戦え、そして未来を創造せよ - 前編 -

 凄まじい熱。私は荒い呼吸を繰り返す口に流れ込んだ、汗のしょっぱさを唾ごと飲み込んだ。
 勇者の盾は災いから身を守ってくれるけれど、それは命に危機が訪れる脅威に限られる。ただの熱風は致命傷にならないと言いたげに、私達の体温を嘲笑うように奪っていく。シンイさんと仲間の竜が消えて間もなく、熱気が消えて赤い雲も晴れた。それでも熱によって奪われた体力は回復しそうにない。熱の篭りやすい重装備のラチックは、顎から滴った汗を拭った。
 これからマデサゴーラと戦うのだ。頑張らなくてどうするの、アンルシア。私は剣を構え直す。
「ふむ。奈落から漏れ出た創世の霊核の力が止まったか…」
 マデサゴーラは沈黙した門を一瞥した。髭を撫でていた手を無造作に振り下ろすと、瞬く間に火の玉が床を舐める。今の攻撃が私に向けられていたら、反応できるか自信がない一瞬の出来事。呪文を唱える間も、魔力の動きがなかったのも、反応できなかった原因だ。
 背に背負ったピペが息を呑み、前に立つラチックが腰を落とした。ケネスが剣を握り直す。
「この短い間に吸収した力でさえ、これほどとは…」
 嫌な予感のする笑顔に、私は身震いした。
 くつくつと空気を叩く笑い声は、次の瞬間高笑いとなって爆ぜた。6つの腕を大きく開き、天を仰いで大きな口から迸るままに笑う。その体は奈落の門に最も近くに立って、影響に晒されていたが故に濃厚な魔力が漏れ出て光っている。握った拳を見下ろし、マデサゴーラは熱っぽく声を張り上げた。
「創世の霊核を手にすれば、余の創造は創世の女神を超える! 余が望む世界にアストルティアは創り変えられ、全ての命が新たなる創造神とこのマデサゴーラを讃えるのだ…!」
 雷雲が周囲を取り巻き渦を巻く。稲光が轟く雲の中から、様々な世界が垣間見える。光る山脈。歌う海。滴る風。生臭い建築物。生き物は私の知る生き物の影とは程遠く、総毛が逆立つような得体の知れない不気味さを醸している。
 これがマデサゴーラの目指す芸術の世界。とても理解できそうにないが、目を離すことができない圧倒的な何かを感じる。
 しかし、一番の変化はマデサゴーラ本人だ。
 巨大な竜に鳥の翼が生えた禍々しい姿。マデサゴーラを象徴した6本の腕は全て魔瘴を帯びた黒々とした鱗で覆われ、竜の巨体に見合った暴力的なまでの筋肉の盛り上がりがある。翼と太ももを覆う羽毛は金色に輝き、頭のてっぺんから魔力を帯びて激しく輝く深紅の背鰭の行き着く先の尾には蛇が舌を出してこちらを睨んでいる。竜は歓喜に全身を輝かせ、4つの足を踏みしめて激しい雄叫びを上げた。
『さぁ、見るがいい。世界変革の瞬間を…!』
 渦巻く雲が速度を上げ、もはや竜巻のようだ。
 目の前にいきなりメラガイアーが迫った。それをラチックは咄嗟に防ぐ為に盾を掲げ、魔法を防ぐ防御壁を展開する。眼前に迫ったメラガイアーを正面から受け止め、スペルガードを相殺されて無数の火の粉になって散っていく。
 ケネスの何を言っているかは分からない早口が、警告だと思った時には遅い。散ったメラガイアーの向こうにさらに2発、火球が迫っている。三連続のメラガイアー。ケネスのギガスラッシュが一発を相殺し、ピペが飛び出して盟友の盾が防ぎ切る。
 連続で放たれる超高度魔法。世界でも数える程度の魔法使いしか放てない、メラガイアーやドルマドンといった超高度魔法が連続で降り注ぐ。この連続というのが厄介ね。マホカンタやスペルガードといった魔法を防ぐ術は、基本的に一発の魔法しか相殺することができない。連続で降り注がれては、かけ直す暇はなく直撃してしまう。
 さらに連続で放たれる魔法は、打つ方向をある程度ずらせる。
 3発打ったなら、それぞれを一人に集中させることも、避けることを予測してズラして打つことも、さらには仲間全員に向けてバラけるように放つこともできる。その駆け引きですら命懸けだ。
