者達も集った。お主等が望むなら、いや、望まぬにしても冥王との戦いが目前に迫っておる。世界中に広がる魔の手は、冥王にとって小手調べに過ぎん。今の平穏はかりそめじゃ」
 威厳ある声色に、英雄達は真剣な面持ちとなった。周囲の賑わいは遠ざけられ、異様な緊張感の中フルッカ殿がルアムの前に進み出て膝を折った。
「ルアム様。私は現代の破邪舟師、フルッカと申します」
 彼女は震える声色を励まし、凛とした声を紡ごうとした。
 後にイサークは言っていた。フルッカ殿の声に沢山の一族の想いが宿り、まるで荘厳な合唱を歌い上げたような素晴らしい言葉だったと。そしてその言葉を言う事ので来たフルッカ殿が、感激と喜びに打ち震えていたのだと…。
「先祖エルジュより、後世の破邪舟師は言い伝わっています。冥王を打倒するため、破邪舟の力を必要とするルアムという名の者が現れる。その者の力となれ…と。貴方に交わした先祖エルジュの約束を、ついに果たす時が来たのです…!」
 ルアムは朗々と響く声で言った。
「オイラは行くよ。相棒」
 それは選択肢のない道だろう。冥王と戦うのがルアムの『相棒』であるならば、その『相棒』が宿るルアムも否応なく運命に巻き込まれる。相棒が申し訳なく思うのも仕方がないだろう。だが、プクリポの声はあらゆる不安を打ち砕く程の希望と決意を込めて宣言する。
「なんせ、オイラは世界一面白いプクリポとして、グランゼドーラの王立劇場のスターになるんだからな! そんなオイラが相棒を笑顔に出来なくて、誰を笑わせられるってんだ! いいか、相棒! 相棒が嫌とか駄目とかでもとか言っても、オイラは行くからな!」
 ルアムの宣言に、ガノ殿が顔から流れ落ちる滝のような真っ白い髭を擦った。
「ふむ。ライドン山脈に浮かぶ冥王の心臓か、これは大変興味深い…!」
 ガノ殿はドワチャッカのみならず、世界中の遺跡に深い造詣をお持ちの方だ。魔族の建築様式や、誰も行った事が無いだろう未知なる領域に感心を示しているのだろう。
 ガノ殿だけではない。ルアムの言葉に皆の心が、冥王と戦おうと傾いて行く。怖じ気づく者は誰1人居なかった。
 ルアムの瞳が青紫に変じ、慌てたように声を上げた。
「ちょっと待って! 冥王って凄く強いんだ…! 皆、殺されちゃうかもしれない! それでも、行くって言うの!?」
 ルアムの相棒の言葉に、イサークが朗らかに笑った。イサークの頭の上でレディ・ブレラがふわふわと笑う。
「そんな危ないなら、回復呪文使える人が居ないと駄目だねー」
『攻撃呪文も必要だね』
 自分も大きく頷いた。彼が居なければ、自分は多くのものを失っただろう。故郷を、親友を、そして自分の誇りと勇気を失わずに今いるのは全てルアムのお陰だ。だがこれから先、冥王なる者がこの世界に混乱を齎し滅ぼそうとするならば、その打倒に向かうのが恩人であるならば、自分はルアムの剣になりたいと切に思うのだ。この世界のためなんて大それた事は言わない。恩人の為にと理由をつけた、自分の為だ。
 膝を折り、困惑する青紫の瞳を覗き込む。
「ルアム、ぜひとも協力させて欲しい」
「そうですわね。ここまで来たら、もう引き返せませんわ」
 エンジュが微笑んで言う。
 そんな中、ホーロー様は一歩進み出て、紫の皮に金の装飾を施した小さい箱を差し出した。
「これはこの世界の全ての者の想いが詰まった餞別じゃ。時が来れば箱は開き、この世界の全てがお主達の味方となって道を切り開いてくれよう。共に行けぬ事が残念でならないが、全ての者が其方達の勝利と帰還を願っている事を忘れてはならぬぞ」
 ルアムは全身を細かく振るわせ、赤紫の瞳に涙を溜めた。皆が協力してくれる喜びに、強敵に殺されてしまうやも知れぬ恐怖に、二人の気持ちが共振しているのが分かった。ルアムは零れそうな涙を拳で拭うと、どちらだが分からないが心から言葉を紡いだ。
「ありがとう…! 皆、本当にありがとう…!」
 その言葉は自分が言うべきだろう。この世界を救う剣になれる事、心から誇らしく思う。
 こちらこそ、ありがとう。