正義の女神は刃を濡らす - 後編 -

 おぞましい腐敗臭を含んだねっとりとした空気が、清涼感漂う風に吹き払われた。冥界があるべき姿になりつつある事は、冥王が追いつめられている事を如実に物語った。
 見上げれば星空がちらほらと輝き出した夜空が広がっていた。昇天の梯は満天の星空と聞く。満天の星々は天の使いとして、梯を昇る魂達を天に導くとされている。
 我輩は思わず友人を想った。変わり果てた友を昇天の梯に昇らせてやるまで、我輩は死ぬ事は出来ぬ。
「よもや、冥界の住人がこの冥王に楯突こうとはな…」
 冥王はその端整な顔に、苦渋を滲ませて呟きおった。それすらも男前を損ねる事はないが、その腹の中を喰い破るように激しい怒りが渦巻いているのが分かっていた。こちらの腹の中もざわざわするわい。静かな声が広大な砂漠の凍てついた夜のように、無慈悲なまでの殺意を滲ませた。
「魂すら残さず滅ぼさねばなるまい」
 そう冥王は言うと、すっと鎌を構えた。柄を床に垂直に突き立て、天に向かって刃を向ける。冥王の銀色の髪が風に揺らめいているのが、動かない角を見ていて分かった。次第に錯覚に思えた揺れは風を伴い、彼のやや古めかしい貴族の装束を翻し始めた。風は渦を巻き、竜巻のように吸い込み始める。
 ルミラ嬢がいの一番に動きおった。オーガのしなやかな肉体が、強大な闘気で何倍にも膨れ上がった輝く刀身を全力で冥王の頭上に振り下ろしたのだ!激しい音と共にルミラ嬢は振り抜けず弾き返され背から倒れた。悔し気に剣を握り込んだルミラの顎が上がる。
 冥王がふわりと浮いた。浮いて静止する頃には顎が上がり、天を仰いだ。そして星々が震え始めるのを感じておった。
「大いなる闇の根源よ…」
 その呼び声に世界の片隅から、巨大な何かが意識を向けたのを感じた。
 我輩は総毛立った。それは忘れようにも忘れられない気配に酷似しておった。あの黄金の指輪が親友をかっ喰らった気配に良く似ていたのだ。
「我が肉体を供物として捧げん。我に…力を…!」
 そう叫び、冥王は大きな鎌を一回転させた。瞬間、頭上の夜空が真横に大きく切り裂かれた。切り裂かれた夜空から溢れる血液のように、夥しい瘴気が溢れ出た!瘴気の塊は冥王の宮殿に落ち、冥王の居城がその衝撃に崩れて行くのを聞いた。ルミラ嬢がエンジュを抱え、イサーク君がレディ・ブレラをしっかりと押さえ、我輩はルアムを抱えて、それぞれに瘴気の飛礫から逃げ惑う。
「な、何かヤバい感じがする…!」
 ぽっと頭上の瘴気の塊から暗い一点を穿たれると、そこから不気味な一本の指が出て来た。
 指が点を拡げる。もう一本捩じ込まれて拡げられ、指の本数が増えて行き、最後は両の手が大きく空を押し退けた。星々は逃げ惑い、夜空は遠く遥かに押しやられてしまった。その間を呆然と見遣っていた仲間達だが、成す術等どこにあろう? 巨大な漆黒の手が突っ込んでおる天空は遥か遠く。例え破邪舟師がおったとしても届くまい高さじゃった。
 漆黒の手は光を吸い込んで尚暗く、輪郭が淡く光っているように見えさえした。それが拡げられた穴からゆるゆると螺旋を描いて腕を伸ばす。身構えていた仲間達の視線が、目の前の冥王の方へ誘われて行く。
 漆黒の両の手は冥王を包み込んだ。
 瘴気の塊が落ちて宮殿が崩れて行く音を聞きながら、異様な静けさが満ちていた。嵐の前の静けさじゃろう。何かをするべきだとは分かっていた。バイキルトも、ピオリムも、スクルトだって掛ける暇はあったじゃろう。だが、我輩達は誰1人動けなかった。皆、凍り付いたように合わさった手から紫色の光が溢れて行くのを見ておった。
 手がぱっと離れ、紫の魂を擦ると不快が這い上がるような光が前から後ろに迸った。
 巨大な影が目の前に現れると、その両脇に二つの巨大な塔が聳え立つ。その塔のような影が振り下ろされ宮殿が木っ端微塵になった時、それが二本の想像だに出来ない程に太く巨大な腕であると誰もがようやく理解した。足場から崩れ落ちる。冥王が作りし宮殿の下は、冥界のあるべき激流が広がっている。それに呑まれれば、我輩達に命はない。
 我は全ての生に死を与えるもの…
 それは獣のように太く遠く、突風のように大きかった。冥王が何者となったのか我輩達は誰1人理解できぬまま、闇に向かって落ちて行く。
 考えよ。考えよ。そうせなんだ、死んでしまう。
 落下する中、我輩は必死に頭を働かせた。周囲は落下する瓦礫ばかりで、留まって足場になるようなものは何一つなかった。下から上に突き抜けて行く冷えきった死の気配が、焦り以外の全ての感情を連れ去って行く。
 我輩はまだ死ねぬ。
 友人を闇から解放してやるその日まで、我輩は死ぬ訳にはいかぬのだ…!
