灼けつく光

 満天の星空へ向かって焚き火の煙が上っていく。岩場に囲まれた小さいオアシスの周りには、以前誰かが使っていた野宿の忘れ物が置かれている。ほとんどの物が朽ちているが、焚き火周りだけは使われている形跡があった。
 組まれた石の内側に木を組み、今晩の晩御飯になる乾燥野菜と干し肉を水を張った鍋に入れて寄せておく。道中確保したサボテンをカットしステーキにするのも忘れない。塩を振って水を少し抜いておくと、少し食べごたえが出るというのはケネスの知恵だ。
 同行者はあまり自分から料理をする人ではないので、俺が食事当番をするのだが毎回大変。そこで、質問すれば必ず答えてくれるケネスの癖を利用して、料理を手伝ってもらう。実際にそんなに料理を作るのは上手じゃないから、ケネスが色々教えてくれて凄く上達した。ミシュアも色々教えてはくれたけど、知ってるのは人の住む場所の台所があってこその料理。野宿の時の料理は別物だ。
 ケネスが煮えてきたスープを自分のお椀に少し取ると、味見をする。眇めた視線が宙を泳ぐと、「良いんじゃね?」と一つ頷く。俺も要領良くお椀にスープを盛り、切れ目を入れたパンにサボテンステーキを挟み込む。ちょっとしたワンプレートが出来上がると、俺はもう一人の同行者に声をかけた。
「マデサゴーラ ご飯 出来た」
「うむ。ご苦労」
 そう言って分厚い本から顔を上げたのは、俺達がこれから倒すべき大魔王マデサゴーラだ。黄金の鎧はこの砂漠の世界の砂塵で曇ってはいるが、瞳がピペのようにキラキラと輝いている。6本の腕が手際良く道具を片付けていくと、当然そうに焚き火の前に用意された食事に手をつけた。
 俺達はそれぞれ食事を口にして、他愛のない話をする。食事が終わった頃に俺がお茶を入れる頃には、ケネスは食後の一服とばかりに喫煙を始め、マデサゴーラは本にスケッチを描き込む。焚き火の熱に煙が巻き上がるのを見送って、ケネスはマデサゴーラを半眼になって睨みつけた。
「本当にオリハルゴンで最後なんだな? これが終わったら、帰れるんだな?」
「逐一煩いぞ、ケネス。余は嘘は言わぬ」
 奈落の門へ向かっていたはずなのに、いつの間にか俺とケネスはマデサゴーラの前で倒れていて、引きずられるように旅が始まった。無数の鍵から星の数ほどの世界に繋がる、魔物達の世界だ。
 マデサゴーラが創世の力で生み出しただろう世界から、解放される方法はたった一つ。マデサゴーラが執筆しているモンスター図鑑を完成させて満足させることだ。
 見せてもらうと素晴らしい出来で、生き生きとしたモンスターのスケッチに、生態の考察や生息地域、剥ぎ取ることのできる素材なんかも書き込まれている。見たことがある魔物から、見たこともない魔物までいっぱい! ピペが見たら喜ぶが、資料としても欲しがる人がいるだろう魅力的な図鑑だ。
 スライムから始まる図鑑だが、ありとあらゆる魔物を調べるとなると大変だ。草原に森に砂漠に海に雪山に洞窟、果ては空に浮かんだ大陸にまで行った。見たことのない魔物。行ったことのない世界。アンには申し訳ないけど、俺はこの旅が楽しい。
「旅 終わるの 寂しい」
 俺が手元に視線を落とすと、ケネスは忌々しそうに言い捨てた。
「寝言は寝ながら言えよ、ラチック。図鑑終盤の魔物がどれだけヤバいか、もう忘れたのか?」
 マデサゴーラの魔物図鑑は終盤になればなる程、強力な魔物になっていく。力の強さは体の大きさに比例するらしく、ここ最近戦った魔物達はギガンテスの何十倍もでかい超大型の魔物達だ。モンスターマスター達が作る基準では超G級と呼ばれる魔物達。雪山でブオーンに遭遇した時、歩くだけで雪崩を引き起こす巨体が超G級より小さい魔物だと聞いて唖然とした。
 攻撃も凄まじく、一撃が当たれば致命傷というような殺傷能力。防御を貫通してくる攻撃力が怖くない訳がない。それでも戦い抜いて図鑑を埋めれたのは、やはり大魔王であるマデサゴーラの攻撃力と、ケネスの機転だ。あらゆる魔物をねじ伏せる強力な力と、弱点を突くことで要領良く追い詰める鮮やかな技量はすごく勉強になる。俺なんか生き残るだけで精一杯だ。
