底なしの淵

 遺跡を抜け細い亀裂のような谷底を進む。体を揺さぶるような強風が吹き抜けて、懐かしい草の香りが包み込む。光を目指し進んで行った先に開けた草原は、酷く見覚えのあるものだった。草花は慣れ親しんだもの。山の稜線や崖や丘の形、森のこんもりとした形、どれもこれも懐かしい。
 オイラがそう思うのも、相棒がそう思っているからだ。相棒の強い思いが、オイラの感情にも影響している。
 良いことだと思う。感動って分かち合うもんだし。
 相棒が息を殺して、不安を抱きしめて、オイラの中から道を見ている。草原に残っている獣道にも見える人が通った後らしき、土が剥き出しになった筋のような一本道。ヤクウの爺ちゃんがゆっくりとした歩調で進むことに、誰も文句は言わない。誰かが先を見てこようと駆け出す奴もいなかった。ただ、ゆっくりと、その時を目指して歩いている。
 オイラ達の食料やキャンプ道具を積んだロバが、ぶるると不満げに鼻を鳴らした。分かる。臭いに嫌なものを感じたんだ。
 ロバの不満が、皆に伝わって表情を曇らせるのに時間は要らなかった。新緑の柔らかそうな黄緑、どっしりとした濃い影を従えた深い緑、パステルカラーの可愛らしい花、頭上を覆う晴天の青。その中で異質な黒。いろんな色を混ぜて黒くした、心を不安にさせる黒だった。
 黒く焦げた木の棒が並んで立っている。自然では絶対そうはならない綺麗に並べられた、柵のような棒が茂みの中から見えた。森が切れる。鬱蒼として影だと思われていた黒は、森の内側にある開けた場所がその色で塗りつぶされているんだと分かった。
 相棒が駆け出した。誰も、オイラも止めなかった。
 そこは村らしいものの跡地だった。石積みされた頑丈そうな家は、全部瓦礫になっていた。柱として屋根を支えていた丸太は、真っ黒に焼け焦げてボロボロになっている。地面には瓦礫が足の踏み場もないほどに広がっていて、見える地面には体に悪そうな泡立つ水が溜まっている。相棒が足を止めた。開けた場所の中心にある、こんもりとした丘を見上げる。真っ黒に焼けた巨大な木が、オイラと相棒を見下ろしている。
 誰もいない。誰もいるわけがない。誰かと叫ばなくてもそう分かってしまう。
 悲しみが体の奥から溢れて、抑えられなくて、相棒が叫んだ。オイラの声なのに、オイラが一度も出したことがない辛くて苦しい声が魂を貫いてくる。涙が溢れて水を頭から浴び続けているように、頬を涙が流れ続けている。丸めた背中を小さい手が撫でて抱きしめてくれる。エンジュの姉ちゃんだ。その手が優しくて、背中を包む暖かさが優しくて、その優しい手が、その優しいぬくもりが、望んだ人のものでないのが辛い。エンジュの姉ちゃんは何も悪くないのに、酷い罪悪感で相棒はさらに泣いた。
「わあ! どうしたの? なんで泣いているの?」
 誰の声だろう。涙で歪んだ世界で何度も瞬きすると、そこにはスライムがいる。
「ここはエテーネ村って名前の場所だったんだよ。怒った神様に滅ぼされちゃったんだ」
 目の前が真っ白になった。意味がわからない。それでも、口が開いて喉が裂けそうな程の大声が飛び出た。
「僕らは何も悪いことなんかしてない!」

 相棒はずっと泣いた。泣くって体力いるからさ、オイラはすっかり疲れちゃった。気がついたらルミラ姐さんの外套だろうたっぷりとした布に包まれていて、ガノのじっちゃんが焚き火を起こしてくれて、美味しそうなご飯の匂いがする。イサーク兄ちゃんが気がついて笑いかけてくれて、ご飯は食べれるかい?ってブレラのおばちゃんが声をかけてくれた。大丈夫かね?とヤクウの爺ちゃんが心配そうに水を差し出してくれた。
 オイラが体を起こして目を擦る。泣き過ぎて目が腫れちゃって上手く開かねーや。
「ごめんな。相棒はまだ起きれそうにねーや」