 その時、傍らに光が灯った。我輩が小脇に抱えていたルアムの荷物から、青白い清らかな光が漏れていたのじゃ。荷物をしまった袋の生地を透かして、ガートランドで賢者ホーローが餞別にと託した小箱から蛍のように淡い光が溢れていた。我輩は咄嗟に鞭を撓らせ、ルアムと自信の身体に巻き付け固定するとルアムの荷物に手を伸ばした。中身が飛び散らないように、袋の中で小箱を開ける。
 この時程、ドワーフが手先の器用な種族であった事に感謝した事はない。
 我輩の指はするりと小箱の蓋を開け中身は飛び散ったが、飛び散った中身は全て袋の中に留まった。かなり多くの小物が仕舞われていたのを手に感じたが、光っているのはその中のたった一つだった。
 指先から感じる魔力は、魔法陣を仕込んだものだと分かった。袋から術が仕込まれた石だけ抜き取ると、我輩はぎゅっと握り込んだ。
 アストルティアの全ての力が籠っているように思えた。世界そのものを凝縮したような強い力が、私の力を使いなさいと語りかけて来る。我輩は直ぐさまに石を握った手を落下している方向に向け、力を解き放った!広がる魔法陣は純白に輝いて複雑な文様を描き、光の粉が風になって我輩達を優しく受け止めた。
「ホーローのじいちゃんのお土産、すげーな!」
 今度、弁当分けてもらおう! ルアムがキラキラとした眼差しで言った。
 いやぁ、我輩、ホーロー殿から卵焼きすら分けてもらった事ないぞい。
 周囲を見渡せば、それぞれが魔法陣の上に降り立ち、星空を刳り貫く山のような巨大な影を見上げた。ルミラ嬢から下ろされたエンジュちゃんが、くいっと眼鏡を掛け直し魔導師の杖を構えて影を見上げた。
「闇の根源という存在に力を請うていたけれど、あれが冥王なのかしら?」
「巨大過ぎるな。攻撃をしかけてきた腕を伝って、目でも狙うか」
 ルミラ嬢が大剣を片手に頷いた。敵に臆する事なく倒す手段を考えているのは、とても頼もしい限りじゃ。じゃが、そんな二人にレディ・ブレラを軽く被り直したイサーク君が声を掛けた。
「いや、止めた方が良いよ」
 声には憂う響きが滲んでおって、イサーク君だからこその明るさはなかった。だからこそ、深刻なんじゃろうと、我輩達は表情を強張らせた。
「冥王はいま、捕らえた全ての魂を吸収したみたいだ。あの巨大な肉体の細胞1つ1つが、さっきまでいた魂達なんだ」
 ルアムがブルリと身体を震わせた。
「じゃあ、めーおー倒したら、イサーク兄ちゃんが助けた魂達も皆死んじまうのか!? だって、助かったんじゃねーのかよ!」
「ルアム。昇天の梯が外されていたら、魂達は空に昇れないんだ。助けたって、本当の意味で救う事は出来ないんだよ」
 イサーク君は子供の胸にもすとんと落ちるような、柔らかく説得力のあるような声色で語り掛けた。でも!とルアムは涙を溜めて叫んだ。
「本当に、本当に誰も助けられないのか!? かみさまも駄目なのか!? なぁ、本当なのか!?」