「余も旅が終わるのは、名残惜しいぞ」
 焚き火の熱気の向こうに、揺らめく表情はわかりにくい。それでも口調は確かに名残惜しさがあった。三つの月が満ち欠けする日々を共に過ごしただけあって、情が沸いたのは俺だけじゃなかったんだろう。ちょっと、ホッとする。
「なぁ マデサゴーラ。どうしても 戦う 必要なのか?」
 髭を撫でていた手が止まって、俺と視線がかち合う。
「俺 悪い奴 違う 思ってる。殺し合う 必要 本当に あるのか?」
「今更すぎる疑問だな」
 今更なのは、わかってる。俺は勇者の盟友になったピペと、勇者のアンを守ると決めた。決めたことをケネスは出来るようにしてくれた。俺が二人の盾にならない理由はどこにもない。
 それでも、疑問に思うのだ。
 黙り込んだ重い空気を、ケネスは深々と吸い込んで吐き出した。
「気持ちは分からんでもない。マデサゴーラの己の芸術を極める目的達成のついでで、アストルティアが危機に瀕するという、ややこしい状況だ。アストルティアに敵意も憎悪も抱いていないからこそ、話し合いが可能なのではないかと思ってしまうんだろう」
 ケネスは焚き火に燃え尽きた煙草を落とすと、新しい煙草を煙管に詰めた。
「だが問題はそれ以前、大魔王が大魔王たる所以にある。マデサゴーラが大いなる闇の根源と契約をした大魔王である限り、アストルティアの民は戦い討たねばならない」
 マデサゴーラが否定しないということは、強ち間違いではないのだろう。ケネスの答えを聞いて、俺はさらに問いを重ねる。
「大魔王 辞めれば 戦う 必要 なくなる?」
 無理だろうな。ケネスは枯れ枝の先を焚き火に差し入れて火を移す。それを煙管の煙草に移して、枯れ枝を振って火を消した。
「契約が解除できる可能性はない。大魔王ってのはな、魔界を背負ってるんだ。契約、信仰、誇り、存続、様々が複雑に絡み合って縛り付ける。逃れることは難しいだろう」
「余は大魔王を辞めるつもりなどない」
 俺がマデサゴーラに視線を向けると、ピペが尊敬する芸術家は自信満々の笑みを浮かべていた。
「求める芸術のためならば、世界一つ滅ぶことなど気にも留めぬ。その世界が、自己という世界であったとしても…だ。ラチック、芸術家の守り人としての理解が足りておらぬな」
 だってさ。ケネスが呆れたように呟きながら焚き火を突くと、新鮮な空気を取り込んだ火が膨らんで鮮やかな色を周囲に投げた。ぱっと広がった火の粉を、想い想いに3人が見つめている。
「余と戦うことを今更躊躇うか」
「今更 違う。ずっと 思ってる」
 ピペがどれほどマデサゴーラを慕っているか、知らない訳がないだろう。
 手紙に書き込まれた賛辞は、家族が励ましても立ち直らないピペを奮い立たせる。実際に会った時の感動で胸がいっぱいの恍惚とした笑みは、きっとマデサゴーラにしか見せない表情だ。
 そんなマデサゴーラを失うことが、ピペにとってどれほど辛いことか想像すらできない。マデサゴーラという理解者は、ピペにとって唯一無二の存在なんだ。
 マデサゴーラが大魔王で勇者と戦う運命だと知った時、俺がまず考えたことは互いに死なない道だった。アンには兄を殺され国を攻められて憎しみしかない大魔王でも、俺にとってはピペの大事な理解者で支持者だ。従者のゼルドラドは色々教えてくれる師匠でもある。誰一人死んで欲しくなかった。
 だが、ピペはマデサゴーラと戦う決意した。俺はその決意を否定出来ない。
 ゼルドラドはアンに討ち取られた。俺はそれを責めることは出来ない。
 それでも。
 『それでも』と、俺は思うのだ。
「それで いいのか ずっと ずっと 考えてる」
 心底理解できないと言いたげなマデサゴーラは、睨みつける俺を悠然と見返した。ふっと口元を緩めると、目を伏せて顎髭をさする。
「愚かでくだらぬが、翻弄され揺らめく感情は魅力的ではある」
 何を言ってるのか分からないのは、俺が馬鹿だからだろうか?
