風の詩

 ダーマ神はありとあらゆる姿になれるのです。男にも女にも、子供にも老人にも、戦士にも賢者にも、この世界に存在するありとあらゆる姿になることが出来ます。だから、貴方もどんな姿になっても良いんですよ。
 そう、ダーマ神の像を前に大神官様は私に語ってくださった。純白の神官服を着た男性は、逆光にどんな表情をしていたかはわからない。だが、慈悲深く私を見ているのは分かっていた。どんな答えでも選んで良いと促されるような優しさがあった。
 どんな姿を望んでいたんだろう。シタルとして生まれたのは旅芸一座の馬車の幌の中。空の屋根の下で、木の根を枕に風を掛け物代わりに生きてきた。独立して仲間が集まり有名になると、果てしなき芸の道が始まった。共に歩こうと決めた仲間を指導し、全員で馬車を引き音楽を囃し立てながら道を進むつもりだった。その道を歩き続けていたら、どんな姿になっていたのだろう。今でも想像がつかない。
「顔をあげなさい、ゾデラ」
 こんな日がいつか来るとは思っていた。私は大神官様の前に立って、深々と頭を下げていた。
「この度の混乱は私の消えぬ過去が原因です。次期大神官候補の指名を解いていただきたい」
「指名は解きません」
 どうしてこの御方は、こんなにも優しい声で私に話しかけるのだ。歯軋りが嫌な音で脳を擦る。
 ゾデラは褒められた神官ではなかった。人付き合いは悪く笑いもせず、黙々と修行に明け暮れる姿勢は同期の神官達から恐れられた。修行の成果が出て優秀な成績を納めると、先輩方から煙たがられるようになった。独り修行に明け暮れるのは、独立する前に未熟だった芸を覚えようと必死だった頃に似ていて熱中した。私は自分のことしか考えていないのだ。こんな人間が大神官候補だなんて、お笑い種もいいところだ。
 ゾデラは人殺し。そんな噂が朝の礼拝の時には、ダーマ中に広まっていた。
 ひそひそと囁かれる憶測だが、誰一人私に問いただそうとする者はいなかった。私も問われなかったから、答えなかった。そうしてゾデラは人殺しという噂は確定とばかりに人々の脳裏に刻まれつつある。このままでは指名した大神官様とて責を問われかねない。
 暖かい手が肩に置かれる。
「天職に至る為の道は一つではありません。私は貴方の努力と才能が、大神官に相応しく思えたからこそ指名したのです」
 否定しようと口を開こうとして、大神官様は言葉を重ねる。
「人を導くことは、難しいことだと思いませんでしたか? 自分でも思い通りに行かぬことを、他人に強いるだなんて酷いことだと思いませんでしたか? でも導いた先でその人が輝けたとしたら、己の事のように誇らしくはありませんでしたか?」
 過去形。私は思わず顔を上げた。
 ほぼ同時に廊下を駆ける音が近づいてくる。扉の前にいる神官の制止も振り切り、騒音は開け放たれて飛び込んできた。そこにいたのは、血塗れのジャンナだった。あの日、希望の花を摘みにキャンプ地からかなり離れた丘の上に単身向かった服装は、血で真っ赤に染まっている。肩口から大きく切り裂かれ、左腕は力無く垂れ下がっていた。血は足を伝い、血溜まりを作っている。
 どうして、私を助けてくれなかったんですか? そうジャンナは責めるように私に言った。
 私は立ったまま眠っているのだろうな、と思った。
 なにせ、毎晩夢に見る。だが、目の前のジャンナは夢にしては不出来すぎた。ジャンナに騒音を撒き散らして走るよう教えた覚えはないし、彼女の足音は猫のように静かだ。夢の中でもそれは徹底している。なにせ、私の記憶の中の彼女がそうなのだから。
 私は素早く隣に立って入口を見ている大神官様を見た。大神官様も愕然とした顔で、目の前のジャンナを凝視している。その時点でおかしい。大神官様は血塗れの娘が立っていたら、駆け寄って回復呪文を施すような御方だ。
