風の色

 最初は体を動かすのが好きなのかと思った。
 かけっこは誰よりも早かったし、木登りも誰よりも高い所に登れた。男の子よりも勇者ごっこが上手で、村の入り口に立っている元戦士のおじさんが稽古をつけてやろうかって笑ってた。そのうち酒場で酔いつぶれているお父さんを連れて帰るのに、調子っ外れな酔っ払い達の歌に合わせて踊るのがとってもウケた。あまりにも皆が楽しそうに喜んでくれて、それがボクの踊り子としてのスタートだった。
 随分と歳の行った旅人が酒場で食事をしていると、ボクの踊りを見てこう言った。
 シタル一座にはね、良い踊り子がいるんだ。なんて名前か忘れちまったけど、アンタを見てると思い出すね。
 半月に一回くらい街道を迷い込んでやってくる旅人は皆、ボクの踊りを褒めてくれた。才能があると褒めてくれる人がいた。こんなところで埋もれちゃうのは勿体無いと言ってくれる人がいた。将来は踊り子になるのかい? アラハギーロのベリーダンスの舞台はとても煌びやかなんだよと異国の話をしてくれる人がいた。
 そんな言葉をのらりくらりと聞き流しているボクは、誰が見ても本気で踊り子になろうなんて考えていない子供だった。親だって、兄弟だって、ボクが踊り子になるなんて思ってない。この小さい村で生きて、結婚して、子供ができて、年老いて死ぬって思ってる。ボクは神童って呼ばれるような呪文の才能も頭の良さもないし、王国の兵士になれるような武術の才能もない。ただ、踊りが好きな子供だった。
 この村から出ることですら、願ったって叶うような夢じゃない。
 子供だって夢を見るのを諦めてしまう村に、旅芸人の一座がやってきた。
 夢のような時間だった。ボク達が着るゴワゴワした色褪せた麻布の服じゃなくて、小川のせせらぎみたいにキラキラつるつるした布で、花みたいに鮮やかな色で、ボクは一日で今までの一生分の煌めきを見た気がした。村一番の力自慢よりも沢山の水が入った樽をたくさん重ねて持ってみせたり、今まで聞いたことのない美しい声を聞いたり、色鮮やかな沢山の酒瓶が割れることなく宙を舞うなんて想像したことすらなかった。全部本物だ。すごい。すごい。ボクは夢中でそれを見て、最前列に座って手が痛くなっても拍手し続けた。
『さぁさぁ、この村には踊りの上手な子供がいるってもっぱらの評判だ。是非、俺達の手伝いをしてもらおうか!』
 リィディのことだよ。さぁ、行っておいで! 周囲がボクを押し出した。
 あまりにも緊張して胸がドキドキして苦しい。大きな手が背中を軽く叩いて『なぁに、緊張するなって』って、舞台の中央に連れて行く。楽器がレンダーシアで良く奏でられる踊りの音楽を歌い出す。ボクが踊って村人も旅芸人の一座の人も手拍子してくれる。旅芸人の人達の何人かが踊り出し、いつの間にか村人も立ち上がって輪になって踊り出したんだ。
 大好きな家族が、近所の人達が、楽しげに踊って笑っている。
 眩しくて、暖かくて、誇らしかった。
 ボクは今までこの村に生きていて、皆にこんな喜んでもらったことがあっただろうか? このままこの村に暮らしていて、こんなに喜んでもらうことが出来るのだろうか? ボクは思う。もっともっと、皆に笑って欲しい。この一瞬が日々を更に幸せにしてくれるって確信する。
 この魔法のような時間を、届けられる人になりたい…!