 泣いておる暇は無いの。我輩はルアムをさっと抱え上げると、駆出した。
 我輩達が立っておる場所に、隕石みたいな一撃が落ちよった。あれが冥王の拳かと思うと、当たったら死ぬのぉ。
 あーれに勝つって、そうとう骨が折れそうじゃのぉ。我輩は乾いた唇を舌で湿らせた。
 ジリ貧は間違いない。敗北は目の前にあった。
 例え、エンジュちゃんとレディ・ブレラの魔法が効果的であったとしてもアレだけの肉体じゃ。体力は無尽蔵、防御力なんて鉄壁なんて言葉じゃ生易しかろう。魔法で山を切り崩せるかと問うてそれは無理じゃと思えば、二人の魔法に頼り切ってごり押しするなんて無理な話じゃわい。
 ルミラ嬢の攻撃力もサイクロプスやトロルレベルなら通じるじゃろうが、あれほど巨体じゃ刃も立つまい。彼女が言った通り急所を狙うべきじゃろうが、目までとんでもなく遠いぞい。いや、今はそれを言っている場合じゃないがの。我輩の破壊力も一発屋と思えば、活路にはなり得ん。
 冥王はそんな我輩達の手の内を理解しておる。攻撃は遊ぶような余裕を見せておる。
 つまり、勝機を見出すなら、今、この瞬間しか有り得ぬのじゃ。
 我輩は抱えたルアムに囁いた。
「ホーロー殿から託された土産は、まだあった筈じゃ。何が入っておるのかね?」
 ルアムががさごそと、荷物の袋を漁り出した。あれれ、飴玉がごろごろ。うーんと、チョコの香り。がさごそと探る事しばしば、ぴくりとプクリポの身体が強張った。見上げた瞳は赤から青紫になっておった。人間の方のルアム君が出て来たようで、赤いちょんまげがぺこりと揺れた。
「ごめんなさい。僕が探します」
 そうして待つ事しばし、彼は手の平に握ったそれを我輩に見え易いように持ち上げてみせた。
「これが10個くらい入ってるみたいです」
 翼を拡げたような持ち手の付根には宝石が嵌っておって、そこからすっと鍵の形が伸びておる。青と白の美しい刺繍が施された布にはヴェリナード王国の紋章が、白銀の金属に流れる水と白亜のあこや貝が彫刻された宝じゃった。美しいアクアマリンの宝石がルアム君の青紫の瞳を映し込んだ。
「キーエンブレム?」
 我輩はルアム君からそれを受け取り、首を傾げた。
 それは冒険者がその地域に貢献した者に与える、鍵の形の勲章だった。なぜ鍵の形なのかは知らぬが、昔からそうじゃったのだろう。ルアム君が掲げたのはウェナ諸島のヴェリナードの王族が与える勲章であったが、キーエンブレムを授与出来る存在はアストルティアに10ある。それぞれの大陸の王族達と、民をまとめる長達が与える権限を持っていた。功績だけ見れば、我輩達は確かにキーエンブレムを授与されるに値する働きをしただろう。それを受け取るような奴等ではなかった事は、よぉく分かっておる。
 荷物を把握しとる人間のルアムが言うんじゃ。賢者ホーローが出発前に渡した餞別の中身が、キーエンブレムと先程の石なのは疑い様が無いじゃろう。
 だが、なぜキーエンブレムなんぞ寄越すんじゃろう?
