九人目のあなたこそが [仇] - 前編 -

 ヴェリナード王国は王都外の作戦を取り仕切る魔法戦士団と、王都内を管轄とする衛士団で構成されている。ウェナ諸島の平和を守る魔法戦士団は、ウェディの男子の憧れでヴェリナードの華だ。ヴェリナードの兵に志願する若者の殆どが、魔法戦士団を希望するほどだろう。
 真っ赤なコートを翻し、村や街を襲い来る魔物をばったばった倒す魔法戦士団はマジヒーローですよねー。助けられた人々に感謝されて、守ったものの大きさによっちゃあ凱旋してさ、華々しく持ち上げられてノコギリザメみたいに鼻高々でヴェリナードの英雄様はお偉くてすごいですねって感じだぜ。
 けっ。やってらんねぇぜ。
 だが今回は、そんな華々しい連中は蚊帳の外。口出しなんぞできやしない。…はずなんだけどなぁ。
「なんで、ここにいるんだよ。アーベルク」
 衛士団の詰所の一般的なウェナ諸島で見られる、椰子の木を切った板を連ねたテーブルを挟んで座るのは、目も覚めるような深紅の魔法戦士団のコート。魔法戦士団のエンブレムを縫いつけた背中に憧れ、テーブルに置かれた帽子に飾られた羽をカッコいいと思わない男子はおるまい。女王様のハートを射止めたメルー公が魔法戦士団に所属していた時は、ブロマイドを巡ってウェナが燃えたって話だ。
 現在魔法戦士団の団長であるアーベルクは、副団長のユナティを引き連れ衛士団を訪れていた。
「六種族の祭典の件は聞いているな。ザイナー」
「勿論だ」
 アーベルクの問いに俺は頷いて見せた。
 六種族の祭典に賊が入り込み、アンルシア姫とラグアス王子が拐われた話は秘密裏であれアストルティア中の王国に共有された。あの世界宿屋協会の警備部長が指揮する警備が抜けられたなんて、衛士団の団長を務める俺も衝撃だった。警備計画も見せてもらったが、スライム一匹入り込めない完璧なものだった。賊がどんな手品を使ったか、タネやシカケを聞いてみたいもんだ。
 世界中の若き王族が狙われている。ヴェリナードも即座にオーディス王子の警護を増強した。王族の護衛は俺達衛士団の仕事だ。知らない訳がない。
「お前がどのように王子をお守りするのか、心配になってな」
 アーベルクが鋭い視線を俺に向ける。気持ちはわかる。賊の協力者らしい白いフードを被った奴は、あの警備部長が取り押さえられなかった強者だ。部下達では相手もできんだろう。
 俺達では王子は守りきれぬ。そう暗に言ったアーベルクに、苛立ちを募らせる部下達に向けてひらりと手を振る。鼻で笑うと俺はアーベルクを見返した。
「ヴェリナードの外のことは管轄外だと情報ひとつ共有しようとしねぇくせに、知りたいことは都合よく聞き出そうってか。流石、ヒーロー様は顔がいいだけじゃなくて、面の皮も厚いようだな」
 アーベルクは眉一つ動かさなかったが、控えていたユナティが反応した。細身で長身のウェディの娘、さらに赤いコートはひらひらと動いて大きく見える。小さい身じろぎだが、水滴を垂らすように大きく広がってしまう様は、プライドの高さが窺い知れる。
「ザイナー衛士団長、聞き捨てなりません」
 俺は腰を浮かせ、テーブルに付いた手に体重を乗せてアーベルクを覗き込む。顎髭を綺麗に洒落た感じに整えた、いかにも魔法戦士団の長って感じの甘いマスク。青銅の鎧に無骨でガサツな衛士団長とは雲泥の差って言いたげに、見返す瞳は冷えて見下している色が透けて見えている。
 部下共々見下しているのが、声によく出ていた。
「上品ぶらねぇで、頼りねぇって言えよ。こちとら心配されるほど、落ちぶれちゃいねぇんだ!」
 俺の殺気だった怒鳴り声は、ウェディ族では珍しいガラガラした声色も相まって闘争心に火を付ける。魔法戦士団のツートップの露骨なまでの侮蔑の声に苛立った部下達は、瞬時に臨戦体制に入った。
 一触即発。そんな空気を『とんとーん!』と能天気な声が割って入った。
「ザイナーさんったら、外まで声が漏れてるよー。相変わらず元気だねー!」