 ボクは旅芸人になりたいって両親に言った。
 それは小さい村に、瞬く間に知れ渡ったんだ。お父さんには大声で怒鳴られて反対されたし、お母さんには『危ないからやめて』と泣いて縋られた。村長は『大人になるまで待ちなさい』と諭してきたし、近所のおじさんおばさんも『おやめなさい』と目で言っていた。
 そんな皆の前に立って深々と頭を下げたキザント座長の背中を今でも思い出す。
 踊りの練習をいっぱいして、今回の興行が初めての自分が主役の演目だ。誰かの添え物じゃない、前座じゃない、自分がメインの舞台。中庭に作られた舞台は普段よりも大掛かりだ。吹き抜けで暗くて見えないけど、壁や柱を利用してカーテンを吊るし旗を行き渡らせて華やかだ。ここ数年の中でのシタル一座の興行としては、一番気合が入ってる。座長も絶対成功させるぞって、やる気満々だ。
 ボクは舞台の上に立って、柔らかい芝生に覆われた中庭にいっぱいのお客さんを思う。大神官様にアンルシア様が喜んでくれそうな顔を思い浮かべると、にへらって顔が笑っちゃう。今回の主役の大神官候補、特にゾデラって人はむすっとしているのがなぁ。絶対に感動させてやるんだって、ぐっと両手を握りしめて気合いを入れた。
 絶対に成功させるんだ!
 中庭を囲む壁に切り取られた星を見上げていたボクの耳に、ボソボソと声が聞こえる。なんだろう! オバケかなっ! きょろきょろ首を巡らすと2階の窓辺に人影が見える。2人共色の暗い服を着ていたから分かりにくかったけど、こっちを向いている人が色白くて白髪だから光っているようだ。深夜の神殿は静まりかえっていて、2人の声は耳をすませばはっきりと聞き取ることができた。
「ゾデラ…お、お前が…い、いけないんだからな」
 ゾデラって大神官候補の一人で、キザント座長が話してた人だよね。じゃあ、オバケじゃないか。
 色の白い人は向かい合って話す黒髪の男の人の腕を掴んだ。喘ぐように苦しげで、助けを求めるように縋り付いているようだ。ゾデラと呼ばれた掴まれた方の背中は石像のように全く動かない。なんだよ、支えてあげったって良いんじゃない?
「お前が名前をい、偽って、自分にも他人にも厳しすぎて、な、馴れ合うことすらしない。そんなんで、だ、大神官になって、皆の支持をえ、得られるとでも思っているのか…!」
 腕を握る手を強めたのか、掴まれた服の袖が不自然に吊り上がった。
「し、調べさせたら、ひ、人殺しだって…? 大神官様が人殺しなんて罪を犯した者を、次期大神官に指名など、す、するものか!」
 調べさせたら。その言葉に、先日セレドの町でアンルシア様と見たおじさんを思い出す。あの人、この色白い人に雇われたのかな。雇った割に知った事実は嬉しくなかったんだろう。声はだんだんと悲痛になって、大きくなって叫びに近くなっていく。
「わ、私は少しだけお前が疚しいと思っている事を、知ることが出来れば良かったんだ! そうすれば、わ、私は次期大神官になるのに有利になると思ったんだ…!」
 うわ。ボクは思わず口から声が出ちゃった。他人を蹴り落とすなんて、大衆演劇の演出だけの世界かと思ってた。だって、シタル一座はみーんな良い人なんだもん。本当にそんなことをする人がいるんだ。ボクはまじまじと色白い人を見た。
 あまりにも苦しそうな顔が、ついに下を向いてゾデラさんの影に隠れた。震える白髪がちらちらと月明かりを反射して光る。
「ゾデラ…行くな。こんな矮小で実力のない私が大神官に、な、なってはいけないんだ」
 動かなかった黒髪の人がついに動いた。肘から下がゆっくりと動いて、震える肩をそっと抱くように触れた。頭をできるだけ白髪の人に寄せようと、背中を丸める。一瞬、ゾデラって人の顔が見えた。その人も苦しげで痛みを堪えるようだった。