 オイラの言葉に気にするなと皆が声を揃えて言った。滅んだ故郷を見て、すぐご飯なんか食べれるやつなんかいないしって流してくれる。そのままご飯になるかと思いきや、『それよりも、聞いてくれ』とルミラの姐さんが険のある声色で続けた。
「ルアムとヤクウの言う通り、村の奥には大きな立派な亀が眠っていた。そして、傍に怪しい奴がいたんだ」
「怪しい奴だなんて、心外ですね。お願いですから、背中に突きつけている獲物を退けていただけませんか?」
 誰だろう? ヤクウの爺ちゃんの声じゃない。知らない人の声だ。オイラは腫れぼったい目を開けて声の主を見遣る。茶色いぼんやりとした人影は、少しずつ鮮明になる。茶色い帽子と服、色の薄い髪と白い肌の人間だ。なんか、見覚えがある。
「いや、信用できんな。お主、グランドタイタス号でクロウズと名乗っておったが、そんな名前の乗員は誰もおらんかった。白を切れると思うなよ? 吾輩は調査団員、調査団員の関係者、船の船員全員の名簿を確認した上で言っておるのだからな!」
「そんな被害者ぶった顔をされても無駄ですわ! ルアム君が目覚めたら話すの一点張りなのですから、この程度のもてなしは甘んじてお受けなさってくださいな。それとも、色白いお顔に煤のお化粧でも御所望かしら?」
 ガノのじっちゃんが怖い顔で問い詰め、エンジュの姉ちゃんも魔道士の杖の先端をクロウズという兄ちゃんに向けている。うーん。相棒に話があるって言うけど、相棒もクロウズを見てもピンときた感じがしない。
「私はクロウズ。グランドタイタスでお会いした以来ですね」
 にっこりと笑うけど、誰も警戒は解いてない。思い出したけど、船の上でメラゾーマ暴走させた非常識じゃん。あの後、ブレラのおばちゃんやイサークの兄ちゃんが、最低だ船が燃えたらどうしてたんだって、めっちゃ怒ってたんだぜ。
「で、ルアム君。君の故郷は、本当にここですか?」
 な、何を言っているんだろう? オイラ達が目指した相棒の故郷。エテーネ村という、レンダーシアにある滅ぼされた村。ヤクウの爺ちゃんの故郷と同じ名前で、その故郷には相棒も知ってる亀の守神様がいるんだろ? ここが目的地。ゴールのエテーネ村じゃないか。
「…何を言ってるんですか?」
 それを思ったのはこの場にいた全員だ。相棒は震える声でクロウズに言った。
「僕はエテーネ村が冥王ネルゲルに滅ぼされるのを見た。故郷の皆が昇天の梯を昇るのを見送った。カメ様だって奥で眠っている。ここが僕の目指したエテーネ村でないなら、なんだって言うんですか?」
 なんてことを言わせるんだ! オイラはカンカンになって相棒を押し除けた!
「相棒は今、めちゃくちゃしんどいだぞ! ちょっとはそっとしておけよ!」
「いいえ。今、ルアム君が向かい合わねばならぬことです」
 クロウズは涼しい緑の目でオイラの中にいる相棒を覗き込むように見た。緑にオイラの赤い瞳が炎のように映り込んでいる。
「変だと、思いませんでしたか? エテーネ村が、神の怒りによって滅んだ。冥王ネルゲルによって滅ぼされたと、君の中のルアム君が証言しているのですよ? この村で事実として語られる言葉と、君達の仲間の言葉、どちらが正しいのでしょう?」
 両手を広げ、コートを着込んだ影が森を飲み込む。
「ここはエテーネ村であって、エテーネ村ではないのです」
 エテーネ村であって、エテーネ村ではない。その言葉にオイラ達は動きを止めた。
 レンダーシアが二つ存在する。そのことをグランドタイタス号で調査団の皆と上陸したクロウズが知ることは、きっとできる。オイラ達は二つのレンダーシアにある同じ場所が、同じ場所であって全然違うことを知っている。
「ここは我輩達が向かうべき本物のレンダーシアにある、エテーネ村じゃぞ。そこが、エテーネ村でないということは、どういうことを意味しておるのか、お主、分かって言っておるのかね?」