 開け放たれた扉の前に立っていたのは、部下のノーランと俺が呼んだ協力者達だ。ノーランより一歩前に進み出てへらへらと笑う顔は、レンダーシア調査団に参加するのを見送った時以来。大きいトンブレロソンブレロを被り、深海の色の髪を無造作に伸ばした若者を見て俺は顔がにやけちまうよ。死ぬとは思わなかったが、無事をこの目で確認できたからな。
 俺はテーブルについた手を押して体を起こすと、トンブレロソンブレロの中に手を突っ込んで、さらさらした髪を撫で回した。『ちょっとザイナー! 手を突っ込むんじゃないよ!』『ちょっとやめてよー!』とひいひい逃れたがるが、タッパはあっても後衛系の体つきじゃあザイナー様からは逃げられんぞ。背鰭の下をばんと叩くと、ニッと笑いかける。
「また、背が伸びたかイサーク。レディも元気そうだな」
「もー。僕はいつになったら大人になれるのさー。この前、一緒にお酒飲んだでしょー?」
 むくれて頬を膨らましてるんじゃぁ、まだまだお子様だな。俺が声をあげて笑っている間に、イサークは連れを見える位置に立たせた。
「ザイナーさん。この子は友達のルアム。メギストリスの臨時国王代理のナブレットさんの特命で、ラグアス王子捜索の任務に携わってる」
 赤毛のプクリポは『よろしくな!』って快活に手を差し出してきた。裏表のない太陽のような良い声だ。腰には爪が括り付けられていて、装備も動きやすさと軽さを重視した服。猫耳のプクリポは身が軽いので、それを生かした前衛向けの動きをするのだろう。
 なぜか赤子のようにぐるぐる巻にした、ドラゴンキッズを抱き抱えている。
「イサークの友達ってだけで十分だよ。ザイナーだ」
 柔らかい手を握れば、心地よい程度に握り返してくる。俺とルアムが挨拶を終えた頃合いを見計らって、イサークは廊下から入ってこない連れを引っ張ってきたようだ。
「で、頼まれたオーディス王子と年齢と背格好の似た、腕の立つウェディ男子を連れてきたよ!」
 イサークが連れてきたのは、背に大剣を背負ったいかにも冒険者風といった風情のウェディだ。背格好も年の頃合いも、今回の護衛対象であるオーディス王子と近い。精悍な顔つきはウェディの女性達が黄色い歓声を上げそうなほどに整っているが、全身から吹き出している不機嫌オーラが凄まじい。俺に関わるなと全身で訴えているようで、威嚇する猫のようだ。
 そんな不機嫌な男の両脇に膝をつき、ひらひらと囃し立てるイサークとルアムである。
「幼馴染のヒューザ君でーす!」
 おい、ヒューザって奴、今『めんどくせぇ』って言ったぞ。怠いとかじゃなくて全力で拒絶に振った声だぞ。イサーク、お前はこの男を本当に説得して連れてきたのかよ?
 バンダナで押さえて被さるような前髪の隙間から、威圧的な双眸が瞬いている。
「もー、ヒュー君。路銀尽きちゃって、お金が欲しいんでしょ? ザイナーさんから仕入れたとっておきの高額なお仕事しないと、借金になっちゃうよ。孤児院に迷惑かけたら許さないからね?」
「いちいち、うるせぇな」
 おいおい、舌打ちしたぞ。流石に顔が引き攣る俺に、イサークが良い音を立てて手を合わせ、がばっと頭を下げた。
「ザイナーさん、ヒュー君はこんなだけど剣術は本当にすごいんだ! ちょっと前に大暴れして、酒場の備品とかいっぱい壊してお金がたくさん必要なんだよー! 昔のよしみで、お願い!」
 正直、ここまで非協力的で採用して良いか迷うが、イサークが見つけてきた人材だ。俺の提示した条件にぴったりだし、剣術の腕もかなりのものだろう。俺は不満顔で落ちているレディ・ブレラをイサークの頭に戻して、顔を上げさせた。
「お前が俺に、頭を下げてまでお願いする必要はねぇよ。採用だ。ノーラン、前金で早く金を欲しがっているようだったら、身支度の前に手続きをしてやれ」
 一つ敬礼したノーランが、ヒューザを引き連れて衛士団の詰所を出ていく。扉が閉まったのを確認して、俺は蚊帳の外だったアーベルクとユナティに向き直った。