「ジュアロ。己の罪と向き合うことができ、己の心を認められる。お前は私以上に大神官に相応しい」
 へんなの。ボクなんか自分の演目持てるだけで嬉しいのに、大神官候補になる事ってすごく嬉しいことなんでしょう? 次期大神官に指名されたら、とっても嬉しいんじゃないの? それなのに、どうして二人とも辛そうで苦しそうなのさ。
 ついに泣いている声が聞こえ出して、ボクはその場から逃げ出した。こんな気分じゃ、明日の踊りが上手くいかなくなるような気がしたんだ。

 □ ■ □ ■

 本番まであと少し。いつもは皆気合が入って気持ちが昂ってるのに、どんよりと暗い。
 キザント座長とララバブさんとヴィナさんが、顔を突き合わせて不安そうに話し込んでいるからだ。3人ともシタル一座の古株達で、ボク達を率いてくれるベテラン芸人なんだ。ボクらの不安を嗅ぎ取ったのか、ヴィナさんが鬼の形相で座長の大きな背に手を振り下ろした。鞭で叩いたような良い音が響いて、座長は『いってぇ!』と悲鳴をあげる。
「人殺しの噂がなんだい! 説得なんか無意味だってあれほど言ったじゃないか! シタル座長に戻ってきて欲しかったら、あたし達が最高の芸を見せつけるしかないんだよ! そんなことも、わかんないのかいっ!」
 ララバブさんが座長の脛を、ジャグリングで使うピンで叩く。魔物や盗賊と出くわしたら、長い棒にくっつけて棍として殴りつけるんだから硬いの痛いのなんの。キザント座長は叩かれた脛を抱えてのたうち回る。鼓膜を破る音量のヴィナさんとは打って変わって、ララバブさんは淡々と囁くように訴える。
「シタル座長が生きてると分かった瞬間に、俺なんかが座長やってちゃいけないだなんて、どのピンクの袋が言ってるんですか? あのシタル座長の名前を背負ってるんですから、負けないくらい胸張って、堂々と、私達を導くんですよ。ほら! ほら!」
 ビシバシと叩かれて直立させられるキザント座長の姿は、なんだか笑っちゃう。ボクらは大笑いして不安なんか吹っ飛んじゃった。
 そんなボクらの顔を見て、キザントさんはピンクの覆面の上から頭を掻く。はぁーっと大きく息を吐くと、しゃんっと背筋を伸ばした。
「よぉし! お前ら! 今日はシタル一座の歴史でも、特に大事な興行だ! 最高の演技をお客に見せつけるぞ!」
 ぐおっと太い腕が青空に突き上げられると、ボクらも一緒に拳を築き上げる。おーって弾ける元気な気合。シタル一座はこうでなくっちゃ!

 ダーマ神殿の中庭は立見のお客さんで大賑わいだ。2階のテラスや窓も開け放たれ、お客さんが零れ落ちてきそう!
 出店も出ていてダーマ神殿へ続く参道はお祭り騒ぎだ。次期大神官の誕生を見届けようと集まった巡礼者達や、故郷の大陸から戻ってきた神官達、賑わいに誘われた冒険者や、偶然居合わせた旅行者、セレドの町の人々が明るい笑顔を浮かべながら楽しんでいる。あちこちで音楽が奏でられれば調子っ外れな合唱が加わり、踊りの輪を手拍子が囃し立てる。祭りの賑わいはお天道様がてっぺんに至る頃には最高になって、ボクらの舞台が始まるんだ!
 シタル一座の飾り立てた馬車が、セレドの入り口から練り歩く。昨日洗ってブラッシングされたボクらの馬が、大きな羽で飾り立てられ綺麗な布を掛けられて馬車と興奮を引き連れて行く。少し先を歩くのはボクを含めた一座の芸人。高らかに音楽を響かせて人々に面白いことがあることを知らせ、窓から顔を覗かせた人々にボクらのダンスでこれからの楽しみを確信させる。
 ボクらの行進は熱狂と共にダーマ神殿の舞台に到着だ! ボクらを迎える歓声の熱に、もう感動しちゃいそう。だめだめ。まだ、これからなんだから!