「存分に悩むがいい。戦った先に、其方の求める答えが実を結ぶ。だから、戦うのだ」
 目を白黒する俺の視界の先で、ケネスがにやにやと口元を歪ませながら俺を見る。
「大魔王様が胸を貸してくれるってよ。良かったな、ラチック」
 意味がよく分からない。俺は思わず口をついた。
 死んでしまうことは嫌なことじゃないか。争うことで良いことなんか、何一つなかったじゃないか。しかし、戦うことを避けることはもう出来ない。全てが終わる前に答えを見つけなければいけないのに、答えは戦った後ではないと見つからないという。
 ケネスは俺の胸に軽く握った手を寄せると、とん、と軽く触れる。赤と碧の瞳が全てを見透かし見守るように、柔らかく細められた。
「教えてはやれん。これは、お前が見つけるべき答えだ」
 さぁ、明日も早いぞ。そう言うが早いかケネスは煙管の中身を焚き火に落として、横になってしまった。マデサゴーラも手元に集中してしまうと、周囲の言葉は届かなくなる。
 あり得ない組み合わせの同行者達は、それぞれに何を考えているんだろう?
 揺らめく炎はいつまでも眺めていられる。臆病者めと罵るテグラスの顔がチラリと過ぎると、心底悲しかった気持ちが蘇る。否定されなかったのに、悩めと、自分で答えを見つけろと言われて苦しい。マデサゴーラの緩めた口元が、ケネスの細められた目元がぐるぐると巡っている。もう時間はないのに考えがとてもまとまりそうになくて、俺は天を仰いだ。
 天を突くように尖った岩場の合間に見える星々のうち、いくつかが流れて行った。

 地面が揺れている。まるで嵐の海に繰り出した船の中のようで、立ち上がることができない激しい揺れだ。時折、どぉんと地面が大きく揺れ動くと、ざざっと大量の砂が動いて落ちる音がする。焚き火の炎はすでに消えていて、ケネスが驚く俺を見て吹き出した。ぐらぐらと揺れながらも、器用に煙管に火を入れて喫煙し始める。
「なぁんだ。お前、気がつかなかったのか?」
 なにが? そう聞こうとして、地面が大きく傾いた。倒れないよう咄嗟に体を支えると、周囲の岩から覗いた雲一つない真っ青な空が巻き上げられた砂塵で覆われていく。岩山の奥から、さらに無数の鋭く尖った影が天を威嚇するように立ち上がる。もう、ここは山奥だ。津波のように広大な砂漠を飲み込もうとする砂嵐の中で、無数の剣のような山が見える限りに広がっている。
 響き渡る生き物の咆哮は衝撃波を伴い、混ざった砂塵が肌に当たって突き刺さるように痛んだ。
「俺達はオリハルゴンの上にいたんだよ」
 え? 俺は目を丸くして、揺れが落ち着き動き出す地面を見下ろした。
 ケネスは立ち上がると、旅の合間に購入していた弓矢を手に立ち上がる。俺も荷物をまとめて追いかけると、ケネスがちらりと俺を振り返った。
「マデサゴーラが、もう行っちまった。のんびりしてると、オリハルゴン共々殺されちまうぞ」
 俺はケネスの言葉に頷いた。
 超G級は天災とまで呼ばれる、巨大で強力な魔物だ。その魔物を倒すにあたっては、出し惜しみなく全力で力を叩き込む。オリハルゴンの背に取り残された俺達を避けて、攻撃するような余裕はないだろう。足早に山の間を進むが、どこへ向かっているんだろう?