 キーエンブレムはただの勲章。功績をたたえ、それぞれの地域の主達に目で見せる輝かしい経歴を形にした物だった。特別な効果はない。それが、冥王との戦いで必要になる? 不要なものなら餞別にもならぬが、放浪の賢者として世界中を旅し、危険な地域に足を伸ばす熟練の冒険者。無用の長物を持たせるとは思えない。
 キーエンブレムも必要なのだ。
 勿論、冥王討伐にじゃ。
 このヒントを生かさねば、我輩達はアストルティアの土を二度と踏む事は出来まいて。我輩は表情を引き締め、ルアム君に囁いた。
「金色の鍵がある筈じゃ。渡してくれぬかね?」
 金の鍵はドルワーム王国のキーエンブレムじゃ。ルアムが手渡してくれた勲章は、我輩にラミザ王子が手渡そうとしたものと同じものじゃった。ゴブル砂漠の黄金色に、いくつもの歯車を繋ぎ機会のパーツで構成された翼。ドルワーム王国の紋章が刺繍された布地の上から、我輩は鍵の持ち手をしっかりと握った。
 魔法陣を封じ込めた石から感じた世界の力。その感触が正しければ…。
 空を覆う程の巨体になった冥王の動きは、非常に緩慢じゃった。攻撃範囲は広い為に早足で逃げねばならなかったが、腕を振り下ろす方向を見切るのは簡単じゃ。我輩はイサークに攻撃している冥王を見遣りながら、光る魔法陣の上にさっと膝を付いた。
 もし、仮説が正しかったなら直ぐさま動かねばならない。だが、先ずはその仮説が正しいか、試さねばらぬ。
 銀色のキーエンブレムを魔法陣に差し入れるように突き立てる。音はしないものの、何度か突き立てても硬い床のように阻まれてそれっきりだった。ガッカリはせん。むしろ想定した通りじゃ。
 金のキーエンブレムを握り、我輩はごくりと喉を鳴らして唾を飲み下してから魔法陣に突き立てた。金の鍵はまるで水に挿し入れたように魔法陣を突き抜け、我輩は腕が魔法陣に入り込んでしまいおった!あれほどしっかり握っておったのに、まるで溶けてしまったかのように鍵の感覚が消え失せるのに驚く間も無い。
 金色の光が手元から迸り、まるで真っ白い魔法陣の上に筆を走らせたかのように駆け巡った。我輩はルアム君の手から黄色のキーエンブレムを奪うように取ると、それも魔法陣に差し込んだ。蒲公英を彷彿とさせる暖かな光が魔法陣を駆けた。
「ど、どうなってるんですか!?」
 我輩はこの場にいた全ての視線がこちらに向いた事を感じながら、手早くエンブレムを仕分けた。冥王が我輩達が逆転のチャンスを得たと察して潰しに掛かるのじゃ、一瞬も無駄にはできぬ。もどかしさを感じながらも、我輩の指は我輩に忠実に従ってくれた。銀と青、白と紫をルアム君の手元に残す。我輩は残りを手にしながら、立ち上がった。
「その銀と青はイサークに渡して我輩がやったようにやるんじゃ。白と紫はルアム、お主の分じゃ」
 我輩は駆出しながら叫んだ。
「急げ!全てのキーエンブレムを差し込んだら、きっと何かが起きる!」
 我輩は全力でルミラ嬢とエンジュちゃんを目指して走る。ルミラ嬢がエンジュちゃんを抱え、我輩に向かって来てくれていた。エンジュちゃんは冥王の動きを伝えルミラ嬢に回避を促し、時にイオナズンを放っておるなかなかのチームワークじゃ。来てくれて助かるわい。我輩も歳という訳じゃの。
 駆けながら、白く輝く魔法陣に尚白い線と、夕暮れ時の一瞬を彷彿とさせる美しい紫色の線が駆けて行く。走りながらルアムも魔法陣に鍵を差し込んだんじゃろう。バギ系を上手く操り自分の軽い身体を何倍もの速度に引き上げ、冥王の拳を巧みに避けているのがちらりと見えた。
「ガノさん!」
 ルミラ嬢がしなやかな体付きで、瞬く間に近寄った。ルミラ嬢から降りたエンジュちゃんの胸に押し付けるように、緑と桜色のキーエンブレムを渡す。ルミラ嬢の手にも強引に黒と赤のキーエンブレムを捩じ込んだ。
「これを、魔法陣に差し込むんじゃ!」
 はっと見上げると、冥王の手がこちらに向かって来ていた。巨大な手が巨大な落石のようにこちらに向かって来る。
 だが、彼女らは逃げる事よりも鍵を差し込む方を優先した…!
