きみを守るための力が欲しい

 俺は途方に暮れていた。
 ダーマ神殿に来ればなんとかなると思ったが、全然ダメだ。何人かのダーマ神官に話を聞いてもらったが、回答は俺を納得させるような物じゃなかった。忙しそうな神官達を引き止めるのも気が引ける。
 俺は往来の激しい流れから外れた、小さい庭園を眺めていた。小さい花畑の中で両手を差し伸べるように広げたダーマ神だろう石像がある。セレドットの山の岩で作られた石像は、斑の入り混じる大理石。磨かれた艶やかな面は、流れる衣の彫刻を絹のように演出する。慈悲深さを形にしたらそうなるだろう形を追求した神の像は、見目麗しい女性で大きな翼を生やしていた。
 そこから激流のような流れを見渡すことができた。誰もいない静謐な神殿しか記憶になかったので、ダーマの神殿の賑わいは驚きを通り越して戸惑うほどだ。転職を司る神官の赤が至る所にあって、巡礼者や転職にやってきた旅人が入れ替わり立ち変わりすれ違う。誰もが己の目的を分かっているんだろう。皆、迷いのない足取りで先を急いでいる。
 だからこそ何をするまでもなく、立ち止まっている存在が浮き上がるほどに目立った。使い込まれて擦り切れた外套なのに、村人が普段使いするような布の服。腰に固定しているのは二振りの隼の剣。怠そうな活気のない顔で、煙管を片手に煙を燻らせている。この場に用があるような人には見えないが、用があるからここにいるんだろう。
 じっと見つめていたからだろう、赤い髪がふと持ち上がりこちらを向いた。驚いたことにその男は左右の瞳が違う。片方が赤で、片方が碧。色が移ろい変わるものの、同じ色に揃うことはない。
 男は俺の傍に歩み寄ってくると、煙管の煙を深々と吸い込んで吐き出してから言った。
「お前、勇者にくっ付いてたちび助と一緒の奴だろ。勇者も一緒なのか?」
 そう訊いてきたガラガラした声に、俺は首を振った。
「アンとピペ グランゼドーラ いる」
 まぁ、そうだろうな。そう納得したように隣の壁にもたれると、男は喫煙を続けている。何処へ行く訳もなく弛緩した空気を醸しながら、香草の香りを漂わす煙を味わっている。
 『あの』そう声を掛けると、男は目だけ俺に向けた。
「強くなる どうすれば いい?」
 なんで訊いたんだろう。俺は疑問を抱く。真剣に耳を傾けてくれた神官達が怪訝な顔をして、そそくさと立ち去っていった問いだ。答えてくれそうな人の良さは、男にはなかった。
「どう、強くなりたいんだ?」
 ぽつりと男は言った。驚いて男を見ると、赤い瞳が俺の言葉を待っている。
「守りたい人 いる」
 勇者であるアン。これから芸術家として世界で活躍するだろうピペ。二人の傍に居るには今のままではいけないと、ソーラリア峡谷で思い知らされた。いや、勇者姫がダイム達を殺したあの時には、俺は己の弱さを痛感していた。ゼルドラドは礼儀作法や交渉術を学んだ後は、武術を学べと言っていた。彼は忙しい時期が過ぎ去れば俺を鍛えると言ってくれていたのだ。それに甘んじていた。
 ゼルドラドはアンと敵対している。アンもピペも危険に晒されると思えば、今すぐにでも強くならなくてはと思っていた。そんな都合のいい話は無いと分かっていたが、藁にもすがる思いでダーマにやってきたんだ。
 男は俺に向き直ると、上から下へゆっくりと眺めたようだった。
「お前、まだ職業には何も就いていないのか。力も体もすっかり出来上がっちゃあいるが、戦いは素人で経験は全くなしって所か。転職できてお前の望む結果が得られるかは、誰も答えられんかったろうな」
 俺は驚いた顔を隠せなかった。ここまで的確に答えをくれるとは思えなかったからだ。俺は堪らず男に畳みかけるように訊いた。
「どうすれば いい?」
 どうすれば…ねぇ。男は先程の姿勢に戻ると、煙管を咥えて深く煙を吸い込んだ。じっくりと味わっているのか吐き出すまでの間、考えるように虚空を見つめる。吐き出すと言葉を紡ぐために空気を吸い込んだ。
「手っ取り早いのは、経験不足を補うことだ。お前の吸収力次第だが、場数の量と質で一端にはなれるんじゃないか? とはいえ、場数と質が難題だ。師事する相手は転職した職業次第で探すのは多少簡単にできるが、お前の望んだものを与えてくれるとは限らん」