「今回の警備計画の要。オーディス王子の影武者役の青年だ」
 六種族の祭典の警備は完璧だった。だからこそ、どんなに警備を増強しても護衛対象を守れないという結論に辿り着く。まだ六種族の祭典で王族が拐われたことは秘されており、国民の不安を煽らぬようにとの命もあって、オーディス王子には普段通りに務めに励んでいる。誘拐してくださいと、言わんばかりよ。
 そこで俺が考えたのが影武者だ。拐われちまっても守るべき王子は無事だし、影武者が手練れの戦士なら誘拐犯に反撃できるだろう。時間を稼いでくれりゃあ、応援にも駆けつけられる。
 俺の一言で大まかなことを察した二人は、納得したように頷いた。
「お前はオーディス王子を守るための最善を、尽くそうとしている。非礼を詫びよう」
 優雅な一礼をしたアーベルクに倣うように、ユナティも頭を下げた。俺はそんな二人の詫びを一瞥して、ひらりと手を振った。
「良いってことよ。味方すら騙す。俺達の優秀さが証明されたってことさ」
 影武者を用いた護衛計画は、今回の作戦を考えた俺を筆頭とした衛士団、影武者役を捜索させたイサーク、そして作戦を承諾したヴェリナードの王族だけしか知り得ない。極秘で進めてきたために、丁度居合わせなかったら魔法戦士団も知り得なかっただろう。俺達の仕事は完璧だったってことだ。
 影武者役の到着の報告を受けて、メルー公も詰所にお見えになり穏やかな空気が詰め所に流れる。影武者役の身支度が整うまで、待っている者達が雑談に興じる。
 話題の中心になったのは、ルアムが連れてきたグランドタイタスの甲板に落ちていたという銀色のドラゴンキッズだ。なんでも、ずーっと寝ていて目覚めないらしい。最近は珍しい魔物が売買する闇商人が魔物使いの魔物を誘拐するケースも多発している。行方不明の魔物リストを改めている間に、イサークが背鰭に噛みつかれ、レディ・ブレラがしゃぶられちまった。
 激昂してドルマドンを叩き落としそうなレディを宥め、イサークが目を眇めた。
「いやー、しかし不思議な魂の形だなー。初めて見るよー」
 年端もいかない子供に最初にこの瞳で見られた時は、丸裸にされた気分だったな。『兄ちゃん、何か分かったのか?』と肩に乗った赤毛玉に、イサークは頷いて見せる。
「まるで雲みたいに形が変わっていく。赤ちゃんみたいに形が定まっていないんじゃない。死者みたいに形を失ったんじゃない。生きたままに、ありとあらゆる形になれるんだ。自分を見失い壊れる危険が高いのに、ここまで安定してる魂は初めてだ」
 一体、どうしてなんだろう。イサークは眇めた視線を向けたまま、顎をさする。
「健康状態は良好に見える。呼吸も、鱗の艶も、魂と肉体との不協和音も感じない。死の影もない」
「じゃあ、どうして寝てるんだ?」
 耳をかじられ涙目になりがら、ルアムが小竜を布でぐるぐる巻きにする。その問いにじっくり考えてから、イサークはぽつりと言った。
「この竜、もしかしたら冬眠してるんじゃないのかな?」
 冬眠? イサークの言葉を聞いた誰もが首を傾げる。
 ウェナ諸島全域は雨が多く気温が高い。全ての季節で海は泳げるほどに暖かく、どんなに寒くても雪が降ることはない。砂漠と溶岩が織りなす灼熱の大地が広がるドワチャッカ大陸には負けるが、冬眠するような気温に冷え込むことは絶対にないだろう。
 この場の全員の否定に苦笑いしたイサークは、大人しくなった竜を抱えるルアムに言った。
「この件が落ち着いたら、エンジュちゃんの所に連れて行こう。冬眠なら彼女の炎の加護で、目覚めさせることができると思うよ」

 それぞれが時間の経過を自覚した頃合いに、衛士団の詰所の扉が開かれた。
 そしてオーディス王子にそっくりに仕上がったヒューザを出迎えた俺達は、驚きどよめいた。ヒューザに同行させたノーランがいなければ、王子がお見えになったと勘違いするほどだ。いつも王子がお召しになっている服、剣士の美しい立ち姿は姿勢の良さを引き立てて威厳を醸す。剣士として引き締まった筋肉はオーディス王子以上で、女王譲りの少し鋭すぎる目元も不機嫌さでうまく表現できている。