 魔法だけではない。マデサゴーラが床を割って巨躯が瞬時に迫る。振り下ろされた腕を盾で受け止めたラチックが、押し切られて床に叩きつけられた。追撃とばかりに振り下ろされようとした腕は突如払われ、ケネスが跳ね飛ばされる。そのまま、蛇の尾がケネスの上に振り下ろされた。
 急いで稲妻の呪文を解き放ちマデサゴーラを退ける。ピペがラチックにリホイミの護符を貼り付け、血を吐きながらも下がってきたケネスは自分自身にホイミを掛けている。
「うぅ 大魔王 強い」
 ラチックは盾を握り直し、消滅した魔法防御壁をかけ直す。『弱音を吐くな』とケネスはラチックの鎧を叩いた。前衛の二人の向こうから、マデサゴーラがその翼を大きく開く。
『創造主となる余の力を試す為にも、早々に壊れてくれるなよ!』
 4本の足が地面を蹴って、その巨躯が翼を広げ飛び上がった。上空に太陽のような眩しい光が差し、黒々としたマデサゴーラの影から炎と闇の塊が雨霰と落ちてくる。
 このままでは、皆、一方的にやられてしまう! 私は地面に両足をつけ、精神を統一する。湧き上がる黄金の光が収まりきれず、漏れ出した輝きがばちばちと爆ぜる。剣を突きつけマデサゴーラへ向けた稲妻が、頭上にいきなり展開した魔法陣を通過した瞬間に輝く矢となって闇を貫く!
 体勢を崩したマデサゴーラに向けて、ケネスが駆ける。ピペの小さい腕が視線の隅から伸びて、ケネスに向けて腕が振われると、隼の剣の刀身が鋭く輝いた。超隼斬りの斬撃が、その刀身ではあり得ない長さを伴って繰り出される。最初はマデサゴーラが飛び立てぬよう斬りつけるつもりだったケネスの斬撃は、翼を貫通して腹にまで届く勢いだった。
 マデサゴーラが苦悶の声をあげる。巨大な手がこちらに振り落とされる。逃げる隙も与えず、全力で走っても巨大過ぎて逃げきれない一撃。ラチックさんの盾が輝くと、大きく展開した光の盾がその一撃を耐え抜いて弾いた。
『創世の力をもう使いこなしたか! 流石だな、ピペよ!』
 雄叫びとは違う、笑い声らしいゴロゴロとした音が響く。
 楽しげに笑った瞳の先を追って、私は肩にしがみつく盟友を見た。私の盟友。芸術家のピペは私の視線に気がついて、魔物であることを知らなければプクリポにしか見えない可愛らしい顔を傾げて見せた。ぺろりと出た舌を引っ込めて、不安そうに見つめる私ににっこりと笑顔を向ける。
「ピペ。何をしているの?」
 ピペは人差し指を空中に向けると、凄まじい勢いで文字を書き出した。指先の軌跡が仄かに光って残り、空中に文字が書き起こされる。
『創世の力で強大な一撃を創作するのは難しいですが、皆さんの攻撃の倍増や拡張をしてます。いつもより派手で映えるんですよ。皆さんをカッコよく演出できて、最高ですね!』
 最後の部分は興奮しているのか、光過ぎて文字そのものがもう見えない。その輝きにピペのつぶらな瞳が、キラキラと宝石のように輝いている。貴女は恩人と殺し合いを、楽しんでいるの?
 ケネスの攻撃が貴女の創作の加勢でド派手な打ち上げ花火みたいになって、ラチックのハンマーがドルマドンを豪快に吹っ飛ばして星にする。ケネスもラチックも、マデサゴーラでさえ何故か楽しそうに見える。私が兄様が苦しんでいるのに泣きそうになって、大魔王の苛烈な攻撃に絶望しているのが馬鹿みたいじゃない。なんだか、なんだか…。
 私は口元が持ち上がるのを感じた。
 ぺちぺちとピペが催促する。さぁ、アンも何かやってください。貴女の声が聞こえてきそう。
『趣向を変えよう。さぁ、余の創造せし世界が牙を剥くぞ…!』
 マデサゴーラの声の声と共に、周囲の様子が変わっていく。渦巻く空気は毒々しい色を伴い、地面がぐずりと崩れていく。吐き気が込み上げてきそうな悪臭が、湿度と温度の高い空気と共に押し寄せてくる。うっと口を抑えて顔を顰める間に、マデサゴーラの巨体が大地を揺るがした!