 今まで大地だったオリハルゴンの背中には多くの魔物が取り残されていて、おどろき逃げ惑っている。飛ぶことができる魔物はまだ良いが、サボテンボールやおおさそり達は右往左往するばかりだ。
「どこ 行く?」
 ケネスはさらに高く聳える山の頂を指さした。
「頭だ。オリハルゴンは毒への耐性が低い。とっておきの毒を口に放り込む」
 なるほど。オリハルゴンの地面のような表皮は分厚い。例え両手剣で渾身斬りを叩き込んだとしても、傷つけることは難しいだろう。傷がつけられなければ、毒を体内に入れることは出来ない。だから、起きて表に出てきた口から毒を食わせるつもりなのだろう。
 毒に詳しいケネスなら、即効性でこの巨体にも効く毒を用意しているに違いない。
 ケネスがちらりと上を見遣り、小さく舌打ちした。
「マデサゴーラ、もう仕掛けるのか。早いっつーの」
 天を突くように向いていた山々が騒めく。山の隙間からオリハルゴンに比べれば、小さすぎる影が舞い上がった。竜のような、鳥のような、逆光に神々しさすら感じる影だ。超G級と戦う最中から見せ始めた、マデサゴーラの大いなる闇の根源との契約で手に入れたと言う姿だ。
「これから殺し合う俺達に手の内見せるだなんて、余裕なことだ」
 ケネスが呆れたように言うと、『急ぐぞ』と足を早める。
 魔力が高まり、砂塵が熱に炙られてキラキラと輝き始めた。太陽のように膨れ上がった神速メラガイアーを向かい撃つべく、山々が大きく震えた。遥か後方にあった尾が天を薙ぎ払う。一つ一つがメラゾーマサイズの大粒の火の粉が、オリハルゴンの背中である山岳地帯に降り注ぐ。
 俺はケネスに追いつくと、そのまま背中に飛び付き頭上に盾を構えて火の塊を防ぐ。大丈夫だ。そうケネスは腕に触れて外させ、再び走り出す。
 魔法攻撃はさらに激しさを増し、連続ドルマドン、太古に封じられしバギがオリハルゴンを襲う。攻撃が効いているかは不明だが、背中にいる俺達は死に物狂いだ。背中は大混乱。突然の大粒の火の粉に運悪く当たって死んでしまった炭化した屍。闇の爆発に巻き込まれて千切れ飛んだ体の一部。強風に巻き上げられて叩きつけられて動かなくなったもの。運良く生き延びた者は、恐れ慄いて悲鳴をあげ、混乱したかのように駆けずり回る。
 俺もケネスを守りながら、ようやく頭に近い部分に接近した。だが、問題がある。
 頭が一番攻撃が激しいのだ。オリハルゴンもマデサゴーラを攻撃しようと、激しく頭を動かす。このまま頭の上に登って振り落とされてしまうと、ケネスの用意した毒が使えなくなる。首根っこでしゃがみ込み機会を伺うケネスは、不安げに見つめる俺を振り返った。
「マデサゴーラはそのうち、シバルンバサンバを使う」
 煙管で遥か下で砂煙に覆われた地面を指さす。
「魔法で追い込めないなら、直接叩きにくるに違いない。動きを封じる為に、足元を崩す。どれくらい効果があるかは不明だが、安定して全力で頭を叩く程度の隙は作れると思う」
 オリハルゴンの動きが全く鈍っていないが、やっぱり魔法は効いていないのか。普通なら王国が滅びそうな災害のような魔法達だが、山のような巨体であるオリハルゴンの体力や防御力を貫通するには至らないのだろう。流石、世界最高の硬さを持つ伝説の鉱物の名前が付いている魔物だ。
 ケネスは矢にちょっとした小包のようなものを括り出す。
 これほどのサイズなら槍に括り付けて投擲すれば良いと思ったが、鏃代わりの先端が爆弾石だ。口の中で爆発させて柔らかい肉を抉り、飛び散った毒を一刻も早くオリハルゴンの体内に入れるつもりなんだろう。オリハルゴンが死ぬような毒だ。少しでも離れなければ巻き添えになってしまうから、弓矢なのだろう。
「その隙を利用して頭のてっぺんから飛び降りて、口に毒を放り込む。離脱はこの招きの翼をお前が使え。俺も連れて行ってもらうつもりだから、俺を抱えて飛び降りてもらうぞ」
 そう言って近隣の街に登録した招きの翼を手渡される。キメラの風切り羽根で作られるキメラの翼は貴重品だ。風切り羽根じゃなくて魔力も薄いが、登録した1箇所に確実に飛べる招きの翼は旅人が買える命綱だ。手放さないようにしっかりと握る。
 魔力を帯びた砂塵が舞い上がった。呪文詠唱のためにマデサゴーラの攻撃が中断し、オリハルゴンも攻撃に備えて身構える。
「行くぞ!」
 嵐の前の静けさを、俺とケネスは全速力で掛ける。ケネスが俺にピオラを掛けてくれたらしく、いつもよりも足が早く前に出た。身軽で素早いケネスが先にオリハルゴンの頭頂部に到着すると、素早く弓矢を番て俺を待つ。俺はケネスに突撃するように、速度を落とさず走る。
 振り返ったケネスが笑う。そのまま勢いを殺さずに、駆け抜ける。それが、正解だ。
 ケネスが弓を放つのに邪魔じゃないように掻っ攫い、俺達はオリハルゴンの頭の上から飛び降りた!