 驚きもほどほどに、メルー公は息子そっくりの若者の手を取り語りかけた。
「ヒューザと言ったね。息子の影武者として危険に晒されなくてはならぬこと、心から詫びねばならぬ。ヴェリナードの総力を上げて、息子と等しく君の身の安全を守ることを誓おう」
「べ、別に守ってもらう必要はねぇよ。誘拐犯だろうが返り討ちにしてやるさ」
 ぶっきらぼうに言った言葉に、メルー公は穏やかに笑った。
「頼もしいことだ。では、参ろうかね、我が息子よ」
「やめてくれ。あんたは、俺の父親じゃないだろう?」
 視線を外して戸惑いを滲ませる声に、メルー公は優しい細波のような笑い声を立てる。
「今は、君は私の息子だよ」
 メルー公とヒューザに続き、アーノルドとユナティも退室していく。
 これからオーディス王子の影武者として色々と王子の日課を行なっていく傍ら、城の者にも影武者の存在が見破られぬよう振る舞いも覚えてもらう。書面上の執務は通常通り本物のオーディス王子が行うこともあって、余裕ある予定を組んでいるつもりだが、縁遠いヒューザには苦痛な日々になるかもしれんな。
 まぁ、金は多く払っているし、市井の者には得難い経験のはずだ。メルー公に剣の指南をしてやって欲しいと個別に頼みもした。我慢はしてもらおう。そう思いながら、扉の向こうに消えた背を思い出す。
 イサークの幼馴染。あのレーン村の孤児院で共に過ごした子供の一人だろう。
 俺は傍に座っているイサークを見る。慣れた手つきで小竜を包んだお包みを抱き、乳飲児をあやす為にウェナで良く歌う揺り籠の歌を口ずさんでいる。言葉らしい声を音に溶かし、寄せては返す波に近づけた歌は耳にした何人かの部下の欠伸を誘う。
「幼馴染が危険な目に遭うかもしれないのに、よく、仕事を紹介できたな。心配だろう」
 そんなことを、イサークはしない。俺はそう信じている。
 だが、俺はイサークが村から一度追放されたのを知っている。あんな小さい村で一度付いてしまった悪評は、村にいる限りついて回る。俺は衛士団に入団して余裕も出てくるから養子に迎えてもよかったのに、あの生臭坊主は『普通の生活を知るべき』と諭して戻したんだ。孤児院を卒業できるまでの間、生臭坊主が強いた『普通の生活』はイサークにとって幸せだっただろうか?
 今、ルアムと並んで笑うイサークを見て尚更思う。イサークはあの小さい村で過ごした日々よりも、村を出て広い世界を渡り歩く方が幸せなんだろうと。
 今幸せを噛み締めているイサークが、幼馴染を危険な目に遭わそうと、復讐を企むとは思えない。
 歌が止む。笑顔のイサークがこちらを向いた。
「心配なんかしてないよ。ヒュー君は強いから頼んだんだ」
 そうだよな。俺は安堵したように相槌を打った。
 俺から見ても、あれほどの剣士は衛士団でも数える程度しかいない。戦いの場で磨いた剣術と、独り修羅場を潜ったことで身につけた判断力は、今回の影武者に俺が求めるものだった。訓練と周囲の連携しかしらない衛士団や魔法戦士団では、今回の襲撃者の影武者は務まらない。
 イサークの瞳に、暗いものが見えた。笑みの形をした口から出た吐息は、底冷えするほど冷たい。
 『あの子は冥府にいる時間が長すぎた』
 イサークを孤児院に戻した後、別れ際に坊主が言った言葉が脳裏をよぎる。
 『だからこそ普通の現世の生活を知らねばならないんだ』
 暗い目をした幼い子供を心底恐れていた生臭坊主は、もう世にいない。あの時のようにこの子の手を引いて歩ける自由さはもうなく、この子は何処へも行ける自由さをもう手にしている。全てがもう遅い。今に至るまでの間に、俺達がこの子に与えた選択は正しかったのだろうかと不安が掠める。
「なにせ、僕を一度殺してるんだもの」
 イサークの吹雪のような声に、小竜がお包の中で震えた。