 衝撃波が毒の沼に変じた地面を溶解させる。寄る辺となる地面が揺さぶられ、ケネスもラチックも転倒する。私もべちゃりと凄く嫌な感触が、尻餅をついた場所から這い上がってくる。
 毒の沼に含まれた凄まじい瘴気が手を伸ばす。毒が優しい手つきで私の腕をさする。苦しいでしょう。痺れるでしょう。痛むでしょう。さぁ、ゆっくり休んでいいのよ。横たわって、目を閉じればいいの。そうすれば全てが終わって、安らかな眠りが貴女を包んでくれる。まるで母様の子守唄のように優しく優しく囁いてくる。
 優しい声を払い除けるけれど、状況は深刻だ。息苦しさも、痺れもひどくなる一方。掠れた視界に沼に引き摺り込まれた仲間達も立ち上がれずに、瘴気の腕に掴まれて苦しんでいる姿が映る。
 あぁ。この状況、覚えがあるわ。
 私の前にひらりと差し出された紙を、私は掴んだ。掌に感じる清らかな力に、私の勇者の光は食いつくように一つになった。黄金の閃光が掌を解かして解き放たれる。闇という闇を薙ぎ払い、不浄なる存在を浄化して花と変え、清らかな空気は重苦しく満ちた様々を一蹴する。
 咳き込みながらも起き上がる仲間達を見ながら、その奥で咲き誇る花々を踏み潰した大魔王へ視線を移す。舌なめずりをし私達を見下ろした大魔王は、宣言するように言った。
『そろそろ、余の作品の礎になってもらうとしよう』
 花々が青黒い炎によって燃やされ、大きく膨れ上がった邪悪な炎が火炎旋風となって天を突く。それを前にしてマデサゴーラがその6本の上でを高々と挙げた。
『大いなる闇の根源よ! 古の契約の元、余に力を…!』
 響く声が旋風に吸い込まれて巻き上げられると、ふっと火災旋風が四散した。ちらちらと青黒い炎の残滓がちらつく中で、不気味なほどの静けさが満ちる。動けない。凄まじい圧が、天の光すら吸い込む真っ暗闇の中から私達を押し付ける。
 闇から、それは静かに舞い降りてきた。
 それは手だ。黒く長い腕を伴う、手。光すら吸い込むような漆黒ゆえに、周囲の薄暗さが仄かに光って見えて黒い腕の輪郭を浮かび上がらせる。一目見ただけで吐き気すらするような嫌悪感は、大魔王と相見えた時の比ではない。いや、大魔王から感じた嫌悪感の原因が、もしかしたらこれなのではと思うほどの強烈な感情。決して相容れない。戦い討たねばならぬという、本能的な敵意が込み上げてくる。
 手はマデサゴーラを包み込むと力を注ぎ込む。指の間から迸る魔瘴は、燃えカスとなった花の残骸を不気味に輝く石に変える。命を奪い物質に変えるような超高濃度な魔瘴は、周囲を分厚い雲のように覆った。慌てて駆け寄ってきた仲間達を包み込む勇者の光の外は、一寸先も見えない闇が広がる。
 ラチックが盾を構えて闇へ目を凝らす。
「こんな 魔瘴 知らない。マデサゴーラ 死ぬ のか?」
「大いなる闇の根源が、契約した大魔王を殺す訳ないだろう。油断するなよ。創世の魔力と闇の根源の力を得たマデサゴーラの力、想像もできねぇぞ」
 ケネスの声の向こうの闇を、私は勇者の目ではっきりと見ることができた。
 鱗の一枚一枚が魔瘴によって輝く宝石のようになり、黄金の羽毛が鋼のような硬質的な光を帯びる。その瞳は赤く邪悪に濡れ、口元がにたりと笑う。その6本の腕が大きく開かれ、ゆっくりと勇者の光を抱きしめようとしているのを。この光が破られれば、闇の向こうのことを知らない仲間達は瞬く間に死に追いやられてしまう。
 レンダーシアに生きる愛しい人々と、目の前にいる守りたい仲間達が重なる。