 ガノのじっちゃんが恐る恐る、言葉を選ぶようにクロウズに言った。クロウズは小さく頷いた。
「貴方の、そして皆さんが察している通り。ここは、もう一つのレンダーシアにあるエテーネ村なのです」
「本物のレンダーシアに、偽物のエテーネ村が混じっていると仰るの? それとも、いつの間にか私達がもう一つのレンダーシアに迷い込んでしまったという事? 何を仰っているか、意味がわかりませんわ!」
「エンジュさん。貴方とルミラさんはセレドの騒動の一部始終に関わっている。一番理解できると思っています」
 クロウズがひたと見つめる先で、エンジュの姉ちゃんが、ぺたりと座り込んだ。そして口に手を当て、深く考え込む。その顔は深刻で、早口で呟かれる声色に明るい様子は微塵もない。その様子を見たルミラ姐さんが、すげーおっかねー顔でクロウズを見てる。短剣を握ってる腕が、ぼんって盛り上がった。
「自分は頭が悪いのでな。貴様がエンジュを傷つけたように見えて、気が立っている。簡潔に答えてもらおう。セレドの騒動で、我々はサダクという魔物を討伐した。奴は何かしらの謀を画策し、それを成し遂げようと暗躍していたようだ。結果的に妨害できたが、万が一、それが成就したならば、セレドはこのエテーネ村のようになっていたということか?」
「その通りです」
 ルミラの姐さんやエンジュの姉ちゃんの話では、二人のいたセレドの町には子供しかいなかった。ダーマ神殿は空っぽだ。もし二人がサダクっていう魔物に負けちゃってたら、ダーマの神殿は誰もいなくて使い物にならねーし、セレドの大人達もどっか行っちゃうってことか? それって…
「けっこー、ヤバくねーか?」
「結構ヤバいで済む問題ではありませんね」
 クロウズはオイラ達をぐるっと見回した。
「レンダーシア、そしてアストルティアの崩壊に関わるような重大な問題です」
「そんな重要なことを知ってる人がさー、ここに居るのが不思議でならないけど−。まぁ、それよりも、聞いちゃった方が良いのかな? 誰がオセロ感覚で世界を壊そうとしてるのかなーって…」
 イサークの兄ちゃんが作っているシチューを味見する。三つ星大成功のシチューだろうに、オイラは全然食欲が沸かない。だって、イサークの兄ちゃんもすっごく冷たい目で、クロウズを睨んでるんだもん。うぅ。兄ちゃん。帰ってきて…。
 でも、現実ってひじょーだよな。クロウズの言葉は淡々と答えを紡いだ。
「大魔王マデサゴーラ」
『は。大魔王ねぇ』
 ブレラのおばちゃんが兄ちゃんの頭の上で、呆れたように炎の息を吐いた。
『今まで何度も勇者に辛酸を舐めさせられた歴代の大魔王の徹を踏まず、勇者との衝突も避けてアストルティアを侵攻する天才ってところかね。でも、可笑しいね。大魔王っていえば、最近、グランゼドーラやアラハギーロに大々的に攻め込んじまったじゃないか。このままひっそりオセロをひっくり返してりゃあ良いのに、台無しなことをなんでしちゃうってんだい?』
 言われてみればそうだ。
 大魔王って御伽噺とはいえ、勇者と戦って毎回負けてる。勇者様が勝ってくんねーと、今までの平和がないんだから勝ってくれてたんだろう。頭のいい大魔王なら勇者と戦わないでアストルティアを乗っ取っちゃえ!って、作戦立てて上手くやっちゃうんだろう。そうして上手くやった結果、オイラの相棒の故郷は誰にも気が付かれないうちに乗っ取られちゃったわけだ。
 でも、大魔王はグランゼドーラとアラハギーロに戦争を仕掛けた。勇者様であるグランゼドーラの王子様を殺したから、大魔王的には目的達成なんだろう。でも、戦う必要ないやり方で攻めてたのに、どうして今更戦い始めたんだろう? グランゼドーラは大魔王と戦う気満々だ。大魔王にとってはお得なところは何もないぞ?