 私はすっと力を抜いた手を挙げると、そのまま甲で大神官様の胸を強かに打ちつけた。久しぶりのツッコミは加減を間違えたらしく、うっと息を詰まらせた大神官様が膝をついてしまった。悶絶まではいかなかったようで、狐につままれたような顔で目を瞬いている。
「気がつかれましたか?」
 私が視線を入り口に戻せば、ジャンナはそこにはいなかった。走ってきたのか息を切らした神官が、私達のやりとりに目を丸くしているようだ。私が姿勢を正して『何事か?』と問えば、若い神官は敬礼して声を張り上げた。
「セレドの町が大混乱なんです! 特に子供を失った親御さん達が酷く、錯乱して手の施しようがない状態なんです!」
 今しがた見た幻影は、見た者によって異なるものが見えるようだ。そしてその内容は、その者に深く刻まれた心の傷。我が子を失った親達が見せつけられているのは、死んだ子供達が親を責める幻なのだろう。考えるだけで目眩がする。何者かは知らないが、傷に塩を塗り込み苦しむ様を見て嘲笑っているような下劣な趣味を持っているようだ。
 私は大神官室を警護する為に扉に控えていた神官達に言う。
「ダーマ神官で戦える者と治療の出来る者を招集。混乱の魔術が使われている可能性が高い。状態異常を防ぐ力の者をダーマとセレドにそれぞれ配置する。私と共に混乱を鎮める為、招集に応じた者はセレドに。残りの神官は大神官様の指示の下、避難してきた民に対応を」
 私の指示に応じると、彼らは駆け足で散っていく。大神官様に目を向けると、いつも穏和な口元を真一文字に引き締め小さく頷かれる。私は一礼ももどかしく、足早に神殿の正門へ向かった。
「ゾデラ殿!」
 若い女性の声に振り返れば、アンルシア姫が小走りでこちらに向かってくる。私が歩みを緩めない理由を察しているのだろう。早歩きで並んで歩く様は、深紅のサーコートに縫い付けられた国章が相応しい勇者の様相だ。
 真っ直ぐな空色の瞳は、兄であるトーマ殿下の盟友になろうとしたがむしゃらさから、勇者として皆を守ろうと必死で足掻いているものに変わっている。行方不明になり流浪の旅をしたと聞く。経験の少なさから幼さが抜けなかった顔は、今では凛々しく頼もしいものになっている。姫君らしい可憐さと洗練さ、勇者としての勇ましさと勇敢さ。相反する属性を身に纏ったアンルシア姫に、成長を感じざる得ない。
 そして先日夢に現れたのは、彼女だ。そう思わされる。
「私もセレドに同行させていただきます」
 是非、よろしくお願いします。そう返す私を、アンルシア姫は不安げに見上げてきた。
「ダーマ神殿には衛兵を見かけませんでしたが、神官が戦われるのですか?」
「無論です」
 私はそう言いながら、懐から短剣を取り出す。使い込まれたククリという変わった形の短剣は、魔力増強効果が施されたもので戦闘の際は好んで使っている。それを二本携えて、私は握りを確認する。
「我々ダーマ神官は転職を司ります。求める者の人生に大きく関わる転職において、相談や適切な助言を与える為にも我々自身が転職し理解を深めているのです。一つの職を極める者がいれば、複数の職業を転々とする者もおります。様々な職業と技術を持った神官が集うダーマ神殿は、一国の軍隊に匹敵する戦力を持っているのです」
 千年前の魔王との戦いでも、勇者の助力があったが神官達が守り抜いている。神官はダーマ神に仕える者であり、信仰の場の守り手でもある。
 正門前の広場には既に10名程の神官達が集まっていた。スティックや弓を持つ神官、神官服を脱ぎ両手剣や斧を背負う武闘派と様々だ。私が人殺しだと噂を耳にしているだろうが、それ以上にセレドを襲っている危機を優先しているらしい。集まった神官達は緊張した面持ちで私を見た。
「既に先手を撃たれている。住民の安全を最優先に行う」
 行くぞ。私の声に神官達は己を鼓舞するように声を上げた。