「転職。何 したらいいか 分からない」
 そうだなぁ。男は金属の小箱に炭を落とすと、新しい煙草を煙管に詰めた。火が少し残っていたのか煙がゆっくりと立ち上っていく。喫煙する以外の動作をしなかった男は、徐に口を開いた。
「パラディンがいい」
 パラディン? 俺が首をかしげる先で、男は自分の導いた答えに満足したように頷く。
「お前は素早い動きが苦手そうだし、攻撃を当てるにも素人には難しい。だが、体格の良さと力がありそうだ。敵の攻撃を盾で防いで生まれた隙を突く、究極の後出しジャンケンで敵を討つ」
 ガートランドのパラディンは有名だ。師事する相手も恵まれるだろう。そう言って締め括る。
 俺は目の前の男の存在が神様に見えた。誰も答えを教えてくれず、手がかりもない暗闇の中をパッと照らすような言葉。男の言葉を聞けば、その戦い方しかないと思えてくる。俺は堪らず男の手を取って、頭を下げた。
「ありがとう!」
 男は唇の端を持ち上げただけで、視線を外してしまった。
 そこで、ふと疑問が首を擡げる。この男は、どうしてダーマにいるのだろう? 転職が必要とはとても思えないし、誰か待っているにしては探している振りもない。煙草が吸いたい場所として選ぶにも、ここである必要なんかないだろうと思うのだ。
 すると、気配が沸いた。複数の人影がこちらに向かって歩いてくる。
「お待たせしました!」
 明るい元気な声を響かせたのは人間の男性だ。日に透かせば金色にすら見えるオレンジの髪は清潔感あふれる感じに揃えられており、くりっとした瞳は屈託ない。にこにこと喜びを振りまく姿は、尻尾が生えていたら千切れそうなくらいに振られているだろう。ダーマ神官とは違う格調高さを滲ませる服にロングコートを合わせた服装で、追随する者達も染め抜いた色は違う程度で統一されているようだ。
 背後から数人の男が歩いてくるが、青年とその後ろに立つ男性の影に隠れてしまう。男性はとにかく背が高い。俺も背が高い方だが、少し視線が上向くほどだ。青年や相談に乗ってくれた男くらいの一般的な長身では、完全に顎が上がってしまうだろう。黒い角縁の眼鏡をかけ、穏やかに目を細め、見守るような笑みを浮かべている。背中に回した手が組まれて胸を張る姿勢が、なんとなく彼が指導者なのだろうと思う貫禄があった。
 青年は俺を見て、くりっと首を傾げた。
「あれ? ケネスさんのお連れ様ですか? 貴方もスキルの見直しをされますか?」
「スキル?」
 この男はケネスという名前なのか。見れば『今のお前には必要ない』と、煙管を振った。
「熟練になると強力な技とか使えるようになるんだが、俺はそれの習得をサボっててな。今回、ちょっと強い奴を圧倒出来なくて面倒だったから、見直して鍛え直しに来たんだ。その手続きしてくれるのが、目の前にいるタッツィなんだ」
 そうなんだ。ケネスは質問には律儀に返してくれる。良い人だな。
「連れ 違う。転職の 相談 乗ってくれた」
 俺の言葉にタッツィと呼ばれた青年の後ろから、眼鏡の男が顔を覗かせた。
「良い道を示していただいたのだと、晴々とした貴方の顔を見るだけで理解できます。ケネスはダーマの悟りを開いていますし、天職へ導くための指摘も適切です。本人のやる気さえあれば大神官だって担えるのですが…残念です」
 大変残念そうに被り降った眼鏡の男を半眼になって見つめていたケネスは、うっすらと開いた口から煙が零れている。気を取り直して口を閉じると、青年に向き直った。
「タッツィ、仕事してくれ」
 はい! 元気な声を響かせて、ケネスにさっと駆け寄る。なにやら難しい説明を受けると、ケネスは満足そうに頷いた。タッツィと呼ばれた青年に並んだ眼鏡の男は、優雅と思えるほどゆっくりとした動きでケネスに手を翳す。柔らかい光が赤い髪に触れると、火を含むように輝いた。
 儀式のようなやりとりを終えると、ケネスは喫煙しようと煙管を持ち上げる。その何気ない仕草の合間に、ケネスから力が爆ぜた。驚いている間に弾かれた煙管が大理石の床に硬い音を響かせて落ちる。
 呆気にとられるケネスの視線の先で、眼鏡の男がゆっくりと煙管を拾い上げた。壊れてはいないようですね。そう煙管の状態を確かめた眼鏡の男は、ふっと笑みを深めた。