 黒、赤、緑、桜色、金、黄色、白、紫、青、銀。10の色が魔法陣の上に更に複雑で美しい文様を描き、もの凄い力が魔法陣から迸るのを感じた。冥王の手も驚いたようにその動きを止める。
「なんて、力なのかしら…!」
 エンジュちゃんが感嘆の声を上げる横で、ルミラ嬢が魔法陣の中心を見た。彼女がその瞳が見開かれたのを見て、我輩も首を巡らす。10色の複雑な文様が、まるで門のように立ち上がり開かれて行く。
 遠くから音が迫って来ていた。
 それは5種族だったならば、誰もが聞いた事のある馴染みのある音。5つの大陸を巡り人々を運ぶ大地の箱船が、線路を走る音だったのじゃ。
 我輩達が息も忘れて見ている先で、汽笛の音と共に見慣れた箱船が飛び出しおった! だが、それは大地の箱船と形は同じだが、何もかもが違う。汽笛と共に吹き出すのは蒸汽ではなく黄金の星屑であったし、箱船の壁はうっすらと光る月のようで、窓硝子はオーロラで、車輪は彗星で出来ておる。それは真っ直ぐ空に向かって飛翔し、大鳥のように優雅に旋回した。箱船が通った轍は彗星の尾のように美しく、雪のように光の粉を散らした。
 それは伝説の天駆ける箱船。
 大地の箱船のモデルになったと言われておるが、本当に存在しておったとは…!
 箱船はそのまま、巨大に膨れ上がった冥王に迫る。自ら光を発する箱船に照らされた冥王の姿は、貴族風の伊達男ではなかった。耳元まで切り込まれた口はにたりと笑みの形を作りぞろりと牙が並んでおる。その顔立ちは獣そのもので、巨大化した角と銀髪がかつての面影を残しておる。竜を彷彿とさせる無駄のない芸術的な筋肉、翼の役割を果たすものとは形の異なる巨大な背びれは見る者を威圧する。箱船の光に油のように滑り動いた鱗の色は、緑と黄色、光の具合に赤が混じる。
 全貌を改めて見て震えた我輩達を勇気づけるように、天の箱船が汽笛を鳴らす。汽笛は遠く遠く世界の隅々に響かんとする程に、長く響き渡った。
 ふと、星々が奮えているのに気が付いた。
 次の瞬間、我輩達は目を見開いた。誰もが感嘆の声を上げる中、ルアムが飛び跳ねて喜ぶのが見えた。
 星々が舞い降りて来る。常春の都の桜吹雪のように、黄金の砂漠の砂塵のように、花の国を舞う綿毛の種子のように、海に群れる魚のように、雪原の粉雪のように、それは例えるのも困難な程に美しく乱舞した。
 冥王は身を縮め、星々から逃げようとした。しかし、星々は冥王を取り囲むように舞い、この冥界の隅から隅まで溢れんばかりの数が天から降りて来ていた。
 箱船が汽笛を鳴らし、冥王の身体に体当たりをする。箱船が冥王に触れた部分が崩壊し、冥王の胸元は光の粒子になって崩れ落ちた。崩れた光の粒を星々は拾い上げ、天へ掬い上げて行く。
「まさか…」
「そのまさかだよ!冥王の血肉にされていた魂達が、天に導かれているんだ!」
 我輩は只管に見上げた。魂達が天に昇れる喜びが、暖かい光になって我輩達の頬に触れた。
 箱船は冥王への攻撃を緩めない。腕が崩れ、足が折れ、巨大だった冥王の身体は見る見る小さくなって行く。そして一斉に光が集い離れた後には、我輩達が最初に見た伊達男の姿があった。
 冥王は傷一つないものの、死の際に立たされた者の顔に浮かぶ死相を能面のように身につけていた。顎を動かして呼吸し、崩れ落ちる。
「仇を討ち取れて…満足だろう…エテーネの…生き残りよ…」
 ルアムがすっと前に出た。我輩達からはその瞳の色は見えないが、プクリポの姿は微動だにせずじっと冥王ネルゲルを見ておった。
「早く…止めを刺すが良い…」
 このまま何もせずとも死ぬのは目に見えておった。
 ルアムが何もせん事に、冥王は微笑を浮かべた。その微笑が何を意味するかは、この場の誰1人とて理解できんかったろう。
「平和が訪れたと…喜ぶが良い…愚かな…る者達よ…闇の根源より…更……邪悪が現れ…」
「危ない!」
 エンジュちゃんが飛び出し、ルアムの腕を引いた。
 瞬間、冥王は雷に打たれ瘴気の塊となり風に払われる。最早、冥王がいた形跡も無くなり、その呆気無い死に様に我輩達は言葉もなく立ち尽くした。
「冥王を恨む者達の呪いですわ。冥王の力が弱まったので、発動したんですわね」
 箱船の汽笛に顔を上げると、箱船は星々と魂達を引き連れて遥か天空へ昇る所であった。例え様のない美しさと喜びに、誰もが無言で見上げておった。
 美しい星吹雪が天に向かって吹き昇って行く。