 セレドとダーマ神殿はセレドットの急峻な山々に守られた天然の要塞だ。簡単に魔物が侵入することは難しいが空襲などには弱く、攻めの定石のように空を飛ぶ魔物が多く見られた。さらに住民達の混乱に対応がままならぬ我々をあざ笑うように、地を駆ける魔物も多数侵入している。
 ダーマとセレドを結ぶ崖に挟まれた細い山道を抜けると、急な階段からセレドの街が見渡せた。
 次期大神官任命式の賑わいを楽しもうと訪れていた多くの冒険者が、すでに手に武器を持って魔物と会敵している。町中で魔法が放たれて少なくない家が倒壊していたが、幸いにも火の手は見えていない。町中に広がった戦火は収集が付く様子がなく、物陰の片隅で寄り添って震える力なき民の姿が見える。
「セレドの東と西、それぞれの救援ために二手に分かれる。道中は戦線の冒険者達を支援しながら、まずは住民をダーマ神殿へ避難。その場での判断は個々に任す。全てはダーマ神の導きのままに…皆の健闘を祈る!」
 私が先陣を切ると、後から神官達が続く。星の守りが降り注ぎ、補助魔法の力が体に満ちてくるのがわかる。
「ゾデラ殿。どちらに向かわれるんですか?」
 ちらりと傍を見れば、アンルシア姫が段差から飛び降り隠れていた老人を啄もうとしたスターキメラの翼を切り飛ばしたところだった。階段を駆け降りながらヒャドのボールを投げて隙が生まれたトロルの胸を、レイピアが鋭く突き刺した。光を帯びたレイピアの一閃は、まるでメラミを叩き込まれたような大きな風穴を開けてしまう。
 これが勇者の力。うら若い乙女が持つには強すぎる力に、私は震える。しかし、それを気取られぬよう先を急ぎながら答える。
「入り口です。結界を張って侵入を拒みます」
 次々とヒャドでボールやナイフを作っては、冒険者達と戦っている魔物達に投げていく。高密度のヒャドで押し固められたボールやナイフは、投擲の勢いもあって下手な武器よりも攻撃力がある。次々に隙が生まれ冒険者達に討ち取られていく。
 セレドが魔物に襲撃されることは、決して珍しいことではない。だが、この規模はグランゼドーラが大魔王に襲われたタイミングの襲撃よりも、大きいのではないかと思う。私は背後で雷の呪文を放ち、魔法の聖水を口にしたアンルシア姫に視線を向けた。
「アンルシア姫はこのセレドへの侵攻、大魔王の軍勢のものだと仮定して、何の狙いがあるとお思いですか?」
 ダーマ神殿は古より大魔王との戦いにおいて重要な拠点である。私が入り口に向かうのも、光の河の力を借りセレドとダーマ神殿を覆う大結界を展開するためだ。それは千年前の不死の魔王との戦いでも用いられた防衛手段で、敵方も知っているなら得策とは言い難い攻め方ではある。ただでさえ世界を侵食し乗っ取るなどという手法を取る相手だ。別に目的があるのではと考えるのが普通だろう。
 つん裂くような悲鳴に目を向ければ、錯乱した妙齢の女性が泡を吹きながら叫んでいる。それを冒険者達が数人掛かりで押さえ込んでいた。子供の名前らしきものを叫び暴れ続ける彼女にさっと駆け寄ると、その胸を絶妙な加減で叩く。息を詰まらせ一つ呻くと憑き物が落ちたように落ち着いた。後を頼むと周囲に言い放つと、私は立ち上がって再び駆け出した。
 アンルシア姫は再び稲妻を落として、天の高みから見下ろす魔物達を光の河の谷底に叩き落とす。
「大魔王はレンダーシアの加護の力を強める神の緋石を砕こうとしており、私はそれを防衛する為に各地を巡っています。ダーマ神殿にも神の緋石があると聞いてやってきたのです」
 ふむ。私は顎をさすった。
 次期大神官候補になると、各大陸に派遣される上位成績者よりも更に深いことを学ぶ。最終的には大神官様と同じ知識と技術を身につけることで、万が一大神官様が身罷られた場合も神殿の機能を途絶えさせぬ意味がある。そんな私も知らぬ言葉。大神官様ならご存知なのだろうか?