 心臓がぎゅっと痛むほどに縮こまった。
 偽物のグランゼドーラで充てがわれた高い場所の部屋よりも、ずっと高い。鳥が飛ぶ世界の高さ。砂嵐で地面が見えないとはいえ、飛び出すことで見えたオリハルゴンの顔の大きさから想像できる。
 怖い。怖い。これを放り投げれば逃げられると、招きの翼が主張する。
 駄目だ。逃げてはいけない。ケネスの信頼に応えなくては、俺は奥歯を噛み締める。シバルンバサンバが発動したのか、轟音が地面で爆ぜて砂塵が俺達を飲み込んだ。ぐっとケネスが呻く声が聞こえる。
 ちょっとした馬車くらいはある大岩が、天を目掛けて吹き上がる。魔法が砂よりも深い地層を抉ったんだろう。俺は真っ青だ。なんでこんなに、めちゃくちゃなんだ! 岩を盾で往なしたり、着地して再び飛び降りたりして避ける。吹き出し荒れ吹いた風や衝撃が、落ち着いてくる。
 砂塵の動きが鈍り、ケネスの集中力が伝わって弓を引き絞る音が聞こえてくる。
 高い音を立てて、矢が放たれる。砂塵を貫きパッと開いた穴の向こうに、オリハルゴンの大きく開いた口がある。矢が白い軌跡を描いて吸い込まれ、腹の底に響くような音を立てて爆ぜる。
 咆哮が衝撃波を伴い、周囲に湧いた砂塵を一掃した。
 オリハルゴンの巨大な目が、俺達を捉える。明確な殺意に、俺は背筋を悪寒が駆け抜けたのを感じた。招きの翼を持った手が、動かない。汗が伝うのを、なぜかはっきりと感じた。
「よそ見をするとは、迂闊者め!」
 オリハルゴンよりも小柄でも十分に巨大なマデサゴーラの手が、俺達を掴んだ。そして、空の手をオリハルゴンの口に突っ込むと、高らかにイオマータの呪文を放つ。マデサゴーラの無尽蔵な魔力は本来『イオ』である威力を、イオグランデ級に変える。オリハルゴンは体の中で爆発する衝撃に、思わず体を硬らせた。
 それでも、倒れない。
 息を呑んでただ見守るしかない視線の先で、オリハルゴンの体がゆっくりと傾いだ。地響きとその巨体を飲み込むような砂塵を巻き上げて、オリハルゴンは黄金の砂の上に倒れ込んだ。起き上がることなく砂塵が降り積もる魔物を見つめ、俺はマデサゴーラの手の上に座りこんだ。
 し、死ぬかと思った。
「大義であるぞ! これで、オリハルゴンを図鑑に書き込むことが出来る!」
 雄叫びのような高笑いをするマデサゴーラを見上げ、ケネスが倒れ込むように横になった。あーもうかえりてぇ。そんな言葉が聞こえる。変化を解いて砂の上に投げ出されても、起き上がる気配はない丸くなった背中に俺は問う。
「図鑑 完成。この後 戦う?」
 ケネスが顔だけ上げて俺を見た。
「馬鹿野郎。こんな砂まみれで疲れ切った状態で、最終決戦なんか出来るかよ」
 確かに全身砂まみれ。こんな状態じゃあ、ピペは肩にも乗ってくれないだろう。アンも汚いって思うかもしれない。それは、ちょっと、嫌だなぁ。
 元の世界に戻ったらどれくらい時間が経ってるかわからないが、それでも疲れているのは本当だ。数ヶ月間、図鑑の完成の為に旅を続けた疲れは溜まっている。このまま決戦に臨みたいとは、とても思えなかった。
 ケネスが体を起こすと、遠くで嬉しげに動くマデサゴーラの背中に言い放つ。
「マデサゴーラ! 温泉作って、打ち上げやろうぜ!」
「それは名案だな! 余の芸術に貢献した者を労わねば! 早速、創世の魔力で作るとしよう!」
 言うが早いか、天をつくほど大量の温泉が吹き上がる。どどどと腹を揺さぶるような音を立てて、熱気と湿気が空気を支配する。黄金の砂を抉り、地下の硬い岩盤や岩が現れていた。もうもうと湯煙が広がる中、湖のような広さに温泉が溜まり始める。
 もう何も驚かないが、めちゃくちゃである。
 マデサゴーラと殺し合いをする事が、本当に必要なのか。『それでも』が強くなる。何一つ決める事ができず、ただ流されるもどかしさ。弱いから、何も決められないのだろうか。ケネスに鍛えてもらって、誰もが認めてくれるほどに強くなったというのに。
 吹き上がる温泉が描く虹の下で、マデサゴーラがオリハルゴンのスケッチを始めた。
 スケッチが終わって、少し休んだら、殺し合うのだ。
 胸が、苦しい。