 マデサゴーラの滑るように光る鱗の腕と、恐ろしい闇の腕が重なる。
 これが、勇者が守るべきもの。
 これが、勇者が討つべきもの。
 私ははっきりと悟った。全てが繋がり、響いていく。
 生まれた日から注がれた家族の愛情が、兄様の決意によって守られた平穏が、光の原点として灯る。ミシュアとして過ごした何気ない人々の営みが、ピペとラチックと巡った発見と出会いの日々が、光を黄金に色付かせる。勇者として覚醒し戦う中で勇者姫を鏡の向こうに見た葛藤、ピペを盟友として迎えた罪悪感と安堵が、光を純粋なものではない様々な色を含ませる。ラチックが私達の為に修行をして仲間として加わった頼もしさ、ケネスの言葉の奥にある優しさが、光を大きく膨らませる。
 私は笑った。答えは簡単だった。これしか選べないほどに、皆が導いてくれていた。
 私は勇者として神が与えただろう力を、大きく大きく膨らませる。押し除けようと広がる光に、マデサゴーラを包む闇がより濃く沈み込む。
 勇者とは大魔王を倒す存在だと思っていた。大魔王を倒して、アストルティアを守ることが勇者の務めだって思ってた。それが間違いではないと、誰もが正しいと認めていた。信じてすらいた。
 だから、大魔王を憎んで良いと思った。兄様を殺め、民を苦しめ、創造と称して行った非道は芸術と表現できるものじゃない。倒して、死んで、当然だと思ってる。
 でも、私の盟友はそうじゃない。大魔王を尊敬していて、芸術家として崇拝していて、恩恵すら与えられていた。大魔王と共に生きれば将来が約束されていたかもしれない。それでも、ピペは私と歩んでくれた。芸術家の宿命ですと笑って、理由はよく分からなかった。
 大魔王の奥にある闇。それは悪だ。
 マデサゴーラの芸術の過程で生じる非道さとは違う、明確なアストルティアを憎む悪意。歴代の大魔王が契約した大いなる闇の根源。これだ。これが、勇者が戦い勝利するべき敵。大魔王はこの闇の先兵でしかない。
 それに気がつけた時、私の光は貫くべき存在をしっかりと捉えた。
「ピペ。貴女に相応しい勇者に私はなるわ。だから、目を逸らさないで…」
 小さい手に触れた指を、ぎゅっと掴まれる。その温もりを光に変えて、私は澄んだ心から溢れる光を解き放つ! 太陽の如き光は闇の衣を剥ぎ取り、竜とも鳥とも表現できぬマデサゴーラを露わにする。
 私が剣を手に駆け出すのを、横から咬み殺そうとした蛇の尾をケネスが切り飛ばした。
 人を殺すにはあまりある威力の魔力が迫るのを、ラチックが盾で防いで道をつなげる。
 マデサゴーラの懐に滑り込んだ私は、その胸元に一枚の紙が翻るのを見た。それを貫き、剣の鋒がマデサゴーラの胸板に沈み込む。
 そして見るのだ。マデサゴーラの中に深々と染み込んだ闇。それはマデサゴーラの鱗一枚一枚、魔力の全て、血に溶け込んで体全体を巡ってマデサゴーラの中に存在した。魂まで浸った闇は彼自身の闇ではない。彼が契約した闇の根源の吐気が込み上げるような、どす黒い感情の坩堝から漏れ出たほんの一部。ほんの一部でも世界を滅ぼす執念が、全てを危機に陥れることを可能とする。
 これを、払う。
 私の勇者の力がピペの魔力倍化の魔法陣を貫いて、マデサゴーラに届く。悍ましい断末魔の悲鳴を上げながら、闇が深く根付いた鱗が剥がれ飛び、腕が、足が、翼が光によって千切れて消滅していく。闇はどんどん小さくなって、最初に見かけた偉丈夫の大きさになっていく。
「大魔王マデサゴーラ、貴方の負けよ…!」
 そのまま真後ろへ倒れた大魔王に、私は言い放った!