勝利の女神は手を鳴らし - 後編 -

 グレンの駅舎は人々でごった返していた。冒険者の拠点になる事が多いグレンは他の大陸とは違って、オーガ以外の種族もたくさんいた。過去のレイダメテスを落とした直後みたいな賑わいが続いているみたいで、僕は懐かしくて嬉しくなる。
 500年前のここで、エルジュと僕は別れた。
『500年後にルアムは冥王と戦うのか…』
 本当は嫌だった。あんなに強く恐ろしい冥王に立ち向かって、生き残れるとは思えなかった。兄さんを巻き込まない為に、僕は自分の魂を差し出す事だって考えていた。そんな考えを見抜くようにエルジュは言った。
『ルアム。僕も命を賭けて死ねば全て清算出来ると思ってた。父さんの無念も僕が死ねば仕方がないと許してくれるかもしれない、僕が死んでしまえば目の前の問題なんて見なくてすむ。なんて楽なんだろう。早くそうなってしまえば良いのに。ここだけの話だけどルアムと会う前はそう思っていたんだ』
 エルジュはまだ幼さから丸い頬を、恥ずかし気に染めた。
『でも、皆が助けてくれた』
 ほんの少しの間に、エルジュは変わった。オーグリードの北部を歩き回るような旅に、先ず衣類がぼろぼろになった。埃ひとつない貴族の着るような上等な服は、叩けば砂塵がざらざらと落ち焦げ臭さが漂う程に煤けていた。金糸のような髪もぼさぼさ、つるんとした肌も引き締まって黄金色だ。表情はもう大人みたいだった。
 彼の変化は彼の努力のお陰だ。嫌だと投げ出し逃げる事だって出来たのに、しなかったからだ。誰もが、きっとそう思うだろう。
『エルジュが頑張ったからだよ』
 金の尻尾が左右に揺れた。そして真っ直ぐ空色の瞳を僕に向けた。
『ルアム。僕は500年後の君の助けになる為に、出来る限りの事をする。子孫に君の事を伝えて行こう。破邪舟の術を磨く事も怠らないし、僕が生きている限り更に高める研究もしていく。だらか、行き詰まった時に思い出して欲しい』
 驚く僕にエルジュは手を差し出した。
『君に助けられ、今、ここにいる僕の事を』
 それはきっと、僕は無力ではないと思い出して欲しいって事でもあるんだろう。
 でも僕だって一人でエルジュを助けて来たんじゃない。一緒に旅をしてくれた仲間、四大術師であるヤクルさんやフォステイルさんやガミルゴさん、レイダメテスに一緒に乗り込んだ勇敢な戦士達。誰一人欠けても、僕等がここに立つ事は出来なかった。僕も助けられたんだ。皆に。だから僕を助けてくれる人も必ずいると、エルジュは暗に言っているんだと思った。
 差し出されたエルジュの手を握った。柔らかかった手は、冒険者の手になっていた。
 僕も助けられて、今、ここにいる。
 皆も誰かに助けられて、今、ここにいるんだ。
 思い出から醒めるように、ざわめきが戻って来る。箱船を待つ仲間達の中に、放浪の賢者ホーロー様が加わった所だった。グレン名物『げんこつ飴』の詰め合わせを大事そうに抱えている。輝くような笑顔を浮かべて、一人一人の顔を覗き込んでいる。
「何ともブレイブリーでリライブルな面子じゃろうなぁ!」
 上機嫌なホーロー様を見て誰かに似ていると思うんだけど、誰なんだろうなぁ。ホーロー様はぺこりと頭を下げた。駅舎の賑わいは彼の雰囲気に圧されて遠退き、彼の言葉が全員の耳にしっかりと届くのが分かった。
「本当に良くやってくれた。アストルティアの全ての民を代表して、礼を言わせておくれ」
 各々が照れくさそうに互いの顔を見合わせた。そんな僕等の反応にホーロー様が拗ねたように言った。
「其方らが少しでも乗る気でおったら、それぞれの大国が宴を開き、凱旋パレードを行い、名声を欲しいがままにくれるじゃろうに欲の無い奴等じゃなぁ」