 筋肉を盛り上がらせたキザント座長の上に、微妙なバランスで次々と乗る芸人達。崩れ落ちそうってハラハラさせるのだって演出の一つだけど、意地悪なピエロ役の団員が座長の脇をくすぐりに行ったらマジギレされちゃってんの! その様子にお客さんは大爆笑。てっぺんに登った一番身軽な芸人が、ぴしっと決めポーズすれば拍手喝采だ。
 ヴィナさんのレンダーシアの童謡を皆で合唱しだしたら、徐々に歌詞が替え歌に変わってコミックソングになっちゃうんだ。コミックソングに合わせた寸劇もとってもコミカル。あまりにも面白くって、最後は誰も歌っていられなかった。
 ララバブさんの軽業は、一流の戦士でさえ目を見張る。観客にボールを持たせて『さぁ、投げてください!』と言われて、四方八方から雨霰とふるジャグリングボールの雨を、一つも落とさず拾い上げてジャグリングして見せる。ピエロ役の頭に乗せた林檎をナイフで射抜く芸なんか、林檎に当たるまでの間に何本ナイフがかすったことやら。そのピエロとララバブさんのやり取りを、観客皆で囃し立てる。
 笑い。喜び。楽しさ。人々の顔にはそれしかない。
 本当はあの次期大神官候補達の顔が見たかったけど、笑ってなかったらどうしようって怖くって貴賓席が見えない。あぁ、アンルシア姫様が別の席に座っていてくれれば良かったのに。あの方はすごく喜んでくれるに違いない。その笑顔はボクが見たくて仕方がない、楽しくて輝いてるような顔だろうに。
「リィディ」
 大きな手がボクの肩に触れる。今日の為に新調した踊り子の服。ジャンナさんという踊り子さんが着ていた物と同じデザインの特注品だ。アラハギーロ産の最高級の絹は動くごとに虹みたいなとろみのある光を反射し、腰布は動けばふわりと空気を含んで漂い、きらきらとしたビーズやガラスの飾りが鈴みたいな心地よい音を響かせる。ヴィナさんが施してくれたお化粧はボクじゃないくらい美人にしてくれたし、ララバブさんが結って飾ってくれた髪はお姫様みたいだ。その顔を見下ろしてキザント座長が頷いた。
「あの人に、お前の踊りを見せつけてこい」
 あの人。きっとゾデラと名乗っている、しかめっ面の次期大神官候補。
 分かってる。皆があの人に見せたがってるんだ。ボク達はこんなにも素晴らしい芸ができるんだって。その結果がどうあって欲しいかは、ボクにはわからない。戻ってきて一緒に芸を楽しんで欲しいのかもしれないし、ボクらの成長を見て安心してもらいたいのかもしれない。でも、まずは見てもらわなきゃいけないんだ。ボクらの、最高の、芸を。
 ボクは舞台の上にゆっくりと進む。もう日は暮れて暗くなりはじめ、先端に火を灯した棒を使った演舞で次々と篝火が照らされている。そして太鼓のリズムが静かに終わっていき、演舞の役者が下がって行くと人々の視線はボクに注がれる。
 銅鑼が鳴り響く。ボクの舞台が始まる。
 ボクは自分で思ってた以上に、踊りってが大好きだった。練習は全然苦にならなかったし、上手になるならないよりも皆が楽しんでくれるかどうかの方が大事だった。それが、良かったって思ってる。
 暖かく熱した空気の中で、ボクは自分の体を隅々まで理解していた。指先から足の運び、ジャンプする力加減。ボクの思い通りに体が動くのを、ボクは空の上から見下ろしている。そう、そこはもう少し高く飛ぶんだ。その溜めはちょっと長めに。指先を滑らかに動かして、視線を遠くへ。少し上から覗いているボクが、踊るボクに指示をする。最高の踊りだって、ボクは自分の初舞台の出来に満足していた。