「ケネス。今回希望されたスキル構築は、貴方の力量を最大限に引き出すものにしました。しかし、人の身で扱うには少々強すぎる設定になってしまったので、貴方であっても力が馴染むまでは修行が必要になるでしょう。その相手を弟子達にさせようと思っています」
 ケネスが目を見開いて固まること、深呼吸一回分。次の瞬間、掴みかかりそうな剣幕で眼鏡の男に詰め寄った。
「き、聞いてねぇぞ! 第一、スキルマスター名乗ってる存在が、力の調整出来ないなんてあり得ねぇだろ! 修行が必要な程盛るだなんて、何考えてんだ!」
 いってぇ! 興奮した分、強い力が爆ぜたようでケネスが悶絶する。
 タッツィが労るようにケネスの傍に寄り添った。心底申し訳なさそうに眉根を下げ、心の籠った謝罪を向ける。緑の衣の裾から覗いた白い手袋から施されたのは、かなり高位の回復呪文だ。そんな重傷でもないのに掛けられたら体力を消耗してしまうだろうに。
「僕達もケネスさんのような熟練を相手取れる機会はそうないので、この機会を生かしなさいとマスターから言い渡されておりまして…」
「計画的犯行かよ!」
 ケネスは内から爆ぜる力に屈したように、その場に座り込んでしまった。その様子を満足げに見下ろしていたスキルマスターという男性は、俺に向き直る。やはり普通の人間とは違う。思わず背筋を伸ばした俺に、スキルマスターは我が子を慈しむような笑みを浮かべた。
「転職する職業は決まりましたか?」
「パラディン なりたい」
 正直、パラディンだけじゃなくて、ありとあらゆる職業そのものが良く分からない。俺がケネスの提案にこれしかない!と傾倒していて、何も考えずに決めているのだと、眼鏡の奥の瞳は見抜いているようだった。なんだか申し訳なくなった俺に、諭すように語りかけてくる。
「貴方は丁寧に想う考えをお持ちですね。そう、それぞれの職業にはその職業に意味を齎した先人達の積み重ねがあって、今の形になっています。しかし、心配する必要はありません。ケネスは貴方が誰かを守るために強さを欲しているという願いを汲んで、パラディンへの道を提言したのです。己が身を犠牲にしても誰かの盾となる。パラディンの理念です」
 スキルマスターが俺に手を翳すと、温かい光が体を包み込んだ。
「ラチック。貴方が選んだ道にダーマの祝福を」
 温もりはゆっくりと消えていったが、俺は少し前の俺のままだ。それでも、得たものに満足していた。強くなって二人を守れるという可能性が、俺の胸を熱くさせる。ケネスの言う通り師事する相手を見つけなければいけなかったが、先程の真っ暗闇の中を歩かされるよりも確かな道があることを感じていた。
 礼を言って下げた頭に、スキルマスターが言った。
「もし良かったら、貴方もご一緒しませんか?」
 顔を上げると、相変わらず慈悲深い整った顔がそこにある。俺はようやく、それが仮面のように張り付いているような気がした。声が少し意地の悪そうな響きを帯びていたからだ。
「貴方は質の良い経験を提供してくれる存在を、必要としているのでしょう? ケネスなら貴方が望む結果を与えてくれるでしょう。心配は無用。貴方が思っている以上に、面倒見の良い男です」
「何処から聞いてたんだよ…」
 ケネスが射殺さん眼差しでスキルマスターを見上げている。
「『強くなるにはどうしたら良い?』。最初から、ですかね」
 スキルマスターは口元に手をやり、肩を震わせ笑いを噛み殺した。楽しそうな瞳を眼鏡のレンズの奥に隠し、溢れる力が爆ぜる度に呻くケネスを見下ろしている。互いに絡み合った視線だったが、先に外れたのはケネスの方だった。
「ケネス。導く者の責任、きっちり果たしてはいかがですか?」
 深々と溜息を吐くと、赤と碧の瞳が俺を見た。日に焼けて、剣を握るゆえに歪になった手が俺に向けられる。
「名前は?」
「ラチック」
 手を取ると、静電気のように力が俺を貫いて爆ぜる。すごく痛い。それでも、俺は手を引っ込めなかった。ケネスの手を強く握り引き上げる。へらりと気怠げに笑うと、ゆっくりと歩き出した。
「じゃあ、ラチック。俺がお前をうっかり殺しちまわないように、まず、装備を買いに行こう」
 うっかり、殺されてしまうのか?
 俺はケネスに師事することを、ちょっと後悔した。