 冗談に皆が笑う。この世界で冥王を倒したと言って、どれだけの者が感謝するじゃろうなぁとガノさんが笑う。料理作ってもらうより自分が作りたいくらいだよ、とイサークさんが手を振る。凱旋パレードなど柄ではないとルミラさんが呟けば、時間が勿体ないですものねとエンジュさんが同意した。兄さんはそういう名声より、芸人としての名声が欲しいとすっぱりと言い退けた。
 本当に、本当に僕の為だったんだ。兄さんの肩を叩いて、身体を借りる。
「あの、その…本当にありがとうございます」
 僕の感謝の言葉に、誰もが気にするなと笑うのだった。
 相棒相棒、バトンタッチ!タッチ!そう兄さんが急いて言って来るから、何だろうと退く。兄さんはそのままの勢いで、ホーロー様に話しかけた。
「なーなー、ホーローのじーちゃん」
「なんだね? プリティでチャーミーなプクリポのルアムよ」
 プクリポは女子だけでなく男子もあざといと思う。そのちっちゃい身体をくりんと傾け、ぱっちりな瞳を瞬き、スライムみたいな口元がとっても無防備だ。そして男で『可愛い』とか言われても、縫い包み扱いされても絶対に怒らない。兄さんはヘラリと笑ってみせた。
「レンダーシアには何時になったら行けるんだ? オイラ達はレンダーシアに行きたいんだ。相棒の故郷探したり、グランゼドーラの王立劇場に行きたいんだー」
 レンダーシアは5つの大陸に囲まれるように存在する大陸で、今は紫の雲に包まれて渡る事が出来ないそうだ。僕と兄さんがレンダーシアへ向かう定期便を運行している港町レンドアを訊ねた時も、レンダーシアに何時渡れるようになるかは分からないと言われた。
 賢者様なら何か知ってるかも。確かに、聞くなら今しかない。
 ホーロー様は背を丸めて、秘密を明かすように囁いた。オフレコじゃぞい。そう笑いながら、お茶目にウインクしてみせる。
「もう少ししたらレンダーシアに行けるようになる筈じゃ」
 がたがたっと皆が乗り出した。
「レンダーシア大陸を覆う、あの黒い雲をどうやって突破するのですの? ルーラストーンタクシー協会もお手上げと伺いましたわ」
「あの超大型旅客船、グランドタイタスだって引き返す程の荒れっぷりなんでしょ? ウェナの操船技術でも無理って専らの噂だよ」
『勇者の大国グランゼドーラが、解決したのかね? 原因は何だったんだい?』
「何か面白い技術で挑むのかの? 是非、一枚噛ませてもらいたいのぉ」
「何時です? 何時行けるようになるんですか?」
 皆にずいずい迫られて、ホーロー様もじりじりと下がる。しかし、ホーロー様の背はそびえ立つ高い壁にぶつかった。驚いて振り返り、更に驚いた事だろう。
 そこにいたのは、グレンの駅で箱船を待っていた冒険者達だった。駆け出しの皮の鎧の戦士から歴戦の強者だろうベテランまで、皆、同じように目を輝かせてホーロー様を見つめている。兄さんは宙を蹴るようにホーロー様の肩にしがみつくと、地下に作られたホールは宣言を隅々まで響かせた。
「おっしゃー! みんなー! レンダーシアに行こうぜー!」
 声に応えて駅舎が歓声に包まれた。
「ちょ! ちょっと待ってくれ! まだ、まだ無理じゃって!」
 ホーロー様の声なんて、誰も聞いちゃいないね。
 ルミラさんは胴上げされるホーロー様を写真に収め、エンジュさんとガノさんが偶然居合わせた技術者達と熱い論議を交わし、イサークさんが歌い出せば誰かがリュートをかき鳴らしてお祭り騒ぎだ。誰もが顔を輝かせ、危険と冒険に期待を寄せている。
「相棒!」
 兄さんが満面の笑みで僕をみる。
 冥王を倒すまでの道程は、エテーネ村で暮らしていた頃には想像もつかない程の大冒険だった。こんな冒険もう二度と出来ないって思うんだ。でも、兄さんの笑顔を見て手を繋いで歩いてると、素敵で凄い冒険が待ってる気がする。
「いこーぜ!」
 兄さんの差し出した手に、僕の手を重ねる。
『うん! 行こう!』
 エテーネ村に帰って、テンレス兄さんと再会しよう。
 僕の旅がようやく始まったんだ。

 To be continued Ver.2 眠れる勇者と導きの盟友