 もう少しで踊りきる。音楽は終盤で一番難しいステップを難なくこなして、荒い息と観客の歓声の中で達成感に満たされていた。もう終わってしまう名残惜しさと、踊りきるって達成感で心が揺れ動く贅沢。
 その感覚に酔って、ボクは見落としていた。
 ボク自身が落とした一滴の汗。
 そこに掛かった全体重で、床とサンダルの底の間にあった汗が滑った。
 まるで氷水に頭を突っ込まれたかのようだった。崩れた姿勢に受け身を取る余裕はない。平衡感覚を失って横に傾いた世界の中で、ボクはこれから床に体を打ちつけて痛い目に遭っちゃうんだろうなって冷静に考えていた。驚く観客の顔がいっぱい見える。どうしよう。結構シリアスな演目だから、笑ってやり直しなんて空気にはならないよなぁ。滑って捻ったのか足も痛くって、なんでもない風に踊りを続けられるのかすらわからない。
 あぁ、最後が肝心なのに、ボクのせいで皆が作った最高の空気が台無しだ。冷静なぶん、悲しみが押し寄せてくる。
 篝火が一瞬陰った。影は滑空する大鴉のように、ボクの傍に素早く舞い込んで受け止めた。
「ララバブ!」
 あいさ! ララバブさんの声が響いて、星々がちらつき出した夜に水がぶち撒けられる。空に向かって伸びた手が、ぱちんと指を鳴らすと水は瞬く間に凍りつき細かく砕けた。篝火の赤を吸い込んで、観客に赤いルビーになって舞い落ちてくる。すごく綺麗だ。お客さんの顔がその美しさを驚いて見上げている。
 ボクから視線が外れる。
 その間に影がボクの体を支えて立たそうとしてくれたけど、右足から激痛が駆け上がってくる。びくりと体を強張らすと、影がボクの右に寄り添って腰を支えてくれる。右足が着かなくなって痛みを感じないけど、まるで自分の足で立っているような安定感がある。
「今から私がお前の右足になる」
 顔をあげて影を正面に見る。
 ゾデラって人。でも、しかめっ面じゃない。真面目な顔で、不安そうなボクの顔が瞳に映っている。そんなボクに唇の端が持ち上がるだけで、すごく頼もしく感じる。腰を低く落とされると、まるで受け止めた姿勢が一つのポーズみたいに決まった。
「最後まで、踊るんだ」
 人々の視線が戻ってくる。ヴィナさんのしっとりとした歌声が、情熱的な演出と踊りを強請っている。
 不敵な笑みを浮かべるゾデラさんに導かれるように、ゆっくりとボクは動き出す。最初は種火のような小さな揺めき、それが次第に大きくなって行くようにゆっくりと身振りを大きくして行く。ゾデラさんの黒く染め抜かれた大神官候補の服は、まるでボクの相方を勤める為に誂えたように煌びやかな衣装の対比となって並んでいる。
 黒が光を遮るたびに、光は大きく、激しく、高くなる。ボクを抱き上げ高く、ボクを支えて大きく、ボクらは二人で一人の踊り手のようだった。ボクはこの人を知っているような、この人はボクを知っているような不思議な連帯感。ボクらは踊り方を熟知した長年のパートナーのように、流れるように最高の魅力を選び抜いた。
 楽しい。そう感じたボクは、その感情を隠さなかった。
 この舞台で最高に楽しいのはボクだ。この人よりも、観客の誰よりも、ボクはボク達の踊りが楽しい。喜びを振り撒き、楽しさを隠さず、ボクはこの人を振り回すように踊り出す。それなのに、その人は影のようにボクの無茶振りに全てついてくる。いや、指先に伝わる力加減一つで、ボクが導かれていくんだ。
 上手。いや、違う。踊りの神様がこうしろって言うような、神託のような正しさ。