「神の緋石…聞いたことはないが、御神体の事だろうか?」
 御神体? 首を傾げるアンルシア姫に言う。
「ダーマ神がグランゼニスより託されたものと伝わっております」
 神話は語る。人の神グランゼニスが深き眠りにつく時、己が守護する大地に数滴の血を落としたと言う。それは強き守りの力を秘めた宝石となり、その一つがダーマ神の元に転がり落ちた。古き友であったダーマ神は、友より託されたものとして神官達に末代まで守るよう言い伝えたと言う。
「ダーマ神殿の最も深き場所に封じられており、大魔王であれど封印を破り破壊は出来ないでしょう。封印を解き御神体に詣でることができるのは、大神官様と次期大神官候補として指名された者だけです」
 光の河が二つに分岐する境には、石碑が立っている。セレドの民が毎日のように光の河に感謝と祈りを捧げるそこは、花々が咲いて整えられている。その前に辿り着くと、手を翳して魔法陣を起動させる呪文を唱える。大神官と次期大神官候補だけが用いることができる呪文は、光の河の力を取り込んでこの一帯を守護する力となって覆っていった。青空にうっすらと虹色の光が掛かるのを見ると、背後の入り口では侵入できぬことに不満そうな声をあげる魔物達の姿がある。
 これで、一安心。後は町に溢れた魔物を掃討すれば全てが終わると、私は息を吐いた。
「今、ダーマ神殿の守りはどうなっていますか?」
「セレドの防衛に大分割いてしまったので、手薄と言われればそうなります」
 そう言いながら、私はゆっくりとアンルシア様に振り返った。これが、神殿の主力をセレドの町に誘き出す陽動であるとしたら? 多くの民を優先と非難させている今、一番安全と思われた場所に魔物が既に踏み込んでいるとしたら? 彼女の言葉は不安を煽り、嫌な予感が現実味を帯びて鎌首をもたげる。
「大神官様とジュアロが危険かもしれないと…?」

 神殿の入り口である大きな両開きの扉を開け放った時、そこには異様な光景が広がっていた。
 夜の空気に満たされた闇から、膝丈まで伸びた雑草が地面を覆い、柱のように太く大きな幹が連なっている。深く生い茂った葉の隙間から星々がチラチラと瞬き、前から吹き付ける風は磯の香りがした。左手に握っていた手が驚いたように強ばる。振り返れば幼さの残る少女が己の手を驚いたように見ている。
「うそ。私、小さくなっているの…?」
 ジャンナと出会った頃の、まだ戦いなど知らぬ姫君だった頃のアンルシア姫だ。私は彼女の前に恭しく膝をつく。ゾデラはそんなことを決してしないのに、なぜかシタルの時のように自然と膝を折ってしまう。危険だ。意識をしっかり保っているつもりだが、気を抜くと幻に呑まれてしまうだろう。
「大丈夫です、アンルシア姫。私が感じている貴女の手は、大人の女性のものです」
 急ぎましょう。そう、彼女の手を引いて小走りになる。しかし、幼い姫君の足取りは絡れ転びそうになってしまえば、背負うしかない。見た目通りの大きさなら腕に抱えてしまえるが、感じる重さは成人女性の体格と重さだ。バランスの問題で、決して女性の重さの話をしているわけではない。
 綿密に仕組まれた強力な幻影魔術。我々が神殿を離れている間に準備していたのだろう。姫が施してくれた勇者の盾による異常状態を防ぐ力が尽きると、急速にゾデラとしての己が頼りなく感じていく。迷いなく進む足取りは、どこを目指しているのかわかっていた。
 潮の匂いが強くなる。シタルは焦っていた。一刻も早く辿り着かねばと、息を荒げて崖にへばり付くように迷信を信じた人々が磨いた道を駆ける。波の音が迫る。星々が降り注ぐほどに開けた岬に辿り着いた。