「それは今の貴方達には、重要なことではありません」
 え? そうなの? けっこー、じゅーよーだと思うんだけどなー。
 クロウズはオイラを、いや、オイラの中の相棒を見た。
「冥王ネルゲルは、大魔王マデサゴーラと一つの契約を交わしました。このエテーネ村を滅ぼすための力をネルゲルは求め、その力を与える代わりにマデサゴーラはこの地を最初に侵食したのです。オセロゲームに例えれば、最初に与えられる2つの大魔王側の色の石にエテーネ村は変えられてしまったのです」
 確かに大魔王と勇者の駆け引きは、じゅーよーじゃなかった。大魔王が本当の相棒の故郷を取っちゃったんだ。取り返さねーと、相棒が帰れねーじゃん。オイラはクロウズを見た。
「相棒の故郷を取り戻す方法が、あるのか?」
 その質問を待っていましたと、クロウズは笑みを深くした。
「この村には守神様がいる。彼に目覚めてもらい、この地に加護を賜るのです」
「カメ様に目覚めていただくと言うのか? ワシが知る限り、カメ様がお目覚めになる事など一度もなかった」
 皆の剣幕に圧されて黙っていたヤクウの爺ちゃんが、口を開いた。実際、村の奥で大きな亀さんを見てきた皆も、クロウズの提案に戸惑っているようだ。
「守神様に力を取り戻してもらうには、テンスの花という特別な花が必要になります。そしてその花の研究をしている者が、この世界のどこかにいます。その者からテンスの花を譲り受け、守神様に捧げるのです」
 テンスの花。その言葉に相棒がむくりと起き上がるのを感じた。何の感情もなく抜け殻のような相棒は、オイラの口を使って言う。
「テンスの花は燃えてしまった。もう、一本も残っていないはずだよ」
 すごく疲れる。まるで相棒が、ガノのじっちゃんのハンマーように重い。
「本物でも偽物でも、そんな変わらないじゃないか。滅んで、皆、死んでしまった。取り戻して、何が変わるの?」
 クロウズの顔に初めて、一瞬だけど深い悲しみが浮かんだ。相棒の言葉のあまりの虚しさを、相棒が絶望しきって心が空っぽになってしまったことを、クロウズはとても悲しいと思ったらしい。台本を持っていて話の筋すら把握していそうな余裕さを持っていたクロウズが、掛けるべき言葉を見失ったように口元を震わせた。
 皆そうだ。相棒が故郷を見て絶望している。冥王と戦ったり冒険したからこそ、どの言葉も不正解に思えてしまうんだ。皆がオイラを見ている。オイラがなんて言葉を掛けるのか、その言葉で相棒を救ってやって欲しいと願いを込めている。
「変わるよ」
 任せろよ。オイラはプクレット村の演芸大会殿堂入りの猛者。空気を変えることなんか、食前のプクプクピーチを絞ってジュースにするくらい簡単なことだ。
「相棒は笑顔になる」
 オイラは立ち上がって、オイラの中の相棒に言う。いつもの明るくて根拠もそんな無いのに自信満々で、相棒に『兄さん』って頼りにされるルアムの声色だ。顔だって笑顔だ。絶対に曇らねー。相棒の笑顔をオイラが一番見たいんだ。オイラが一番、相棒のために頑張るんだ。なんも辛く無い。むしろ、頑張るだけで笑顔になってくれるんなら、いっぱいいっぱい頑張れる!
「オイラは相棒の笑顔の為だったら、なんだってする。相棒を笑顔にできるなら、相棒がどんなに無駄だと思うことだってする。相棒は笑顔になる。絶対に、オイラが、オイラ達が、笑顔にさせてやる!」
 オイラの笑顔に皆の顔もぱっと明るくなった。そうだ。そうだって心が希望を見つけて伸び上がる。
 相棒もふわりと心が暖かくなった気がする。絶望するのなんか早すぎだ。相棒はオイラがグランゼドーラの王立劇場でソロでショーするのを、最前席で見て笑い転げる仕事がすんでねーんだからな!
 クロウズが立ち上がる。ツバの広い帽子に目元は隠れてしまったが、口元は嬉しげに持ち上がっていた。
「テンスの花を研究しているのは、テンレスという名の錬金術師。彼を探すのです」
 テンレス…? 聞いたことのある名前だ。どこで…。
「兄さん…?」
 相棒が口を開く。涙がすっと頬を流れていく。
「テンレス兄さんを…探す?」
 そうだ。相棒の兄貴の名前だ。村が滅ぼされそうになった時、目の前で忽然と消えてしまった兄貴の名前がテンレスっていうんだった。相棒がちょっと前向きになった。くやしーな。オイラの言葉より兄貴が生きてて探しにいくってことの方が、効くんだもん。ちぇー。オイラも相棒の兄弟に生まれたかったなー。
 言うことは言ったって感じで立ち去ろうとするクロウズを引き止めたのは、意外にもイサークの兄ちゃんだった。
「シチュー、食べてけば? さっきからチラチラ見てたし、お腹鳴ってるの、僕は聞こえてるんだから」
 う。クロウズが言葉に詰まった。口元を覆って、絞り出すような声で言う。
「ありがたいです。ご相伴に与らせていただきます」
 そうだよな。腹が減っちゃあ、何も始められないもんな!
 イサーク兄ちゃんのシチューは最高だ! 滅んだ村だろうが、偽物の村だろうが、シチューの良い香りが漂って、みんなが美味しい美味しいって食べて良いんだ。どんなとこだろうが、どんなことがあったってさ、幸せを感じて良いんだ。だからさ、相棒。笑えるように、オイラ達、頑張るからな!
 オイラがシチューで顔べたべたなのを見て、皆が弾けるように笑った。