 ボクはもう舞台の上に止まっていない気がした。生まれ育った村の酒場の軋む板の上の拙いステップ、広大な草原がボクを受け止める柔らかさ、水を跳ね散らかして煌めく輝きの中でがむしゃらに腕を動かした昼、転んで足を痛めて踊れないと泣きながら焚き火の前で膝を抱いていた夜、朝日の中で一番最初の踊りをする始まりの毎日。共に歩いた一座での全て。今までのボクがこの人になって、全てを集約した踊りに導いてくれる。
 いいぞ。見つめた唇が動く。さぁ、えんりょするな。そう、力強くボクの手を引いた。
 音楽が加わる。勇壮でテンポの速い、高みと期待感を煽るリズム。男の芸人達が雄々しい雄叫びをあげるのを背に、芸人達が大きな旗を振って演出する間を、勇ましくボクらは舞いながら進んでいく。荒々しい足踏みから、大きく跳ねて空中一回転をする。まるで戦いを連想させるような激しい踊り。ボクはこの人の世界に観客と共に誘われる。戦いの空気が、張り詰めた緊張が、手に汗を握らせて息を呑む。興奮が最高に達した時、観客の全てが戦いの英雄になった気持ちになった。
 人々の期待に胸が弾けてしまいそうな顔が、苦しく歪んでしまう一歩手前の絶妙さ。
 銅鑼が鳴り響く。魔法が解かれた人々がはっと我に還った瞬間、目に飛び込んだのは舞台の上に並んで頭を下げたボク達の姿。観客が喉も裂けよと大声を上げた。拍手ももどかしく地鳴りのような足踏みが神殿を揺らす。その光景を、ボクは呆然と見ていた。
 くしゃりとボクの頭に手が乗った。右を見上げると、ローブの少し乱れたゾデラさんが私の頭に手を置いていた。少し照れ臭そうな笑みを浮かべた顔の向こうに、ぬっと大きなピンクの手袋が生えた。
「シタルざぁあああちょううぅぅうう!」
 後ろからゾデラさん諸共、キザント座長に抱きしめられる。むぎゅう! く、苦しい!
「うぁあああ! っさいっこうの舞台でしたぁあああ! あぁ、やっぱ座長の演出、マジで最高です! ありがとうございましたぁああ!」
「キザント! 加減! ほ、骨が折れ…折れる!」
 涙が雨みたいに降り注いで、ゾデラさんと一緒にずぶ濡れだ。
 終わらない賞賛の嵐の中を、ゆっくりと大神官様がジュアロさんを率いて歩いてくる。手を叩いて嬉しそうに舞台の上に上がると、神様ってこういう雰囲気なのかなって不思議な空気に観客達の気持ちも落ち着いてくる。
 ゾデラさんが頭を下げると、大神官様はすっと手を上げた。
「二人とも天が与えたもう進むべき道が見えていますね。その道をどう歩むかも、互いに示しあったはず。切磋琢磨しあえる存在があるということは、ダーマ神が与えた尊き恩寵です」
 にこりと、大神官様は二人の大神官候補を見た。
「ジュアロに足りていないものを、ゾデラは持っている。ゾデラに足らぬものもまた、ジュアロが持っている。それを互いによく理解しているからこそ、互いに遠き場にあったとしても意識しあい高めあい、天職の道に至れることを私は確信しています」
 大神官様はすうっと息を吸い込み、厳かで響く声で宣言した。
「ジュアロよ。其方を次期ダーマ大神官に正式に任命する!」
 轟いた言葉に、人々は歓声をあげる。これからのダーマに栄光あれと、未来を願う気持ちと期待が声となって空に解き放たれる。
 すっと頭を深々と下げたゾデラさんに、大神官様は柔らかく言う。
「ゾデラよ。次期大神官候補として得た知識と経験は、死ぬまで責任を伴います。其方もまた天職に至る道を歩む道中であっても、私とジュアロと多くのダーマ神官を支えてくれますね?」
「私の天職へ導いてくださった全ての恩に、一生を掛けて報いるつもりです」
 そうきっぱりと言ったゾデラさんは、顔をあげてボク達を見た。
 その顔はびっくりするほど晴れやかな笑顔だった。