 岬はうっすらと光っていた。月明かりにではない。そこに咲く『希望の花』と呼ばれた、夜の間発光する花が群生しているからだ。その光にうっすらと照らし出されるのは、探し求めていた少女。ほっそりとしたしなやかな四肢。希望と情熱に燃える瞳は大きく、真一文字に引き結んだ真剣な唇は頬のようにぽってりと愛らしい。ジャンナは熱心に形の良い蕾を選んでいるようだった。
 生きている。生きているジャンナがそこにいる。急がねば。早く。早く駆け寄るんだ。
 私が急き立てる。意思に応じて体は限界まで急いでくれた。
「もう座長ったらそんなに息を荒げて、どうしたんですか?」
 ジャンナが立ち止まった私を見上げて、微笑んだ。満月のように丸く淡い光を溢す蕾を持った花の根を掘り上げると、皮袋に丁寧に根と土を収める。私の背から降りたアンルシア姫に、ジャンナは嬉しそうに手に入れた希望の花の蕾を見せた。
「ほら、アンルシア様、見て! 貴女の為に選んだ『希望の花』よ! 綺麗でしょ!」
 間に合った。そんな満足感が全てを満たしていく。アンルシア姫も嬉しさのあまりに涙をこぼし、ジャンナに抱きついた。呂律の回らない声が嗚咽の合間から響き渡り、潮騒で満たされた秩序的な静寂を掻き回す。ジャンナも姫の首に腕を回して喜びを分かち合っている。
 何かが違う。こんなことは、あり得ないと否定する自分がいる。
 何があり得ないのだろう? 私は首を傾げる。
 だって、ジャンナが無事に花を見つけて、アンルシア姫に渡せて二人とも幸せそうじゃないか。このまま帰って一座の者達とアンルシア姫をグランゼドーラにお届けしたら、今までと変わらぬ興行の旅だ。たくさんの笑顔が待っていて、皆の芸が磨かれるのを楽しげに見て、新しい挑戦を応援して、誰かが見たことのない絶景を共に楽しむ。そんな未来が待ってるじゃないか。
「ダメだ」
 私はうわ言のように呟いた。
 ダメだ。私は幸せになるなど許されない。私は酷い。裏切り者だ。たった一人の少女を守れず、その少女の死に苛まれて共に旅をしてきた仲間を捨てた。死んだつもりで、生まれ変わったつもりで歩き出した人生なのに、私の帰りを待ってるだって? 私はもう、かつての私には戻れないんだ。笑い方を忘れてしまった。楽しみ方を忘れてしまった。忘れるべきなんだ。全てを捨てて不幸にした私には、笑うことも楽しむことも喜びも得る資格がない。
 手があまりにも滑らかにエンシェントククリを握った。それはあまりにも自然に、ジャンナの首を切り裂こうと振りかぶった。不思議と刃がジャンナの細い首に届かない。そこに届くずっと外側で何か分厚い、ひんやりと滑らかな爬虫類の鱗めいたものに当たる。邪魔だ。これを切り裂かねばジャンナに届かない。
『ナゼ…』
 ジャンナは素早い。早く切り込まねば。私は二刀流に構えた短剣でもって、私が出来うる限り最も早く切り込んだ。何もない空間に紫色の毒々しい嫌な匂いのする液体が弾け飛び、幼いアンルシア姫がずぶ濡れになる。何もない空間のはずが、液体に濡れて輪郭が現れてくる。大きな蜥蜴のような顔は驚きに見開かれ、だらりと舌が垂れ下がった口からはどぼどぼと血が溢れている。アンルシア姫の首にかけていた手が、だらりと石畳の上に落ちた。
『コノ ファズマ ノ ゲンエイ ハ…カン…ペキ ナ ハズダッタ ノ…ニ』
 巨大な魔物が倒れると、もうジャンナも希望の丘も満点の星空もなかった。
 あぁ。私は顔を両手で覆い、天を仰いだ。
「ゾデラさ…ん?」
 アンルシア姫。今すぐ、貴方の聖なる雷に撃ち抜かれて罰されたい。
 私は人殺しだ。何度生まれ変わろうとしたって、人殺しなんだ。